メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

アフターに縁がない、たぶん嫌われている。

 

 

吹けば飛ぶような軽い身分で、あまりにも自由な、もとい自主性に任せられた夏を送っている。人間これとスケジュールを定めなければ何もせず無為に日々を送るということは受験時に学んだことであるが、歴史から学ぶことなく怠惰に日々を送りつつ、しかし果たして今の時間でこれをすべきかという疑問を覚えながら、業務中に「10年後の安定」序文を打ち込んでいた事務バイトの身分から解放されようと、怠惰なりに業務を行っている。ここでの最後の業務をこれと定めてから、早くも三か月が経とうとしている。二年前の秋にはこのブログを開設していたというのだから、時の流れの早さには驚きである。夜になると漠然とした焦燥、未来の見えない身分、結論の見えない自己分析を前に頭を抱え、眠れずにスマートフォンを弄っている。中火のフライパンの如き暑さを避け、日がな一日屋内に引き籠っているのも、精神的な悪影響の一因となっているのだろう。

 

そんな中、縁あってキリスト教神学の座学を受ける機会を得た。

真夏の14時、外はまさしく「白昼」という有様だった。蛍光灯に白く隈なく照らされた講義室内で、スティーブ・ジョブズ風のアジア人をふくよかにしたような容貌の神父は白板を背に、聖書における「神の国」について説いていた。

曰く、「神の国」は四つの特徴から成る。一つに「神との交わり」、神の国は神との交わりを取り戻した永遠生の世界であること。一つに「共同体」、神の国は一人の人間の上に注ぐものではなく、人々の間にあること。一つに「愛とゆるし」神は我々を愛し、罪を許すこと。一つに「逆説性」神の愛は自らの善性を疑わず善行を行う九十九人より、自らの罪に自覚的な一人の罪びとの上にあること。

神父の穏やかでありながら逸脱を許さないような厳しさを節々に感じる声を聞きながら、私は旧劇場版新世紀ヱヴァンゲリヲンの終盤を思い出していた。神の国は至り、LCLと化した人々の間にある。そして、愚かな夢想をした。

例えばもし、現実世界に、ヱヴァンゲリヲンにおける「神の国」の顕現と、私が仮定したあの状況が発生したとする。しかし私はその出現を拒み、愚かな定命の個体として生きることを選ぶだろう。LCLと化した人々の間に、御堂筋くんのイラストを描き、その目にハイライトを入れる連中がいる限り。

 

思えばこのブログを開設した当時である2016年、私は未だ人間の可能性を信じていた。ツイッターで流れるあらゆる言説を、素直に間に受けていた。「出ない構想より出した同人誌」「〇〇さんとイベント後オフ会」「■■クラスタ会最高でした!」同人誌を出し、この風潮に乗じて、己が思想を布教することに前向きになっていた。

現在、研究会や学会に参加する度、第一線で活躍される先生方より「この業界で大切なことはコミュニケーション能力である」とご教示を頂く。「自分だけが理解できる文章を書いてはいけない」「人を説得し、面白いと思わせる文章を書くことが肝要だ」「すなわちそれはコミュニケーション能力と通じるところがある」趣味と本業は違う、しかし本質的にはそう大差ないことは残念ながら明らかだ。

 

果たして、私が過去二年間で頒布、或いはそれ以前からインターネット上にアップした文章の、何が悪かったのだろうか? 

現状として界隈において、私が蒔いたと思い込んでいた何かが芽吹く様子も無く、ただひたすら大手の思想が共有され、二次創作におけるキャラクター同士の関係性の糖度は、いたずらに増していくばかりだ。ここは原典から遠く離れた極北、永久凍土に種を撒いたところで土台意味はない。

果たして私は彼等と同じ言葉を用い、文字を書いていたのだろうか? 

たぶん、違うのだろう。私と彼等が使っている言葉は違う。同じ言葉であるように感じるが、しかし異なる言葉である。

人と人との間には、深い断絶がある。時としてそれはコミュニケーション能力の問題であったり、認知の問題であったり、単純に思考力の問題であったり、時に感情の問題であったりするのだろう。

 

という訳で、言葉が通じない楽園・日本じゃない国の話をします。

そういえばちょうど去年の今頃は香港に滞在していたので、香港の話をします。

 

香港というのは日本から飛行機で(多分)五時間以内でたどり着く都市です。

現在は中華人民共和国の中に組み込まれていますが、香港は中国が共産党体制をとる以前からイギリスの植民地統治下にあり、また戦後、植民地体制下で資本主義的な著しい発展を遂げたという、特殊な事情がある為、「特別行政区」という立ち位置が与えられています。

特別行政府については、中国というマトリョーシカの内側にあるミニ国家のような立ち位置と言うと、若干語弊はあるかもしれませんが、旅行者の漠然としたイメージとしてはあまり問題ないかと思います。

例えば中国で流通する貨幣は中国人民元ですが、香港では香港ドルが流通しています。香港ドルを発行する銀行は香港内に三つあり、そのどれもが微妙に異なるデザインの紙幣を発行していますが、問題なく流通します。また、香港と同じく特別行政府の地位にある、マカオで流通しているのは「パタカ」という通貨ですが、これは、細かいお釣りが戻ってこないかもしれないというデメリットはあれど、割と香港ドルで代用が効くようです(2017年8月時点)。もしかしたら人民元も使えたんだろうか。マカオに行ったとき人民元持ってなかったからわかんないけど。

また、ランタオ島にある香港国際空港で押されるハンコは、中華人民共和国のハンコではありません。というか私はハンコ押されずに「入境証」という小さい紙を貰った覚えがあります。今確認した所パスポートには挟まっていませんでした。

 

香港は長らくイギリス植民地という地位にあったことから、西洋的なものと東洋的なものが融合したことにより発生した独特な融合文化がウリというのはよく言われますが、根強い「広東語文化圏」であるということも、中国内における香港の特殊性を担保している、ということも出来るかもしれません。

第二次世界大戦後、大陸中国との往来が遮断され、また、50年代におこる生産体制の変化に伴う資本主義的発展、及び50年代後半から60年代にかけて、テレビやラジオ放送等が一般に普及したことにより、広東語による文化圏が香港で形成され、これが現代に続く香港人アイデンティティの下地となっていると言われています。

この「広東語」というのが、旅行者として香港を訪れた私にとって目につくものでした。私は卒業要件単位として一年程度普通語を履修したものの、広東語は発音が全く異なります。繁体字のニュースサイトを眺めているとき、わからない単語を調べると、その下に広東語のピンインが表示されることがありますが、普通語であれば1から4までの声調が表示されているところに、6とかいう謎の文字が附されていたりするので、なんかもうあんまり考えないようにしています。そういえば以前留学中に出会った推定華僑の方が言うには、広東語で「ありがとう」は「ンゴイ」と言うそうです。シェイシェイのシェイもない。

香港ではこの広東語が車内アナウンスのトップバッターとして流れて来るので気分はムーンサイドですが、イギリスによる長い植民地統治の影響により、二番手に英語での説明が大体の場合入ります。また香港で使われている「文字」は台湾と同じく繁体字、これは時々訳が分からない画数が多いばかりの謎漢字がありますが、多くは日本でも使用されていた旧字体と同じため、繁体字と英語の字幕をマジマジと眺めれば、必要最低限の理解には十分すぎる程の情報が入るので、体感としては、「何か標識はあるけど書いてある言葉がわからない」問題で詰む確率は、台湾よりも、それも、著しく低かったような覚えがあります。

八月の香港というのは気候としては蒸し暑く、一方店の中は常時冷房がガンガンきいているので、大通りを歩くような時は、時折入店して息継ぎをするように涼みながら歩いていたのですが、今にして思えばあれは、今年の東京や名古屋の暑さと大差はありません。今年の夏を乗り切った方は、これから夏の香港の気温に臆する必要はあんまりないです。台風とかには臆して下さい。

以上で香港についての大体の概説が終わり、続いて香港で行ってまず食べるべき物だとか行くべき場所だとかの情報は、各位ガイドブックを参照頂いた方が間違いなく有意義なので、ここではあくまで私的な備忘録の一環として、「香港で嗜んだアフタヌーンティー」について記したいと思います。

 

と思って、記憶の補強の為に調べていたのですが、多分香港でわたしが嗜んだのはハイティーだったかもしれない。

諸々の記憶が曖昧というのはその日の暑さというのもあってだろうが、香港に滞在していた推定三泊四日の内、アフタヌーンティーを求め尖沙咀を徘徊したのは、確か三日目のことだった。

一日目は尖沙咀の大通りを無策に歩いて汗を流し、二日目はマカオで道に迷い汗を流し(香港は高層ビルによりまだ直接の日差しは遮られることが多いものの、特にマカオ風致地区?は、まさに白昼といった様の白い日差しを全身に浴び、そして突き抜けるような青空の下ということを忘れる程、それこそ眼鏡が曇るまで蒸していた。コロニアル様式ど真ん中、いかにも南欧風の美しい景色も、蒸し器さながらな暑さのなかで見るのでは、何の感慨も生まなかった)、そして確か三日目に半日別行動の後、尖沙咀・九龍公園のモスク付近で合流、そして一路アフタヌーンティーへ向かったのだった。

 

我々がアフタヌーンティーに求めていたのは、まず第一にお手頃価格だった。

元英領で頂くアフタヌーンティーなんだから、どこでもまぁ雰囲気はさぞ宜しかろうという見通しの上だった。

その上で事前リサーチを重ね、我々が第一目標に据えたのはニューワールドミレニアム香港ホテル 、ザ・ラウンジのアフタヌーンティーだった。

 

www.cathaypacific.co.jp

 

尖沙咀から彷徨いつつ尖東へ、MRTの駅構内地下道をズンズン歩き、大江戸線改札外乗換を優に超える歩行距離にウンザリとする。尖東からニューワールドミレニアムホテルの最寄り出口に出たはいいものの、尖東周辺は大規模ホテル街であり、ここそこから焼けるような日差しを惜しみなく浴びながら歩きに歩き、やっと辿り着いたラスボス・魔王城のような感慨と共にようやくたどり着いたのが、ニューワールドミレニアム香港ホテル 、ザ・ラウンジであった。

調べて貰えば、また先にリンクを張る形で紹介したページや、その他私が選出の参考にしたアフタヌーンティー感想ブログ等からも分かるように、このホテルのアフタヌーンティーは一般に目玉と言われる香港アフタヌーンティーと比較してお手軽価格で、他サイトで見られる画像から見て分るように美しい造形、我々がまさに求める形の一つであった。

しかし結局、我々一行がアフタヌーンティーを嗜んだ場所はそこではない。

現在(2018年8月5日時点)のニューワールドミレニアム香港ホテルザ・ラウンジ公式ページでは

「弊ホテルでは、VISA・Mastercard・American Express・Diners Club・JCBの各種クレジットカードのほか、Apple pay・Android pay・Samsung payもご利用頂けます。」

との記載があるが、2017年時点ではAmerican Express或いは中国銀行?(説明を聞き取れなかったが、中国系のクレジットカードであったことは確か)のクレカしか使えないというお断りを頂いたのだ。

当時、実際に注文する前にクレカの使用について聞いたのは、賢い判断だったという他ない。アフタヌーンティー代を手持ち現金で支払ったら、その後無一文になってしまう。

硬いコンクリートに照りつける日光を経てようやく座った青々とした柔らかなソファから立ち上がり、我々はラウンジから出て、エスカレーターを降り、中国人団体観光客とすれ違いつつ外に出た。

 

半ば途方に暮れつつ、ホテルの部屋にセットでついていたポケットWi-Fiを駆使して発見した、その現在地、というのはニューワールドミレニアムホテル付近からそう離れていない場所にあった、お手頃アフタヌーンティーを提供してくれるらしい場というのが、ホテルICON一階のレストラン、GREENだった。

 

blog.his-j.com

 

ここでの支払いにはVISAやMasterCardが問題なく使え、安心してアフタヌーンティーを口にすることが出来たと思っていたが、改めて調べたところ、我々が口にしたのは恐らくハイティーだ。

 

アフタヌーンティーとハイティーの違いは私にはよくわからないが、調べたところによるとその違いというのは、行われる時間にあるらしい。アフタヌーンティーは昼下がりの軽食、ハイティーは事実上の夕飯であり、元は労働者階級・農民の生活環境から始まったものであると説明されている。(「アフタヌーンティーとハイティーの違いは?」、Travelers Cafe World Gallery、(http://www.travelerscafe.jpn.org/column5.html)(最終閲覧日2018-08-05)参照)

 

私は紅茶の味が分からず、コーヒーの味区別はもっとつかない上、あんまり量を飲むと下から腹痛と共にあったかコーヒーフロートを生成するという理由から紅茶党の顔をしつつ、実の所アッサムとアールグレイの違いも全くよくわかっていない。フレーバーティーかそうでないかの違いは辛うじてといったところであるが、しかしその私でも、ここで飲んだ紅茶の味は今でもよく覚えている。

それはホットティーだったが、シャンパンの味がした。確かに炭酸の気泡が舌の上で弾けるような心地を、今なお思い出すことが出来る。ラグジュアリーな夏、芳醇な香り、本格派ではない、本格、というか、これは本物。金を掛けた茶葉から出た、極上の一滴といった味がした。その香り高さたるや、存分に札束を煮込んだらこんな感じだろうなといったところだ。

アラカルトというのだろうか、アフタヌーンティーの三段重ねの皿の上に乗ってやってくる料理もすごかった。中でもわたしがよく覚えているのは、一口大にカットされた縦にぶ厚いサーモンの上に、キャビアがちょこんと乗っていたものだ。

その時、キャビアを人生で初めて口にした。以前ロシアでトランジットした時は、シェレメーチエヴォ空港や赤の広場のグム百貨店でキャビアの缶詰をメチャメチャに目にしていたが、値札も併せあくまで観賞用の芸術品のような存在であったキャビアがその時、缶詰に入ってではなく、純然たる食用として、わたしの目の前に出現した。

舞い上がって味はよく覚えていない。しょっぱくて、おいしかった。記憶における味の解像度が余りにも低い。美しいものの味を覚えておくために、日頃からの食を蔑ろにすべきではなかったと深く恥じ入った一年前のことを、書きながら今思い出した。あと、焦って食べない。でもなんか、口に入れないと逃げる気がして……。

 

会計をしてくれたお兄さんというには老けた男性は、「オレは日本語を習ったことがある」と言い、得意げに「コニチワ、アナタ、ニホンジンね」と、我々のナショナリティを言い当てていた。うんうんと赤べこのように頷きつつ曖昧に笑って反応出来ない事実を濁す我々と、そこから言葉を続けない男性店員の間で、暫し腹の探り合いのような時間は流れたものの、あのどう考えても高い、高価な味のする、高級なシャンパンの風味がする紅茶の味の記憶に、影さすものは一切ない。

クリアーでエクスペンシブ、ゴージャスかつラグジュアリーなお味。この一点において、なにものにも引けを取らない素晴らしい人生。

 

私の人生のハイライトは、以上の通りお金で買える。

しかしお金は、私を界隈のインフルエンサーにしてくれるだろうか。頒布価格を下げることで、絵を活発に描くような界隈のインフルエンサーが、私の頒布物の三次創作をしてくれるだろうか。

答えは否だ。

創作活動というのはどこまでも自由で、そしてその分、人間存在の間にある深い溝を露わにする。

そこでものをいうのはコネクションであり、個人の言葉であり、気持ちであり、定量化しがたい何かが、創作世界をぼんやりと覆っている。

至高のティータイムを記憶として持つ私は、しかし今もなお、ぼんやりとした不安の中にある。

 

八月にまた同人イベントがあり、そしてタイムライン上の界隈はにわかに活気づくだろう。

それが、溝を知り体感し克服しようと足掻き、それでも無駄な徒労だったと悟り尚、眩しいのは、人と好きなものについて話し合えるという空間が、恐ろしく得難いものだからだろう。

 

これまでの記事を通してみた上、「ブログ記事でまで同人における人間関係の愚痴を垂れ流している、これはオタクないしフジョシの風上にも置けない存在であるからして早く失踪してほしい」と考える好き者は、それはそれで(どうでも)いいのだ。

私の感情としてはトラックで轢き潰しにかかる勢いがあるが、眩しい環境に気軽にアクセスできるようなその恵まれた位置で、人間の情動の一つである妬み嫉みを忌避することを至上としながら生きればいい。

 

そして他方、眩しいタイムラインに目を焼かれ、血と同じ成分である涙をこぼしながらトラックのハンドルを握ろうとするそこのお前。お前は幸いだ。天の国はお前たちのものである。

え? 「私は現世主義だから今すぐにこの感情でぶちのめしに行きたい?」

……それはほら、法律があるから、仕方ないね。残念だった。

 

 

新約聖書 (まんがで読破 MD073)

新約聖書 (まんがで読破 MD073)