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メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

それでもムーミン谷博物館は廻り続ける

三月になり就活が解禁した。際して私は一つ決意をし社会に出ることを延期しようと思った。十人に聞けば十人がお前は社会ではやっていけぬと言うが、しかし研究が向いているとも思われない。これまでどうやって生きていたかが思い出せない。研究対象も未だはっきりと決まらず靄掛かっている。誰に相談した所で突破口も見当たらず、ここ三日は家に引きこもり昨日はアニメ・けものフレンズを一気見した。すごーい!たのしーい!

近況は置くことにして、二十四日後に四月になる前に一つどうしても書かなければならないことがある私は、けものフレンズ考察班の動向を探る手を止め118日ぶりにブログを書くことにした。

当ブログの開設目的は旅行前や旅行中に経験した煩雑な手続きに関する備忘録というものであるが、既に当人である私がうろ覚えの域に達しておりこれでは全く体を成していない。しかし致し方ない。うろ覚えでも、私にはどうしても書かなければいけないことがある。

 

半年以上前の九月のある日、私はフィンランドタンペレ市内にあるムーミン谷博物館へ行った。

2014年にJTBパブリッシングから初版が発行された情報誌『るるぶフィンランド』に記載されていた博物館だ。

何故タンペレ市の手前にあるナーンタリのムーミンリゾートではなく、わざわざタンペレ市のムーミン谷博物館を行先に選んだのかはよくわからない。

これはあくまで私個人の意見ではあるが、全力でムーミンの世界を楽しみたい方にとってはナーンタリのムーミンリゾートの方がおすすめである。(2016年度3月現在)

 

ヘルシンキ市内からタンペレ市へは二時間ほどの道中になる。

オンニバスの利用方法については以前の記事で何かしら書いた覚えがあるので、それに関してはそちらを参考にして頂きたい。まオンニバス公式サイトは英語で閲覧可能なので正確な情報が必要な方はそちらを見て頂いた方が良いだろう。

代わりにここでは、特にタンペレに関係のあることを述べる。

オンニバスはタンペレにいくつかのバス停を持っている。前述の公式サイトで確認するとF3CとF3の経路がタンペレへ向かうが、F3Cの経路にはTampere(linja-autoasema)とTampere(Pyynikintori)、F3にはTampere(Hervanta)とTampere(Kaleva)のバス停がある。

中央駅というのをフィンランド語で何というか調べた訳では無いがヘルシンキ市内に一週間ほど自由滞在した経験からすると、linja-autoasemaという単語はおそらく中央駅を指すと思われる。

るるぶに限らず観光案内冊子に付随する地図は大抵中央駅を中心に書かれているので、観光案内を手にフィンランド語・スウェーデン語が堪能ではなくできれば英語も勘弁してほしい私のような身の方々がタンペレを訪れる際は、是非F3Cのバスを予約することをお勧めしたい。

私と同行者が予約し乗車したのはF3だった。

当時何を考えて予約したのかはよくわからない。

F3ルートを通るオンニバスに乗ってしまった我々はタンペレ市に存在する二つのバス停を前に果たしてどちらのバス停で降りればいいのか考えあぐねた。海外で初めての長距離バス、そこで我々が見たものは予想外に広い北欧人種向けのシートと車内無料Wi-Fi、そしてフィンランド語・(おそらく)スウェーデン語のみの車内放送だった。

無料Wi-Fiを程々に楽しみつつ微睡みリゾート地として名高いらしいハメーンリンナを過ぎて我々を載せた真っ赤な二階建てバスがタンペレ市内へ近づきつつあった時、私は通路を挟んで隣のシートに座る男女二人連れの片割れにしどろもどろながら尋ねた。

 

タンペレ中央駅に行きたい、どのバス停で降りればいいのか。」

 

彼は一目で地元民ではないことが知れる我々の体躯と荷物、そして拙い英語を前に一考した後、ゆっくりとした簡易な英語で言った。

 

「いいか、二つ目のKalevaで降りるんだ。二つ目だぞ。」

 

『いいか、電車で六つ目の沼の底という駅じゃ。とにかく六つ目じゃ。』(宮崎駿千と千尋の神隠し』(スタジオジブリ、2001)より)

 

彼らは一つ手前のHervantaのバス停で降りる前も、一度私たちを顧みて言った。

 

「お前たちが降りるのはここじゃない、次の駅だからな。」

 

初めてのお使いに出る我が子を前に言い聞かせるような声が、遥か上空から降ろされていた。日本ではなかなかお目にかからない長身にこの国では歩けばあたるどころか、バス席から立ち上がる成人男性の殆どを見上げずにはいられない。奥の席に座っていたこちらもそれなりの長身な彼女も、不安そうな表情で私たちを一瞥していた。

 

こうして愛の力に助けられ、我々は無事Tampere(Kaleva)へたどりついた。

ヘルシンキ・カンピの乗り場で一緒になったコスプレ集団やトド松パーカーの八頭身の女人、上背の高い初音ミクなどと一緒にKalevaのバス停を降り私たちは目の前に広がる幹線道路と住宅街、その向こうに広がる針葉樹林に圧倒されたものの、人の流れに流されて曇り空の下タンペレ市の市営バスのバス停を発見し、時刻表や地図を見て中央駅へ向かうバスに乗って、何とかタンペレ中央駅へとたどり着いた。

人垣に流されたどりついたバス停の写真を撮影したのは、この道中で私の行った善行の内の一つである(帰りのバスもここから出るのだから、いずれは戻らないといけないのだ)。

 

タンペレ市内からムーミン谷博物館までは小一時間程かかる。

るるぶフィンランド』にはタンペレ中央駅に観光案内センターがあると書かれていたものの、2016年9月の時点では「そんなものはない」と言われた。

タンペレ市観光案内センターはタンペレ中央駅から正面に真っ直ぐ伸びるHämeenkatuを歩き、大きな湖にかかる石作りの橋のたもとにあった。

そこには日本語で案内された地図もあったので必要があれば一度立ち寄るのもいいかもしれないが、タンペレ大聖堂というような観光地は案内所よりもむしろ駅に近いので、あらかじめ地図の準備をしておいた方が楽だろうと私は思う。

 

ムーミン谷博物館のあるタンペレ市立美術館はHämeenkatuをHämeenpuisto(暗渠の上にできた公園のように細長い公園のような場所だ)に突き当たるまで歩き続け、Hämeenpuistoに出たらPirkankatuに向かって北上、Pirkankatuを道沿いに沿って歩けば美術館や博物館といった館系の建物が集まった区画を見つけることが出来ると思うが、その中にある。

周辺や美術館内に飲食の出来る施設はない。丁度昼時に差し掛かっていた私たちはHämeenpuistoとPirkankatuの分岐点辺りまで戻ってトルコ料理店に入った。お互い拙い英語で伝えあった為認識に若干の齟齬があったかもしれないが、取り放題のランチビュッフェは学生の空腹に実に優しかった。

ムーミン谷博物館の入場料はカードで支払うことも出来、子供料金・大人料金の他に学生料金がある。再入場は自由らしいので一度購入してから食事に向かうのも良いだろうし私たちはそうした。その際空腹のせいか学生料金の存在を忘れ私たちは大人料金を支払ったが、ムーミン谷博物館というのは実の所それほど大きな施設でも無く、損をしたという程の損も感じなかったが得をしたかと言えば心にいまいちのしこりが残るといった所の設備だった。

 

現在、ムーミン谷博物館タンペレ市美術館の地下にある。暗い階段を下りていくと、ライトアップされたムーミン谷の仲間たちを描いた貴重な原画を見ることが出来る。原画をもとに作成されたジオラマシルバニアファミリーよりも二回りほど大きく中々圧巻である。日本語のガイドパンフレットもあるので観覧には困らなかった。

ムーミン谷博物館は主に何よりもまず原画の展示をメインとしており、原画ごとに(おそらく描かれた年代やテーマによって)章立てされていた。原画を展示する額縁の上、壁に大きく描かれた章タイトル『故郷に帰ろう』という文字を、故郷から遠く離れた根無しの旅行者という身分から見ると中々感慨深く、当時私はともすればこの場でパニックを起こしそうな程の不安に駆られた。

故郷は遠く4832 マイル(7781.17 キロ)ユーラシア大陸の彼方帰れども飾る錦はない。さながら人の生き死にのように、金も目的意識もない我々は身一つで出国し身一つで帰国していくだろう。お土産を詰めたトランクとはその後衝撃的な別れを迎えることになるが、その運命を私たちはまだ知らない。

 

ところでこのムーミン谷博物館は2017年4月からリニューアルオープンをする。タンペレ市美術館の地下というのがムーミン谷博物館にとっての仮ぐらしであり、工事が終わり元の場所に戻るのだ。

観光案内所でその案内と新住所の紙を渡されたがそれも今となっては私の手元から失われた。これから向かわれるという方は是非自分の目で観光案内所とそのありか、新しい本来のムーミン谷博物館の場所を確かめてほしい。

 

またムーミン谷博物館は撮影禁止だがムーミン谷博物館から少し道を戻ってHämeenpuisto沿い、Aleksanterin kirkko(アレキサンダー教会、向かった時丁度結婚式をやっていた)から二つ離れた区画にある建物の二階にレーニン博物館がある。こちらは撮影可能なので暇があったり雨が降って来た際は是非訪れてみるのもいいかもしれない。私は同行者の不興を買いながら万難を排して訪れた。

るるぶフィンランド』52ページの紹介曰く「タンペレはナシ湖とピュハ湖に挟まれ、フィンレイソンに代表される紡績や製紙産業で発達した都市。今も19世紀の趣を残す赤れんが造りの工場跡が連なり、豊かな緑と湖に囲まれた街を彩っている。」ロシア革命が起こる前後にレーニンが滞在した場所が現在のレーニン博物館になっている所であるらしい。レーニンにゆかりのある実際の物品展示を見ることが出来、マトリョーシカ等その手のお土産もそれなりに揃っている。入場料はおそらく20ユーロ前後だったような気がしている。

その後訪れたHämeenkatu沿いのショッピングモールに併設された書店には、レーニン博物館にあったものと同じ『赤いタンペレ』という題の書籍が大きくディスプレイされていた。もしかするとレーニン博物館は当時地元でホットな場所だったのかもしれないと今になって思った。

余談だが、ショッピングモールにはフィンレイソンとコラボしたトム・オブ・フィンランドが手掛けた柄のシーツやトートバック等が多く販売されていたので、タンペレを訪れた際諸兄らの手土産に一ついかがだろうか。私はトートバックを買ったが未だに持ち歩く勇気がない。堂々と持ち歩くことのできる社会がこの国に訪れることを希求している。

ムーミン谷博物館で販売しているムーミン型のチョコレート等もこれらのショッピングモールで七掛けの値段で購入できるので、博物館で購入する際はカップやぬいぐるみの類をお勧めしたい。

 

以上、やがて来る四月を前に私が書くべきと感じたことのすべてだ。

この後タンペレを制したと思われた我々一行には多くの難が待っていた(一重に不慣れな長距離バスを無理に利用したことに起因する難だ)。

Hämeenkatu沿いのバス停から、朝に乗ったバス停付近に戻る経路を通るバスを探し乗り込む。そこまでは良かった。ちなみにタンペレ市内のバスはヘルシンキ市内でトラムにカード等を使わず乗る時と一緒で運転手に声を掛けてチケットを買えば良い。タンペレ市内は実際の所どうだったかわからないがヘルシンキ市内ではどこまで乗ろうが料金は同じだったような気がする。

しかし往路復路によってバス停が違うのか或いはその経路に近いものの異なる経路を取るバスなのか知らないが、運転手に促されるままバスを降りた我々一行は、どこを見ても同じレンガ色の赤茶けた建物の数々と横に広がる幹線道路を見渡し、空を裂く一基のタワークレーンを見上げ、小雨の降る雲と、その奥に暮れつつある暗い空を見た。

しかしこの時の一行に漂った絶望も今の私の境遇を覆いつつある暗雲も、ムーミン谷博物館には何ら関係のないことだ。