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キャラクター関係性オタクが「ミッドサマー」(2019)を見た感想

note.com

 

最近イベリア半島に旅行に行った。その記録をnoteに書いている。もしよかったら見ていただけたら嬉しい。ついでに哀れみも欲しい。

 

以下の記事の内容は表題の通りだ。「ミッドサマー」で上質なアマルガム(amalgam)を視聴したので、その感想を記録したい。

アマルガム(amalgam)って何? 

Weblio英和辞典によると、「合成物、(様々な要素の)混合物」*1

Wikipedia(日本語版)によると、「水銀と他の金属の合金の総称」とある*2。なおこの記事での「アマルガム」は、Wikipediaで解説されている動詞・amalgamate「混交・融合する」の意味するところに近い。

ちなみに私がamalgamという単語を知ったきっかけはUndertaleなので、内容を知っている方は例のアレをイメージしてほしい。アレ、研究所で出てくる、ゆめにっきのウボァみたいなやつだ。アレのイメージ。

 


映画『ミッドサマー』予告

 

 

私は普段映画を見る習慣がない。見たい映画は借りるかネットフリックスかで、時々止めながら見る。トイレが近いからだ。

ミッドサマーを観に行こうと決めた経緯は、Twitterでの前評判と予告の強いギャップからだった。あのお花いっぱいの中で臓物を散らかすのなら、それはそれでみたいという怖いもの見たさである。

私のゴア耐性は「バイオハザードV リトリビューション」を劇場で見てビビリ散らかしながら椅子の上で体育座りになる程度だ。ゾンビ映画やパニック映画はアクションとして見るが、特に心霊系やサスペンス系のいわゆる「ホラー映画」は好んでは見ない。

 


映画『バイオハザードV リトリビューション』予告編

 

結果的に言うと面白かった。

チケットを取る段階では、上映時間二時間の大作を見るのかとさっそく膀胱が不安を訴えていたが、見終わってみると体感時間は一時間弱(主観)だった。

結末を知らずに見たというのもあるだろうが、途中でダレるようなシーンがなく緊張はテンポよく、映像は最後まで華やかだった。

 

この映画の主人公・ダニーはアメリカの大学生。序盤で双極性障害の妹が両親と無理心中を図ったことで早速天涯孤独の身となる。ここで冒頭に示される民俗モチーフのタペストリーの左端を思い出す。私はアレを見て誰か複数人が臓物撒き散らして死ぬのかと覚悟を決めていたので、やや拍子抜けした。

これだけでなく、作中序盤では簡素化した図画によって、今後の展開をそれとなく示してくれるので、ホラーへの耐性が低くても鑑賞することができた。そういえば監督はアレをホラー映画としては撮っていないらしい。言われてみればショッキングなシーンこそあれ、確かに「驚かせよう」という強い作為を感じるシーンは、個人的にはあまりなかったように思われる。

冒頭で天涯孤独の身となったダニーの唯一の心の支えは、恋人のクリスチャンだ。彼は大学で民俗学を専攻しているが、ダニーとの関係に嫌気がさしており、男友達グループ(マーク、ジョシュ、ペレ)の前では、別れたいという旨を一年前から漏らしていたが、義務感から彼女との関係を続けている。

四人の男らは、夏休み中にスウェーデン旅行をする計画を立てていた。男友達の内の一人であるジョシュはヨーロッパの夏至祭りについて調査をしており、ペレ(グループの一人、スウェーデンからの交換留学生)の故郷であるホルガの夏至祭りに参加するついでに、スウェーデンで羽目を外す計画を立てていたのだ。しかし紆余曲折あってクリスチャンはダニーをスウェーデン旅行に誘い、ダニーは彼らとともに夏至祭りを訪れる。

 

個人的に極めて印象的だったシーンは映画の終盤、クリスチャンと村の少女の性交渉*3を目撃し、ショックから恐慌状態に陥るダニーを取り囲む、九人の女性たちである。

これに限らず、ダニーは作中で何度か恐慌状態に陥る。妹による無理心中、ペレの発言からの喪失のフラッシュバック、ホルガ到着時でのバッドトリップ等である。あと老人の投身自殺の後もそうだったかもしれない。一度見ただけなのであまりはっきりとは言えないが。

その中で、彼女は常に孤独だった。一家心中にショックを受けるダニーを宥めるクリスチャンは義務感から彼女の介抱を行っており、感情のサンドバックに徹している。言ってしまえば、体温のあるテディベアのようなものなのかもしれない。その他の恐慌状態にあるダニーは、一人きりで悲痛に叫んでいる。

しかし映画終盤、クリスチャンと少女のセックスを目撃したダニーの恐慌はそれ以前と異なり、ホルガの共同体の女性たちによって分かち合われる。彼女らの腕は恐慌状態にあるダニーを取り囲み、誘導し、宥め、彼女たちはダニーの絶叫に合わせ、ダニー個人のものに過ぎない悲痛を共有するかのようにダニーとともに叫び、震え、蹲り、悶える。

このシーンが一個の有機体、アマルガムとしてのホルガを一番象徴的に描いていると個人的には思うが、それ以前から全体で寝食を共にする・肉体関係を取り結ぶ(長から与えられるセックスのライセンス・クリスチャンと少女の性向に立ち会う村人)などのシーンから見て取れるように、おそらくホルガの住民は、ひとつの輪郭や人格を持った「個人」の集まりではなく、全体で一つの、有機的な存在である。彼らの世界観では、住民一人ひとりの命さえ個人の所有物ではなく、共同体を軸にサイクルして受け渡されていくものとされている。

ダニーらが属していた「文明社会」とは異なる世界観で回るホルガについて、中盤夏至祭りから影響を受けてホルガをテーマに論文を書くと決めたクリスチャン*4は、「彼らの世界を偏見なく理解したい」という趣旨の台詞を言うが、ホルガの側がよそ者である彼らを、よそ者の論理を持って尊重するわけではないという点を、一種のホラー要素として見ることもできるだろうかと今思った。

あとはラストシーンで生贄として志願した若者が死を前に恐怖して泣き叫ぶシーンもこう、救いがないというか、ホラーだなと個人的に思った。これは観てる私が、ホルガの世界観を信じていないせいもあると思いますが。

 

兎も角、悲痛の共有によってホルガの一員として「生まれ変わった」ダニー(冒頭のタペストリーはダニーの「再生」の過程を示したものだろう)は、抽選で選ばれたホルガの住民かクリスチャンかどちらかを生贄に選ぶ選択を迫られ、クリスチャンを生贄に選択する。

生贄らの燃える聖域の木組みのテントを前に、まるで自らの身を削られ焼かれているように身悶え絶叫し、そして狂気的に笑うホルガの人々のシーンも、全体で一つの有機体としてのホルガを象徴しているように思えて非常に印象的だ。

 

ところでこのエンディングを見た当初、私は「えっこれで終わりか」という感想を持った。作中でダニーはホルガを構成する有機体として再生したとように描かれているのに、これではダニー個人の恋心の復讐という形になるのでは? なんかちぐはぐじゃんと思ったんですが、作中強張った表情で居通していたダニーが、炎を前に初めて笑うことで、彼女が喪失感を克服したことを示しているというようなことが、パンフには書いてある。

まぁ別にわざわざクリスチャンじゃないホルガの人物を選ぶ必然性もないし、クリスチャンを生かす方が「ダニーの意志」が介在しているように見えるというのもわかる。ホルガという大きな家族、個人の輪郭がとろけたアマルガムの内の、どろどろの一つとして転生したダニーが、ホルガの「内」か「外」かどちらから一つ血を選ぶとしたら、自分の身体じゃない方がいいよね、という選択の仕方をするのもわかる。いやあれは絶対復讐の感情の載った選択でもあると思います。

総合的にダニーはクリスチャンを生贄として選び復讐を遂げ再生を果たし、またパンフとか脚本によると、ダニーは一般社会における「分別」を失い、狂気からの恍惚に陥って*5、炎を前にニッコリ! 花咲くエンドロール!

 

儀式には引っかかる点がややあったので、これから考察サイト等を巡って造詣を深めていきたいと思います。

スウェーデンで古く?から行われている儀式でルーン文字を使用しているならおそらく担い手はゲルマン系、長とされる人物はおそらく皆男性、ホルガでのおそらく自然崇拝における聖典であるルビ・ラダーの解釈を行うのも男性である長。しかし儀式を主導/指示するのは女性。儀式の内容はどちらかというと女系(生殖による外からの種の取り込み・女王による生贄の決定)この差異は何か?

②「古くからおこなわれている」なら90年周期は長すぎでは? 口伝でもギリ伝わるかもしれないけど、共同体に何らかの危険(疫病や飢餓など)が迫った場合、90年サイクルじゃ絶えても不思議はない。これを避けるために図画が大量に残されている? あとホルガの人生サイクルも長い気がする。70歳以上ってそんなに出るか? 過去の人間の方がより短命だろっていうのも大概イメージ論だし偏見なんですけど、ホルガに教区簿冊とかあります? 冬はどこで暮らしているの?

 

それとこれは疑問点ではなくオタクとしての嗜好ですが、ダニーとクリスチャンとその友人らをホルガに連れてきたペレの思考について、「冷徹にホルガの為に血をささげるにふさわしい犠牲者を探していた」か「連れてきた友人らを心底気に入っており自分の誇りである共同体を見て欲しいし、この大きな有機体の一部になってほしい」の二通りの推理が私には出来たんですけど、後者だったとするとこれめちゃめちゃ好みだなこの男と思って、映画鑑賞をしながらめちゃめちゃテンションを上げてしまった。  私は創作において彼我の境界を見誤り「自分と相手は類似/同一存在である」と思い込んで行動するキャラクターや、「何らかのつながり」を免罪符に振りかざし他者の行動や空間、人権を侵害するキャラクターが織り成す関係が大好き。多分そういう癖だ。

スウェーデン行をダニーが決める?以前から、どうも両親を失ったという点でペレはダニーに一種の共感を抱いているような雰囲気があった(「君に起きたことに心から同情を示すよ」等)。正直そのあたりから私は、作中でいつこいつがダニーに向かって「家族」ワードを出してくるか(または善意からダニーを「ホルガ」へと包摂しようとする素振りを見せる)気を張って見ていた*6。そういう関係性が好きなオタクだからだ。pixivにホルガの一部となったペレとダニーの二次創作ありますか? そこに非常に関心がある。

あとペレが両親の喪失を打ち明けるときの台詞(「とにかく座って」というような意)が、スウェーデン行で揉めているときのクリスチャンを引き留めようとするダニーの台詞(「座って 話し合いたいだけなの」というような意)と同じことに非常に興奮する。そういう性質なので。

そういうオタクpixiv辺りにいません? ツイッターでもいいから、見掛けたら私に教えてほしい、頼む……

*1:Weblio英和辞典「amalgam」,https://ejje.weblio.jp/content/amalgam,最終閲覧日2020年2月22日

*2:Wikipedia日本語版「アマルガム」, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A0, 最終閲覧日2020年2月22日

*3:これを「裏切り」とするかは個人的に微妙なところだ。クリスチャンは薬物を投与された上、閉鎖空間でお膳立てをされて性交渉に及ぶ。何をもって個人の自由意志とするかは線引きが難しいところだが、あの状況下で抵抗しなかったことは「仕方がない」と言えるようにも思える。ただし閉鎖空間にあったことは兎も角、クリスチャンはおそらくそれが興奮剤に類する薬物と知って飲み干したくだりも描かれているので、そこに彼の意志があった上での肉体関係の成立、おそらく性器の独占権を持つことで合意した恋人であるダニーへの不誠実ととらえることもできる。それにこの映画はダニーの主観を描いたものなので、クリスチャンからするとダニーがとんでもなく重荷であるのは確かであったとはいえ、「不誠実」にダニーを「裏切った」行為の象徴として描かれるのは、まぁわからないでもない

*4:特に関係ないが作中ではクリスチャンが「論文のテーマが決まらない」と呻いたり、論文のテーマが被ったことでジョシュと口論したりする。多分修論の時期に見てたら、ここで私が恐慌状態に陥っていたに違いない。二月公開で本当に良かった。

*5:"She has surrendered to a joy known only by the insane. ", "MIDSOMMER", A24, http://a24awards.com/film/midsommar/Midsommar_script.pdf, p.116,最終確認日2020年2月22日

*6:なお、直接的な「家族」ワードはダニーがメイクイーンになった直後彼女を祝福するホルガの女性住民が出している。「私たちは家族」「私たちは姉妹よ!」