メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

クソ腐のすなる日記

 


これはもう完全にフジョシというか、クソ腐の日記。ヒトのすなる日記といふものを、クソ腐もしてみむとてするなり。旅行のリョの字も無い完全な日記。移動距離0km、万歩計を見るに、本日の総歩数は199歩なんですが、今この不動の肉体に、五年以上の時をかけ「フジョシ界隈における誕生日絵」に対する憧憬フェーズから抜けつつある涅槃メンタルが訪れているので、記念に書き残しておきたいと思い立ち文章にしました。

 

フジョシと呼称すべきか同人女と呼称すべきか、そうなると腐男子と称される方々やサークル参加で同人活動をされている諸兄らを含まないジェンダーバイアスある表現になるかと思うんですけど、一般に「女性向け」とされるジャンルで活動していて、男性をお見掛けした経験が、イベント時のコスプレイヤー男性ぐらいしか私にはないので、私がここで呼称するフジョシは、一般に同人女と言われる類のそれで、所謂腐女子です。
一部のフジョシには、フォロワーの誕生日を祝い、それにかこつけて推しカプ作品をこう、絵や文にしたりする習性があると言われています。
私は絵を描くことを諦めて二次小説をしているので、ぶっちゃけ閲覧する私としては小説も見るけど、自作出来ない絵の需要が圧倒的に多い。故に他人に絵を描いてほしくて仕方がないので、こと誕生日が差し迫る一月よりはじまる一か月間の誕生日絵乞食を過去五年以上に渡って行ってきているんですけど、「絵需要が満たされたか」という結果としては、目出度く全滅しています。

 

何故か?

 

結果として誕生日絵とか〇〇さんの小説を元に絵を描きました!っていう案件が発生しうるのは、「友達」だからなんじゃないかと私は数年の模索の末にようやく理解をしました。

こう見るとSNSやってると人間狂うんだなっていうので終わってしまう話に見えるんですけど、でもあながち間違っていないというか、厄介な点はこの距離の近さ。

同じジャンルの同じような人間関係所謂カプに手を染めていて、それを理由に程々に言葉を交わし「友達」に成るケース、そんなに珍しくないんですよ。こと同人誌を出してイベント参加とかしていると、「ご飯食べに行きませんか~」とかいう、アフターに発展して、そうなったらわりと友達なんじゃないかなと思います。「前ジャンルでめちゃめちゃ気が合った奴」とかいう呼称で、レポ漫画にも登場するぐらいの。

そうなると誕生日ってなって、じゃあアイツのために絵でも描いてやるかみたいな、そういう関係性になるんじゃないかと、思います。

まぁ言ってしまえば私、そこの距離感が取れなくなっていると言わざるを得ない状態だったので、SNS、感覚が狂うんですけど、「同じジャンルで同じカップリングに手を染めた」が契機になるとはいえ、それが全てではないし、こちとら一方的に生活見てるんで、何となく親しくなった気持ちにもなるんですけど、そういうことはない。

だから#〇〇クラスタさんとつながりたいタグとか、#フォロワーさんともっと絡みたいタグとか、#フォロワーさんともっと絡みたいけどそういうこと言えないから寿司ネタ呟くとか、そういうタグが出回ってるんだよ。じゃあお前(わたし)はここ数年どこに向かって乞食し、何に対して絶望していたのか?

 

上述したようなトントン拍子で友達になるケース、SNSでは割と盛んに見るんですけど、友達という段階に至るまでには実際割と高いハードルがあるように思う。

リプライとか何とかしてみても、行き過ぎたらシンプルにストーカーですし、気持ちが悪い。これはわかる。友達ではない。
じゃあ普段から愛着を持って観察し、良い感じにいいねとかファボとかしたらどうか? それも友達じゃない。フォロワーっていうか、何か、虫かごの外から眺めてる謎の人間。視線は見えないので、そういうのは友達ではない。

そもそも、良い感じの距離感のリプライって、何? ああいう手合いのフジョシって、どういう感じに距離を詰めるものなのか。

フジョシの言う「〇〇界隈の皆さん優しいから」っていう、その界隈概念がよくわからない。同じ〇〇の民とか〇〇村とか〇〇界隈とか言って、何かとタイムラインやツイッター言論におけるフジョシは同質性を自ら強調していますけど、それはどこからどこまでを対象としている言葉なのか、或いは単純に何を考える訳でもなく発されたただのリズムなのか。界隈、それは誰が構成員なのか? 下手に同ジャンルに長居すると後発の人間が余程〇〇クラスタの××さんとしてめちゃめちゃに交流楽しんでたりなさるんですけど、「〇〇界隈の皆さんほんと優しくて」、って何気ないツイート、何を以て優しいと定義する。〇〇界隈の皆さん/〇〇スペースにある「ほんわかムード」とは何か。何? 誰を指しているの? 

 

友達ってどうやって作るんですか?

 

おっ良い感じに煮詰まって来たなっていう所なんですけど、安心して下さい、友達、います、私にも。

所謂同ジャンルとか同界隈は全滅ムラハチアカウントですけど、程々にエアリプをする人間や程々に会話をする人間、TRPGを教えてくれた人間(神)や脳味噌死んだ会話を取り交わす人間、友達はいるんですけど、前述したフジョシ同士のこう、「同ジャンル同カプから」の友達繋がりではないというか、唯一それっぽいようなところも、こう、年単位でツイート見てて、何かこうふぁぼしたりいいねしたり、リツイートしたり稀にリプライしたり、SNS情緒不安定な時にアカウント輪廻転生して新たなアカウントを作る度出したフォローリクエストを全承認頂いたり、多分これ一般に言われる友達ではないんですけど、この距離感こそがフォロワーなのでは? と、薄々思っている。

 

同ジャンル同カプを契機にフォロワーから友達を作れる人間は一定数いるんですけど、そうじゃない人間はこう、私にも何とか出来る筈だと苦しみを重ねるよりも旅行に行った方が良いです。

旅行中、こう、概ね煮詰まってるので、フジョシ同士が交流していようが〇〇さん誕生日なので〇〇さんの小説から絵を描きましたとか、pixiv新着がアップされたとかアップしたものに反応があったとかそういうものインターネット社会ですからね、全部見られる訳ですけど、でも自室で煮詰まるよりはマシ。そうか? 通信料とか色々変わってこない? それに人間の感情は永遠ではないものの代表選手ですし、百人一首でもこれめちゃめちゃに詠まれていますし、かたみに袖をしぼりつつ、行く末までは難ければ、やがて時が全部解決してくれます。

そして、やがて来る涅槃の時を迎える為、心構えとして必要な気付きは、「このタイムラインは苦である」という真理。苦の原因は「同界隈で活動していることをネタに、フォロワー数を表す数字から友達になれるかもしれない!(それであわよくば性癖の絵を描いて貰いたいですね)」という迷妄と、「ここまでやってあらゆる同人女と同じような俎上に上がれば何か、何か変わるかもしれない」というような執着にあるという真理。そして、迷妄を離れ、執着を断ち切ることで心安らかになります。八正道はなんか余っちゃったんですけど、三諦ぐらいでだいぶ楽になる。Loveは知らんがPeaceは訪れる。ここまでくるのに、たぶん五年以上かかりました。

※なおここで絵でも文でもなんでもいいのでカップリング関係で自分の好きなものを自作出来ないと自分が飢えて死ぬので注意