メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

私はROMになりたい(コミュ不全字書き負の二次創作者ですが正の二次創作者がTLで繰り広げる同病の他者/界隈での交流・交歓を望んでしまわないために西方浄土へ行くことにした)

 

「私はカイになりたい。平和な世界で口を開けたり閉めたりするだけ。」(川添昇)(川添康子(1960)『METABOLISM 1960 : 都市への提案』美術出版社)

 

「同人小説なんかを書かずにいられる人生が一番幸せ」メーデー!』(2019年12月12日)

 

 

以下は自己分析のための文章で、まず前提として、私は二次創作を宿痾として患っているんですけど、これを患っているときの精神は、一定の周期を経ながらぐるぐると回っている。どういうことか? 二次創作をほぼしているのは間違いないんですけど、それをしている精神状態が割と定期的に変わるということです。

では、どのような周期があるのか。第一に、自分の性癖や幻覚を実体化させることしか考えていない時期。この時期に他者からのフィードバックを頂けると無論嬉しい。他方、この時期は他者の反応に対して割くキャパシティがあまりないので、フィードバックの無や負のフィードバック(「反応がないことが反応」であるといった認知のゆがみ)を気に掛けるということがない。エゴサもしない。文章は書いている。

第二に、「自分の文章は他人の精読に耐えうる日本語を成しているのか否か」がやたらと気になる時期。この時期に他者からのフィードバックにやたら執心するし、バリバリエゴサもする。わけのわからないワードで検索して、他者の目から見た自分を見出そうとする。そしてフィードバックの無いことに愕然とし、自分の文章は実は日本語ではないのでは?というあらぬ疑いを持ち始めたりなんかもする。文章は書いている。

第三は、実態として第二の時期とほぼ変わらない。ただ、他者を恨んでいる。第二期を極端にしたような状態だ。第二期のエゴサによって他者と自己の比較を覚えた精神が至るものであり、交流に向かない人間は何をしても駄目だということを繰り返し思い知るために、かえって交流を試みたり、活動的にふるまってみたりすることもある。なお文章は書いている。多分そういう病気である。

周期の切り替わりは前触れがなく、これといった切欠もあまりない。強いて言えば手を染め始めたばかりのころはおおむね第一期、他者と自己の比較を覚えた辺りで第二期と第三期を繰り返すような浮き沈みの傾向がみられる。しかし時々第一期まで気持ちが戻ってくることがあるし、書くだけ書いて公開を試みると、第二期・第三期に戻る。であれば文章を書くだけ書いて、公開しなければいいのでは?と思わなくもないが、私は文章を公開することでいつでも自分の文章にアクセスしたい性分なので、文章は公開する。公開すると自己と他者の比較をしたり云々で、世を恨み始める。

ここで公開しているのが学術的なレポートとか論文とかならまだしも、二次創作の文章である。生産性ゼロ、およそ公言できるタイプの趣味ではない。莫大な時間を費やし性癖の自家発電と自損事故を繰り返している。マッチポンプか? まずツイッターをやめろ!

 

正論は横に置くとして、主に第二期・第三期において、他者の目に映る自己を探らんとネットサーフィンをしていると、主にツイッター地方で、様々なフジョシの生態を見ることになる。

「合同サークルで原稿の進捗状況を励まし合っているアカウント」「感想がないことが感想であると覚悟を決めたツイートをする絵描きのアカウントと、作品の趣旨の自分への伝達を主張するフォロワーたちのアカウント」「サークル参加後に何らかの界隈への感謝を述べるアカウント」「(カップリング名)全然無い…とツイートするアカウント」 、

なかでも、「日頃他者のツイートをリツイートした後、「すごいすき」等何がしかの感想をツイートする習性があるアカウント」、これは弊アカウントのツイートをリツイートした後、特にこれといった言及をせず今日の夕飯の内容をツイートしたり、第三者のツイートをリツイートした後にやはり「〇〇さんの▲▲~!」と言及したりします。

後は、弊アカウントのツイートをいいねしたあと、「リツイートするかどうか迷いながらめっちゃいいなと思ってる」というようなツイートをした後、他者の創作をリツイートして手放しに感想を述べていたりします。

その他、局地的界隈のインフルエンサーリツイートされたやんと思ってみたりすると、前後のリツイートが割と伸びてて弊アカウントのツイートは手付かずの世界だったりすることもある。

 

人に、好かれない!

 

こちとら何がしかのレスポンスを求めてゾンビのごとくインターネットを徘徊する自意識モンスター。精神衛生のため、いいねされた事実とか、閲覧数がついた事実を幸福に思うべきだと思うんですけど、特に閲覧数については私が一番増やしている自信があるので、それだけ見てもぶっちゃけ他人が見てるのか自分が見てるのかさっぱりわからない。

イベントに参加して界隈だとか人間だとか世の中の万物に感謝しているように見えるアカウントも、こういう対応差を感じたことはあるのだろうかと考えることがある。他者に見られるために創作をしているわけではない(症状なので)が、対応に差があるのを観測するぐらいなら、最初から全く無視されたいとすら願うことがある(極端な思考)。

ならばインターネットに文章をアップロードするべきではない。それはオンラインで自作を見られないので困る。ので、インターネットにはどうしようもなくアップするんですけど、インターネットで観測できる二次創作者って、タグにいいね着けられたので相手の専攻分野(カップリング)に寄せた思考をお出ししてみたらなんか逆鱗に触れたのか二度とリプライ来なくなったり、「こっちのアカウントはフォロワーいないから安心して妄想呟ける」って言ってる他者のアカウントを謎に慮ってしまって、フォロー外で観察してたら「なんかいいねしてる人いて気持ち悪いんだけどどうしよ(意訳)」ってツイートされたりしたことある? 

後者については非公開アカウントからいいねしてたらそうなるかなっていうのも確かにそうで、ブックマーク機能を使いこなせよ。自己顕示欲の強いネットストーカーか!?というのもごもっとも、私のテンションがちょうど第三期にあったこともあり、咄嗟に突撃弁明リプライをして許しては頂けたんだがどうなんだかみたいなところなんですけど、多分この当該のアカウント、私が二次創作を公開していない、普通のROMのアカウントだったら、私のしょうもない感想に関心を持っていただけたりしたかもしれないし、リプライをした時点で、何がしかの交流を持てたのでは? ということを、時々思う。

別に、ツイッターの交流に人生の全てを期待しているわけではないんですけど、ツイッター上で観測できる他者が、あまりにもまぶしすぎるのだ。私も原稿作業を励まし合ったり装丁を頑張って他者に認められたり、思考の排泄物状態といっても過言ではないインターネット上の文章はこの際もういいので、それを頑張って本とかにしたときに、〇〇さんの本のこういうところが~っていう、ようわからんフジョシの推薦文をつけたりして貰いたい。

サークル参加でもそうでなくとも、他者のコメントに喜びを感じたり他者と交流したり、気兼ねなく他者の作品にコメントしたりしたいんですけど、原稿作業を励ましてくれるような存在も装丁に掛けるセンスも労力も、人に好かれるような魅力的な言葉選びもないです。

何なら、二次創作をしていることによる弊害の方がでかい。一にも二にも人に好かれないし、インターネットで好かれないことをネタにしているのでより好かれない。イベントに参加してサークル参加者同士で肉を焼いたり他者の本の感想をつぶやき合ったり、差し入れを撮影してツイッターにアップしているのが「正の二次創作者」とすると、イベントに参加してずっとスマホでブログ書いたり、二次創作によって思想と身元が知れていることから交流以前に先行ブロック頂いていて他者がリコメンドしてる作品を見られなかったり、他者から受ける対応に先述のような差を勝手に感じたりしているのはぶっちぎりで負、負の二次創作者。負女子じゃん! 正の二次創作者の骨頂たる大手がツイートする幻覚の骨子の方が、ぼくの冊子形態より伝達力が強いです。

 

そうやって思考の負女子を極めると、逆にあえて同人イベントにサークル参加したくなる。

いっそのこと、大っぴらに拒絶されたい! 他者が思想の交歓に興じている場に、異物として確かに存在したい。はす向かいにブロックしたサークル主がいて囲いの目が怖い気がするとか、ブロックされてるけどあそこのサークルの頒布物が欲しいので身元が割れないうちに貰いに行くとか、サークル間違えて駆け寄ってきたフジョシが笑顔をそぎ落とした顔で横にずれていくのとか、そういう異物体験を、4DXよりリアルに感じたい。遠目でひそひそこっちのお品書き見ながら喋ってる肉のあるフジョシを、見たい! 明確な腫れものになりたい、存在に対する苦情が欲しい! 

いや、もっと他に建設的な心掛けをしろ。まずこのブログをやめろといったところなんですけど、他者と交流を持とうにも、良かれと思ったことが裏目に出まくってるのか、そもそも私のそういう態度が駄目なのか知らんが、一方的な観察で他者を怯えさせたり、気遣い気取って相手の専攻(カップリング)に寄った思考をしてみたら、二度とリプライが来なくなったりする。

もちろんツイッターが社会のすべてではないし、私もブロックは気軽にするので全然かまわないんですけど、ツイッター上で見える社会があまりにもまぶしすぎて、二次創作ってそんな楽しいものなのか?ということを、時々勘違いしてこうも荒れるのだ。

 

そもそも私の書く文章自体、伝達や交流という点では問題がある。人にものを伝えようという意識がない。指導教官に何度一文長すぎという指導をさせたことか。博士号持ちを唸らせる悪文と考えると、恐ろしく戸口が狭い文章だし、私自身人に伝えるために分かりやすくしようという気概がない。自分さえ読めればいいと思っている。

そうすると当然読みづらいので、他者が他者にリコメンドされたり感想を呼び水にさらに読者を広げたり、そうやって界隈概念を形成したりするのを遠目に見る感じになるし、絵を描いてる人間からすれば文章は読まない、文章を書いたり読んだりする習慣のある人間からしても怪文書を量産しているヤベェ奴状態が発生する。

二次創作って、そんなに楽しいものか? 二次創作をしていることによる弊害が、あまりにもでかい。間違いなく負女子に分類されるだろう私のアレを読んでくれる人間は神、あるいは、「私が書かなければ自ら創作に手を染めかねないリテラシーと鬱屈を持った人間」に限られる。なのでまれに反応をくれた人間は、各自自分が書かねばならない他の鬱屈を見つけながら次々成仏していきます(私もジャンルによっては成仏して過ぎ去るROM専になることがある 人生は短い)。

となると、わたしの宿痾、ただ見辛いだけでなく、ともすれば、書く動機足り得る鬱屈を持つ人間を、昇華させるものとして機能しているのでは? 

 

他人とある程度文脈を共有する二次創作でこれ。人に好かれないので同病から避けられますし、おそらく類似の鬱屈を持った人間を成仏させてしまうので周囲に生まれるのは真空地帯。他の創作者は書いているから「〇〇さんの▲▲」という形で同病の他者と自己を比較したり、それで界隈という疑似社会が生まれていくと思うんですけど、書いているからこそ得られる対人利益は無。書いているから、不利益を被る。無論消費されるだけマシだが、類似の鬱屈を抱えたような人間は一瞬現れて、時に私に謝意を述べてくれると、一瞬で過ぎ去っていく。

他者が見えずにひたすら出力に躍起になっている時期を抜けて、他者の存在との中で自己を定義し相対的に評価したがる社会性段階を迎えてしまった時点で、同人小説なんか書くべきではないのでは? 

誰か助けてくれ。文脈を共有する他人がどうか書いてくれわたしの鬱屈を。ひとつの小説があるだけで、何人が告発を免れるだろうか。わたしの代わりに誰か告発してくれ。頼む、わたしを成仏させて……そうしてきょうも他者の楽しげなつぶやきを、まんじりもせずに見ている。そういう趣味なので……

 

こういう思考を持って私、うっかりまた負女子孤立極まるサークル参加を再び試みかけたんですけど、ブログに思考を書き残していた過去の私が、サークル参加するぐらいだったら南米に行った方がマシだって言っているのをわたし思い出して、丁度卒記の時期ですし、タイムラインが前提とする社会から離れた、どこか遠くに行くことにしました。

本当は地獄寺に行きたかったんですが、世は大コロナ時代。かといって「コロナだったからね」と、社会が来年に私に卒記旅行をさせてくれるわけでもないので、コロナから遠そうな西方浄土、ヨーロッパさんにいくことにしました。

航空チケット予約の手は本当に早くて、他者にリスト追加を乞うリプライを送るよりも、他者の募集に名乗りをあげたくなる気持ちと向き合う間に、リプライがどんどんついて締め切られるまでをまんじりもせず見守るよりも、私に言及していそうなツイートを見掛けてはリプライを送るか迷い、結局リプライを送っても何ら話が深まるわけでもなく、自分がいかに他人から話を引き出すのがドヘタクソか思い知る時間よりも、何よりも早かった。孤独は速度。

連れ合いはいなかった。大概皆社会人か、もっと賢い時間と金の使い方をしている。大枚はたいて命乞いをしにいったりなどしない。まして大コロナ時代である。この時期にヨーロッパなんか行ったら、乗車拒否とか宿泊拒否とか入場拒否とか、満を持してされそうじゃない? 自己の存在に対する、明確な拒否の眼差しを受けにいく。わたし、腫れ物になる!

 

そう思って意気揚々と阪急交通社のスペインの概要サイト見ると「首絞め強盗」とか「睡眠薬強盗」が強盗の古典らしいです、スペイン。ヨーロッパですよね? せめて平和的にスって欲しい。「首絞め強盗」への対応策は「無抵抗 大人しく所持品を差し出せ」だそうです。

続いてポルトガルの概要サイトを見ると「女性の独り歩きに注意!」だそうで、好き好んで女性で一人で歩きたい訳じゃない。女性でありたい訳でもない。選べるならマイク・タイソンになるか友人と一緒に卒業を記念したい。修士課程は孤独、孤独は速度です。

悟空も沙悟浄猪八戒も道すがらで見つけられる自信がない(見つけられたとしてパーティーを維持させられるコミュニケーションを取れない)ので、せめてインターネットととのつながりは持ち続けようと思って、普段はポケットWi-Fiは高いから借りずに現地のWi-Fiに頼り切りなんですけど、丁度イモトのWi-Fiで半額セールを3月31日までやっていたのもあったので、借りたWi-Fiと一緒に旅行することにしました。

 

ところでWi-Fiと一緒に旅行するにあたって、前回借りたWi-Fiと旅行した時、スマホが勝手にうっかり電源を落とし忘れていたWi-Fiと接続してソフトウェアアップロードを始めたために残量が終焉を迎え、金を出して無用の長物と化したWi-Fiと一緒にアウシュヴィッツ強制収容所跡地を巡った経験を繰り返さないため、ここにアンドロイド自動更新の無効化に関するメモ書きをします。

 

機内モードにする これは空港でやる。データローミングが発生すると路頭に迷うことになる。

 

②アプリの自動更新を止める グーグルストアの設定からできる。

appllio.com

 

③OSの自動アップデートを止める 前回はこれで容量をやられた。

システム→詳細設定から開発者向けオプションに飛ぶ そこからOSの自動アップデートを無効化する。

menulist.mb.softbank.jp

usedoor.jp