メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

腐人 強靭日記

 

スマホがぶっ壊れあそばした。

 

日頃よりすこぶる快調だったわけでもないんですけど、ここまでのぶっ壊れが予期できるような前兆はなかった。肝臓か?

と言う訳で、突如フリーズの後再起動を繰り返しホーム画面に行きつかなくなったぶっ壊れスマホを持って携帯ショップに行ったら、修理の名のもとに代用スマホをお貸出し頂くことになった。

そこで、こればかりは、後に不具合があったら都合が悪いので、スマホ人権、もといライフラインである、グーグルのアカウント設定およびラインアプリのダウンロード諸々を、店舗内でしてけと言われたもんで、店員さんの目の前で諸々のセットアップを行ったんですけど、この時点から、代用機のコイツも何だか顔色が悪い。私の指さばきに、文字入力がついて来ていない。残像だ! 

何はともあれ、とにかくセットアップして入ったGmailアカウントがユー・ガット・メールしておりまして、スマホショップの店員さんが目の前で「あっ出来ましたか~?」とか言っているのを他所に、私ははてなブログからのメールを軽快な指さばきで開けました。

 

はてなブログ「1年前のブログ「界隈での交流/ zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌…」などを振り返りませんか?」

 

鬼か? ブログはじめて二年目だよっ☆★とかいう内容のメールは送ってこなかった癖に! おかげ様で、ショップの店員さんに限界長文タイトルが御開帳されました。ワールドワイドウェブで全世界に御開帳しといて、今更何だって話ではあるんですけど、インターネット公開が、公衆便所で用を足した程度の行為だとすると、スマホショップで限界長文御開帳は、公道で絶叫脱糞程度の精神的ダメージがある(個人の見解です)。

ここでショップの店員さんの気持ちになってみましょう。冴えない客が、陰気にスマホ画面をフリップしている。どうやら問題なく、グーグルアカウントにはログインできたらしい。チェックをしてやっているのを無視して、客が勝手にメールを開けた。

 

はてなブログ「1年前のブログ「界隈での交流/ zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌…」などを振り返りませんか?」

 

実際問題、そんなに気にしてないと思います。店員ロールしてるときって心死んでるし、余程な客じゃないと意識には止まらない。はてなブログがメールに恥を載せてふりかえりを促そうと、大した問題では無いです。

 

かくいう界隈での交流/zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌さえ頒布すれば自分だって」というような思い込みでサークル参加した張本人こと私も、遂にフォロワーと面会しました。

「10年来インターネットを介して交流を続けている謎のフォロワー(実生活アカウントも相互フォロー)」や、「カップリング被ったこと多分一回しかないんだけどライン交換してる謎のフォロワー」という強気面子友人枠(実生活に関する話題で盛り上がる相手は友人認定をしがちだ)フォロワーたちとのたのしい道行を繰り広げたことはあるんですけど、界隈に関する事柄が話題に存在する、所謂「二次創作アカウントにおけるフォロワー」との面会は、初めてのことでした。

あれから約一年、「居酒屋でオフ会」と言えば聞こえはいいんですけど、夜行上がりの身体にビール入れてみたら、急ピッチで眩暈が発生した私は、一人水の飲み会を開催していました。肝臓、仕事してる?

 

これまで何度か記事中で繰り返している話なんですが、私は自分を満足させるために創作活動(二次小説執筆)に手を染め、他者を説得/洗脳する為に同人活動(同人誌頒布)に足を突っ込んだ。

私が同人活動を続けて居ようといまいと、界隈は、大手の提示するAに洗脳された、A´的な創作物に溢れていた。むしろ、私が同人活動を続けていくうち、自然な時の流れにより、上った日が沈むように、私と類似の、私の思うような原作に典拠が求められると私が個人的に考えている、そういった「正しさ」を追求する創作者というのは、諸々あって、遂にはいなくなったように思う。後には夜、暗闇、もとい無知が残るのみである。

 

基本的に、零細サークルによる小説同人誌に反響はない。それは別に、今に始まったことではないんですけど、他人の同人誌に対する反響が飛び交う只中でその状況で在り続けると、普通に、精神に悪い。他人(漫画)の同人誌に寄稿(小説)したイベント後、他人に対してのみ「〇〇さんの同人誌読みました~~~~❤❤❤」っていうリプライ飛んでるの見ると、超精神に悪い。

まぁそこは、「文字が読めない人がいることだなぁ」と思って、そういう割り切りをするのが大事なんですけど、「割り切れている」と自分で思っていても、どうやら人間、どうしても社会的動物らしく、平常な精神を持っているとされる人間には、どうしても、自己を映す鏡としての他者が必要らしいです。

私は、自分が正常だと、ひたすらに信じ込んでいた。出典も出せる、論理もある。分は明確に、私にある。しかし私は鏡を持っていなかった。例えばバッチリ顔面盛れてても、鏡で確認できなかったら、自分がどんな顔してるかわからないのと同じで、私も自分の同人誌について、最初から最後まで徹頭徹尾自分で書いているので、ストーリーに謎も伏線もへったくれもない。他人から見たときに、私が意図した効果を発揮しているのだろうか、この同人小説? 

そもそも私は、他人に、自分を見た幻想を、文章を介し、伝達することが出来ているのだろうか。出来ている筈だ、こんなにも私には伝わって来る。界隈が文盲なだけだ。しかし界隈が読まなければ、この煮詰まった人間関係の文章、誰が読むのか? 読まれない文章の存在意義とは何だろうか。私が読む。ただひたすらに私が読む。そこに存在意義は、確かにあるのだ。

しかしどうだ、文盲らが、訳の分からない戯言を喚き、あそこに拍手喝采が起こっている。あれはなんだ。「あれが」正しい二次創作なのか? 私が、狂っているというのか!? 

 

かような不安に蝕まれるがごとく、私は同人活動から足を洗いつつあったんですが、状況を把握している人間から、面と向かって正気を肯定されることで、一つの呪いが解けたような気がした。

私は、自分の正当性を強く意識する余り、界隈の文盲が正当性無く無秩序にしかも酷く愉快そうに徒党を組んで! 在り続けることが理解できず、却ってそれを強く意識して、げんなりしていたんだと思うんですが、私の意図が及ぶところのない、明らかな「他人」から、正気を肯定されたことで私、自分で自分を定義し続ける必要が無くなったというか、何だか酷く、肩の荷が下りた気がして、キャラクター同士の人間関係がいいなぁと随分久しぶりに、純粋に、そのように思えた気がする。

 

ですので、この文章を見た人間は「同人誌を出してみたが反響がない」「あの日頒布した同人誌が本当に存在しているかどうかわからない」「せめて苦情が欲しい」と荒れているアカウントを見かけたら、「お前の正気は正しい」と肯定してあげて下さい。ついでに感想とかひねり出せるなら、まぁ嬉しいと思いますけど、ただ肯定されるだけでも、心持ちがだいぶ違う。それだけで、救われる命があるかもしれません。

しかしこれはあくまで個人の例なんですが、フォロワーとの面会を通して私、「読解力が一定以下とジャッジしたアカウントからの情報を、精神安定のためにシャットアウトしてる」という疑惑が出て来たので、別に肯定した所で、何ら救われない可能性は十分にあります。

道行く人影の全部が生存者ではないかと一々期待してたら、生き残れない。それが斜陽ジャンルというラクーンシティ。道行く人間は識字力がない、人間関係に対する解像度が低く、速やかに紋切型の「恋愛関係」を粗製乱造していくゾンビ*1と思って間違いありません。今わかった、真の人間は見出し難い。キャラクター関係に「恋愛」などと既成のレッテルを貼るような盲でいることなく、関係に対して高い感度をもち言葉を模索しようとする、ゾンビと成らず、人間に留まっている新規は、あるいはあるかもしれない。救えよ救え。新規……

 

*1:あくまでこれは個人の目から見た他者の在り様の形容であり、その在り様はいずれにせよ趣味の一形態に過ぎず、そこに善し悪しはないです。キャラクター同士の人間関係に恋愛を見出すなり見出さないなり何なり、各自好きにすればいいと思います。