メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

おおセリヌンティウス!セリヌンティウスはいずこ!

 
これは投稿用メールアドレスを用いての投稿テストであり、同時に11/24Tokyo Fesからのライブライティングでもある。ライブライティングと言っても投稿完了する頃には最早ライブではないので、何がなんだかといったところだが。

同人イベントに参加せむとて東京ビックサイトへ降り立つと毎回、嫌な動悸がはじまり手指の震えが止まらなくなる。これは買い逃しへの恐怖であったり、買い逃しをするわけにはいかないという緊張であったり、両隣のサークルスペースで行われる他愛もない会話への恐怖であったり、あらゆるフジョシの存在への憎悪であったり、その他諸々である。指を震わせながら隣の合同サークルの新刊事情の会話が聞こえてくる。怖い。誰かここから助けてくれ。
これまで何回かイベントに参加していて、毎回もはやこれまでと思っている。しかし直近のイベントではわたしには売り子がいた。現実の知人である彼女らに生き恥を晒しながら参加するサークルは救いだった。いま横のサークル同士が「○○さんの新刊タイトルも絵もエッチだし最高!」という話で盛り上がっている。こわい。フジョシらの存在を自らへの威圧として感じるべきではない。理性は「怯えても仕方がない」「怯えるべきではない」とわたしを必死でなだめているが、そういう問題ではない。脳を介さない迫害への恐怖がここにある。
存在を許されていないことへの怯え。しかしそもそもフジョシらからすれば存在を「認知していない」のだから許す許さないの問題ではないし、参加の許可はフジョシの許しではなく参加料の支払いによって下されるものだ。頭ではわかっている。頭ではわかっているのだ。
 
話を戻そう。直近のイベントでわたしは現実の知人(「どうじんし」という言葉を聞いたことがあるレベル)に売り子を頼んだ。救いだった。存在することの恐怖に苛まれるわたしをよそに彼女らは存在し、そこでわたしを個人として認識した上で普段通り会話をしてくれるのだ。救いだ。
海外旅行中一蓮托生となる同伴者との関係性は旅行中にさまざまな色合いを見せるが、それにしたって道に迷って迷いこんだ路地裏、酔っ払ったスコットランド人男性複数がハイヒールを鳴らして歩く女性一人に絡んでいるのを目撃したときだとか、マンチェスター市内から郊外へ向かっていくバスの中、テロの記憶がまだ新しい時分にブルカを着用した男性が乗車してきたとき(明らかに偏見だ)だとか、とにかく誰か、「わたしにそう悪感情を抱いていない」「身元のはっきりした人間」がいることが、もうだめだ誰か助けてくれ嫌だ!!!!!!ここからいますぐ出してくれ!!!!!いやだ!!!!!!!助けてくれ!!!!!!
 
(中断)
 
目当てのものを粗方購入して人心地がついた。未だに指は震えているし、買い物をしていて何度か小銭を取り落とした。開始10分で目当ての新刊がひとつ売り切れていた。取り置きを頼んだことを忘れて普通に購入した。隣接スペースから差し入れを頂いてしまった。顔をあげられないしもちろん返礼の品も用意していない。それを詫びることもできずに俯きつつひたすらに頭を下げている。無…………消え去りたい……
相手に対してわたしの存在が申し訳ないというより、とにもかくにも恐ろしいのである。この恐怖を何に例えればいいのだろうか。こわい…………と思いながら座っていたら、頒布物目当てに来てくださった方からなんか金色チョコの小箱を頂いてしまった。
「えっ!?頂いていいんですか!?ありがとうございます!!」
人間に対する恐怖のあまり縮こまっていた社交や明るさがひょっこりと顔を覗かせ、喜びの声が出た。クソ現金で都合の良い恐怖である。
 
11時が近付くと流石に最低限は買い込んだこともあり、このあたりから段々と落ち着いてくる。存在が恐怖とかなんかもうそんなことよりも椅子があることが有り難い。椅子に座り心を沈めてメール投稿テストのための文章を打ち込んでいる。スマホをしているときだけは心がひどく穏やかで、静かだ………良いじゃないか、オレは静かなのが好きなんだ。
思えば9時頃にはイベント、南米よりも怖いとか言ってましたけど、そうでもないのかもしれない。別に荷物放置してたら丸々なくなるとか、ないし。
わたしが南米大陸に上陸したのは、三月のことだ。ヒューストン経由でペルーはリマ、ホルヘチャベス空港に降り立った。
搭乗前は南米の飛行機事故の記述について調べ、ウィキペディアの記事などを見、万一アマゾン地帯に不時着ないし墜落して残念ながら意識を保ってしまっている場合は、川を探す。川の流れに沿って進む……といったシミュレーションを続けていた。ちなみにホルヘチャベス空港のネーミングの由来となったホルヘ・チャベスというのは、航空黎明期に活動したフランス出身(ペルー系フランス人)のパイロット。アルプス越えの飛行に挑戦し、着陸寸前に墜落し事故死した。(Wikipediaより)
……いや、素晴らしい人なのはわかるんですけど、いや…………墜落……………いやいや……………
 
我々がホルヘチャベス空港に降り立ったのは深夜だった。到着ゲートから売店があったような記憶はあまりない。荷物受け取りゲートに入ると、どこも同じような景色で荷物がコンベアーに乗ってゴロゴロしている。そこをトランクをもってうろついていると、荷物の取り間違えか荷物泥棒が頻発しているのか、頻繁に搭乗券の半券の提示を求められる。半券の番号と荷物の番号の照合を終えると、時に半券を返され、時に持っていかれてしまう。しかし半券を持っていかれた後も別の警備員?によって半券の提示を求められる。「他の奴に持っていかれた」と言うと、「じゃあパスポート見せろ」と言われる。パスポートを提示して名前を確認される。「日本のパスポートって赤じゃないの?」警備員はにやにやしている。なんだ。コミュニケーションのつもりか?
 
荷物受け取りホールから自動ドアを潜るとタクシーの客引きブース(同人イベントの企業ブース、あるいは屋台みたいな感じだ)があり、「Taxi!!」「Taxi!!」「Taxi!!」と心なしか野太い掛け声の少女時代を越えると出口に出る。出口には沢山の出待ちが降り、ここでも野太い少女時代がライブを強行している。
ネットで調べていたときに「リマに夜間着、朝まで空港内で粘れるか」といった質問を見たが、わたしの記憶からすると「人による」ところだとおもう。後日我々一行は朝から夜までホルヘチャベス空港内で粘ることになるが、朝から夜までであれば二階フードコートが開いている(ちなみに到着ロビーから荷物受け取り口は推定一階だ)。しかし深夜になるとたぶんあそこは閉まるので、うーん、使えないんじゃないかな。知らんけど。
ちなみに、流石に南米大陸の玄関口らしいこともあってか、ホルヘチャベス空港はよく清掃されている。後日わたしはひどい食あたりを起こし空港の床に座り込むが、場所を選べば痰唾が落ちていることもなくおおむねクリーンであった。(ここでスペース前に立ち止まった人間二人がぼそぼそと何か二人ごとを喋りながら弊お品書きを見ている。なんか文句あるのかと言わんばかりにわたしは顔をあげた。)
 
また、空港内には空港公認の少女時代(タクシードライバー)とその辺の野良の少女時代(タクシードライバー)がおり、野良の少女時代はほぼその辺のおっちゃんが道で売ってる(売っている)少女時代(TAXIの看板)を車の上に乗せて走っていればまだ良い方(これを白タクと言う。ただの中古自家用車で走る野良少女時代もいる)だ。当然治安はよろしくないので多少ライブ代は張るが空港公認の少女時代(タクシー会社としては三社ある)に頼んだ方がいい。
我々一行は「女」「アジア人」「よわそう」のアバターを脱ぎ捨てることができないのでホテルの送迎を頼んだ。一番値は張るが、ホテルとしてもこちらもかなりの金づるになるため、一番丁重に扱ってもらえると(わたしは)思う。
 
ホテルで送迎を頼むと大抵の場合(少なくともわたし)は、空港の荷物受け取りホールから出たところ、野良少女時代のライブ会場で待ち合わせになる。相手は予約代表者(わたしだ)の名前を書いたパネルを持って立っている。
あちらからしても太客であることは確かなので、バックレて置き去りにされるということはたぶんあまりないと思うがわたしはそれを恐れながら現地携帯を握りしめていた。万一のときさ緊急連絡先に連絡するためだ。
そして推定ドライバーと落ち合ったわたしは、片言の英語で片言の英語話者であるドライバーに伝わるよう必死に懇願した。
「プリーズ、ウェイトヒィア。マイフレンド、ラゲージ、ディライナウ」
 
「南米 旅行 荷物」で検索するとたぶん必ず「出てこない」がサジェストされると思う。我々はそれを恐れていたが案の定そして初手で起こった。戦々恐々とする同行者は「わたしのことはいい、兎に角アンタは到着ロビーに出て、ホテルの送迎に事情を説明して!」彼女は現地での通話手段を持っていない。ホルヘチャベス空港には空港フリーWi-Fiはあるが、通信具合は東京メトロフリーWi-Fiと同格、これが仏の垂らした蜘蛛の糸だったかしら?と錯覚する具合である。
再びの合流は叶うのだろうか、不安を胸にカンダタは走った。後方に置いたこの場唯一のわたしの友を思いながら走った。嘘だ。走ってはいない。トランクを引き摺って歩いた。わたしの荷物は幸運にもいちばんの「ば」の辺りに出てきた。
少女時代を越えてホテルからやってきたドライバーと落ち合ったわたしは、ほうほうの体でどうか放り出さないでくれと懇願し、ホテルドライバーは「ふーん」といった感じでわかったんだかわからないんだか知らないが兎に角了承し、わたしと共に立ちんぼに徹し小一時間ほど待たされた。彼の反応からしてたぶん荷物によってまたされるのはそんなに珍しいことじゃない。あと荷物がなくなることもそんなに珍しいことじゃない。
彼女を待つ間、カンダタはドライバーと会話を試みた。なんとか覚えた自己紹介をスペイン語で披露したときだけ反応がよかったが、それ以外はほぼ無表情無言立ちんぼとなっていた。オラ!コモセヤマ………~完~
 
以下はロストバゲージの危機に瀕した同行者の談だ。
 
我々には幸運にも強い味方がいた。というのも、出発地成田から同乗していたイケメンと彼女が面を通しラインを交換していたのだ。イケメンはペルーに親戚がいるらしく、そこに滞在するためはじめてひとりで飛行機に乗ったらしい。
彼女は荷物の流れるベルトコンベアの狭間にあるサービスカウンター?というにはあまりにお粗末な教卓めいたデスクとそこにたつ係員に、日本語とスペイン語がほぼネイティブのイケメンの仲介により「荷物が出てこない」「出てきたらホテルに連絡をしてほしい」「ホテルのアドレスはここである」との旨を伝えたらしい。
もしスペイン語ネイティブのイケメンがいなかったら、蜘蛛の糸は途切れていたことだろう。彼女の荷物は幸運にも二日後に発見され、ホテルに送られてきた。
 
というわけで、今回の記事の要点は以下の通りです。
・同人イベントサークル参加がこわい。
・フジョシに何か悪いこと言われてるわけでもないけど買いのがしのプレッシャーや自分がここに存在してしまっている恐怖にうち震えている。もうこれは仕方ないのだ。
・ペルーはリマ、ホルヘチャベス空港が夜間滞在に向くかは正直人による。(なお、空港の周りは討伐クエスト★五つレベルの危険地帯らしい)
・行き道でバゲージが失われたときは「荷物が出てこない旨」「出てきたらここに連絡先してほしい旨」を伝え、ホテルの連絡先を係員に渡す。
 
なお、後日ナスカへのツアーで一緒になった大学生グループはついに荷物が出てこず、洋服一式を購入したらしい。
わたしは幸運にも南米で預け入れ荷物が失われる経験はしなかった(預け入れ回数は8回)が、まぁ「普通に出てきたらラッキー!」くらいの気持ちでいた方が万一のとき楽なんじゃないかなと思います。南米二人参加、イベント単身参加からは以上です。