メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

メロスは去る、一人で。

 
【12/20 追記】
以下の記事は11月25日の同人イベント東7ホール某スペースにてライブライティング(?)したものなんですが、案の定というべきか記憶違いがあって何かというと「チェンエクのキリングフィールド」と「S21(ツールスレン)」を脳内で融合し一つの場所として扱ってしまっている。おいやめろどんな地獄だ。
という訳で以下で訂正をします。
 
■チェンエクのキリングフィールド
プノンペン市内から多少離れている(おそらく一時間前後)郊外のチェンエク村にあるキリングフィールド(処刑場)。ヤシの幹で鶏を締める感じで人の首をこうやって処刑していたという音声ガイドをヒヤリングしたのはここ。
プノンペン市内からのスタート地点がどこかにもよると思うんですが、トゥクトゥクで行けるのかなあそこ、いやいけなくはないけど、日差し強いし、途中渋滞とかあるし、ちょっと暑くない……? みたいな印象が残っている。ちなみに私は色々あって口聞きして貰い一日チャーターした車の運転手に連れてってもらった。運転手には「キリングフィールド」で通じた気がする。
(音声ガイドによると)民主カンプチアが崩壊した時点で周辺住民により取り壊されてしまい、今はわりと更地。
駐車場から入り口に入ると大きな供養塔があり、その中にはここで発見された犠牲者の骨が祀られている。
更地とそこにある池???たしか池があったような気がする。とりあえず暫定池の周りに木々を植えたり、解説パネルを順路ごとにたてたり、音声ガイドを聞く用のベンチや小さな屋根つきベンチを作ったりして、それらをぐるっと丸ごとフェンスで区切って、粗造りのちょっとした公園のような形になっている(お金が掛かってるな!という感じのビジターセンターのような箱が入り口付近、順路の最後のあたりにある)が、順路の所々にも供養の碑がある。雨季になると更地からはまだ犠牲者の骨が発見されるのはここ。
トイレがボットン便所(二~三年前時点)
 
■S21(ツールスレン)
プノンペン市内にあるポルポト時代の政治犯収容所(拷問や処刑などを行っていた)。ここでチャーターした車とはぐれて心が何回か死んだ。トゥクトゥク?と口々に言いながらにじり寄って来るトゥクトゥクおじさんがわりといたので、トゥクトゥクで行けるんじゃないかと思う。私は車で行った。元々は学校だったのはこっち。プルメリアが咲いている。
ここではトイレにはいかなかった。しかし校舎脇(たしか校舎が四棟に分かれており、A棟B棟は入り口に近くパネル展示がメインで整備された感じだったが、A棟B棟から一旦出て、さらに順路を進むと現れるC棟D棟のベランダには有刺鉄線が網目状に張られており、ポルポト時代の状態を維持した展示が行われている感じでこう、凄みがある)に、仮設トイレが一個置いてあった気がする(二~三年前時点)
 
以下のライブライティング本文には、上記の二か所の記憶を脳内で混ぜ合わせることで発生した一つの場所として回顧している傾向があります。
 
<以下本文>
 
イベント後半戦、議題はトイレです。
同人イベントに不案内な皆様にご説明致しますと、その他のイベント会場や催事場、遊園地などアミューズメント施設で起こるのと同様、イベント会場では女子トイレが混みます。一般に女性向けと言われるジャンルのオンリーが寄り集まったような会場では男女比実に1:9を越えるので言わずもがな最大サークルはトイレです。生理現象だから仕方ないね。
わたしは生物学的に女性、性自認として残念ながら女性、筋金入りの女でありますが、女性ってトイレの個室で何してるんでしょうね?  ズボン脱いで、用を足して、ズボン履いて、出る。わたしはここまでおよそ一分かからない。大事を成しているのならわかるんですけど、個室入れ違い様に傑作の残り香を感じることって、そうそうない。体調を崩してるとか立てこもらざる得ない状況があることも、用を足すほかのっぴきならない出血の事後処理があることもわかるんですけど、それにしたって、列にならんだ九割がなかなか個室から出てこなくない? マジなにしてんの? これは純粋な疑問としてあるので、もし良かったら教えていただけると嬉しい。女のたしなみとしてトイレで身嗜みをチェックする不文律とかあったらどうしよ、わたしは果たして社会的に女性なのだろうか?
わたしの不安をよそに今回のイベントのトイレも混んでいる。東京、聞くところによると最低気温は6度。水分を摂らぬよう気を付けてはいるが、底冷えするホールの内で冷えた体が尿意を催していた。夏を経て冬の生き方をこれからも忘れるであろう未来のわたし!水を飲まないよう気を付けていても、寒いと人間はオシッコをしたくなります。
 
わたしの記憶のなかで一番強かったトイレはカンボジアプノンペン、ツールスレンの外れにあるトイレです。まず汲み取り式。前任者たちの作り上げてきた合作の気配が足元にムンムン。あと薄暗い。そもそも明かりがないのでなんかこう、木組みの隙間から漏れるささやかな日の光をたよりに、なんとか開きっぱなしの地獄の釜にむかって屈む感じ。
そもそもプノンペン自体があまり観光ルートに組み込まれていない。フリープラン!カンボジアとか探すと、アンコール遺跡郡のあるシェムリアップには大抵寄るんですけど、みんなそこからベトナムに抜ける。たまにタイ。プノンペンからのコース、(三年前に調べた限り)イチ。
三年前に調べたときはラヴィプラスという会社がプノンペンシェムリアップセットツアーフリープラン飛行機宿泊送迎のみの素敵プランを出していてくれたんですけど、一年前そういえばあそこベトナムツアーもやってたよなと思って調べたら、会社、潰れてました。(11/24 19時追記 思い立って確認してみたらラヴィプラス、営業していました。一年前の冬に確認した時「営業を中止しました」といったポップアップが公式サイトに出たんですけど、再開したか見間違えかフェイクサイトだったのでしょう。しかし見たところカンボジア方面のツアーは2018年11月時点では取り扱っていないようです。規模を縮小したのかな……)
 
これも三年前つまり2015年頃の話になりますが、シェムリアップからプノンペンまではバスが出ています。シェムリアップのマーケットとかなんか観光客向けの商売をしている中心街的な一角があるんですけど、そこにいけば、ある。バスで国境を越えるルートとかも色々あるようです。我々はチキったので国内線で移動をしました。いま思えばあの路線はスカイスキャナーとか諸々使って個人でも手配できたかなとおもうんですけど、まぁ、それはそれです。
 
 
プノンペン 観光で検索すると何が出てくるかなと言うと記憶によると王宮、屋内市場の次にツールスレンかなと思っていたのですが、いま調べてみたら一番上にS21が出てきました。プノンペン観光の目玉。なお便所は三年前まで汲み取り式でした。いまはどうかは知りません。
S21は、クメール・ルージュカンボジア共産党支配下カンボジア民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。(ウィキペディアより)
S21はプノンペン近郊に設けられた政治犯収容所のひとつであり、現在は地名をとってトゥール・スレンと呼ばれています。
政治犯収容所はカンボジア各地に設けられていましたが、S21のように博物館として整備された例はまれで、その多くはいまはジャングルのなかに埋没しつつあると言われています。
S21もクメールルージュによる支配が終わると人々による破壊に晒され、元は学校施設であったコンクリート建築(S21では収容兼拷問施設として使用)は残っているものの、処刑場として使われた区画は更地となり、博物館のルートとして整備された現在も、雨期になる度に人骨が発見されるそうです。
 
ところでなんですが、プルメリアという花、ご存知の方はいますか?
わたしが身をおいている日本の社会的には、ハワイとか南国を象徴するなんかこうハッピーでラグジュアリー、ゴキゲンなフラワーらしいんですが、わたしがプルメリアの花と名前を関連付けて覚えたのはS21でのことでした。
わたしのプルメリアは、「元は学校としてこの建物が使われていた頃から、中庭にこのプルメリアの木がありました。収容所として使われるようになり、人々の苦悶の声をかきけすために大音量で昼夜問わず国民歌が流される中、ヤシの木の幹、鋭い樹皮で鶏の首を絞めるのですが、それと同じように人々が頸動脈を掻ききられ殺されていくなか、常にこのプルメリアはありました。今もプルメリアは、ツールスレン虐殺犯罪博物館で咲いています。」という日本語の音声ガイドから。
ストゥーパを模した慰霊碑の中に納められた大量の人骨につぐ人骨、ヤシの木、犠牲者の収用写真と絶命写真を壁一面に並べたたくさんの部屋、実際に政治犯とされた人々が収用された、教室を板で区切りってつくった沢山のロッカー程度の細さのスペース。トイレはぼっとん便所でしたが、現代に生きる以上、機会があれば一度見るべきではあるかなと思います。
 
プノンペン市内からS21への行き方を以下に紹介し、サークルとしては撤収しようかなと思います。
まずプノンペン市内の移動方法ですが、基本的に公共交通機関はないです。トゥク↑トゥク↑というバイクが引く人力車みたいなものが基本的な足になりますが、特にプノンペンではトゥクトゥクから観光客の荷物をぶんどって抵抗する観光客を引き摺って走るみたいな強靭なひったくりがいるらしいので、多くのサイトはプノンペンでのトゥクトゥク利用を進めていません。トゥクトゥクがお望みの場所に行ってくれるとも限らないし……(強い観光客の方とかバックパッカーの方は事情が別だと思います。自分のスタイルと身の丈に合った移動手段を用いていきたいですね。)
私たちは個人で車をチャーターしました。なんかこう色々あって現地の人に斡旋してもらった的なアレです。多分現地感覚としてはボられたんでしょうけど二人で20ドルだったかそこら。これでおっちゃんの首が飛ぶといけないので諸々ぼやかして曖昧にしておきます。おっちゃん、オレ、約束、守るからよ……ヘヘッ
 
S21はプノンペン市内から小一時間から一時間ほど離れたところにある。トゥクトゥクだろうが個人車だろうが、「ツールスレン(ミュージアム)」と言えばおおむね通じるので、機会があれば是非。
(ここで周囲から撤収の音と、アフターどこにする?的な楽しげな会話が聞こえ始める。わたしは「後でまた来ます!」と言っていたがついに来なかった人間の顔と、そしてカンボジアの強烈な首筋を焼く日差しと、寂しげな笑顔でドルを要求されながら、渋々がま口を開くときのあの感覚を思いながら、尿意を抱えて撤収作業を始めた。)
 
 
<参考>
人類は思い出すべきである。金の他に価値あるものが確かに存在することを、無償のものなど何も存在し得ないことを。 - メーデーhttp://ra927rita1.hatenablog.jp/entry/2016/07/24/230250