メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

このオタク二次創作に10年"持っていかれた"らしいですよ

 

私が二次創作同人小説に手を染めた時、二次創作同人オタクの間でpixiv・Twitterはそこまで広まっていなかった。

「二次創作がそもそもダメだろ」っていうのとは別に、「オタク趣味」自体を「隠れるべきもの」として見る風潮が残っていた。

私が二次創作に手を染めたきっかけが、擬人化ジャンルだったということも関係していると思う。

 

二次創作同人オタクはFC2ブログや忍者ツールズ、さくらインターネットロリポップ! 等でサーバーを立ち上げウェブページを作り、indexページ<body>~</body>タグの間に<meta name="robots" content="noindex,nofollow,noarchive" />を打ち込んだ。FC2のアクセス解析や忍者ツールズのアクセス解析を利用し、心当たりのあるサイト外からのリンクがないかを熱心に確認した。

しかし、このやり方には面倒だった。いちいち文章を書いてサイトにアップロードしたいと思うたび、ウェブページを作成してアップロードし、リンクをする必要がある。

別に、それはそれで楽しい。二次創作同人小説を表示するウェブページに、思い思いのフリー画像を設定したりして楽しめる。今でいうpixiv小説の表紙に何のフリー画像を設定するか選ぶような感覚だ。

だが、いちいちそれをhtmlタグに入れたりFFTPでアップロードしたり、リンク設定してまたアップロードしたりするのが段々面倒になってきた私は、ブログサイトに移行した。

 

ブログサイトって知ってる? 

 

ウェブサイトではなく、ブログに二次創作をアップしてサイトの代用とする行いを指します。

大概はindexだけウェブページで持っていて、そこからブログにリンクさせていた。

ブログ自体を非公開設定にして、パスワードのヒントを書く場所に「indexにあります」とか書いておく。そうすると、仮にブログが検索エンジンにヒットしても、ブログの中身は見られないという仕組みである。

 

ブログを更新する行為は、サイトを更新するよりも手軽だ。何といっても、いちいち背景画像にする画像を探したり、フォントを選別したりしなくてもよい。カスタム度が低い代わりに、文章を書いて「公開」を押せば一発で公開できる。

一方で問題もあった。何もしないでそのままブログを更新し続けると、一番上に新しいエントリーが来続ける。視認性が悪い。カテゴリーでジャンルごとに分けることもできるが、限界というものがある。どこまでスクロールすればいいんだこれ? 

 

この問題をウェブサイト風のCSSを採用して解決するブログサイトもあれば、私のように力技で解決するブログサイト運営者もいた。

常に一番上に表示されていてほしい、公開中二次創作同人小説へのリンク一覧記事の公開日付を「未来の日付」にするのだ。

よく考えるとそれでは未来に公開されることになり、結果的に今は非公開になってしまうのではないか? と今の私は書いていてちょっと思ったが、この策はこの10年間上手く作用しており、私のブログサイトのリンク集記事は10年間、ブログトップに君臨し続けている。

 

10年前、私はブログサイトを始めた。

10年前の私は常にブログトップに表示されていてほしい記事件名「about」の記事を、10年先の日付に設定して公開したのだ。2022年。

 

10年オタクやってると、定期的にpixivに投稿した同人小説を消したくなります。

オタクが自分で投稿した二次創作を時にはアカウントごと根こそぎ消すのには様々な動機があると思いますが、私の動機は復讐が近いです。復讐の内訳は後述します。

 

私が二次創作同人小説をズブズブやっている間に、サイバー空間はますます広がりを見せ、二次同人オタクの間では個人サイトを持たないという形態が「一般的」になった。

pixivに作品を掲載する形式から、Twitterでまず発表し、pixivにそれを後からまとめる形式が現在の主流でしょうか? pixivにまとめるっていう時点でなんか古い気がしなくもない。

とはいえpixiv・Twitterの後継となるオタク受け皿が存在しているか? というと、「多くのユーザーを」「一挙に抱えるプラットフォーム」というのはないように思っている。思っているだけ。すべて私の私見です。な~んも調べてない。

いっときTwitterの後継を目し、彗星のようにマストドンが流行しましたが、今どんな感じですか? 絵師の場合はtumblrを使ってる人がぼちぼちいたような覚えがありますが、二次創作同人小説の場合はちょっとよくわからない。他、Twitterとの合わせ技としてのPrivatter、fusetter、ポイピク、ジャンルによっては、pixivの代わりにピクトブランド。

ピクブラが流行り始めたころはタイバニ全盛期で、おそらくあれの創設者は虎兎派だったのか、露骨に兎虎を揶揄る宣伝文句を行い、一時炎上していた記憶があるんですけど、検索したら「プレミアムが退会できないんだがwww」という内容の記事ぐらいしか出てきませんでした。被害妄想かもしれない。

その辺りは特に重要ではないです。全部私のうろ覚えで列挙している。重要なことは「二次創作の主な公開・閲覧の場がSNSに移った」ということです。

 

「二次創作の主な公開・閲覧の場がSNSに移った」ことで、各々がサイトを持っている時より、確実に閲覧数が増えやすくなったのでは? 

それと同時に、他人を視認することが増えた。他人が他人へ向ける感想を見ることも増えた。

 

「感想が欲しい!」というのは二次創作をするオタク(私)の欲望の中に常に存在しますが、これを細分化するとおそらく、

「どのように読まれたのか知りたい、私は母語を使って妄想を出力できているのか?」

という疑問の他に、

「私の妄想に時間を使ってほしい」

というところに近しい感情がある。

 

何せアホ程時間がかかる。朝ちょっと手を付けると休日が終わる。

一方で、私も絵師の人から絵を描くのにアホ程時間がかかる話をいただいても、あまり響かないところがある。結果だけを攫って行く人間だからだ。

美術館に展示されている絵に、作者以上に時間を使う人間、いますか? 研究者や修復師、それか贋作を生業にする人間は使うのかも。

 

要は、そういうことです。「私が時間を使って出力した妄想に、他人にも同じように時間を使わせたい」これは欲望の形として間違っている。

私と同じだけの時間を使って、私が出力した妄想を見る人間は存在しません。文章を並べる速度と文章を読む速度は全く違うものです。

 

これを自分の脳に理性でわからせていますが、感情はよくキレてる。

というのも、他人が、他人のためには良く時間を使ってなんかコメント書いたり、言及したりしてるのを見るから。

SNSにおいて、他人が他人へ向ける感想を超よく見る。

他人が他人へ向ける妄想のファンアートであるとか、そういうの非常によく見る。私の脳内で回数が増幅されてたりしません? ってぐらい見る。

 

一方で直近の私の話ですが、「本読みましたありがとうございます!」という趣旨の名前の公開リストになんか追加頂いたので、「おうありがとな」って気持ちでリスト製作者のホーム画面を見てみたところ、数秒前に「たった今他人に超長い感想DM送っちゃったテレテレ」ってはしゃいでるところだったとかです。その人だけでよくない? 追加するの。

「後で感想送ります!」ってやつは、マジでたぶん一生来ない。あの予告送ってから感想送った!って人間、この世にどれほど存在しますか? もしいたら教えてください。

一方で、感想予告も「あっあの本手に取った人間マジでいるんだ~」という実感にはなるので、実際ありがたいと思うし、こういう放言をして他人を委縮させるべきではないと、理解はするんですけど、じゃあ「感想来るかも!」と思いながら他人の他人による他人への感想見てる私は何? ってなるのはある。

コメントを入れられるツールなんてものがあるから、予告コメントをいただくことになるのでは? となると、メッセージツールを持つべきではなくない? 

そうはいっても、なんであれ自作二次を見た他人の反応が入ってたら嬉しいので、それはそれで開けておいた方がいいんじゃない、とは思う。貰える可能性がある状態にしておくということに越したことはない。


そもそもの問題ですが、自分ほど自分の妄想に時間を掛けて、自分が出力したものに向かい合う他人はいない。これはよく理解している。

さらに娯楽で文字追う人間はまずいないし、まして読みやすさを考慮しないカスの素人二次だもんで、読まれるだけ驚いていた方が謙虚というものでは? 

一方で、他人が他人に時間を使ったり交歓したりしてるのをよく見ていると、俺が時間を使って最高だと思ってるもの、他人には時間を使う程のものでもないってことか というのは定期的に思う。

自分の妄想によって他人Bに時間を使わせている他人Aは、まず他人Bのためにどこかで時間を使っているのでは? といえば、それはそう。

しかし、二次創作同人なんかしてたら、他人に使ってる時間なくない? 食器洗ってる時間もない。別に二次創作ばっかしてるわけではありませんが、Twitterとかしてるので。するなよ。皿洗って本でも読め。寝ろ。

 

そういうようなことを考えながら生活してるんですけど、その中で「(自分の二次に)反響がないのは、自分がそれだけのものを出力していないから。読まれたところでわざわざ時間かけて何かコメントを残す程でもないっていう、それだけの事実を表している」という趣旨のツイートしてた絵師が、そのあと大量にマシュマロ感想を収穫してる様を見て私は高らかに笑いましたが、

 

そうやってゲラゲラしてる一方で、感想ってそんな自発的に送るか? というのもあって、それは大いにそう思う。送らない。他人の妄想とか読んで、「良かった」しか残らないの、大いにわかる。

「良かった」しかないところ、下手になんか凝ったこと考えてコメント残すか? と思ったところで、これは俺の自慰行為の押し付けではないのか。というのが常に付きまとう。

私も、他人のために、なんかキモいやつになるリスクを冒してまで、そこまでの時間を使わない。

私の苦しみや私の時間というのは、他人の苦しみや他人の時間というのが、私にとってかなりどうでもいいのと同じだけどうでもいいし、影響を及ぼさないんですよね。

 

そういう世界線にいるつもりなんですけど、他人は他人のために時間を使いますし、私のために時間を使ってくれたらしい他人、奇特な他ジャンルの方を除くと、基本的になんか感謝の言葉だけ残して成仏したり、〇〇は書いてくれる人いるから~と各々の活動に戻ってくれます。

「人間の脳を洗って私好みの二次創作をさせたい!」という方向性からすると私の有り様は完全に間違っている。

 

10年も何してたの? 

 

二次創作同人小説で10年、得たもの、狂ったようにわけわからんツイート垂れ流してるところ、時々喋ってくれる数人のフォロワー(奇特 タイムラインのノイズになってませんか? 気が向いたらまた喋って下さい 嬉しいので)、旅行先で会ってくれる奇特な二人のオタク(貴重過ぎる ありがとうございます)と、キモオタク特有の早タイピングぐらいですか? 最後のものはこれ、二次創作同人小説ではなくて、なりきりチャットで培ったんですけど……。

 

ブログサイトとか自分の二次とか 公開したものを定期的に全部消したくなる動機の一つには復讐があり、ここには、私には時間を使わず、私の妄想を一方的に楽しみやがって、という他人への恨みが根にあるんだろうと思います。

これと同時に、読んでくれるだけありがたいと思う感覚も併存してはいる。

しかし自分の脳内に、できるものなら二次創作なんて書きたくないし、他人が書いてくれた最高概念を読んで綺麗な涙を流してカフェでおいしいケーキを食べたい、というのが常にある。

 

一方で、私もものすごく好きな二次とかあるんですけど、わざわざそこにコメントして作者に好きです~~~~~~~~~あなたのつぎ込んだ時間はここで生きてますよ~~~~~~~~というアピールとか、まずしに行かない。最高が既にそこにあるので、私が何かをそこに継ぎ足す必要がない。

そこに何かコメントをしてくれということであれば、何かしらひねり出すべきだとは感じている。何せ、「俺の出力と校閲に掛けた時間を葉巻にしてすぱすぱ吸いやがる」というのは、私がオタクに対して常にうっすら持っている恨みでもある。

しかし、この最高に私がするコメント、なくない? ここの文章が好きです!って言って全部コピペするの? 新手の荒らしか?

 

そうやって二次創作小説なんか、中途半端に公開して自己満足してるもんだから、自分が書いた/書かざるを得なかったという被害者意識が、常に付きまとっている。

誰から被害を受けている? 自分だ。自分が勝手に考えるので、書かざるを得ない。

わざわざパソコン開いてテキストを見て読み返すより、ブログなり何なりで公開した方が見やすい。

 

だいたいは公開行為で満足しており、それを他人が見ていることに気付くとびっくりするがまあ嬉しい。

時々は、他人が他人に対しては時間を使って言葉を尽くしてそれに賛意を示すのを見ながら、他人は私には時間を使わないので……ということを考える。

 

考えても無駄だ。まれにコメントをいただくことがあるだけで、奇跡的じゃない? 

とはいえ、考えてしまうものは考えてしまうものですし、これを考えないためには、そもそも他人に私が無為に費やした時間の結果を、閲覧できる場所そのものがなければいい。

 

pixivとサイトのアカウントを消せ! 

 

そうやって公開したり頒布したりしなければ、私の時間を葉巻にした妄想をキメられるのは私だけなので、ある種の安寧が訪れるんですよね。

公開するべきではない。公開したって、「〇〇は書いてくれる人がいるから~」になるんですよ? 何で? オタクと社交しないから? 

 

でも、オタクと社交をすればオタクは私の考え方に近くなってくれるかと思ってた五年前ぐらいに、オタクと一生懸命喋ろうとしてた時期あるんですけど、推定善意の他人が、わけわかんないからブロックしてる界隈大手の二次勧めてくれるリプライに、マジで何をどう返せばいいのかわかんなくて同期に相談したし、同期は苦笑いしながら「今度読んでみますねっ(任意のキラキラ絵文字)」を入れればそれっぽく見えると教えてくれた。

そうやって色々相談しながら私が一生懸命対話を試みたオタクたちは、別に私の好きな傾向の話をしてくれるようにはならなかった。まあ当然のことなんですけど、社交が上手い人間ってそういうの素でやってるところありませんか?

 

私にオタクの社交を教えてくれた同期が卒業して、彼女と会わなくなって四年ぐらい経って、今日の私は久しぶりに遅刻しかけて駅まで走ったんですけど、スーツ着こんでさも健康体って顔しつつ下半身はドッバドバ出血してるせいか、電車に乗り込んでから物凄い勢いで耳が遠くなって立ち眩みを感じ、隣駅で降りてベンチを温めるなどした。

三回電車を見送ってから、おそらく私が出勤するから出勤してきたのだろう管理職に、「マジ貧血で動けないから午後からいきま~す」と連絡をした。

 

正直一歩も動きたくないが、自分で歩かないことにはどうしようもない。

駅員の人を呼ぶか? 救護室とかで休ませてほしいと思っても、大声を出して人を呼ぶイメージをするだけで喉が萎える。

誰か駅員を呼べ~~~~~~と念じながら、ベンチの背もたれに肘を乗せてほとんど丸まっていたんですが、誰も来ない。

 

まあわかる。私も、誰か不健康そうにベンチで蹲ってたら遠ざかる。

しかし貧血起こしてる私の周りの人間はそれとは違って、遠ざかりもしない。各々スマホ見てるか音楽してるから気づかないのだ。

 

別にそれがどうってわけじゃない。私だってそうする。私がベンチで座れる範疇だから声かける程でも……っていう判断もあったと思う。まして朝だ。遅い朝とはいえ、出勤者にとってはそれどころじゃない。

あそこで暗転してぶっ倒れていたら流石に誰か来ただろう。来なかったかもしれない? しかし、電車が入ったり出たりするたび合図をしている制服の駅員がいた。あそこで満を持して地面にぶっ倒れれば、流石に誰か来ただろう。

 

ぶっ倒れる程ではなかった。献血した後に焼肉食べ放題して池袋のアニメイト(階段がめちゃめちゃ長い)に行った結果、工事現場前で歩けなくなった時の方がひどい貧血だった。正常な月経は20~140mlらしい。献血は400mlなので、抜けた血の量から考えればそらそうだ。あの時は、脳幹が氷漬けになったような感じだった。

結局同行者がタクシーを呼んでくれて、彼女の家で二十分ぐらい安静にした。これを思い出すたびに、あの時のタクシー代まだ返してないな、というのも思い出す。その後完全にタイミングを逃し、連絡を取れていない。いきなり金返したいんだけど! って連絡するのも、なんか……ラインペイ送る……? 

 

とにかく、貧血の度合いとしては、その時よりマシだ。まだ歩ける。

トイレに入って蹲るか反対側の電車に乗るか、ホームで十分迷ってきた電車に乗り、ところどころ人目につかないポイントで便所座りをキメながら、這う這うの体で家に戻る。

 

家に戻ってからしばらく安静にしてウトウトしたら、まあ立って歩けるぐらいにはなったので、出社をする。

こんな這う這うの体なら出社するなよというのは正しいんですけど、他人に口で説明して作業をやらせるより、出社してやった方がよっぽど早いことが溜まりにたまりすぎて明日締め切りを迎えようとしている。

出社時間を二時間ずらしたら電車が空いていて、やれやれと席に座りながらスマホを見て、自分の二次を見返していると、めちゃめちゃ面白い。

自分の脳から出てきているので、たぶん自分の脳や思考にフィットする形で書かれている。

 

これめっちゃ面白いので、消さないでいてくれてありがとう私。

過去の私、決して未来の私に見せるために書いているわけではないんですけど、時間詰め込んで葉巻作ったの過去の私なんだから、今の私が良い思いするぐらい良くないか? 

ありがとう できれば誤字脱字をなくせとは言いませんから、減らしてください。醒めるから。