今に始まったことではないですが、私的な備忘です。写真はその内増えます。
5月:台北と近郊(基隆・九份)
考えてみると意外と台湾に行っており、同行者が初めて台湾に行く人だと大抵九份に行くことになるので、あの人ごみが凄い坂道を結構登ったり降りたりしてるんだなということに気付いた。
これまでは台北発現地催行ツアーを利用して行き道で墳墓を見る度興奮したり帰り道に凄い渋滞に捕まったりしていたんですけど、今回は公共交通機関を使っても案外行くことができるんだなということがわかって良かった。
予定を立てた時点では渋滞のイメージがかなり強かった(し、基隆に行ってみたかった)ので基隆で一泊しましたが、ルートとしては台北から日帰り往復が全然できる場所らしいです。
迪化街に最初に行ったときは2014年ぐらいで乾物屋とかの街並みが残っていた覚えがあるんですけど、この時はカフェ以外の店を探すのが大変だったような覚えがある。2010年代後半から一気に垢ぬけたんだろうなと思います。
7月:台南
暑くてヤバかった。南国をナメていた。人様を連れ回して良い気温じゃない
台湾の台南にある林百貨店(日本統治時代建設)の屋上にある神社跡を発見した韓国ネキの「こんなん韓国だったら破壊されるやつやんけ!」という素直な感想好きhttps://t.co/VUkFAQ8C4R pic.twitter.com/sAP55VM1zI
— DALT (@alt_dirty) 2024年6月11日
台湾における対日感情については「占領が長期(50年間)に渡ったことやそれ以前に長期政権・王朝として明確な中心地が云々というのもあり、その他の圏とは異なった受容のされ方をしているんですよ」という説明を書籍や現地ガイドの方の説明やらで何回か聞いたことはあるものの、この後行った国立台湾歴史博物館で「日本統治下で作られた市区のロゴマークの缶バッジ」が販売されているのを見て流石に困惑した。
ここでも眷村に関する展示を見ているんですけど、
この年の5月に台北の四四南村、ちょっと前に台東の国立台湾史前文化博物館でそういう展示を見たのでその辺りのことも忘れない内に何かしらでまとめたいなとは思っています。(メモ)
9月:プラハ→ザルツブルク・ウィーン→ヴェネツィア
神聖ローマ帝国のイタリア遠征だ~🎶みたいな世界史バカのはしゃぎ方してたらTwitterで未曽有の災害呼ばわりの豪雨が来て乗る予定の電車が消えたり同行者ががパスポート落とし未遂をしたり大騒ぎをした回だった。
街並みについて、日本語で見られるプラハの観光案内は「中世の街並み」をウリにしているものが多いんですけど、プラハ→ウィーン(近世以降の帝都)に移動すると、街並みがいっきに白っぽく磨かれたような美しさになってしまって年季の入り方の違いかなとちょっと面白くなってしまった後、ナイトジェットでヴェネツィアに移動したらなんか、プラハと同程度の古びているがウィーンの白っぽい磨かれ方とは面構えの違う象牙色、異次元の財力を見せつけられてしまった。
ヴェネツィアでは王宮等を見ることができなかった(プラハ・ウィーンと比較して1日しかいないので「広場観れれば御の字」のつもりだった&団体旅行客の入場列が凄くて挑める気がしなかった)ので、機会があったらどこかで行きたいなと思っています。思うのは自由。
11月:香港
脳が南に行けと囁くので飛行機を取って団地に宿泊した。直近で台湾に二回行っているんですけど、広東語を久しぶりに聞いてビビる等した。機内アナウンスも空港も駅も第一言語は当然広東語で来るし、飛行機に至っては二回目に流れてくる中国語(普通語)も訛りがきついのか私の耳がダメなのか安全帯(座席のシートベルト)しか聞き取れずに困惑した。
目ぼしいところは一通り観光できた上に二階建ての路面電車にも何故か乗れたので、二泊三日で意外と動けるもんだなと思った。自分、弾丸いけます! 旅行客として。