メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

コミュ力ゴミ虫同人失格者ですが、アウシュヴィッツ強制収容所博物館に行ったので備忘します


タイムライン(日本標準時)から時差マイナス七時間(推定)の時間軸で、フォロワーの神絵師から送られてくる表紙進捗に顔面崩壊したり、おそらくブロック→ブロ解頂いたフォロワー(過去のつながり)アカウントにおける、相互フォロワー限定公開の壁に追突したりしている。ブロックされてないだけマシでは?
同人人生を謳歌したいと思い「界隈」との交流を試みた結果生じた苦しみから、公開アカウントとツイート用の非公開アカウントを分けた過去があるんですが、非公開アカウントで自分の脳内の情勢を垂れ流してると、関心を持ってくださった他人(相互フォロー)から、非公開アカウントだけでなく、公開アカウントの相互フォローも外して頂けるダブルブロックチャンス!わたしもブロック気軽に使う性質ですしそれは全然構わないんですが、そこからの「相互フォロー限定公開」の壁がマジで分厚い。ログイン限定公開とか、フォロワー限定公開じゃダメか。ほんと、フォローとか返さなくていいので、アップされたそれを、わたしは見たい。あっ、でもわたしには見せたくないか……?みたいな思考がこもごもする。
もうこの際、ツイッターで相互フォロー公開はもうこの際いいので、人類(でかい呼び掛け)、いずれはpixivにアップしてくれよな!(たいてい相互フォロー限定公開、pixiv等にアップされなくない?※体感と偏見による個人の見解です)

そういうわけでコミュ力ゴミ虫同人失格者ですが、アウシュヴィッツ強制収容所博物館に行ったので備忘します。


私はクラクフ市内からアウシュヴィッツ強制収容所博物館に向かった。
クラクフ中央駅のバスターミナルから出てる「ライコニック」というような名前のバスに乗る。
例えば迂闊に市バスなんかに乗ると、バス内のチケットマシーンはタッチ型のクレカかコインしか使えなくて、飛行機から降りたての観光客はたやすく詰むなどするんですけど(あとマジの混雑をするしクソ揺れるので本数少なくても絶対電車乗った方がいい)、ライコニックは中央駅に隣接する窓口購入でも運転手からの購入でも、差し込んで使うクレカを使用できるので安心!料金は一人15ズロチ(20円前後)だった。

クラクフ市内からアウシュヴィッツ強制収容所博物館までは、バスで一時間半ぐらいかかる。なので妙に尻が深いライコニックに乗車して、時々うとうとしながら向かうんですが、わたしほんと、どう足掻いても人格がオワで、囚人と紙飛行機を口ずさみながらバスに乗った。そういうとこたぶん、ブロック→ブロ解の後相互フォロワー限定公開の作品を見掛ける原因だと思う。

ライコニックはアウシュヴィッツ強制収容所博物館の目の前に停まるので、後は人波に従って博物館入り口に向かう。他にバス停留所近くには軽食を食えるスタンド、博物館入り口ではない方の建物には本屋、郵便局もある。博物館ではない方の建物には地下にトイレがあり、利用には2ズロチ掛かるが、カードでの支払いにも対応しているので、安心して催そう。
ここはトイレは有料インフラの世界だ。ちなみにクラクフ中央駅の便所は硬貨のみ対応、クラクフ中央駅に隣接するガレリアとかいう名前のショッピングモールの便所は、利用料の支払い以前にクソクソ混んでて尿意が引っ込んだ。男女問わず列形成してたので、たぶんあそこも支払いがあるんだと思う。

ハイシーズン(夏場)のアウシュヴィッツ強制収容所博物館には、ガイドツアーを申し込まないと入れない。インターネットを見るに日本語ツアーが稀にあるらしいが、私は12:00開始の英語ツアーを申し込んだ。
博物館入り口には荷物検査の列があり、ツアー開始30分前ぐらいからこの列に並べるようになる。荷物検査前にインターネットで予約支払いしたバウチャーを提示、学生証のチェックがあるものと身構えていたが、パスポートだけで通過した。
荷物検査の後に博物館入り口に入場、奥のカウンターでバウチャーを見せると、音声ガイドの機械とヘッドホンの一式、そしてガイド参加者の身分を明らかにするシールを手渡され、シールを見えるところに貼ってからその辺で待つように指示される。
ガイドがミーティングスポットに接近すると、博物館奥のエントランスゲートにいる人がお知らせしてくれるので、同じようなシールを貼った人間の動きを見つつ、ゲートを潜る。
英語のリスニングが不得手な上、ここの人間のしゃべる英語は訛りが強いことが往々にしてあるので、周囲の空気を読む力が絶妙に試されてくるのだ。
極東クソ島国の同調圧力がどうのとか、普段は威勢良くキレてしまう性質なんですけど、この結果がこれ、どこでも人間同士のコミュニティ、懐に入る力、空気を読む能力が結局資本になるんだな、アハハ!笑えよ……(虚空に向かって)

ゲートを潜ってもすぐガイドがいるわけではなく、暫く待つ。我々のガイドは上下を薄い青のスウェットっぽいペラ服で揃えたおっさんだった。サンダルを履いていた。
ガイドのおっさんと合流するとまずヘッドホンと音声ガイドの使い方のレクチャーが始まる。音声ガイドと思っていたそれっぽい機械はおっさんのヘッドセットと繋がっており、これでおっさんの解説をヘッドホン越しに聞く機械だった。案の定説明を聞き取れず、無事おっさんに助けを求めて、音声ガイドの使い方チュートリアルをクリアした。チュートリアルは以下の通りだ。
1.機械右側面にある▲▼のボタンを同時に押したりなんとかして画面に表示されてる鍵マーク()を解除する
2.左側面にあるスクロールで音量を調節する


ここはアウシュヴィッツ強制収容所「博物館」と言うが、屋内展示はほぼない。アウシュヴィッツ強制収容所跡地を、延々と歩き回るツアーだ。行程は三時間を予定されていたが、同じようなことをしてるポーランド語ツアーやドイツ語ツアーがあるのでまぁ混雑するし、結果的に四時間歩き回った。

良く晴れた日だった。九月のヨーロッパをナメていた私は帽子も日焼け止めもなく、アウシュヴィッツ強制収容所はまだ建物内部の展示物(写真がメインだ)が多かったんですが、アウシュヴィッツ強制収容所博物館(アウシュヴィッツⅠ)から無料シャトルバスで向かうビルケナウ(アウシュヴィッツⅡ)はマジで日差しとの戦いの感があった。
他にもいくつか戦いがあり、何分後かも場所も言わず突如「じゃあ休憩のあとビルケナウ見学するからまたあとでね」と解散したガイドあるいは同ツアー参加者を雑踏のなかから見つけ出すミッションなどがあり、結局ビルケナウに着く頃にはツアー参加者が半減するなどしていたりもした。
ビルケナウ前の立ち振舞いにおける正解としては、たぶんシャトルバスの出る博物館前駐車場バス乗り場(ここからライコニックも発着する)前での待機です。緊張の面持ちで待機する我々の前に、ガイドはポテトを片手に、軽い感じでやってきた。


既に言われていることなんですけど(http://zerokkuma.hatenablog.com/entry/2016/07/11/002127)、アウシュヴィッツ強制収容所にはマジで特になにもなかった。
調べてるときに上のウェブページを拝見して、ゆうてなんかあるやろと思いながら行ったんですけど、特になにもなかった。
オルタナティブコミックのマウスを膝に受け、個人が歴史化する過程や彼我の差異に強い関心を持った人生でしたが、だいたい写真とか漫画とかで説明された景色が目の前にある感じ。
アウシュヴィッツ強制収容所博物館の方は整備されている感もあり、強制収容所というと出てくるような解放時の非人道的な栄養状態の写真をここぞとばかりに掲げてくることも無かった。
回収されおそらく再利用のために備蓄されていた髪の毛、靴、杖や靴磨き、義足、鞄や家具がところせましと並ぶケースはあった。展示スペースの都合上ごく一部しか展示はできないとガイドは説明し、わたしもまぁそうやろうなと思った。
ビルケナウに移ると、ソ連による解放当時に爆破されたまま保存されているガス室跡地なんかがあり、より遺構感が強くなる。
日差しにじりじりと焼かれながら、ひたすら草地を歩いた。ガイドの話によると強制収容所のエピソードのなかでとりわけ際立つのが冬の寒さの厳しさで、カポーは森で樹皮に火をつけ暖をとれることもあったがそれはごく一部、死のバラックですし詰めにされている銃殺待ちの受刑者の凍死を待たず、瞼や指や耳をネズミが齧っていくような話をしていた。
ガイドの説明のなかで、毎度決め台詞のように使われていたのはImagineという単語だった。敗戦後多くの書類が廃棄され、収容所における実態に関する多くの事柄は、生存者の証言しか拠るものがないと言っていた。ガス室に隣接する火葬場から集められた灰が展示されていた。
特にこれといって目を驚かすようなものはなく、当時を対象に扱った多くの作品や言説と同様に、ここに収集され消された人間の不在がうずたかく積み上がっていた。ナーロッパ的なものとして理解しているのでそれはそれでいいんですけど、衣食足りて礼節云々とも言うしマジで極限なので、囚人は有刺鉄線の外に恋とか無理じゃなかろうかと思いつつ、SSが常駐していた監視塔を横目に、二重になっている有刺鉄線を潜った。

見学を終え、生まれたての子羊よろしく一歩足を踏み出すごとに腰を痛めた我々は、往路同様ライコニックでクラクフ中央駅に戻り、生理痛に苦しむ同行者をベンチに座らせがてら、わたしは10ズロチ(200円前後)のアイスクリームを身ぶり手振りで買った。
味を三種類選べたので、ラズベリーと、なんか名前のよくわからん黒っぽいベリー、外国の香料のにおいがするピスタチオを選んだ。コーンに詰め込まれたアイスクリームの上には生クリームが乗っており面食らったが、甘くない上アイスクリームで冷える胃腸をやさしく包み込んでくれるいい仕事をしていた。

我々はどこから来たのかもわからず何者かの身分も曖昧なままとにかくクラクフに行くらしい(他人事)

 

エマ・ウッズの人生について考えてたら夏が終わったし、自分の人生が覚束ないし、あともういくつ寝ると出国らしいですよ! は!? 同行者は高飛び開始に向かってすっげぇ社畜してるし、一方の私は一月〆切の一世一代論文原稿が、これは一年前から薄々気付いていたことなんですけど、構想段階から骨折してない? 地鎮祭も終わってないのに、引っ越しトラックが押し寄せそうな勢い。バーカ!! こんなところに居られるか!! 一足先に抜けさせてもらう!!

 

予定している高飛び、三ヵ国周遊プランらしいんですけど、イチから一々自分で予約してる癖に、全然記憶にない。驚くほど記憶にない。予約履歴を見ると、オーストリアハンガリーポーランド。ここに行くらしいです。

「東欧三ヵ国周遊」とか言うと絶対もっとマシというか、人道的というか、王道のプランがある筈なんですけど、オーストリアハンガリーまではわかる。そこからチェコとかスロヴァキアとか、その辺抜けるルート取りの方が、無理がないのではないか?いやもうあらゆる予約を済ませてから、言うことじゃないんですけど、何これ。何でポーランド? と思って色々思い返してみると、そういえばこれ、私が無理を通して主張したことだった。

 

マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語

マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語

 

 

マウスII アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語

マウスII アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語

 

 

これが私の人生ブック、今に至るまで私を苦しめる人が歴史化していく過程、或いはアイデンティティ問題への関心の源(推定)なんですけど*1、同行者に「どっか高飛びしたいからプラン出してくれ」と言われた時、私そういえばこの本を持ちだして、オシフィエンチム行きを希望した。

じゃあ東欧っていうと、ウィーンとかその辺が有名どころか。 そういやウィーンが女性的で、ブダペストは男性的な都市らしい。 おっハンガリーは物価安らしいぞ!←このテンションで行程を決定

前回から何一つ学んでいないのでは? 何このゴミフットワーク 風が吹いたらどこまでも飛ぶのか? 少しは腰を据えて物を考えてみろ。

 

ところでこの旅程を組んだはるか遠い過去(マジで何時頃にどっちがこの日程確認してオッケーして予約を取っていったのかの記憶が無い)の記憶を、乱雑な文字記録の残されている手帳を片手に解読していきながら思ったことなんですけど、人類、どうやってクラクフに行ってるんですか?

 

 

クラクフ

Wikipedia(日本語版)によると、クラクフポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都ポーランドの古都で、日本でいう京都みたいなところらしいです。

旅行サイトとかを見ていると、「ヤゲヴォ大学」とか「カジミエシュ」とか何か世界史Bで聞いたわ……みたいな固有名詞がポツポツ。

 

stworld.jp

 

www.travel.co.jp


今回の高飛びでは経由地としてのアレが強く、ここからのオプショナルツアーをブンブンに予定に入れているんですけど、割と町に見るものが多いみたいですね?(行き場の無い問いかけ)

 

今回の行程でクラクフを経由するのは、オシフィエンチムに向かう為です。あとついでにヴィエリチカにもいく。マジで経由地扱いだな過去の自分、京都だぞもっと滞在しろ。

 

visit.auschwitz.org

witam-pl.com

witam-pl.com

www.wieliczka-saltmine.com

witam-pl.com

tabitabi1110.com

 

ところでそのクラクフへの移動手段なんですけど、極東の島国にお住まいの皆さん、どうやってクラクフに向かわれているんでしょうか。

 

YOUはどうやってクラクフに?

いやマジで、

日程の問題もあると思うんですが、我々が検索した時点でスカイスキャナーで成田からクラクフまでの便がなんか物凄い便(韓国で異なる空港間乗換とか)しかなくて、直にクラクフに入るのは早々に諦めた。じゃあワルシャワは? っていうと、それはそれで便が無い。もっと早くから予約していればもう少し選択肢はあったのかもしれない、と思ったような記憶があるあたり、ここ数か月で旅程をつめたのか? そんな馬鹿な ふしぎ星の☆ふたご姫見てた記憶しかないぞ

結局、一番選べる便数が多いウィーンから入ることにしました。ウィーンは物価クソ高って聞いてるけどしゃあないのでそこから陸路移動をしよう。ヨーロッパ旅行っていうと鉄道みたいなイメージあるし、旅情~~~~

 

www.ohshu.com


調べてみたらなんか路線ありそう。五時間とか掛かるらしいけど、寝台列車とかあるし、ワッ! 夜行!旅情~~~ロマンチック~~~とか言って調べるとまぁ結構いい値段するし、そもそもサイトの仕組みがよくわかんない。ミジンコフットワークで調べているのでロクに比較検討とかも出来ていない。

 

urtrip.jp

 

取り敢えず公式サイトから買えばなんとかなるだろという大雑把な考えで区間検索をするんですが、なんか価格が便によってあまりに違い過ぎる。異様に安いチケットにはTicket for section onlyとか書いてあるし。そういうようなことをわからないなりにえっちらおっちら調べてみると、Ticket for section only、「オーストリア国境まではここで予約できる。国境を越えた先はお前が自分でチケットを取れ」という意味らしい。

じゃあポーランド側の鉄道予約はどうかっていうと、どうやら乗車日の一か月前からじゃないと取れないというのを確認して、じゃあ鉄道にするんだったら、予約はもう少し後でもいいか、という話になった覚えがある。

なおSparschiene ticketは「早割」、OBBのサイトは時刻は見やすいけど日付はあんまり大きく主張して来ないので、しつこく日付確認してくる日本の夜行バス予約に甘やかされた私さんはほんと気を付けて欲しかった(後に誤って購入した上キャンセル不可タイプの最安な買い方をした結果チケットを一枚ドブに捨てた)

 

次いで調べたのがバスだ。イギリスに行った時私はチキって列車移動したんですけど、ダウントンアビー推しで英文科に入った知人はそこでビッグバスだったかビッグベンだったか、なんかそんな感じのネーミングのバスをブンブン乗り回して毎週末格安聖地巡礼していた。

 

www.eurolines.eu

turedure0725.blog.fc2.com

www.omio.com

narumori.com

 

そういうようなことを思い出しながらなんかこのサイトで今調べたらEurolineの方は出てこなかったんですけど、Omioでは出て来た、エッ!? 以前調べた時はオッウィーン→クラクフのバス路線あるやんと思い、目当ての日程を入れたら死ぬほど出てこなくて死んだんですけれども。

 

結局どうしたかというと、金で解決した。世は大空輸時代。都市から都市の移動は、だいたい飛行機で飛べば何とかなる。

そうやって予約した格安航空、なんか荷物の持ち込みが出来ないタイプのまま予約しちゃったみたいなんですけど、本当に大丈夫なんでしょうか。

飛行機予約でトチッた同行者と鉄道予約でミスった私は顔を見合わせて笑った。彼女が笑顔の裏で何を思っていたかは推し量りがたいが、私は笑って許してくれる友達を持って本当に良かったと思った。

 

笑っちゃうほど行き当たりばったり、旅行の最大の敵はリサーチ不足と油断らしいんですけど、今のところその双子を小脇に抱えて、同行者と二人でタップダンスしている。ゆうてヨーロッパだから大丈夫だろう、英語がきっと通じるだろう、荷物の持ち込みについては、カードで支払えばきっと解決するだろう、まぁ荷物なくても死なないし、ゲラゲラ! どうなんでしょう、このようにして、いかにも平和ボケをしている。生活をしていてもそうですね。リサーチ不足と油断と手を繋ぎ輪になって踊る。ここに惰性がやってきて私の足にじゃれつく。

現在同行者に貸し出している私の人生ブックも序盤は本当にそんな感じだった。いや、正確にいうとそんな油断惰性怠惰と踊ってる訳じゃないし、全然違うんですけれども。

オルタナティブコミック「マウス」は、筆者であるアート・スピーゲルマンの父が経験した「戦争体験」を描いたものなんですけれども、父ヴラデックは裕福な家出身の才覚ある青年で「身に付けた技術は自分の身を救う」というのを信条の勤勉さも兼ね備え作中ではその勤勉さがここぞというところで光る人生を見ることになるのですが、そんなヴラデックも、特に戦争前の青年期では、知り合った女性と惰性でメイクラブして、その後その女性となんとなく疎遠になった頃に出て来た見合いの席で、彼はこれはという女性と出会うんですけど、彼女とまとまる時にその惰性メイクラブが面倒を引き起こす、みたいな、脇の甘い展開もある等、本当 人間の暮らし、なんか課長島耕作っぽいエピもある。

それがある日、「戦争」で急に物事が悪くなるという訳ではなく、日々を暮らしている内に、段々段々と悪くなっていくんですけれども、火に掛けられている水の中にいる蛙が、段々温度が上がっていくことに気付かずそのままゆで上がるという話って、果たして本当なんですかね? 例えそれが蛙にとっては事実でなくとも、人間だとそういうことは本当にあるんだろうなということを、教授ちゃんやレジュメのアレで微々たる学をつけつつ私の人生ブックを読み返す時を始め日々感じている。

これでオリンピックマジでやるのかよと思ってたら、マジでやるみたいですし、消費税マジで上がるのかよと思ってたら、マジで上がるようですし、近隣地域はなんか、エライことになっていますし、戦争発言の議員は、また別場所で戦争発言をしているようで、ええっ どうなるんでしょうねコレ こんなところに居られるか!! 一足先に抜けさせてもらう!! 一足先に抜けたところにユートピアガンダーラがある訳でもなしに、どうなるんでしょうね我々、どうするんでしょうね。

 

 

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

 

 

*1:人文系の学生が一定数罹患している風邪みたいなもの。特に文献史学を主とするところに所属の学生が罹患すると余程の才覚がない限り文献史学の厚みにやられてエリバ博士になる。

惨月記

 

表向きに大手を振って言える趣味として旅行をラインナップさせると、他人からは俄然アウトドア派として見て頂けるんですけど、このお盆、太陽の下に出なかった。夕暮れに起き出しては、製氷機に溜まっている氷を、口に入れてガリガリする暮らし。もし昼に起きていれば、昼の時間はほぼソシャゲに溶かし、夜に起きていれば、夜の時間もほぼソシャゲに溶かしていた。ソシャゲしてない時間は、ツイッターをしていた。リアルタイムに向こう側に人間がいるツールの吸引力は凄いなと、このお盆で改めて実感した。指を上下にシコシコスライドさせるだけで、脳に新たな刺激を得られるのだ。かといって、そんな毎秒置きに推しカップリングに関するツイートがされている訳でもないので、十分おきにカップリング名でツイート検索をかけるのは、もうそろそろやめてほしいと思う。

去る七月にははてなブログから、「ブログを開設して3年が経ちました」という件名のメールが送られて来ていた。三年前の七月というと、もう何をしていたか思い出せないんですけど、二年前の四月に何をしていたかは思い出せる。その時期に「ツイート用ツイッターアカウント」を開設したと、ツイッターが教えてくれるからだ。

 

かつて世は大同人時代であった(自分史)。

兎に角何かしら、フォローフォロワー関係から人脈を作り、自分好みの妄想を他人の頭に植え付けようと躍起になっていたんですけど、まぁ無理でしたね(この時点で二年前の四月)。

日頃リツイートしては何がしかの感想をツイートするアカウントは、たまに私の創作物をリツイートしたかと思うとその後に続けてお決まりの感想ツイートらしいものをしねぇし、後発の中堅コミュ強字書きのpixiv小説めっちゃいいね付く一方、その直下に表示される自分の作品鳴かず飛ばず

反響の無さというものを理由に筆を折れればよかったんですけど、残念ながら私は自分の書く同人文章が大好きだった。というか、そもそも自分が大好きな話を他人が創作してくれるのをずっとは待っていられずに、絵を描けないから文章を書き始めたというウカレポンチだったのだ。未だに同人小説という言葉を使うのには、若干の気後れさえ感じる。

そうして延々と自分の好きな事を書き続けては、自分と他人の間にある深い断絶、同じ原典を目の前にした時の感じ方の違い、これが解釈と言われるものか? 或いは倫理観、論理展開の違い等々を、長いこと図りかねていた。

最初は単純に、自分の作品が人目についていないだけではないかはと思い、次いで、人間はそれぞれ思想の好みが違うのだろうという、至極当然なところへと行き着いた。

しかし、どうだ? 私の介在しないところに存在する、他人と他人、カップリング観というか、思想の好みが合い過ぎでは? これは、果たして、どうだ、私がおかしいのか?

 

自分の正気を証明する為に、より多くの他人の目につくことを意識して、サークル参加とか、したんですけど、駒を進めれば進める程、ひたすらに、私の狂気が証明された。

同人誌なんて出す連中は皆狂人(くるんちゅ)だという趣旨のツイートを私はツイッターで見たことがあって、それは本当にそのとおりだと思うんですけど、それにしたって限度がある。

皆、人間と喋っているように見える。私は何だ? 壁のシミと喋ってるのか。別に壁のシミと喋ったって、自分一人の部屋では気にすることもないんですけど、同じ教室にいるように見える周りの他人は、皆人間と喋っているように見える。

 

 

人間と喋ろうと努力をした。ツイッターのアカウントを公開にし、頭を捻ってリプライに回答した。その結果いくつかのフジョシのアカウントから、お声かけを頂いたりするようにもなったんですけど、私と喋ってると、フジョシ、不思議と言葉少なになるようで、いや、コミュ障は今に始まったことじゃないんですけど、そこのコミュ障を自称するオタク同士は、いかに自分らがコミュ障で、共通する特徴を持つ推しカプの受けがどうのこうのと言っている訳です。

物言わぬ壁のシミだけが、私をジッと見つめている!

 

所謂フジョシとの交流、人脈作りの限界を感じたのが、二年前の四月だった。

私はツイッターのアカウントを新たに新設し、イベントに関するスペースナンバーの告知であるとか更新報告であるとか以外のツイートを、全て新設した非公開アカウントのみで行うようにした。

私はそれに「ツイートアカウント」と呼ぶようになった。ツイートをする為のツイッターアカウント。言葉の著しい重複を感じますねこれ。

 

タイムラインすら神経に障るような状態だった。たまたま私がpixivに何かを投稿したような時に、確実にオンラインになっている(という風に見える)フジョシのアカウントが、他人のpixiv小説を絶賛したりしているのが見えるから。

なので当時自分のタイムラインを自分ないし神経に障らないアカウントのツイートのみで埋め尽くすため、私はリストごとにタイムラインを管理するやり方を実践した。これは現在に至るまで私のSAN値減少を少な目に留めてくれる有難い手段なのですが、まずフジョシであるとか同人の者がやっているアカウントを、件の非公開アカウントでフォローする*1と共に、当該アカウントをミュートし、ジャンルごとに整理したリストに入れて観察をするのだ。こうすると、同人関係のツイートはタイムラインには流れないが、リストを閲覧すると同人関係のツイートの流れを把握できる状態を作れます。

そこに人間が存在しているらしく見えるツイッターソウルジェムの濁ったフジョシにはとにかく向かないんですが、そんなタイムラインを見ているとブチギレそうになるフジョシにおすすめのツイッターライフハックの紹介でした。

 

それで、話は私がSNSで発狂してから二年後の八月現在に戻るんですけど、

そういう訳で、訳の分からないツイッターアカウントを複数運営している状況が続いている。今はただ更新連絡用でしかない公開アカウントも、元々は交流用に持っていたものなので、矢鱈とフォロー数が多い。しかし公開アカウントでタイムラインを追うことは、情報の波に溺れたいとき以外殆どないし、ツイッターを用いて情報の波に溺れるような時間は、さっさと睡眠時間に宛てた方が余程有意義であるということを私、この二年間かそこらで学びましたので、公開アカウントの方のフォロー整理をしよう*2と思い立って、久しぶりにパンドラボックスを、それと気付かず開けたところ、出てくる出てくる。何が? 厳しい記憶だ。

かつてこの神絵師と相互フォローであった記憶だとか*3、他人のアカウントのいいね欄に見出した、かつて一度タイムライン上に感想を放流してくれたフジョシの新生アカウント*4、後は何? もう十分だ。これぐらいの記憶が復活してきた辺りで、私の神経がゴリゴリともう寿命が近いノートパソコンのファンのような音を立てて擦り切れた。

そもそもが、矛盾している。私は常に自分好みの創作を他人がしてくれることを期待している。自分が所謂創作活動に触れる原点がそこにあったからだ。しかしそれが叶うことは、本当にごく稀であるから、私は自作を続けている。しかし他人の頭の中を覗きたいという、所謂ROM願望というのか? そういったものは私の原点として強く残り続け、結果的に、フジョシ村社会において得てして称賛を受ける他人と自己とを比較する境地に至ってしまう。キャスパリーグ! どうすればいい? 悟りどころか逆悟りの境地、肥大する自我、虎! 「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁傪!呼びかけてくれ袁傪! 袁傪! 壁のシミだけが、ジッと私を見詰めている!

 

SNSでこんな狂うことが出来るならツイッターやめればじゃあ真人間じゃないのと思うこともあったんですが、じゃあツイッターが無かったら私は、この自分の意思とは無関係に湧いて出る諸々の妄想を、一体どこに書き留めればいいか、最近はGoogleメールの下書きを使ったりもするんですけど、あれ時々唐突に消えることがある(原因は私の操作ミスだ)ので、正直あまり信用ならない(しかし一番信用ならないのは操作ミスをする私の指だ)。

それに妄想ツイートをせめてオンライン上に散りばめれば誰か王子様が、私好みの何かを描いてくれる、書いてくれるかもしれないじゃないですか!(わりと振り出しに戻る)

 


人として軸がぶれている - 大槻ケンヂ

*1:最初はリストのみで管理していたが、時々リストは妙な挙動をしてアカウントが漏れたりするので、フォローが一番確実だと思っている。

*2:この時点で既にさっさと寝た方が良い兆候

*3:神絵師と相互フォローになると、ワンチャン神絵師が自分の妄言を元に神絵を描いてくれるんじゃないかという、隕石が自宅に落下する程の可能性にフジョシは縋りたくなる。※個人の考えです

*4:わざわざ同人小説読む人間はめちゃめちゃレアなんですけど、その上で感想まで見せてくれたりすると、これは個人の考えですが、書き手は感想をくれたアカウントの名前と発言の傾向(それが創作者である場合は絵柄や文体)を覚えるので、同じような界隈の人間とSNS上でつながっている場合アカウントを輪廻転生してもほぼ同定が可能

マインドゴミ屋敷からアホスケジュールの所為で使いきれなかったベトナムドンが程々に出て来た

 

物と記憶が紐づけされているタイプなので出来るだけ物を取っておきたい気持ちはあるが、一方で整理整頓して物を保存することが出来ないタイプ。結果何が何だかよくわかんないゴミ溜めが生活空間に出現、今日のゲストは旅行中の沢山のレシート、ヘルシンキ・ヴァンター空港で乗換中に購入した水入りペットボトル(流石に空)、オールボーのホテルで提供されていた粉末コーヒーパケ、その他諸々です。しかもよくわからないものを生活空間に散在させる人間の常なんですけど、失せ物が多い。人生の半分失せ物探しに使ってるんじゃない? 今日のターゲットは自宅の鍵です。

ここで生活空間が散らかってる人間にはわかってもらえることだと思いますが、失せ物は常に過去の自分との心理戦。脳内に再構築したマインドパレスにおける自室を彷徨い、過去の私なら確実にここに置くと思いながら、引き出しを漁ったり床を這いつくばったりシーツをひっくり返したりするのが常です。

ところで昨日の私、無人の家に帰宅してから、何しました? 正直あんま覚えてない。多分ゲーム。終了! 無意識のうちにしたことは、マジで推理の仕様がない。マインドゴミ屋敷を彷徨っていた探偵が匙を投げる。レシートとレジュメが積み重なった関東ローム層の中に匙が吸い込まれていく……

そういう訳で、さっき自暴自棄を体現したような手つきで引き出しを漁っていたら、ベトナムドンが七万と九千ドン出て来たので、自宅の鍵がゴミ溜めのなかから出て来てくれる気になるまでその話をします。

 

海外旅行、両替のレートどこが一番いいかとか色々あるんですけど、諸々考えるのが面倒になっちゃうタイプなので、ホーチミン旅行の際も何も考えずに、ホーチミンの空港出口近くの両替屋のおばちゃんに一万円札を差し出した。

後で計算したところ、概ねインターネットで調べたところの正規レートと変わらず手数料もそんな取られてなかった臭いので、結果的には悪くない判断だったんじゃないかと思う。

しかし何だ、どいつもこいつも桁がヤバイ。50万円札とかいうと思わず噴き出して笑っちゃうが、50万ドン札は実在する。そういえば空港で一万円札を両替する時の私も、「スモール スモールプリーズ」と貧困な英語を繰り返していた気がする。

50万ドン札はその辺のタクシーとか売店ではまず使えないので、出来る限り小さくした方がいいです。スモールプリーズを連呼した私も一枚か二枚50万ドン札とお付き合いをしたことがあり、そのどちらもホテル*1のフロントで両替した。ホテルのフロントは私の50万ドン札を見て「ちょっと待って」と言った後、小学生の持ってる連絡袋みたいなのをレジの下から取り出して確認していた。

他で両替が出来るところ私はもう空港しか思いつかないんですけど、空港の免税店とかは「えっベトナムドン? 屋台で使い切れよ 米ドルを出せ米ドルを」みたいな感じの価格設定で来る。50万ドン札ってほんとどうすればいいんだろう。不遇の紙幣か?

兎に角日本円から急激に桁の多い時空に飛ばされ、私も同行者も始終テンパっていた。二人の間の貸し借りを換算する時なんか、テンパってる同行者は二万ドンでいいところを二十万ドン出して来てマジで気付かない顔をしていたので、紙幣の色のうっすらとした違いでそれを察した私は、これは友情が試されているのだろうかと十秒程考え込んだりした。

もしもこれが二十万円だったら、多分私は彼女が言い出すまで気付かなかった振りをしたと思う。でもこれは二十万ドンなので、日本円にすると、いくらだ? うーん考えるのが面倒、ドンに揺さぶられながらも私、生来の怠惰故、結果的に友情を選んだ。友情っていうか、信頼? なお今回の同行者と私の間にあるのは「色々あって互いに死ぬほど当たり散らしたことがあるのでこいつの癇癪は底が見えている」というタイプの、負の連帯なんですけれども、友情という言葉に手広くカバーして頂きたいところですね。

 

一方のベトナムさんサイドも、日々やたらついてまわるゼロの数字を厭うているのかどうかは知らないんですけど、レシートとか電卓とかで打ち込むときに時々、〇〇kと打ち込んできて、下三桁の諸々のゼロを省略してくることがある。

しかしゼロの省略ならその場でクソクソテンパるぐらいで済むんですけど、数字の聞き取りや屋台での値段交渉が一番難儀した。ホーチミンで旅行客に接するような人民は概ね英語が分かるんですけど、口頭での数字の聞き取りとか最も苦手にしていたからだ。交渉のステージに立つ以前に、最初に提示されてる値段が聞き取れない。えっ? 今なんつった? こちとらミリオンとかビリオンとか日常会話でまず聞かないし、英語さんの方もミリオンのことうんたらハンドレッドで表現したりするので、もうこっちの頭が追い付かない。何!?

そのようにしてテンパる旅行中にインターネット集合知の恩恵を受け、私は「ベトナムドンからゼロ二つ取って割る二すると、大体日本円に換算できる」や「〇〇kで表示されてる数字の下にゼロを三つつけると、求められてる支払額になる」などを覚えました。

 

www.tabiilog.com

vietcam-oh.com

 

例えば前者の計算方法を実践してみますと、現在の私が持ってるベトナムドンなんかは、日本円にして395円ぐらいの価値です。ミカヅキモモコで、何か一個買えます。

 

iconicjob.jp

 

これにしたって現地ではまだ結構使えると思う金額なので現地で使い切ればよかったんですけど、現地にいるときは宿痾のケチが出てきてしまって、うまい事金を使えない。

マッサージとかアオザイ体験とかすればこんな金額すぐ突破なんでしょうけど、アホが予定を組んでるので、特に金を散財できる最終日、ベトコンの穴入ったらもう市内戻るのも面倒だし、そのまま空港でいいよというゴミスケジュールを立ててしまったばっかりに、マジですることがなくて、空港のベンチで仮眠を取り、クトゥルフ神話TRPGに興じたりしていた。どんだけ時間を余らせていたかがよくわかる例ですね。

何で空港でそこまでの長期滞在(クトゥルフ神話TRPGが出来るぐらい)ができると思った? という理由というか、言い訳をさせて頂くと、私この旅行の前に、プノンペンに旅行する時、ホーチミンを経由で使ったことがあって、その時ほんと ベトナムの空港って綺麗でいいな 窓ガラスが一杯! 現代的! もうここで降りたい 今回の目的地カンボジアなんですけど え、怖すぎ ベトナムでいいよ ベトナム旅行って一杯見るけど カンボジアって見ないじゃん ましてアンコールワットじゃないとこだよ プノンペン プノンペンやだ 怖いよ~~~~土煙に巻かれてこのまま死ぬんだ~~~という話を、同行者(同一人物)としていて、お互いになんとなくホーチミン空港に、大都会ホーチミンタンソンニャットみたいなイメージがあった。大都会じゃないです。どっちかというと、鄙びている。今回の経由地だったバンコク辺りになると、流石に大都会空港みが増してきますけれども。

 

バンコクスワンナプール国際空港、グーグルマップ曰く、アジアで最も多忙な国際空港の一つだそうですが、流石にその名は伊達じゃなかったです。24時間営業のコンビニがあって、兎に角空港自体が広い。いたるところにベンチが並んでいて、そこで横たわって寝ました。なんでベトナムから直行便で帰国しないの?一晩待った方が安いからです。じゃあもうちょっと市内で遊んでから戻ればよかったじゃん、ウルサ~~~~イ馬鹿が組んだスケジュールだから仕方ないのッ!!

しかしせめてベトコンの穴に埋まった服を取り替えたり、シャワーを浴びたりはするべきだったかもしれない。タンソンニャット空港で無料シャワーあったらしいんだけど、なんかターミナルが違うんだったか鍵がかからないんだったか面倒だったんだかTRPGしてたら終わったというか、なんだかんだ行かなかったんです。

 

live-resiliently.com

 

一方経由したスワンナプール国際空港に無料シャワーは無い(確認できてない)んですけど、大抵カードの会員とか何とかじゃないと入れない(プライオリティパスって奴だ)ラウンジの中のシャワーを現地支払いで貸し出してくれるところがありました。

 

kitagawa.ws

yum3.blog.so-net.ne.jp

ukoara.com


コンコースDに歩いていき、ミラクルラウンジの受付にてシャワーのみ貸してくれと申し出て、いくらか支払い(もう記憶がないしそのレシートもない 違うレシートはマジで一杯あるのに……)したところ、バスタオルから石鹸から貸し出してくれて、そのまま快適清潔なシャワーに入った。

シャワーだけ利用と伝えたもんで、他のサービス(ラウンジ内滞在とかフリードリンクとか)は利用できなかった。なので、多分私の支払った料金としては、上述サイトに記載されている1200バーツ?(二時間滞在)よりは安いんじゃないかと思うんですけど、なんかうろ覚えの記憶によると1000バーツちょっとはとられた覚えあるんですよね……もう私としてはシャワー浴びれたんでなんでもオッケーなんですけど、どうせなら二時間滞在1200バーツの方が色々お得なんじゃないか……

 

www.agoda.com

www.asiatravelnote.com

 

立派な体格も厳しい目つきも得ていない女二人の旅行だったので空港泊にあたって空港内カプセルホテルとか色々調べたりしたんですけど、結局売店バンコクビールを買いスナックを買って、明朝出立する搭乗口から程近いベンチに陣取って酒盛りをした後仮眠、深夜三時四時頃にとろとろと起き出して、クトゥルフ神話TRPGをして居るうちに搭乗時間になった。

 

マッサ―ジとかに行かず炎天下を歩き回ったり博物館で爆笑したりアホスケジュールで六時間前ぐらいに空港着してクトゥルフ神話TRPGをして時間潰したりしてると、手元になんか微妙な額のドンが余るので、いつかハノイに行きたいなと思います。

それかホーチミンのドンコイ通りとかで売ってる、切り絵のポストカードをもっと買い込みたい。あれすごいんですよ、カードを開くと観覧車が飛び出して来て、しかもちょっと触るとくるくる動くんです。アレ見てると、心の中の幼児が大喜びする。心の中に幼児がいる皆さんはドンを握りしめて、路上でお店広げてるおっさんおばさんに向かって走って下さい。

 

P.S. 自宅の鍵 出てくる気になりましたか? 気が済んだら早めに出て来て下さい。 怒らないからね。

 

*1:星のついてるホテルで両替した。ホステルとかで両替できるかはわからない。

女の肉体と健康

ra927rita1.hatenablog.jp

 

ほぼ一年ぶりに大幅な体調不良をやった、というか、やや現在進行形で、体調不良をしている。

年一から二の頻度で体調をイカれさせることがある。上述の通り、ブログでも体調を記事にしていたし、ブログを開設する以前は処方箋を貰いがてら、薬局にディスプレイされている笹に「治してください」と書いた短冊を吊るした記憶がある。体温計の電池は余力がある時に取り換えて下さい、ほんと、頼むから。

 

ところで体調不良をやらかしてから、長くてまぁ三日四日と尾を引くことはあるんですけど、それでも一週間も寝込むことってそんなにない。けれども今回の体調不良さんはなんだか根深いのか間が悪いのか、一週間経っても、体調がイカれている時にありがちな気怠さが抜けない。

私自身、日頃なまじ頑丈なばっかりに、自分の体調がヤバい時に、どうすれば治るのかということを把握していない。発熱をしている訳でもなければ腹痛も無く下痢もないので、病院で処方箋を出してもらにしたって、何を主訴にすればいいかわからない。なんかだるい、身体が重い、病院に掛かる前から不定愁訴じゃんっていうことがわかるので、回復してきた食欲と気まぐれな眠気に身を任せて、日がな一日を怠惰に送るなどしている。処刑*1まで、残り一週間を切っている。

それにしたってである。動けないものは仕方がないし、今朝の立ち眩みはひどかった。

立ち眩みというか、目が覚めて、立って、数歩歩いて、床に座る。そんな感じ。何? 

これまで気圧の高低によって自覚する程体調を左右されたことはなかったんですが、朦朧とした意識の中で聞いたニュースキャスターの「台風になるかもしれない」とかいうお言葉に深く頷きながら、これは超級の低気圧だから仕方がないと勝手に納得し、私は布団に戻った。眠り、眠り飽いたらスマホゲームをする。これまでもっぱらFGOだったんですが、最近第五人格を始めました。私が自主的に寝込んでいるベッドの側に置かれたケージで、ハムスターは元気に床材を掘っている。

 

そういえばハムスターもここ最近、体調が芳しくはなかった。ここ一か月で謎のくしゃみなんだかしゃっくりなんだかを悪化させたハムスターは先日、生まれて初めて獣医に行った。私もネズミを獣医に連れていくのは生まれて初めてのことだった。小動物、獣医に行く云々を飛び越えて墓に向かいがちなので……

向かった先の獣医からは、チップ材に対するアレルギーではないかと指摘された。獣医が言うからにはと思い立ち床材を新聞紙に変えてから、ハムスターのくしゃみは無くなった訳ではないが、その頻度と程度が目に見えて軽減したので、順当にアレルギーだったんじゃないかとも思う。

一方、弊ハムスターはジャンガリアンのメスなんですけれども、当初くしゃみなんだかしゃっくりなんだかでハムスターを獣医に見せてもまぁ不定愁訴で保険の効かない初診料をガッツリ持ってかれるぐらいだろうなと考え様子見しながらインターネットで検索を続けていた頃に、ジャンガリアンハムスターのメスさん、発情サイクルに併せてなんか知らんがくしゃみなんだかしゃっくりなんだかをするというインターネット都市伝説を見かけた。

改めてリンクを探そうとしたら見つけられなかったのでいよいよ私の幻覚なんじゃないかという話が濃厚なんですけど、連日しゃっくりもどきをし続けている訳でもなし、しゃっくり以外で何かの体調不良が見受けられるかという訳でもなし、餌をガンガン食べて床をほじっているので、体内で起こっている発情サイクルの一環だと言われた方が不思議と納得は出来たんですね。ちなみにメスのハムスターに生理というか、生理に伴う出血はないそうです。私も改めてハムスターを飼い始めて初めて知りました。

しかしメスが発情でしゃっくりするんだったらオスはどうなんだ。ハムスターのオスさんがパンパンに腫らした金玉を飼い主サイドが腫瘍と誤認して獣医に駆け込む案件がそれに値するんでしょうか、まぁ性のサイクルって大変だなと思います。

 

そういう訳で通院と投薬、床材の変更によって数週間前より大分マシになったハムスターの、しかし未だ微かに姿を見せるささやかなくしゃみなんだかしゃっくりなんだかを聞き流しながら私、布団に転がりつつ、そういえば自分のこの一週間経っても治らないクソクソ立ち眩みというか体調不良というかなんかよくわからない不定愁訴、生理前の案件なのでは?ということに、ようやく思い至った。

自分の身体のことだろ自分で何とか管理しろと言われましても、当方日頃生理で悩まされることはほぼ無い。故になんか変調をきたした時にどうあやしてやればいいかわからないし、大体生理周期も無月経ギリギリのところでようやく回っている感じなので、前回の生理が果たしていつだったのか正直記憶にない。その時にだけ存在を思い出すルナルナに準ずるアプリを見てようやく思い起こす程度。なので、喉元過ぎればなんとやらで、当然のように忘れるんですけど、思い当たる節もないのに急に電車に酔ってトイレに駆け込んで吐き戻したりする理不尽な体調不良案件等々、大抵生理前に起こっている気がするし、半年前に会った健康美にステを極振りしたような女も、生理前には理不尽な嘔吐をすることがあると言っていた。生理前の突発的な体調不良主に理不尽な嘔吐という所にシンパシーを覚えた私は、この案件について「吐き戻す女たち」とかいうようなタイトルでブログのエントリーにしようかと思ったが、その後まぁ恙なく健康に過ごしてしまったので、喉元過ぎれば何とやらと、すっかり忘れていた。

 

体調に思うところなく動けるのってほんと、有難い。ですので未来の私、このありがたみを忘れず、早寝を心がけて下さい。主に根を詰めて同人誌の原稿を作ったりするな。イベントに出る予定もないのにいたずらに原稿作業をするな。未来の私へ 本当にお願いします。特に体調崩す寸前の夜更かし、蝋燭の最後のともしびが一際輝くように、マリオがスターを取ったかのような集中力を発揮してしまうのでちょっとしたシャブですが、ほんと、アレ、やめてください、それは寿命の前借りですし、ただでさえ二か月から三か月に一度、謎のシステムで人知れず、私にもどうしようもない所で、勝手に体調がバグるので。

 


赤ずきんと健康

*1:名目上の研究発表

界隈でムラハチなので熱心な感想乞食や念入りなエゴサをしても感想見つからないしライフステージ的にも同人ムラハチ案件で荒れてる場合じゃないけど懸賞に応募するのを止めた九龍寨城公園に行った時の感想を記録するよ

 

 

東方、ゆっくりしか知らないんですけど、リツイートで回って来たこの叫びに一つの極北を見てしまって、私は泣いた。

 

11月24日に頒布した弊同人誌のことを、延々と話題にしています。

頒布以降、当該関係性に関するいかなる妄想も全てその同人誌に回収されていく勢いがあって、個人的には一種の傑作を生みだしたといっても過言ではない自意識。

その一方で、驚くほど、内容のフィードバックが無い(といっても他人様に表紙絵を描かせているので、日頃から考えると、驚くほどフィードバック頂いているところからのスタートではある)。

まぁ小説本って、そんな即効性ないしなって思って、頒布してから、同人イベントが終わり、見たくなくてもタイムラインに他人宛ての感想が並ぶ時期を見計らって、「ところで11月24日の同人誌読みましたか!? 感想文をください!!」っていうフリースタイル乞食をしているんですけど、なしのつぶてです。

この状況を受けて、やっぱり同人誌っていう、実態を伴った紙と言う媒体がいけない。これからの時代は電子よね!などと、インターネット上にほぼ全文を掲載の上、内容に関する選択式アンケートへのリンクを、全文掲載のウェブページに設けて、良かったらアンケート協力してくれや!と威勢よく持ち出した策は良かったと思いますし、一件ご回答もいただけました。

今のところ、「Q1.11/24頒布当該の同人誌を読みましたか?」っていう質疑に対するご回答、「読んでいない」が100%。

私が好きだからマルチエンド方式にしたんですけど、そのマルチエンドについて、「どのエンディングを選びましたか?」という質疑に対し、ご回答「その他」が100%、自由記述にコメントまで頂いてしまった。「老婆心ながら、この時期にアンケートを取るのは適切ではないと思います。作家さんたちは今原稿で忙しいと思うので……」(意訳)

 

イエーイ!メッチャムラハチ!

 

11/24弊同人誌、私は大好き、自作が大好きという幸福な状況にあるにも関わらず、私、思うんですよ、私が書かなければ、あの話、より多くの人間に読まれたんじゃない!?

言い換えると、一字一句同じ文章を、他人が描くなり書くなりして発表した方が、余程多くの人間に読まれ、そして多くの人間の思考を変革し、私が見たいタイプの話を書いてくれる人間を増やせたのでは!?

いや、ほんと、どうすればいい?

どうすればこのテーマ、というのは私が発行した同人誌だとか、そうでなくとも、私が思うような当該関係性についてなんですけど、それについて、(カップリング)語りと一般に称されるような類の話を、どうすれば他人と出来る? どうすれば、他人に声を掛けても問題の無い人格として扱われる? どうすれば、他人から声を掛けられるような人間になるのか? 

じゃあこういうブログ記事書いてないで、アカウント転生しろよ! っていうのも、ごもっともなんですけど、アカウント転生しても、やっぱジャンル移動してないとダメなものはダメらしいですし(経験済み)、今こうやって私が苦しんでいるこの瞬間も、他人はこういう話、他人としてるんだろ!? 〇〇さんの(カップリング名)の××が最高だったとかいう話、同じ界隈でそういう話を進んでしてくれるような、他人としてるんだろ!?!?

作成した例のアンケートにいいねしたお前、一向に回答してこないがどうなんだ? フォロワーもツイ廃ばかりではありませんし忙しいんでしょう。「■■さん(私)の旅行のファンです!」とか抜かしよるお前、お前がフォローしている、旅行よりも、お前が数年来尊いと事あるごとにツイートしてる(カップリング)の二次創作やってる時間の方が普通に長い私のアカウントは、一体どういう風に映っていたんだ。「〇〇さんの(カップリング名)のここが最高で~~RT」等日頃熱心にコメントするお前のアカウント、稀に私のツイートをリツイートする時は概ね無言なのは何故だ?

四六時中アカウントを見て自分の創作を読んで毎秒感想を言えと思っているかというと、別にそこまで求めはしないし、他人から感想を貰ったら貰ったで嬉しいんですけど、他人の反応を見る為だけにやっている訳ではないのは確か。

一方で、他人がその感想だとか、サークル参加だとか、感想絵だとか、交流とか、諸々の好待遇を得ている中で、こうも孤立することってある? あるぞ!

 

囲いなんだか友達なんだか知らんがフォロワーと「今度〇〇飲みしましょ~」等というリプライをし合いながら、生き生きと同人活動をしている人間を見ると、どうしようもないやるせなさを感じる。

11月24日に頒布した同人誌に話を戻すんですが(戻すな)、当該同人誌を再録した際のお知らせツイートにリツイートが二件ほどあり、オッこれは何かしら内容への言及あるかな~~~~と思って見に行ったら、すげぇ同人楽しまれてる界隈の方のアカウントでいらして、「二次創作ってすごい、素敵な絵と文で寿命が伸びる」「今日一日色んな人に拙作を褒めて貰えてうれしい」「原稿頑張ります!」あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!! 

いや、当人に一切の罪はないんですけど、しかし、何をもって罪とする? 私が悪いのか? 私が何をした? 私は、何故ここまでうちのめされ続けなければいけない? 何でこんな厳しい感情を無意味に持ちながら、こうも長らえなければいけないのか? ジャンル移動したい! しろよ! 実際、弊同人誌を頒布して以降発表した文章はないので、ほぼジャンル移動しているようなもんじゃないか? それにしても、ほんと、11月24日に頒布した弊同人誌を読んで、何か感想を持った人間、本当にいますか? Twitter経由で感想を得られることがほぼ無い(おそらく交流に不適な人格を持っているからだ)ので、この際Twitterアカウント消しますか!と思い切ろうとしましたが、直近のコンテスト参加にあたって、SNSアカウントをそういえば登録してエントリーしたので、暫くは消せないなと思い直しました。

 

普通に同人辞めなよ、対外的にもアレだし、人生ステージ的にも同人やってる場合じゃない。

一年先の身分とか一年も待ってくれない修士号の行く末とか、即落ち二コマした先の一次面接とか未だ定まらない研究の射程とか、出費する一方で減り続ける口座残高とか、諸々のことを考えたくなくて、何も思い出さないエッセイを読んだり(さくらももこの『もものかんづめ』辺りはメチャメチャ面白かった。ままならない過去や所謂黒歴史を以て自分をこき下ろし笑いに昇華する手法が見事であるなぁと思った。記憶を掘り起こすにあたって確かに血が滲んでいるだろうに、それを血と思わせない雰囲気がある。『さくらえび』は同人生活を楽しんでるフジョシの趣きがあって普通に地雷だった)、後は懸賞サイトを見ては、応募できそうな懸賞を探している。

その中で、「私の忘れられない中国滞在」とかいう、日頃ブログで書いているような記事を元に、応募できそうなトピックの懸賞があったんですけど、ここで一つ私が思ったのは、「香港は中国なのか?」ということ。

そもそも国家自体が自明のものではなく、国境は恣意的なものに過ぎないので、どの都市でも言おうと思えば言えることだとは思うんですけど、果たして香港とは中国なのか? 懸賞の特設ホームページを見るに、後援に中国大使館とかついてるし、やっぱりここで求められているのは、中国本土でのエピソードなのでは? 

しかし例えば、ここで台湾のエピソードぶち込んだら、ほんとお門違いだわってなるというのは容易にわかるんですけど、香港(そしてマカオ)のエピソードって、どうなんでしょう。

領域的には間違いなく中国、経済的な依存関係、政治的には「高度な自治」、異なる歴史と多重に重なり合う心性、そもそも「中国」が包括するエリアが広いし、そうでなくとも、以前の受賞者の雰囲気とか見てるとやっぱりなんかこう、大陸での事柄を求められているんじゃないかなぁと思って、そこに応募するのは止すことにした。

 

「忘れられない中国滞在」というか、香港への滞在、しかも滞在っていったって、四日間かそこらの個人旅行なんですが、よく印象に残っているのは九龍城砦だ。というと、語弊がある。

金田一少年のアレとか九龍レトロとか、ウェアハウス川崎の内装とかクーロンズゲートとかブレードランナーとかで有名なあそこ*1は、1994年に既に取り壊されている。

私が行ったのはその跡地に建てられた中国式の庭園、九龍寨城公園だ。

 

九龍寨城公園の最寄りはMRT樂富(Lok Fu)駅だ。そこからニ十分ぐらい歩く。

ミニバスを使うとより接近できるらしいが、当時の旅行の同行者から「ミニバスでは広東語しか通じない」という情報を得ていたので、歩くことにした。八月頭のことだった。

 

道中クソ迷った。いつものことなんですけど。

 

Googleマップの道案内によると、樂富駅から九龍寨城公園に行くには、

①まず駅を出て、

②駅前にある筈の橫頭磡東道(Wang Tau Hom East Road)を西に進み、

③聯合道(Junction Road 広い道だ)を、東頭村道(Tung Tau Tsuen Road)にぶつかるまで南下。

④東頭村道を道なりに進んで行けば

⑤九龍寨城公園 の筈なんですけど、

 

①から②への段階で躓いた。嘘でしょ!? 未だに何故ここで躓いたのかが分からない。

だって現地で撮影した地図の画像を見ても、Googleストリートビューを見ても、樂富駅の駅前にあるバスがたむろするロータリーを右手に進めば、②の道につながる筈なのだ。

しかし私の記憶の中にある樂富駅出口は、バスのたむろする円形のロータリーがあり、柵があり、その向こうにはなんだかもりもりとした木々と、その向こうに開けたグラウンド(おそらく樂富遊樂場)が見え、アッ、ここに入っても問題は何ら解決しないな、という雰囲気があった。いずれにせよロータリーから逃れるには柵を越えなければいけない。道なりに歩くと行きたい方角とは反対側の富美東道側へ誘導されてしまう。今自宅でGoogleストリートビューを覗き込んでも確認できない、およそ有り得ない景色が記憶の中にある。怖。何かに化かされてたの?(時々ある)

今や私の記憶の中にしか存在しない、橫頭磡東道と接続していない樂富駅前ロータリーをぐるぐる回っている内に、雨が降り始めた。

夏場の香港、亜熱帯気候らしく、十分前後スコールのような大粒の雨がザアッと降ったかと思うと、雨雲の欠片もない快晴が広がったりするんですけど、樂富駅を彷徨っていた時の気候は、携行していた折り畳み傘をさすかささないかを躊躇う程度の小雨。それがじとじとと降り続き、体感湿度は120%までぶちあがっていた。

当日の私、カワイイ刺繍の入った涼し気な藍色ぐらいのシャツを着ていたんですけど、それが自前の汗で、さながらドラマのクライマックスを迎えた時の土砂降りに降られましたかっていう勢いの、ぐっしょりした群青色になっていた。

 

このままロータリーをグルグルしていても普通に埒が明かないので、この際九龍寨城公園に行くのを断念することも考えながら、駅と直結しているショッピングモール・樂富廣場(Lok Fu Plaza)に入った。

魚臭い地下の生鮮食品売り場からエレベーターで上昇すると、いたって普通のショッピングモールがあった。ジャスコとかイオンとかアピタとか、そんな感じの風情。やっぱ空調が効いているところは最高。あと時々椅子があるのも最高。空調の効いた中をぐるぐる回って、ホテルが貸し出してくれたポケットWi-Fi(しかしこれを使ってると異様に電池の減りが早かったので、使うときしか繋がなかった)を元にグーグルマップを起動、現在地から九龍寨城公園へのアクセスを試みつつウィンドウショッピングをしていた。

小規模倉庫にも似た店構えの、地元密着感が溢れた文具屋に、キャンパスのパチモンノートとか、ミツビシのパチモン鉛筆とか色々あって、非常に興味深かったんですが、結局、現在地から聯合道までの出方はわからないままだった。なので一階インフォメーションセンターの女性に聴いた。

九龍寨城公園までの道のり以外でも、香港旅行中、しょっちゅう一階インフォメーションセンターの女性に、道を聞いていた気がする。だって店舗の中に入ると涼しいし、香港、場所にもよりますが、なんか色んなところをしょっちゅう工事してらして、普通に道が分かりづらいというか、どこも類似の景観をして、どの道見分けがしづらいので、いとも簡単に方向感覚を失うし、よく迷った。私の方向感覚がイッちゃっているのと、気温によるデバフが掛けられている可能性も高い気はする。

インフォメーションセンターの女性は快く、指さしも交えながら、英語で道を教えてくれた。彼女に言われた通り二階のガラス戸を出ると、目の前に広い道があった。程なく聯合道と書かれた標識を見つけ、私は心から安堵した。その頃には、駅前をうろついていた時に降っていたあのジメジメした雨は止み、熱帯の太陽が青空に燦燦と煌めき、殺意がギラギラと輝いていた。

 

道中、歯抜けの爺さんに道を聞いた。ランニングシャツと短パンという出で立ちで、腰を曲げて登場、立つという動作の為に身体を酷使し、小刻みに震えていた。

特に海外で道を聞くような時は、カップルと思わしき二人連れに道を聞くように心がけている私が、何で単独行の震える爺さんに道を聞いたのか、思い出せない。

会話イベント発生までのルート取りは諸説あるが、兎も角当時の私は爺さんに「九龍寨城公園はこっちの方向か」と尋ねた。実際はもうちょっと力なくやる気もなく元気もなく、「カオルーンウォールドシティパーク……?」ぐらいの語気だったかもしれない。

爺さんは目を眇めて私を見遣った後、「あっちだ」と行く先を指さした。お陰で聯合道逆走という最悪のルート分岐をせずに済んだ。

香港旅行中、何人かの爺さんにも救われながら命を長らえていたんですが、今でもあの爺さんのことはよく覚えている。思い返せば思いのほか意識が朦朧としていたこともあり、きちんと謝意を伝えられたかどうかも記憶にないが、今でも感謝している。ありがとう爺さん。

 

聯合道を南下した。

私の九龍城砦宮本隆司の写真展からなんですが、往年を偲ばせる画像や記録を見るにつけ、往来する飛行機、密集する人間人間、人間!という、スゴイ人口密度と活発な雰囲気を感じていた。しかし一方、九龍寨城公園の道中は、いたって静かなものだった。

公園を目指す前に、バード・ガーデン(九龍太子園圃街雀鳥花園)にも立ち寄ったんですけど、界限街周辺とかも、めちゃめちゃ普通に住宅街。 世界史赤字ではないけど、太字ぐらいの地名ではあるんだよなぁと、勝手に感慨深くなりながら歩く私がなんかもう、超不審者。

だって学校のグラウンドとかあって、町内会の看板とかあって、軒先に自販機置いてる床屋が水を撒いてて、その中でどう見ても旅行者の出で立ちをして歩いてるので、なんかもう、露骨に不審。

京都伏見高等学校(架空)に思いをはせながら、京都伏見稲荷を背にその周辺を歩き回ってる時に感じた申し訳なさ、生活空間を犯しているという侵犯の意識をひっきりなしに感じていた。

 

聯合道沿いは、界限街よりも、一層鄙びていた。

老朽化しつつある団地が立ち並び、物音ひとつしない工事現場があり、学校があり、施設があり、ひび割れた舗装道路を縫うように、木の根が伸びていた。人影はなかった。

文章化にあたって改めて調べたら、九龍寨城公園よりももっと南下した所に地球の歩き方にも乗るようなショッピングモールがあるので、単純に場所と時間が悪いという説もある。

 

urahk.com

 


廟の境内でラジカセをお共に麺を啜っている青年を横目に、東頭村通りに入る。そこからはすぐだった。

九龍寨城公園は中国式の庭園だ。清代の南京だとか、長江流域で流行っていた庭園様式を模している。元あったスラムをクリアランスする度に政庁は公園を設けており、賈炳達道公園と併せて、今ではサイクリングコースとかもあるわりと広めの公園になっている。

心なしか鬱蒼と茂る木々の隙間から、耳慣れない推定セミの声がこだましていた。先程まで青天に燦燦と輝いていた殺意も心なしか翳り、一雨来そうな雲が立ち込めたなと思ったころに、小雨が降り始めた。

公園内で雨に降られるという最悪のシチュエーションをゲットしながら、既に木々がもりもり、所々に公衆便所と遊具が配置される公園内に入りながら、眼鏡を濡らしつつ暫く移動すると、立派な白亜の門構えが見えて来た。

九龍寨城公園と書かれたその門を熱心に一眼レフで撮影するアジア人の先客が、私と入れ違いに公園を後にした。話してはいないが、多分日本人だ。

かくして門をくぐり公園内に入ってから、立派な中国風建物(恐らく清朝時代の衙門を再現した建物)の軒先で雨をやり過ごせるようにはなったが、如何せん湿度が激しく、またも不快指数が爆上がりしていたので、公園に入ってすぐのところにあるちょっとした売店で、虹色のアイスキャンディーを買って、軒先で食べた。その内に、雨脚は徐々に弱まっていった。

 

九龍寨城公園の内部は、天気が宜しくないということもあり人気はなく、閑散としていた。

所謂中国庭園な建物は、所謂往年の九龍城砦的な違法な雰囲気は欠片も無い訳だが、園内には、往年の九龍城砦を偲ばせるちょっとしたミニチュアとか、ちょっとしたパネル展示があった。

パネル展示の外にも、元々は役人の宿舎か役所のブースのような使われ方をしていたのだろう石造りの衙門の小部屋で、往年の九龍城砦を偲ばせる動画が上映されたり、音声が流されたり、AR技術っていうんですかね? ブース内に示されている足跡に足を合わせてカメラに映ると、映像の中に映る私の周囲に、所謂九龍城砦の内装がワッと表示されて、肉をちょん切ってる音声とか、子供が遊んでいる音声とか、あと沢山の生活音と、ジェット機の音が流れてくる、そんな映像アトラクションがあったりした。園内に人影はそんなに無く、出入口を暗幕で覆っている小屋の中はどれも湿気ていて薄暗かったので、若干の恐怖を感じた。

 

特にこれといって変わったことはなく、雨が降ったり止んだりしているなかで、私は恙なく見学を終え、いくらかの人々とすれ違いながら、順路に沿って中国庭園を散策し、何らかの宇宙観を表しているらしい庭石を横目に、東頭村道に出て、そこから、来た道を遡って、駅まで戻った。

既に閉じた幕、終わった一つのものを、目の当たりにした心地だった。

宮本隆司の写真展から、延々憑りつかれていた「異物」としての九龍城砦への関心が、最後、何事も無かったかのようにある庭園の中の緑を前に、エンドマークをつけられたような心地で私は、狐につままれたような白け顔のまま、帰路についた。

 

実際、現代の香港における大陸中国との対峙であるとか、九龍城砦の跡地を中国風の庭園に変えたことについての中国側の思惑*2であるとか考えると、九龍城砦云々というのは、全くエンドマークが付きようのない地続きの問題であって、ここでエンドマークがついたのは、過去に存在していた概念に対する、私のちょっとした熱狂とか、ちょっとした執着だ。

 

エンドマークをつけたい!

 

界隈での交流や所謂同好と言われる人間との気兼ねない交歓に対する憧れ、自分の望むような評価を与えられる他人や、自分の憧れるような交歓を楽しむ他人に対する憎悪、全てにエンドマークをつけたい!

そしたら感情が少し落ち着いて、私は私のしたいように振舞い、したいように情報を得て、見たいように他人の創作を見て、その過程で垣間見える他人同士の交歓を葉陰から憎むこともなく、好きなものを楽しく見られるような気がする。

界隈のタイムラインを綺麗に整地して、緑あふれる中国庭園にすれば、異郷のセミの鳴く音を聞きながら、何かが変わるでしょうか、ねぇ!

 

 

 

 

*1:第二次世界大戦後、元々領土問題で決着がついていなかった九龍城砦には沢山の難民や貧民が住み着き、小便で固めたと言われる曰く付きコンクリートによる高層違法建築群が仕上がっていた。どう見ても巨大な違法建築は各方面にインスピレーションを与え、取り壊しが決まり廃墟化してからは映画の撮影にも使われたりした。

*2:Seth Harter(2000),"Hong Kong’s Dirty Little Secret: Clearing the Walled City of Kowloon",Journal of Urban History,Vol.27(1), pp.92-113.

上司の眠る墓

 

東野圭吾人魚の眠る家』(幻冬舎、2015年)を最近読んだんですけど、作中の主人公の一人である薫子の主治医で、ほんのりとした関係の相手である精神科医・榎田が文中で初出した時、私は辞めたバイト先の上司を思い出した。上司と私の間には親子以上の年齢の隔たりがあり、仄かな思い出は皆無である。

上司は、榎田のような人間に対する深い洞察力・観察眼に近しいものを、恐らく持っていたと思う。しかし榎田のような細やかな心配りとは、およそ無縁の存在だった。研究者だったからだろうと、私は偏見を持って勝手にそう思っている。

文理問わず研究者という肩書を持つ人間、博士号を持っていない人間にもそれなりに「感情」が備わっていること、忘れがちではありませんか?

 

 

人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

 

 


過去に小規模な団体で、事務員のアルバイトをしたことがある。
主な業務はパソコンへのデータ入力とか、資料作成とか、そんな感じだ。
一通り聞いたところまぁヌルイ業務で、勤務形態はコアタイム無しの任意、「業務自体はキーボード操作が出来れば可能」という文句に釣られた私は、そこで先んじて事務員を勤めていた学科の先輩の口利きで、事務所での「説明」を受けに行くことになった。

 

そこに居たのが、上司だった。

上司は、社会人経験を持つ研究者であった。

研究職在職による論理を用いテトリスのように対象を理詰めしていく手管に、社会人経験による法的知識と経験則を搭載した存在だった。なお、研究者には研究以外に関心がないタイプと政治力に長け学内政治や派閥闘争を繰り広げるタイプが居るが、上司は間違いなく後者に属するタイプだ。

 

上司との最初の口頭でのやり取りは、「人相が悪いね、マスク外したら?」だった。
説明会を前に喉風邪をひいていた私は、咳エチケットに配慮し、マスクを着用していたのだ。

「基本的にここでは、皆さんに自分の裁量で、自由にやってもらっています」

この辺りから、何となく嫌な感じがしていた。
私は先輩がパソコンのデータ入力とか資料作成とかいうヌルい仕事だと言うので遊ぶ金欲しさに来たのであって、給与が高くて自己裁量がでかい分自己責任もデカイという、ハイデューティーハイリターンな業務をしに来た訳ではない。それに今日は取り敢えず説明だけって先輩、言ってたしな、ウーン

「採用。」

私は事務員になった。

 

上司との最初のメールでのやり取りは、「世の中の99%の人が、メールの文中かその末尾に署名をします、そうしないとわかりませんからね」であった。

何が何だかわからない内に晴れて事務員になった私が、業務用のメールアドレスを作成し、それを周知する為に、全体に報告メールを送った時のことだった。

確かに名前を書くのを忘れはしたが、注意の仕方が厭味である。

上司は、全体的にそういった人間であった。

確かにこちらに非があり、上司の言い分は正しいが、指摘の仕方が厭味な感じ。

何が厭味って、こう、嫌に直截が過ぎるというか、妙に持って回ったというか、あの嫌な感じを、適切に形容してくれるような言葉を、私は未だに持っていない。

 

上司は人柄に多少の問題はあったが、所謂パワハラだとかセクハラだとか、何がしかのハラスメントをするような上司では無かった。強いて言えばモラハラを当てはめることはできるのではないか? と、書き出しながら思っている。モラハラだったのではないだろうか? 回顧し書き出すって大事な作業ですね!

兎も角、

上司は人柄に多少の問題はあったが、驚く程有能な上司だった。
自分で話していながらにして状況を呑み込めていない穴だらけの私の説明から、上司は概ね常に正しく状況を理解し、私に助言をした。その後、「私はわかったけど、皆さんにはわからないだろうから、資料をきちんと揃えて、もう一度頭から説明して」と言う。

よって私が事務員になってからの週に一度の全体会議(といっても数人だ)は、私の説明のリテイクによって数十分延長したが、会議時間も給料の対象なので、他の事務員から渋い顔をされたことは一度も無かった。

バイトは時給制だった。言ってしまえば手が遅ければ遅い程儲かる仕組みだったが、エキセントリックな性格の上司と求人を縁故に頼った小規模さ故、それを頼みにずるずる仕事をするような輩はそうそういなかった。結果として手の遅い私は結構な額の支払いを受けていたが、事務員から苦言を呈されたりしたことは一度として無かった。

今思っても、職場の人間関係は、意外なほど良好だったと言えるだろう。互いに過不足無く必要な情報を伝達し、過剰な干渉をすることなくビジネスライクな付き合いだった。

 

上司は人柄に多少の問題はあったが、団体の長として十分な義務を果たしていた。

理屈の通らないクレームが発生したような時は、不慣れな事務員に代わって応対を行い、後の根回しまで手ずから行った。

 

上司は人柄に多少の問題はあったが、存外に懐の深い上司だった。

私が完全に不注意からの巨大ミスを仕出かした時、まぁ申し訳ないがこれで晴れてクビだろうと予測していた私に、上司は言った。「ミスをするのは仕事をきちんとしようとしている証拠ですから」と。

 

上司の人柄に多少の問題があるといったって、「厭味っぽい」とか「揚げ足を取って来る」ぐらいのもので、先んじて事務員をしていた方が評する所によると「目を瞑ればやっていける」「そりが合わない人は徹底的に合わない」といったぐらいのところだった。

私は上司について、小姑を体現したようなあの性質ではまず孤独死だろうと踏んでいたが、上司は既に家庭を築き上げ、育て上げた子供も独立し、事務員を雇って副業を回しつつ、悠々自適な暮らしをして居る旨を後から聞かされた。

 

事務員をしていた頃も、私は常に「いつ辞めるか」を迷い続けていた。

元々労働に向いていない性質なので、遊ぶ金欲しさにアルバイトを始めてもすぐ辞めることを夢想し始める。

それに、立ち居振る舞いからメールから発言から、一挙一投足に細かくケチをつけられる暮らしは、中々精神に来るものがある。

そういえばブラック企業研修でもこういうことするんだっけな、と、私はインターネットの浅瀬で見た知識を思い返しながら、鬱屈と過ごしていた。

だいたい私、覚悟をして事務員になった訳でもない。採用された日だって、業務内容の説明をするからと先輩に言われ、説明を聞くつもりで行ったのだ。

その辺は恐らく、入れ替わりで長期留学に行った先輩の手練手管だと思うが、結果金の出る罠にハマった所の私は、ファイルに入力する複数データの内一つの数値を空目して誤り、上司「これが飛行機の整備だったとします」。一斉送信のメールの文面に誤字をし、上司「ネジの一つでも致命的な事故が発生するのです」。うるせぇこれは飛行機じゃねぇと苛立つ気持ち半分、ああ私のミスだな、それならばミスをしまいと意識をしながら落ち着いて仕事をしようとして、しかしミスってこう、減らそうとすると逆に増えたりするじゃないですか。上司「Re:これが飛行機の整備だったとします」うるせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!しらね~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!上司「しかし手早く動く点は称賛に値すると思いますよ」あっ、そう? エヘヘ

 

こうして、上司はメーデー(遭難信号)を連発するポンコツ飛行機こと、常にいつ辞めるか迷い続けている私を操縦していたように思うが、私と上司の相性は、致命的に悪かったのではないかと思う。何せ散らかしていくタイプの人間と、ペンの位置が五ミリ動いたら気付くようなタイプの人間だし。

それに、一任された事務の業務もやはり、初期に想定していたような楽な仕事ではなかった。分野が多岐にわたり、量が多い。慣れるまでが大変であるし、そもそも土台の人数が足りていない。この人数でこれだけのことを回しているのかお前たち、みたいな。

こうして、遭難信号を連発しながら低空飛行をして居る新米事務員こと私は、週に一度の全体会議が近づくと胃が重くなるようになった。また公然の場で同じ説明を二度以上繰り返すという辱めを受けるのである。こんなんならオウムになった方が余程マシだ。しかし辱めと言ったって、悪いのは上手いように論理だてて説明が出来ていない私であり、上司はここで繰り返させることで、説明の練習を積ませているつもりなのだろう。

頭ではわかっているが、感情が邪魔だった。人間、論理だけで生きていければ、それだけ楽なことはないのだ。

 

当時の私、ツイッターで「ブラックアルバイト!辞めるには?」というようなトピックが出たら必ず目を通したし、隙あらば「バイト 辞めたい」で検索する日々を一年以上継続していた。

何回か「ここで唐突に辞職メールを送れば、自由の身では?」と考えた。上司が遠出で暫く全体会議に出席できないとなると大喜びし、そのまま帰らぬ人になることを祈った。そうすれば団体が自然消滅して、辞意云々するまでもなく、自動的に辞めるしかないだろうなと期待してのことだった。しかし上司は元気に帰って来たし、辞め時を延々と悩み続けながら、私の勤務も続いた。

 

そもそも、そりが合わないなら合わないで、早めに動くべきだったのだ。

業務開始一か月ぐらいで「慣れた?」と上司に聴かれた時、お前様と人柄が絶望的に合わないしストレスなので辞めます! と、元気よく答えればよかったものを、「アッハイマァ……」とコミュ障限界な返答をしたばっかりに、半年たつと業務にも慣れ始め、前任者である直属の先輩(紹介者)が高飛びをしてしまった以上、後任が居ないことは、労働者である私の責任の範疇ではないことを、頭ではわかっているとはいえ、ここで私までもが高飛びを決めたらば、今の私に割り振られているフルタイムか?っていう量の業務を、同様に仕事を抱えている、私より数か月前に雇われたらしい学生事務員に、押し付けることになるのでは?

それに、このエクセルファイルや諸々のファイルを時間をかけて弄っていれば弄っているだけ、お賃金が出るのだ。

しかも、この形態(事務)の業務経験は、これから先、就職したような時にも役立つだろう。ここで社会人の練習をするのだ、金も出るし。

 

そうこうしている内にずるずる業務が続き、私は徐々に古株の事務員となっていった。

古株となったところでそんなに年期が入っている訳でもない上、お前どこに目ぇ着けてるの?というタイプのミスはよくやらかす。

上司は常に飛行機の例えを用いながら、作業をする前に一呼吸置くように(好意的な解釈)という教示を繰り返した。

 

今思っても、恵まれた環境だったと思う。

給与面といい待遇面といい、「キツ」というのは感じたが「理不尽」は感じたことが無かった。

強いて言えば事務員が少ないぐらいだったが、私以外の事務員は粒ぞろいだったということもあってか、難なく物事をこなしていた。

私は変わらず、給与を貰いつつ事務員のインターンシップをしているつもりで業務に勤しんでいた。ミスをしては小言を貰っていた。

 

そんなルーティーンも二年目に差し掛かる頃に、私は退職を決断した。

理由は上述の全ての条件を元に得られる給与や経験や待遇や、それら全てを合算しても尚、ストレスが大きいと判断したからだ。

 

退職を決意した日は、全体会議の日でもあった。ミスド祇園辻利とのコラボ抹茶スイーツが、期間限定で発売されていた。

相も変わらず全体会議でミスをお詰め頂いた後に、あーっ今週もお言葉を頂戴したわぁ~と思いながら、せいせいと私はミスドに入って、抹茶のポンデリングを食べた。

おいしくなかった。触感だけした。

小規模団体の事務員で、古株になりつつある。他のアルバイトの宛てもない、私の仕事の後を引き継ぐ人員は今のところ居らず、多分ここで私が抜ければ、私より数か月前に雇われ、私がここでミスドを食べるより半年前に辞めた事務員の後任をしている、あの学生事務員にしわ寄せがいくことになるだろう。上司のお話やお言葉は何かと回りくどいようで直截が過ぎ、私からすると厭味な感じではあるが、上司が、有能な上司であることは確かだ。このしんどいような状況は、ひたすらに私の感情と、詰めの甘さからくる対応のまずさが問題であり、これがドラマとか何かだったなら、私はここで奮起して、何かしら秘められた才能を開花させ、ガン詰め上司を見返すところかもしれない。

だが、私にとっては、せいせいしながら食べるストレス解消の為のドーナツの味が、わからないことの方が問題だった。

 

常に辞職についてイメトレをしていた成果もあり、辞意を伝えるメールから辞職の日取りが決まるまで、これまでの一年の煩悶ぶりが嘘のように、トントン拍子で決まっていった。

 

私は今、就職活動をしている。地獄か? 何が志望動機だ馬鹿野郎。

そもそも働かずして金が欲しいタイプの人間なので、わたしが一番きれいだったときを会社なんぞに捧げて堪るかといったところだ。

今が一番身体が動いて何をしても楽しいだろうに、なんでわざわざ志望動機まで誂えて、こんな瑞々しい肉体を、オフィスとかいう棺桶に週五で並べねばならんのか。

しかし現代日本のこの現状では働かないと金が発生しないので、それは致し方ないとして、大事なことは一つだ。

具体的にいくらまで貯金するとか、或いは市場価値の高い人間になるとか、どっかに移住するとか、家庭を持つだとか、様々な展望が人間にはあると思いますが、私の力点はアルバイトの時から変わらず、私がおもしろおかしく生きる為というところにある。

なので、私はそこを基準に、程々に金が稼げて身分が保証されプライベートが確保されるところという条件で、この際職種を問わず仕事を漁っている。これから先もそれを軸に生きていきたいと考えている。

後は、思う所としては色々あるんですけど、環境が揃っていて待遇が良くとも、結局人間が占めてくる割合って(ある程度は我慢が効くとはいえ)めちゃめちゃでかいなというのは改めて実感したので、人間の雰囲気や、場の雰囲気らしいものを少しでも見ようと、各々のオフィスに足を運びながら私、やっぱり辞表の書き方を調べている。緊急時に全力で走れるように、日頃のストレッチを欠かす訳にはいかない。

 

折に触れて今でも、上司のことを思い出すことがある。

多少のストレスと共に私の脳裏をよぎる上司は、時にメールを返す前に一呼吸止めてみることや、或いは人のしないような経験を敢えてすることで、自分の話題の幅を増やすとかいうことの講釈を垂れては、頭蓋骨の裏に消える。

 

結局上司が、素で私の為に指導をしていたのか、私との相性が悪く、単純にキツめにあたっていたのか、あれはモラルハラスメントだったのかどうか、等、今となっては諸々のことが、私の解釈次第といったところなんですが、従来務めていたアルバイトでは、辞職を思い悩みながらも結局、外的要因(生徒の卒業・店の閉店等)が起こるまでずるずる居続けてしまう傾向のあった私に、初めて「自発的な撤退」という決断をさせたひとつの場であるという点で、上司は、今では感謝すらできる対象なのかもしれない。

辞職して大分日が経ち、あの厭味な感じのお言葉も、もう長らく聞いていない。

どこかで安らかに眠ってくれていればいいと思う。