メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

台湾とわたし

初めての海外個人旅行先は台湾だった。
何故行き先に台湾を選んだのかは覚えていない。

  

同行者は年数だけ数えれば長い友人と言ってよいのか、いまいちはっきりとしない相手だった。

彼女と私は中高の多感な時期の間、ずっと同じ学校の同じ部活に所属していた。

最初の約二年間、あるいは中高に在籍している間、彼女から罵りを受け、私がそれを甘受することで関係性が成立していたように思うし、そうでもないように思う。

私は罵りを甘受するにしては中々に短気だったし、彼女は思いつきで罵っていた訳でなく、彼女の中にある独特の倫理観の元で私を罵っていた。私の他に彼女から罵られていた人間を未だ私は関知していない。

あの頃の彼女はきっと、私のことを友人と呼ぶことは許さなかったと思うし、私も彼女のことを友人と形容していいのか迷っていたと思う(今も多少その名残がある)。

 特に関係ないが彼女と私の間にある身長差は、京都伏見高校に通う御堂筋翔くんとその二つ上の先輩の石垣光太郎くんの間にある身長差と同じである。要するに12センチだ。

  

最初は家向きが裕福な彼女が家族旅行で向かった先であるインドネシアはジャワ島、ボロブドゥールの話を聞き、それを羨ましがった私がごねるか何かして何とかして彼女と海外旅行に行く話になったような気がする。

時は2014年度の年度末。昨月にはツイッター上でISISクソコラグランプリが開催されていた。

インドネシアは東南アジア最大のイスラム教国であり、私も彼女も海外渡航経験はあるものの、身内あるいは団体の介添えのない個人旅行として海外に行くのは、それが初めての経験だった。ジョグジャカルタ空港への飛行機代もそれなりに高くつくらしいことが調べるにつれて判明してくる。

  

互いの計画方針が「がんがんいこうぜ」から「いのちをだいじに」へ転換しつつある頃、いくつか挙がっては立ち消えた候補の中から自然と浮かび上がってきたのが、「台湾」という選択だったと思う。

何を決め手にして行き先に台湾を選んだのかは覚えていない。

 

 

それから半年後。

九月の台湾は、結果から言えば大変良いものだった。

懸念していた台風も無く、外務省のサイトに載っていた日本人暴行事件のようなことも無なかった。旅行中、二つの中国の間で交戦状態に陥ることも無かった。

 

個人旅行の手配は私が行った。エクスペディアで航空券とホテルをセットで予約し、表示される旅程からバウチャーから、あらゆる全てを印刷して持って行った。

 

チャイナエアライン(格安航空)への搭乗前は二人して恐れを成し、空港では何かと「最後の晩餐」だと呟きながら朝食を食べたものの、フライトはおおむね快適だった。

 

立地と値段で選んだ西門ホテル (台湾 台北市) - Booking.comも、事前情報では「入口が分かりづらい」ともっぱらの評判だったが、2015年9月時点においては、ホテルの入っているビル前にそれなりにわかりやすい看板が出ており、そこからエレベーターで四階かそこらまで上がれば、英語では言葉少なながらもにこやかなフロントの方が出迎えてくれた。英語で言葉少なになる点では私もいい勝負である。

部屋は二人で十分な程度には広く、一つきりのベッドも女性二人にはちょうど良いサイズであった(身長173センチと185センチの男性二人には少し窮屈かもしれない)。

不満があるとすれば、常に湿度60%前後で部屋が潤っていたこと位だろう。室内に放置した絵葉書は、自然乾燥中の和紙のような風格を帯びた。しかしエアコンは入っていて、気温が高すぎると言うことは無かった。

  

上げてしまえばいくつもの瑕疵があるが、特にあげるとすれば一つだけ、旅行手配で失敗した点というのは、【H.I.S.】海外旅行・国内旅行の総合旅行サイトで予約した、台湾国内で使えるワイファイサービスについてだ。

中華なんたらという会社のワイファイを無料で使わせてもらえるというアプリのアカウントを購入したもので、三日で800円くらいだったと思う。

これは事前に日本国内でアカウント入手をし設定をしなければいけないものだったのだが、しかし私がそれに気付いたのは桃園国際空港でのことだった。

 

ワイファイを予約したからといって慢心せず、事前確認を怠らないことが大切というのが、1600円(六日分)を費やすことで私が得た教訓だった。

旅行とは何か

 

 

kotobank.jp(最終閲覧:2016/7/16)

 
 

旅行が趣味だ。趣味と言い切れる程旅行に没頭している訳ではないが、他にこれといってあげられるものがないから、恐らく旅行が趣味なんだろうと思う。

 

これまでいくらかの国内旅行と、何回かの海外旅行を経験している。学業が長期休みに入る度、学生の本分を忘れ、目的のある旅行と目的の無い旅行を発作のように繰り返している。

しかし「おすすめの旅行先は」「何故そこに行くのか」と世間からの真っ当な問いを前に、明確な答えは勿論、何がしかそれらしいことをでっち上げることも出来ない。

 

何せクソ腐女子である。腐女子という言葉を使うことすらおこがましい。クソである。

旅行中はおおむねカップリングのことを考えて生きている。旅行中でなくともカップリングの出会いから告白、孔雀時から生老病死までをつれづれなるままに考えて、心にゆとりを持たせながら何時の間にか成人した。

 

手に技術はなく、世に必要とされる人材でもなく、引く就活の波を追う事もせず、卒論構想から遁れ、日々締め付けの厳しくなりつつある部活動を元気に欠席し、今再び旅行へ向かおうとしている。

 それは旅行ではなく、ほとんど現実逃避と同義語であるような気もする。

関係各所においても、落ち着き、ひいては責任感の無い奴といった評価を受けているような気が薄々している。しかし楽しいものはそれなりに楽しいのだ。

さらにこの期間というのは、一般に日本人が人道的な長期休みを頂ける最後の期間なのだ。いわば末期を前にした、最後の猶予といっても過言ではない。さて死後の世界にどれ程の意味があるだろうか。楽しいことをして何が悪いのか、人生は一度きりなのである。

 

強いて身の振る舞いにおける反省点といえば、やたらと負担の増えつつある部活動からの抜け時を逸したというただ一点のみであろう。

 

 

京都の話をしよう。クソは今夏もバスブックマークというサイトを駆使し、京都行きのバスチケットを購入した。ホテルの予約にはフォートラベルというサイトを駆使し、何とか5000円以内で済ませようと見果てぬ夢を抱いては、数百円に心を砕かれている。

 

昨今の大学生はほぼ金欠と思って間違いない。金も無ければ、時間もそう大してある訳ではない。時間と引き換えに金を捻出しては、逃げるように旅行をする。古代ギリシア・ローマにおける債務奴隷と習性は大して変わらないように思えるが、しかしクソは実際に古代に赴き現物を見たことがある訳ではないから、実態は分からない。

レジ打ちをしない分、まだ古代ギリシア・ローマの方が、現代よりもマシである可能性だってある。コンビニのレジ打ち中、店員が腹痛の余りその場に頽れようが、お客様は容赦なくレジに並び、思い思いの舌打ちを奏でる。日々そのような扱いを受けていた奴隷は、クシャトリヤの乗り物である新幹線に乗ることは出来ないのだ。


クソはこれまでに五回京都を旅行したことがある。一度目は修学旅行、二度目以降は個人旅行である。何故そこまで京都に足を運ぶのかというと、一重に京都伏見高等学校(架空)の存在があるからであるが、自分でも何故ここまで京都に拘るのかは、実のところよくわかっていない。

歴史的建造物は程々に観覧するが、クソは日本史を選択していない。刀剣乱舞もレベル上げに疲弊し、今では本丸の中庭は荒れるがままになっているだろう。京都に執着する理由というと本当に、一重にも二重にも、京都伏見高等学校(架空)の存在しか有り得ない。一般的に考えればグッズを買って、供給者に直接還元すべきであろう所だ。


京都に五回も赴いていることが一般に露見すると、「おすすめの観光スポットはどこか」と、澄んだ目をした同学の方々から問われることがある。しかしクソはおおむねカップリングの未来についてしか考えていないので、どうにも答えることが出来ない。

カップリングのことを考えていないときは、京都伏見高等学校(架空)のことについて考えている。或いは、エースナンバーイチを付けた御堂筋翔くんの練習コースに思いを馳せている。

寺社仏閣もほどほどに回ることには回る。夜行バス移動を恐れ必ず一人道連れを作っていた頃は、相手の趣味に合わせて街を回ったこともあった。刀剣乱舞の展示コーナーを回り、審美眼の持ち合わせがないなりに、ショーケース越しの日本刀を見て訳ありげに頷いたこともある。

 

しかしどこに居ようと結局はカップリングのことを考えている。クソは曖昧に笑って「選ぶのが難しいくらいどこも素敵だ」と言うことしかできなかった。