メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

メロスは去る、一人で。

 
【12/20 追記】
以下の記事は11月25日の同人イベント東7ホール某スペースにてライブライティング(?)したものなんですが、案の定というべきか記憶違いがあって何かというと「チェンエクのキリングフィールド」と「S21(ツールスレン)」を脳内で融合し一つの場所として扱ってしまっている。おいやめろどんな地獄だ。
という訳で以下で訂正をします。
 
■チェンエクのキリングフィールド
プノンペン市内から多少離れている(おそらく一時間前後)郊外のチェンエク村にあるキリングフィールド(処刑場)。ヤシの幹で鶏を締める感じで人の首をこうやって処刑していたという音声ガイドをヒヤリングしたのはここ。
プノンペン市内からのスタート地点がどこかにもよると思うんですが、トゥクトゥクで行けるのかなあそこ、いやいけなくはないけど、日差し強いし、途中渋滞とかあるし、ちょっと暑くない……? みたいな印象が残っている。ちなみに私は色々あって口聞きして貰い一日チャーターした車の運転手に連れてってもらった。運転手には「キリングフィールド」で通じた気がする。
(音声ガイドによると)民主カンプチアが崩壊した時点で周辺住民により取り壊されてしまい、今はわりと更地。
駐車場から入り口に入ると大きな供養塔があり、その中にはここで発見された犠牲者の骨が祀られている。
更地とそこにある池???たしか池があったような気がする。とりあえず暫定池の周りに木々を植えたり、解説パネルを順路ごとにたてたり、音声ガイドを聞く用のベンチや小さな屋根つきベンチを作ったりして、それらをぐるっと丸ごとフェンスで区切って、粗造りのちょっとした公園のような形になっている(お金が掛かってるな!という感じのビジターセンターのような箱が入り口付近、順路の最後のあたりにある)が、順路の所々にも供養の碑がある。雨季になると更地からはまだ犠牲者の骨が発見されるのはここ。
トイレがボットン便所(二~三年前時点)
 
■S21(ツールスレン)
プノンペン市内にあるポルポト時代の政治犯収容所(拷問や処刑などを行っていた)。ここでチャーターした車とはぐれて心が何回か死んだ。トゥクトゥク?と口々に言いながらにじり寄って来るトゥクトゥクおじさんがわりといたので、トゥクトゥクで行けるんじゃないかと思う。私は車で行った。元々は学校だったのはこっち。プルメリアが咲いている。
ここではトイレにはいかなかった。しかし校舎脇(たしか校舎が四棟に分かれており、A棟B棟は入り口に近くパネル展示がメインで整備された感じだったが、A棟B棟から一旦出て、さらに順路を進むと現れるC棟D棟のベランダには有刺鉄線が網目状に張られており、ポルポト時代の状態を維持した展示が行われている感じでこう、凄みがある)に、仮設トイレが一個置いてあった気がする(二~三年前時点)
 
以下のライブライティング本文には、上記の二か所の記憶を脳内で混ぜ合わせることで発生した一つの場所として回顧している傾向があります。
 
<以下本文>
 
イベント後半戦、議題はトイレです。
同人イベントに不案内な皆様にご説明致しますと、その他のイベント会場や催事場、遊園地などアミューズメント施設で起こるのと同様、イベント会場では女子トイレが混みます。一般に女性向けと言われるジャンルのオンリーが寄り集まったような会場では男女比実に1:9を越えるので言わずもがな最大サークルはトイレです。生理現象だから仕方ないね。
わたしは生物学的に女性、性自認として残念ながら女性、筋金入りの女でありますが、女性ってトイレの個室で何してるんでしょうね?  ズボン脱いで、用を足して、ズボン履いて、出る。わたしはここまでおよそ一分かからない。大事を成しているのならわかるんですけど、個室入れ違い様に傑作の残り香を感じることって、そうそうない。体調を崩してるとか立てこもらざる得ない状況があることも、用を足すほかのっぴきならない出血の事後処理があることもわかるんですけど、それにしたって、列にならんだ九割がなかなか個室から出てこなくない? マジなにしてんの? これは純粋な疑問としてあるので、もし良かったら教えていただけると嬉しい。女のたしなみとしてトイレで身嗜みをチェックする不文律とかあったらどうしよ、わたしは果たして社会的に女性なのだろうか?
わたしの不安をよそに今回のイベントのトイレも混んでいる。東京、聞くところによると最低気温は6度。水分を摂らぬよう気を付けてはいるが、底冷えするホールの内で冷えた体が尿意を催していた。夏を経て冬の生き方をこれからも忘れるであろう未来のわたし!水を飲まないよう気を付けていても、寒いと人間はオシッコをしたくなります。
 
わたしの記憶のなかで一番強かったトイレはカンボジアプノンペン、ツールスレンの外れにあるトイレです。まず汲み取り式。前任者たちの作り上げてきた合作の気配が足元にムンムン。あと薄暗い。そもそも明かりがないのでなんかこう、木組みの隙間から漏れるささやかな日の光をたよりに、なんとか開きっぱなしの地獄の釜にむかって屈む感じ。
そもそもプノンペン自体があまり観光ルートに組み込まれていない。フリープラン!カンボジアとか探すと、アンコール遺跡郡のあるシェムリアップには大抵寄るんですけど、みんなそこからベトナムに抜ける。たまにタイ。プノンペンからのコース、(三年前に調べた限り)イチ。
三年前に調べたときはラヴィプラスという会社がプノンペンシェムリアップセットツアーフリープラン飛行機宿泊送迎のみの素敵プランを出していてくれたんですけど、一年前そういえばあそこベトナムツアーもやってたよなと思って調べたら、会社、潰れてました。(11/24 19時追記 思い立って確認してみたらラヴィプラス、営業していました。一年前の冬に確認した時「営業を中止しました」といったポップアップが公式サイトに出たんですけど、再開したか見間違えかフェイクサイトだったのでしょう。しかし見たところカンボジア方面のツアーは2018年11月時点では取り扱っていないようです。規模を縮小したのかな……)
 
これも三年前つまり2015年頃の話になりますが、シェムリアップからプノンペンまではバスが出ています。シェムリアップのマーケットとかなんか観光客向けの商売をしている中心街的な一角があるんですけど、そこにいけば、ある。バスで国境を越えるルートとかも色々あるようです。我々はチキったので国内線で移動をしました。いま思えばあの路線はスカイスキャナーとか諸々使って個人でも手配できたかなとおもうんですけど、まぁ、それはそれです。
 
 
プノンペン 観光で検索すると何が出てくるかなと言うと記憶によると王宮、屋内市場の次にツールスレンかなと思っていたのですが、いま調べてみたら一番上にS21が出てきました。プノンペン観光の目玉。なお便所は三年前まで汲み取り式でした。いまはどうかは知りません。
S21は、クメール・ルージュカンボジア共産党支配下カンボジア民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。(ウィキペディアより)
S21はプノンペン近郊に設けられた政治犯収容所のひとつであり、現在は地名をとってトゥール・スレンと呼ばれています。
政治犯収容所はカンボジア各地に設けられていましたが、S21のように博物館として整備された例はまれで、その多くはいまはジャングルのなかに埋没しつつあると言われています。
S21もクメールルージュによる支配が終わると人々による破壊に晒され、元は学校施設であったコンクリート建築(S21では収容兼拷問施設として使用)は残っているものの、処刑場として使われた区画は更地となり、博物館のルートとして整備された現在も、雨期になる度に人骨が発見されるそうです。
 
ところでなんですが、プルメリアという花、ご存知の方はいますか?
わたしが身をおいている日本の社会的には、ハワイとか南国を象徴するなんかこうハッピーでラグジュアリー、ゴキゲンなフラワーらしいんですが、わたしがプルメリアの花と名前を関連付けて覚えたのはS21でのことでした。
わたしのプルメリアは、「元は学校としてこの建物が使われていた頃から、中庭にこのプルメリアの木がありました。収容所として使われるようになり、人々の苦悶の声をかきけすために大音量で昼夜問わず国民歌が流される中、ヤシの木の幹、鋭い樹皮で鶏の首を絞めるのですが、それと同じように人々が頸動脈を掻ききられ殺されていくなか、常にこのプルメリアはありました。今もプルメリアは、ツールスレン虐殺犯罪博物館で咲いています。」という日本語の音声ガイドから。
ストゥーパを模した慰霊碑の中に納められた大量の人骨につぐ人骨、ヤシの木、犠牲者の収用写真と絶命写真を壁一面に並べたたくさんの部屋、実際に政治犯とされた人々が収用された、教室を板で区切りってつくった沢山のロッカー程度の細さのスペース。トイレはぼっとん便所でしたが、現代に生きる以上、機会があれば一度見るべきではあるかなと思います。
 
プノンペン市内からS21への行き方を以下に紹介し、サークルとしては撤収しようかなと思います。
まずプノンペン市内の移動方法ですが、基本的に公共交通機関はないです。トゥク↑トゥク↑というバイクが引く人力車みたいなものが基本的な足になりますが、特にプノンペンではトゥクトゥクから観光客の荷物をぶんどって抵抗する観光客を引き摺って走るみたいな強靭なひったくりがいるらしいので、多くのサイトはプノンペンでのトゥクトゥク利用を進めていません。トゥクトゥクがお望みの場所に行ってくれるとも限らないし……(強い観光客の方とかバックパッカーの方は事情が別だと思います。自分のスタイルと身の丈に合った移動手段を用いていきたいですね。)
私たちは個人で車をチャーターしました。なんかこう色々あって現地の人に斡旋してもらった的なアレです。多分現地感覚としてはボられたんでしょうけど二人で20ドルだったかそこら。これでおっちゃんの首が飛ぶといけないので諸々ぼやかして曖昧にしておきます。おっちゃん、オレ、約束、守るからよ……ヘヘッ
 
S21はプノンペン市内から小一時間から一時間ほど離れたところにある。トゥクトゥクだろうが個人車だろうが、「ツールスレン(ミュージアム)」と言えばおおむね通じるので、機会があれば是非。
(ここで周囲から撤収の音と、アフターどこにする?的な楽しげな会話が聞こえ始める。わたしは「後でまた来ます!」と言っていたがついに来なかった人間の顔と、そしてカンボジアの強烈な首筋を焼く日差しと、寂しげな笑顔でドルを要求されながら、渋々がま口を開くときのあの感覚を思いながら、尿意を抱えて撤収作業を始めた。)
 
 
<参考>
人類は思い出すべきである。金の他に価値あるものが確かに存在することを、無償のものなど何も存在し得ないことを。 - メーデーhttp://ra927rita1.hatenablog.jp/entry/2016/07/24/230250

おおセリヌンティウス!セリヌンティウスはいずこ!

 
これは投稿用メールアドレスを用いての投稿テストであり、同時に11/24Tokyo Fesからのライブライティングでもある。ライブライティングと言っても投稿完了する頃には最早ライブではないので、何がなんだかといったところだが。

同人イベントに参加せむとて東京ビックサイトへ降り立つと毎回、嫌な動悸がはじまり手指の震えが止まらなくなる。これは買い逃しへの恐怖であったり、買い逃しをするわけにはいかないという緊張であったり、両隣のサークルスペースで行われる他愛もない会話への恐怖であったり、あらゆるフジョシの存在への憎悪であったり、その他諸々である。指を震わせながら隣の合同サークルの新刊事情の会話が聞こえてくる。怖い。誰かここから助けてくれ。
これまで何回かイベントに参加していて、毎回もはやこれまでと思っている。しかし直近のイベントではわたしには売り子がいた。現実の知人である彼女らに生き恥を晒しながら参加するサークルは救いだった。いま横のサークル同士が「○○さんの新刊タイトルも絵もエッチだし最高!」という話で盛り上がっている。こわい。フジョシらの存在を自らへの威圧として感じるべきではない。理性は「怯えても仕方がない」「怯えるべきではない」とわたしを必死でなだめているが、そういう問題ではない。脳を介さない迫害への恐怖がここにある。
存在を許されていないことへの怯え。しかしそもそもフジョシらからすれば存在を「認知していない」のだから許す許さないの問題ではないし、参加の許可はフジョシの許しではなく参加料の支払いによって下されるものだ。頭ではわかっている。頭ではわかっているのだ。
 
話を戻そう。直近のイベントでわたしは現実の知人(「どうじんし」という言葉を聞いたことがあるレベル)に売り子を頼んだ。救いだった。存在することの恐怖に苛まれるわたしをよそに彼女らは存在し、そこでわたしを個人として認識した上で普段通り会話をしてくれるのだ。救いだ。
海外旅行中一蓮托生となる同伴者との関係性は旅行中にさまざまな色合いを見せるが、それにしたって道に迷って迷いこんだ路地裏、酔っ払ったスコットランド人男性複数がハイヒールを鳴らして歩く女性一人に絡んでいるのを目撃したときだとか、マンチェスター市内から郊外へ向かっていくバスの中、テロの記憶がまだ新しい時分にブルカを着用した男性が乗車してきたとき(明らかに偏見だ)だとか、とにかく誰か、「わたしにそう悪感情を抱いていない」「身元のはっきりした人間」がいることが、もうだめだ誰か助けてくれ嫌だ!!!!!!ここからいますぐ出してくれ!!!!!いやだ!!!!!!!助けてくれ!!!!!!
 
(中断)
 
目当てのものを粗方購入して人心地がついた。未だに指は震えているし、買い物をしていて何度か小銭を取り落とした。開始10分で目当ての新刊がひとつ売り切れていた。取り置きを頼んだことを忘れて普通に購入した。隣接スペースから差し入れを頂いてしまった。顔をあげられないしもちろん返礼の品も用意していない。それを詫びることもできずに俯きつつひたすらに頭を下げている。無…………消え去りたい……
相手に対してわたしの存在が申し訳ないというより、とにもかくにも恐ろしいのである。この恐怖を何に例えればいいのだろうか。こわい…………と思いながら座っていたら、頒布物目当てに来てくださった方からなんか金色チョコの小箱を頂いてしまった。
「えっ!?頂いていいんですか!?ありがとうございます!!」
人間に対する恐怖のあまり縮こまっていた社交や明るさがひょっこりと顔を覗かせ、喜びの声が出た。クソ現金で都合の良い恐怖である。
 
11時が近付くと流石に最低限は買い込んだこともあり、このあたりから段々と落ち着いてくる。存在が恐怖とかなんかもうそんなことよりも椅子があることが有り難い。椅子に座り心を沈めてメール投稿テストのための文章を打ち込んでいる。スマホをしているときだけは心がひどく穏やかで、静かだ………良いじゃないか、オレは静かなのが好きなんだ。
思えば9時頃にはイベント、南米よりも怖いとか言ってましたけど、そうでもないのかもしれない。別に荷物放置してたら丸々なくなるとか、ないし。
わたしが南米大陸に上陸したのは、三月のことだ。ヒューストン経由でペルーはリマ、ホルヘチャベス空港に降り立った。
搭乗前は南米の飛行機事故の記述について調べ、ウィキペディアの記事などを見、万一アマゾン地帯に不時着ないし墜落して残念ながら意識を保ってしまっている場合は、川を探す。川の流れに沿って進む……といったシミュレーションを続けていた。ちなみにホルヘチャベス空港のネーミングの由来となったホルヘ・チャベスというのは、航空黎明期に活動したフランス出身(ペルー系フランス人)のパイロット。アルプス越えの飛行に挑戦し、着陸寸前に墜落し事故死した。(Wikipediaより)
……いや、素晴らしい人なのはわかるんですけど、いや…………墜落……………いやいや……………
 
我々がホルヘチャベス空港に降り立ったのは深夜だった。到着ゲートから売店があったような記憶はあまりない。荷物受け取りゲートに入ると、どこも同じような景色で荷物がコンベアーに乗ってゴロゴロしている。そこをトランクをもってうろついていると、荷物の取り間違えか荷物泥棒が頻発しているのか、頻繁に搭乗券の半券の提示を求められる。半券の番号と荷物の番号の照合を終えると、時に半券を返され、時に持っていかれてしまう。しかし半券を持っていかれた後も別の警備員?によって半券の提示を求められる。「他の奴に持っていかれた」と言うと、「じゃあパスポート見せろ」と言われる。パスポートを提示して名前を確認される。「日本のパスポートって赤じゃないの?」警備員はにやにやしている。なんだ。コミュニケーションのつもりか?
 
荷物受け取りホールから自動ドアを潜るとタクシーの客引きブース(同人イベントの企業ブース、あるいは屋台みたいな感じだ)があり、「Taxi!!」「Taxi!!」「Taxi!!」と心なしか野太い掛け声の少女時代を越えると出口に出る。出口には沢山の出待ちが降り、ここでも野太い少女時代がライブを強行している。
ネットで調べていたときに「リマに夜間着、朝まで空港内で粘れるか」といった質問を見たが、わたしの記憶からすると「人による」ところだとおもう。後日我々一行は朝から夜までホルヘチャベス空港内で粘ることになるが、朝から夜までであれば二階フードコートが開いている(ちなみに到着ロビーから荷物受け取り口は推定一階だ)。しかし深夜になるとたぶんあそこは閉まるので、うーん、使えないんじゃないかな。知らんけど。
ちなみに、流石に南米大陸の玄関口らしいこともあってか、ホルヘチャベス空港はよく清掃されている。後日わたしはひどい食あたりを起こし空港の床に座り込むが、場所を選べば痰唾が落ちていることもなくおおむねクリーンであった。(ここでスペース前に立ち止まった人間二人がぼそぼそと何か二人ごとを喋りながら弊お品書きを見ている。なんか文句あるのかと言わんばかりにわたしは顔をあげた。)
 
また、空港内には空港公認の少女時代(タクシードライバー)とその辺の野良の少女時代(タクシードライバー)がおり、野良の少女時代はほぼその辺のおっちゃんが道で売ってる(売っている)少女時代(TAXIの看板)を車の上に乗せて走っていればまだ良い方(これを白タクと言う。ただの中古自家用車で走る野良少女時代もいる)だ。当然治安はよろしくないので多少ライブ代は張るが空港公認の少女時代(タクシー会社としては三社ある)に頼んだ方がいい。
我々一行は「女」「アジア人」「よわそう」のアバターを脱ぎ捨てることができないのでホテルの送迎を頼んだ。一番値は張るが、ホテルとしてもこちらもかなりの金づるになるため、一番丁重に扱ってもらえると(わたしは)思う。
 
ホテルで送迎を頼むと大抵の場合(少なくともわたし)は、空港の荷物受け取りホールから出たところ、野良少女時代のライブ会場で待ち合わせになる。相手は予約代表者(わたしだ)の名前を書いたパネルを持って立っている。
あちらからしても太客であることは確かなので、バックレて置き去りにされるということはたぶんあまりないと思うがわたしはそれを恐れながら現地携帯を握りしめていた。万一のときさ緊急連絡先に連絡するためだ。
そして推定ドライバーと落ち合ったわたしは、片言の英語で片言の英語話者であるドライバーに伝わるよう必死に懇願した。
「プリーズ、ウェイトヒィア。マイフレンド、ラゲージ、ディライナウ」
 
「南米 旅行 荷物」で検索するとたぶん必ず「出てこない」がサジェストされると思う。我々はそれを恐れていたが案の定そして初手で起こった。戦々恐々とする同行者は「わたしのことはいい、兎に角アンタは到着ロビーに出て、ホテルの送迎に事情を説明して!」彼女は現地での通話手段を持っていない。ホルヘチャベス空港には空港フリーWi-Fiはあるが、通信具合は東京メトロフリーWi-Fiと同格、これが仏の垂らした蜘蛛の糸だったかしら?と錯覚する具合である。
再びの合流は叶うのだろうか、不安を胸にカンダタは走った。後方に置いたこの場唯一のわたしの友を思いながら走った。嘘だ。走ってはいない。トランクを引き摺って歩いた。わたしの荷物は幸運にもいちばんの「ば」の辺りに出てきた。
少女時代を越えてホテルからやってきたドライバーと落ち合ったわたしは、ほうほうの体でどうか放り出さないでくれと懇願し、ホテルドライバーは「ふーん」といった感じでわかったんだかわからないんだか知らないが兎に角了承し、わたしと共に立ちんぼに徹し小一時間ほど待たされた。彼の反応からしてたぶん荷物によってまたされるのはそんなに珍しいことじゃない。あと荷物がなくなることもそんなに珍しいことじゃない。
彼女を待つ間、カンダタはドライバーと会話を試みた。なんとか覚えた自己紹介をスペイン語で披露したときだけ反応がよかったが、それ以外はほぼ無表情無言立ちんぼとなっていた。オラ!コモセヤマ………~完~
 
以下はロストバゲージの危機に瀕した同行者の談だ。
 
我々には幸運にも強い味方がいた。というのも、出発地成田から同乗していたイケメンと彼女が面を通しラインを交換していたのだ。イケメンはペルーに親戚がいるらしく、そこに滞在するためはじめてひとりで飛行機に乗ったらしい。
彼女は荷物の流れるベルトコンベアの狭間にあるサービスカウンター?というにはあまりにお粗末な教卓めいたデスクとそこにたつ係員に、日本語とスペイン語がほぼネイティブのイケメンの仲介により「荷物が出てこない」「出てきたらホテルに連絡をしてほしい」「ホテルのアドレスはここである」との旨を伝えたらしい。
もしスペイン語ネイティブのイケメンがいなかったら、蜘蛛の糸は途切れていたことだろう。彼女の荷物は幸運にも二日後に発見され、ホテルに送られてきた。
 
というわけで、今回の記事の要点は以下の通りです。
・同人イベントサークル参加がこわい。
・フジョシに何か悪いこと言われてるわけでもないけど買いのがしのプレッシャーや自分がここに存在してしまっている恐怖にうち震えている。もうこれは仕方ないのだ。
・ペルーはリマ、ホルヘチャベス空港が夜間滞在に向くかは正直人による。(なお、空港の周りは討伐クエスト★五つレベルの危険地帯らしい)
・行き道でバゲージが失われたときは「荷物が出てこない旨」「出てきたらここに連絡先してほしい旨」を伝え、ホテルの連絡先を係員に渡す。
 
なお、後日ナスカへのツアーで一緒になった大学生グループはついに荷物が出てこず、洋服一式を購入したらしい。
わたしは幸運にも南米で預け入れ荷物が失われる経験はしなかった(預け入れ回数は8回)が、まぁ「普通に出てきたらラッキー!」くらいの気持ちでいた方が万一のとき楽なんじゃないかなと思います。南米二人参加、イベント単身参加からは以上です。

「世界」の価値

「限界のその先の力を使うのはキツい。だから、力をくれ… 手嶋さん!! 青八木さん!! 鏑木!! 小野田!! そして…鳴子!!」

 

「ジャージを背負ってここを走らせてもらってることに感謝してる だから競り勝つ!! 相手が誰であっても!! それがエースの価値だ!!」

 

――渡辺航弱虫ペダル』(509話)より

 

 


この度北海道における大きな地震にて被災された方、および台風23号で被災された方におかれましては、心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い再建をお祈り致します。
なお、この記事については、週刊少年チャンピオンにて連載中の漫画『弱虫ペダル』509話「エースの価値」について大荒れした挙句、意識されているか否かに問わず否応なく作者の倫理によって定義される漫画世界において存在するやもしれぬ倫理規定を呪い、世界の崩壊を希求する気持ちを抑えるために最適な、絶望的な感情に捕らわれた人間の気を紛らわせるパワー系パニック映画を紹介するだけの記事ですので、読まない方がいいです。

 

 

「エースの価値」を知った後のやり場のない感情を処理する為に四時間使っている。

とりあえず「レース自体が終わっていない」時点であの煽り文を付けた編集サイドの人間を極刑にして下さい。アレが侮辱でなくて何が侮辱なんですか、この世界に神はいないんですか?

 

週刊少年チャンピオンにて連載中の漫画『弱虫ペダル』において描かれるキャラクターたち個別の努力については、何も言うことがありません。あの漫画に描写されている時点で、努力していない存在、故に驕ったものというものはない。皆一様に真摯なんです。それだけは確か。

 

であればこそ、なんだアレは。

 

「勝利すべきキャラクターは居らず、ただ勝敗だけが存在する世界線」であれば、こうも読後感を処理する為に時間を費やすことはないだろう。

箱根インハイを描いていた頃の弱虫ペダルというのはそうであったと、少なくとも私は思おう。

私が弱虫ペダルという世界における「繰り返し」を知らない一年目の段階で起こる数々の事象は、まぁそういうこともあるな、凄い、こういうこともあるのかと、一重に感動の眼差しで見ていた。

 

オイ聞いてるか二年目の三日目におけるインターハイ展開、テメーだよ。

 

立ちはだかる危機、追い詰められるも「同じチームの仲間との間に築いた絆」を糧に立ち上がる総北メンバー、そして勝利。

一年目で描かれたそれにはまぁそういうこともあるかと納得した、それを、二年連続で繰り返されると、「作者による結論である」という納得によって蓋をされ得ない、ある感情、そして疑念が沸き起こる。

なに、この既定路線じみたそれは……と私は宙を仰ぎ、そしてこの漫画における世界観を疑い始める。


箱根インハイにおける心臓がポンプする山岳賞、各日程最終ゴールで繰り返し描かれてきた「ロードレースの世界において速度こそ全てであり、努力を出し切った以上それ以外の何物も介在し得ない」という価値観。

それを提起しつつも一年目の焼き直しを思わせる二年目の展開に私が透かして見たものというのは、「仲間同士協力することこそ正しい」すなわち「勝利」であり、「正しくない価値観は勝利しない」世界観なのではないかという疑いだ。

作者の意識の上にその意図がなかろうと、見たいものを見て見たくないものを見ないという制御は人間だれしも無意識に行うものだ。

 

前者(「ロードレースの世界において速度こそ全てであり、努力を出し切った以上それ以外の何物も介在し得ない」という価値観)のもと行われる展開が、二年目IH三日目のレースであるのならば十分に納得できただろう。

そこに存在するのはただ「勝敗のみ」であり、可能性は無限に広がっている。

 

しかし後者であれば、

仲間と協力し、仲間のことを思い、皆で連帯し揃ってジャージを届けるという「正しい価値観」に与えられるものが「最終的な、最も大きな勝利」といういわば「正しさ」の証明であり、そうでないものに正しさたる「最大の勝利」は決して付与されることがない、可能性すらを否定する規定の元に存在する世界観であるとすると?

 

極論言ってしまえば話の筋なんてもんは作者の勝手の領分でありそれを元手に云々する不平不満ばかりの「読者」という存在を介在させるべきではないと常々私は思いますが、その世界観の元にある世界に、私は何ら尊厳や価値を感じない。

 

という訳で今日も今日とて大荒れですが、ここで最近見た(ポスト)アポカリプス映画を紹介して気を静めたいと思います。

 

近々本業たる学生の領分にてビックイベント・公開処刑(ゴミを元手にした学外発表)を控えているため生存にも気がそぞろ、関係領域の記事を見るにつけ公開処刑時の弁明に使う資料もといゴミのゴミぶりが明らかになり、悲鳴を上げ頭を抱えながらネットフリックスで映画を見る日々を最近始めました、現状それなりに続いています。純度1000000%の現実逃避。

 

ここで今回紹介する(ポスト)アポカリプス映画について以下の通り定義したいと思います。

①大規模なパニックを扱う(パニック映画)
②開始時点で既に文明が壊滅している(ポストアポカリプス映画)
③劇中以降で収拾のつかない事態を予測させる

このいずれかを満たす映画作品を「(ポスト)アポカリプス映画」として、この記事での定義としたいと思います。

 

なお、映画紹介を行う人間についてですが、映画鑑賞については旅行同様まったくの素人、趣味と言って憚らない程精通している(またはしようとしている)意識は無く、水を片手に「ただ気さえ紛れれば何であろうと全く問題ない」という認識のもと現実逃避に映画鑑賞を行っている身なので、諸々ご容赦頂ければと思います。

 

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現実逃避に供されるゾンビ映画がやたら多いのではないかと思われるかもしれませんが、バイオハザード攻略本によって児童期における識字訓練と情操教育を済ませた人間は、ゾンビ映画を見ると親と誤認して見てしまう習性があるのです。

なお、蛇足ですが特に私の情緒育成に影響した攻略本は『バイオハザード』『バイオハザード アウトブレイク』『バイオハザード CODE:Veronica』の三冊でした。ヨーコの設定と零下のシナリオに過載されたロマンと夢は、私の青春時代に甚大な影響をもたらしたものでした。そして何より、あらゆる設定を盛ろうと結局最後、各位助からないエンドがある群像劇は至高。感染による味方の変貌もゾンビ映画の見どころであるところだなぁと感じます(この辺りの性癖はSIRENにおけるパロディを行う際の既存のキャラクターの屍人化に対する躊躇いの無さに続いている気がします)。

最後に、スティーブ・バーンサイドが再登場したら連絡下さい。

 

以下で各映画の簡単な紹介とネットフリックスにおける視聴の可否を記載していきますので、各位宜しければ参考にして下さい。いや、参考にしなくたっていい、ただ気がまぎれさえすればなんだって良いんだ。

 

AKIRA (1988) ネットフリックスで見れる!
1988年東京に新型爆弾が落とされ勃発した第三次世界大戦後の世界、暴走族のリーダーである金田は立ち入り禁止区域にて別件にて逃走中の小男を避け事故を起こした結果、軍に身柄を拘束された仲間の鉄雄を探しに行くが……
攻殻機動隊とか旧劇場版エヴァンゲリヲンの質感やあの時代の空気に強い性癖を感じる人間にオススメ。持っていかれる。

ただこちらの作品、舞台設定が「東京オリンピック」を控えた「2019年」の世界なので、平成末年(推定)に鑑賞するのもエモいんですが、2019年まで寝かせておくのも悪くない案かと思います。

 

インドオブザデッド(2013) ネットフリックスで見れる!
失恋した男と失職した男が二人の友人の男の出張にかこつけゴアに向かう!(原題Go Goa Gone) 失恋した男は向かった先のゴアで出会った美女に「離島でロシアンマフィアが開催するパーティーがある」と誘われるがままに離島に乗り込み、朝を迎えると……
開始十分で「月曜日は嫌だ」という内容の歌が流れるので最高。所々の台詞回しが非常にツイッター映えする内容でありツイッターで映画の画面キャプチャが流れて来たこともありましたね。内容としては私は所々中だるみするかなという感じなんですが全体的には面白かった。視聴後インターネットで他人の感想を見た所色々な事実が判明したので、映画が好きで色々知識がある人が見るとより面白い作品だと思う。知識がなくても楽しめるので是非。ババジキブッディー(ゾンビ走りません)

 

クローバーフィールド/HAKAISHA(2008) ネットフリックスで見れる!
主人公がマンハッタンの自宅?で昇進転勤パーティーをしているその時!マンハッタンに巨大怪獣が現れる!!
都市を謎の超巨大生物がパワーで破壊していく様を見たい人におすすめ、突如現れた災厄になすすべもない一般人が何とか生存目指して生きて行こうとする様に感動を覚えるタイプの情緒を持つ人間には百点満点の結末。『バイオハザード アウトブレイク』とかAA作品バイオモナードの民間人視点のストーリーとか好きだった人間にはハチャメチャに刺さる。

 

クローバーフィールド パラドックス(2018) ネットフリックスで見れる!
世界的なエネルギー不足のなか、打開策として期待される宇宙船における実験中に事故が起き……
クトゥルフ神話TRPG「火星より」を見ている最中に思い出したのはさて置き、21世紀の人間の新たな定番恐怖即死ステージは宇宙で決まり! ほら、真空だし……逃げられないじゃん……?(いや、前世紀から宇宙船パニックはまま存在していたのでは……?)

メインカメラは宇宙に据えられていますが、この映画世界における地球も地球で無事ではないので前作が好きな人も安心して見られます。一緒にエンディングロールに向かってなんだそれはとキレながら呆然としよう!

 

ジオストーム(2017) ネットフリックスで見られない
南米から帰国する時に視聴した映画、予告編の「彼氏も凍った……」が好きだったんですが、本編も期待通りの暴れぶり、世界中が衛星由来の異常気象でどったんばったんしている様はお金がかかってる感じがして中々面白かったです。エンディングは嫌い。

 

スウィングオブ・ザ・デッド(2012) ネットフリックスで見れる!
原題「BATTERY」、ゾンビパニックにより荒廃した世界で拠点を転々としつつ生き抜く元野球チームの中継ぎ投手と正捕手コンビだったが……。
ポストアポカリプス後の世界で淡々と生きる人間のロードムービー。是非全国のフジョシにはこの映画における設定をパロディした男同士の生き残り物語を語り聞かせてほしいんですけど、バトロワパロ以上に救いがゼロなのでそのつもりで見るといいと思います。暫く見たくない。(ゾンビ走りません)
※鑑賞後映画がトラウマになりそうだったので私は間髪入れず『インドオブザデッド』、一日置いてから『アタックオブザキラードーナツ』を鑑賞し、そこから『クローバーフィールド パラドックス』の資金のかかった美しい宇宙映像を見てようやく心が立ち直りました。ご参考までに。

 

ゾンビ・サファリパーク(2015)ネットフリックスで見れる!
ゾンビパニック収束後の世界、ゾンビパニックによるトラウマを残す主人公は克服の為、僅かに残ったゾンビを孤島に収容し、「狩猟」を楽しむリゾート施設に向かうが、案の定ジュラシックパーク現象が発生してしまう。
原題「RESORT」、クソふざけた邦題からは想像できない程設定が練られているのでわりと面白かったです。ラストシーンのゾンビ大脱走は必見。(ゾンビ走ります)

 

ドーンオブザデッド(2004) ネットフリックスで見れる!
突如発生したゾンビパニック、生存者たちはショッピングモールに立てこもる。
圧倒的なゾンビパワーを前に追い詰められていく生存者たちの一時の享楽的な生活が美しく描かれ高得点。行き詰まった状況における生存者たちの仲間割れが適度に状況の絶望にスパイスを加えていく様が芸術的です。ネットフリックスでは見られないんですが特典映像もゾンビパニックで人間生活がいかに変容していくかが生々しく描写されていて私はとても好きな作品です。ゾンビ走ります。

 

ワールド・ウォーZ(2013) ネットフリックスで見れる!
突如発生したゾンビパニック、主人公のジェリー(元国連)は家族を連れ混沌とする街を脱出、収容された海軍軍艦に愛する妻と子供を匿って貰うことを条件に、ゾンビパニックの発生源を探るべく、世界を股に掛ける!
主人公が強すぎて正直感じない。ゾンビよりアメリカにおけるヒスパニック系の移民家族描写やイェルサレム分離壁のことがめちゃめちゃ印象に残ったんですが、金がかかってるだけあって色々壮大な景色や突飛な映像を見られるのは良かった。「主人公がクソ強い」ということを念頭に置くと、そういうものとして楽しめるかもしれません。ゾンビ走ります。


今回の表には掲載しませんでしたが「デイライツ・エンド」(2016)というゾンビによるポストアポカリプス映画という分類に入りつつ実の所生存者たちの冗長な会話を執拗な顔のアップで演出するある意味SAN値が減る映画もあったのですが、8月31日をもってネットフリックスから消えたので、ここでの紹介は差し控えました。

TSUTAYAなどでもし見かけたら是非借りて見て下さい。ある意味色々なことを忘れられるかもしれません。

 

 

気が紛れきらなかったので話が冒頭に戻ってしまうのですが、しかし、作中における勝敗を始めとする事象について作者の倫理だとか云々に理由を求めると本当に救いようがないので、無理やりにでも作中に理由を求めた方が救いがあるなと私は荒れ始めて五時間でようやくその境地に至りました。

勝利によって自己肯定を得ていた御堂筋くんが、大いなる目的の為であれば目先の勝敗について拘らない、身体を保全するという方向に目が向いたのであれば、それはそれで一つの成長として考えることは可能なのではないか。

しかしいずれにせよ、そのように思わなくもないんですが、どうしたって描写が少ないので、こちらの都合がいいように考える他無い上、これから先の展開や、その「友情パワー」、そしてさらに二年目である以上これから先の物語において「御堂筋くん」という存在がどのように描写されるかにもよって荒れ方が変わるんですね。

その世界観において正しくない存在には勝利を付与しないという倫理規定が存在する可能性がある以上、これから先「御堂筋くん」という当初のキャラクター、いわば人格を一種の洗脳、もとい「浄化」、或いは「回心」のように扱われることがあるのではないか、原作がそうである以上、それ以外の「可能性」は存在しないと規定されることさえもあり得るのではないか。

それならもういっそ早く言ってくれ。「正しさ」の証明は最終的な、圧倒的勝利であって、作品世界において「正しくない」と判断されるものに「正しさ」の証明たる圧倒的勝利は存在しないと、

 

しかし、もしも実際に、作中世界において最強の第六元素は友誼であり、皆でジャージを届けるという団結が「正しい(勝者)」ものであって、そうでないものは「正しくない(敗者)」と倫理規定がされているのであれば、それはそれで一つの結論だとは思います。

その規定の外側にあるのが創作であり、考えることはどうしたって自由なのですし。

 

追記

書ききってからツイッターを見て改めて「決着がついたわけではないな」と極めて冷静になったので、七時間も苦しんでいないで広い視野を持って建設的なことをすべきだったなと思いました(不毛な反省)

 

追記(2)

 

しかし、もしも実際に、作中世界において最強の第六元素は友誼であり、皆でジャージを届けるという団結が「正しい(勝者)」ものであって、そうでないものは「正しくない(敗者)」と倫理規定がされているのであれば、それはそれで一つの結論だとは思います。(上述)

 

あれから一週間経って次なる作者のプロットをそれぞれの情報筋から伝聞致しましたが、どうやらこの記事で大荒れした案件がよっぽど真実味があるような気がしてきて……?

インターハイとかいう些細な勝敗より体が大事という判断であることがわかれば余程納得できるので、得てして作中でそのような詳細説明はないと思いますがせめてそのようであってくれと願っています。

その上で、一年目を読んだ時点でわたしが危惧していた、「彼、三年目のインターハイなんか出走したら死ぬまで走り続けるのでは……?」という懸念は少なからず放逐されたかなと思いました。

 

しかし何なんでしょうね現時点の友情ぱわわの大勝利プロット

 

滅びよ。

いま(下痢で)負けそうで泣きそうで消えてしまいそうなぼくは市販薬を信じるべきではない。救いは処方箋にのみ求めるべきである。

 

実はこのブログ、いわくつきである。

日頃私は健康な生活を送っている、というより、頑健にかまけ不健康な暮らしを送りつつ、怠惰ながら健康を享受しているのだが、年に一度あるかないか程度の確率で大きく体調を崩すことがある。

その直前に、不思議とブログを更新していることが多いのだ。

ブログは体調不良の始まりなのか、体調不良の兆しが私に回顧録に走らせるのか、卵が先か鶏が先かは定かではない。

 

しかし確かにそういえば、カンボジア回顧録を血涙を流しながら夜明けまで書き上げた時は、その後見事発熱し一週間寝込んだ。そして先のイギリス留学の回顧録から間を置かず、二周年記事を書き上げた翌日にも見事発熱し、その余波はファーストインパクト(発熱)から一週間たちつつある今日まで続いている。

 

一般に、多くの人々の通院の決め手というのは熱の有無だろう、下痢や腹痛程度では通院を様子見する人間は多い。

しかし、これはあくまで、骨格から健康優良児、持病無し、花粉症を含むアレルギー症状今の所なし、エアコンとカロリーを目当てに献血ルームに入れば忽ち400ml血を抜かれ、けんけつちゃんの耳へと吸い取られる者の主観によるが、腸による反乱が発生してしまった腹痛と下痢を抱える人体というのは、存在しているだけで尋常ではない体力を消費する。

 

確かに、熱は危ない。かのサカリョも近江屋事件の折、のうがやられてはあかんと言ったとか言わないとか聞いたことがあるし、頭は大事なんでしょう。

ちなみに、私の幕末日本イメージは銀魂(~吉原炎上編)とFate/Grand Orderの期間限定イベント・「ぐだぐだ明治維新」および「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」によって構成されている。

ここまで思って気付いたんですけど、およそ史実はないですね? 特に後者の後者の方の例示、オープニングにバッチリ書いてありますが舞台は「1945」、幕末要素はキャラクターだけです。

それにしても、旅行で伏見とか何回か行ってるので、少なからず複数回、それ関係の展示とか酒蔵で見てると思うんですけど、体系的知識が全く頭の中に入っていない。興味関心ゼロかよ。ゼロなんでしょう。

ついでに私あの辺の時代についてあんまり教育を受けた覚えがないのもあって、時系列による体系的知識は勿論、偉人の名前とかその辺の基礎知識もちょっと怪しい所がある。しかし興味がないから忘れた可能性も無きにしも非ずなんですよね。卵が先か鶏が先か(二度目)。

 

それはさて置き、特に発熱慣れしていない人間が突如発熱をすると、突拍子も無い行動に出るのは確かだ。

カンボジア回顧録をしたためた日の夜、激しい悪寒に目を覚ました私がまず取った行動は、しまう場所を決めきれず床の上に乱雑に詰み上がった荷物*1の只中に埋もれていた御朱印帳を取り出し、部屋の一番高い棚の上に置いて必死に拝んだ。

ちなみに、平時の私は日頃観光でもなければ神社に通う習慣はなく、神社の御守り等はデザイン重視の購入である。

ブログ開設二年目に関する記事を書き上げた翌日の夜、激しい悪寒に目を覚ました私は、何故か真っ先に「熱中症」の症状を疑った。なお、発熱している人間の行動に論理性を求めてはいけない。

そして、内部でゲル状の「うずき」や「痛み」がチャプチャプしているような状態の頭蓋骨を抱えながら洗面所へ向かうと、水道に口をつけ水道水をガブ飲みした。

 

どこで拾って来たのか定かではない信心を突如として発揮し御朱印帳に手を合わせる私も、頭痛を抱えながら真剣に水道水をゴクゴク飲む私も、「発熱」という現象に一切思い至らず、「解熱剤」や「頭痛薬」、「冷えピタ」といった文明の利器のことなど、歯牙にもかけなかった。

特に前者の一心不乱に御朱印帳に手を合わせ発熱に思い至らない行動、我ながらなんか時代錯誤感あって頭おかしいですね。いつの時代からタイムスリップしてきたの?

 

さて、先のブログ二年目に関する記事を更新した折の発熱は、試験十割の講義の試験を控えたその日に発熱したカンボジア回顧録の時のものと違い、一日で下がった。残ったのは腹の鈍痛と下痢である。

当初私は、その腹痛と下痢を舐めていた。「それがどうした」と。こちとら食あたり高山病下痢頭痛酸欠コンボの記録保持者であると。諸々あるにしても少なからず「清潔さ」においてはまごうこと無き先進国であるこの日本国で消毒された食品に、南米に耐えたこの腸のリズムを乱せるものか、恥を知れ恥を(誰に向かった言葉だこれは、お前が恥を知れ)。

日頃多少頑丈な奴って、こういう所があるので嫌ですよね、あとお前は南米のことを引き合いに出し過ぎ。確かに地球の裏側で通用した事実って、なんだか妙な自信につながりますけどね、過去の話なので控えて下さい。

そして頑丈な皆さん、発熱後には気を付けて、御身を労わって下さい。とにかく発熱時絶食状態だった所に、いきなりただの米を掻っ込むのはNG。熱が下がれば飯さえ食えばあとは寝て回復するだろうなんて愚かな考えは捨てましょう。それで治る(治る?)のはティーンまで。後は下痢をして消化器の違和感からの食欲不振(食べたいけど食べたくない)コンボの苦しみを喰らうだけです。

 

そう、皆さん通院のバロメーターとして「熱」を何かと重視なさると思いますし、熱が下がればああ落ち着いたと一安心、通勤通学も可能かなって感じになると思うのですが、熱が下がってからも対応も肝心です。何なら熱よりも更なる苦しみが生まれます。

この更なる苦しみというのが、先程から連発している腹痛と下痢であることは言うまでもないでしょう。

 

腹痛と下痢を併発した人間は、息をするだけで疲弊する。

消化器の違和感と膨張した感覚、しかし腹痛、下痢の度にトイレに立つと腹部に鈍痛が走る。しかし、それでも、熱が下がっていると一番苦しいのは、「空腹」だ。

耐えがたい空腹。高山病でも味わったあの感覚である。食べたい。何かを食べたい。しかし食べられないのだ。食べた所でそれは腹痛の元になり、果ては下痢の材料になる。食べた所で辛い、食べずとも辛い。熱は下がっており確かに快方に向かっているんでしょう、だからこそ発熱時のように意識を失うことも出来ず、睡眠不足が重なる。人間体調不良になると眠れなくなるんですね? なんですかこのバグ、たまげたなぁ。

 

愚かなことに成人する程度に人生を積んだにも関わらず、「腹痛と下痢だけならまぁ外出も出来ましょう」と思っていた私は、解熱して二日後にちょっと野暮用があって出かけたんですけど、昼食ついでに正露丸を飲みながら、「別に腹は痛くないし漏らしそうってこともないけど、いったいなんだろうこの脂汗は」と、どこからともなく垂れてくる嫌な感じにべたつくその汗を、心底不思議に思っていました。

それはまごうことなき「火事場の馬鹿力」だったと、自宅に戻ってから叫び出す程ではない、しかし無言で耐えられるほどのものでもない、地味な腹痛にもんどりうち、無意味にウ゛~(CV:野中藍大塚明夫)と唸りながら、あの「不思議な脂汗」を思い出し、私は後悔していた。

海外や屋外であれば耐えられるというのは「火事場の馬鹿力」でしかなく、普通それは、殊に日頃健康体を享受し不健康に慣れていないユーザーには、耐えがたい苦痛なのだ。

海外や屋外で倒れてしまうというのは、もう本当に本当の異常事態であって、だからこそ救急車も出動するのである。

 

あと、先程もちょっと触れたんですが、唐突に不健康になると人間、何故か眠れなくなるようです。なんでかは知らないんですけど、まとまった時間眠れなくなる。二時間置きに目を覚ます。発熱している間は気絶が出来るので良いんですけど、熱が下がって腹の痛みに耐えながら眠ろうとしても、気絶が出来ないのでどうしようもない。

これはもうやっていられないと、処方箋を貰うために腹痛(二日目)を抱え決死の想いで外出し、初診料を支払っても、飲んだ処方箋に決して即効性がある訳ではない。しかし頑丈を自負する身体は、以前インフルエンザを罹患するも薬を飲みひと眠りした結果、半日でインフルエンザから体の主導権を奪い返した記憶のまま思い込みで動くので、本当によくないんですね。

 

そしてさらに時間が経過し、熱が下がって処方箋を貰って、それでもなんでこの気怠さが抜けないんだろうと心底不思議に思いながら、ツイッターで見たチョコラBB紹介画像を見てチョコラBBハイパーを購入、ラベルには小さな文字で次の記載

 

「以下の症状がある方は服用を避けて下さい:下痢」

 

Ηλι ηλι λεμα σαβαχθανι.――『マルコによる福音書』15章34節より。

(空を仰ぎながら、心もとない腸よりか細く呟く声はさながら磔刑に処されるキリストのような)

 

不注意から結局410円払ってしまったので仕方なく液状便の悪夢にうなされながら一滴ずつという調子で舌の上に乗せていたら、幸いにも液状便から霧状便にグレードアップすることなく、チョコラBBハイパーをドーピングしたその日の日没辺りから身体の主導権が不調から我が手に戻って来た感じになりました。ありがとうエーザイ、ありがとう処方箋。

 

 

そして以下では、今後発熱・腹痛・下痢の三コンボを再びたたき出してしまったときの為に、発熱慣れしていないにも関わらず発熱した脳でもわかりやすく理解できるよう、私の為の簡単な対応策を備忘していきたいと思います。

ついでに食あたり下痢コンボについての備忘もしたいと思いますが、全て私の経験を基準に書かれているので正直私ではない人に向けては参考にはならないと思います。

皆さんは皆さんで各自対症チャートを作成していって頂くのが一番いいかなと思う次第です。

 

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拝啓 未来の私へ

 

このエントリーのこの部分を読んでいるということは、どこで何をしているのかはともかく、あなたは短期的に、全く幸せではない体調不良に見舞われているということでしょう。

以下にこれまで見舞われた症状とその対策をまとめますので、是非参考にしてください。

 

・悪寒で目が覚めた!どうしよう あとなんか頭も痛いかもしれない。

→十中八九「発熱」をしています。「体温計」と「冷えピタ」を持ってきてください。なお、わたしの住居が今後の発熱時も変わっていない場合、体温計の電池は昨日(2018年8月22日)切れ、2018年8月23日現在取り替えず放置していることをここにお詫びします。

 

・熱は下がったけど眠れない!つらい

→不健康な状態だと眠るのも難しいみたいです。私も今回初めて体感しました。諦めて頑張って下さい。

 

・熱が下がったしお腹が減った、ごはんが食べたい。

→駄目です。発熱に伴う絶食により、あなたの消化器はなんだかつらい状態にあると思って下さい。お粥がウィダーインゼリーにしましょう。何なら一日くらい絶食した方がいいかもしれません。なお「脂っこいもの」「柑橘類」を取るとその後の腹痛下痢コンボを誘発するのでいけません。多分今回の私は熱冷め早々にバリバリ柑橘類を取ったのが決定的な悪手だったんだと思います。私の失敗を生かして下さい。

 

・お腹が痛いけどお腹が減った、ごはんが食べたい。

→そういえば高山病の時はチョコレートを食べましたけど、多分消化にあんまり良くないんじゃないかなと思います。チョコレートを溶かして食べたいなぁと思ったら、消化にいいかどうか取り敢えず調べてみて下さい。とにかく、消化にいいものを選んで食べて下さい。あと食欲があるうちに病院行って下さい。薬を飲むのが辛くなるので。

 

・下痢

→明らかに体調不良と分かる時に正露丸とストッパで対処しようとするのは現状維持の一手でしかないのでやめてください。

あとあなた食あたりの時も下痢止めでなんとかしようとしましたね? それで発熱に至ったことを思い出し、ストッパを過信するのを止めて下さい。

下痢の場合ケースによって出すか止めるかが分かれます。

 

(1)何か食べた心当たりがある 或いは ペルーで何か食べた

この場合は出した方がいいです。以前食あたりで発熱まで行ったときは、同行者が持っていた強烈な下剤で事なきを得ましたね? なんかあんな感じの薬を探して飲みましょう。そこがペルーでないのなら、病院に行って処方箋を出して貰うのが一番いいです。

 

(2)特に心当たりがない

この場合は私もよくわかりません。熱が冷めた翌日にめちゃめちゃ飯食ったか、感染性胃腸炎かもしれないとなんか医者は言ってました。とりあえず医者に行って処方箋を貰って下さい。突如腹痛だけが降って来るケースは兎も角、元より体調不良がある場合、静観しても、事態が良くなったことはあまりないです。

 

・熱が下がって処方箋を貰ったのに、身体がだるい

→栄養ドリンクを一滴ずつ飲んでください。アクエリアスポカリスエットに溶かしても良いと思います。なお栄養ドリンクを購入する前に、「下痢でも飲んでいいかどうか」を主眼にチェックして下さい。今回は結果的に別に飲んでも良かったみたいなんですけど、まぁ確認したところで罰は当たらないでしょう。

 

《番外編》

・爪先を出すスリッパを履きながら歩いていたらホテルの段差に激突、ボリビアのクソ田舎で爪を割ってしまった! いたい。

→まずネットで「爪 割れた」で検索するのを止めましょう。どのサイトも「清潔な布でくるんで病院に」と締めくくるので、ボリビアのド田舎、ウユニ塩湖の畔にいる我が身を顧みて腹が立ちます。次に飲み水、ミネラルウォーターですすいで下さい。水道水につかるとか、それが嫌だから洗わないとかよりマシです。最後にマスキングテープで補綴して下さい。帰国までその状態を維持したまま、シャワーに入る時は当該部位にホテルのアメニティで着いてるシャンプーハットとかを巻いて水に触れないようにしましょう。なお、バンドエイドは爪がテープに貼り付いて痛いらしいので、それを使うときは程々に覚悟をした方がいいです。

 

 

敬具

*1:整理整頓が行動様式に入っていない人間の生活空間にはしばしば「しまう場所を見つけられずとりあえず目につくところに置いた荷物」による小規模から中規模の塚が発生する。

二年

 

このブログを開設して最初のエントリー「旅行とは何か」が投稿されたのが、2016年7月16日。

件名「「メーデー!」を解説して一年が経ちました」という推定お祝いメールがはてなブログから届いたのが、2017年7月13日。

これらの日付から推定すると、恐らくこのブログを開設してから、そろそろ二年と一ヵ月が経過している頃ではないかと思う。

一年目ははてなブログからの連絡によって時間経過を知ったので、二年目もそういうメールが来ればそういうことなんだろうと思っていた。

まぁ二人にとっての「初めての記念日」っていうと、凄い重要めいて聞こえるけど、これが「二回目」「三回目」となると、ありがたみもなかなか薄れてくる気持ちはわかる。

幼児の生存率が低かった昔はいざ知らず、衛生環境や医療、保健制度の整った現代社会じゃあ、誕生日だって有難いのはせいぜい十八歳になった時くらいだろう(個人の感想です)。

これがニ十歳の誕生日になれば参政権が解禁される一方、国からのこちらへの直接課税も解禁されるもんだから、手放しに有難いかと言われると、正直微妙なところである(個人の感想です)。ただ、今時は十八にもなると、参政権と一緒に国からの直接課税も解禁されるそうで、あんまり有り難くないですね(個人の感想です)。

 

ブログ開設一年目の区切りの記事から身辺の状況が変化したかと言われると、そうでもない。

少なくともブログ開設時点から一年目までの間と比べると、そう大した変化はない。

住まいも変えていないし、進路も既定路線。研究分野も今の所変更はない。

現時点の分野に如実な行き詰まりは感じてこそいるものの、ブログ開設時から一年目までの区切りと比肩する程の大きな方向性の転換を見せるつもりはあんまりない、予定は未定ではあるが。

また、職を変更する予定はあるが、今の所は変わっていない。

辞意表明をしながら「ここまで」と決めた区切りまでの決着がつかず、また区切りついでにと新たな類似の業務を増やされなどしつつ、二、三か月ずるずる延長戦が続いている状態である。この現在の局面は、ソフトボールの試合で言う延長九回裏といったところにあると信じたい。

 

弊ブログでの主要な話題として一応設定している旅行に限れば、昨年もまぁそれなりに旅行に行き、中でも京都を頻繁に訪れた。しかしこれは来訪目的が旅行であるかと問われれば、半ばその通りであるものの、もしも当時旅行目的かと聞かれれば、私は「違う」と答えただろう。

というのも、進学を機に、京都で一時「学生さん」としての身分を得ようという不純な動機あっての、準備段階としての上京だった。

まぁ順当に失敗し、ゆかいな穢土ぐらしが続いている。

 

さて、先述の通り弊ブログは主要な話題として「旅行」を一応設定している。

何らかのグループに所属している訳ではなく、あくまでただの自己申告だが、更新サイドでは一応そのつもりである。

ブログタイトルの横に表示されている簡便な紹介文にも、「旅行関係の備忘録」と記載がある。

その他趣味の一つである同人活動におけるダークマターが記事の全体を暗く包んでいようと、一応メインは旅行の話の筈なのだ。

 

しかし、改めて見返すと全体的に同人暗黒日記の感が強い。

旅行に関するとはいえ、これらの記事はすべてパーソナルな備忘録なので、別にだからといってどうということもないが、折角なのでシンプルかつ明快に、話題とした旅行先別にカテゴリで分けてみることにした。

もしこの個人的な備忘録も、枯れ木も山の賑わいということで旅行前の参考、或いは旅行後の感傷に用いたいとの奇特な方がいらっしゃいましたら、二年目にして新設したカテゴリによる区分を参考にして頂ければと思う。

旅行についての言及がない記事についてはカテゴリ分けをしていないものもあるが、いずれ何かしらのカテゴリを作ろうとは思っている。

予定は未定であるし、一年前の記事で記録しようと心にとめた台湾に関する記事についても、未だ一文字も書いていない状態ではあるが。

 

なお、このようにカテゴリ機能を用いて、書いてしまえばあとは野となれ山となれといった様相を呈していた暗黒記事たちを整理区分した所で、記事全体自体が腐女子による同人暗黒日記~零細文字書き同人活動編~の感は拭えない。

ついては、開設二年目の区切りついでに、以下でこれまでのブログ記事の「旅行的な内容」について、簡単に紹介をしようと思う。

 

「人類は思い出すべきである。金の他に価値あるものが確かに存在することを、無償のものなど何も存在し得ないことを。」(2016-7-24)

同人暗黒日記である。当時界隈では一部アカウントがインフルエンサーとなり893パロが流行しており、関西開催のイベントで各アカウントが各々オフ会でスケブしてもらっただの、個人的に作成した同人誌(つまり頒布物ではない、非売品である!)をアカウント間で交換しただの、タイムラインは各位の同人活動で賑わい、精神的な四肢を捥がれた私はもんどりうって苦しんでいた。

読み方によってはカンボジア旅行の個人的な回想と読むことも出来るので、まぁそのように見て頂ければいい。

 

「しかし神も人も査証申請の前では皆等しく無力だ」(2016-8-8)

トランジットでロシアを通過する際にも必要な「ロシア入国ビザ」の作成方法に関する備忘録。

 

「10年後の安定」(2016-11-8)

高レベル放射性廃棄物を半永久的に地中に埋める最終処分場・オンカロ(Onkalo)を擁するオルキルオト原子力発電所を訪れたときの個人的な回顧録、及びヘルシンキからオルキルオト原子力発電所の所在するエウラヨキ(Eurajoki)を訪問する経路についての備忘録。

 

「それでもムーミン谷博物館は廻り続ける」(2017-3-6)

タンペレムーミン谷博物館ヘルシンキから訪問する経路についての備忘録だったが、当該博物館は2017年4月に、記事中で経路を説明した場所からタンペレホールへ移転した。

(参考:ムーミン美術館(フィンランド) - ムーミン公式サイト

 

「ほんとの愛はここにある?」(2017-6-15)

ヘルシンキで「コティハルユサウナ」に行ったときの個人的な回顧録。一応フィンランドのサウナ実録ではある。

 

「マカオ「寝言を言うな、目を覚ませ」」(2017-10-28)

同人暗黒日記である。記事内にあるが、当時私は絵師に表紙絵を依頼するかしないかの瀬戸際にあった。

私は個人的に十年以上二次創作(小説)をインターネットで公開しているが、しかし他人に自作の小説を基にイメージイラストを描いて貰ったという類の経験はない一方で、「〇〇さんの小説を元にイメージイラストを描いてみました!」という投稿は結構な数を目にしている。

殊に小説二次創作を行っている人間というものは、およそ反響がないし、反響に飢えていることがままあるのだが、同人界隈において好かれない小説形態の己が二次創作物を読まれるか読まれないかを決める、とまでは言い難いが、作品に対する反響力を決めるのは、コミュ力であると断言できる。

話がそれたが、とにかく「私には小説を元に描いて貰うイメージイラストに長いこと屈折した憧れがあった」ということを前提に見て頂けると、前半の暗黒同人ぶりに少しでも臨場感が出るのではないかと思うが、こういった苦悶の類は理解してもらおうと思って表現するのではなく、そうしなければ精神のどこかしらに異常をきたすから表現するのであって、「その苦しみ、わかる!」というその言葉さえ癇に障ることも無きにしもあらずなので、あまり触れない方がいい。

そうだ世の中のコミュ力アカウントよ、或いは安易に人の苦しみに言葉を投げかける有象無象よ、知っているか。

そもそも「話しかけること」は、他者のスペースへの侵害行為だ。「話しかけなければ始まらない」というのは半ば真理であるが、半分は間違っている。話しかけることでより悪い方向へ転がることはままあるのだ。

苦しみもんどりうつ他者に安易な同意や同情をくれてやるのは勝手だが、望んだような反応がないからといって、「同情してやったのに」という怒りは土台間違いなのだ。

お前がしたくてしている自慰に、何故こちらが慰み者にされ、あまつさえ「大人しく慰み者にならなかったから」と逆上される謂れがあるか、無いだろう。

 

旅行的内容の紹介の筈が暗黒同人日記が再来しているが、当該記事の旅行の要素としては「香港からマカオへの行き方」「マカオ領域内では案外英語全然通じない」「バスの乗り方」という内容があるので、この内容に用のある方は「映画クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険」の画像あたりまでスクロールすると良い感じに見られると思います。

 

「界隈での交流/zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌さえ頒布すれば自分だって」というような思い込みでサークル参加するぐらいだったらその分貯金して南米にいった方がいい」(2018-4-13)

暗黒同人日記。内容として暗黒同人日記パートと旅行の備忘録・回顧録パートにより関連性があり、洗練された形態であると言うことが出来るのではないでしょうか(個人の感想です)。

なお、上述記事における個人的なイチオシ情報は「高山病対策」です。

 

「アフターに縁がない、たぶん嫌われている。」(2018-8-5)

多少同人暗黒日記要素がありますが、上述と比較するとだいぶマイルドなので表記としては「同人グレー日記」くらいでいいと思います。

旅行パートは香港でアフタヌーンティに失敗しハイティーを頂いた回顧録兼関連する備忘録。

 

「も~っと!存在の耐えられない軽さ」(2018-8-13)

喪女暗黒日記(New!)

キングストン・アポン・ハルの回顧録及び数年前における当地の個人的な旅行情報、およびハルからの脱出情報もといイギリス国内での鉄道移動に関する回顧に近い備忘録。

 

も~っと!存在の耐えられない軽さ

 

このところ深夜一時半から寝る支度を始め、深夜二時半に布団に入り、それから無意味にスマートフォンを弄って眠れなくなった結果、深夜三時半から午前四時半頃の間、眠れる訳でもなく布団に横たわり、時折スマホ衝動に耐えられずスマホを弄るも、水着イベの周回をするにもクラス相性を間違えてバトルスタートするなど頭はほぼ眠っている状態で、およそ生産性の無い時間を過ごすのが恒例になっている。

かつては深夜一時を越えると「もう十分に深夜だ」と一人ワクワクしていたが、爛れた生活リズムをずるずると続けてしまった今となっては、深夜三時にもならないと「もうそろそろ眠らないと」という焦燥感が生まれない。深夜三時なんて、特に夏場では「深夜」という冠を付けることも若干躊躇われる午前四時と、一時間しか変わらないのに……。

 

こうして無意味に布団に転がる虚無タイム中、ふと「存在の耐えられない軽さ」というフレーズだか何かが頭をよぎった。

どこかで聞いたことのあるフレーズだ。

テレビ番組だったかnoteの投稿記事か、或いは他人のツイートか。

スマホの衝動にかられスマホを起動し、ブルーライトの波を浴びながら検索したところ、「存在の耐えられない軽さ」というのは、「本およびそれを原作にした映画のタイトル」だとわかった。

そういえば昔、そんな感じのタイトルの小説を図書館で借り、結局持ち歩くだけ持ち歩いてハードカバーサイズのダンベルとして存分に活用した後、本として読まずに返却した覚えがある。

そのことまでもを思い出してしまうともう改めて借りる気力も生まれない私は、惰性のままに検索を続け、Wikipediaに記載されているストーリーを見た。

 

「冷戦下のチェコスロヴァキアを舞台に、1968年に起こったプラハの春を題材にした恋愛小説である。」(「存在の耐えられない軽さ」Wikipediaより 最終確認日2018/8/13)

 

概要の二行目で、私はおおよそのストーリーラインを把握した。

ここにおける「存在」とは、恐らく「個人の存在」のことであり、たぶんこれは、命が軽い感じのことを主題として取り扱ったストーリーだろう。

だいたいあの時代の共産圏を舞台にしたストーリーにおいて、個人なんか羽毛よりも軽いと思ってまず間違いない。

なお、私個人の冷戦期共産圏のイメージは『動物農場』や『1964』、そしてきょーじゅちゃんがイキイキと語り聞かせてくれる、朝鮮戦争参戦時中国共産党が取った人海戦術の逸話、というのは、アメリカサイドの性能の良い銃器に対抗し、中華人民共和国サイドは膨大な兵士を雲霞のごとく排出。人民による長城を形成することで弾切れや銃器の打ち手の精神摩耗を狙い、その間隙を縫って突撃し前線を釜山まで押し戻したとかなんとか、そういったもので構成されている。

そういえばこれ関係ない話なんですけど、『死のロングウォーク』のスクラム、『動物農場』の馬に似てない? スクラムの咳シーンで、私は毎回あの馬の顔を思い出していました。

というか、聞く話によると死のロングウォーク、映画化されるらしいんですが、ところであの「こんにちは臓物」シーンはどう映像化していくんでしょう。

あそこ、個人的にかなり印象的なシーンなのでここは存分にモツをピュッピュしてほしいんですけどそんなことしたら人は死にますし、日頃ゴア描写のある映画とか見ないんでわかんないんですけど、最近のCGなら、文章を基に私の脳裏に発生した鮮やかなモツの映像も再現可能なんでしょうか。

それにしても、ここはやはり、フレームアウトとかで妥協しないでほしいですね。フレームアウトするぐらいなら、バラエティ番組のキラキラエフェクトの方がまだマシ。イってQの牛乳マラソン祭り回みたいな。

 

と、いうところまで徒然に思いを巡らせながら、より詳細が描かれている存在の耐えられない軽さ(映画版)のウィキペディア記事を見たら、なんか色々違いました。(2018年8月13日現在)そもそも小説版Wikipediaにも「恋愛小説」って書かれてるし、主題はまぁ普通に恋愛らしい。

実際のところ小説も映画も何一つまともに見ていないので詳しい所は何もわかりませんが、恋愛というか、「恋人関係」という関係性について、パートナーとの間で解釈違いが起きたみたいな感じの話、みたいです。

それならまぁ、わかる。それもまた存在の耐えられない軽さの一つだよね、みたいな。自分にとっての唯一に無碍に扱われる気持ちってどう? 実体験として(そもそもそういった唯一パートナーの存在が居たことが)無いので想像力をたくましくするしかないが、便利な言葉ながらまぁ、筆舌に尽くしがたいものではないかと心中お察しする。海外で各々のパートナーに連絡している私の同行者らを思い出すと、特にそう思う。

 

一例、九份から市内に戻り昼食、暫く名前も思い出せない淡水河のほとりで道に迷い、それから二二八博物館に渡り、夜にはいるころには完全に疲弊し歩く死体と化していた私に、同行者の存在を勘定に入れていないという点で百と言わず五百の非があるにせよ、付き合って三か月目の彼氏とSNSでそれをネタに盛り上がるのは止めてほしいし、私はその彼氏のアカウントを閲覧用リストに無許可で入れていたので、普通にその愚痴大会見える、見えている。見えていた。

交際して三か月目の彼女の為にいかにその同行者が「世間の基準」から見るとクソかについて弁舌を振るうのはやめようね彼氏。気持ちはわかるけど、至らないながらこっちも人間だからね。ま、お前は見てるの知らないんだろうけどな。

というかそもそも、これって私が1000%悪いにせよ、今ここにいる私と同行者の問題であって、ここにいないお前が干渉する権利ってどこにもなくない? これが通じないのが彼氏もといパートナーという最恵国待遇の存在なんだろうなというのは、薄々勘付いている。なんだ急に強権を振りかざして、ポッと出のオメーと同行者の付き合いより私の方が二倍近く年数あるぞ。それが意味を成さないのも、パートナーという最恵国待遇なんでしょう。むなしくなってきたので次に移ります。

 

二例目、元カレなんだか今カレなんだか不明な相手からのプレゼントだったリュックサックを当て所なく彷徨ったヘルシンキのバーに置き忘れてしまったまでは兎も角、それで市内Wi-Fiで何とかそのパートナーなんだか何なんだかわからない相手と通話し、電話口でなんだか修羅場に発展してそうな会話が聞こえてしまうのも出来ればやめてほしい。

ここにいるのは私とあなたで、いくら最恵国待遇のパートナーといえど物理的距離がどれほどありますか。それ、今報告する必要ありますか。一例目の事例:台湾は兎も角、今回フィンランドですよ。時差がどれほどありますか。ちゅうか絶対暫くはバレないって、ダイジョブダイジョブ……(同行者の耳に届かない心の叫びだったもの)

殊に現代の電子化社会において物理的障壁を越えてくる、それがパートナーという存在なんでしょうか。

 

三例目、地球の裏側から帰って来た時に今の彼氏と空港で合流するのも別にやめてほしいっていう権利はこちらにはありませんし、それを見るのも嫌ならもっと手前でさよならしてろって話なので、別に結構なんですけど、なんというかこう、無常を感じる。

空港以前から同行者は事あるごとに彼氏と通話してましたけど、私と話してる時とCVが違うことから始まり、あぁ違う女がここにはいるなぁという認識が起こる。今ここにいる彼女が、目の前でここではない場所に行くのだ。聖なる谷で通話をする同行者の心はパートナーと共にあり、私は一人で聖なる谷の修道院を改装したホテルの広いベッドの上に、腹痛と一緒に身体を埋めている。

とはいえ旅程も後半になって来ると段々慣れ、また彼女は彼氏に私の動向含め報告するタイプの通話の仕方をしていたので、なんだかこちらも微笑ましく見守ってしまいましたけど、実際空港で彼氏と握手をする彼女を見ているとなんだかこう、灯台に向けて入港していく船を見送る流木みたいな気持ちになる。

 

であれば端から一人で行けよという話ですが、一人で行くにせよ、深夜のバスターミナルで再開を約束し別れを惜しむ人々や、旅の疲れを癒すように座り肩を寄せ合う人々の中に放り込まれる結果になるので大して差はない。行く世間に人々がいる限り、人はそこに無常を見、己の孤独を知るのである。

 

物心がついたころに妹が生まれるや否や、オリンピック出場も夢ではない懇親の赤ちゃん返りを見せ母乳を所望したミスチャイルドはすくすく育ち、人間関係について特段悩むことなく、驚くことにつまはじきにされる経験もなく、周囲の人間と環境に恵まれまぁ大体の人間と友好的に、しかし長期にわたって育むような交流や旧交もなく、またこちらが一方的に旧交と思い込めど、思い込む程の何かがある訳でもなく、誰から見ても概ね代替の効く存在として、時空を超えてくるような干渉力を持つパートナーだとか親友だとか幼馴染だとか何だとか、何らかの「かけがえのない」「唯一」的なものを持たない軽さに馴染み、異国でパスポートを窓から投げ捨てるような動作をすることにハマった。

それがおよそ狂人の行動であることは確かだが、生まれてこの方内向的、小中高6・3・3の教育課程を教室の隅でノートにらくがきんちょ、そうでなければ図書館の本を借りて読み、時に活字中毒を喧伝するようなタイプのヒトが、突如自分の生活領域から急激に離れると得てして狂うものだから仕方がない。私がエビデンス

 

という訳で異国でパスポートを窓の外に投げ捨てるごっこをして遊んでいた頃の備忘録です。

日頃から情報の正確さについては保証できませんが、記憶自体が新しくはないので、より一層保証できないエントリーになります。ご了承下さい。

 

私の「異国でパスポート窓の外に投げ捨てるごっこ」は数年前、イギリスでの短期語学留学がはじまりでした。

ちなみに一口に「留学」といっても「短期語学留学」というのは、私の知る限り短くて一週間スタートのものからあるので、学部生の皆さんは「アイツは留学に行ったから英語が出来る」というような目で見るのは止めてあげてください。

短期語学留学に行って海外により関心を持つ・より長期の留学への前哨戦とするというパターンは見たことがありますが、単発で短期語学留学から帰ってきて英語が上手い奴は、元々英語が喋れる奴です。

 

このエントリーでは特に、私が希望収容されたイングランドの果て(偏見)、キングストン・アポン・ハル(Kingston upon Hull)における数年前の観光案内と、そこからの脱出法をご紹介したいと思います。現在のハルの観光情報については各自、トリップアドバイザーなどの情報サイトを見て下さい。

なお、参考までに最近のハルの観光情報をトリップアドバイザーで確認したところ、「Escape Room Hull」という脱出ゲームが人気一位らしいです(2018年8月13日現在)

 

キングストン・アポン・ハルはイギリス東海岸に位置するシティであり、イングランドヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー地域の、イースト・ライディング・オブ・ヨークシャーという自治体に所属しているそうです。(Wikipedia調べ、2018年8月13日時点)

出所は定かではないものの、諸々あって前述のキングストン・アポン・ハルに所在するハル大学(Hull University)へ短期語学留学と相成った時、調整をして下さった現地側担当者の人によると「今!留学生に人気のイギリスの大学ランキング(2014年時点)」でハル大学は見事ワースト二位、理由は「名前がダサイ」「なんかパッとしない」というものらしいが、まぁ気を落とさないでねという感じのお話を頂きました。

 

ハルの市街中心部にある「ハル駅(Hull Station)」は、ロンドンはキングスクロス駅(King's Cross station)からヨーク(York)まで乗り(四時間)、ヨークで乗り換えてさらに列車で三時間程度揺られたところにある終着駅なので、ヨークでの乗り換えさえしてしまえばあとは安心して乗っていられます。ハルが近づいてくると、日中であればたいてい、車窓からハンバー橋という長さ世界第二位のつり橋を見ることが出来ます。なお、一位は明石海峡大橋です。

最寄りの空港はハンバーサイド空港(Humberside Airport)ですが、ここからはたぶん車しか移動手段がないんじゃないかと思います。空港からは第三帝国時代における非アーリア人に対するSSを思わせる愛想を蹴散らしたような態度の某旅行会社所属添乗員に急き立てられながら夜中と早朝にマイクロバスに乗って送り迎えだったので、正直ハンバーサイド空港からハル市内までの所要時間は、あまり記憶にありません。

 

ハルでの一番の目玉は、個人的には「ウィリアム・ウィルバーフォースの家」(Wilberforce House Museum)でした。

ウィルバーフォースというのは19世紀イギリスの奴隷廃止主義者で、1833年グレイ首相のもと成立した「奴隷廃止法」の制定のため尽力した人です。

館内の展示物としては、ウィルバーフォース個人の活動や当時の奴隷制の状況、そして現在に続く奴隷の問題についての紹介パネルが続き、いくつかの物品が併せて展示されているというものでしたが、中では当時実際に奴隷たちに使用された鉄製の棒に繋がれた足輪や、黒人奴隷を輸出していたアフリカ側の文化紹介の一環としての部族のお面(触れるように展示されているお面の前に鏡が設置されており、自撮りシングルにやさしいフリーフォトスポット)があり、私個人としてはウィルバーフォースに対して世界史の教員が熱弁を振るっていたなァという程度の思い入れしかなかったのですが、中々に楽しめる場所でした。

ハル駅からヴィクトリア女王の像がある広場(丸屋根の海事博物館前)まで商店街をまっすぐ歩き、そこから旧市街に入るとそこから先はあまり記憶がありませんが、まぁとにかく徒歩圏内だったような記憶があります。

 

また、先述の海事博物館(Hull Maritime Museum)も中々に展示内容が興味深い博物館でした。

私の記憶に強く残っている展示ベスト3としては、第一に「ハル周辺で起きた近現代の小競り合いに関するパネル」、第二に「人魚伝説に関するパネル」第三に「捕鯨反対運動を紹介するパネル」があります。特に第一のパネルには、ここハルの近海ではアイスランドとの間で起こった鱈戦争がらみの小競り合いが頻発したことの他に、帝政ロシアバルチック艦隊がここハルの近海を通ったので妨害してやったぜ的なことが書いてあり、実際に事が起きた場所の近くで見るパネルの、Wikipediaとは異なる味わいに胸を熱くしたものです。

なお、別に鱈戦争やバルチック艦隊にも大した思い入れは無いのですが、ハルにいた数年前の二月三月というのはおよそ発狂していた時期なので、感受性が豊かということで片付けましょう。

 

他にも交通博物館(Streetlife Museum of Transport)等、その筋の人が行ったら大興奮だろうなというような博物館施設がありましたので、博物館の為にロンドンから七時間、或いはハンバーサイド国際空港まで何とか来られる方にはおすすめの観光スポットかもしれません。個人的にはハルは在住者向きの観光地だと思っています。

共に短期語学留学をした同行者の内一人は、かいがいぐらしに精神的に疲れ切ってしまい途方に暮れて港まで当て所なく歩いていったところ、夕陽が沈むさまを見て深い感銘を受けたという話をしてくれましたが、私は港にいっていないので深くは触れません。

 

ハルから少し離れますが、バスで一時間程いった所にビバリー(Beverley)という、ここらの教会の元締め的存在の大きな教会がある小さな町があります。

そこでは小さな町内でアットホームな雰囲気の青空市場が開かれており、クソダサセーターなど、味わい深いブリティッシュネスなものを路地で売っているので、おすすめです。多分日曜日にやってたような覚えがあります。バスのチケットはハル駅の窓口で購入できますが、外国人が頑張ってビバリーと発音しようとすると「Library?」と鼻で嗤う感じで(認知の歪み)返されますので、予め紙に書いた方が、話が早いかもしれません。文字はおおむね万能。

 

ハルで私が挙げられるような観光紹介、もとい訪れて楽しかったスポット的な紹介は以上になります。

 

短期語学留学というのは案外忙しく、また出席も厳しく取られるので、時間割は大体午後三時頃には終わっていたにも関わらず、それなりに大学につききりの生活をしていました。

 

当時の私含む日本人学生一行は、大学のはからいにより、現地の学生に所在を明かせば哀れまれるような学生寮(駅微遠・大学遠・無線LANなし・停電頻発)に住んでいたということもあり、バスで大学から駅までの戻り、そこから駅前のテスコ(Tesco)というスーパーで買い物をして石畳を歩いて帰り、寮で同じフロアの同行者もとい元々留学が決まる前から知り合い同士だった彼女らと共に、疲弊の色をにじませながら歩き、時に人間関係は酷く、険悪になるも喧嘩をする程の仲ではなく、イギリスの空は気がつけば曇天。

そういえばイギリス、常時天気が悪いというわけではなく、青空が見えたと思えば曇って三時間だけ雨が降り、雨が上がったと思うものの嫌な感じに雲が残っている小康状態、というのが絶え間なく続き、結果的に陽の目をまとまった時間見ることがないので、総合的には悪天候という事実をその時初めて知ったつもりになったんですけど、単純に運が悪い、または季節柄なのかもしれないですねこれ。

ともかく、そしてやっと旧市街の外れ、川のほとりにある寮に戻り、四階だったか五階まで登って、手分けして洗濯をして、手分けして料理をし、宿題を済ませていると、気付けば夜になっていた。本当に、生活をするのでいっぱいいっぱいだった。

 

初日に購入したプラスチック皿(食器類は常時置かれているものではない、これは寮によると思います)で食事を済ませ、部屋に戻り、なんとか英語を読んでしかし実際の文法レベルとしては高校生程度の文法ドリルのような課題を済ませ、全文英語のエッセイを書く必要に苛まれながら、机の横にある窓の向こうに見える黒々とした川に向かって、紺色のパスポートを翳す。

 

私の命やアイデンティティというのはその瞬間可視化され、パスポートというひとつの豪華な手のひらサイズ小冊子じみたそれに凝縮されたように思えていた。

無くすと即死とまではいかずとも、非常に面倒なことになる。それを承知の上で開いても居ない窓越しにパスポートを見ることにひどい緊張があり、ともすればそれは快感に近かった。

これ一枚捨てさえすれば、別に絡みつかれる程のしがらみもない現在の自分から離れることができ、また離れた先に「今よりも素晴らしい何かがある」とでも、信じているかのようだった。

 

結局あそこでパスポートを捨てる真似はしませんでしたが、現状だいたい何者でもないぞって感じの身分なので、願望は九割かなえられたんじゃないかな、結構なことだと思います。

ただこの軽い身分で思うことというのは、ひとえに他人から最恵国待遇を受けたい。世の中の人間彼氏じゃなくても、幼馴染とか古い友達とか結構いて、まぁ驚きますね。家を行き来したりさぎょいぷ(作業中にスカイプで通話しあう存在)したり、わたしそのアイテム知らないです。無課金だから?

 

そんな無課金ユーザーにお勧めなのが漫画・アニメ!

いとも簡単に孤立してしまえる現実、ふと気づけば耐えられないほどに軽い自己の在り様を内省的に見つめなおしたところでそんなに意味はない割りに精神力を使い、先への漠然とした不安にSAN値が削られるので、関係の無い何かしらに没頭して、動きのない現状をやり過ごした方が五倍かマシです。

特に私からのオススメは『弱虫ペダル』、二年目の展開については賛否ありますが、一年目が凄いので初見の人は是非一年目をまず見てみて下さい。

人が人を思うこと、あらゆる形でありながらもその純粋さ、真摯さを前に、自己がおよそ代替可能で恐ろしい程軽いことなど簡単に頭から消し飛ぶのでおすすめです。

 

  

またハルからの休日小旅行もとい脱出方法については、基本的に鉄道メインにご紹介します。

なお、私はビザの関係で休日国外脱出が出来なかったのですが、先駆者の中にはハルからフェリーでノルウェーへ脱出していった強者も居るそうなので、旅程や順路にお悩みの際は是非参考にどうぞ(航路が現存しているかは保障できません)。

 

当時、基本的に自分が何に乗車しているのかもわからず鉄道に乗り移動をしていましたが、私は鉄道の予約に以下のサイトを利用していました。

 

www.tpexpress.co.uk

 

 

2014年時点は予約にクレジットカードが必須だったので、その点ご留意ください。

 

まず行先を決めてこちらのサイトで鉄道の切符を購入し、その後確か発行されるコードか何かを参考に駅で切符を発券してからの乗車という手順です(2014年時点)。

車内では時々切符の拝見が回って来るので、無くさないようにしましょう。

切符の拝見をしてくれる車掌さんが♥ハート型の穴開きパンチ♥で巡回していたこともあったので、キュートさの点ではここも中々の観光スポットじゃないかなと思います。

 

車内は四人単位のボックス席がメインに配置されており、ボックスシートの中には机が配置されています。ハルは始発だったのでハル発の列車ではまずありませんでしたが、ロンドンやヨーク、リーズ(Leeds)から乗車すると机の上に前任者のビール瓶とかが残ってることもわりとままあったので、これもイギリスらしさだなぁと観光気分で流して下さい。運がいいと車内でプチ宴会をしている小太りのおっさんたちを見ることが出来ます。

 

また、「高慢と偏見」の熱烈なファンが高じ英文に進学した一人の同行者は、バス路線で弾丸小説題材地聖地巡礼ツアーに向かっていました。留学中は時間重視で行動していた為バスルートは使いませんでしたが、イギリス国内をリーズナブルに移動したい方にお勧めできるかもしれません。

 

 

 

アフターに縁がない、たぶん嫌われている。

 

 

吹けば飛ぶような軽い身分で、あまりにも自由な、もとい自主性に任せられた夏を送っている。人間これとスケジュールを定めなければ何もせず無為に日々を送るということは受験時に学んだことであるが、歴史から学ぶことなく怠惰に日々を送りつつ、しかし果たして今の時間でこれをすべきかという疑問を覚えながら、業務中に「10年後の安定」序文を打ち込んでいた事務バイトの身分から解放されようと、怠惰なりに業務を行っている。ここでの最後の業務をこれと定めてから、早くも三か月が経とうとしている。二年前の秋にはこのブログを開設していたというのだから、時の流れの早さには驚きである。夜になると漠然とした焦燥、未来の見えない身分、結論の見えない自己分析を前に頭を抱え、眠れずにスマートフォンを弄っている。中火のフライパンの如き暑さを避け、日がな一日屋内に引き籠っているのも、精神的な悪影響の一因となっているのだろう。

 

そんな中、縁あってキリスト教神学の座学を受ける機会を得た。

真夏の14時、外はまさしく「白昼」という有様だった。蛍光灯に白く隈なく照らされた講義室内で、スティーブ・ジョブズ風のアジア人をふくよかにしたような容貌の神父は白板を背に、聖書における「神の国」について説いていた。

曰く、「神の国」は四つの特徴から成る。一つに「神との交わり」、神の国は神との交わりを取り戻した永遠生の世界であること。一つに「共同体」、神の国は一人の人間の上に注ぐものではなく、人々の間にあること。一つに「愛とゆるし」神は我々を愛し、罪を許すこと。一つに「逆説性」神の愛は自らの善性を疑わず善行を行う九十九人より、自らの罪に自覚的な一人の罪びとの上にあること。

神父の穏やかでありながら逸脱を許さないような厳しさを節々に感じる声を聞きながら、私は旧劇場版新世紀ヱヴァンゲリヲンの終盤を思い出していた。神の国は至り、LCLと化した人々の間にある。そして、愚かな夢想をした。

例えばもし、現実世界に、ヱヴァンゲリヲンにおける「神の国」の顕現と、私が仮定したあの状況が発生したとする。しかし私はその出現を拒み、愚かな定命の個体として生きることを選ぶだろう。LCLと化した人々の間に、御堂筋くんのイラストを描き、その目にハイライトを入れる連中がいる限り。

 

思えばこのブログを開設した当時である2016年、私は未だ人間の可能性を信じていた。ツイッターで流れるあらゆる言説を、素直に間に受けていた。「出ない構想より出した同人誌」「〇〇さんとイベント後オフ会」「■■クラスタ会最高でした!」同人誌を出し、この風潮に乗じて、己が思想を布教することに前向きになっていた。

現在、研究会や学会に参加する度、第一線で活躍される先生方より「この業界で大切なことはコミュニケーション能力である」とご教示を頂く。「自分だけが理解できる文章を書いてはいけない」「人を説得し、面白いと思わせる文章を書くことが肝要だ」「すなわちそれはコミュニケーション能力と通じるところがある」趣味と本業は違う、しかし本質的にはそう大差ないことは残念ながら明らかだ。

 

果たして、私が過去二年間で頒布、或いはそれ以前からインターネット上にアップした文章の、何が悪かったのだろうか? 

現状として界隈において、私が蒔いたと思い込んでいた何かが芽吹く様子も無く、ただひたすら大手の思想が共有され、二次創作におけるキャラクター同士の関係性の糖度は、いたずらに増していくばかりだ。ここは原典から遠く離れた極北、永久凍土に種を撒いたところで土台意味はない。

果たして私は彼等と同じ言葉を用い、文字を書いていたのだろうか? 

たぶん、違うのだろう。私と彼等が使っている言葉は違う。同じ言葉であるように感じるが、しかし異なる言葉である。

人と人との間には、深い断絶がある。時としてそれはコミュニケーション能力の問題であったり、認知の問題であったり、単純に思考力の問題であったり、時に感情の問題であったりするのだろう。

 

という訳で、言葉が通じない楽園・日本じゃない国の話をします。

そういえばちょうど去年の今頃は香港に滞在していたので、香港の話をします。

 

香港というのは日本から飛行機で(多分)五時間以内でたどり着く都市です。

現在は中華人民共和国の中に組み込まれていますが、香港は中国が共産党体制をとる以前からイギリスの植民地統治下にあり、また戦後、植民地体制下で資本主義的な著しい発展を遂げたという、特殊な事情がある為、「特別行政区」という立ち位置が与えられています。

特別行政府については、中国というマトリョーシカの内側にあるミニ国家のような立ち位置と言うと、若干語弊はあるかもしれませんが、旅行者の漠然としたイメージとしてはあまり問題ないかと思います。

例えば中国で流通する貨幣は中国人民元ですが、香港では香港ドルが流通しています。香港ドルを発行する銀行は香港内に三つあり、そのどれもが微妙に異なるデザインの紙幣を発行していますが、問題なく流通します。また、香港と同じく特別行政府の地位にある、マカオで流通しているのは「パタカ」という通貨ですが、これは、細かいお釣りが戻ってこないかもしれないというデメリットはあれど、割と香港ドルで代用が効くようです(2017年8月時点)。もしかしたら人民元も使えたんだろうか。マカオに行ったとき人民元持ってなかったからわかんないけど。

また、ランタオ島にある香港国際空港で押されるハンコは、中華人民共和国のハンコではありません。というか私はハンコ押されずに「入境証」という小さい紙を貰った覚えがあります。今確認した所パスポートには挟まっていませんでした。

 

香港は長らくイギリス植民地という地位にあったことから、西洋的なものと東洋的なものが融合したことにより発生した独特な融合文化がウリというのはよく言われますが、根強い「広東語文化圏」であるということも、中国内における香港の特殊性を担保している、ということも出来るかもしれません。

第二次世界大戦後、大陸中国との往来が遮断され、また、50年代におこる生産体制の変化に伴う資本主義的発展、及び50年代後半から60年代にかけて、テレビやラジオ放送等が一般に普及したことにより、広東語による文化圏が香港で形成され、これが現代に続く香港人アイデンティティの下地となっていると言われています。

この「広東語」というのが、旅行者として香港を訪れた私にとって目につくものでした。私は卒業要件単位として一年程度普通語を履修したものの、広東語は発音が全く異なります。繁体字のニュースサイトを眺めているとき、わからない単語を調べると、その下に広東語のピンインが表示されることがありますが、普通語であれば1から4までの声調が表示されているところに、6とかいう謎の文字が附されていたりするので、なんかもうあんまり考えないようにしています。そういえば以前留学中に出会った推定華僑の方が言うには、広東語で「ありがとう」は「ンゴイ」と言うそうです。シェイシェイのシェイもない。

香港ではこの広東語が車内アナウンスのトップバッターとして流れて来るので気分はムーンサイドですが、イギリスによる長い植民地統治の影響により、二番手に英語での説明が大体の場合入ります。また香港で使われている「文字」は台湾と同じく繁体字、これは時々訳が分からない画数が多いばかりの謎漢字がありますが、多くは日本でも使用されていた旧字体と同じため、繁体字と英語の字幕をマジマジと眺めれば、必要最低限の理解には十分すぎる程の情報が入るので、体感としては、「何か標識はあるけど書いてある言葉がわからない」問題で詰む確率は、台湾よりも、それも、著しく低かったような覚えがあります。

八月の香港というのは気候としては蒸し暑く、一方店の中は常時冷房がガンガンきいているので、大通りを歩くような時は、時折入店して息継ぎをするように涼みながら歩いていたのですが、今にして思えばあれは、今年の東京や名古屋の暑さと大差はありません。今年の夏を乗り切った方は、これから夏の香港の気温に臆する必要はあんまりないです。台風とかには臆して下さい。

以上で香港についての大体の概説が終わり、続いて香港で行ってまず食べるべき物だとか行くべき場所だとかの情報は、各位ガイドブックを参照頂いた方が間違いなく有意義なので、ここではあくまで私的な備忘録の一環として、「香港で嗜んだアフタヌーンティー」について記したいと思います。

 

と思って、記憶の補強の為に調べていたのですが、多分香港でわたしが嗜んだのはハイティーだったかもしれない。

諸々の記憶が曖昧というのはその日の暑さというのもあってだろうが、香港に滞在していた推定三泊四日の内、アフタヌーンティーを求め尖沙咀を徘徊したのは、確か三日目のことだった。

一日目は尖沙咀の大通りを無策に歩いて汗を流し、二日目はマカオで道に迷い汗を流し(香港は高層ビルによりまだ直接の日差しは遮られることが多いものの、特にマカオ風致地区?は、まさに白昼といった様の白い日差しを全身に浴び、そして突き抜けるような青空の下ということを忘れる程、それこそ眼鏡が曇るまで蒸していた。コロニアル様式ど真ん中、いかにも南欧風の美しい景色も、蒸し器さながらな暑さのなかで見るのでは、何の感慨も生まなかった)、そして確か三日目に半日別行動の後、尖沙咀・九龍公園のモスク付近で合流、そして一路アフタヌーンティーへ向かったのだった。

 

我々がアフタヌーンティーに求めていたのは、まず第一にお手頃価格だった。

元英領で頂くアフタヌーンティーなんだから、どこでもまぁ雰囲気はさぞ宜しかろうという見通しの上だった。

その上で事前リサーチを重ね、我々が第一目標に据えたのはニューワールドミレニアム香港ホテル 、ザ・ラウンジのアフタヌーンティーだった。

 

www.cathaypacific.co.jp

 

尖沙咀から彷徨いつつ尖東へ、MRTの駅構内地下道をズンズン歩き、大江戸線改札外乗換を優に超える歩行距離にウンザリとする。尖東からニューワールドミレニアムホテルの最寄り出口に出たはいいものの、尖東周辺は大規模ホテル街であり、ここそこから焼けるような日差しを惜しみなく浴びながら歩きに歩き、やっと辿り着いたラスボス・魔王城のような感慨と共にようやくたどり着いたのが、ニューワールドミレニアム香港ホテル 、ザ・ラウンジであった。

調べて貰えば、また先にリンクを張る形で紹介したページや、その他私が選出の参考にしたアフタヌーンティー感想ブログ等からも分かるように、このホテルのアフタヌーンティーは一般に目玉と言われる香港アフタヌーンティーと比較してお手軽価格で、他サイトで見られる画像から見て分るように美しい造形、我々がまさに求める形の一つであった。

しかし結局、我々一行がアフタヌーンティーを嗜んだ場所はそこではない。

現在(2018年8月5日時点)のニューワールドミレニアム香港ホテルザ・ラウンジ公式ページでは

「弊ホテルでは、VISA・Mastercard・American Express・Diners Club・JCBの各種クレジットカードのほか、Apple pay・Android pay・Samsung payもご利用頂けます。」

との記載があるが、2017年時点ではAmerican Express或いは中国銀行?(説明を聞き取れなかったが、中国系のクレジットカードであったことは確か)のクレカしか使えないというお断りを頂いたのだ。

当時、実際に注文する前にクレカの使用について聞いたのは、賢い判断だったという他ない。アフタヌーンティー代を手持ち現金で支払ったら、その後無一文になってしまう。

硬いコンクリートに照りつける日光を経てようやく座った青々とした柔らかなソファから立ち上がり、我々はラウンジから出て、エスカレーターを降り、中国人団体観光客とすれ違いつつ外に出た。

 

半ば途方に暮れつつ、ホテルの部屋にセットでついていたポケットWi-Fiを駆使して発見した、その現在地、というのはニューワールドミレニアムホテル付近からそう離れていない場所にあった、お手頃アフタヌーンティーを提供してくれるらしい場というのが、ホテルICON一階のレストラン、GREENだった。

 

blog.his-j.com

 

ここでの支払いにはVISAやMasterCardが問題なく使え、安心してアフタヌーンティーを口にすることが出来たと思っていたが、改めて調べたところ、我々が口にしたのは恐らくハイティーだ。

 

アフタヌーンティーとハイティーの違いは私にはよくわからないが、調べたところによるとその違いというのは、行われる時間にあるらしい。アフタヌーンティーは昼下がりの軽食、ハイティーは事実上の夕飯であり、元は労働者階級・農民の生活環境から始まったものであると説明されている。(「アフタヌーンティーとハイティーの違いは?」、Travelers Cafe World Gallery、(http://www.travelerscafe.jpn.org/column5.html)(最終閲覧日2018-08-05)参照)

 

私は紅茶の味が分からず、コーヒーの味区別はもっとつかない上、あんまり量を飲むと下から腹痛と共にあったかコーヒーフロートを生成するという理由から紅茶党の顔をしつつ、実の所アッサムとアールグレイの違いも全くよくわかっていない。フレーバーティーかそうでないかの違いは辛うじてといったところであるが、しかしその私でも、ここで飲んだ紅茶の味は今でもよく覚えている。

それはホットティーだったが、シャンパンの味がした。確かに炭酸の気泡が舌の上で弾けるような心地を、今なお思い出すことが出来る。ラグジュアリーな夏、芳醇な香り、本格派ではない、本格、というか、これは本物。金を掛けた茶葉から出た、極上の一滴といった味がした。その香り高さたるや、存分に札束を煮込んだらこんな感じだろうなといったところだ。

アラカルトというのだろうか、アフタヌーンティーの三段重ねの皿の上に乗ってやってくる料理もすごかった。中でもわたしがよく覚えているのは、一口大にカットされた縦にぶ厚いサーモンの上に、キャビアがちょこんと乗っていたものだ。

その時、キャビアを人生で初めて口にした。以前ロシアでトランジットした時は、シェレメーチエヴォ空港や赤の広場のグム百貨店でキャビアの缶詰をメチャメチャに目にしていたが、値札も併せあくまで観賞用の芸術品のような存在であったキャビアがその時、缶詰に入ってではなく、純然たる食用として、わたしの目の前に出現した。

舞い上がって味はよく覚えていない。しょっぱくて、おいしかった。記憶における味の解像度が余りにも低い。美しいものの味を覚えておくために、日頃からの食を蔑ろにすべきではなかったと深く恥じ入った一年前のことを、書きながら今思い出した。あと、焦って食べない。でもなんか、口に入れないと逃げる気がして……。

 

会計をしてくれたお兄さんというには老けた男性は、「オレは日本語を習ったことがある」と言い、得意げに「コニチワ、アナタ、ニホンジンね」と、我々のナショナリティを言い当てていた。うんうんと赤べこのように頷きつつ曖昧に笑って反応出来ない事実を濁す我々と、そこから言葉を続けない男性店員の間で、暫し腹の探り合いのような時間は流れたものの、あのどう考えても高い、高価な味のする、高級なシャンパンの風味がする紅茶の味の記憶に、影さすものは一切ない。

クリアーでエクスペンシブ、ゴージャスかつラグジュアリーなお味。この一点において、なにものにも引けを取らない素晴らしい人生。

 

私の人生のハイライトは、以上の通りお金で買える。

しかしお金は、私を界隈のインフルエンサーにしてくれるだろうか。頒布価格を下げることで、絵を活発に描くような界隈のインフルエンサーが、私の頒布物の三次創作をしてくれるだろうか。

答えは否だ。

創作活動というのはどこまでも自由で、そしてその分、人間存在の間にある深い溝を露わにする。

そこでものをいうのはコネクションであり、個人の言葉であり、気持ちであり、定量化しがたい何かが、創作世界をぼんやりと覆っている。

至高のティータイムを記憶として持つ私は、しかし今もなお、ぼんやりとした不安の中にある。

 

八月にまた同人イベントがあり、そしてタイムライン上の界隈はにわかに活気づくだろう。

それが、溝を知り体感し克服しようと足掻き、それでも無駄な徒労だったと悟り尚、眩しいのは、人と好きなものについて話し合えるという空間が、恐ろしく得難いものだからだろう。

 

これまでの記事を通してみた上、「ブログ記事でまで同人における人間関係の愚痴を垂れ流している、これはオタクないしフジョシの風上にも置けない存在であるからして早く失踪してほしい」と考える好き者は、それはそれで(どうでも)いいのだ。

私の感情としてはトラックで轢き潰しにかかる勢いがあるが、眩しい環境に気軽にアクセスできるようなその恵まれた位置で、人間の情動の一つである妬み嫉みを忌避することを至上としながら生きればいい。

 

そして他方、眩しいタイムラインに目を焼かれ、血と同じ成分である涙をこぼしながらトラックのハンドルを握ろうとするそこのお前。お前は幸いだ。天の国はお前たちのものである。

え? 「私は現世主義だから今すぐにこの感情でぶちのめしに行きたい?」

……それはほら、法律があるから、仕方ないね。残念だった。

 

 

新約聖書 (まんがで読破 MD073)

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