メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

界隈での交流/zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌さえ頒布すれば自分だって」というような思い込みでサークル参加するぐらいだったらその分貯金して南米にいった方がいい

 

私は昨日耐えました。今日も耐えることができます。そして、明日のことは決して考えないことにします。— ドロシー・ディックス

 

 

自他ともに認められるムラハチアカウント(性癖あるいは人間性によって村八分となっているアカウント、本件の場合は後者)になったり、南米(ペルー・ボリビア)に行ったりしましたが、私は元気です。

 

ぶっちゃけ同人小説書いてるより、旅行内容をツイッターに垂れ流している方が、反応が良い。

日頃私が何をツイートしようと沈黙と不干渉を守っているような、界隈内の比較的交流を活発になさっている素敵なアカウントからも、お声がかかる。〇〇さん(わたし)の旅行のファンですとか、リプライを貰った。

 

当該アカウント、見てるー?

 

旅程序盤、多分私が同人小説を書いていることを知らず、そういった暖かい言葉を投げてくれたアカウントは、旅程中盤、私が高山病で苦しんでいる頃から、更新されなくなった。

私に向かって不用意に好意的な発言をしてしまったばっかりに、界隈内部で[検閲済み]されてしまったんじゃないかと思いながら、動かないアカウントを一日に一度程度眺めている。

 

ここまで来ると、自作のSSが周りに読まれようが読まれまいが、最早どうでもいい、みたいな、涅槃の境地に達しつつある。自作を書いて周囲に布教するという意気込みは、既に消滅している。

『本を出したやつがエライ、性癖で殴れ』というような言論、頻繁にフジョシのタイムラインに流れてくるみたいですけど、ホンモノかニセモノか知らんが、とにかく本を出した所で読まれないケースもあるので、みんな安心してほしい。

これを言ってしまうと締め切り前の執筆の手が鈍るのかもしれないけれど、妄想の形に貴賤とかね、無い。

ツイートでもなんでも何かしらの形に残していると、未来の自分への財産にもなるというだけのこと。

その過程で他人が消費していくこともあるし、運が良ければ賛同されることもあるかもしれない。

私もメールフォームで、「書いていてくれて有難う」といったような感想を、匿名の方から頂いた時、これまで誰に向かって書いていた訳ではない、認められる為に書いていた訳でもない。書いた結果交流を得られたこともない。それでも、「赦された」と感じた。

その感覚は、発作のようにいきなり襲い掛かって来た。心のなかにひとすじの火花となって燃え始め、突然、炎のように自分の全てを飲み尽くした。自分のなかのすべてが一気に和らいで、涙がほとばしり出た。

 

ただ、所謂「界隈の人間」、フジョシ用語で「クラスタ」と呼ばれる類のアカウント同士がどのように交流しているのかは、未ださっぱりわからない。

一時期交流が活発になった時期があったような気がしなくもないが、だいたい苦しんでいた覚えがあるし、メッセージフォームの文章以上に、私を救った経験は何もない。

「あなたと話したい」と言われたからスカイプを再インストールしてみたところ、事前に通告されていないよくわからない宣教師タイプのフジョシが参加しており、見かけるたびに自主ミュートしている話題の布教会場になるし、特にわたしの話はしない。

通販の礼と手紙を貰うが、三行を一行として使われた便箋に当たり障りのない文句が申し分程度に書かれているのを見て、「あぁ無理をさせてしまったなぁ」と、申し訳なくなる。

SSのイメージ絵を描いたと言われ見てみると、書いていないことが描き込まれ書いたことが省かれるなどして、よくわからないことになっている。いや、描いて貰っただけ有難い。それは確かだ。思い上がるなと言われるのを承知で、しかし以前他人が他人に送られている絵を見てみても、やはりそちらの文章再現率と比べ、何かよくわからないことになっている。SSのイメージと言われ期待値が高まっている分だけ、最早墜落死といっても過言ではないテンションの乱高下。多分、お題箱に匿名で入れた文章の方が、再現率が高い。解像度どうした?

そしてまた、無理をさせたのだなぁと反省をする。当然だろう。いくら引き籠っていようと、他人が見ている可能性のある場所で、界隈への恨み言を垂れ流しているのだろう。私がそう思っていなくとも、まともな人は私の態度を見て、「気を遣え」という言葉を言外に感じているのかもしれない。

「次の誕生日は孤独じゃないですよ」と、的を得ないがしかし励ましの気持ちはあるのだろうと思われるリプライを飛ばしてきたアカウントには、誕生日前にブロックされた。その誕生日に、「来週のイベントが誕生日プレゼントだと思いましょう」と教示して下さったアカウントから、丁度昨年の誕生日にブロックされた。世の中のフジョシ、誕生日楽しみ過ぎてない?こちとら一億総ブロック社会ですけど。

 

環境が悪いのか私が悪いのか、もはやよくわからない。

他人の無知から来ると思われる言動に悪意を見出してはいけない(意訳)*1と、かつてロバート・J・ハンロンやそれ以前の知識人は口にしていたが、しかしここまで役満が揃うと、果たして何が悪いのかという気持ちにもなってくる。

 

時期は前後するが、私は交流の為に同人誌を頒布するようになったと言っても過言では無かった。

サークル参加後の打ち上げや、サークルさんへの差し入れというような文化に憧れを持っていた。

小説に挿絵を描いて貰うようなコネも、サークル参加をすれば出来るのではないかと、淡い期待を持っていた。

 

一方、本物のコミュ強はオンライン時代から挿絵を貰っており、周囲に励まされる形でオフ活動に参加していた。そもそも出来が違う。スタート地点で既に歴然とした差がある。

 

表題の件に戻る。

そして表題に補足をしよう。

 

オンラインで交流を深める努力もせず、また同時に他人と妄想を介して交流を深める適性が無く、元手となる人脈も無い状態で、サークル参加をすればきっと何かが変わるかもしれないと、そのような邪な気持ちを持ってサークル参加をするくらいなら、もしかしたら死ぬかもしれない、良くても五体満足ではないかもしれないという深い絶望を抱きながら南米に行った方がマシだ。

 

サークル参加をしていると買い物には絶対的なアドバンテージがあるが、そろそろサークル参加をしているがために身元が割れ、頒布拒否をされるのではないかと漠然と思っているようなアカウントは猶更南米の方がいい。

 

 

サークル参加と比較した時の南米のメリットを以下に列挙する。


・誰もあなたのことを知らない

 イベント会場におけるクラスタ同士の謎の一体感(そしてムラハチにおける圧倒的疎外感)を感じることがない。南米(ペルー・ボリビア)ではアジア系の顔立ちは極めて目立つ為、アジア人同士で顔を合わせると、それだけで一体感が生まれるというのも、寂しがりやのあなたに南米がオススメ出来るポイントだ。

 

・景色がいい。
 束の間の晴天下にあるマチュピチュ、「天空の鏡」ことウユニ塩湖、モライ遺跡の花畑、見下ろすマラスの塩田、クスコはアルマス広場周辺の世界遺産に登録された街並み、リマ・サンイシドロ地区のこじゃれた雰囲気。

 どこを見てもサークル主と盛り上がるフジョシや、あなたのスペースに駆け寄ってきてからサークル番号を間違えたことに気付き、脱兎のごとく去っていくフジョシもいない。相互ブロックのアカウントがはす向かいに居ると言うことも無い。ブロックされた大手やその信者がいつあなたに石を投げに来るか考え、こう来たらこう、ああ来たらこう、と護身の対策を練ることも無い(ただアンチではなく職業スリや強盗があなたに駆け寄って来る可能性は十分にあるので、町中では常に周囲を警戒しておいた方がいいだろう。遺産でも警戒するに越したことはないが、人影もまばらかつインカ帝国関係の遺産があるような場所は決まって富士山頂よりも標高が高いので、高山病でそれどころではない)。

 

・言葉が通じない。

 買い物をして戻ってきたら隣のサークル主と一般人の売り子の話が弾んでいたものの、互いに私を視認したら話が終了した時の気持ちを考えてみてほしい。

 或いは、反対側の隣のサークルが、ジャンルの盛衰やカップリング内大手のあの作品のここが良かったと話し合っているのを、ただ座って部外者として聞きながら、ずっとそういったことを、他愛も無い話として出来る誰かが欲しかったことを思い出している時のことを考えてみてほしい。

 または、買い物の途中でもいい。イベント直前にフォロー返しされた大手に挨拶に行くべきか、いやでもここで何かしておいたら後で何か会話とかできるかもしれないし、と、色々考えて結局私は何をするでもなくただ頒布物を購入して逃げるように立ち去ったが、その道の途中で大手と交流のある人員が「あ~■■さん!」と訪れた時のことを、「▲▲で配った本ね、とってあるよ~」と、今回頒布無しの本を取り出したらしいことを察しつつ、逃げるように去る時のことを思ってほしい。

 言葉が、分かってしまうから苦しい。言葉が分かっているから同じ生き物か何かのように錯覚してしまう。隣でどんなに素晴らしい、かつて憧れた、他愛もない同人者同士のような話をしていようと、「取り敢えず身内に次の新刊見て貰ったんだけど~」というようなツイートが流れて来ようとも、或いは何か侮辱的なことを言われていようと、言葉さえ通じなければ何もわからない。

 

 ペルー・ボリビアはどちらもスペイン語圏であり、英語は通じない。通じるところでは通じるが、極めて限られている。

「ドンデ・エスタ~?(Where is~?)」、「ケ エス?(What is~?)」「クアント・クエスタ(How much?)」「キエロ~(I want~)」等の、スペイン語旅行フレーズは必須。数字も覚えていた方が望ましい。なお数字は1~10だけ覚えてもほぼ歯が立たない。

 しかし彼らは観光客慣れをしているのか、そういった人柄なのか、身長の低いアジア人が珍しいのか。已むに已まれず道を尋ねたり何かをすれば、身振り手振りを交えながら教えようとする。

 そして、ラテンの雰囲気が強いからか、或いは口をきいてくれただけでこちら側からの補正が掛かっているのか、別れ際、素敵な笑顔で手を振ってくれる。

 

 ラパスはセントロ、サンフランシスコ寺院へ向かう下り坂の途中にある二度道を聞いたパン屋のあんちゃんや、その裏の流し台の上で面倒を見られていた赤子。ペルーはクスコ近郊、ウルバンバ川流域に広がる「聖なる谷」沿いにある、修道院を改装したホテルのバーで勤務しているあんちゃん。オリャンタイタンボ駅で麺のような何かを口にしながら一行(総勢二名)が戻って来るのを待っていてくれた、バン運転手のあんちゃん。そしてラパスはソポカチ地区のゲストハウスで旅程最終日の我々に対し、地図を片手にこの上なく丁寧なラパス観光案内をしてくれたロドリゲス。

 あらゆるあんちゃん、そしてロドリゲスには、きっともう二度と会うことはないだろう。旅行中、きっとおそらく永遠の別れをフランクにひらっと片手を振りながら繰り返し続けて気が狂いそうになった。しかしきっと二度と会うことなく、互いに理解に程遠い場所にあったからこそ、彼らの姿は旅先で見た美しいもののひとつとして、記憶の中に今はまだとどまり続けている。

 

・映画が見放題。

 日本からペルーに行くにあたって直行便はない。アメリカやどこかで乗換が必要だ。

 私はヒューストンで乗り換えた。その際、到着時間に一時間の遅れ+アメリカ入出国荷物検査トリプルコンボを喰らいチキチキ乗り継ぎデスレース(タイムリミットは45分)を繰り広げ、ヒューストン国際空港出発ロビーでラストスプリントをかました挙句搭乗券を落とす等したが、それは別の話として、国際線機内では基本的にすることがない。

 ゲームをして飯を食って寝てゲームをして映画を見てそのエンドレスである。

 

 かくいう私は機内で大量の映画を見、「ファインディング・ニモ」を二回、「怪盗グルーとミニオン大脱走」を三回見て最大限楽しみ、隣の席に搭乗していた同行者をドン引きさせた。

 DM3、ユニバでポスターを見たときから「顔がそっくりな男同士、自分に見向きもしない男をガン見する男の構図……これは……」と思っていましたが、やはり、素晴らしい愛でしたね。ラストシーンがほんっっっっっっっと最高。「愛してる」って、何???いやその前から色々言いたいことはあるんですけど、私はグルドル派です。小説版も読みたい。(愛してると伝えなければならなかった)って地の文があるってマ?読みた過ぎなんですけど?

 

 

一方、サークル参加と比較した時の南米旅行のデメリットは以下のとおりである。

 

・グッズを落とした時、それは万に一つも戻ってこない。

 リマはセントロ、サンフランシスコ修道院からピサロの墓があることで有名なリマ大聖堂に行く途中の道すがらで、わたしはナンジャタウン限定猫耳御堂筋くんラバーストラップを落とした。

 道々にはライフル銃と思わしき銃を携帯した軍隊装備の警官が100メートル置きに立っていた。北半球の季節は二月、南半球は乾季、リマの気温は大体20度から25度、日差しの眩しい日のことだった。

 

 同行者はおよそアニメを見る習慣の無い一般人であり、ストラップ程度で済んだことを喜ぶべきだと励ましてくれた。ここでは日頃と比べ相対的にいつなんどき命がコロっといってしまっても何ら不思議の無い土地であると。落とすのなら財布を落としたかったと私は思った。比喩でも命を落とせると言えるような環境ではなかった。

 通じない英語、飛び交うスペイン語、ライフル銃を持つ軍隊装備の警官の群れとの接近戦、日差し、ペルー国内でも有数のスラム街であり治安がもっとも悪い地域の一つであるバリアーダスは、セントロから歩いて五分も行かないところにあるリマック川にかかる橋を渡ればすぐそこにあった。アルマス広場へ向かう途中にも、掘っ立て小屋の群れが山の斜面に隙間なく敷き詰められている様が見ていた。

 命は惜しかった。それでも財布くらいで手を打ってほしかった。

 身に着ける以上いつか手放すことは覚悟していた。初めて海外へ渡航した時、台湾行の飛行機や台湾夜市の裏側で客死することを想定し、どうせならと当該ラバストを携帯電話に装着した頃から思っていた。

 

 それでも何故、よりによってここなのか。

 きっと今頃ナンジャタウン限定猫耳御堂筋くんラバーストラップは、リマ大聖堂で列聖されていることだろうと願う。それが夢ならば、どれほどよかったでしょう。いまだにラバストのことを夢に見る。忘れたものを取りに帰れなかった。土埃もきっと払えなかった。願うことしかできない。


 ところで、仮にイベントで落としたら、手元に戻って来たのかはわからない。

 名前が書いてある訳でもないので、心無い窃盗犯に「わたしが落としました」となり済まされ、持っていかれてしまう可能性もあるだろう。

 それでもまだ日本国内にある。よりによって地球の裏側でやらかしたくなかった。つらい。

 

・体調が悪くなる

 私が今回訪れた南米屈指の観光地マチュピチュ(標高2,400m)、マチュピチュの玄関口、クスコ(標高3,000m)、ボリビアの首都ラパス(標高3,600m)、その玄関口エル・アルト国際空港(標高4,000m)。その他インカ帝国系の遺跡はほぼ全て標高が富士山とタイマンを張ります。

 今回訪れたインカ系遺跡シリーズの中では一番標高が低いマチュピチュでも強行軍をすれば高山病になるとインターネットが言っていました。それを踏まえ、我々は予め黄熱病ワクチン接種と共に専門の病院に掛かり、高山病予防のため予め服用する薬(ダイアモックス)を処方してもらっていました。われわれはかしこいので。


 結果から言うと無駄でした。

 無駄だったのか、薬が無かったらもっとひどかったのかわからない。

 頭蓋骨を締め付けられているような頭痛、吐き気、階段を二段上がって息切れ、嘔吐、そしてリマから尾を引いている食あたり(恐らく戦犯はホテルビュッフェに供されていた生トマトと、私がこれまでのムラハチ人生で味わった中で最もフルーティーでジューシィなマンゴーやパイナップルのジュース)、続く下痢、同行者も下痢、嘔吐を催し入ったトイレで下痢にやられてHP赤、令呪なし、コンテニュー不可、日本に!日本にレイシフトさせろ!!

 

 ホステルのやたらとでかいサイズのベッドに戻る。この部屋には暖房がない。三月のラパスの平均気温は5℃から15℃。あばらの浮いた女体という御堂筋くんを女体化したような、しかし筋肉の無い体躯を持つ同行者が、うわごとのように「寒い」と繰り返しながら、時に咳き込む音が遠くに聞こえる。

 わたしは寝転がって、緑色の天井を見上げる。腹が減った。しかし食事をするのも疲れる。先程同行者は日本から持参したどん兵衛を食べていた。彼女が憎かった。糧を分かち合えと心の中で私は憤っていた。しかし彼女の症状よりも私の高山病の症状の方が重いものだから、彼女の判断は妥当なのだ。食べられるはずがない。一時間ラパス市内を歩いて、そのまま五時間ベッドの上でピクリとも動かない。動けないのだ。食べられるはずがない。しかしそのことも理不尽に感じる程腹が減って、空腹を慰撫する為にわたしは日本から持参したゼリー飲料を咥える。ゼリーは食道を通って、胃におりて、ほぼ消化器としての活動を止め新たなホースの役目に徹している胃はすぐさま不服を訴え、もたれ始める。

 ゼリーで、ゼリーで胃もたれをした。今わの際に思い出したのはサイゼリアのメニューだった。フレッシュトマトとモッツァレラ、名前も思い出せない生ハム、アンチョビのピザ、肉、毛が生えていない、肉が食べたい。「サイゼリアが食べたい」同行者は咳き込んでいた。私は人知れず泣いた。

 

 (なお、余談ですが高山病の対策としてインターネットで検索した中で唯一参考になったのが「ひたすら水を飲む」でした。というか水分補給以外何も出来ない。あと日本から持参したバンホーテンココアのチョコレートをひたすら口で溶かしてました。チョコレートは現地調達可能なので別に日本から持って行かなくてもいいと思います。その他のカロリーメイトとかはほんと口に入らなかった。

 それとボリビアのホステル・ゲストハウスは水道事情が余りよくは無く、シャワーは洗礼程度のお湯が出れば運がいいです(あくまで私の感想です)。同行者は一度洗濯の為に私と一緒に無理に入浴をしてから風邪の兆候が出始めたので、特に暖房の無いホステルでは痩身の方は入浴しない方がいいかもしれなかった。

 あと高山病を経て何か言えることがあるかと言うと特に無い。ただ耐えるしかない。あとラパス市内観光で「徒歩」は無理。コーカソイドバックパッカーとか歩いてるのを見るけど、沿岸のモンゴロイドには耐えられない。大人しくタクシーをホテルかゲストハウスで呼んで使った方がいい。間違えてホステルに泊まってしまい迂闊にタクシー呼べない雰囲気?ご愁傷様です。)

 

・同人誌がない。
 当然だ。仮にあってもスペイン語だ。なおペルーおよびボリビアのホテル・ホステルのWi-Fiは、私の所持するエクスペリアはおおむね快適に使えたが、同行者の持つアイフォンは時々ログインできず苦労していた。

 

太秦映画村もない。
 現在京都・太秦映画村で開催されている弱虫ペダルとのコラボ企画ですが、京伏優遇期間は三月一杯だったようで、私はタイムラインに流れて来る様々な情報を眺めながら、天空の鏡を見て、何度か、ここを太秦映画村とすると呟いていました。

 周囲にオタクがいないことは慣れっこなんですが、一般人の友人はほんと、よく最後まで私と一緒に居てくれたと思います。いや、仕方ないんですけどね、一人になったら死ぬ世界観だったし。

 

 

 ムラハチアカウントことジャンルの癌ではないかという認知の歪み、或いは自覚が芽生え始めたわたしですが、このようなエントリーを書きながらも買い物の欲望に抗えず、またイベント参加をしようとしています。

 私は年一見るか見ないかも定かではない人間の顔を覚える性質ではないのですが、時々ブロックされたアカウントに頒布物を貰いに行ってハンドルネームを呼ばれることがあるので、いつ頒布拒否をされるかどうか戦々恐々としています。

 また、今の所ブロックされているアカウントで、次のイベントに参加するアカウントが三つ程度あるんですけど、ジャンルかカップリングを変えての参戦を皆さんしているので、こちらとしてもわざわざ面を突き合わせたい程の気持ちもないので、わぁよかった~と思う反面、ジャンルの癌としての自覚が確固たるものになってきました。

 というか、私をブロックしているアカウントの方が、わたしよりも閲覧数も交流も遥かに上を行ってらして、オフ会とかフォロワーと旅行とかしてるから、界隈全体の幸福の総量としては、私が立ち退くべきと迫られてもおかしくないのでは?と、思いながらサンプルをアップして、サンプルの前後にアップされた他の方が書かれた小説は順調に伸びているんですけど、当方のサンプルはえーっと、初期状態のまま、みたいな感じです。

 

 ええ、その、えっと、南米に居る時はあれほど恋しかった故国は遠くにありて思うものだった。余りに気付くのが遅すぎた。あの美しい南米に帰りたい。その南米で後ろから首を絞められたら、屈んで膝をつくかつかないかの所で走り出す。わたしがブロックされているアカウントのファンの方から参加について文句を言われたら、何かしら悲鳴を上げることで視線を引き、これ以上の厄介を回避する。

 

 結局、治安の点では、南米もムラハチ状態でのイベント会場も、そんなに変わらないのではないかと思いました。この春、南米に行きます。

 

 

 

*1: Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.––Wikipedia『ハンロンの剃刀』より(2018-4-13最終閲覧)