メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

マカオ「寝言を言うな、目を覚ませ」

 

 その限界同人女が慟哭したのは、八月初旬の終わりの夜。冷房が程良く効いた、香港国際空港第一ターミナル二階、待機ロビーでのことだった。

 その限界同人女は当時、善良な第三者に挿絵を依頼する為の同人誌構想を持っていた。「コミュ力がないから挿絵の依頼方法が分からない」等と散々喚いて、実際何一つ行動を起こさない、ゴミのような女だった。

 とあるコミュ強アカウントから、その限界同人女に「挿絵の依頼方法虎の巻」が伝授されたのは、それから遡ること、数週間前のことだった。それから数週間後。コミュ強アカウントは、一冊の同人誌の頒布を公表した。その小説同人誌は、絵師手づからの表紙付きであった。

 

 限界同人女は慟哭した。限界同人女は帰国次第、誰かしらに挿絵を依頼するDMを、親愛なるコミュ強アカウントから伝授された虎の巻に従って送信しようという、明るい未来を描いていた。依頼を断られれば「挿絵が欲しいと呻いていた自分のため、やれることはやった」ということになる。なんとか動いたんだ、自分なりに上出来じゃないかと、自分を慰める準備まで出来ていた。

 しかしある程度の字数は書くわけだから、誰かれ構わず依頼するのは気が進まない。恵んでもらえるだけ十分だろうという罵声に背を向け、曲りなりにも書くものとしてのエゴを振りかざし、限界同人女は表には一切出さず、極めて一方的に、ある絵師に目を付けていた。世が世なら取り締まりの対象となりかねない薄気味悪さ、最早害悪である。

 

 思い込んだらこれと妄想の激しい限界同人女は、その華々しい発表を前に気が付いてしまったのだ。

 件のアカウントは前々からあらゆる方面に顔が広かった。人脈があり、ある絵師に限らず様々手がけた同人小説が描画されるような存在だった。ツイッターという諸悪の根源。これが件のアカウントと、妄想の激しい限界同人女の間にある、途方もない溝を覆い隠したのだと。

 構想の同人誌を頒布する機会は、秋しかなかった。これから冬にかけて、限界同人女同人女としてだけでなく、人間としても限界を迎える時期となる。今後どう転ぼうと、或いはどこへ滑り落ちようと、なんとなれば、いずれにせよ、これが最後かもしれない。

 「恥の多い人生を送って来た。しかしどのような人生にせよ、最期の瞬間にはスポットライトが当たるのではないか。」と、それ自身が発光しているような同人ライフを送る諸姉らのアカウントを前に、思い違いをしてしまった事実に、気が付いてしまったのだ。

 

 件のアカウントは元々、ある絵師に限らず様々なアカウントと親交を結び、オフ会という儀礼の場で様々な考察を深めていた。その場で内々に話を通していたのかもしれないし、或いは約束を取り付ける等、上級の人間としてある種当然の社交を営んでいたのだろう。

 対してそこの限界同人女。お前には何がある? お前はオフ会という概念に接触したことがあるのか。お前はリアルタイムに会話が進行する場で、他者の考えを笑顔のまま受け入れられるのか。そもそもお前に思考と発言を同時に行う程の脳味噌があるのか。

 そもそも、お前は自立した社会生活すら営めていないじゃないか。そうだ、お前は一度でも、お声を掛けてくれる皆さんに感謝をしたことがあるのか? それ以前にお声が掛からないじゃないか。

 お声が掛かったとしてもだ、お前が誕生祝いにかこつけてBのLを、己が宿啊である解釈過激派であることを顧みず、タイムラインという不特定多数に向かって乞うた時、「〇〇さんも誕生日だったのですか! 知らなかった! おめでとうございます!!」と、或いは、「一週間後のイベントで出る頒布物を誕プレだと思いましょう」とわざわざお声を掛けて下さったアカウントたちに、お前は何を思った?

 そうだ、お前は他人に感謝が出来ていない。他人のことを、およそアプリか機械か何かと勘違いしている。お前はアカウントが、アカウントがと連呼するが、その向こうに血の通った人間を想定したことは一度でもあったのか? 

 尊重をしないまま尊重されたいと喚く、およそ存在が害悪でしかない限界同人女の最期に、そのような華々しいスポットライトが当たるとでも思ったか?

 

 冷静になって考えてみれば、全て筋の通った話だった。表紙絵を頼むにあたって使用した手法を、件のアカウントは限界アカウントにまで丁寧に教えて下さったのだろう。

 限界クソ同人女の内心など、当人が表明しなければどこにも向かうことはない。

 ただ全てが、そうなるように運んだ。それだけのことだ。

 

 しかし限界クソ同人女の内心を知っているただ一人の限界同人クソ女は、極めて一方的な「裏切り」を、そこに感じ取ってしまった。

 病的な妄想癖だ。

 憧れの先輩に告白したい、玉砕してでもいい。でもどうせ告白するなら、かっこ悪いところは見せたくない。そう悩むクソブス女に、親身にアドバイスをしてくれるチア部あるいは吹奏楽部に所属する溌剌とした人気者、しかも学年きっての美人、つまりスクールカーストの高いクラスメイトが言う。

「こうすると上手く行くって!がんばって!」

 その翌日、アドバイスをしてくれたクラスメイトと先輩が交際を始めたことを、クソブスは知ることになる。

 玉砕することも出来ず立ち尽くすクソブスの呟きと、八月上旬の終わりに上げた慟哭は、およそ種類の近い憤りであった。ヤクでも打ってんじゃねぇのか。

 

 そして、「せめて先に言ってほしかった。」と、クソブスこと限界同人女は溢した。日頃から誰かれ構わず向け続けている殺気を放っておきながら、実に勝手な話だ。

 しかし、せめて「挿絵を依頼するような時に使うと良いですよ!」ではなく、「自分が表紙を頼んだ時の実体験ですが」と前置きがあれば、クソブス限界同人クソ女は、その座り心地の悪くない空港のベンチで、あそこまで激しくせき込むことはなかった。

 ちょうどその頃香港ではインフルエンザが流行し、多数の死者が出ていた。元々軽度の咳き込みを定期的に繰り返していた私に対する周囲の旅行客、職員、誰よりも、同行者からの視線が痛かった。

 

 

 同日誕生日の小説アカウント誕生日絵をアップした後、「えっ、〇〇さんも誕生日だったんですか!?」と、心優しい絵師の方の心を痛めつけてしまう存在。

 そして、「一週間後のイベントが貴女の誕生日プレゼントでは」と発想の転換を促してくださる素敵なアカウントが、当人の誕生日の際は小説イメージイラストを絵師の方からプレゼントされていたことを、永遠に根に持ち続ける怨念の化身。

 尖った性癖の持ち合わせはないものの、ネットの荒波に削られ研がれ磨き抜かれた刃物のような神経で、心優しい所謂クラスタの皆様の心を傷つけた結果、順調に各方のアカウントから締め出しを喰らい続ける存在。

 どうも、クソブス限界同人女です。

 

 今回は開き直り、或いは天に向けた釈明の為にエントリーを書き始めた訳ではありません。

 以降は淡々とマカオ旅行に関する概要が続きます。

 

 皆さん「マカオ」と聞くと何が最初に想像されますか。

 私は映画『クレヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険』に登場する二人のオカマ魔女・マカオとジョマです。

 

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 パッケージ左上の二人組です。左の頭頂部スキンヘッドがマカオ、右のバレリーナがジョマです。

 

 ところで、今夏私が旅行したのはヘンダーランドではなく香港でした。

 香港は成田から案外時間がかかる所にあり、約五時間飛行機に乗ると到着します。ちなみに私の乗った便は何かしらのトラブルで離陸時間が大幅に遅れた為、例示した前述のフライト時間は全く正確ではありません。

 

 魔女ではなく特別行政区マカオは、香港からさらにフェリーで一時間程、近所のドブ川の色をした海を渡った所にあります。

 香港からマカオ行のフェリー乗り場は香港島(上環)に一つ(マカオ・フェリー・ターミナル)、九龍半島発着に一つ、香港国際空港に一つの計三つ。

 一方、マカオから香港行のフェリー乗り場は北部のマカオ半島に一つ(アウター・ハーバー・フェリーターミナル)、南部の離島・タイパ島に一つ(タイパ臨時フェリーターミナル)の計二つが存在します。

 

 私は香港島のフェリー乗り場から、世界遺産に登録された美しい街並みのあるマカオ半島に行こうと思い立ったのですが、フェリー乗り場手前のチケットを買う段階で誤ってタイパ行のチケットを購入しそうになりました。

 香港島のフェリー乗り場から「マカオ半島」に行かれる際は「赤色のチケット販売業者のブース」の所に行きましょう。青色のチケットブースに並ぶと目出度くタイパ行になります。

 なお、タイパ島に対して大変失礼な、あたかも流刑地のように描写しておりますが、実際はタイパ島もコロニアルな雰囲気の残るリゾート地としてガイドブックに掲載されています。

 

 それではここで先程の問いを繰り返させて頂きます。

 「マカオ」と聞いて連想されるものはなんでしょうか。

 

 カジノ、観光地、間違ってはいません。

 世界遺産の街並み、エッグタルト、そこまで出れば上出来です。

 長きにわたる植民地支配によって、マカオでは(個人的には、恐らく本土と比較するとという注釈がここに入ると思います)独自の食文化・アレンジが生まれました。

 そう、マカオは中国大陸におけるヨーロッパ諸国による最古の植民地であり、紆余曲折を経ながら実に1999年に至るまで、ポルトガルの植民地だった町です。

 

 一方かつての英領植民地・香港から出発した私、そして今回の旅行の同行者は、ガイドブックに掲載された「ちょっと足を伸ばして……」という煽り文に浮かれる踊り子でした。

 ちょっと足を伸ばしてマカオ。耳馴染が無いという程のことはない観光地。そう、観光地です。

 地図の読めない女たちは実際にマカオの地に足を踏むまで驚くほど楽観的に物事を見ていました。時々雨がぱらつきながらも天気もだんだんと晴れて来た、驚く程明るい陽光が、昭和の時代には隆盛を誇ったものの、今は鄙びた海水浴場の最寄り駅といった風情を漂わせる、さながら灯台のように白いアウター・ハーバー・フェリーターミナルを照らしていました。

 

 香港からマカオに「ちょっと足を伸ばす」際、まず最初に申し上げたいのは、香港での感覚は捨てるべきということです。

 まず比較対象として香港での例を上げさせていただきます。

 

 香港では「基本的に英語が通じます」。

 そして「空港から市内まで無料シャトルバスだけでなく、MRT等鉄道網が発達しており、そのすべてに英語表記が付記されています」。

 香港およびその周辺地域に暮らす方々の広東語は、我々が一般に学ぶ中国語(普通語)で太刀打ちできる相手ではありませんが、旧字体じみた漢字の字面と「英語表記」を見ることで、ほぼ七割の意味を取ることが出来ます。

 

 ここでさらに比較対象として、以前フィンランド旅行中に「ちょっと足を伸ばして」ヘルシンキの港から客船でバルト海・三時間の船旅を経た末に踏んだエストニア・タリンの地を挙げます。

 まずエストニアは、「港からいわば目玉スポットであるタリン旧市街までが徒歩圏内」でした。

 次に「公共交通機関等観光客との触れ合いが多い地元民には、英語が通じます」。

 最後に、香港と違いエストニアで漢字を見かけることはまずありません。ですが、「エストニアに居るモンゴロイドは、外見的特徴からして、一目で異邦人であるとみなされます」。

 

 そして肝心のマカオ

 

 まず、香港・マカオ間を繋ぐフェリーの発着場であるアウター・ハーバー・フェリーターミナルから、世界遺産が居並び、宣伝写真等で使われるマカオ市内まで、徒歩で向かうことは不可能です。かなりの距離があります。ちょっと足を伸ばしてなんてもんじゃない。バス、またはタクシー必須です。

 バス・タクシーの乗り場は、アウター・ハーバー・フェリーターミナルの出口付近にあります。出口を出ればもう目の前がバス停。観光客が大勢たむろしているのが見えます。

 なお、マカオでは基本香港ドルを使用することが出来ますので、香港から来た場合手持ちの香港ドルを握りしめていればまぁ何とかなります。何とかなりました。

 但し、金額ぴったりの小銭が無く五ドル札を出しても、当然お釣りは返ってきません。都営バスや京都市バスのような、バス内両替機はありません。バスが到着するや否やバスに向かって人民が大挙するので、そんなことをしている暇もありません。

 多めに小銭を持っておくと支払い後勿体ないお化けに憑りつかれずに済みます。

 しかしいくら運賃があっても、どのバスに乗れば目的地に着くのかわからない。そんなの簡単じゃないか。「このバスはここに行きますか」と英語で聞けばいい。いけません。マカオのバスでは、英語は通じません。その時、乗車拒否も含め計六回バスに足を踏み入れましたが、その全てで英語は通じないどころか、英語を口にした途端運転手の顔が如実に曇りました。

 

 かつてのポルトガル領・マカオ公用語は広東語とポルトガル語です。入境審査の時点から香港では公用語顔をしていた英語の幅はがた落ち、審査所の上に表示される電光掲示板の一切から英語が消失します。

 であれば漢字を見ればいいじゃないか。バスの運転手に漢字を見せている暇はありません。

 確実に目的地の経路を通るバスに乗ればいいじゃないか。ごもっともなご意見です。しかし当方、京都市バスを利用してですら、目的地にたどり着けなかった経験を持つ女。バスの経路図におよそ信頼を置いておりませんでした。

 

 普通語は通じないのか。ここで最後の一点。マカオではポルトガル系の先祖を持つ彫の深いお顔立ちの方を散見しますが、マカオ在住の中国人、および観光客の中国人と、私、そしてその同行者。みんなモンゴロイド、外見上の区別はほぼありません。つまり、私が拙い中国語を使えば、ネイティブの容赦ない中国語が返ってくる。

 運転手の皆様の言葉というのは、ネイティブであれば「訛りがきつい」で済まされる程度であるのかもしれませんが)、我々第三言語として中国語を専攻した者としては如何せん教科書が全て。訛りなんて御大層なものは一切聞き取れません。

 三人目の運転手から手で追い払われる動作をされた瞬間、流れるように日本語が口から出ました。

「ふざけんなコノヤロー」

 なんて美しくない日本語! いくら追い詰められていようと、ガラの悪いクソ観光客です。

 マカオの事情について、その都市が辿った歴史の他に、「香港の裏番組」以上の現状知識を最初から知っていれば、旅先でこのような日本人の失態を晒すことはなかったでしょう。

 

 なんとかして乗り込んだバスの座席に座った後も、果たしてこのバスは市街地まで進むのか、戻りのフェリーの時間までに自分たちは再びこのフェリー乗り場まで戻れるのか、あらゆる不安を残したまま車窓は変わりゆきます。

 その内にバスはハイウェイじみた道路に乗り、香港と比較するとやはり鄙びた海水浴場といった風情のある中国語ネオンの点在する商店街を抜け、煉瓦造りの街並みが見えた時の感動といったら!

 その日の宿から一定以上離れた場所で行動するとどうしようもない不安を覚え、時間経過ごとにSANチェックが入るタイプの観光客からすると、あれはツーリストではなく、サバイバーが味わう類の感情でした。

 

 なお、アウター・ハーバー・フェリーターミナル内、吹き抜けのホールでは、日本語のビラを配る浴衣の女性がいました。カジノへのお誘いのビラでした。このことから、恐らくカジノ内では英語どころか、何なら日本語も通じるのではないかと思われます。

 マカオを観光される際はカジノを活動の拠点にされるか、或いは元々通じないという大きい気持ちを手荷物として道中持ってゆくか、または、香港から日系のツアーを申し込むのが、一番の安全牌ではないかと思われます。

 

 また、アウター・ハーバー・フェリーターミナルの出口付近にあるツーリスト・インフォメーションセンターでは、バス運転手に英語通じない問題が周知されているようでした。

 マカオで唯一、片言の英語が通じたそこでは、目的地最寄りのバス停名が書かれた紙を受け取ることが出来ます。

 さながらフォーチュンクッキーの中に入っているような小さい短冊。その上段には広東語、下段にはポルトガル語でバス停名が書いてあるので、それを運賃支払い前に運転手に見せれば、首を振るか、頷いて「乗れ」というような手の動作をするかで、そのバスが目的地に向かうか否かを判別できます。

 「民政総署」というような名前のバス停で降り、目の前に広がる美しいセナド広場のベンチに座って食べたエッグタルトは、この世のものとは思えない程美味しく、今回の香港・マカオ旅行で最も費用対効果の良い、一個五香港ドルのスイーツでした。

 もしも、ラッシュアワーという程ではないものの景観の妨げになる程度の人込みがなく、座ってるだけで汗ジミになる程の気温でなければ、あのまま小一時間広場に座り込んで、エッグタルトを一ダース食べたい。

 

 こうしてここまで書きながら、マカオのバス停の名前を検索しようとした所、まず最初に目に飛び込んできたマカオ観光局の日本語サイト、その「観光スポット」紹介の下にそのスポットを通るバス路線の番号が書いてあるのを見つけました。

 

jp.macaotourism.gov.mo

 

 矢張り「ちょっと足を伸ばして」の感覚ではなく、事前にきちんと調べれば、突然のサバイバルではなく、全うなトラベルを楽しんだのではないかと、たった今思いました。

 多分、というか、間違いなく、事前に調べてさえいれば、ここまでの生還体験を味わうことはなかった。

 そこでも「先に言って欲しかった」と喚く、まさしく怠惰の成した人災。粗大ゴミのような性根を持つ女が観光を「楽しむ」など、およそ烏滸がましいことだったのだと思います。

 旅行も趣味の一環として、その他趣味性の高い領域と、同様のことが言えるのでしょう。

 

 しかしどうでしょう。私が仮にマカオについて全て調べ上げていたとすれば、私はあらゆる不安から解放され、コロニアルな風情の残る街並みでリッチな旅行気分を味わうことが出来たでしょう。

 同様に、私が仮にあらゆるアカウントに感謝の念を絶えず、あらゆる二次創作に対し寛容さを持ち合わせ、少しのツイートの向こうにもアカウントの中に存在する人間を感じながら、真心を込めてリプライをしたとして、私は輝かしい交流人生を楽しむことが出来たのでしょうか。

  そう在ろうと思い立って、他人に感想を送りつける時期もありました。しかしどこかで歪みが生じているのでしょう。意図しない文章でまた一つ、また一つと見られないアカウントが増えていきます。

  それならば、もう何もしない方がいいのではないでしょうか。どのようなネタが流行ろうとROM専であれば幸せです。

 ▲▲さんがツイートしました「〇〇さんが書いた××が最高でした!」〇〇さんがいいねしました。ROM専であれば、以前××について書いたことを思い出さずとも良いのです。

 書くことは楽しい。しかし書いた事実は公開しようと、非公開のままにしようと、おそらく私以外、知ることが無いのではないだろうか。

 それならば公開する意味とは何か。

 最近そのことについて考え、「それは自分がデータを無くした時のためのクラウドである」という結論を見ました。

 しかしそれにしても、自分は本当に日本語を使えているのだろうか。

 透明な文字で何かしら怪文を書いていたりしない?

 

「新刊について感想ありがとうございます!励みになります!」

 慟哭の八月から大した紆余曲折を経ることも無く、結局挿絵構想の存在を抹消した形の同人誌は何とか物質となった。

 その際、あらゆるイベント後感想報告ツイートを参考に現代技術の粋を駆使して奥付に添付したQRコードが、どこからも認識されないまま朽ちていく様を時折考える。

 残るのは、この世で最も無駄なリンクをこの手で生み落としてしまった悔恨。

 せめて苦情が欲しい。このリンクが正しく機能しているのか知りたい。

 そう思い自分でQRコードを認証し「テスト」の文字をメールフォームから送った一週間前、

 新着メッセージが一件届いた一週間前、

 全メッセージ数は永遠の一。

 メールフォームが正常に稼働していることは、取り敢えずはっきりした。

 

 認知されないことについて云々したい訳では無い。

 世に文庫本として出回っている商業小説の内、自分が読んでいるのは何割か考えてみればわかる話で、そもそも小説など、大体が読まれないものだ。

 そのことについてはどうでもいい。

 

 ただ一瞬、酷く儚い夢を見た。

 「ちょっとそこまで」無目的にそこへ、ぶらりと足を伸ばし、なんの心配ごとも無く世界遺産の町を楽しげに、颯爽と、汗一つ掻かずに歩く、さながら旅行雑誌のモデルのような、私の姿を。

 なにがしかの文章を書いたという事実を業界一般に認知され、存在だけで人を喜ばせ、あの話が良かった、この設定が良かった、ここが凄かった等、他愛もない話を人々と屈託なく談笑し、延長線上で酒を酌み交わしてはまた集まりたいねと笑い合うような輝かしい環境の中で、何の苦しみも無く趣味生活を送る、私の姿を。