メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

「世界」の価値

「限界のその先の力を使うのはキツい。だから、力をくれ… 手嶋さん!! 青八木さん!! 鏑木!! 小野田!! そして…鳴子!!」

 

「ジャージを背負ってここを走らせてもらってることに感謝してる だから競り勝つ!! 相手が誰であっても!! それがエースの価値だ!!」

 

――渡辺航弱虫ペダル』(509話)より

 

 


この度北海道における大きな地震にて被災された方、および台風23号で被災された方におかれましては、心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い再建をお祈り致します。
なお、この記事については、週刊少年チャンピオンにて連載中の漫画『弱虫ペダル』509話「エースの価値」について大荒れした挙句、意識されているか否かに問わず否応なく作者の倫理によって定義される漫画世界において存在するやもしれぬ倫理規定を呪い、世界の崩壊を希求する気持ちを抑えるために最適な、絶望的な感情に捕らわれた人間の気を紛らわせるパワー系パニック映画を紹介するだけの記事ですので、読まない方がいいです。

 

 

「エースの価値」を知った後のやり場のない感情を処理する為に四時間使っている。

とりあえず「レース自体が終わっていない」時点であの煽り文を付けた編集サイドの人間を極刑にして下さい。アレが侮辱でなくて何が侮辱なんですか、この世界に神はいないんですか?

 

週刊少年チャンピオンにて連載中の漫画『弱虫ペダル』において描かれるキャラクターたち個別の努力については、何も言うことがありません。あの漫画に描写されている時点で、努力していない存在、故に驕ったものというものはない。皆一様に真摯なんです。それだけは確か。

 

であればこそ、なんだアレは。

 

「勝利すべきキャラクターは居らず、ただ勝敗だけが存在する世界線」であれば、こうも読後感を処理する為に時間を費やすことはないだろう。

箱根インハイを描いていた頃の弱虫ペダルというのはそうであったと、少なくとも私は思おう。

私が弱虫ペダルという世界における「繰り返し」を知らない一年目の段階で起こる数々の事象は、まぁそういうこともあるな、凄い、こういうこともあるのかと、一重に感動の眼差しで見ていた。

 

オイ聞いてるか二年目の三日目におけるインターハイ展開、テメーだよ。

 

立ちはだかる危機、追い詰められるも「同じチームの仲間との間に築いた絆」を糧に立ち上がる総北メンバー、そして勝利。

一年目で描かれたそれにはまぁそういうこともあるかと納得した、それを、二年連続で繰り返されると、「作者による結論である」という納得によって蓋をされ得ない、ある感情、そして疑念が沸き起こる。

なに、この既定路線じみたそれは……と私は宙を仰ぎ、そしてこの漫画における世界観を疑い始める。


箱根インハイにおける心臓がポンプする山岳賞、各日程最終ゴールで繰り返し描かれてきた「ロードレースの世界において速度こそ全てであり、努力を出し切った以上それ以外の何物も介在し得ない」という価値観。

それを提起しつつも一年目の焼き直しを思わせる二年目の展開に私が透かして見たものというのは、「仲間同士協力することこそ正しい」すなわち「勝利」であり、「正しくない価値観は勝利しない」世界観なのではないかという疑いだ。

作者の意識の上にその意図がなかろうと、見たいものを見て見たくないものを見ないという制御は人間だれしも無意識に行うものだ。

 

前者(「ロードレースの世界において速度こそ全てであり、努力を出し切った以上それ以外の何物も介在し得ない」という価値観)のもと行われる展開が、二年目IH三日目のレースであるのならば十分に納得できただろう。

そこに存在するのはただ「勝敗のみ」であり、可能性は無限に広がっている。

 

しかし後者であれば、

仲間と協力し、仲間のことを思い、皆で連帯し揃ってジャージを届けるという「正しい価値観」に与えられるものが「最終的な、最も大きな勝利」といういわば「正しさ」の証明であり、そうでないものに正しさたる「最大の勝利」は決して付与されることがない、可能性すらを否定する規定の元に存在する世界観であるとすると?

 

極論言ってしまえば話の筋なんてもんは作者の勝手の領分でありそれを元手に云々する不平不満ばかりの「読者」という存在を介在させるべきではないと常々私は思いますが、その世界観の元にある世界に、私は何ら尊厳や価値を感じない。

 

という訳で今日も今日とて大荒れですが、ここで最近見た(ポスト)アポカリプス映画を紹介して気を静めたいと思います。

 

近々本業たる学生の領分にてビックイベント・公開処刑(ゴミを元手にした学外発表)を控えているため生存にも気がそぞろ、関係領域の記事を見るにつけ公開処刑時の弁明に使う資料もといゴミのゴミぶりが明らかになり、悲鳴を上げ頭を抱えながらネットフリックスで映画を見る日々を最近始めました、現状それなりに続いています。純度1000000%の現実逃避。

 

ここで今回紹介する(ポスト)アポカリプス映画について以下の通り定義したいと思います。

①大規模なパニックを扱う(パニック映画)
②開始時点で既に文明が壊滅している(ポストアポカリプス映画)
③劇中以降で収拾のつかない事態を予測させる

このいずれかを満たす映画作品を「(ポスト)アポカリプス映画」として、この記事での定義としたいと思います。

 

なお、映画紹介を行う人間についてですが、映画鑑賞については旅行同様まったくの素人、趣味と言って憚らない程精通している(またはしようとしている)意識は無く、水を片手に「ただ気さえ紛れれば何であろうと全く問題ない」という認識のもと現実逃避に映画鑑賞を行っている身なので、諸々ご容赦頂ければと思います。

 

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現実逃避に供されるゾンビ映画がやたら多いのではないかと思われるかもしれませんが、バイオハザード攻略本によって児童期における識字訓練と情操教育を済ませた人間は、ゾンビ映画を見ると親と誤認して見てしまう習性があるのです。

なお、蛇足ですが特に私の情緒育成に影響した攻略本は『バイオハザード』『バイオハザード アウトブレイク』『バイオハザード CODE:Veronica』の三冊でした。ヨーコの設定と零下のシナリオに過載されたロマンと夢は、私の青春時代に甚大な影響をもたらしたものでした。そして何より、あらゆる設定を盛ろうと結局最後、各位助からないエンドがある群像劇は至高。感染による味方の変貌もゾンビ映画の見どころであるところだなぁと感じます(この辺りの性癖はSIRENにおけるパロディを行う際の既存のキャラクターの屍人化に対する躊躇いの無さに続いている気がします)。

最後に、スティーブ・バーンサイドが再登場したら連絡下さい。

 

以下で各映画の簡単な紹介とネットフリックスにおける視聴の可否を記載していきますので、各位宜しければ参考にして下さい。いや、参考にしなくたっていい、ただ気がまぎれさえすればなんだって良いんだ。

 

AKIRA (1988) ネットフリックスで見れる!
1988年東京に新型爆弾が落とされ勃発した第三次世界大戦後の世界、暴走族のリーダーである金田は立ち入り禁止区域にて別件にて逃走中の小男を避け事故を起こした結果、軍に身柄を拘束された仲間の鉄雄を探しに行くが……
攻殻機動隊とか旧劇場版エヴァンゲリヲンの質感やあの時代の空気に強い性癖を感じる人間にオススメ。持っていかれる。

ただこちらの作品、舞台設定が「東京オリンピック」を控えた「2019年」の世界なので、平成末年(推定)に鑑賞するのもエモいんですが、2019年まで寝かせておくのも悪くない案かと思います。

 

インドオブザデッド(2013) ネットフリックスで見れる!
失恋した男と失職した男が二人の友人の男の出張にかこつけゴアに向かう!(原題Go Goa Gone) 失恋した男は向かった先のゴアで出会った美女に「離島でロシアンマフィアが開催するパーティーがある」と誘われるがままに離島に乗り込み、朝を迎えると……
開始十分で「月曜日は嫌だ」という内容の歌が流れるので最高。所々の台詞回しが非常にツイッター映えする内容でありツイッターで映画の画面キャプチャが流れて来たこともありましたね。内容としては私は所々中だるみするかなという感じなんですが全体的には面白かった。視聴後インターネットで他人の感想を見た所色々な事実が判明したので、映画が好きで色々知識がある人が見るとより面白い作品だと思う。知識がなくても楽しめるので是非。ババジキブッディー(ゾンビ走りません)

 

クローバーフィールド/HAKAISHA(2008) ネットフリックスで見れる!
主人公がマンハッタンの自宅?で昇進転勤パーティーをしているその時!マンハッタンに巨大怪獣が現れる!!
都市を謎の超巨大生物がパワーで破壊していく様を見たい人におすすめ、突如現れた災厄になすすべもない一般人が何とか生存目指して生きて行こうとする様に感動を覚えるタイプの情緒を持つ人間には百点満点の結末。『バイオハザード アウトブレイク』とかAA作品バイオモナードの民間人視点のストーリーとか好きだった人間にはハチャメチャに刺さる。

 

クローバーフィールド パラドックス(2018) ネットフリックスで見れる!
世界的なエネルギー不足のなか、打開策として期待される宇宙船における実験中に事故が起き……
クトゥルフ神話TRPG「火星より」を見ている最中に思い出したのはさて置き、21世紀の人間の新たな定番恐怖即死ステージは宇宙で決まり! ほら、真空だし……逃げられないじゃん……?(いや、前世紀から宇宙船パニックはまま存在していたのでは……?)

メインカメラは宇宙に据えられていますが、この映画世界における地球も地球で無事ではないので前作が好きな人も安心して見られます。一緒にエンディングロールに向かってなんだそれはとキレながら呆然としよう!

 

ジオストーム(2017) ネットフリックスで見られない
南米から帰国する時に視聴した映画、予告編の「彼氏も凍った……」が好きだったんですが、本編も期待通りの暴れぶり、世界中が衛星由来の異常気象でどったんばったんしている様はお金がかかってる感じがして中々面白かったです。エンディングは嫌い。

 

スウィングオブ・ザ・デッド(2012) ネットフリックスで見れる!
原題「BATTERY」、ゾンビパニックにより荒廃した世界で拠点を転々としつつ生き抜く元野球チームの中継ぎ投手と正捕手コンビだったが……。
ポストアポカリプス後の世界で淡々と生きる人間のロードムービー。是非全国のフジョシにはこの映画における設定をパロディした男同士の生き残り物語を語り聞かせてほしいんですけど、バトロワパロ以上に救いがゼロなのでそのつもりで見るといいと思います。暫く見たくない。(ゾンビ走りません)
※鑑賞後映画がトラウマになりそうだったので私は間髪入れず『インドオブザデッド』、一日置いてから『アタックオブザキラードーナツ』を鑑賞し、そこから『クローバーフィールド パラドックス』の資金のかかった美しい宇宙映像を見てようやく心が立ち直りました。ご参考までに。

 

ゾンビ・サファリパーク(2015)ネットフリックスで見れる!
ゾンビパニック収束後の世界、ゾンビパニックによるトラウマを残す主人公は克服の為、僅かに残ったゾンビを孤島に収容し、「狩猟」を楽しむリゾート施設に向かうが、案の定ジュラシックパーク現象が発生してしまう。
原題「RESORT」、クソふざけた邦題からは想像できない程設定が練られているのでわりと面白かったです。ラストシーンのゾンビ大脱走は必見。(ゾンビ走ります)

 

ドーンオブザデッド(2004) ネットフリックスで見れる!
突如発生したゾンビパニック、生存者たちはショッピングモールに立てこもる。
圧倒的なゾンビパワーを前に追い詰められていく生存者たちの一時の享楽的な生活が美しく描かれ高得点。行き詰まった状況における生存者たちの仲間割れが適度に状況の絶望にスパイスを加えていく様が芸術的です。ネットフリックスでは見られないんですが特典映像もゾンビパニックで人間生活がいかに変容していくかが生々しく描写されていて私はとても好きな作品です。ゾンビ走ります。

 

ワールド・ウォーZ(2013) ネットフリックスで見れる!
突如発生したゾンビパニック、主人公のジェリー(元国連)は家族を連れ混沌とする街を脱出、収容された海軍軍艦に愛する妻と子供を匿って貰うことを条件に、ゾンビパニックの発生源を探るべく、世界を股に掛ける!
主人公が強すぎて正直感じない。ゾンビよりアメリカにおけるヒスパニック系の移民家族描写やイェルサレム分離壁のことがめちゃめちゃ印象に残ったんですが、金がかかってるだけあって色々壮大な景色や突飛な映像を見られるのは良かった。「主人公がクソ強い」ということを念頭に置くと、そういうものとして楽しめるかもしれません。ゾンビ走ります。


今回の表には掲載しませんでしたが「デイライツ・エンド」(2016)というゾンビによるポストアポカリプス映画という分類に入りつつ実の所生存者たちの冗長な会話を執拗な顔のアップで演出するある意味SAN値が減る映画もあったのですが、8月31日をもってネットフリックスから消えたので、ここでの紹介は差し控えました。

TSUTAYAなどでもし見かけたら是非借りて見て下さい。ある意味色々なことを忘れられるかもしれません。

 

 

気が紛れきらなかったので話が冒頭に戻ってしまうのですが、しかし、作中における勝敗を始めとする事象について作者の倫理だとか云々に理由を求めると本当に救いようがないので、無理やりにでも作中に理由を求めた方が救いがあるなと私は荒れ始めて五時間でようやくその境地に至りました。

勝利によって自己肯定を得ていた御堂筋くんが、大いなる目的の為であれば目先の勝敗について拘らない、身体を保全するという方向に目が向いたのであれば、それはそれで一つの成長として考えることは可能なのではないか。

しかしいずれにせよ、そのように思わなくもないんですが、どうしたって描写が少ないので、こちらの都合がいいように考える他無い上、これから先の展開や、その「友情パワー」、そしてさらに二年目である以上これから先の物語において「御堂筋くん」という存在がどのように描写されるかにもよって荒れ方が変わるんですね。

その世界観において正しくない存在には勝利を付与しないという倫理規定が存在する可能性がある以上、これから先「御堂筋くん」という当初のキャラクター、いわば人格を一種の洗脳、もとい「浄化」、或いは「回心」のように扱われることがあるのではないか、原作がそうである以上、それ以外の「可能性」は存在しないと規定されることさえもあり得るのではないか。

それならもういっそ早く言ってくれ。「正しさ」の証明は最終的な、圧倒的勝利であって、作品世界において「正しくない」と判断されるものに「正しさ」の証明たる圧倒的勝利は存在しないと、

 

しかし、もしも実際に、作中世界において最強の第六元素は友誼であり、皆でジャージを届けるという団結が「正しい(勝者)」ものであって、そうでないものは「正しくない(敗者)」と倫理規定がされているのであれば、それはそれで一つの結論だとは思います。

その規定の外側にあるのが創作であり、考えることはどうしたって自由なのですし。

 

追記

書ききってからツイッターを見て改めて「決着がついたわけではないな」と極めて冷静になったので、七時間も苦しんでいないで広い視野を持って建設的なことをすべきだったなと思いました(不毛な反省)

 

追記(2)

 

しかし、もしも実際に、作中世界において最強の第六元素は友誼であり、皆でジャージを届けるという団結が「正しい(勝者)」ものであって、そうでないものは「正しくない(敗者)」と倫理規定がされているのであれば、それはそれで一つの結論だとは思います。(上述)

 

あれから一週間経って次なる作者のプロットをそれぞれの情報筋から伝聞致しましたが、どうやらこの記事で大荒れした案件がよっぽど真実味があるような気がしてきて……?

インターハイとかいう些細な勝敗より体が大事という判断であることがわかれば余程納得できるので、得てして作中でそのような詳細説明はないと思いますがせめてそのようであってくれと願っています。

その上で、一年目を読んだ時点でわたしが危惧していた、「彼、三年目のインターハイなんか出走したら死ぬまで走り続けるのでは……?」という懸念は少なからず放逐されたかなと思いました。

 

しかし何なんでしょうね現時点の友情ぱわわの大勝利プロット

 

滅びよ。