メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

マカオ「寝言を言うな、目を覚ませ」

 

 その限界同人女が慟哭したのは、八月初旬の終わりの夜。冷房が程良く効いた、香港国際空港第一ターミナル二階、待機ロビーでのことだった。

 その限界同人女は当時、善良な第三者に挿絵を依頼する為の同人誌構想を持っていた。「コミュ力がないから挿絵の依頼方法が分からない」等と散々喚いて、実際何一つ行動を起こさない、ゴミのような女だった。

 とあるコミュ強アカウントから、その限界同人女に「挿絵の依頼方法虎の巻」が伝授されたのは、それから遡ること、数週間前のことだった。それから数週間後。コミュ強アカウントは、一冊の同人誌の頒布を公表した。その小説同人誌は、絵師手づからの表紙付きであった。

 

 限界同人女は慟哭した。限界同人女は帰国次第、誰かしらに挿絵を依頼するDMを、親愛なるコミュ強アカウントから伝授された虎の巻に従って送信しようという、明るい未来を描いていた。依頼を断られれば「挿絵が欲しいと呻いていた自分のため、やれることはやった」ということになる。なんとか動いたんだ、自分なりに上出来じゃないかと、自分を慰める準備まで出来ていた。

 しかしある程度の字数は書くわけだから、誰かれ構わず依頼するのは気が進まない。恵んでもらえるだけ十分だろうという罵声に背を向け、曲りなりにも書くものとしてのエゴを振りかざし、限界同人女は表には一切出さず、極めて一方的に、ある絵師に目を付けていた。世が世なら取り締まりの対象となりかねない薄気味悪さ、最早害悪である。

 

 思い込んだらこれと妄想の激しい限界同人女は、その華々しい発表を前に気が付いてしまったのだ。

 件のアカウントは前々からあらゆる方面に顔が広かった。人脈があり、ある絵師に限らず様々手がけた同人小説が描画されるような存在だった。ツイッターという諸悪の根源。これが件のアカウントと、妄想の激しい限界同人女の間にある、途方もない溝を覆い隠したのだと。

 構想の同人誌を頒布する機会は、秋しかなかった。これから冬にかけて、限界同人女同人女としてだけでなく、人間としても限界を迎える時期となる。今後どう転ぼうと、或いはどこへ滑り落ちようと、なんとなれば、いずれにせよ、これが最後かもしれない。

 「恥の多い人生を送って来た。しかしどのような人生にせよ、最期の瞬間にはスポットライトが当たるのではないか。」と、それ自身が発光しているような同人ライフを送る諸姉らのアカウントを前に、思い違いをしてしまった事実に、気が付いてしまったのだ。

 

 件のアカウントは元々、ある絵師に限らず様々なアカウントと親交を結び、オフ会という儀礼の場で様々な考察を深めていた。その場で内々に話を通していたのかもしれないし、或いは約束を取り付ける等、上級の人間としてある種当然の社交を営んでいたのだろう。

 対してそこの限界同人女。お前には何がある? お前はオフ会という概念に接触したことがあるのか。お前はリアルタイムに会話が進行する場で、他者の考えを笑顔のまま受け入れられるのか。そもそもお前に思考と発言を同時に行う程の脳味噌があるのか。

 そもそも、お前は自立した社会生活すら営めていないじゃないか。そうだ、お前は一度でも、お声を掛けてくれる皆さんに感謝をしたことがあるのか? それ以前にお声が掛からないじゃないか。

 お声が掛かったとしてもだ、お前が誕生祝いにかこつけてBのLを、己が宿啊である解釈過激派であることを顧みず、タイムラインという不特定多数に向かって乞うた時、「〇〇さんも誕生日だったのですか! 知らなかった! おめでとうございます!!」と、或いは、「一週間後のイベントで出る頒布物を誕プレだと思いましょう」とわざわざお声を掛けて下さったアカウントたちに、お前は何を思った?

 そうだ、お前は他人に感謝が出来ていない。他人のことを、およそアプリか機械か何かと勘違いしている。お前はアカウントが、アカウントがと連呼するが、その向こうに血の通った人間を想定したことは一度でもあったのか? 

 尊重をしないまま尊重されたいと喚く、およそ存在が害悪でしかない限界同人女の最期に、そのような華々しいスポットライトが当たるとでも思ったか?

 

 冷静になって考えてみれば、全て筋の通った話だった。表紙絵を頼むにあたって使用した手法を、件のアカウントは限界アカウントにまで丁寧に教えて下さったのだろう。

 限界クソ同人女の内心など、当人が表明しなければどこにも向かうことはない。

 ただ全てが、そうなるように運んだ。それだけのことだ。

 

 しかし限界クソ同人女の内心を知っているただ一人の限界同人クソ女は、極めて一方的な「裏切り」を、そこに感じ取ってしまった。

 病的な妄想癖だ。

 憧れの先輩に告白したい、玉砕してでもいい。でもどうせ告白するなら、かっこ悪いところは見せたくない。そう悩むクソブス女に、親身にアドバイスをしてくれるチア部あるいは吹奏楽部に所属する溌剌とした人気者、しかも学年きっての美人、つまりスクールカーストの高いクラスメイトが言う。

「こうすると上手く行くって!がんばって!」

 その翌日、アドバイスをしてくれたクラスメイトと先輩が交際を始めたことを、クソブスは知ることになる。

 玉砕することも出来ず立ち尽くすクソブスの呟きと、八月上旬の終わりに上げた慟哭は、およそ種類の近い憤りであった。ヤクでも打ってんじゃねぇのか。

 

 そして、「せめて先に言ってほしかった。」と、クソブスこと限界同人女は溢した。日頃から誰かれ構わず向け続けている殺気を放っておきながら、実に勝手な話だ。

 しかし、せめて「挿絵を依頼するような時に使うと良いですよ!」ではなく、「自分が表紙を頼んだ時の実体験ですが」と前置きがあれば、クソブス限界同人クソ女は、その座り心地の悪くない空港のベンチで、あそこまで激しくせき込むことはなかった。

 ちょうどその頃香港ではインフルエンザが流行し、多数の死者が出ていた。元々軽度の咳き込みを定期的に繰り返していた私に対する周囲の旅行客、職員、誰よりも、同行者からの視線が痛かった。

 

 

 同日誕生日の小説アカウント誕生日絵をアップした後、「えっ、〇〇さんも誕生日だったんですか!?」と、心優しい絵師の方の心を痛めつけてしまう存在。

 そして、「一週間後のイベントが貴女の誕生日プレゼントでは」と発想の転換を促してくださる素敵なアカウントが、当人の誕生日の際は小説イメージイラストを絵師の方からプレゼントされていたことを、永遠に根に持ち続ける怨念の化身。

 尖った性癖の持ち合わせはないものの、ネットの荒波に削られ研がれ磨き抜かれた刃物のような神経で、心優しい所謂クラスタの皆様の心を傷つけた結果、順調に各方のアカウントから締め出しを喰らい続ける存在。

 どうも、クソブス限界同人女です。

 

 今回は開き直り、或いは天に向けた釈明の為にエントリーを書き始めた訳ではありません。

 以降は淡々とマカオ旅行に関する概要が続きます。

 

 皆さん「マカオ」と聞くと何が最初に想像されますか。

 私は映画『クレヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険』に登場する二人のオカマ魔女・マカオとジョマです。

 

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 パッケージ左上の二人組です。左の頭頂部スキンヘッドがマカオ、右のバレリーナがジョマです。

 

 ところで、今夏私が旅行したのはヘンダーランドではなく香港でした。

 香港は成田から案外時間がかかる所にあり、約五時間飛行機に乗ると到着します。ちなみに私の乗った便は何かしらのトラブルで離陸時間が大幅に遅れた為、例示した前述のフライト時間は全く正確ではありません。

 

 魔女ではなく特別行政区マカオは、香港からさらにフェリーで一時間程、近所のドブ川の色をした海を渡った所にあります。

 香港からマカオ行のフェリー乗り場は香港島(上環)に一つ(マカオ・フェリー・ターミナル)、九龍半島発着に一つ、香港国際空港に一つの計三つ。

 一方、マカオから香港行のフェリー乗り場は北部のマカオ半島に一つ(アウター・ハーバー・フェリーターミナル)、南部の離島・タイパ島に一つ(タイパ臨時フェリーターミナル)の計二つが存在します。

 

 私は香港島のフェリー乗り場から、世界遺産に登録された美しい街並みのあるマカオ半島に行こうと思い立ったのですが、フェリー乗り場手前のチケットを買う段階で誤ってタイパ行のチケットを購入しそうになりました。

 香港島のフェリー乗り場から「マカオ半島」に行かれる際は「赤色のチケット販売業者のブース」の所に行きましょう。青色のチケットブースに並ぶと目出度くタイパ行になります。

 なお、タイパ島に対して大変失礼な、あたかも流刑地のように描写しておりますが、実際はタイパ島もコロニアルな雰囲気の残るリゾート地としてガイドブックに掲載されています。

 

 それではここで先程の問いを繰り返させて頂きます。

 「マカオ」と聞いて連想されるものはなんでしょうか。

 

 カジノ、観光地、間違ってはいません。

 世界遺産の街並み、エッグタルト、そこまで出れば上出来です。

 長きにわたる植民地支配によって、マカオでは(個人的には、恐らく本土と比較するとという注釈がここに入ると思います)独自の食文化・アレンジが生まれました。

 そう、マカオは中国大陸におけるヨーロッパ諸国による最古の植民地であり、紆余曲折を経ながら実に1999年に至るまで、ポルトガルの植民地だった町です。

 

 一方かつての英領植民地・香港から出発した私、そして今回の旅行の同行者は、ガイドブックに掲載された「ちょっと足を伸ばして……」という煽り文に浮かれる踊り子でした。

 ちょっと足を伸ばしてマカオ。耳馴染が無いという程のことはない観光地。そう、観光地です。

 地図の読めない女たちは実際にマカオの地に足を踏むまで驚くほど楽観的に物事を見ていました。時々雨がぱらつきながらも天気もだんだんと晴れて来た、驚く程明るい陽光が、昭和の時代には隆盛を誇ったものの、今は鄙びた海水浴場の最寄り駅といった風情を漂わせる、さながら灯台のように白いアウター・ハーバー・フェリーターミナルを照らしていました。

 

 香港からマカオに「ちょっと足を伸ばす」際、まず最初に申し上げたいのは、香港での感覚は捨てるべきということです。

 まず比較対象として香港での例を上げさせていただきます。

 

 香港では「基本的に英語が通じます」。

 そして「空港から市内まで無料シャトルバスだけでなく、MRT等鉄道網が発達しており、そのすべてに英語表記が付記されています」。

 香港およびその周辺地域に暮らす方々の広東語は、我々が一般に学ぶ中国語(普通語)で太刀打ちできる相手ではありませんが、旧字体じみた漢字の字面と「英語表記」を見ることで、ほぼ七割の意味を取ることが出来ます。

 

 ここでさらに比較対象として、以前フィンランド旅行中に「ちょっと足を伸ばして」ヘルシンキの港から客船でバルト海・三時間の船旅を経た末に踏んだエストニア・タリンの地を挙げます。

 まずエストニアは、「港からいわば目玉スポットであるタリン旧市街までが徒歩圏内」でした。

 次に「公共交通機関等観光客との触れ合いが多い地元民には、英語が通じます」。

 最後に、香港と違いエストニアで漢字を見かけることはまずありません。ですが、「エストニアに居るモンゴロイドは、外見的特徴からして、一目で異邦人であるとみなされます」。

 

 そして肝心のマカオ

 

 まず、香港・マカオ間を繋ぐフェリーの発着場であるアウター・ハーバー・フェリーターミナルから、世界遺産が居並び、宣伝写真等で使われるマカオ市内まで、徒歩で向かうことは不可能です。かなりの距離があります。ちょっと足を伸ばしてなんてもんじゃない。バス、またはタクシー必須です。

 バス・タクシーの乗り場は、アウター・ハーバー・フェリーターミナルの出口付近にあります。出口を出ればもう目の前がバス停。観光客が大勢たむろしているのが見えます。

 なお、マカオでは基本香港ドルを使用することが出来ますので、香港から来た場合手持ちの香港ドルを握りしめていればまぁ何とかなります。何とかなりました。

 但し、金額ぴったりの小銭が無く五ドル札を出しても、当然お釣りは返ってきません。都営バスや京都市バスのような、バス内両替機はありません。バスが到着するや否やバスに向かって人民が大挙するので、そんなことをしている暇もありません。

 多めに小銭を持っておくと支払い後勿体ないお化けに憑りつかれずに済みます。

 しかしいくら運賃があっても、どのバスに乗れば目的地に着くのかわからない。そんなの簡単じゃないか。「このバスはここに行きますか」と英語で聞けばいい。いけません。マカオのバスでは、英語は通じません。その時、乗車拒否も含め計六回バスに足を踏み入れましたが、その全てで英語は通じないどころか、英語を口にした途端運転手の顔が如実に曇りました。

 

 かつてのポルトガル領・マカオ公用語は広東語とポルトガル語です。入境審査の時点から香港では公用語顔をしていた英語の幅はがた落ち、審査所の上に表示される電光掲示板の一切から英語が消失します。

 であれば漢字を見ればいいじゃないか。バスの運転手に漢字を見せている暇はありません。

 確実に目的地の経路を通るバスに乗ればいいじゃないか。ごもっともなご意見です。しかし当方、京都市バスを利用してですら、目的地にたどり着けなかった経験を持つ女。バスの経路図におよそ信頼を置いておりませんでした。

 

 普通語は通じないのか。ここで最後の一点。マカオではポルトガル系の先祖を持つ彫の深いお顔立ちの方を散見しますが、マカオ在住の中国人、および観光客の中国人と、私、そしてその同行者。みんなモンゴロイド、外見上の区別はほぼありません。つまり、私が拙い中国語を使えば、ネイティブの容赦ない中国語が返ってくる。

 運転手の皆様の言葉というのは、ネイティブであれば「訛りがきつい」で済まされる程度であるのかもしれませんが)、我々第三言語として中国語を専攻した者としては如何せん教科書が全て。訛りなんて御大層なものは一切聞き取れません。

 三人目の運転手から手で追い払われる動作をされた瞬間、流れるように日本語が口から出ました。

「ふざけんなコノヤロー」

 なんて美しくない日本語! いくら追い詰められていようと、ガラの悪いクソ観光客です。

 マカオの事情について、その都市が辿った歴史の他に、「香港の裏番組」以上の現状知識を最初から知っていれば、旅先でこのような日本人の失態を晒すことはなかったでしょう。

 

 なんとかして乗り込んだバスの座席に座った後も、果たしてこのバスは市街地まで進むのか、戻りのフェリーの時間までに自分たちは再びこのフェリー乗り場まで戻れるのか、あらゆる不安を残したまま車窓は変わりゆきます。

 その内にバスはハイウェイじみた道路に乗り、香港と比較するとやはり鄙びた海水浴場といった風情のある中国語ネオンの点在する商店街を抜け、煉瓦造りの街並みが見えた時の感動といったら!

 その日の宿から一定以上離れた場所で行動するとどうしようもない不安を覚え、時間経過ごとにSANチェックが入るタイプの観光客からすると、あれはツーリストではなく、サバイバーが味わう類の感情でした。

 

 なお、アウター・ハーバー・フェリーターミナル内、吹き抜けのホールでは、日本語のビラを配る浴衣の女性がいました。カジノへのお誘いのビラでした。このことから、恐らくカジノ内では英語どころか、何なら日本語も通じるのではないかと思われます。

 マカオを観光される際はカジノを活動の拠点にされるか、或いは元々通じないという大きい気持ちを手荷物として道中持ってゆくか、または、香港から日系のツアーを申し込むのが、一番の安全牌ではないかと思われます。

 

 また、アウター・ハーバー・フェリーターミナルの出口付近にあるツーリスト・インフォメーションセンターでは、バス運転手に英語通じない問題が周知されているようでした。

 マカオで唯一、片言の英語が通じたそこでは、目的地最寄りのバス停名が書かれた紙を受け取ることが出来ます。

 さながらフォーチュンクッキーの中に入っているような小さい短冊。その上段には広東語、下段にはポルトガル語でバス停名が書いてあるので、それを運賃支払い前に運転手に見せれば、首を振るか、頷いて「乗れ」というような手の動作をするかで、そのバスが目的地に向かうか否かを判別できます。

 「民政総署」というような名前のバス停で降り、目の前に広がる美しいセナド広場のベンチに座って食べたエッグタルトは、この世のものとは思えない程美味しく、今回の香港・マカオ旅行で最も費用対効果の良い、一個五香港ドルのスイーツでした。

 もしも、ラッシュアワーという程ではないものの景観の妨げになる程度の人込みがなく、座ってるだけで汗ジミになる程の気温でなければ、あのまま小一時間広場に座り込んで、エッグタルトを一ダース食べたい。

 

 こうしてここまで書きながら、マカオのバス停の名前を検索しようとした所、まず最初に目に飛び込んできたマカオ観光局の日本語サイト、その「観光スポット」紹介の下にそのスポットを通るバス路線の番号が書いてあるのを見つけました。

 

jp.macaotourism.gov.mo

 

 矢張り「ちょっと足を伸ばして」の感覚ではなく、事前にきちんと調べれば、突然のサバイバルではなく、全うなトラベルを楽しんだのではないかと、たった今思いました。

 多分、というか、間違いなく、事前に調べてさえいれば、ここまでの生還体験を味わうことはなかった。

 そこでも「先に言って欲しかった」と喚く、まさしく怠惰の成した人災。粗大ゴミのような性根を持つ女が観光を「楽しむ」など、およそ烏滸がましいことだったのだと思います。

 旅行も趣味の一環として、その他趣味性の高い領域と、同様のことが言えるのでしょう。

 

 しかしどうでしょう。私が仮にマカオについて全て調べ上げていたとすれば、私はあらゆる不安から解放され、コロニアルな風情の残る街並みでリッチな旅行気分を味わうことが出来たでしょう。

 同様に、私が仮にあらゆるアカウントに感謝の念を絶えず、あらゆる二次創作に対し寛容さを持ち合わせ、少しのツイートの向こうにもアカウントの中に存在する人間を感じながら、真心を込めてリプライをしたとして、私は輝かしい交流人生を楽しむことが出来たのでしょうか。

  そう在ろうと思い立って、他人に感想を送りつける時期もありました。しかしどこかで歪みが生じているのでしょう。意図しない文章でまた一つ、また一つと見られないアカウントが増えていきます。

  それならば、もう何もしない方がいいのではないでしょうか。どのようなネタが流行ろうとROM専であれば幸せです。

 ▲▲さんがツイートしました「〇〇さんが書いた××が最高でした!」〇〇さんがいいねしました。ROM専であれば、以前××について書いたことを思い出さずとも良いのです。

 書くことは楽しい。しかし書いた事実は公開しようと、非公開のままにしようと、おそらく私以外、知ることが無いのではないだろうか。

 それならば公開する意味とは何か。

 最近そのことについて考え、「それは自分がデータを無くした時のためのクラウドである」という結論を見ました。

 しかしそれにしても、自分は本当に日本語を使えているのだろうか。

 透明な文字で何かしら怪文を書いていたりしない?

 

「新刊について感想ありがとうございます!励みになります!」

 慟哭の八月から大した紆余曲折を経ることも無く、結局挿絵構想の存在を抹消した形の同人誌は何とか物質となった。

 その際、あらゆるイベント後感想報告ツイートを参考に現代技術の粋を駆使して奥付に添付したQRコードが、どこからも認識されないまま朽ちていく様を時折考える。

 残るのは、この世で最も無駄なリンクをこの手で生み落としてしまった悔恨。

 せめて苦情が欲しい。このリンクが正しく機能しているのか知りたい。

 そう思い自分でQRコードを認証し「テスト」の文字をメールフォームから送った一週間前、

 新着メッセージが一件届いた一週間前、

 全メッセージ数は永遠の一。

 メールフォームが正常に稼働していることは、取り敢えずはっきりした。

 

 認知されないことについて云々したい訳では無い。

 世に文庫本として出回っている商業小説の内、自分が読んでいるのは何割か考えてみればわかる話で、そもそも小説など、大体が読まれないものだ。

 そのことについてはどうでもいい。

 

 ただ一瞬、酷く儚い夢を見た。

 「ちょっとそこまで」無目的にそこへ、ぶらりと足を伸ばし、なんの心配ごとも無く世界遺産の町を楽しげに、颯爽と、汗一つ掻かずに歩く、さながら旅行雑誌のモデルのような、私の姿を。

 なにがしかの文章を書いたという事実を業界一般に認知され、存在だけで人を喜ばせ、あの話が良かった、この設定が良かった、ここが凄かった等、他愛もない話を人々と屈託なく談笑し、延長線上で酒を酌み交わしてはまた集まりたいねと笑い合うような輝かしい環境の中で、何の苦しみも無く趣味生活を送る、私の姿を。

 

一年

先日、当ブログを開設して一年が経ったとはてなブログから連絡があった。ブログ開設当時から今までで変わったことはままある。第一に無為に年を重ねた。第二に職を変えた。第三に住処を変えた。第四に一応の進路の方向性が定まりつつあり、結果社会への迎合は先延ばしになった。第五にリミットまでに適合する研究分野を見つけられず、結果概説書を一番読み込んでいた別地域に専攻を変えた。第一、第四、第五に関しては一年前の自分が見たら何をしているのだお前はとキレるに違いない変化である。

当ブログの主な話題である旅行に関することに絞れば、昨年一年間で国外三ヵ国と国内二か所、そして京都に二度行った。相変わらず不純な目的であることには違いない。不純な目的つながりでクソ腐ライフとしてはあれから他者との迎合に更に消極的になりいくつかのアカウントをブロックした。その代わり現実の知人とクソ腐アカウントで相互フォローになりそれなりに上手く交流をしている(と私は思っている)。いつだったかフォロワーから聞いた「人間やはりジャンルではなくモラルを共有する相手との方が上手くやれるのだ」という言葉の正しさを改めて感じる一年であった。

当ブログは日常を記録する目的ではなく、仮に日常を記録する目的でブログを行っていたとしてもこれから先の一年の目標を立てることが出来る程しっかりとした一定の見通しは立たず、当人の志も低い為これといった目標も思い当たらない。目先の未来としては現時点で国外一か所国内二か所、そして京都に二、三度行く予定がある程度である。

金使いは年々荒くなる一方で、しかしコンビニにて奴隷の喜びを享受していた当時と比較してそれほど多い訳では無いと思い、今手元にある給与明細を確認して見たところ平均としてはそれほど変化がなかった。一年前から収支関係をよりしっかり記録しようと毎月思い続けているものの、毎度レシートが蓄積していくばかりで明確な記録をつけられた試しがなく、挙句毎月の給与の比較も出来ていない。

記録と言えばもっぱら生理不順が続いており、ここ最近一か月二か月記録が飛び飛びになることが多いものの、これが一年前の記録になると果たしてこれは正確につけられた記録なのか、それとも単純に忘れただけなのか曖昧だ。

ここからまた一年どのように生きていくのかさっぱり見通しが立たない。願わくば来年一年もクソ腐として、せめて一人でも楽しい人生を送ることが出来ればと思いここに眠る。

永眠の前にもう一点、一年経過したものの六記事しか掲載の無いブログとしては、今後は旅行したかつての記憶が薄れるよりも先にもう少し記録をしておきたいと思っている。

具体的には一時期掲載していたものの特に重要な情報が無かったため取り下げた台湾旅行に関する記事を将来、再訪する時の為に記録しておきたい。予定は未定ではあるが。

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ほんとの愛はここにある?

 

「けものは居てものけものは居ない」(どうぶつビスケッツ×PPP、作詞作曲大石昌良ようこそジャパリパークへ』(2017)より)

 

 「ボノボは個体間の緊張やストレスが高まると、濃密な性的接触によって解消します。成熟したオスとメスの場合はそのようになりますが、同性間や未成熟な個体の場合でも疑似的な行為を行うのです。人間の社会もまた、ボノボ型の愛の社会へと作り変えることが急務でした。」(ミノシロモドキ)――アニメ『新世界より』第四話「血塗られた歴史」より

 

四季を二十巡り以上して来たものの未だに芸能欄の存在意義が分からない。

画面一枚隔てた所にあるという点においてはアニメキャラクターと大差ないのにも関わらず、正確に芸名を覚えている芸能人と言えば両手で数えられるかどうかも怪しい。ひょっとすると片手で足りるかもしれない。これが声優となるとピースサインで足りる。正確に名前を憶えているのは遊佐浩二野島裕史だけである。たった二人でさえ誤字を恐れてたった今Yahoo検索をした。

およそ芸能というものに対し興味が無いと切って捨ててしまえばそれまでのことだ。花の学生時代を大いなるゆとりと共に暮らしていた頃は、思えば「他人の追いかけていることに興味の無い自分」に酔ってさえいた。しかしそれが何であれ、知らないとうことは誇れることではない。むしろ恥じるべきことだ。「SMAPの名前とか、さ、言えないんだよね。ワタシ」などと無駄に余韻を持って無知をひけらかしている場合ではない。知識があるから誇れるかと言えば話は別だが、無知をひけらかす行為はそれ以上のものであると過去の私は自覚するべきだった。

 

記憶している芸能人の名前が片手で数えられてしまうと起こる具体的な弊害は、他者とのコミュニケーションに甚大な損害をもたらす。つまり、趣味を共有していない人類との対話のハードルが著しく上がるのだ。

これは何も芸能人に関する無知に限らない。何にせよ見たことがある・知っている事項があるということは他人との会話の糸口をつかむ突破口であり、芸能人の名前だけにとどまらず他人の追っていることに興味の無い自分を演出して流行りのアニメや映画を追わずひたすら自分の精神世界を突き詰めていると、世界を共有できない相手との話題の種が本当に無くなる。強いても天気の話題しかない。「今日は雨が降るそうですね」「そうですね」「来る途中は幸い降られなかったんですけど」「良かったですね」「折り畳み傘を持ってきました」「そうですか」「いや、本当に曇っていますね」・・・

或いはその日あった出来事を報告することしか出来なくなる。「あの授業マジで単位来たかな」「どうだろう」「ほんとアレ大丈夫かなぁ……」「どうだろうねぇ……」・・・

精神世界を突き詰める行為が、世間一般と話を合わせる為に知識を蓄えることよりも劣っているとは言わない。最後に自分の味方をしてくれるのは自分だけだ。自分の内側を掘り下げることも十二分に大切なことだと思う。

しかし日々の努力一つで回避できる悲しすぎる会話を避ける為にも、未来ある若者は知識を蓄えるべきだ。同世代が共有していると一般に信じられているかつてのドラマやアニメの主題歌の話で盛り上がる傍らでぺんぺん草をいじめる未来を全力で回避するべきだ。

 

また、記憶している芸能人の名前が片手で数えられる上声優の名前はピースサインで事足りてしまい、一般のドラマや流行のアニメすら余り追っていないような人生を送っていると、意図せずして会話のバリエーションが著しく乏しくなっている。

当然自分の内面世界を掘り下げていれば会話する相手もおのずと限られてくるのだから普段はそれを自覚することはない。しかしある日、生まれ育った村から一生でない覚悟であれば話は別かもしれないが、全く異なる共同体出身の人間と対話するシーンが訪れ、自分の目の前に開かれた選択肢の余りの少なさに愕然とする瞬間が必ずやってくる。

こうなると相手の趣味を聞いて語ってもらうことで時間を稼ぐ程度のことしか出来なくなるが、カウンターでこちらの趣味を聞かれた所で人に聞かせられるようなダミーの趣味を持たず身一つで生きている為に適当に濁すことしか出来ない。

趣味は殊に思春期の男性同士がふとした瞬間不純同性交友関係に発展するに至る過程やその後の幸せいっぱいの未来を夢想することです。

自分に素直に生きることは決して間違っていないものの、素直に生きることに全力投球出来ない、つまり趣味を共有できる相手以外に心を開かない程度の勢いで生きることが出来ないのであれば、多くの物事にポーズであれ一応の興味を持っておくべきだし、多感な時期に無知に大してプライドを持ってしまったり、或いは他者によって趣味を抑圧されるといった経験を持つ等してそういった情操教育を受けられなかった人間は、大抵の場合無趣味状態に陥りそこから抜け出すことは難しくなると私は思う。

まずは興味を持つという習慣を、とりわけ頭の柔らかい時分からつけておくことが肝心なのだ。もしこの文章に目を通しあなたが共感して下さったならこの言葉を胸に転生し来世で是非趣味を幅広く持ち話題性に富んだ人間になれるように励んでほしい。無知は一種のハンデに他ならないのだ。来世の私、芸能に対する無知に珍妙なプライドを持たないよう今生の私は心から祈っている。

 

そして、話題の幅は狭くダミーの趣味も持たないと、趣味の世界を共有していない人間との長時間に及ぶ会話が極めて難しくなる。ただでさえ会話に関する二重苦を負っているのだからその帰結は最早当然と言っても過言ではない。自分が相手とどれほど仲が良いと思っていようと、一度食事をすると話すべき娯楽性に富んだ話題は失われる。二度目の食事では話すべきことが余りにもなく中盤から相手は携帯を見始める。同じ団体に所属していれば話は別だが、それでも途切れぬ楽しげな会話を延命できるのはせいぜい一時間が限度で、一緒に海外旅行などをしていると空港に集合し飛行機に搭乗、現地に到着するまでの間で話されるべき会話の種は全滅する。

旅行なんてものは大体が移動時間に占められている。旅行というのが壮大な一つの移動といっても過言ではない。全くの異国、場所によっては学んだことも無い第三言語が飛び交う中で二人連れ立って歩く。会話はない。交わすべき会話の種が全滅した結果、海外旅行も二日目になるとあっという間にこういった倦怠期の夫婦のような雰囲気を醸し出してしまうことになる。相手とどんなに仲が良かろうとしかし会話すべき話題もなく、互いに慣れない環境と時差で少なからず疲れていると、自然と間柄にも険のある緊張感が生まれてきてしまうのだ。

 

もし仮に友人二人(複数人いれば第三者が話題を提供してくれるので逃げ道が生まれる)で一週間以上(つまりそれなりの長期間)の海外旅行(当然大抵の場合は母国語が通じず、二人連れの場合どちらかが代表者で航空券を取っていたりする為通常の旅行以上に逃げ場がない)に来ている途中に同行者と「倦怠期の夫婦のような状態」に陥ってしまった場合、私の経験上二つの打開策がある。この記事ではその打開策について提案をしたい。

 

一つ目の策は、一度派手に言い合いをしてしまうことだ。

話題が無くなると共に口数が減ることで互いに気まずくなり、なんとなくの不安ばかりが降り積もっていくからこそ冷戦状態は生まれる訳で、一度言い争い等感情を表面に出してしまえば元々共に海外旅行へ行く計画を立てる程度の信頼関係があるのだから後は割とどうとでもなる。しかしこれで後に焼け野原が残り宿から友人が姿を消したとしても私は責任を取らない。

 

二つ目の策は、裸の関係になることだ。

具体的に言えば一緒に風呂に入ることだ。裸の付き合いと言えば多くの諸兄らが連想する肉体関係、つまりセックスに関しては経験が無い為ここでは割愛する。

 

昨年九月、フィンランドヘルシンキに一週間前後の滞在をした際私は同行者と先述の倦怠期に突入した。実に到着二日目のことだった。そこに至るまでで既に午前四時にシェレメチエヴォでホテルのドアが開く、午前五時に黒づくめの男女が尋ねてくる、ホテルのキーカードが使えない、ヘルシンキ中央駅に着いたはいいものの肝心のアパートの場所が分からず24時まで市内を彷徨う、その過程でリュックサックを置き忘れる等様々なトラブルがあり互いに早速疲弊したこともあると思う。

彼女と私は高校の同級生だった。高校時代はそこまで会話に困った記憶はないがそれは学校という共同体に共に所属していたからであって、進路を違えてしまえば最早共通する話題等どこにもなかった。

他所へ行き天気がとてもいいと言いあっても三分で静寂が戻る、外食でこれがおいしいと言いあっても五分で静寂が戻る、歩きながら口をつけば疲れた。景色など一日も見ていればその内見飽きるもので、移動中は無言で隣り合って座りながらぼうっと足のつま先を眺めていた。

 

三日目、趣味を違えている私たちは一日市内自由行動の日を作り、その後時間を合わせてトラムの停留所で落ち合ってサウナに行くことにした。有名なウルヨンカツの公共プールに付設されているサウナが間借りしているアパートから最もアクセスが良かったものの、その日は男性向けに開放されている曜日だった。

私たちはヘルシンキ市内でも最も古いサウナと言われているコティハルユサウナへと向かった。当初はコティハルユサウナではなく、ビル内にあって便利と書かれていたサウナ・アルラへ向かうつもりだったのだが、ガイドブックの見方を誤り結果的にコティハルユサウナへとたどり着いた。

地球の歩き方gemSTONE『改訂新版フィンランド――かわいいデザインと出会う街歩き』(ダイヤモンド社)(2012)p.62-63を参考にアルラまでの道のり、つまり「トラム8、9番からHelsinginkatu下車」に従いHelsinginkatuで下車したものの、徒歩一分と書かれているアルラを見事見つけ出すことが出来なかったのだ。敗因は「地図の載っていないガイドブックを過信し事前にネットでのリサーチを怠った」一重にこれに尽きると思う。

結果我々は沈黙を守って暫し歩いた後、自力救済を諦め道行く人に道を聞き、親切な老年の女性は我々を一件のサウナへと導いた。入り口にはコティハルユサウナという緑色の看板があり、軒先にはタオル一丁の壮年白人男性がアルコール瓶を片手にたむろしていた。字面が物騒だが遠目に見ている分には和やかな感じだった。実際に近づくには大いに抵抗があったが。

入り口で料金を払うと、タオルを渡された。この時おそらく追加料金でフィンランド式サウナやロシア式サウナで見かける素肌をバシバシとしばき倒す葉っぱの束(「ヴィヒタ」というらしい。材質は白樺だそうだ。)を貰う事が出来たのだと思う。記憶している限りではその料金は3ユーロかそこらだったと思うが、入り口のタオル張羅おじ集団に気圧され気が気じゃなかった為記憶が定かではない。

 

サウナ内では水着の着用が禁止である旨ガイドブックには記載されていたものの、実際は水着を着ている人と着ていない人が半々といった所で、着衣も無着衣も多くは更衣室のテーブルを囲みワインを飲んでいた。裸一貫の我々は裸であることがマナー違反であることを咎められやしないかハラハラしながらなけなしのタオルで身体を隠しつつシャワーを浴びていたものの、その内面倒くさくなり生まれたままの姿を晒しながらシャワーを浴び、サウナに入った。

サウナ手前のシャワー室では体を洗いたい各人が思い思い身を清めていたものの、備え付けのリンス・シャンプー、石鹸等は無い為持参する必要がある。私は同行者に借りた(もしかすると入り口で販売していたのかもしれない)。

また、2012年時点ではコティハルユサウナはフィンランド伝統の薪式を使う最後の公共サウナらしいが、2016年9月に訪れたときは実際の様式まで確認できていないものの、バルブを捻って水を出し蒸気を発生させるという温度管理の方法になっていて、これはこれで趣を感じるものの、薪という言葉から想像していた程の古風な印象を受けるかと言えばそうでもなかった。

薪式という言葉から連想するイメージよりも、控え目なスチームパンクを想像した方が実態に即していると思う。

 

サウナに行って互いに裸を見せ合った所で、共通の話題が増える訳では無いし何ら知識が増える訳でも無い。しかしサウナの行きと帰りでは確かに私たち二人の間に流れる空気は違っていた。あれだけ痛かった沈黙は角が取れて柔らかくなり、私たちは帰りに歩きながらたまたま通りかかったリサイクルショップを見て帰った。お土産はどれにしようと笑い合う余裕すらあった。

 

「裸の関係になる」という解決策は倦怠期に陥った際の一つ目の策法として挙げた喧嘩よりもより和やかにことを終えることが出来るので、特に温泉地やサウナが有名な所へ出かけた際は「会話が無さ過ぎて気まずくなった時は、一緒に風呂に入る」ことを是非試して貰いたい。

但し有名どころでもなければ海外で公共風呂やサウナに入るのは中々勇気のいる行為だと思う。そういったときはホテルの風呂で代用するしかないのかもしれない。

仮に脳内で頻繁に来し方行く末を妄想する男の子達が、旅行中話題の無くなった気まずさを解消する為ホテルに備え付けの風呂に一緒に入るという打開策を取った場合、私はそれを即ちセックスとして解釈する準備は出来ている。そのままお風呂セックス生本番の続編があるとしかとらえられない。

そしてさらに妄想の入り込む隙間の余りない実体験としても、サウナで裸を開示するだけでこれだけ関係が改善するのだから人間は思ったより単純であるし、ここから推測するにこれがセックスであった場合、関係は劇的な改善を見せるのではないかとも感じた(但し出国前のある程度の信頼関係は前提となるが)。

 

旅行後から彼女との音信は途絶えている。互いにツイッターでフォローをし合い時々いいねをする程度の仲だ。

一週間を共に過ごしあれほど濃密な関係を築いた相手ではあるが、敢えて顔を合わせた所でする話は尽きてしまった。

 

 

presseurope.jp

それでもムーミン谷博物館は廻り続ける

三月になり就活が解禁した。際して私は一つ決意をし社会に出ることを延期しようと思った。十人に聞けば十人がお前は社会ではやっていけぬと言うが、しかし研究が向いているとも思われない。これまでどうやって生きていたかが思い出せない。研究対象も未だはっきりと決まらず靄掛かっている。誰に相談した所で突破口も見当たらず、ここ三日は家に引きこもり昨日はアニメ・けものフレンズを一気見した。すごーい!たのしーい!

近況は置くことにして、二十四日後に四月になる前に一つどうしても書かなければならないことがある私は、けものフレンズ考察班の動向を探る手を止め118日ぶりにブログを書くことにした。

当ブログの開設目的は旅行前や旅行中に経験した煩雑な手続きに関する備忘録というものであるが、既に当人である私がうろ覚えの域に達しておりこれでは全く体を成していない。しかし致し方ない。うろ覚えでも、私にはどうしても書かなければいけないことがある。

 

半年以上前の九月のある日、私はフィンランドタンペレ市内にあるムーミン谷博物館へ行った。

2014年にJTBパブリッシングから初版が発行された情報誌『るるぶフィンランド』に記載されていた博物館だ。

何故タンペレ市の手前にあるナーンタリのムーミンリゾートではなく、わざわざタンペレ市のムーミン谷博物館を行先に選んだのかはよくわからない。

これはあくまで私個人の意見ではあるが、全力でムーミンの世界を楽しみたい方にとってはナーンタリのムーミンリゾートの方がおすすめである。(2016年度3月現在)

 

ヘルシンキ市内からタンペレ市へは二時間ほどの道中になる。

オンニバスの利用方法については以前の記事で何かしら書いた覚えがあるので、それに関してはそちらを参考にして頂きたい。まオンニバス公式サイトは英語で閲覧可能なので正確な情報が必要な方はそちらを見て頂いた方が良いだろう。

代わりにここでは、特にタンペレに関係のあることを述べる。

オンニバスはタンペレにいくつかのバス停を持っている。前述の公式サイトで確認するとF3CとF3の経路がタンペレへ向かうが、F3Cの経路にはTampere(linja-autoasema)とTampere(Pyynikintori)、F3にはTampere(Hervanta)とTampere(Kaleva)のバス停がある。

中央駅というのをフィンランド語で何というか調べた訳では無いがヘルシンキ市内に一週間ほど自由滞在した経験からすると、linja-autoasemaという単語はおそらく中央駅を指すと思われる。

るるぶに限らず観光案内冊子に付随する地図は大抵中央駅を中心に書かれているので、観光案内を手にフィンランド語・スウェーデン語が堪能ではなくできれば英語も勘弁してほしい私のような身の方々がタンペレを訪れる際は、是非F3Cのバスを予約することをお勧めしたい。

私と同行者が予約し乗車したのはF3だった。

当時何を考えて予約したのかはよくわからない。

F3ルートを通るオンニバスに乗ってしまった我々はタンペレ市に存在する二つのバス停を前に果たしてどちらのバス停で降りればいいのか考えあぐねた。海外で初めての長距離バス、そこで我々が見たものは予想外に広い北欧人種向けのシートと車内無料Wi-Fi、そしてフィンランド語・(おそらく)スウェーデン語のみの車内放送だった。

無料Wi-Fiを程々に楽しみつつ微睡みリゾート地として名高いらしいハメーンリンナを過ぎて我々を載せた真っ赤な二階建てバスがタンペレ市内へ近づきつつあった時、私は通路を挟んで隣のシートに座る男女二人連れの片割れにしどろもどろながら尋ねた。

 

タンペレ中央駅に行きたい、どのバス停で降りればいいのか。」

 

彼は一目で地元民ではないことが知れる我々の体躯と荷物、そして拙い英語を前に一考した後、ゆっくりとした簡易な英語で言った。

 

「いいか、二つ目のKalevaで降りるんだ。二つ目だぞ。」

 

『いいか、電車で六つ目の沼の底という駅じゃ。とにかく六つ目じゃ。』(宮崎駿千と千尋の神隠し』(スタジオジブリ、2001)より)

 

彼らは一つ手前のHervantaのバス停で降りる前も、一度私たちを顧みて言った。

 

「お前たちが降りるのはここじゃない、次の駅だからな。」

 

初めてのお使いに出る我が子を前に言い聞かせるような声が、遥か上空から降ろされていた。日本ではなかなかお目にかからない長身にこの国では歩けばあたるどころか、バス席から立ち上がる成人男性の殆どを見上げずにはいられない。奥の席に座っていたこちらもそれなりの長身な彼女も、不安そうな表情で私たちを一瞥していた。

 

こうして愛の力に助けられ、我々は無事Tampere(Kaleva)へたどりついた。

ヘルシンキ・カンピの乗り場で一緒になったコスプレ集団やトド松パーカーの八頭身の女人、上背の高い初音ミクなどと一緒にKalevaのバス停を降り私たちは目の前に広がる幹線道路と住宅街、その向こうに広がる針葉樹林に圧倒されたものの、人の流れに流されて曇り空の下タンペレ市の市営バスのバス停を発見し、時刻表や地図を見て中央駅へ向かうバスに乗って、何とかタンペレ中央駅へとたどり着いた。

人垣に流されたどりついたバス停の写真を撮影したのは、この道中で私の行った善行の内の一つである(帰りのバスもここから出るのだから、いずれは戻らないといけないのだ)。

 

タンペレ市内からムーミン谷博物館までは小一時間程かかる。

るるぶフィンランド』にはタンペレ中央駅に観光案内センターがあると書かれていたものの、2016年9月の時点では「そんなものはない」と言われた。

タンペレ市観光案内センターはタンペレ中央駅から正面に真っ直ぐ伸びるHämeenkatuを歩き、大きな湖にかかる石作りの橋のたもとにあった。

そこには日本語で案内された地図もあったので必要があれば一度立ち寄るのもいいかもしれないが、タンペレ大聖堂というような観光地は案内所よりもむしろ駅に近いので、あらかじめ地図の準備をしておいた方が楽だろうと私は思う。

 

ムーミン谷博物館のあるタンペレ市立美術館はHämeenkatuをHämeenpuisto(暗渠の上にできた公園のように細長い公園のような場所だ)に突き当たるまで歩き続け、Hämeenpuistoに出たらPirkankatuに向かって北上、Pirkankatuを道沿いに沿って歩けば美術館や博物館といった館系の建物が集まった区画を見つけることが出来ると思うが、その中にある。

周辺や美術館内に飲食の出来る施設はない。丁度昼時に差し掛かっていた私たちはHämeenpuistoとPirkankatuの分岐点辺りまで戻ってトルコ料理店に入った。お互い拙い英語で伝えあった為認識に若干の齟齬があったかもしれないが、取り放題のランチビュッフェは学生の空腹に実に優しかった。

ムーミン谷博物館の入場料はカードで支払うことも出来、子供料金・大人料金の他に学生料金がある。再入場は自由らしいので一度購入してから食事に向かうのも良いだろうし私たちはそうした。その際空腹のせいか学生料金の存在を忘れ私たちは大人料金を支払ったが、ムーミン谷博物館というのは実の所それほど大きな施設でも無く、損をしたという程の損も感じなかったが得をしたかと言えば心にいまいちのしこりが残るといった所の設備だった。

 

現在、ムーミン谷博物館タンペレ市美術館の地下にある。暗い階段を下りていくと、ライトアップされたムーミン谷の仲間たちを描いた貴重な原画を見ることが出来る。原画をもとに作成されたジオラマシルバニアファミリーよりも二回りほど大きく中々圧巻である。日本語のガイドパンフレットもあるので観覧には困らなかった。

ムーミン谷博物館は主に何よりもまず原画の展示をメインとしており、原画ごとに(おそらく描かれた年代やテーマによって)章立てされていた。原画を展示する額縁の上、壁に大きく描かれた章タイトル『故郷に帰ろう』という文字を、故郷から遠く離れた根無しの旅行者という身分から見ると中々感慨深く、当時私はともすればこの場でパニックを起こしそうな程の不安に駆られた。

故郷は遠く4832 マイル(7781.17 キロ)ユーラシア大陸の彼方帰れども飾る錦はない。さながら人の生き死にのように、金も目的意識もない我々は身一つで出国し身一つで帰国していくだろう。お土産を詰めたトランクとはその後衝撃的な別れを迎えることになるが、その運命を私たちはまだ知らない。

 

ところでこのムーミン谷博物館は2017年4月からリニューアルオープンをする。タンペレ市美術館の地下というのがムーミン谷博物館にとっての仮ぐらしであり、工事が終わり元の場所に戻るのだ。

観光案内所でその案内と新住所の紙を渡されたがそれも今となっては私の手元から失われた。これから向かわれるという方は是非自分の目で観光案内所とそのありか、新しい本来のムーミン谷博物館の場所を確かめてほしい。

 

またムーミン谷博物館は撮影禁止だがムーミン谷博物館から少し道を戻ってHämeenpuisto沿い、Aleksanterin kirkko(アレキサンダー教会、向かった時丁度結婚式をやっていた)から二つ離れた区画にある建物の二階にレーニン博物館がある。こちらは撮影可能なので暇があったり雨が降って来た際は是非訪れてみるのもいいかもしれない。私は同行者の不興を買いながら万難を排して訪れた。

るるぶフィンランド』52ページの紹介曰く「タンペレはナシ湖とピュハ湖に挟まれ、フィンレイソンに代表される紡績や製紙産業で発達した都市。今も19世紀の趣を残す赤れんが造りの工場跡が連なり、豊かな緑と湖に囲まれた街を彩っている。」ロシア革命が起こる前後にレーニンが滞在した場所が現在のレーニン博物館になっている所であるらしい。レーニンにゆかりのある実際の物品展示を見ることが出来、マトリョーシカ等その手のお土産もそれなりに揃っている。入場料はおそらく20ユーロ前後だったような気がしている。

その後訪れたHämeenkatu沿いのショッピングモールに併設された書店には、レーニン博物館にあったものと同じ『赤いタンペレ』という題の書籍が大きくディスプレイされていた。もしかするとレーニン博物館は当時地元でホットな場所だったのかもしれないと今になって思った。

余談だが、ショッピングモールにはフィンレイソンとコラボしたトム・オブ・フィンランドが手掛けた柄のシーツやトートバック等が多く販売されていたので、タンペレを訪れた際諸兄らの手土産に一ついかがだろうか。私はトートバックを買ったが未だに持ち歩く勇気がない。堂々と持ち歩くことのできる社会がこの国に訪れることを希求している。

ムーミン谷博物館で販売しているムーミン型のチョコレート等もこれらのショッピングモールで七掛けの値段で購入できるので、博物館で購入する際はカップやぬいぐるみの類をお勧めしたい。

 

以上、やがて来る四月を前に私が書くべきと感じたことのすべてだ。

この後タンペレを制したと思われた我々一行には多くの難が待っていた(一重に不慣れな長距離バスを無理に利用したことに起因する難だ)。

Hämeenkatu沿いのバス停から、朝に乗ったバス停付近に戻る経路を通るバスを探し乗り込む。そこまでは良かった。ちなみにタンペレ市内のバスはヘルシンキ市内でトラムにカード等を使わず乗る時と一緒で運転手に声を掛けてチケットを買えば良い。タンペレ市内は実際の所どうだったかわからないがヘルシンキ市内ではどこまで乗ろうが料金は同じだったような気がする。

しかし往路復路によってバス停が違うのか或いはその経路に近いものの異なる経路を取るバスなのか知らないが、運転手に促されるままバスを降りた我々一行は、どこを見ても同じレンガ色の赤茶けた建物の数々と横に広がる幹線道路を見渡し、空を裂く一基のタワークレーンを見上げ、小雨の降る雲と、その奥に暮れつつある暗い空を見た。

しかしこの時の一行に漂った絶望も今の私の境遇を覆いつつある暗雲も、ムーミン谷博物館には何ら関係のないことだ。

10年後の安定

不注意で人差し指靭帯を負傷し、テーピングを巻きながら御堂筋くんごっこに勤しむ昨今、腐女子腐女子たるゆえんといっても過言ではない特殊能力・妄想ぢからに衰えの兆しが見えてきた。

腐女子たるもの、ここぞとばかりに推しカプにコスチュームプレイをさせる性の祭典・ハロウィーン(祭典があろうとなかろうと年がら年中何かしらの性的なプレイを繰り広げていることに間違いはないが)を横目に、平穏無事に過ごしてしまってから疾く日が過ぎた。

ところで昨年の自分は果してどのようなことを考えていたのかと、軽い気持ちでツイ―トリクエストをしたところ一年前の私は光に溢れ、元気に、そして生き生きとコスチュームプレイの妄想をしていた。

それは輝かしい明日が来ることを疑いもしない姿だった。

 

一年前、私は何をしていたか、学生をしていた。且つ、コンビニエンスストアでは奴隷の喜びを享受していた。

休憩中にはバックヤードに段ボールを敷いて寝そべりながら、時計の無い部屋で時間間隔を失い、本当に眠ってしまわないよう数を数えていた。

六百を数え終わった時、あるいはレジからの呼び出しベルが鳴るまでの間、段ボールを三枚敷いた床へ横たわりながら数を数え続けていた私は、それでもよりよい明日の到来を信じて疑わなかったのかもしれないし、一年後の私に全てを託し安穏と盲いでいたのかもしれない。そうに違いない。

 

明日を信じる過去の放った余りの輝き、相変わらずニッチな性癖に直撃する己のつぶやき。そこにある日々の喜ばしさを謳歌するまぎれもない己が姿を前に、私は目を覆い地に平伏した。目の前が真っ暗になった。

他でもない一年後の私は、さらなる一年後の自分の姿を想像できない。一年後の自分が果して生きているのか、死んでいるのかすらわからない。人生を船旅と例えるならば、私はさながら難破船だ。さまよえる日本人は早く楽になりたい。

この文章を今は、何の因果か働き始めた事務室のパソコンを使って打ち込んでいる。コンビニとは異なり悪魔の手先ことお客様のご来店は今のところ無いが、もくもくとパソコンに向かい己が成すことを成す群衆の中で余りにも無力に私(六回目の勤務)は地面に平伏すことも許されず、しかし己に求められる職分を理解しないままひたすら、ただカモフラージュのためにいたずらに文字を打ち込み続けている。

この仕事を一年先も続けているのか、それとも辞めているのか。一年先の見通しが立たない不安に苛まれながら、いたずらにキーボードを叩き続けている。

その右手は冗談ではないテーピングで動きを制限されている。

 

 

一年後の生死が定かではない日本人がいる一方、フィンランドには十万年後の安全を望まれる施設がある。フィンランドは西スオミ州、サクラタンタ県エウラヨキのオルキルオト原子力発電所内に存在する「最終処分場」こと、オンカロだ。

フィンランド滞在中、我々(同行者一名総勢ニ名)はそれなりに多くの場所へ行った。トランジットで立ち寄ったモスクワ市内や、船旅の果てに城下町をさまよい、死ぬ気で教会の尖塔を上ったタリン市内。それらの町々で撮影したデジタル画像を前に私は、結局真に心に余裕がなければ景色なんぞ楽しむ暇もなく、ただ憤りばかりが哀れにもちっぽけな脳みそをふつふつと沸かしてゆくものだという小市民的な結論を垣間見たが、一週間弱のフィンランド旅行の終局を彩ったのが、まさにその場所であった。

もちろん、オンカロ内部に一般の観光客がおいそれと入れるような所ではない(ツアーというものがあるらしいが予約を忘れたのだ)。我々一向総勢ニ名が訪れたのは同原子力発電所敷地内にある、オルキルオト原子力発電所ビジターセンターだ。

 

原子力発電といえば、現代日本においてなかなかホットなワードであるが、我々はなにがしかの主義思想ありきでそのような場所へ赴いたわけではない。

それらに端を発する様々な問題と同時代に生きていながらニュートラルな、あるいは距離を置き極めて他人事らしいスタンスを取ることは決して褒められたことではないかもしれないが、能動的な犯罪行為ではないだろう。さとり世代の学生としてはある種テンプレートな態度であるかもしれない。そんなことよりマカロン食べたいお年頃なのだ。

しかしそんな一向が何故、決して観光地化されている訳ではない、言ってしまえば(原子力発電所である以上当然のことだが)、そんな巡礼でもなければ向かう気にもならないような辺鄙な土地へと向かったのか。

同行者が自然科学系のゼミに所属しており、そこを行き先として強く希望していたというのがまず第一の理由になるだろう。私個人は金沢21世紀美術館の映像展示でその周辺を題材に扱った映像作品を見たことがあり、少なからずの興味関心はあったとはいえ、往復八時間の道を行く程の熱意はなかった。

旅程が一人であったなら、疲労にかまけパスしてしまうような場所にビジターセンターはある。しかしそのビジターセンターが、私の旅程の中で極めて印象深く残っていることは確かだ。

 

オルキルオト原子力発電所ビジターセンターの展示は、原発関係に特化していることを除けば、いたって平凡な科学館のような佇まいをしていた。無論最後に科学館なるものへ足を踏み入れてから、少なくとも五年以上の歳月を経ている私に、平凡な科学館なるものがなんであるかという、はっきりとした基準があるわけではない。しかしここが遠い異国の原発施設内であるからといって、何ら奇抜な展示等があったわけではないというだけの話だ。

とにかく、そのいたって平凡な展示はウランの歴史からオルキルオト原子力発電所にある三基の原子炉の構造、原子力発電の仕組みや原子力発電所内で行われている安全対策・環境調査の概要等を明快かつ簡潔に展示していた。

それら展示品の対象年齢はおそらく、小学生にあたる年齢の児童であるだろうということは、原子炉他原発施設の各部分・メカを模した展示コーナーの形や体験式展示、放射能をいかにして遮るかをテーマにしたビデオゲーム展示等のわくわくドキドキな展示を見ればすぐにわかることだった。しかし成人済みであっても童心に帰ればどうということはない、120%楽しめるワクワクな展示がそこにあった。

自転車ペダル発電に挑戦する体験型ブースでは私は本気の立ちこぎを見せ、同行者はドン引きを通り越し仏のまなざしでそんな私を見放した。花の二十代、夏の思い出の一幕だ。

 

十万年の安全を嘱望される施設・オンカロに関する概要展示は、ビジターセンター順路の末尾にあった。

順路に従ってセンター内の展示室を進み、演出過剰なエレベーターに乗って地下520メートルまで降りた(と表示される、実際はおそらくビジターセンターの半地下にあたる場所だろう)所に、岩盤に囲まれ幼子の冒険心、あるいは香辛料程度の恐怖心をそそるような薄暗さの中に、オンカロに関する映像展示がある。

異国の原発敷地内で演出過剰なエレベーターにがたがたと揺らされ、ちかちか光る照明に照らされながら不安定にも急速に、かつ緩慢と下へ降下する経験は、ちょっとしたホーンデットマンションに相当するだろう。(私は本家のホーンデットマンションにライドした経験がないが)

 

ビジターセンター内の展示説明曰く、オンカロは極めて安全に限りなく近い最終処分場である、という。

オルキルオト原子力発電所の地下にある岩盤はジュラ紀から現在まで変化が無い。オンカロはここに地下520メートルまで穴を開け、そこに予定では2020年、今から四年後から十分に密封処理をされた核廃棄物を埋め立てていく。その後2100年頃に満タンになった穴を、もともとそこに穴が無かった頃と同じように埋め立てるのだ。

学者の予測によると、オンカロを埋め立てた後の地球はやがて、小氷河期に入る。小氷河期に入ればフィンランド含め北欧一帯は北極圏にのみ込まれると予測されている為、地中にて最終処分された核廃棄物が掘り返されるないし、地表に露出することで残された地球環境に影響を与えることはないと、予測されている。

もし仮に、核廃棄物を入れる容器に傷が付いたとして、そもそも廃棄物を封入する構造は三層構造の上にセメントのようなもので中を埋め、完全に固めている。その上で万が一漏れたとして、ジュラ紀から現代にいたるまで変動することのなかった岩盤が、少なくとも十万年の間は汚染を食い止め続けると予測されている。

万に一つ、その岩盤に穴が開き仮にそこから溢れたとしても、オルキルオトは島だ。周囲を囲む水や干潟が放射能を中和する可能性が高いのだ。

 

この世に存在するあらゆる建造物とは、どだいスケールが異なっている。

エウラヨキ行きの前にオンカロについて調べた時のイメージでは「未来の人類/我々の子孫にどのように影響を及ぼすかわからない」といった主張が多くなんとなく否定的なイメージを持って行ったが、そこには未来の人類等ほぼ眼中には無かった。

人々や国家、人類等がどうなろうと知ったこっちゃない。地上で何があろうと関係ない。オンカロの中からは、地上で何があろうと絶対に、何物も出さないという熱意を、展示物や映像展示、そしてオンカロ展示から出た後の休憩スペースに展示してあるレジュメ資料等から、私は極めて一方的にひしひしと感じた。

余りのスケールの壮大さに、心の中の男子小学生を強くくすぐられたのは確かだった。

 

帰国後に私はオンカロをテーマにしたドキュメンタリー映画を見た。かの有名な『100,000年後の安全』だ。その映画は、監督が暗闇の中でマッチを擦り、オンカロへ侵入してしまった未来の人類の視点を持った我々へ語り掛けるシーンから始まる。

正直、痺れた。私は厨二病の殻をおしりにくっ付けたヒヨコのまま成人してしまった哀れなカモだ。中で取沙汰されている議題は決して肯定すべきものではない。これからわたしも生きていく以上、好む好まないに関わらずおそらくは頭を突き合わせて考えていくか、背を持たれさせなぁなぁにやりすごしていくかしなければいけない問題であろうことは認識している。しかし何分映像が上手い。私はまんまと、地下深くへ引き込まれた。

 

 

これからフィンランドヘルシンキに当て所なく旅行される予定がある方には、是非オルキルオト原子力発電所ビジターセンターをお勧めしたい。SF的やディストピア的な雰囲気が好きな方は十分に楽しめるだろうし、TRPGパラノイアをご存じの方がいけば原子炉の中のチェレンコフ光というパラノイアの世界観では慣れ親しんだ重要なアイテムのレプリカを等身大で目の当たりにすることが出来る。交通費はかかるが、入館料は無料だ。

そしておすすめはしないが、エウラヨキ市内からタクシーを捕まえて原発施設内まで行けば、「見渡す限り何もない光景」というものを目の当たりにすることが出来る。

何もないのだ。本当に何もない。特にバス停のある大型ショッピングセンターの横の広い空き地なんかもう何もない。草はある。百キロ道路の国道沿いに黄金色の雑草が生い茂っている。青看板にEurajokiの地名表示がある。それだけだ。何もないのだ。バスを待ちながら私は四葉のクローバーを見つけた。バス停は貧弱な鉄パイプ一本で支えらえている。屋根もない。青天井だ。四葉のクローバーを握りしめ立つ私の足は震えていた。バスドライバーがバス停に立つ私の姿を見落とせば、私はフィンランド語しか通じない辺境で宿のないまま夜を迎えることになるのだから。夕日が眩しかった。二、三人の少年が横の道からふらふらと国道を渡っていく。ポケストップも何も表示されていない更地のポケモンGOの画面を見ながらふらふらと走っていく。一人がこけてから、立ち上がり、慌てて走る。数十秒後にトラックが猛然とそこを走り去る。

 

何もないのだ。

本当に何もない。

 

遠くで風車が回っている。

 

 

しかしエウラヨキ市内から進むルートは決しておすすめはしない。本当に何もないからだ。

 

閑話休題ヘルシンキ市内からオルキルオト原子力発電所ビジターセンターに行くまでには、どれもバス移動であることに変わりはないが、いくつかのルートがある。

一つ、Kamppiの地下二階バスターミナルから先述のEurajoki市内、スーパーマーケットの横にある何もないバス停まで行く。三時間強かかる。そこからスーパーマーケットでタクシーを捕まえ、ビジターセンターまで乗せていってもらう。行きは運よくタクシーを捕まえられれば20ユーロで行けるが、帰りはどうしても指名料がかかるので30ユーロ近くいく。

二つ、KamppiのバスターミナルからEurajokiの一つ手前、Raumaまで行き、そこで降りてからタクシーでビジターセンターまで行く。今回は行っていないがラウマは中世の街並み残る世界遺産の町だ。エストニア世界遺産の町タリンと見比べる等をしてみたかった。

三つ、KamppiのバスターミナルからEurajokiの一つ後、Poriまで行きそこで降りてからタクシーでビジターセンターまで行く。ビジターセンターからのメールによるとPoriからビジターセンターまではだいたいタクシーで30~40ユーロかかるらしい。

ポリはガイドブックには載っていないものの国内のバカンス地ではあるらしいので、少なくともエウラヨキよりは何かあるに違いない。(我々も帰路タクシーを捕まえてくれと頼んだ時、受付のおっちゃんから「ポリか?」と聞かれた。エウラヨキで頼むと言ったらば心なしか、狐につままれたような顔をしていた。)

ちなみに移動手段としてはどれも同じだ。フィンランド国内の格安バス会社「オンニバス」でOulu行きのバスに乗るのだ。オンニバスについては以下の記事にそれなりに詳しく書いてあるので、参考にして頂ければありがたい。

allabout.co.jp

 

勿論オンニバス以外での行き方もあるだろうが、いかんせんフィンランドは物価が高い。何といっても税率が高い。平成26年版世界の消費税率トップ10(全国関税会総連合会)によれば、ルーマニアと同率八位、怒涛の消費税率24パーセントだ。一つの選択肢として格安バス会社も選択に入れておくのもありではないかと私は思う。

北方人種はモンゴロイドと比べればかなり大柄で、アジア人二人で並べばファーストクラスとまではいかないがビジネスクラス程度のゆとりを持ってバスの旅を満喫することが出来る。しかもバス内は全席フリーWi-Fi使用可能だ。私は一度同人サイトの更新を、オンニバスのフリーWi-Fiから行ったことがある。ジャップの夜行バスに詰め込まれた貨物の身分からすると、破格の快適さがここにはあると断言することだって出来る。

 

先述のサイトに説明されていなかったオンニバスからの降車方法だけ、ここにメモをしておく。

①バス前方のパネルに目的地が表示されたら

②座席上にあるストップボタンを押す

③目的地パネルの横のパネルに、STOPの文字が点灯しているか確かめる

④止まったら荷物をまとめて降りる。

これだけの話を聞くために私は通路を挟んで隣の座席にいる老婦人に不安いっぱいモンゴロイドな表情で問いかけ、彼女がサルミアッキを二粒頬張る光景を目の当たりにし硬直してしまった。きっと二度と会うことはないだろうけれど、あの時はありがとうおばあさん、あの時はあんな顔してごめんなさいおばあさん。

 

さて、今回私たちがとったルートは一つ目のEurajoki市内からオルキルオト原子力発電所へ行くルートだった。これにはメリットが一つある。ビジターセンターから比較的近く、タクシー代が安く上がるのだ。

一方デメリットは二つある。第一にエウラヨキ市民には英語が九割の確率で通じない(エウラヨキ市の日本語版観光パンフレットはネット上にも存在する。但しそんな辺鄙な所まで出向く日本人は大概バスに乗って移動する団体客であることを忘れないでほしい)。個人的な体験の話をすると、まずスーパーマーケットに併設されている観光案内所にいる女性に英語での対話を断られた。スーパーマーケットの外でお茶を飲んでいたおじさんの片割れは片言の英語を解してくれたが、「オレは息子を迎えにいかにゃならんのだ」と見捨てられ、英語わかるおじさんのお茶仲間のタクシーに乗ることになったが彼がとんでもなく英語の通じない相手だった。

アンドロイドに入れたフィンランド語アプリTaxi編が無ければ、今頃どうなっていたかわからない。さらに英語の住所を提示したのが悪かったのか、彼は我々一行をビジターセンターではない何か別の施設(おそらく観光客ではない要人や業者の窓口)に連れて行ってくれた。エウラヨキ市内からビジターセンターへ行く場合は、ビジターセンターの住所を控えておく他、「ビジターセンター」をフィンランド語にしておくのが最も重要かもしれない。(徒歩で原発敷地内を歩いて戻ったときは生きた心地がしなかった)

そしてここでデメリット、もとい注意点の二つ目になるが、エウラヨキ市内のタクシーでは五割(個人試算)の確率でクレジットカードが使えないことがある。北欧はおおむねクレジットカード社会と言われその看板に九割がた偽りはないが、やはり未だ現状いざという時は紙幣こそ最も強い味方だ。20ユーロくらいは持っておこう。

 

ここまで色々と文句を垂れてきたが、エウラヨキ市内は兎も角として、ビジターセンター内はぞんぶんに英語が通じる他、ビジターセンターの展示もフィンランド語・スウェーデン語の他にしっかりと英語がメインを張っているので安心してほしい。(オンニバス車内はフィンランド語・スウェーデン語がかなり幅を利かせているので英語はあまりあてにならない。目的地の地名を見逃さないことが肝要だ)

 

オルキルオトビジターセンター内の裏口から出た所から連なる「自然の小道」からは、オルキルオト原子力発電所一号機・二号機を見る事が出来る上、写真撮影も許可されている。

葦の生える湖は青く湖面はきらめき、その向こうにあるレンガ色の発電所は今日も原子の力で熱を生み立ち上る蒸気でタービンを回して発電している。

生きる時代によってはそれは、クリーン極まりない最先端の希望の星であったかもしれない。

様々な事が起きた後の時代を生きた私には、無意識に刷り込まれた記憶が反映され、それは奇妙な違和感やちぐはぐさのぬぐえない光景となって映った。

そして私は、十年後の安定どころか一年後の未来、その先の将来プランはおろか半年先の予想もできない一人のあわれな人間は、突如として猛然と走り始めた! ジュラ紀から変わらない岩盤、これから先十万年を嘱望される岩盤の上を走りながら、私は一路裂け目へと落ち込んでいく! これから先必要に迫られるに違いないあらゆる選択へ手を振りながら深く、地下深くへと……

 

youtu.be

 

 

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しかし神も人も査証申請の前では皆等しく無力だ

 

「登れる上にトークも切れる!更にこの美形!天はオレに三物を与えた!!」(東堂尽八)――渡辺航弱虫ペダル』(第11巻-87話)より

 

神よ、どうか私にゴキブリと対峙する力をください。そうでなければ、北国へ移住するお金をください。

それとTLのリプライ応酬を盗み見していると散見される、「○○さんの為だし1部だけならコピー本出しますよ~」という形で振りかざされる選民特権に発狂しない、強い心をください。

 

築三十年戸建ての個室(自室)に、奴が現れた。
それよりも前から正直、「誰か」と同居している気配はあった。
しかし目に入らなければノーカウント、私は誰かの気配に気づかないフリをしながら、日々課題をこなしつつやり過ごしていた。

 

私はゴキブリが苦手だ。
一定サイズを超え、胸から二対の羽根が生えている節足動物類はゴキブリに限らず全て受け付けない。
私にとっての奴らは、いわば飛ぶ地雷なのだ。

 

生活しているだけで泥棒に家探し、あるいは強盗に押し入られた後のアトモスフィアをインテリアとして演出する私であるが、節足動物に対する恐怖故、基本生活をする室内では飲食をしないという三つ子のころからのしつけを、成人した今尚貫徹している。何せ生粋の実家暮らしだ。

 

しかし、どの道汚部屋で暮らすのならば、節足動物類に対してもホーホケキョとなりの山田くんに描かれる鉄の主婦・まつこのような潔い対処を見習っていきたい。

奴が触角を一振りしたところで、それがどうした。片眉一つ動かさず、我らが文明の利器新聞紙を丸めたソードでバシッと、喝を入れてやりたい。
触角を動かした、それがどうした、
何が化石生物だ、人を見くびるものではない、と。

 

けれどどうしても私は、ゴキブリを見るだけでダメになってしまうのだ。「人をダメにする虫選手権」が開催されたら、ゴキブリはかなり良い線行くと思う。

とにもかくにも、奴と私はいわば磁石のN極とS極、互いに一定距離以上近づいてほしくないところだが、しかしゴキブリは不思議と私の部屋ばかりを選んで局地的に現れる。

奴の触角が視界の隅でぴくりと動くと、私は一瞬のうちに視線を奪われ、表情筋をこわばらせつつ我が城(私室)を放棄し後方へ撤退を余儀なくされるのだ。

私が徳川家康なら、ここで脱糞しても何ら不思議はない。ここが三方が原か、敵はマイスイートルームにあり。

 

築三十年以上戸建て、ゴキブリの出現は一年ぶり三度目、ここに越してきてからは累計五度目、その内三度が私の部屋における出現である。ここにリリスが眠っていても何ら不思議ではない。むしろ私がリリスなのではないだろうか?

 

神よ、どうか私にゴキブリと対峙する力をください。そうでなければ、北国へ移住するお金をください。
それとTLのリプライ応酬を盗み見していると散見される、「○○さんの為だし1部だけならコピー本出しますよ~」という形で振りかざされる選民特権に発狂しない、強い心をください。

 

現状からいうと、天は私に一物も与えていない。

登れなければトークも冴えず、そしてこの醜女。ゴキブリに立ち向かえなければ、私的ゴキブリ処理班を持つにはAPPが足りず、北国に居を移す予算もない。神々のアカウントにおいて選民特権が行使される瞬間を見るに耐えず、選民になろうとするよりも先にアカウントを閲覧リストからそっと外した。

コミュ力もとい魅力、そして財力精神力。あらゆる点において限りなく無力な私には、時間を切り売りし得たはした金で格安プランを厳選し、発作的な旅行を繰り返すことしかできない。

 

そんな私は最近、異性交遊において一人ハブ空港を作り上げた友人と共に、北欧へ旅行する計画を立てた。まさかゴキブリも北極圏を国土に有する諸国までは追ってこまいて。その当時はそのように余裕綽々、マリメッコIKEAのカタログを眺めながらご満悦の表情をする私であった。

当の旅行計画について、日頃は私が厳選・予約をすることが多いのだが、企画が持ち上がった当時、ちょうど私がカンボジア滞在中であったため、旅行会社との掛け合いやプランの厳選は友人に丸投げした。

 

ところで、シェレメーチエヴォ国際空港、というのを聞いたことがある方は読者様の中にいらっしゃるだろうか。

 

いらっしゃる……? あぁ……、……そう。

 

話を進めよう。

 

台湾桃園国際空港アムステルダムスキポール空港シンガポール・チャンギ国際空港。この辺の空港はかなり良心的と言えるだろう。

プノンペン国際空港、シェムリアップ国際空港、ハンバーサイド空港。この辺は地名を知っているか否かにかかっているだろう。それにしたって国内第一位第二位の知名度を持つ都市の名前と、英語地名である。まぁ問題はないだろう。

タンソンニャット国際空港ベトナム社会主義共和国南部のホーチミン市郊外タンビン区にある国際空港。IATAコードは「SGN」であり、ホーチミン市の旧名サイゴンが由来である。(Wikipedia-「タンソンニャット国際空港」より、最終閲覧日2016年8月6日)
カンボジア行きの際に乗り継ぎで利用したベトナムの空港だったが、当時はホーチミン空港として理解していたため何ら問題はなかった。ここで降りる訳でもないし、二、三時間滞在した程度だ。

 

カンボジアから帰国後、友人から手渡された旅程を前に私は固まった。

 

シェレメーチエヴォ国際空港」に、二十四時間を超える滞在。

 

何度目をこすっても、計算をしようと、その事実が消えることはなかった。

 

一瞬、友人に任せたことを、心から後悔してしまった。

 

シェレメーチエヴォ国際空港はロシアの首都・モスクワ市内にある国際空港である。乗客数と取り扱い貨物数において、ロシアでドモジェドヴォ空港について二番目に大きい空港である。(Wikipedia-「シェレメーチエヴォ国際空港」より、最終閲覧日2016年8月6日)

 

「空いてる時間でモスクワに行けるし、近くにホテルもある。」そんな友人のあたたかな言葉により、凍てついた私の心は瞬時に解凍された。脳内に往年のフラッシュ「めざせモスクワ」が流れ始める。ちなみに我々にとってロシアは最終目的地ではない。乗換の時間を利用しての旅行、いわゆるトランジットツアーというやつである。

 

2016年8月現在、ロシア連邦への入国には、それがたとえトランジットの二、三時間、乗り継ぎのために必要なシェレメーチエヴォ国際空港でのターミナル移動(成田空港の第一ターミナルと第二ターミナルのように、シェレメーチエヴォ国際空港内のターミナルは著しく離れているらしい)であっても、ビザが必要になる。

今回私は、自分が取得した「トランジットビザ」の取得方法について、備忘録として以下にレシピ風に記述する。
ロシア連邦を通過する予定がある方は、気休め程度に参考にしていただければと思う。そして詳細や実態については、在日ロシア連邦大使館のサイト(余り明快であるとは言えないが)や、その他トラベルサイト等を確認して頂きたい。

 


では始まりました、毎度おなじみパスポート三週間クッキング。今日作っていくのは「ロシア連邦通過ビザ」になります。材料は以下のものになります。

 

~「ロシア連邦通過ビザ」の材料~
①パスポート(六か月以上の期限が残っているもの、査証欄に見開き一ページの空欄があること) …一冊
②EVA/電子査証申請書 …必要量
③証明写真(パスポート用のサイズ4.5cm×3.5cm)…一枚
④最終目的地までの渡航書類(航空券)などの原本またはコピー=航空券予約のバウチャー。…必要量
(⑤最終目的地がビザを必要つする場合、最終目的国のビザ。我々が今回最終目的地にしているのはビザの不要な国の為、ここでは参考程度に記載するにとどめる。)

 

まず最初にEVA/電子査証申請書の画面を開きます。
在日ロシア連邦大使館の査証に関するサイト、持ち物の一覧にURLがそれとなく記載されているので、探してみましょう。

 

探せましたか?

 

開いてみるとまず最初に、最初か、少なくとも最初の方に、案内言語の選択があると思います。

ここで一つポイント。言語の一覧の中には日本語が含まれていますが、高校英語を修了・受験英語をこなしたことのある方は英語を選択すると、日本語案内ではカバーされていない細かい指示を得ることが出来るのでおすすめです。

ただし査証画面は20分以内で入力を済ませないとリセットされてしまうという時間制限があります(EVA申し込み番号を控えていれば一時保存することも可能らしいですが)。そこまで自信のない方は日本語でサクサク進めるというのも手です。

 

では案内に従って必要事項を入力していきましょう。

今回申請するのはトランジットビザですが、1、2、マルチといった選択を強いられると思います。片道でロシア乗り継ぎをする場合は片道、つまり1。往路復路ともにロシアで乗り継ぐ場合は往復、つまりは2を選択しておきましょう。
往復ビザを取得したいとき、ロシアに入国する日付を入力する際は最初に入国する日付を選んで下さい。復路の入国は最初の入国以降一か月以内ならいつでも可能、ということに現時点ではなっています(各自確認してください、これをうのみにして審査に引っかかっても責任はとれません)。

 

EVAの入力が終わると、pdfで保存するよう促してくるボタンが出てくると思います。そこでpdfでひとまずパソコンの中に保存してから、コンビニかご自宅のプリンターでEVAを印刷しましょう。サイズはA4です。

 

印刷できましたか?

 

ではEVAの所定位置に用意しておいた証明写真を貼ってしまいましょう。規格はパスポートと同じ物であれば問題ありません。
署名欄があったと思いますが、署名欄の下か上かその付近に指示(英語)があったと思いますので、それに従って自分の名前を書きましょう。

 

トランジットビザ申請にあたりその他、大使館に行く前に特別準備が必要なものとして、「④最終目的地までの渡航書類(航空券)などの原本またはコピー」があります。

これは旅行代理店等で申し込みを行ったときに発行・表示される旅程やEチケットなどを全部印刷してもって行き、窓口で提出すれば何とかなりました。何をもっていけばいいのかよくわからないときおすすめです。(あくまで個人の体験です。)

ロシア連邦によって認可された旅行会社のバウチャーでなければいけない等の制限があったような気がするのですが、少なくとも現時点で阪急旅行社のバウチャーはそのまま通ります。

また、ロシア連邦内を自由旅行される際、宿泊先が決まっていない状態での空バウチャーを発行してくれるサイトもあるようなので、連邦を旅行される予定のある方は是非検索してみてください。

 

材料の下ごしらえ(記入・印刷・記名)等が終わりましたら、次はロシア大使館領事部へ提出しに行きましょう。

東京のロシア大使館領事部は、東京メトロ日比谷線神谷町駅が最寄り駅になります。そこまでのルートは各自乗換案内等で検索してください。

神谷町からオランダ大使館方面の出口を出て、そのまま目の前にある大通りを「飯倉」という交差点に向かって歩いていきましょう。「飯倉」がどちら方面かは地図や地図アプリを駆使して各々調べてください。

「飯倉」に突き当たったら右折、お巡りさんの詰め所がいくつか見えてきましたか? その守られている建物が九割方ロシア大使館であるとみて間違いないでしょう。

 

ビザの発行などを担当している領事部は、向かって二番目の詰め所と三番目の詰め所か、あるいは三番目と四番目の間にある鉄格子の扉がその入り口になっています。

「領事部」という看板も一見して人目につき難く、また白く塗料された鉄格子の放つ猛烈な関係者以外立ち入り禁止感に一見さんは気圧されがち・見逃されがちですが、道に迷ったりこれが本当に領事部か自信のないときは、お巡りさんに聞けばだいたい教えてもらえます。

その場に立ってきょろきょろすれば少なくとも二人の警察官は目に入ると思いますので、声をかけてみましょう。

 

ロシア大使館領事部がビザ申請及び発行を受け付けているのは、月曜日から金曜日の午前九時半から十二時半までの三時間。

土日祝日は当然のように休み、またロシアの祭日もがっちり休んできますので、祝祭日について事前のサーチを怠らないようにしましょう。

また、ロシアのビザはその手続きの煩雑さから多くの業者・旅行代理店が代理発行を請け負っていますが、十時ころに窓口に行くとそういったビザ申請代行の業者から来たと思われる、パスポートを輪ゴムでくくり束持ちしたあんちゃんが番号札を手に待合室にたむろしていますので、急いでいる人や待ち時間に耐えられない方は、九時半ちょうどに領事部前へ到着するのを目安に向かうことをお勧めします。

参考までに、我々は十時半に領事部に到着し、そこから一時間半待合室で待機し続けました。

 

待合室では日本国内では滅多に見ないような高密度でロシア語が飛び交っていますが、窓口の人は日本語をそれなりに解してくれるので安心です。

しかし急に「one way?」などと尋ねられることもあるので、気を抜きすぎないようにしましょう。

 

提出書類を窓口の係員に提出し、確認が終わると、「引き取り日をいつにするか」を聞かれることになります。

このあと何日かはパスポートを窓口で寝かせることになりますが、ビザの発行手数料は申請してから発行までどれだけパスポートを窓口で寝かせるか、もといビザの受け取りまで、どの程度時間があるかで決まります。

ロシア連邦大使館領事部ビザ申請のサイトにも金額一覧の表示がありますが、観光・通過ビザの場合は、3労働日以内が一万円、10労働日以内が四千円、それ以上寝かせると手数料は無料になります。

ちなみに労働日=営業日ですので、当然のように土日祝日は含まれません。私がもしロシアのインテリゲンツィアだったらここを就職先の一つとして考慮に入れていたと思います。

 

引き取り日に見合った申請手数料を窓口で支払う、または二週間以上寝かせることで手数料を無料にした場合でも、窓口で黄色いレシートを渡されます。そこに記載されている内容に誤りがないか確認してから、一先ずお暇しましょう。

レシートはパスポートとの引換券になりますので、くれぐれもなくさないように注意して下さい。

 


さて、そろそろ完成に近づいてきましたね。

あらかじめ決めた日数パスポートを領事部で寝かせたら、今度は領事部まで完成したビザを取りに行きましょう。

受け取りの場合は申請と違って番号札をとって待機する必要はなく、窓口に直接行ってレシートを提出すれば、窓口の人がパスポートを探してくれます。

参考までに、我々は11時に領事部に到着しましたが、5分も待つことはありませんでした。

 

パスポートを受け取りましたら、査証欄のどこかに貼ってあるはずのビザに記載されている内容に誤りがないか確認しましょう。

 

確認できましたか?

 

これでロシア連邦通過ビザの完成です。

この必要事項しか記入されていないすっきりとしてシステマティックな紙面! メインに使われているアルファベットにも似た何か、そういえば顔文字でよく見るようなアレは間違いなくキリル文字です。

第二外国語他、第三言語を学ぶ場面でロシア語に触れていないあなた(わたし)は、申し分程度に記載されているローマ字にすがりつつ難解極まりないキリル文字をじっくり見まわし、これから少なからず通過し、乗り継ぎ手続きを済ませる土地に対する不安を胸に募らせましょう。

 

ちなみに私たちの目標はトランジット中にシェレメーチエヴォ国際空港を飛び出し、モスクワ中心地へ向かうことです。

無事かな?

 

youtu.be

 

人類は思い出すべきである。金の他に価値あるものが確かに存在することを、無償のものなど何も存在し得ないことを。

カンボジアの人々は皆、どこか寂しそうに微笑む。

彼らの顔立ちは殺人的な陽光の元で黒く染まり、彫りの深い様は南アジア、もといインドの影響を強く思わせる。

 

観光都市として相対的に洗練されたシェムリアップはそこまででもないが、首都であり悪徳の都と一部の書で謳われたプノンペンの街並みは、何処からか香辛料の微かな香りが漂ってくるスパイシーな空気に包まれている。彼らの顔立ちと相まって、インド的な雰囲気がそこにはある。

ちなみに私はインドに行ったことはない。全て液晶画面越しの情報と空想によってのみインド的なるものを語っている。

 

しかしその街並みを車窓から眺めると、目立つのは漢字の看板だ。全てが漢字という訳ではないが、プノンペン空港やプノンペン郊外へ近づけば近付くにつれ、段々と漢字の看板が多くなる。中心部でも少なからず漢字の看板を見かける。「日本古着」「面包」「柬埔寨〇〇公司」、等々。 

旅行後に聡明な後輩から、カンボジアは親中国であると聞いた。華僑の影響であるのかどうかは不勉強の為よくわからないが、インド的な香辛料の漂う街に浮かぶ、形は少なからず違うものの二十年慣れ親しんだ漢字との組み合わせは、誤解を恐れずに言えば、キメラ的な印象のある不思議な景観を形成していた。

 

カンボジア滞在初日、プノンペン空港から送迎車に乗り、車窓から眺めた漢字の看板、日頃管理された都市に住んでいるとどうにも見慣れない、吹けば飛ぶような雑多な街並み。赤紫から深い藍色へ暮れ行く空をバックに、幹線道路の上に掛かるネオンの看板に踊るクメール文字。 

同じ地球上に全く異なる文字と価値観が存在するという事実を、21世紀初頭を生きる我々は液晶画面を通し、頭では理解出来ているに違いない。

しかし嗅ぎ慣れない香辛料の臭いが微かに漂う車の中から見たあの光景ほど、それをまざまざと私に思い知らせたものは無かった。ムムーーンンササイイドドへへよよううここそそ。まさしくそんな感じだ。

 

日の暮れた街並みは蠱惑的な雰囲気を放つが、しかし日中出会う人々は皆素朴な顔立ちをし、シンプルな服で街を歩いている。

夜はゴーゴーバーが流行しているらしく人々の服装も蠱惑的なのかもしれないが、そこは異国もとい未知の恐怖に身を縮ませながら三ツ星ホテルの一室に引きこもっていた旅行客のあずかり知らぬ所だ。

 

 

話を戻そう。

 

カンボジアの人々は、皆どこか寂しそうに微笑む。

私がカンボジアでは定番のシェムリアップのみならず、プノンペンに訪れた理由はプノンペン郊外にあるチェンエク村のキリングフィールドとS21を見る為だ。

カンボジアは1970年から93年まで内戦状態にあった。クメールルージュによる虐殺で国民の四人に一人が虐殺され、今もカンボジアの年齢別人口には深い溝が口を開け、人口の九割は二十代以下で構成されている。
先入観もあるに違いないが、私が会った限りでは皆割に穏やかな、そしてどこか淋しそうな表情で微笑み、そして外貨を要求した。 

 

カンボジアの通貨はリエルである。しかし地元住民しか行かないような場所に行く機会や勇気、あるいは蛮勇に恵まれない限り、リエルは必要ない。一ドル札があれば大抵のことは事足りるし、向こうも醤油顔の日本人を認識すると、必ずドル単位で要求してくるので問題ない。

 

私はカンボジア国内で四人のカンボジア人に、正規の支払い場面以外で外貨を要求された。彼らについての話をしたい。

 

一人目はプノンペン郊外、チェンエクのキリングフィールドで出会った老人だ。彼は四人の中の二人を占める物乞いだった。

プノンペンからチェンエクまでは車で一時間程かかる。途中渋滞に掴まり、ハンドルを握るカンボジア人の勤め先が恐らく旅行会社であることしか知らないのにも関わらず車内で眠ったので、それ位の時間は経ったと思う。

タイヤが走ると土煙を上げるような悪路の先、水田に囲まれるようにしてキリングフィールドは姿を現した。

敷地内に咲き乱れる花は南国らしい極彩色、眩しい日差しとのコントラストが美しく、鶏や野良犬が寝そべる長閑な雰囲気に包まれていた。

今も雨季には敷地内から骨が出ると言う場所だ。中央の慰霊塔の中には犠牲者の頭蓋骨が犇めき合っている。

 

彼はチェンエクのキリングフィールドの外側を囲うフェンスの外に居た。

砂に汚れ色褪せた軍服を着、右脚の代わりに木製の義足というにも痛ましい剥き出しの棒があった。

観光客が通る度「ヘイミスタ」「ガール!」と声を上げ、軍帽を突きだしていた。

私は大学の先輩からストリートチルドレンや物乞いの方々を写真に収めるよう厳命を受けていた為、彼の帽子に一ドル札を入れ、拙い英語で写真を撮る旨を伝えカメラを構えた。


「チャイニーズ? ジャパニーズ?」

 

その老人は私にしきりに尋ねた為、私はシャッターを切る前に日本人であると伝えた。老人は身振り手振りを交え尋ねた為、写真が撮りづらかったのだ。

 

「アリガトー」

 

老人は黒っぽい顔を砕き、黄ばんで掛けた歯を剥き出しにして微笑んだ。そして矢継ぎ早に私の背後を指さし、

 

「アンドユアフレンド、ユアジャパニーズ? マニープリーズ!」

 

と、大声で叫んだ。私は二人連れだったが、カメラを構える私を余所に友人は颯爽と場を離れた。

 

乞食に金をやった所で仕方がない。今時日本に限らず、どこのガイドブックにも書かれている常識なのだろう。フェンスに貼り付く老人の周りの半円は、結界が張られたように人が通らなかった。

 

 

二人目はプノンペン市内、王宮前広場に居た少女だ。

平均程しか身長のない私の腰元に頭が来るくらいの背丈の美しい少女は、靴を履いていなかった。服も黒ずみ、襟ぐりも広く開いて擦り切れていた。大きく黒々と、それこそ宝石のような目を、長い睫毛が縁取っていた。

彼女は王宮前広場の芝生を裸足で歩きながら、彼女は鳩を眺めていたのろまな観光客である我々の直ぐ傍にぴったりとくっついて歩き、袋に入った雀の涙程の鳩の餌(ヒエやアワのようなものにトウモロコシ等を混ぜ込んだ何か)を掲げながら、「ワンダラーワンダラー」と呪文のように唱えていた。

その時トランクはホテルに置いたまま、ひったくり対策の為それこそ身一つで歩いていた私は手持ちが少なく、出来ればリエルでご退散願えないかと5000リエル札を彼女に差し出したものの、彼女は私の手をひらりと翻し(コンビニ店員が差し出すレシートをひらりと翻しおつりだけを受け取ろうとする仕草によく似ていた)、可愛らしい紅葉の手を突きだしていった。

「ワンダラー」

そして片手で同行者の着ていたTシャツのカンガルーポケットに餌を突っ込んだ。

 

一ドルをお支払すると、彼女はにこっと白い歯を見せて可愛らしく笑った後、堂々たる足取りで日差しに照らされ眩しく光る青い芝生を突っ切り、物陰へと向かっていった。

 

 

三人目はシェムリアップ、アンコール遺跡内に突如現れた青年だ。

アンコール遺跡群の敷地は非常に広大だ。日本的な遺跡群を想像するよりも、国立公園の中に遺跡が散在している光景を浮かべた方が早い。

アンコール・トム内の象のテラス等、そのあたりを散策し、王宮から少し離れたちょっとした茂みの向こうにある、プリラ・パリライに向かおうとした途中のことだった。

海外で利用できない種類のアンドロイドを常用していた私は遺跡の中でGPSを使用できていないので、以上の記述は全て曖昧な記憶と方向感覚に頼っている。遺跡内ではバックに偶然付いていた方位磁石が異様に活躍したため、アンコール遺跡に向かう予定のある人は是非参考にしてほしい。

 

さて、朽ちた城壁を潜った先に待ち構えていたらしい半袖半ズボンの彼は、サムと名乗った。実際サムと名乗ったか記憶は定かではない。私は日本人の名前すら一度聞いただけでは覚えられない特性持ちだ。何かしらサ行で名乗ったような気はするので、仮に彼の名前はサムということにしておこう。

17歳の彼は流暢に英語を操り、我々に遺跡を案内して回った。ちなみに頼んでいない、我々が声を掛けた訳でもない。

アンコール遺跡内に認可を受けていない案内人が嘘っぱちを言って回ってお金を取りに来るという情報は地球の歩き方に乗っていたが、ここまでナチュラルに同行されるとかえってどう断っていいか悩む。悩むうちにもガイドは続く。

「ここでいつもツーリスト相手に喋って英語の勉強をしているんだ……あっ、ここはちょっと足場が悪いからね、気を付けて!」

 

結局断り切れず我々はサムと行動を共にした。実際彼について歩いている内に場所を見失い、地元民の御供えが置いてある仏教の祠らしき場所に連れて行かれた時点で、もう戻り方も分からなくなっていた。

 彼はシェムリアップの学校に通い、サンダルで遺跡を歩いていた。遺跡内にあるビレッジに住んでいると言った。

「この遺跡を直したのは日本人だよ、君たちと同じだ。」

道中日本の援助で建てられたという看板のあるシェムリアップの小学校を見た。カンボジアに学校は建っていたのである。

 

彼は茂みというには少し行き過ぎた森が途切れ、向こう側に癩王のテラスが見えるというところで「これ以上行くとツーリストポリスが来るから」と言って、我々と少し距離を取った。それはツーリストの前で最も出していけない単語であると言うべきか迷ったが、私は何も言わなかった。


「じゃあここで僕はお別れするけど、ほら、キミたち外国人だし、その……寄付をお願いしたいっていうか……ダラープリーズ(ニコッ)」

 

それまで明朗快活に話していたサムは、別れ際に急に歯切れが悪くなった。しかし別れを惜しんでいるという訳ではなく、白い歯を見せながら少しバツが悪そうに笑った。

一度リエルで何とか手を打ってもらえないかと思ったものの、5000リエルを差し出した時ものの見事に彼の顔が曇ったので5ドルで手を打ってもらうことにした。彼は渋々といった表情で森の中へ去って行った。

 


四人目もシェムリアップ、アンコール遺跡を巡る為に一日チャーターしたトゥクトゥクのお兄さんだ。青年という言葉を使うには年を食っているように見えたが、おじさんというには年若い印象だったので、お兄さんということにしておこう。

政府公認のジャケットを着ていない(しかし公認ジャケットを支給されていても多くの運転手は脱ぎ散らかしているので誰が公認で誰が公認でないかは実のところよくわからない)彼は、一日20ドルで我々に雇われ、ホテルに行く道中でパスポートを忘れアンコール遺跡の入口からホテルまで戻ったり、アンコール遺跡の入口まで向かう道中で帽子を飛ばした我々の為にUターンしたりとよく無駄な動きをさせてしまった。

遺跡観光中、遺跡の入口で落ち合う度、「バイバ~イ」と言いながらトゥクトゥクを発進させようとする動きをするので、我々はハッタリと分かっていながらも毎回ヒヤヒヤさせられた。アンコール遺跡内のトゥクトゥクはほぼ間違いなく一日チャーターされた方々であり、流しのトゥクトゥクがうようよいるホテル周辺とはわけが違うのだ。

 

アンコール遺跡を巡りパブ・ストリートまで一日足になってくれたトゥクトゥクお兄さんとの別れは、出会いと同じくホテル前だった。友人と私で10ドル紙幣を一枚ずつ、朝に交わした約束である20ドルを彼に渡すと、お兄さんは戸惑ったような表情で曖昧に微笑み、続けた。

 

「今日はとっても暑かったし、喉も乾いたけど俺、頑張ったんだ……」

 

トゥクトゥクは重々しくそこに留まったまま、一向に来た道を戻ろうとしない。

 

私はこれまで何冊かインドから東南アジアを主題にした旅行記を読み、そのどれもがバイタクやトゥクトゥクとの争いに彩られて居た。

控えめに言って華奢な同行者と、世間一般からすれば低身長の女二人連れである以上、何処かで必ず吹っかけられるに違いないという自覚はあった。

しかしお兄さんの眼差しが余りにも悲しげであり、怒声には怒声を持って返そうと決めていた心は、湿度60%の一室に放置しておいた絵葉書のようにふやけていた。

じきに帰国の途につく為、ここで一戦交えるメリットは無くただひたすらに面倒だというのもあった。我々はもう10ドルずつお兄さんに渡し、お兄さんはセンキューセンキューと口遊みながら去って行った。

 

日本人はボられやすいという言葉が脳内によみがえったが、アンコール遺跡の殺人的な日差しで既に限界に近かった我々の骨肉には、そんなことは至極どうでも良かった。

金ならあるのだ、欲しいなら持っていけばいい。私は疲れたんだ、自由にしてくれ。

 

 

 

私は今もカンボジアで出会った人々の控えめでどこか寂しげな笑顔、別れ際の歯切れの悪さ、ダラープリーズという言葉を時々思い出すことがある。それは趣味の都合上持っているツイッターアカウントのタイムラインを見る時だ。


タイムラインに現れては流れる腐女子達の呟きの中で、時折「本にしてください」というリプライが様々な文言や絵文字、顔文字と共に殺到しているものを見ることがある。

本にして下さい。素晴らしい呟き、いや〇〇さんがやってください、××さんの絵で見たいんです、エトセトラエトセトラ。 

私はツイッター上に会話をするような相手アカウントが無く、リプライを飛ばせば五割の確率で流れ、最近最高にフェチな画像を流して下さっていた絵師様のアカウントからブロックされた。

タイムライン上の素晴らしい妄想ツイートを確認する作業すら、被害妄想が激しい孤立アカウントには刃となって襲い掛かる。

 

××さんの妄想ツイートの設定をお借りして■■■を書きました。××さんの許可が取れたのでアップします~☆

 

確かに××さんは素晴らしい妄想をしている。しかしその設定全てが、何もそのアカウントの専売特許という訳ではなかろう。許可を取らなければいけないのか。

しかし、こればかりは金でどうにでも出来ることではない。ドル札をいくら振りかざそうと、××さんは弱小アカウントのリプライを返して下さる訳ではないのだ。

腐女子の世の中すら、コミュ力で出来ている。

 

 

タイムラインにはそれだけでなく、時折ツイッターの相互アカウント同士で飲み、お互いの妄想するところを語り合ったという場面の画像のみが、いくつかのアカウント(おおむね神であることが多いが、中には何故その面子にお前がいるという案件もある)から同時多発的にアップされることがある。

これは最早、同時多発テロである。

議事録も無くただ孤立アカウントでは得難い状況下において、さぞ素晴らしい内容が交わされたのだろうという事実だけが眼前に残る。酷い世の中になったものだと思う。

 

そんな時私は、遠くカンボジアの空の下で今も生きているのか、バイク事故に遭っていないか、ツーリストポリスに引っかかっていないか、カンボジアは児童買春の率が非常に高い、少女は無事だろうか。爺さんは厳しい乾季と地獄に喩えられるらしい雨季を超えられたのだろうか、そんな彼らの顔を思い出すのだ。

彼らは、日本では滅多に話し掛けられることもない私に近づき、話しかけてきた。

それは私が外国人であり、観光客であり、間違いなく彼らよりも上の階層に居て、一重に金を持っていたからだ。

だからこそ私は老人から感謝の言葉を受け、少女の可愛らしい笑顔を見、少年の真偽は疑わしいものの流暢な英語で案内をされ、一日トゥクトゥクを貸しきってアンコール遺跡を回ることが出来た。

売買取引の関係なら、日本国内にでも幾らでもあるだろう。しかし私の頭に思い出されるのは半年前のカンボジア、湿気が少なくからっとした気候と、殺人的な陽気に首筋を焼かれながら、仕方なく財布のがま口を開くあのシーンだ。


ツイッターも同じようなものだろう。料金が明記されていないから一見、人と人とが交流しているだけのように見えるが、そこには目に見えない等価交換がある。

一人の素晴らしく、腐女子の世間一般に価値ある妄想に対し、暖かな言葉とタイムラインで、最早恒例となっている褒め合いが始まる。

皆互いの価値と妄想を交換し合い、己が能力によって勝ち得た素晴らしい場をタイムラインに流し、些細なものながら、確かにそこに存在する世の中おける勝利の美酒に酔う。

 

そうだ、私のタイムラインに広がっていたのは、カンボジアだったのだ。

カップリングやシチュエーションの固定が多い私には殊に地雷原にも見える。

  

金を持たない外国人、価値のないアカウントにとっては、そこに何がある訳でもない。

カンボジアで金のない外国人であれば下手を踏めば犯罪に巻き込まれるかもしれないが、タイムラインで価値のないアカウントであれば、下手におこぼれにあずかろうとリプライを飛ばさない限り、ブロックされることもそんなにない。

 

今日も私は静かにツイッターを閉じ、眠りにつくだろう。価値のない人間にも明日は来るのだ。