メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

冬真っ盛りにナットシェルを利用してノルウェーのフィヨルドを見に行った①(Bergen→Voss)

紀行(きこう)は、旅行の行程をたどるように、体験した内容を記した文。紀行文・旅行記・道中記ともいう。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』日本語版「紀行」最終確認2019年1月30日)

 

このブログ、自己アイデンティティとしては旅行記録、情報提供といった性質を持たせたつもりだったんですが、改めて見返すと情報提供というにはあまりに雑音(同人暗黒日記色)が強いし、かといって日記というには、何か要らん回顧してよくわからん情報を撒き散らすし、何だ? 文字数多いツイッターか? 

といったところなので、メールの下書きに残っていた紀行文的な体裁の強い文章を手直しして、ブログ全体の体裁を整えたい。いや、余計になんかよくわからないことになるんじゃないかというのは、薄々察してはいるんですけど。

 


渡航

往年羽振りの良かった親族が客船旅行に行った際、立ち寄ったノルウェーフィヨルドの美しさに感動した旨をしきりに語っており、私自身フィヨルドの景観に対する関心はあった。

調べてみたところなんか、フィヨルドっていっぱいあるらしいね? あの身内がどのフィヨルドを見たのかは知らないが、話を聞いた所によると複数諸国周遊のクルーズ旅行の為、恐らく海に面していて、そんなに入り組んだ所にはいかなかったのではないかと思う。オスロフィヨルドとか。でも自分自身、フィヨルドクルーズへの参加を決める前から存在を知っていたのは「ソグネフィヨルド」ぐらいだし、多分そこなんじゃないかな、知らんけど。

 

怖いことに以上のテンションでフィヨルド行きを決める(伏線1)。

 

多分、正気じゃなかった。そういえば発表直後だったなアレ。

なので、この時点でこの親族はヨーロッパクルーズをしている時点で恐らくにそこに行ったのだとか、フィヨルドがどういった所なのかだとか、そういったことはこの時点で一切調べていない。怖。何この無計画。キイロタマホコリカビだってもうちょっと慎重にルート作るって。

 

以下のウェブサイトより知見を得る

dent-sweden.com

 

dent-sweden.com

 

なんでもナットシェルで予約をすれば、ベルゲン→オスロ鉄道移動のついでにフィヨルドを見られるらしい。

なお、冬場は日没が早いので、オスロ→ベルゲンにするとこう、フィヨルドを見るどころではなく暗闇に包まれるらしい。この情報を元に、移動ルートをベルゲン→オスロデンマークに確定する。

 

www.norwaynutshell.com

 

日本語代行サイト等も見つけたが、どこに頼んだところで値段は大して変わらないらしいので、公式サイトより自力で申し込む。

今思えばここが伏線2なんですが、わたし、必要に迫られて英語を読むことへの抵抗が薄れただけであって、基本的に英語が「得意」で「スラスラ読める」ではない。受験時は偏差値四割からのスタート、未だに、他動詞と自動詞の違いとかあんまりわかってない。ニュアンスさえ把握できればいいという、投げやりな気持ち一つで生きている。あと、必要に迫られれば、まぁ何とか出来るだろうという楽観的な期待。

ついでにこれはたぶん性格の問題ですが、面倒になると文章を結構読み飛ばして「ま、重要じゃなさそうだな」と雑な判断をすることも多い。ただでさえ事前にプレゼンが度重なることが前もってわかっていたのに、どうしてせめて趣味シーンでの負担を減らそうとしなかったのか。

まぁ、当時はそういう自省が全く無く最早走り出したダンプカーのような勢いがある。もう勢いだけで走っている感じで、申し込みを終える。

この時点でベルゲンとオスロの位置関係や、フィヨルドの場所、見に行くフィヨルドの名前も調べず、自由意志に委ねられ過ぎた人生の夏休みが明け、自転車操業式に発表を繰り返すゼミや日常の些事、本業に身体を占められている内に「そういえばあれから、ナットシェルから来る筈と言われているチケット確定メールが来ていないな?」と思い出し一週間過ぎたあたりで、申し込み時点でナットシェルから送られてきた「確認メール」に記載された連絡先に宛てて日本時刻で非常識な時間にメールを送ると、丁度向こうの始業時刻と噛み合ったらしく、十分ぐらいで返事が来た。

 

「送った筈だけど届いてない? 迷惑メールフォルダとか見た? まぁ念のためもう一回送っとくわ(意訳)(下線は筆者による強調)」

 

迷惑メールフォルダに入っていた。問い合わせる前に自分で確認しろよお前(わたし)、自分の確認不足で人様の仕事を増やすな。クソか? 

 

それにしても、まぁ、折角送ってもらったので、送ってもらった方のメールを参照する。日付、間違いない。名前、間違いない。発着地、間違いない。強いて言えばメールの前文になんか、「Please note」って書いてある以下の部分がよくわかんないけど、文中に「follow hotel」とか書いてあるし、希望者向けのオプショナルサービスへのご案内やろな。希望せんかったらええやろ(伏線3)。

伏線3っていうか 伏線2の延長っていうか 伏線2を回収した先が3っていうか。

 

まぁあんまり考えないまま、脳味噌モッツァレラチーズの時は進んでいく。

スケジュールも馬鹿が組んでいるので渡航直前に三つ発表が重なる。クソか?

ガイドブックも大して読み込まず、逃げるように渡航

 


【12月某日、ベルゲン滞在二日目】

前日ベルゲン入りして暗闇に呑まれかけメンタルが瀕死の重傷を負ったり、オイルサーディン的な、一尾ずつ入っているのを期待して缶詰買ったら、意外に鯖の味噌煮系の缶詰(???のトマト煮)が入っていて、箸やスプーンの手持ちなど無く、よくかんがえればこの時点で一階の共用キッチンを見に行けばよかったんですけど、部屋を出る気力が残っていなかったので、ちょうど手持ちの左手で缶をほじって食べたりしていたが、折角旅行先なので八時頃に起きて動き始めようと計画するが、何せ高緯度。九時頃まで日が昇らない。

仕方ないので九時頃に外出(それにしたって目的地の博物館とか何とか、全部11時開館なんですけれども)。駅のNSBチケットオフィスにて、プリントアウトしてきたメール文面と引き換えに、ナットシェル周遊券(鉄道・バス・フェリーフルセットのチケット綴り)を入手。この周遊券に印字されている内容も、出発地と目的地のみの確認に留めていた(伏線4)。

 

【ベルゲン滞在三日目→オスロ滞在一日目】

《8:15》

ナットシェル当日である。

最早故郷と言っても過言ではない(過言だ)古巣こと宿を後にする。
この時滞在していたのはシティボックス ベルゲンという宿なんですけど、ここ、最高でした。屋根があるし、お湯が出る。浴室には床暖房があります。リーズナブルに泊れて個室があるのは本当に最高。諸々の経費削減の為ケトルとかテレビとか電子レンジは一階の共用部のみ、冷蔵庫を使いたい人間はそこに記名して冷蔵庫に入れろという仕組みなんですけど、学生寮と比較して全然綺麗なので最高です。冷蔵庫の治安は確認してないんですけど、まぁ学生寮よりはマシなんじゃないかな、知らないけど。私は滞在が12月だったのと、部屋の暖房の効きが普通に悪かったので、冷蔵庫は使いませんでした。場所柄気密性は高いので外と比べると全然マシなんですけど、部屋がいい感じに冷えてた。何より綺麗ですし、住みよいホテルでした。以降の旅程でも、定期的にここに帰りたくなる。

 

それはさておき

ホテルをチェックアウトして、まだ夜明けの来ない中一路駅へ向かう。シティボックスベルゲンからベルゲン駅はだいたい五分足らずの一本道なので、一度覚えてしまえば楽です。強いて言えば、煉瓦造りの駅がなんか周りの建物と馴染んでしまって、入り口の木製のドアなんかが閉じてたりすると、わりと普通に通り過ぎたりする。

この辺りで「えっ、私このトランクゴロゴロ転がしながらフィヨルド見るの?」みたいな、自分の選択の浅はかさを思ったりしてるんですけど、ベルゲン→オスロとか、オスロ→ベルゲンで移動する民は、みんな大なり小なりトランクゴロゴロするもんなんじゃないかな……道行を共にした人々も、みんなトランクゴロゴロしてたし……

 

《8:30》

出発時間は43分なので、まだ時間がある。朝食は食べたが室温でいい感じに冷えたパン(二つで15NKぐらい)と、昨日の内に購入した紅茶系ソフトドリンクのペットボトルに水道水を入れたものだった。これでは熱量が足りない為、駅の売店でホットドックを買う。

ここの店頭に置かれているケチャップのメーカー名が「イドゥン」で、かつて拝読した某ジャンル同人誌のタイトルを思い出す。イドゥンのケチャップは空だった。こちらも死に体のハインツのケチャップと、なんか水っぽいハインツのマスタードを掛けてから、席に戻る。

 

《8:43》

列車が動き始める。事前情報によるとここの景色も結構乙なものらしいが、まだ日が大して出ていない(日本の感覚だと冬の朝五時半ぐらいの明るさ)ので、外の景色も大して見えない。むしろ列車内の方がなんか明るいので、アホ面でホットドックを齧る観光客の顔が見える。この辺りで車内の温度に耐えかね、かぶっていたニット帽と上着、その中に着ていたフリースを脱ぐ。マトリョーシカか?

車内にはアジア人が四人居た。内一人が私、二人が通路を挟んではす向かいに座る二人連れの女性、一人が通路を挟んで隣に座るアジア人女性。私を除くと皆中国人であるようだった。通路を挟んで隣に座るアジア人女性とは何度か目が合ったが、話しかける理由がない為、話しかけなかった。NSB鉄道内無料Wi-Fiにアクセスを試みるも、トンネルの多さ故かすぐにアクセスが弾かれる。諦めてぼんやりと車窓に映る自分の影と、そこから垣間見える片鱗からもなんかこう壮大なことを推し量れる、ノルウェイの森の景色を眺める。

 

《9:56》

トンネルを抜けると雪国であった。Voss着。

ここで利用しているのはノルウェー国鉄(NSB)なんですが、車内アナウンスは基本ノルウェー語のみ。なので、地名を読まれてもスペルから想像できる発音をおよそしていない、正しく降りられるか、しかしスペルがVossなんだから、良くも悪くもフォスかヴォスあたりでまぁ聞き取れるんじゃないか、だいじょうぶかこれほんとに、等と戦々恐々としていたが、ナットシェル利用客が多いからか、Vossに近づく時だけは、「お前らが降りるのはここだぞ」というアナウンスを英語で二度繰り返した。


Vossの駅は、随分と雪が積もっていた。駅舎内に土産物屋やトロールなんかが居たが、次のバスの集合時間が10時10分の為、外から見るだけに留めた。

事前に読んだ旅行ブログの紀行文によると、オスロ→ベルゲンの場合はここが自由行動の場になるらしくて、というか、Voss、なんか旅行サイトにも掲載があるし結構フィヨルドの入り口として栄えているらしくて、何より、戦前の姿を留める石造りのヴォス教会とやらがあるらしいんですけど、わたしは日の丸仕込み集団行動のプロなので、大人しく観光客の集団に従い、トランクを引き摺りながら、駅から工事現場の迂回路を通りつつ、集合場所の駐車場へ移動。夜が明けたはいいものの、ここで粉雪が降り始める。

 

駐車場に移動すると、中には複数台バスがあったが、今にも出発しそうな感じでスタンバイをしているのは二台。フロントガラスに夜行バスの行先表示みたいな感じで「ナットシェル」と書いた紙が貼ってあるので、その内の手前の一台に荷物を預けてバスに乗る。バス内が暖かく、眼鏡が曇る。

これまで何となく同じ列車の車両に乗っていた中国人二人連れの後をついていき、彼女らの後ろの座席に座ったが、暫くして乗り込んできた同じ車両にいた一人参加の中国人が、少しきょろきょろしてから隣に乗り込んできた。

中国人、どこにでもいて旅行情緒がないみたいな話はなんかよく聞くんですけど、ここまで平たい顔がマイノリティだとなんかこう、お互いに何となく目配せをして顔の平たさを確認し合うみたいな非言語交流が生まれる(私が一方的に見ていた説は大いにある)。程なくしてバスが発車した。


(つづく)