メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

界隈でムラハチなので熱心な感想乞食や念入りなエゴサをしても感想見つからないしライフステージ的にも同人ムラハチ案件で荒れてる場合じゃないけど懸賞に応募するのを止めた九龍寨城公園に行った時の感想を記録するよ

 

 

東方、ゆっくりしか知らないんですけど、リツイートで回って来たこの叫びに一つの極北を見てしまって、私は泣いた。

 

11月24日に頒布した弊同人誌のことを、延々と話題にしています。

頒布以降、当該関係性に関するいかなる妄想も全てその同人誌に回収されていく勢いがあって、個人的には一種の傑作を生みだしたといっても過言ではない自意識。

その一方で、驚くほど、内容のフィードバックが無い(といっても他人様に表紙絵を描かせているので、日頃から考えると、驚くほどフィードバック頂いているところからのスタートではある)。

まぁ小説本って、そんな即効性ないしなって思って、頒布してから、同人イベントが終わり、見たくなくてもタイムラインに他人宛ての感想が並ぶ時期を見計らって、「ところで11月24日の同人誌読みましたか!? 感想文をください!!」っていうフリースタイル乞食をしているんですけど、なしのつぶてです。

この状況を受けて、やっぱり同人誌っていう、実態を伴った紙と言う媒体がいけない。これからの時代は電子よね!などと、インターネット上にほぼ全文を掲載の上、内容に関する選択式アンケートへのリンクを、全文掲載のウェブページに設けて、良かったらアンケート協力してくれや!と威勢よく持ち出した策は良かったと思いますし、一件ご回答もいただけました。

今のところ、「Q1.11/24頒布当該の同人誌を読みましたか?」っていう質疑に対するご回答、「読んでいない」が100%。

私が好きだからマルチエンド方式にしたんですけど、そのマルチエンドについて、「どのエンディングを選びましたか?」という質疑に対し、ご回答「その他」が100%、自由記述にコメントまで頂いてしまった。「老婆心ながら、この時期にアンケートを取るのは適切ではないと思います。作家さんたちは今原稿で忙しいと思うので……」(意訳)

 

イエーイ!メッチャムラハチ!

 

11/24弊同人誌、私は大好き、自作が大好きという幸福な状況にあるにも関わらず、私、思うんですよ、私が書かなければ、あの話、より多くの人間に読まれたんじゃない!?

言い換えると、一字一句同じ文章を、他人が描くなり書くなりして発表した方が、余程多くの人間に読まれ、そして多くの人間の思考を変革し、私が見たいタイプの話を書いてくれる人間を増やせたのでは!?

いや、ほんと、どうすればいい?

どうすればこのテーマ、というのは私が発行した同人誌だとか、そうでなくとも、私が思うような当該関係性についてなんですけど、それについて、(カップリング)語りと一般に称されるような類の話を、どうすれば他人と出来る? どうすれば、他人に声を掛けても問題の無い人格として扱われる? どうすれば、他人から声を掛けられるような人間になるのか? 

じゃあこういうブログ記事書いてないで、アカウント転生しろよ! っていうのも、ごもっともなんですけど、アカウント転生しても、やっぱジャンル移動してないとダメなものはダメらしいですし(経験済み)、今こうやって私が苦しんでいるこの瞬間も、他人はこういう話、他人としてるんだろ!? 〇〇さんの(カップリング名)の××が最高だったとかいう話、同じ界隈でそういう話を進んでしてくれるような、他人としてるんだろ!?!?

作成した例のアンケートにいいねしたお前、一向に回答してこないがどうなんだ? フォロワーもツイ廃ばかりではありませんし忙しいんでしょう。「■■さん(私)の旅行のファンです!」とか抜かしよるお前、お前がフォローしている、旅行よりも、お前が数年来尊いと事あるごとにツイートしてる(カップリング)の二次創作やってる時間の方が普通に長い私のアカウントは、一体どういう風に映っていたんだ。「〇〇さんの(カップリング名)のここが最高で~~RT」等日頃熱心にコメントするお前のアカウント、稀に私のツイートをリツイートする時は概ね無言なのは何故だ?

四六時中アカウントを見て自分の創作を読んで毎秒感想を言えと思っているかというと、別にそこまで求めはしないし、他人から感想を貰ったら貰ったで嬉しいんですけど、他人の反応を見る為だけにやっている訳ではないのは確か。

一方で、他人がその感想だとか、サークル参加だとか、感想絵だとか、交流とか、諸々の好待遇を得ている中で、こうも孤立することってある? あるぞ!

 

囲いなんだか友達なんだか知らんがフォロワーと「今度〇〇飲みしましょ~」等というリプライをし合いながら、生き生きと同人活動をしている人間を見ると、どうしようもないやるせなさを感じる。

11月24日に頒布した同人誌に話を戻すんですが(戻すな)、当該同人誌を再録した際のお知らせツイートにリツイートが二件ほどあり、オッこれは何かしら内容への言及あるかな~~~~と思って見に行ったら、すげぇ同人楽しまれてる界隈の方のアカウントでいらして、「二次創作ってすごい、素敵な絵と文で寿命が伸びる」「今日一日色んな人に拙作を褒めて貰えてうれしい」「原稿頑張ります!」あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!! 

いや、当人に一切の罪はないんですけど、しかし、何をもって罪とする? 私が悪いのか? 私が何をした? 私は、何故ここまでうちのめされ続けなければいけない? 何でこんな厳しい感情を無意味に持ちながら、こうも長らえなければいけないのか? ジャンル移動したい! しろよ! 実際、弊同人誌を頒布して以降発表した文章はないので、ほぼジャンル移動しているようなもんじゃないか? それにしても、ほんと、11月24日に頒布した弊同人誌を読んで、何か感想を持った人間、本当にいますか? Twitter経由で感想を得られることがほぼ無い(おそらく交流に不適な人格を持っているからだ)ので、この際Twitterアカウント消しますか!と思い切ろうとしましたが、直近のコンテスト参加にあたって、SNSアカウントをそういえば登録してエントリーしたので、暫くは消せないなと思い直しました。

 

普通に同人辞めなよ、対外的にもアレだし、人生ステージ的にも同人やってる場合じゃない。

一年先の身分とか一年も待ってくれない修士号の行く末とか、即落ち二コマした先の一次面接とか未だ定まらない研究の射程とか、出費する一方で減り続ける口座残高とか、諸々のことを考えたくなくて、何も思い出さないエッセイを読んだり(さくらももこの『もものかんづめ』辺りはメチャメチャ面白かった。ままならない過去や所謂黒歴史を以て自分をこき下ろし笑いに昇華する手法が見事であるなぁと思った。記憶を掘り起こすにあたって確かに血が滲んでいるだろうに、それを血と思わせない雰囲気がある。『さくらえび』は同人生活を楽しんでるフジョシの趣きがあって普通に地雷だった)、後は懸賞サイトを見ては、応募できそうな懸賞を探している。

その中で、「私の忘れられない中国滞在」とかいう、日頃ブログで書いているような記事を元に、応募できそうなトピックの懸賞があったんですけど、ここで一つ私が思ったのは、「香港は中国なのか?」ということ。

そもそも国家自体が自明のものではなく、国境は恣意的なものに過ぎないので、どの都市でも言おうと思えば言えることだとは思うんですけど、果たして香港とは中国なのか? 懸賞の特設ホームページを見るに、後援に中国大使館とかついてるし、やっぱりここで求められているのは、中国本土でのエピソードなのでは? 

しかし例えば、ここで台湾のエピソードぶち込んだら、ほんとお門違いだわってなるというのは容易にわかるんですけど、香港(そしてマカオ)のエピソードって、どうなんでしょう。

領域的には間違いなく中国、経済的な依存関係、政治的には「高度な自治」、異なる歴史と多重に重なり合う心性、そもそも「中国」が包括するエリアが広いし、そうでなくとも、以前の受賞者の雰囲気とか見てるとやっぱりなんかこう、大陸での事柄を求められているんじゃないかなぁと思って、そこに応募するのは止すことにした。

 

「忘れられない中国滞在」というか、香港への滞在、しかも滞在っていったって、四日間かそこらの個人旅行なんですが、よく印象に残っているのは九龍城砦だ。というと、語弊がある。

金田一少年のアレとか九龍レトロとか、ウェアハウス川崎の内装とかクーロンズゲートとかブレードランナーとかで有名なあそこ*1は、1994年に既に取り壊されている。

私が行ったのはその跡地に建てられた中国式の庭園、九龍寨城公園だ。

 

九龍寨城公園の最寄りはMRT樂富(Lok Fu)駅だ。そこからニ十分ぐらい歩く。

ミニバスを使うとより接近できるらしいが、当時の旅行の同行者から「ミニバスでは広東語しか通じない」という情報を得ていたので、歩くことにした。八月頭のことだった。

 

道中クソ迷った。いつものことなんですけど。

 

Googleマップの道案内によると、樂富駅から九龍寨城公園に行くには、

①まず駅を出て、

②駅前にある筈の橫頭磡東道(Wang Tau Hom East Road)を西に進み、

③聯合道(Junction Road 広い道だ)を、東頭村道(Tung Tau Tsuen Road)にぶつかるまで南下。

④東頭村道を道なりに進んで行けば

⑤九龍寨城公園 の筈なんですけど、

 

①から②への段階で躓いた。嘘でしょ!? 未だに何故ここで躓いたのかが分からない。

だって現地で撮影した地図の画像を見ても、Googleストリートビューを見ても、樂富駅の駅前にあるバスがたむろするロータリーを右手に進めば、②の道につながる筈なのだ。

しかし私の記憶の中にある樂富駅出口は、バスのたむろする円形のロータリーがあり、柵があり、その向こうにはなんだかもりもりとした木々と、その向こうに開けたグラウンド(おそらく樂富遊樂場)が見え、アッ、ここに入っても問題は何ら解決しないな、という雰囲気があった。いずれにせよロータリーから逃れるには柵を越えなければいけない。道なりに歩くと行きたい方角とは反対側の富美東道側へ誘導されてしまう。今自宅でGoogleストリートビューを覗き込んでも確認できない、およそ有り得ない景色が記憶の中にある。怖。何かに化かされてたの?(時々ある)

今や私の記憶の中にしか存在しない、橫頭磡東道と接続していない樂富駅前ロータリーをぐるぐる回っている内に、雨が降り始めた。

夏場の香港、亜熱帯気候らしく、十分前後スコールのような大粒の雨がザアッと降ったかと思うと、雨雲の欠片もない快晴が広がったりするんですけど、樂富駅を彷徨っていた時の気候は、携行していた折り畳み傘をさすかささないかを躊躇う程度の小雨。それがじとじとと降り続き、体感湿度は120%までぶちあがっていた。

当日の私、カワイイ刺繍の入った涼し気な藍色ぐらいのシャツを着ていたんですけど、それが自前の汗で、さながらドラマのクライマックスを迎えた時の土砂降りに降られましたかっていう勢いの、ぐっしょりした群青色になっていた。

 

このままロータリーをグルグルしていても普通に埒が明かないので、この際九龍寨城公園に行くのを断念することも考えながら、駅と直結しているショッピングモール・樂富廣場(Lok Fu Plaza)に入った。

魚臭い地下の生鮮食品売り場からエレベーターで上昇すると、いたって普通のショッピングモールがあった。ジャスコとかイオンとかアピタとか、そんな感じの風情。やっぱ空調が効いているところは最高。あと時々椅子があるのも最高。空調の効いた中をぐるぐる回って、ホテルが貸し出してくれたポケットWi-Fi(しかしこれを使ってると異様に電池の減りが早かったので、使うときしか繋がなかった)を元にグーグルマップを起動、現在地から九龍寨城公園へのアクセスを試みつつウィンドウショッピングをしていた。

小規模倉庫にも似た店構えの、地元密着感が溢れた文具屋に、キャンパスのパチモンノートとか、ミツビシのパチモン鉛筆とか色々あって、非常に興味深かったんですが、結局、現在地から聯合道までの出方はわからないままだった。なので一階インフォメーションセンターの女性に聴いた。

九龍寨城公園までの道のり以外でも、香港旅行中、しょっちゅう一階インフォメーションセンターの女性に、道を聞いていた気がする。だって店舗の中に入ると涼しいし、香港、場所にもよりますが、なんか色んなところをしょっちゅう工事してらして、普通に道が分かりづらいというか、どこも類似の景観をして、どの道見分けがしづらいので、いとも簡単に方向感覚を失うし、よく迷った。私の方向感覚がイッちゃっているのと、気温によるデバフが掛けられている可能性も高い気はする。

インフォメーションセンターの女性は快く、指さしも交えながら、英語で道を教えてくれた。彼女に言われた通り二階のガラス戸を出ると、目の前に広い道があった。程なく聯合道と書かれた標識を見つけ、私は心から安堵した。その頃には、駅前をうろついていた時に降っていたあのジメジメした雨は止み、熱帯の太陽が青空に燦燦と煌めき、殺意がギラギラと輝いていた。

 

道中、歯抜けの爺さんに道を聞いた。ランニングシャツと短パンという出で立ちで、腰を曲げて登場、立つという動作の為に身体を酷使し、小刻みに震えていた。

特に海外で道を聞くような時は、カップルと思わしき二人連れに道を聞くように心がけている私が、何で単独行の震える爺さんに道を聞いたのか、思い出せない。

会話イベント発生までのルート取りは諸説あるが、兎も角当時の私は爺さんに「九龍寨城公園はこっちの方向か」と尋ねた。実際はもうちょっと力なくやる気もなく元気もなく、「カオルーンウォールドシティパーク……?」ぐらいの語気だったかもしれない。

爺さんは目を眇めて私を見遣った後、「あっちだ」と行く先を指さした。お陰で聯合道逆走という最悪のルート分岐をせずに済んだ。

香港旅行中、何人かの爺さんにも救われながら命を長らえていたんですが、今でもあの爺さんのことはよく覚えている。思い返せば思いのほか意識が朦朧としていたこともあり、きちんと謝意を伝えられたかどうかも記憶にないが、今でも感謝している。ありがとう爺さん。

 

聯合道を南下した。

私の九龍城砦宮本隆司の写真展からなんですが、往年を偲ばせる画像や記録を見るにつけ、往来する飛行機、密集する人間人間、人間!という、スゴイ人口密度と活発な雰囲気を感じていた。しかし一方、九龍寨城公園の道中は、いたって静かなものだった。

公園を目指す前に、バード・ガーデン(九龍太子園圃街雀鳥花園)にも立ち寄ったんですけど、界限街周辺とかも、めちゃめちゃ普通に住宅街。 世界史赤字ではないけど、太字ぐらいの地名ではあるんだよなぁと、勝手に感慨深くなりながら歩く私がなんかもう、超不審者。

だって学校のグラウンドとかあって、町内会の看板とかあって、軒先に自販機置いてる床屋が水を撒いてて、その中でどう見ても旅行者の出で立ちをして歩いてるので、なんかもう、露骨に不審。

京都伏見高等学校(架空)に思いをはせながら、京都伏見稲荷を背にその周辺を歩き回ってる時に感じた申し訳なさ、生活空間を犯しているという侵犯の意識をひっきりなしに感じていた。

 

聯合道沿いは、界限街よりも、一層鄙びていた。

老朽化しつつある団地が立ち並び、物音ひとつしない工事現場があり、学校があり、施設があり、ひび割れた舗装道路を縫うように、木の根が伸びていた。人影はなかった。

文章化にあたって改めて調べたら、九龍寨城公園よりももっと南下した所に地球の歩き方にも乗るようなショッピングモールがあるので、単純に場所と時間が悪いという説もある。

 

urahk.com

 


廟の境内でラジカセをお共に麺を啜っている青年を横目に、東頭村通りに入る。そこからはすぐだった。

九龍寨城公園は中国式の庭園だ。清代の南京だとか、長江流域で流行っていた庭園様式を模している。元あったスラムをクリアランスする度に政庁は公園を設けており、賈炳達道公園と併せて、今ではサイクリングコースとかもあるわりと広めの公園になっている。

心なしか鬱蒼と茂る木々の隙間から、耳慣れない推定セミの声がこだましていた。先程まで青天に燦燦と輝いていた殺意も心なしか翳り、一雨来そうな雲が立ち込めたなと思ったころに、小雨が降り始めた。

公園内で雨に降られるという最悪のシチュエーションをゲットしながら、既に木々がもりもり、所々に公衆便所と遊具が配置される公園内に入りながら、眼鏡を濡らしつつ暫く移動すると、立派な白亜の門構えが見えて来た。

九龍寨城公園と書かれたその門を熱心に一眼レフで撮影するアジア人の先客が、私と入れ違いに公園を後にした。話してはいないが、多分日本人だ。

かくして門をくぐり公園内に入ってから、立派な中国風建物(恐らく清朝時代の衙門を再現した建物)の軒先で雨をやり過ごせるようにはなったが、如何せん湿度が激しく、またも不快指数が爆上がりしていたので、公園に入ってすぐのところにあるちょっとした売店で、虹色のアイスキャンディーを買って、軒先で食べた。その内に、雨脚は徐々に弱まっていった。

 

九龍寨城公園の内部は、天気が宜しくないということもあり人気はなく、閑散としていた。

所謂中国庭園な建物は、所謂往年の九龍城砦的な違法な雰囲気は欠片も無い訳だが、園内には、往年の九龍城砦を偲ばせるちょっとしたミニチュアとか、ちょっとしたパネル展示があった。

パネル展示の外にも、元々は役人の宿舎か役所のブースのような使われ方をしていたのだろう石造りの衙門の小部屋で、往年の九龍城砦を偲ばせる動画が上映されたり、音声が流されたり、AR技術っていうんですかね? ブース内に示されている足跡に足を合わせてカメラに映ると、映像の中に映る私の周囲に、所謂九龍城砦の内装がワッと表示されて、肉をちょん切ってる音声とか、子供が遊んでいる音声とか、あと沢山の生活音と、ジェット機の音が流れてくる、そんな映像アトラクションがあったりした。園内に人影はそんなに無く、出入口を暗幕で覆っている小屋の中はどれも湿気ていて薄暗かったので、若干の恐怖を感じた。

 

特にこれといって変わったことはなく、雨が降ったり止んだりしているなかで、私は恙なく見学を終え、いくらかの人々とすれ違いながら、順路に沿って中国庭園を散策し、何らかの宇宙観を表しているらしい庭石を横目に、東頭村道に出て、そこから、来た道を遡って、駅まで戻った。

既に閉じた幕、終わった一つのものを、目の当たりにした心地だった。

宮本隆司の写真展から、延々憑りつかれていた「異物」としての九龍城砦への関心が、最後、何事も無かったかのようにある庭園の中の緑を前に、エンドマークをつけられたような心地で私は、狐につままれたような白け顔のまま、帰路についた。

 

実際、現代の香港における大陸中国との対峙であるとか、九龍城砦の跡地を中国風の庭園に変えたことについての中国側の思惑*2であるとか考えると、九龍城砦云々というのは、全くエンドマークが付きようのない地続きの問題であって、ここでエンドマークがついたのは、過去に存在していた概念に対する、私のちょっとした熱狂とか、ちょっとした執着だ。

 

エンドマークをつけたい!

 

界隈での交流や所謂同好と言われる人間との気兼ねない交歓に対する憧れ、自分の望むような評価を与えられる他人や、自分の憧れるような交歓を楽しむ他人に対する憎悪、全てにエンドマークをつけたい!

そしたら感情が少し落ち着いて、私は私のしたいように振舞い、したいように情報を得て、見たいように他人の創作を見て、その過程で垣間見える他人同士の交歓を葉陰から憎むこともなく、好きなものを楽しく見られるような気がする。

界隈のタイムラインを綺麗に整地して、緑あふれる中国庭園にすれば、異郷のセミの鳴く音を聞きながら、何かが変わるでしょうか、ねぇ!

 

 

 

 

*1:第二次世界大戦後、元々領土問題で決着がついていなかった九龍城砦には沢山の難民や貧民が住み着き、小便で固めたと言われる曰く付きコンクリートによる高層違法建築群が仕上がっていた。どう見ても巨大な違法建築は各方面にインスピレーションを与え、取り壊しが決まり廃墟化してからは映画の撮影にも使われたりした。

*2:Seth Harter(2000),"Hong Kong’s Dirty Little Secret: Clearing the Walled City of Kowloon",Journal of Urban History,Vol.27(1), pp.92-113.