メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

仕事が嫌すぎて残業しながら泣いてる

 
泣くな! パソコンの画面が見えなくなるだろ
 
運良く社会の歯車をやらせてもらっていて、大変ありがたいことに自宅の椅子を温めながらパソコンで作業していれば、月に一度お金を頂ける有り難い身分で生活をしている。
社会人、学生バイト要員として働いていたときより、よほど大事にされている。というか、バイトで働いていた大学やコンビニエンスストアなんかより、今のところ会社の方が治安がいい。
上役はコンプライアンスという言葉をちゃんと知っているらしい(大学教員はこのへん知らないことがある)ですし、まだ若く見える人間らしいということもあってか、諸々差っ引いて面倒を見てもらっています。会社ヌクモリティ。
 
ぬくぬくおんばひがさの下、特に何も嫌なことをされたわけでもない。強いて言えば、仕事を振っていただいて火が着いたように泣いてる。
仕事を振ってくれる上司が憎い。
社内稟議でなんかよくわからん机上の空論をゴチャゴチャこね始める上役(卓上の奇人と呼んでいる)のことなんか、二度三度この手で楽にしてやろうかと考えている。
その度に、作業机の上に放置している、妹がくれたお土産をじっと見つめる。ベ平連反戦意見広告をもとにしたものだ。
 
 
業務の中にも、「まだ耐えられる業務」と「耐え難い業務」があって、自分の領域にこもっているうちはストレスが少ない。
時間経過湧き一人完結業務はそこまでのストレスなくこなせる。
あとは、特段締切の決まっていない庶務業務、締切が決まってはいるものの出すもの出したら文句はない庶務業務、庶務業務なら、そこまでストレスなくこなせるかもしれない。
 
最近は社内稟議を通す系の、いわゆる「根回しをする」必要のあるタイプの仕事が湧いてきて、その度に咆哮しているし、資料を出すたびわけわからん指示が出るストレスで脳がやられたので、今日の15時ころまで3+7=9だと本気で思い込んでいた。違った。10だった。
何故こんな辱めを受けなければならないのか。丁度ウェブ会議の向こうで卓上の奇人たちが談笑しながら「〇〇も確認した方がいい」「頭の体操としてですが」「教えてもらいたいんですけど」と和気あいあいと仕事を増やしやがる。ミュート。咆哮。
壁の薄い部屋で生活をしているので、公道を通過するみなさんも、咆哮する在宅ワーカーの存在に、薄々お気づきなんじゃないかと思います。
 
とはいえ、趣味じゃなくて仕事なので、根ぐらい回して金を貰えよ。金は出るじゃん。税金で弱体化されすぎて、何をするにもちょっと微妙な額ですけど、それでも金が出る。
今のところこれで、弊社ちゃんが私の存在に出してくれるこのお金で私、生計を立てて安定した暮らしをしています。お金を使って個人の手による二次小説とかいう、絵師の方に表紙イラストを依頼する口実、厚みのあるイラストのネットプリントをしても、クレジットカードの引き落としで怯えなくても良い暮らし。
 
この生計がなかったら、どうやって暮らしていくんだ? と思うと同時に、これから先私は、ずっとこうやって咆哮しながら暮らしていくのか? という不安がよぎる。
人生100年時代、70代の就労率が高いとニュースで出るたび、IKIGAIIKIGAIって馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返しますが、単に金が必要だからじゃないのか。金がなければ生きていけない。預金残高が寿命の目安のように見える。
 
いっそこの在宅ワーカーを辞めて、オフィスに戻ったほうがいいのかもしれない。
ウェブ会議中にミュート咆哮できているから、まだ大丈夫だろうと見込まれ仕事を振られるのであって、卓上の奇人が暴れだすと同時にブチギレかましたら、たぶん結構早いタイミングで仕事振られなくなると思う。
でも、仕事をしないと生活ができない。これから一日8時間近く社会人ちゃんの着ぐるみを着て咆哮し、目を腫らしながら退勤するんですか?
 
 
こういう根本的なことを考え始めないために、娯楽で自分の機嫌を取る必要があるんですけど、今日は娯楽でガチャ引いて、ご祝儀一回分ぐらい擦ってから、将来へのぼんやりとした不安を覚え、金遣いの手を止めた。
 
出費の用事を数える。直近のご祝儀、それに伴う被服代、美容院代、日々の電気代、水道代、光熱費、通信費、携帯料金、家賃、交通費、サブスクリプション、食費、今日は食事をしないことにした。無意味に使った金のことを考えると、懐に入る前に消えた天引き税金のことを考えてしまって、飯が喉を通らないため。
 
どのキャラが来ても嬉しいガチャならニコニコなんですけど、目当てが一つしかないとガチャ、実質お札をシュレッダーに掛けているようでゾッとしますし、運要素を金額でどうにかするという趣旨なので、中途半端で正気に戻るとこうやって、結局手元に虚無と憎しみしか残らない。本当に良くない。
 
人によっては、あれで快楽を得られるかもしれないんですけど、たぶん「金が戻ってくるかも!」という期待を胸に抱けるだけ、私にとってはパチンコのほうが有益かもしれない。まだやったことがないので実際どうだかの真偽は不明です。
 
 
なぜ、こんなことをしているのか。一日8時間、今日は卓上の奇人たちの活躍によって十時間。
それでも自分が可哀想だと思えないので、悲しくて泣いても涙が出ない。全くかわいそうじゃない。安定感が凄い。「私なんて……」と思ったことがない。堂々たる自我。
これがコミカルな外見から離れてツイッターに立ち現れるとき、自動翻訳越しにもそれを「傲慢」と感じさせるのかもしれません*1
 
会社が嫌すぎて出る咆哮は、どっちかというと、絶望に近い。そして、こんな会社とか社会いう巨大おままごとを必死に成立させようとしている、全てへの憎しみ。
 
なんで私が、こんな目に遭わねばならないのか。人並みに生きるためだ。衣食住に困らず、そこそこの社会的生活を送るためだ。そのための8時間労働。今日は10時間労働。
 
理論上は、辞めたければいつだって辞められるが、これ以上の待遇を望むことは難しいと知っている。
 
能がない。それで金を稼ぐ! と一本気に思えるほどの、価値のある趣味も、芽が出る見込みのある特技もない。他人に価値を認めさせようという努力をしていない。
 
価値も能も愛嬌もコネもありませんが、労働者なので自由に暮らせている。労働者である限り自由。
 
この条件付きの快適な暮らしを打開する目処が立たず、定期的に咆哮を上げる。
 
社会人ちゃんの着ぐるみの中に、虎がいる。
虎は今日、ご祝儀分勢いよく課金して何の成果も得られずに、空腹と腫れた瞼を持て余している。
 

 

山月記

山月記

Amazon

 

*1:私はこの「傲慢」という私への感想は適切ではないと思っていて(傲慢ポイント)、どちらかというと「可愛げのない」が適切ではないかと思っている。誰かが見てくれているかもしれないから宙に向かって感謝するオタク仕草のようなものの一切を廃しているので、確かに愛嬌はない。もっというとツイッターのことを交流会場として見ているか、部屋の壁として見ているかの認識の差によるものじゃないかと思う。