メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

最西端に行けば、負の二次創作者は救われるのか?

 

 

生き残れば生き残るほど、どうしてこんなにみじめなんですか (梓 みふゆ 「マギアレコード 魔法少女まどか マギカ外伝」 第12話 )

 

 

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今でこそリモートワークと称し、自宅で社内規程や就業規則を一字一字丁寧に解釈する過程で、社会に跳梁跋扈する見知らぬ語句を調べているうちに、ウィキペディアマルクス主義用語への造詣を深めているが、昨年のこの時期には、求職のために大阪に行き、京都伏見で桜を見ながら、十石船に乗っていた。

その時私は初めて、ジャンルを同じくするフジョシとオフで面会、略してオフ会を経験したのであった*1

 

わたし、同人小説、とくに二次創作小説なるものを、結果的に十年近く書いていて、神絵師に表紙を頼んだら快諾して貰えたとか、たまに自分と同じような幻覚を見ていそうな他人の人格からの、解像度の高い感想が来ることがあるとか、そうやって、たまにはいいこともあるが、割合としてはそれが一週間、残りの九年十一か月三週間のメンタルは、「無」か「むしろ悪い」に振り切れている。

同人小説なんかを書かずにいられる人生が一番幸せだ。小説を書いている自分に自尊心を持てない場合、また二次創作における「生産者」であることの喜びに自覚的でない場合、同人小説を書くという行為は、生産性の面で最悪。書き手としては早めに正気に戻るべきだし、読み手としては推しの書き手がいるのなら、正気に戻さないために何かしらの働きかけはした方がいいです。いや、その働きかけが時に最後の一押しになることは往々にあるけれど……

 

同人小説を趣味として書いている、その行為による弊害について説明する。

第一に、同人小説を自作していると、えらい時間が掛かる。これが一次創作なら懸賞小説コンクールに応募してみるなりできるかもしれないが、二次創作なので、そういうコンクールは一切ない。生産性皆無。「趣味で小説を書いている」とも言えない。社交性皆無。同じような趣味嗜好を持つ人間の内の何割が、好き好んで長ったらしい文章なんかを読むのか?

十年以上、わたし、余暇の時間を捻出しては、自己の性癖の慰撫以上の何物にもなり得ない、虚無を生み出している。

絵であれば手に図画制作のスキルが残り、手芸であれば工作のスキルが残り、コスプレであれば化粧や撮影技術といったスキルが残り、ROMであれば自分で時間をかけて一つのものしか捻出できないということはない。

小説、何が残る? 私が今のところ手にしているのはタイピングのスピードだけです。それもなりきりチャットで培ったもので、同人小説によるものかというと疑わしいところはある。

やったところで何にもなり得ないし話題にもなり得ないという点で、ある意味もっとも人生らしい活動であるが、それはともかく、とにかく時間が溶けるのだ。

 

第二に、同人小説を書いて発表していると、同じような趣味の人間からブロックされないということがない。わたしは、きまって私が気に入って定期的に観察していた自我からブロックされる。観察しているからでは? 

たぶん私の推しの他者を観察したがるような人格ゆえか、性癖ゆえかどちらかの問題だが、とにかく、同じような趣味をしている二次創作者からブロックされる。これによってピクシブへのアクセスやboothへの作品のアクセス手段を奪われた訳ではないが、すくなくともプライベッターとかフセッターにはアクセスできなくなる。

少なくとも私にとって、この現象は結構な痛手だ。私の性根は、自分の読みたいものがないから書くというところに集約されており、気持ちはROM専に近いところがある。自分で性癖のツボ押しができるROM専です。

 

性癖や情念、怒りの捌け口として文章を多少使えるという点で、書くことは自分のメンタルをコントロールすることにはつながっているのかもしれないが、それだって文章なんか書いていなきゃ感じなかった疎外であろうし、感じなかった怒りだろう。

SNSフジョシ界隈で見ることのある「小説書き」という自称概念と、それを自認する他者の自我が憎い。架空の「読み手」に語り掛けることができる強さが憎い、読み手なるものに感謝できる在り様が憎いし、何より「読み手」に語り掛ける強さとそれに感謝する在り様を他者から承認されている様が心に来る。私は何に憤っている? 何故こうも疎外されるように感じるのか。

しかし、自分がそのように「小説書き」として在りたいかと言われれば、そうでもない。別に、読まれたいから文章をウェブにアップしている訳ではない。

架空の「読み手」に伝える気持ちで書くという行為としての小説は、とっくの昔に諦めている。虚無に話し掛けることほど虚しいことはないし、他者が他者と交流し会話しているのが手軽に観察できるSNS社会では猶更そうです。

pixivなんかで閲覧数として表示されている数字の九割は、自分によるアクセスだという自負がある。折角書いたのだから一割でも読まれるに越したことはないが、それ以上に私は、自分が読みたいものを書いているので、折角書いたものをいつでも四六時中どこだろうと読み返したい。インターネットにアップする理由はそれだ。

そうやってインターネットのどこかで公開されると、必然的に他者の目に触れることになる。悪意のある第三者に自分が書いたものを転載されるのも癪なので、先手を打って考え得るSNSで公開する。

そうすると、おそらくどうしようもない人格や性癖がバレて、善良なる創作者から先手を取ってブロックされる。

 

他人の脳から出てくる妄想を認知したいというROM専の私からすると、マジで二次小説なんて書いているからこんなことになるのであって、でも公開しないとなると自分の性癖を刺激するためだけの文章を、この大インターネット時代にいつでもどこでも手軽に読み返せない。

じゃあプライベートモードで、自分にだけわかる暗証番号とか掛けてネットに公開すればいいじゃん? しかし、それはそれで惜しいのだ。折角書いたんだから、読まれるのかもしれないなら読まれたら嬉しいし、私は他人に対しては、他人が書いた話はなんであれできるかぎりネットにアップしてくれと思いますし、読まれたらそれはそれで嬉しいので……という経緯でアップすると、さらなるブロックに繋がります、サイクルが回っている!

 

そんな私、去年のこの時期に大阪でオフの面会をして、自分が所属できない界隈なるものに関する会話といったって、(ハンドルネーム)さんの(カップリング名)のここがスゴいというような会話なんですけど、それができて、私はすごく楽しかった。

それ以来、西に行けばなんとなく救われるんじゃないかという「祈り」を、心の中に持っている気配すらある*2

SNSを使って交流できないし、性癖の文章をうっかりアップすると、他人の作品を見られなくなる。他人が他人と交流しているのを、水槽の外側から眺めて、内側と外側の何が違うんだ!?などと発狂することしきりですが、鬱屈と無自覚の祈りを持って、西の果てに行くことはできます。

 

今年の二月、コロナの話が概ね件の豪華客船の中にとどまっていたころに、ロカ岬に行った。ロカ岬っていうと、ヨーロッパ最西端の岬らしい。ポルトガルにある。

ポルトガルの首都リスボンからロカ岬までは電車で40分、バスで40分、だいたい一時間半でつくので、やろうと思えば日帰りで行けるが、通常はシントラやカスカイスとのセットでショートトリップをするのが、模範的な観光ルートらしい。

旅程で出会ったアメリカ人は「カスカイスには三週間居た」と言っていた。これから先の人生で三週間の休みをねん出する方策が思いつかない。会社辞めるか? 二か月のバカンスが文化として根付いていない場所に、人間は生まれるべきではないです。

 

リスボン市内のロシオ駅からシントラまで、電車で行く。始発から終点なのでずっと乗っていればいい。40分ぐらい、淡々と電車に乗る。8時半ぐらいの電車にのると観光客のまばらで、一車両あたり三人ぐらいしか乗っていない。

地球の歩き方の冒頭でポルトガルの焼き菓子について特集されていたので、それに乗っていた焼き菓子をいくつか、駅の売店で調達して車内で食べたが、特に美味しくはなかった。チョコレートサラミは食べられる粘土の味がしたし、マジで分厚い。エッグタルトは普通においしいが、マカオの奴の方がおいしいです。何で? 作りたてを食べたからだろうか。あるいはマカオのエッグタルトは、アジア飯を食う奴の舌に丁度いいように改変されているのかもしれませんね。知らんけど。

 

シントラからロカ岬までは、公共のバスが走っている。シントラ⇔ロカ岬⇔カスカイス周遊みたいな観光バスもあるらしいが、これは予約しないと乗れないらしい。私はそれについては調べずに行き、ロカ岬で乗車を断られた。まぁ、公共交通機関でもいける。

シントラから何番のバスに乗るかは事前にグーグルマップで調べたが、バスの側も心得ているのか、ロカ岬に行くようなバスは、「Cabo da Roca」と乗車口に張ってあったりするし、乗車した時点で「ロカ、ロカ……カボデロカ……?」というような狼狽え方をするとシだかノーだかの返事はくる。他の英語が堪能な西欧人がいい感じに質問をしていることもある。

 

リスボン近郊の交通について説明する。

リスボンのバスや路面電車、シントラやカスカイスといった近郊に向かう電車ではICカードが使える。 ヴィヴァ・ヴィアジェンカード(Viva viagem card)という名前である。駅の自動販売機で買える。ヴィヴァ……と探すと、ボタンはすぐに見つかる。

見た目は完全に緑の厚紙、銀だこの回数券ってこんな感じですか?という触った感じだが、ICカードだ。なお、リスボン市内の公共交通機関や観光地の入場無料があるリスボアカードを持っている場合は、別にこれがなくても電車に乗れる。シントラに行く場合は、シントラの世界遺産の入場チケットだか割引チケットがついている、シントラ周遊パスというのも使えるらしい。

私はリスボン空港に降りた時点で市内の観光案内所をあてにし、結果観光案内所がしまる時間までに市内にたどり着けずリスボアカードを買い逃したので、ヴィヴァ・ヴィアジェンカードと現金で全ての用をなした。

ロシオ駅でカードを購入し、よくわからんのでシントラまでのチケットを購入。この時点で多分チャージをすればよかったんだが、よくわからないままシントラまで行って、即バスを捕まえてしまい、そのまま現金(一番割高)でバス代を払うことになった。多分、三だか四ユーロぐらいした。

シントラからロカ岬に向かう道中では国立自然公園を突っ切るらしく、曲がりくねった道の果てに大西洋が見えてきた時のテンションはそれなりのものだった。

 

ロカ岬周辺は、国立自然公園なので、マジで何もない。いたって森と平原、そして崖だ。

岬の際まで行くバス停の傍には、一件の観光案内所(ここでヨーロッパ最西端到達証明書を貰える、印刷のものが5ユーロ、カッコイイ手書きっぽい文字のが10ユーロ、「袋をつけてくれ」というと1ユーロで封筒をつけてくれる。便所は有料)、一件の厳めしい顔の土産物屋(レストランを併設している)、赤い灯台と、詩を刻んだ碑がある。

とにかく、風が恐ろしく強い。観光バスで来た団体観光客が居り、「せっかく買ったんだから飛ばさないでよ!」と、証明書を抱える家族連れの声が響いていた。時間の関係か、最西端に行きたがるのはそういう奴が多いのか、日本人が多かった。

風があんまりにも強く、最初はたしかに興奮したが、しばらくすると風に吹かれていることにも疲れてきて、私は景色もろくに見ず、最西端到達証明書を貰ったらバス停近くの地面に蹲り、次来たバスに即乗って帰った。

背後に過ぎ行く大西洋に若干、もう少し滞在して何か、これからの人生についてでも思索するべきだったかと後悔をしたが、まぁ後悔が残るぐらいが丁度いいだろうと思って座席に深く座った。

 

そうやって、西に行けば何か、きっと救われるんじゃないかという信仰を私は持っていたが、西に行ったところで、別に何も変わらなかった。

社会に出ればきっと、こんな不毛な趣味から足抜けするだろうと思っていたが、相変わらず脳は自分の性癖を熱心にツボ押ししようとするし、その過程で、創作活動に楽しみを見出したり、創作者であることによる利益(創作者コミュニティ的な仲良し絵師・書き手・合同サークルたち、いません?)を受けている他者を時折水槽の外側から見て、やっぱり発狂している。

どうしてこうも上手く回っていかないのかと、勝手に救われたい気分になっても、今となっては西にも行けない。

もうどうしたら趣味で人とつながれるのかとか思わないので、どうしたらこれを辞められるのかということばかりを考えている。脳だけは、今日も無邪気に譫言を続けている。

 

 

 


ポルノグラフィティ 『サウダージ(short ver.)』 / Porno Graffitti 『Saudade(Short Ver.) 』

*1:これまでに出席した同人イベントを除く。何故除くかというと「会話」らしい会話をそこでは経験していないからである

*2:私は以前、この種の祈りを「同人イベント」と「同人誌発行」に対して抱いていた。 参考 界隈での交流/zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌さえ頒布すれば自分だって」というような思い込みでサークル参加するぐらいだったらその分貯金して南米にいった方がいい - メーデー!