メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

マッチング相手と出来なかった台湾高速鉄道で行く台湾南部の話

最恵国待遇、もとい「彼氏」「彼女」といった肩書によって他者を独占する権利を得たい! という一心でマッチングアプリに登録した時期もありましたが、予期せぬスマホの謀反により目論見はデータごと崩れ去りました。残るは荒城の月、兵どもが夢の後。

しかし、謀反起こらずとも目論見を達成する目算は正直、無かった。アプリを起動するのも面倒になっていた。マッチングした相手への関心が、返信への手間を上回っている内は良かったんですけど、次第に「話題を探し続ける」ことが、面倒になってしまった。

この経験を通し私は、日常生活、例えば共通の趣味とか、共通のジムとか、共通の職場とか、学び舎とか、そう言った所で、相手への造詣を深めていきたい方だなという自己分析を深めた。目下、職場未定だし、学び舎には異性がいません。学部一年前期に受講した教養科目で、哲学教授が言い放った言葉が忘れられない。「異性との交歓の喜びを捨て、学び舎としてここを選んだあなた方は、既に熱心な哲学徒である」

 

ところで、かつてのアプリにてマッチングした男たちの中で一人、鉄オタが居た。日々の労働の中もぎ取った休みで中国大陸に乗り込むと、ひたすら鉄道に乗ると言っていた。

ここでマッチングした鉄オタが、話し相手として良かったかと言われると、正直何とも言えない。トークは常に交流というか、質疑応答の感があった。しかし彼については私は、少なからず共感を持っていた。自分も似たようなものだからである。相手に対して関心は無いが、誰か「自分ではない他人」とつながりを持ちたい。気兼ねなく話せる相手が欲しい。相手の相槌を独占しても罪悪感のない関係! 心当たりがあったら、是非メール下さい。ハンドルネームはまだ覚えているので、よかったらまた、文章のやりとりをしましょう。私の手持ちの話題は、もう全部アプリで使い切ってしまったので、敢えてする話も無いかもしれませんが……。

 

この鉄オタと最後にしたのは、台湾高速鉄道の話だった。彼が何故中国大陸の鉄道に強い関心を持っていたのかについては、結局要領を得ないままだった。その理由を聞いたような気もするし、聞かなかったような気もする。答えて貰ったような気もするし、はぐらかされたような気もする。相手を理解する為のトークを幾晩かこなしながら、結局私は何一つ、理解できたものはなかったのかもしれない。なかったのだろう。

その中でも、鉄オタが台湾高速鉄道に乗り、高雄まで行ったことは知った。高雄、駅名としては「左營」で、全然わかんなかったなという話が、我々の最後のトークの切り口となった。

 

私が台湾に行ったのは推定五年前、初めての海外旅行だった。

このブログの最初のエントリーで話題にした場所は京都だが、次なる記事として、私は台湾に関する記事を上げようとしていた。

まっとうな旅行記事を書こうという意気込みがあった当時、意気込みに潰され、結局記事としてはお釈迦になった。

いや、当時はこんなクソ腐臭強めな、ラクーンシティの教会みたいなブログになる予定無かったんですけど、ほんと、どうしたの? 何か辛いことあった?

 

台湾、出国前に日本でWi-Fi予約したのに、完全にこちらの手落ちにより(日本で一度ログインしとかないといけなかった)(一度もログインせずに出国しちゃった)完全な無用の長物と化したとか、桃園国際空港で降りたら、なんか予想以上に台北市内が遠かったとか、桃園国際空港から取り敢えずバス乗って市内移動しよって思ったら、窓口のオバちゃんに英語通じなくて、メモ帳と漢字が大活躍とか、結局「乗り換えしろ」って言われたことがわからなくてバスに乗りっぱなし、そのまま松山空港まで乗って行ってしまうとか、なんかホテルの空調が一晩でポストカードふやかすレベルの湿気を放ったり、鍵がイカれたトランクを百円ショップ(みたいな)にて購入したハサミでぶっ壊して開錠したとか、あと、台湾のゴキブリは日本で見るのよりなんかフットワーク軽め色も浅めで、最初はでっかいコオロギだと思い込んでいたとか、九份に昼間に行ってしまったばっかりに、人波見てゴキブリ見て帰ったとか、タピオカや豆花の存在を知らない(当時そんなに流行ってなかった)なりに回った台北でも色々あったんですけど、ここではマッチング相手に出来なかった、ガオティエの話をしたいなと思います。

 

台湾高速鉄道! 要は新幹線です。台北から高雄まで、一時間から二時間で結んでいます。外国人(中華民国以外の旅券所持者)は、数日間限定の乗り放題チケット有! 当時はオトクかどうかわかんないけど、取り敢えず購入した記憶がある。同行者が持っていた昨年度版るるぶと、私の所持していた台北フォーカスのガイドブックでお前、よく台北から出ようと思ったなというところなんですけど、例のように前準備がゴミ。

乗り放題チケットを入手するにあたり、五年前は、同行者手持ちのるるぶ(その時点で昨年度の情報)を参照し、現地の日系旅行代理店にて、なんか引換券を購入して(だいたい一万円)、そこで受け取ったバウチャー?と、パスポートを台北駅窓口で見せて、チケットを取得した覚えがあります。

 

www.jtb.co.jp

 

www.taipeinavi.com



ちょっと調べてみたら、私が旅行した翌年から、ウェッブで予約できるようになったみたいです。ハッピー!

 

周遊権を獲得しガオティエを駆使してどこに行ったかというと、高雄と台南の二都市。三日間チケットだったので、帰りに桃園まで乗って、いい感じに使い切ったかなという感があります。

それにしても、桃園から桃園国際空港までのシャトルを探せ!クエストとかが発生して、トランク転がしながら駅構内ダッシュ決めた記憶があるんですよね。ほんと綱渡りだなお前の旅程。

以下、どんな感じに下調べ無く現地に赴き、状況が穏やかながら混迷を極めたかについてを、記憶に残っている限りで、記していきたいと思う。

 

一往復目:台北⇔高雄(高鉄の駅名としては「左營駅」)。

何で高雄を行先に選んだのか記憶がない。多分駅名を知っていたからというのと、後はなんか、南端だったからじゃないかな。

高速鉄道の乗り込んだホームの雰囲気が極めて日本的で、少し驚いた記憶がある。開放的な天井から垂れ下がっている歓迎の幕に、何でか知らんが相撲レスラーが描かれていたからだ。九月で旅行ハイシーズンだったと思うんですが、矢張り平日ということもあってか人影はまばらだった。

まだ日が高い午前のうちにバスに乗って龍虎塔へ向かい、龍虎塔に入りがてら、この後台北の湿ったホテルで水分を目いっぱい吸い込み、書いた側から文字の滲んでいくことになるポストカードを貰った。龍虎塔の内部は、イッツアスモールワールドを仏教ナイズドして、予算の額面を落とした感じ。

龍虎塔のある公園内は、サイクリングコースみたいな感じで当時から既に整備されており、公園の地図を見た感じ「徒歩で左營駅戻れるんじゃね?」という誤判断をやらかしたか、或いは普通にバス乗って左營駅に戻ろうとしてわけわからないところに迷い込んだかなんですけど、この辺りで一度大きく道に迷う。当時のカメラロールを探していても、撮影地のはっきりしない謎写真が多くて、正直怖い。

 

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やたらと輝く湖面

 

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多分玉乗りをしている何らかの動物


事前の準備不足としか言いようのない現象により何かと彷徨った高雄で一番印象に残っているのは、美麗島駅だ。高雄メトロの萌えキャラによるツインテールウルトラマン)に興奮する外国人画像構図をトレスした公式ポスターとかいう、何がなんだか訳がわからないものとかもあったんですけど、やっぱ色々差し引いても、こう、美麗島駅。

 

www.travel.co.jp

 

調べたところによると、アメリカの会社によって「世界で最も美しい駅」ランキング第二位に選ばれたりしてる駅、一面がステンドグラスです。綺麗。フリーのピアノも置いてあった気がする。ちょっとした教会というには、にぎやか。

 

高鉄の終電までにも時間があり、台北に戻っても敢えてすることの無かった我々は、ここから高雄港に向かって歩いた。特に意味のある行動ではなかった。

地下鉄の適当な出口から出ると、高雄港までは、ほぼ一直線に進めば良いようであった。天井一面がステンドグラスの現代的な改札周辺と比較し、地下鉄から出て来たところの出入り口は奇妙に鄙びていて、あの生臭い港の臭いが薄く漂っていた。空には淡い橙を基調に、様々な色合いの暖色が棚引く時分だった。

 

地下鉄から上がって暫く歩いていると、右手に広場が見えて来た。そこの光景をよく覚えている。

老若男女が凧あげをしていた。通り過ぎた道沿いにスパイダーマンとか、ドラえもんとか、キティちゃんとかの凧が売っていたんですけど、どれもタコの尾の方に虹色のリボンがついていて、空を滑空すると、その虹色の帯が夕日に棚引いて、きらきらと綺麗だった。以来、高雄と聞くと、この景色を一方的に思い出す。手前勝手な楽園イメージを重ねているのだ。

 

我々は凧あげをしなかった。楽園を横目にそのまま一路、海に向かい歩いていくと、なんか、その内に、謎のオブジェが林立し始めた。色とりどりのミシュランみたいな奴。

 

www.travel.co.jp

 

今思うと、多分これだ。

しかし当時は高雄港について何の前情報もないまま無為に歩いていたので、現代美術的なアレだなということしかわからなかった。辺り一帯は日没し、比較的広い道路の先、並ぶ赤提灯(恐らく夜市だ)を遠目に、カラフルミシュランが左右に控える謎の道を歩いていくと、倉庫のような場所に出た。やっぱり間違いなくあれ、駁二芸術特区だと思います。

赤煉瓦造りの倉庫と地面に敷かれた廃線路。倉庫の壁面にへばりつく頭無し巨大イモリ。ライトアップされたきゅうきょくキマイラ。プラスチック製のフラウィーちゃん。脈絡のない交通標識。日没後の黒い海面。

ライトアップされた現代美術的オブジェに取り囲まれ、異様な雰囲気の一角の中、唯一まともそうな白い灯りのついている倉庫があった。その中に案内もあるみたいだし、取り敢えずちょっと入ってみようとしたところで、男性に止められた。営業時間外だったそうです。

日本語ドイツ語中国語のトリリンガルらしい男性は、「また明日来てね」と言っていた。ゲームだったら多分、翌日行ったらパーティーに加入してたと思う。結局翌日は台中に行ってしまったので男性をパーティーに加入させることは出来なかったんですが、惜しいことをした。

 

その後オレンジの光を名残惜しく思いながら美麗島駅へ戻るのですが(※前述の通りWi-Fiが無いので自分たちの勘で歩いているのだ)、道中完全に日没していて、また来る途中にまっとうな道を外れて芝生を通ったこともあってか、クソクソ迷った。

廃線になった線路を辿りながら、しじまの向こうに見える程の街の喧騒を目指して、最早暗い芝生というか、草むらの上ひた歩いていくと、廃駅に辿り着いた。ホームによじ登り表示を見る。高雄港とあった。出口はない。

思い返すにつれ、あそこで不審者とエンカウントしてたら確実なゲームオーバーだったなと思ってるんですけど、何だかんだフェンスの切れ目を見つけて脱出しました。街路灯に照らされた車道沿いの道に、心底生きているという感じがした。文明!

しかし、特に美麗島駅以降のでオレンジの街路灯やライトアップに照らされた記憶、どれもこれもちょっとヤバいというか、トリップ? みたいな感じが強い。いやまぁトリップには違いないんですが。

 

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旧高雄港駅 記憶を元にインターネットで検索してる今はトリップ状態の記憶を色々補完出来て楽しいんですけど、当時現地にいた私の心境は手ブレがよく表している


 

二往復目:台北⇔台南

台南である。

こちらは元々目的地が決まっており、ゼーランディア城目当ての旅行であった。

なんでも、17世紀頃に台湾南部は一時オランダ東インド会社の支配域に入っていて、その当時に建造された台湾最古の城塞なんですけど、その後明末清初のごたごたで大陸から追い出されてきた鄭成功がそこを襲撃、東インド会社を追い出して根城にしたぜ!って感じの城です。レンガ造り。現在の史跡として向こうで通じる名前は安平古堡(あんぴんこほう)。

名前調べて来たし、まぁ最寄りもわかる、行けるっしょ!と意気揚々と我々(というか、私だ。同行者は史跡に関心がないが、「お前が好きなようにすればいい」と私を野放しにしてくれていた)台南駅のバスターミナルから案内を片手にバスを探していると、おっさんが後からついて来た。

いや、白シャツパンツのおっさんがこっちめっちゃ見てるし、歩いてくる。森のくまさんよろしくスタコラサッサすると、おっさんもスタコラサッサしてついてくるんですね、後から。

最終的に捕まってヒエッお助け~~~~~~ってなってたら、「お前らどこに行きたいんだ」みたいな会話イベントが発生しました。台湾、割と謎の善人イベントが多い記憶がある。運が良かった。

 

しかしこの台南駅、鉄道駅としての名前は「沙崙駅」なんですけど、台南中心部から結構離れている。バスが高架に乗り込んだ時、私は正直ぎょっとした。えっ、そんなに離れてんのは、正直想定外だった。

高雄駅(左營駅)はメトロが直結だったので余り考えたことがなかったんですけど、台南編では私が目的地を定めていたこともあり、周囲のことを余り確認していなかったので、何か新幹線の駅と建物の壁に書いてある駅の名前違うわ~~~って感じで、沙崙駅の名前だけ控えた状態での異国on高速。心は地獄。台湾の高速道路、私の走った路線は高架式の所が多かったんですが、橋げたというか、あの脚の部分が、日本のものより随分スマートでいらして、通る度に勝手にヒヤヒヤしていた。気分はジェットコースターのチキチキチキチキって言いながら、上に昇ってる時のアレ。神経が見る見る内に、音を立てて細くなる。キュッ

まぁ(体感で)随分走ってから高架を降り台南市街に近づいて来たあたりで私は諸々を諦め、というか、神経が細くなる余り、なんかあらゆることに現実味を無くしてしまった。

ねじ式的な眼医者看板をいくつか見たが、当時の私はねじ式を知らず、アッなんかインターネットでよく見る奴だと思っていた。また、車窓からは駐車場のある回転寿司屋の求人垂れ幕が見えた。都内の時給を知っている者からすると、恐ろしく低い値段だ。極めて傲慢に、当地の人々の暮らしについて思いをはせた記憶がある。

 

「安平古堡」のバス停で降りてからゼーランディア城までも、結構距離があった記憶があるが、どのように行ったかは正直、もう、記憶にない。事前に台北のホテルでグーグルアースで確認しスクショをした通りの道を歩いたか、或いは何となく人が流れていく方に歩いたか、それかなんか、看板があったのかもしれない。

ゼーランディア城に到達するまでの間、二つの恐らく観光客向けの青空市場を通り、一つ城下町のような参道のような所を通り抜けた。

九月。建物は皆低く、日光を遮るものは店先の僅かな影の他、殆ど無かった。暑くて暑くて仕方がなかった。緑のペットボトルに詰まった青草茶という、茶というには甘いが、ジュースというには砂糖みのない液体を購入した。ドゥオーシャオチエンと値段を聞いたら、片言にしては流暢だが、間違いなく母語ではなさそうな雰囲気の日本語で返って来たのが、ここだった。

台湾を歩いていると時々、日本語が通じる老年の人がいるんですが、彼等と接触するにつけ、個人的には、身の置き所のないような気持ちになっていた。何もかもは覆りようのない歴史であり、それは私個人に関わるものではないんですけど、人間は社会的な生き物なので、国家によってそれぞれの人間の生活保障をする枠組みの中に居る以上、どうしたって、ルーツからは逃れられないのだ。強制の記憶があり、加害の記憶がそこにあることを、むざむざと目の当たりにする。店を切り盛りしていると思わしき老夫婦は笑顔だった。日本人観光客にも慣れているのだろう。

ゼーランディア城が見えて来た当たりでなんたらビン(餅)と銘打たれたピンク色の饅頭モドキを購入した。中央に安平と印が打たれていてなんだかご機嫌だと思ったからだ。多分白もあったと思う。柔らかいものを期待して購入したが、固かった。まぁ食べれる味だった。中は空洞だった。

 

ゼーランディア城である。

煉瓦造りの城であり、内部は発掘調査の結果出て来た焼き物の欠片や、現地の歴史の流れについて解説してくれる、結構お金が掛かってそうな展示があった。

当時の大砲や鄭成功銅像オランダ東インド会社の残したなんか、色々な遺物等見ていて、かなりエンジョイしましたし、物見やぐらというか灯台みたいなものもあって、その展望台から台南の市街地が一望できたりして(建物が全体的に低いのでそんな迫力ある景色ではない。解説を一通り見た後だとテンションは上がる)私は楽しかったんですが、生物系の同行者は人知れず熱中症になりかかっており、最後の方は「お前が楽しければいいから好きに見て回ってこい」と、常ならぬ寛容な事まで言い出していた。彼女と私は中学から面識があるが、それほど優しい言葉を掛けられたのは、あれが最初で最後であった。中学時代、彼女からのファーストコンタクトは「うわ、キモ」である。

 

ゼーランディア城からの帰還が、一番骨が折れる放浪だった。

取り敢えず城から出て、足取りがヤバい同行者を休ませるためカフェを探したが見つからない。天皇御用邸というか日本の天皇も訪れました!みたいな施設を通りかかって、フリーエントリーだったので屋内でキメッキメのポーズで写真を御取りになってらっしゃる中国人カップルを脇目に、木陰に休んだりはしたんですけど、中々大通りにも出ない。

赤緑の郵便を横目にバス通りにようやっと出た頃には恐らく三時、気温が最も厳しく、同行者も結構ヤバそうだった記憶がある。その状況下で飛び込んだ、Wi-Fiフリーと書かれたカフェが極楽浄土だった。もう店の名前も思い出せないが、客が居らず空いていたその現代的な店には英語のメニューがあり、クーラーが効いており、冷たい飲み物を口にしていると、店主と思わしき男性がカウンターから出てきて、ベルやジンジャーブレッドの形をした一口大のカステラを机に置いて、「サービスだから食って行ってくれ」と言ったのだ。地獄に仏か? 

駅までの行き方や、周辺のバス停の地図まで見せてくれた記憶がある。この店主は以降の旅行中に出会った人物の中でも、トップクラスの聖性を放っている。神。マジ感謝。お陰で台南駅まで戻ることが出来たんですけど、ここで問題。バス移動によって降り立った豪華な建物、推定漆喰の壁にハイビスカスをあしらってるこの台南駅は、「台南市の市中心部に位置する。台南の玄関口として市を代表する中心駅であり、縦貫線の全列車が停車する。台湾最西端の駅。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』最終確認日2019年4月29日)」であり、台南駅 (台湾高速鉄道)ではないのだ。

エッ違う駅じゃん!!!!!! まぁ一応、何か違う駅だなってことは察してはいたんですけど、思いのほか全然見た目が違う。

そこで駅員さんを捕まえ「シャーリン」「シャーリン」と喚いていると、制服の駅員さんが面倒臭そうに出て来て、代わりに券売機で切符を買ってくれた。 日本で言うところの一昔前の券売機で、イングリッシュも無し。わりとマジで操作の仕方がわからなかったので、本当に助かった。

切符を片手にプラットホームへ行き、なんかレトロな雰囲気の車両に乗って暫く暮れなずむ車窓を眺めていると、台南駅 (台湾高速鉄道)、もとい沙崙駅に到達した。

そこからやれやれと台北に戻る途中に、行きがけに鍵ぶっ壊れてやむなく壊したトランクが、ジッパーの口をキーでロックする方式で、どうせ代替の鍵を買うんだったらばちょっとした南京錠を買うべきところ、普通に忘れてダイヤルロック機能の付いたトランクの胴体に巻くベルトを買うとかいう、わりとわけわからない散財の仕方をこの駅でするんですけど、それ以外の散財として、空腹を持て余し駅構内で買った豚の角煮弁当を食べた。

ほんと、トランクはマジでただの無駄遣いだったんですけど、この台南で食べた豚の角煮、ほんとうに美味しかった。

高雄でも空腹を持て余して、駅構内で安い煮卵を食べるなどしたんですけど、ハッカクですかね? なんかスパイスが効いた味のする台湾の食べ物、めっちゃ美味しい。アレを思い出す度、幾度となく台湾に行きたくなる。結局あれから行ってないんですけれども。

でもなんか、このブログ書くためにちょっと調べたところによると、桃園国際空港と台北市内の間に、メトロが開通したらしいですね? 超行きやすいじゃん。西門西門!ってバス窓口のオバチャンに喚いていたアレ、何だったんだ。ほんと、公共交通機関最高。行きやすいじゃん。是非また行きたい。

そういえば鉄オタに最後に振った話は、この台南の駅弁の話でした。

君も、そういう話聞くと台湾にまた行きたくなると、そういうようなことを言っていましたね。

スマホぶっ壊れが発生して、アプリがもうどうしようもないことになったこの世界線では、これまでの縁なのでしょうが、世が世なら、そういう未来もあったかもしれませんね。

 

ところで、この旅行を同行して下さり熱中症の危機に瀕した寛容な同行者なんですが、当時交際三か月だった先輩と、今度結婚するらしいです。

時よ!

 


星野源 - 時よ【MV & Album Trailer】/ Gen Hoshino - Tokiyo