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メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

人類は思い出すべきである。金の他に価値あるものが確かに存在することを、無償のものなど何も存在し得ないことを。

カンボジアの人々は皆、どこか寂しそうに微笑む。

彼らの顔立ちは殺人的な陽光の元で黒く染まり、彫りの深い様は南アジア、もといインドの影響を強く思わせる。

 

観光都市として相対的に洗練されたシェムリアップはそこまででもないが、首都であり悪徳の都と一部の書で謳われたプノンペンの街並みは、何処からか香辛料の微かな香りが漂ってくるスパイシーな空気に包まれている。彼らの顔立ちと相まって、インド的な雰囲気がそこにはある。

ちなみに私はインドに行ったことはない。全て液晶画面越しの情報と空想によってのみインド的なるものを語っている。

 

しかしその街並みを車窓から眺めると、目立つのは漢字の看板だ。全てが漢字という訳ではないが、プノンペン空港やプノンペン郊外へ近づけば近付くにつれ、段々と漢字の看板が多くなる。中心部でも少なからず漢字の看板を見かける。「日本古着」「面包」「柬埔寨〇〇公司」、等々。 

旅行後に聡明な後輩から、カンボジアは親中国であると聞いた。華僑の影響であるのかどうかは不勉強の為よくわからないが、インド的な香辛料の漂う街に浮かぶ、形は少なからず違うものの二十年慣れ親しんだ漢字との組み合わせは、誤解を恐れずに言えば、キメラ的な印象のある不思議な景観を形成していた。

 

カンボジア滞在初日、プノンペン空港から送迎車に乗り、車窓から眺めた漢字の看板、日頃管理された都市に住んでいるとどうにも見慣れない、吹けば飛ぶような雑多な街並み。赤紫から深い藍色へ暮れ行く空をバックに、幹線道路の上に掛かるネオンの看板に踊るクメール文字。 

同じ地球上に全く異なる文字と価値観が存在するという事実を、21世紀初頭を生きる我々は液晶画面を通し、頭では理解出来ているに違いない。

しかし嗅ぎ慣れない香辛料の臭いが微かに漂う車の中から見たあの光景ほど、それをまざまざと私に思い知らせたものは無かった。ムムーーンンササイイドドへへよよううここそそ。まさしくそんな感じだ。

 

日の暮れた街並みは蠱惑的な雰囲気を放つが、しかし日中出会う人々は皆素朴な顔立ちをし、シンプルな服で街を歩いている。

夜はゴーゴーバーが流行しているらしく人々の服装も蠱惑的なのかもしれないが、そこは異国もとい未知の恐怖に身を縮ませながら三ツ星ホテルの一室に引きこもっていた旅行客のあずかり知らぬ所だ。

 

 

話を戻そう。

 

カンボジアの人々は、皆どこか寂しそうに微笑む。

私がカンボジアでは定番のシェムリアップのみならず、プノンペンに訪れた理由はプノンペン郊外にあるチェンエク村のキリングフィールドとS21を見る為だ。

カンボジアは1970年から93年まで内戦状態にあった。クメールルージュによる虐殺で国民の四人に一人が虐殺され、今もカンボジアの年齢別人口には深い溝が口を開け、人口の九割は二十代以下で構成されている。
先入観もあるに違いないが、私が会った限りでは皆割に穏やかな、そしてどこか淋しそうな表情で微笑み、そして外貨を要求した。 

 

カンボジアの通貨はリエルである。しかし地元住民しか行かないような場所に行く機会や勇気、あるいは蛮勇に恵まれない限り、リエルは必要ない。一ドル札があれば大抵のことは事足りるし、向こうも醤油顔の日本人を認識すると、必ずドル単位で要求してくるので問題ない。

 

私はカンボジア国内で四人のカンボジア人に、正規の支払い場面以外で外貨を要求された。彼らについての話をしたい。

 

一人目はプノンペン郊外、チェンエクのキリングフィールドで出会った老人だ。彼は四人の中の二人を占める物乞いだった。

プノンペンからチェンエクまでは車で一時間程かかる。途中渋滞に掴まり、ハンドルを握るカンボジア人の勤め先が恐らく旅行会社であることしか知らないのにも関わらず車内で眠ったので、それ位の時間は経ったと思う。

タイヤが走ると土煙を上げるような悪路の先、水田に囲まれるようにしてキリングフィールドは姿を現した。

敷地内に咲き乱れる花は南国らしい極彩色、眩しい日差しとのコントラストが美しく、鶏や野良犬が寝そべる長閑な雰囲気に包まれていた。

今も雨季には敷地内から骨が出ると言う場所だ。中央の慰霊塔の中には犠牲者の頭蓋骨が犇めき合っている。

 

彼はチェンエクのキリングフィールドの外側を囲うフェンスの外に居た。

砂に汚れ色褪せた軍服を着、右脚の代わりに木製の義足というにも痛ましい剥き出しの棒があった。

観光客が通る度「ヘイミスタ」「ガール!」と声を上げ、軍帽を突きだしていた。

私は大学の先輩からストリートチルドレンや物乞いの方々を写真に収めるよう厳命を受けていた為、彼の帽子に一ドル札を入れ、拙い英語で写真を撮る旨を伝えカメラを構えた。


「チャイニーズ? ジャパニーズ?」

 

その老人は私にしきりに尋ねた為、私はシャッターを切る前に日本人であると伝えた。老人は身振り手振りを交え尋ねた為、写真が撮りづらかったのだ。

 

「アリガトー」

 

老人は黒っぽい顔を砕き、黄ばんで掛けた歯を剥き出しにして微笑んだ。そして矢継ぎ早に私の背後を指さし、

 

「アンドユアフレンド、ユアジャパニーズ? マニープリーズ!」

 

と、大声で叫んだ。私は二人連れだったが、カメラを構える私を余所に友人は颯爽と場を離れた。

 

乞食に金をやった所で仕方がない。今時日本に限らず、どこのガイドブックにも書かれている常識なのだろう。フェンスに貼り付く老人の周りの半円は、結界が張られたように人が通らなかった。

 

 

二人目はプノンペン市内、王宮前広場に居た少女だ。

平均程しか身長のない私の腰元に頭が来るくらいの背丈の美しい少女は、靴を履いていなかった。服も黒ずみ、襟ぐりも広く開いて擦り切れていた。大きく黒々と、それこそ宝石のような目を、長い睫毛が縁取っていた。

彼女は王宮前広場の芝生を裸足で歩きながら、彼女は鳩を眺めていたのろまな観光客である我々の直ぐ傍にぴったりとくっついて歩き、袋に入った雀の涙程の鳩の餌(ヒエやアワのようなものにトウモロコシ等を混ぜ込んだ何か)を掲げながら、「ワンダラーワンダラー」と呪文のように唱えていた。

その時トランクはホテルに置いたまま、ひったくり対策の為それこそ身一つで歩いていた私は手持ちが少なく、出来ればリエルでご退散願えないかと5000リエル札を彼女に差し出したものの、彼女は私の手をひらりと翻し(コンビニ店員が差し出すレシートをひらりと翻しおつりだけを受け取ろうとする仕草によく似ていた)、可愛らしい紅葉の手を突きだしていった。

「ワンダラー」

そして片手で同行者の着ていたTシャツのカンガルーポケットに餌を突っ込んだ。

 

一ドルをお支払すると、彼女はにこっと白い歯を見せて可愛らしく笑った後、堂々たる足取りで日差しに照らされ眩しく光る青い芝生を突っ切り、物陰へと向かっていった。

 

 

三人目はシェムリアップ、アンコール遺跡内に突如現れた青年だ。

アンコール遺跡群の敷地は非常に広大だ。日本的な遺跡群を想像するよりも、国立公園の中に遺跡が散在している光景を浮かべた方が早い。

アンコール・トム内の象のテラス等、そのあたりを散策し、王宮から少し離れたちょっとした茂みの向こうにある、プリラ・パリライに向かおうとした途中のことだった。

海外で利用できない種類のアンドロイドを常用していた私は遺跡の中でGPSを使用できていないので、以上の記述は全て曖昧な記憶と方向感覚に頼っている。遺跡内ではバックに偶然付いていた方位磁石が異様に活躍したため、アンコール遺跡に向かう予定のある人は是非参考にしてほしい。

 

さて、朽ちた城壁を潜った先に待ち構えていたらしい半袖半ズボンの彼は、サムと名乗った。実際サムと名乗ったか記憶は定かではない。私は日本人の名前すら一度聞いただけでは覚えられない特性持ちだ。何かしらサ行で名乗ったような気はするので、仮に彼の名前はサムということにしておこう。

17歳の彼は流暢に英語を操り、我々に遺跡を案内して回った。ちなみに頼んでいない、我々が声を掛けた訳でもない。

アンコール遺跡内に認可を受けていない案内人が嘘っぱちを言って回ってお金を取りに来るという情報は地球の歩き方に乗っていたが、ここまでナチュラルに同行されるとかえってどう断っていいか悩む。悩むうちにもガイドは続く。

「ここでいつもツーリスト相手に喋って英語の勉強をしているんだ……あっ、ここはちょっと足場が悪いからね、気を付けて!」

 

結局断り切れず我々はサムと行動を共にした。実際彼について歩いている内に場所を見失い、地元民の御供えが置いてある仏教の祠らしき場所に連れて行かれた時点で、もう戻り方も分からなくなっていた。

 彼はシェムリアップの学校に通い、サンダルで遺跡を歩いていた。遺跡内にあるビレッジに住んでいると言った。

「この遺跡を直したのは日本人だよ、君たちと同じだ。」

道中日本の援助で建てられたという看板のあるシェムリアップの小学校を見た。カンボジアに学校は建っていたのである。

 

彼は茂みというには少し行き過ぎた森が途切れ、向こう側に癩王のテラスが見えるというところで「これ以上行くとツーリストポリスが来るから」と言って、我々と少し距離を取った。それはツーリストの前で最も出していけない単語であると言うべきか迷ったが、私は何も言わなかった。


「じゃあここで僕はお別れするけど、ほら、キミたち外国人だし、その……寄付をお願いしたいっていうか……ダラープリーズ(ニコッ)」

 

それまで明朗快活に話していたサムは、別れ際に急に歯切れが悪くなった。しかし別れを惜しんでいるという訳ではなく、白い歯を見せながら少しバツが悪そうに笑った。

一度リエルで何とか手を打ってもらえないかと思ったものの、5000リエルを差し出した時ものの見事に彼の顔が曇ったので5ドルで手を打ってもらうことにした。彼は渋々といった表情で森の中へ去って行った。

 


四人目もシェムリアップ、アンコール遺跡を巡る為に一日チャーターしたトゥクトゥクのお兄さんだ。青年という言葉を使うには年を食っているように見えたが、おじさんというには年若い印象だったので、お兄さんということにしておこう。

政府公認のジャケットを着ていない(しかし公認ジャケットを支給されていても多くの運転手は脱ぎ散らかしているので誰が公認で誰が公認でないかは実のところよくわからない)彼は、一日20ドルで我々に雇われ、ホテルに行く道中でパスポートを忘れアンコール遺跡の入口からホテルまで戻ったり、アンコール遺跡の入口まで向かう道中で帽子を飛ばした我々の為にUターンしたりとよく無駄な動きをさせてしまった。

遺跡観光中、遺跡の入口で落ち合う度、「バイバ~イ」と言いながらトゥクトゥクを発進させようとする動きをするので、我々はハッタリと分かっていながらも毎回ヒヤヒヤさせられた。アンコール遺跡内のトゥクトゥクはほぼ間違いなく一日チャーターされた方々であり、流しのトゥクトゥクがうようよいるホテル周辺とはわけが違うのだ。

 

アンコール遺跡を巡りパブ・ストリートまで一日足になってくれたトゥクトゥクお兄さんとの別れは、出会いと同じくホテル前だった。友人と私で10ドル紙幣を一枚ずつ、朝に交わした約束である20ドルを彼に渡すと、お兄さんは戸惑ったような表情で曖昧に微笑み、続けた。

 

「今日はとっても暑かったし、喉も乾いたけど俺、頑張ったんだ……」

 

トゥクトゥクは重々しくそこに留まったまま、一向に来た道を戻ろうとしない。

 

私はこれまで何冊かインドから東南アジアを主題にした旅行記を読み、そのどれもがバイタクやトゥクトゥクとの争いに彩られて居た。

控えめに言って華奢な同行者と、世間一般からすれば低身長の女二人連れである以上、何処かで必ず吹っかけられるに違いないという自覚はあった。

しかしお兄さんの眼差しが余りにも悲しげであり、怒声には怒声を持って返そうと決めていた心は、湿度60%の一室に放置しておいた絵葉書のようにふやけていた。

じきに帰国の途につく為、ここで一戦交えるメリットは無くただひたすらに面倒だというのもあった。我々はもう10ドルずつお兄さんに渡し、お兄さんはセンキューセンキューと口遊みながら去って行った。

 

日本人はボられやすいという言葉が脳内によみがえったが、アンコール遺跡の殺人的な日差しで既に限界に近かった我々の骨肉には、そんなことは至極どうでも良かった。

金ならあるのだ、欲しいなら持っていけばいい。私は疲れたんだ、自由にしてくれ。

 

 

 

私は今もカンボジアで出会った人々の控えめでどこか寂しげな笑顔、別れ際の歯切れの悪さ、ダラープリーズという言葉を時々思い出すことがある。それは趣味の都合上持っているツイッターアカウントのタイムラインを見る時だ。


タイムラインに現れては流れる腐女子達の呟きの中で、時折「本にしてください」というリプライが様々な文言や絵文字、顔文字と共に殺到しているものを見ることがある。

本にして下さい。素晴らしい呟き、いや〇〇さんがやってください、××さんの絵で見たいんです、エトセトラエトセトラ。 

私はツイッター上に会話をするような相手アカウントが無く、リプライを飛ばせば五割の確率で流れ、最近最高にフェチな画像を流して下さっていた絵師様のアカウントからブロックされた。

タイムライン上の素晴らしい妄想ツイートを確認する作業すら、被害妄想が激しい孤立アカウントには刃となって襲い掛かる。

 

××さんの妄想ツイートの設定をお借りして■■■を書きました。××さんの許可が取れたのでアップします~☆

 

確かに××さんは素晴らしい妄想をしている。しかしその設定全てが、何もそのアカウントの専売特許という訳ではなかろう。許可を取らなければいけないのか。

しかし、こればかりは金でどうにでも出来ることではない。ドル札をいくら振りかざそうと、××さんは弱小アカウントのリプライを返して下さる訳ではないのだ。

腐女子の世の中すら、コミュ力で出来ている。

 

 

タイムラインにはそれだけでなく、時折ツイッターの相互アカウント同士で飲み、お互いの妄想するところを語り合ったという場面の画像のみが、いくつかのアカウント(おおむね神であることが多いが、中には何故その面子にお前がいるという案件もある)から同時多発的にアップされることがある。

これは最早、同時多発テロである。

議事録も無くただ孤立アカウントでは得難い状況下において、さぞ素晴らしい内容が交わされたのだろうという事実だけが眼前に残る。酷い世の中になったものだと思う。

 

そんな時私は、遠くカンボジアの空の下で今も生きているのか、バイク事故に遭っていないか、ツーリストポリスに引っかかっていないか、カンボジアは児童買春の率が非常に高い、少女は無事だろうか。爺さんは厳しい乾季と地獄に喩えられるらしい雨季を超えられたのだろうか、そんな彼らの顔を思い出すのだ。

彼らは、日本では滅多に話し掛けられることもない私に近づき、話しかけてきた。

それは私が外国人であり、観光客であり、間違いなく彼らよりも上の階層に居て、一重に金を持っていたからだ。

だからこそ私は老人から感謝の言葉を受け、少女の可愛らしい笑顔を見、少年の真偽は疑わしいものの流暢な英語で案内をされ、一日トゥクトゥクを貸しきってアンコール遺跡を回ることが出来た。

売買取引の関係なら、日本国内にでも幾らでもあるだろう。しかし私の頭に思い出されるのは半年前のカンボジア、湿気が少なくからっとした気候と、殺人的な陽気に首筋を焼かれながら、仕方なく財布のがま口を開くあのシーンだ。


ツイッターも同じようなものだろう。料金が明記されていないから一見、人と人とが交流しているだけのように見えるが、そこには目に見えない等価交換がある。

一人の素晴らしく、腐女子の世間一般に価値ある妄想に対し、暖かな言葉とタイムラインで、最早恒例となっている褒め合いが始まる。

皆互いの価値と妄想を交換し合い、己が能力によって勝ち得た素晴らしい場をタイムラインに流し、些細なものながら、確かにそこに存在する世の中おける勝利の美酒に酔う。

 

そうだ、私のタイムラインに広がっていたのは、カンボジアだったのだ。

カップリングやシチュエーションの固定が多い私には殊に地雷原にも見える。

  

金を持たない外国人、価値のないアカウントにとっては、そこに何がある訳でもない。

カンボジアで金のない外国人であれば下手を踏めば犯罪に巻き込まれるかもしれないが、タイムラインで価値のないアカウントであれば、下手におこぼれにあずかろうとリプライを飛ばさない限り、ブロックされることもそんなにない。

 

今日も私は静かにツイッターを閉じ、眠りにつくだろう。価値のない人間にも明日は来るのだ。