メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

上司の眠る墓

 

東野圭吾人魚の眠る家』(幻冬舎、2015年)を最近読んだんですけど、作中の主人公の一人である薫子の主治医で、ほんのりとした関係の相手である精神科医・榎田が文中で初出した時、私は辞めたバイト先の上司を思い出した。上司と私の間には親子以上の年齢の隔たりがあり、仄かな思い出は皆無である。

上司は、榎田のような人間に対する深い洞察力・観察眼に近しいものを、恐らく持っていたと思う。しかし榎田のような細やかな心配りとは、およそ無縁の存在だった。研究者だったからだろうと、私は偏見を持って勝手にそう思っている。

文理問わず研究者という肩書を持つ人間、博士号を持っていない人間にもそれなりに「感情」が備わっていること、忘れがちではありませんか?

 

 

人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

人魚の眠る家 (幻冬舎文庫)

 

 


過去に小規模な団体で、事務員のアルバイトをしたことがある。
主な業務はパソコンへのデータ入力とか、資料作成とか、そんな感じだ。
一通り聞いたところまぁヌルイ業務で、勤務形態はコアタイム無しの任意、「業務自体はキーボード操作が出来れば可能」という文句に釣られた私は、そこで先んじて事務員を勤めていた学科の先輩の口利きで、事務所での「説明」を受けに行くことになった。

 

そこに居たのが、上司だった。

上司は、社会人経験を持つ研究者であった。

研究職在職による論理を用いテトリスのように対象を理詰めしていく手管に、社会人経験による法的知識と経験則を搭載した存在だった。なお、研究者には研究以外に関心がないタイプと政治力に長け学内政治や派閥闘争を繰り広げるタイプが居るが、上司は間違いなく後者に属するタイプだ。

 

上司との最初の口頭でのやり取りは、「人相が悪いね、マスク外したら?」だった。
説明会を前に喉風邪をひいていた私は、咳エチケットに配慮し、マスクを着用していたのだ。

「基本的にここでは、皆さんに自分の裁量で、自由にやってもらっています」

この辺りから、何となく嫌な感じがしていた。
私は先輩がパソコンのデータ入力とか資料作成とかいうヌルい仕事だと言うので遊ぶ金欲しさに来たのであって、給与が高くて自己裁量がでかい分自己責任もデカイという、ハイデューティーハイリターンな業務をしに来た訳ではない。それに今日は取り敢えず説明だけって先輩、言ってたしな、ウーン

「採用。」

私は事務員になった。

 

上司との最初のメールでのやり取りは、「世の中の99%の人が、メールの文中かその末尾に署名をします、そうしないとわかりませんからね」であった。

何が何だかわからない内に晴れて事務員になった私が、業務用のメールアドレスを作成し、それを周知する為に、全体に報告メールを送った時のことだった。

確かに名前を書くのを忘れはしたが、注意の仕方が厭味である。

上司は、全体的にそういった人間であった。

確かにこちらに非があり、上司の言い分は正しいが、指摘の仕方が厭味な感じ。

何が厭味って、こう、嫌に直截が過ぎるというか、妙に持って回ったというか、あの嫌な感じを、適切に形容してくれるような言葉を、私は未だに持っていない。

 

上司は人柄に多少の問題はあったが、所謂パワハラだとかセクハラだとか、何がしかのハラスメントをするような上司では無かった。強いて言えばモラハラを当てはめることはできるのではないか? と、書き出しながら思っている。モラハラだったのではないだろうか? 回顧し書き出すって大事な作業ですね!

兎も角、

上司は人柄に多少の問題はあったが、驚く程有能な上司だった。
自分で話していながらにして状況を呑み込めていない穴だらけの私の説明から、上司は概ね常に正しく状況を理解し、私に助言をした。その後、「私はわかったけど、皆さんにはわからないだろうから、資料をきちんと揃えて、もう一度頭から説明して」と言う。

よって私が事務員になってからの週に一度の全体会議(といっても数人だ)は、私の説明のリテイクによって数十分延長したが、会議時間も給料の対象なので、他の事務員から渋い顔をされたことは一度も無かった。

バイトは時給制だった。言ってしまえば手が遅ければ遅い程儲かる仕組みだったが、エキセントリックな性格の上司と求人を縁故に頼った小規模さ故、それを頼みにずるずる仕事をするような輩はそうそういなかった。結果として手の遅い私は結構な額の支払いを受けていたが、事務員から苦言を呈されたりしたことは一度として無かった。

今思っても、職場の人間関係は、意外なほど良好だったと言えるだろう。互いに過不足無く必要な情報を伝達し、過剰な干渉をすることなくビジネスライクな付き合いだった。

 

上司は人柄に多少の問題はあったが、団体の長として十分な義務を果たしていた。

理屈の通らないクレームが発生したような時は、不慣れな事務員に代わって応対を行い、後の根回しまで手ずから行った。

 

上司は人柄に多少の問題はあったが、存外に懐の深い上司だった。

私が完全に不注意からの巨大ミスを仕出かした時、まぁ申し訳ないがこれで晴れてクビだろうと予測していた私に、上司は言った。「ミスをするのは仕事をきちんとしようとしている証拠ですから」と。

 

上司の人柄に多少の問題があるといったって、「厭味っぽい」とか「揚げ足を取って来る」ぐらいのもので、先んじて事務員をしていた方が評する所によると「目を瞑ればやっていける」「そりが合わない人は徹底的に合わない」といったぐらいのところだった。

私は上司について、小姑を体現したようなあの性質ではまず孤独死だろうと踏んでいたが、上司は既に家庭を築き上げ、育て上げた子供も独立し、事務員を雇って副業を回しつつ、悠々自適な暮らしをして居る旨を後から聞かされた。

 

事務員をしていた頃も、私は常に「いつ辞めるか」を迷い続けていた。

元々労働に向いていない性質なので、遊ぶ金欲しさにアルバイトを始めてもすぐ辞めることを夢想し始める。

それに、立ち居振る舞いからメールから発言から、一挙一投足に細かくケチをつけられる暮らしは、中々精神に来るものがある。

そういえばブラック企業研修でもこういうことするんだっけな、と、私はインターネットの浅瀬で見た知識を思い返しながら、鬱屈と過ごしていた。

だいたい私、覚悟をして事務員になった訳でもない。採用された日だって、業務内容の説明をするからと先輩に言われ、説明を聞くつもりで行ったのだ。

その辺は恐らく、入れ替わりで長期留学に行った先輩の手練手管だと思うが、結果金の出る罠にハマった所の私は、ファイルに入力する複数データの内一つの数値を空目して誤り、上司「これが飛行機の整備だったとします」。一斉送信のメールの文面に誤字をし、上司「ネジの一つでも致命的な事故が発生するのです」。うるせぇこれは飛行機じゃねぇと苛立つ気持ち半分、ああ私のミスだな、それならばミスをしまいと意識をしながら落ち着いて仕事をしようとして、しかしミスってこう、減らそうとすると逆に増えたりするじゃないですか。上司「Re:これが飛行機の整備だったとします」うるせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!しらね~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!上司「しかし手早く動く点は称賛に値すると思いますよ」あっ、そう? エヘヘ

 

こうして、上司はメーデー(遭難信号)を連発するポンコツ飛行機こと、常にいつ辞めるか迷い続けている私を操縦していたように思うが、私と上司の相性は、致命的に悪かったのではないかと思う。何せ散らかしていくタイプの人間と、ペンの位置が五ミリ動いたら気付くようなタイプの人間だし。

それに、一任された事務の業務もやはり、初期に想定していたような楽な仕事ではなかった。分野が多岐にわたり、量が多い。慣れるまでが大変であるし、そもそも土台の人数が足りていない。この人数でこれだけのことを回しているのかお前たち、みたいな。

こうして、遭難信号を連発しながら低空飛行をして居る新米事務員こと私は、週に一度の全体会議が近づくと胃が重くなるようになった。また公然の場で同じ説明を二度以上繰り返すという辱めを受けるのである。こんなんならオウムになった方が余程マシだ。しかし辱めと言ったって、悪いのは上手いように論理だてて説明が出来ていない私であり、上司はここで繰り返させることで、説明の練習を積ませているつもりなのだろう。

頭ではわかっているが、感情が邪魔だった。人間、論理だけで生きていければ、それだけ楽なことはないのだ。

 

当時の私、ツイッターで「ブラックアルバイト!辞めるには?」というようなトピックが出たら必ず目を通したし、隙あらば「バイト 辞めたい」で検索する日々を一年以上継続していた。

何回か「ここで唐突に辞職メールを送れば、自由の身では?」と考えた。上司が遠出で暫く全体会議に出席できないとなると大喜びし、そのまま帰らぬ人になることを祈った。そうすれば団体が自然消滅して、辞意云々するまでもなく、自動的に辞めるしかないだろうなと期待してのことだった。しかし上司は元気に帰って来たし、辞め時を延々と悩み続けながら、私の勤務も続いた。

 

そもそも、そりが合わないなら合わないで、早めに動くべきだったのだ。

業務開始一か月ぐらいで「慣れた?」と上司に聴かれた時、お前様と人柄が絶望的に合わないしストレスなので辞めます! と、元気よく答えればよかったものを、「アッハイマァ……」とコミュ障限界な返答をしたばっかりに、半年たつと業務にも慣れ始め、前任者である直属の先輩(紹介者)が高飛びをしてしまった以上、後任が居ないことは、労働者である私の責任の範疇ではないことを、頭ではわかっているとはいえ、ここで私までもが高飛びを決めたらば、今の私に割り振られているフルタイムか?っていう量の業務を、同様に仕事を抱えている、私より数か月前に雇われたらしい学生事務員に、押し付けることになるのでは?

それに、このエクセルファイルや諸々のファイルを時間をかけて弄っていれば弄っているだけ、お賃金が出るのだ。

しかも、この形態(事務)の業務経験は、これから先、就職したような時にも役立つだろう。ここで社会人の練習をするのだ、金も出るし。

 

そうこうしている内にずるずる業務が続き、私は徐々に古株の事務員となっていった。

古株となったところでそんなに年期が入っている訳でもない上、お前どこに目ぇ着けてるの?というタイプのミスはよくやらかす。

上司は常に飛行機の例えを用いながら、作業をする前に一呼吸置くように(好意的な解釈)という教示を繰り返した。

 

今思っても、恵まれた環境だったと思う。

給与面といい待遇面といい、「キツ」というのは感じたが「理不尽」は感じたことが無かった。

強いて言えば事務員が少ないぐらいだったが、私以外の事務員は粒ぞろいだったということもあってか、難なく物事をこなしていた。

私は変わらず、給与を貰いつつ事務員のインターンシップをしているつもりで業務に勤しんでいた。ミスをしては小言を貰っていた。

 

そんなルーティーンも二年目に差し掛かる頃に、私は退職を決断した。

理由は上述の全ての条件を元に得られる給与や経験や待遇や、それら全てを合算しても尚、ストレスが大きいと判断したからだ。

 

退職を決意した日は、全体会議の日でもあった。ミスド祇園辻利とのコラボ抹茶スイーツが、期間限定で発売されていた。

相も変わらず全体会議でミスをお詰め頂いた後に、あーっ今週もお言葉を頂戴したわぁ~と思いながら、せいせいと私はミスドに入って、抹茶のポンデリングを食べた。

おいしくなかった。触感だけした。

小規模団体の事務員で、古株になりつつある。他のアルバイトの宛てもない、私の仕事の後を引き継ぐ人員は今のところ居らず、多分ここで私が抜ければ、私より数か月前に雇われ、私がここでミスドを食べるより半年前に辞めた事務員の後任をしている、あの学生事務員にしわ寄せがいくことになるだろう。上司のお話やお言葉は何かと回りくどいようで直截が過ぎ、私からすると厭味な感じではあるが、上司が、有能な上司であることは確かだ。このしんどいような状況は、ひたすらに私の感情と、詰めの甘さからくる対応のまずさが問題であり、これがドラマとか何かだったなら、私はここで奮起して、何かしら秘められた才能を開花させ、ガン詰め上司を見返すところかもしれない。

だが、私にとっては、せいせいしながら食べるストレス解消の為のドーナツの味が、わからないことの方が問題だった。

 

常に辞職についてイメトレをしていた成果もあり、辞意を伝えるメールから辞職の日取りが決まるまで、これまでの一年の煩悶ぶりが嘘のように、トントン拍子で決まっていった。

 

私は今、就職活動をしている。地獄か? 何が志望動機だ馬鹿野郎。

そもそも働かずして金が欲しいタイプの人間なので、わたしが一番きれいだったときを会社なんぞに捧げて堪るかといったところだ。

今が一番身体が動いて何をしても楽しいだろうに、なんでわざわざ志望動機まで誂えて、こんな瑞々しい肉体を、オフィスとかいう棺桶に週五で並べねばならんのか。

しかし現代日本のこの現状では働かないと金が発生しないので、それは致し方ないとして、大事なことは一つだ。

具体的にいくらまで貯金するとか、或いは市場価値の高い人間になるとか、どっかに移住するとか、家庭を持つだとか、様々な展望が人間にはあると思いますが、私の力点はアルバイトの時から変わらず、私がおもしろおかしく生きる為というところにある。

なので、私はそこを基準に、程々に金が稼げて身分が保証されプライベートが確保されるところという条件で、この際職種を問わず仕事を漁っている。これから先もそれを軸に生きていきたいと考えている。

後は、思う所としては色々あるんですけど、環境が揃っていて待遇が良くとも、結局人間が占めてくる割合って(ある程度は我慢が効くとはいえ)めちゃめちゃでかいなというのは改めて実感したので、人間の雰囲気や、場の雰囲気らしいものを少しでも見ようと、各々のオフィスに足を運びながら私、やっぱり辞表の書き方を調べている。緊急時に全力で走れるように、日頃のストレッチを欠かす訳にはいかない。

 

折に触れて今でも、上司のことを思い出すことがある。

多少のストレスと共に私の脳裏をよぎる上司は、時にメールを返す前に一呼吸止めてみることや、或いは人のしないような経験を敢えてすることで、自分の話題の幅を増やすとかいうことの講釈を垂れては、頭蓋骨の裏に消える。

 

結局上司が、素で私の為に指導をしていたのか、私との相性が悪く、単純にキツめにあたっていたのか、あれはモラルハラスメントだったのかどうか、等、今となっては諸々のことが、私の解釈次第といったところなんですが、従来務めていたアルバイトでは、辞職を思い悩みながらも結局、外的要因(生徒の卒業・店の閉店等)が起こるまでずるずる居続けてしまう傾向のあった私に、初めて「自発的な撤退」という決断をさせたひとつの場であるという点で、上司は、今では感謝すらできる対象なのかもしれない。

辞職して大分日が経ち、あの厭味な感じのお言葉も、もう長らく聞いていない。

どこかで安らかに眠ってくれていればいいと思う。