メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

ベトナムはホーチミン・クチトンネルツアーに参加したんですがぼくは導かれることに向いていないのかもしれない

 

ベトナムホーチミンシティ)でクチトンネルツアーに参加したんですが、ついてくる日本語可ガイドが「ここは作戦室、攻撃する前とか、ここで話し合いした。じゃ、次イキマショー」という軽い感じの説明に終始してくれていて、ここで粘って「いやもっと喋ってくれよ」と言えばまた違うと思うんですけど僕たち心がガラスだし、もっと喋れっていうか別に説明してほしい訳じゃない。ただ、「次イキマショー」って、ズンズン進むのをやめてほしい。何ならお前だけ、出口で待っててくれていいから。ということを、穏やかに伝える語彙を持たないだけなんですけど、じゃあどうすれば、そこに存在するガイドの圧を感じずに、ゴムの木の林をフリーに歩き回れたのか?ということを考えていきたいと思います。

 

クチトンネルについて

フリー百科事典ウィキペディア(日本語版)2019年2月25日時点によると、「ベトナムホーチミン市クチ県を中心とした、全長200kmの地下トンネルネットワークである。」所謂ベトコンの穴に入れる観光地がここ。

vietnam.navi.com

だいたいこのサイトを見ればわかる。

 

上述のサイトだけでなく、図書館で貸し出しした『地球の歩き方 ベトナム』(2018-2019年度版)等にもあるように、旅行会社催行のツアー或いは車をチャーターしていくのが良いと書かれている。

現時点でベトナムに公共交通機関としての地下鉄というサービスは存在しない。

ベンタイン市場付近から出ているバスターミナルからクチまで行くことは可能らしいが、そもそもバスが何かベトナム語しか通じないらしいし、今回は我々、ベンタイン市場から徒歩一分程度の所のホテルに宿泊していたんですが、市場からショッピングで話題のドンコイ通りまでを結ぶレロイ通りが、ジャイカさんの何か援助かアレで大工事してるわ、そういう訳で工事中で、ちょっと道幅の狭くなっているところはあるがまあ十分に大通りなそこを、ゴンズイ玉ですか?っていう密度で迫りくるバイクとか、その只中に迷惑そうな表情で取り残されつつ、毎秒五ミリ程度のスピードでジリジリ進む地元民とか見てると、「さぁバスターミナルを探そう!」という気力すら失せてしまって、一週間以上の滞在が可能なら、もうちょっと気力とか何かあると思うんですけど、数日ちょっとの滞在だと、太陽の熱気と人いきれに充満する人間の生命臭とに圧倒されて終了する。

 

我々はどういった経緯で当該ツアーに参加したか

ところで穴があったら入りたい我々一行、取り敢えずガイドブックとかネットの情報をうのみにしてツアーを申し込むことにしたんですが、

 

①混載ツアー(メリット:安い/デメリット:他の人間と団体にならなければいけない)
②専用ツアー(メリット:①と同じ価格・プライベート)
③専用ツアー(メリット:プライベート/デメリット:①②より高い)

この三択に行き当たった。

見たところメリットしかない②を選択するところかなと思ったんですが、②のクチコミの中に「ゆっくり見て回りたいから貸し切りにしたのに、ガイドに急かされて無意味だった」という内容のクチコミがあったため、念のため③に切り替えて予約をした。

 

実際のツアー行程

専用ツアーになると1区のホテルは割とどこにでも迎えに来てくれる感じでホテル下よりピックアップされ一路クチへ。行程最終日だったため割と時間を持て余しているというような話をすると、ホーチミン郊外、クチから車で半時間程度のところに位置しているらしい漆絵の工房に連れていかれた。工房にて労働するタメのベトナム人女性に連れられ見学。

道中車窓より現地の墓が見え興奮。ガイドは「田舎では土葬にする」と言っていた。またクチ付近のゴムの木の林を通行中、「この道を真っ直ぐ行くと30分くらいでカンボジアに入る」と言っていた。恐らく希望するとアンコールとのセットツアーが発生するんじゃないかという雰囲気があったものの、そこまでの時間的猶予は無かった為敢えてそれ以上の言及はしなかった。

クチトンネルに着くとガイドに連れられ入場、チケットはツアー代に含まれているためチケットセンターを通過し腕にシールを張られる。入場後藁ぶき屋根の半地下小屋にてプロパガンダ映画を視聴。半地下の小屋は複数あり、恐らく上映言語ごとに分かれている。我々はガイドによって日本語の小屋に案内された。

このプロパガンダ映画というかクチトンネルそのもの、所謂「勝った戦争」の事績について紹介する博物館のテンションは高いのではないかというのは同行者の談だが、本当にテンションが高かった。

のどかな村にて暮らすクチの人々を襲う鬼のようなアメリカ兵(原文ママ)を倒す我らがゲリラ兵!小さな体に燃える闘志で勇敢にアメリカ兵をばったばったとなぎ倒す!キャーッ!カッコイイ!!戦局が変化し爆撃が激化するようになってからの彼らは地下に生活を移し、炊事や余暇、休憩などしっかりと日常の暮らしを続けた(ここで一行「余暇は重要」と独り言ちる言葉が重なる)。悪のアメリカがどんなに人々の暮らしを壊そうとたくらもうと、平和を願う我々は決して屈せず、勝利したのであった……FIN!

絵に描いたようなテンションの高さに一行(二名のみ)拍手喝采

なお、ネットサーフィンしてる感じだとクチトンネルとセットで語られている戦争証跡博物館も、同じくベトナム戦争(+インドシナ戦争)をテーマにした博物館なんですが、こちらはクチトンネルからそのまま来るとグッピーが死ぬ勢いのテンション格差があります。恐らくここのメインテーマとしては平和学習。我々は別日の午前中から訪れましたが、現地の制服を着た感じの集団が出たり入ったりしていたので、実際平和学習のカリキュラムとして組まれてんのかなって感じ、展示としては写真がメイン。

そしてこの両者の間のテンションにある博物館としては、ホーチミン市博物館があるかなという感じです。

テンション一覧としては、

クチトンネル「鬼畜アメリカに大勝利祖国正義!!!!!!」>>(壁)>>ホーチミン市博物館「こうして俺達は独立と平和を勝ち取ったぜ✌✌✌社会主義サイコー!!!!!!」>>(結構厚い壁)>>戦争証跡博物館「平和学習」

これぐらい。

またこれらの亜種として統一会堂(南ベトナム共和国時代の大統領官邸として使われた建物)があります。「吉」の文字を模るように作られたとかここで迎賓が行われたとかいう落ち着きテンションのキャプションに、突如防空壕とか地下道(ホーチミン市博物館まで繋がっているらしい……?)、戦車(ここに北側の戦車がブッコムことでベトナム戦争終結した)とかが入って来る。それにしてもプノンペンの博物館とかもそうなんですけど、東南アジアの博物館って、なんだか大きな窓から風が通って日差しが遮られて綺麗で、心地が良いですね。例外としてシェムリアップのアンコール系の博物館はお金持ってんな!!って感じで、気密性バツグンクーラーガンガン!って感じでしたが。まぁそれはそれで。


プロパガンダ映画を視聴した後は実際にゲリラが使っていたトンネルや集会所、塹壕などの実地見聞に入りますが、颯爽と歩くガイドが二、三言「みりゃわかる」としか言いようのない説明を加えて去っていくのを尻目に、欧米系団体客のガイドが落とし穴の仕組みやブービートラップの構造について英語で解説しているのを暫く聞いたり等、えっ、これどこに金を落とす構造になるんだ。この空間に存在しているっていう時点で割とまぁ良いっちゃ良いんですけど、どうせならAK47について異様な熱量で説明してる団体英語ガイドの所に混ざって説明聞いてそっちにお金落とした方が有意義では……こちとら時間あるし……あっなんかすごいスピードで我々のガイド先に進んでるわ……別に、そんな日本語ガイドじゃなきゃヤダって訳でもないし……勝手に喋るスピーカーみたいな英語ガイドでいいから……だれかいないかな……

そうこうしている内にガイドにつられスタスタ進み、ベトコンの穴体験(10m、40m、60m、100mとあり、ガイドは「60m以上はアツイから40mがオススメ」と40mを強く推していた。実際体育座りとか地べたに正座とかしないだろう欧米人的にはなんか狭いし有り得ない感じだと思うんですが、地べたに正座とかするし体育でうさぎ飛びとかやらされていた1hydeに満たない女性アバターだと結構「あ、いけるな」という感じがする穴だった。でもこの中銃背負って全力疾走は端的にやべぇなと思う)を過ぎ、暫く道なりに進んでいくと、追加料金でマシンガンの試し打ちが出来る土産物エリアに出ます。

なんか順路の逆流は出来ない?らしい(ガイドがそういった)ので、追加料金で試し打ちをする場合は、ここで覚悟を決める必要があります。AK47となんかもう一種類から選んで、銃を撃てるという人生オプションの発生。それにしても、射撃場エリアに近づくにつれ「パン! パン!」ぐらいの音が「タァン! タァン!」に変わり、エリア看板が視認できるぐらいになると(入り口に国民なんたらかんたら射撃演習場というような標識がベトナム語/英語/繁体字で表示されている)「ガァン!!!!!!!ッパァン!!!!!パタタタ!!!!!」という音が五臓六腑に響き始める。かくいう私は追加料金で銃を撃つ気がわりとあり、同行者がそれを余り好かないであろうことを知りながらそこに居座る気があったんですけど、え、銃を撃つってことは、既になんか腹にぐっちゃぐちゃに響いているこの銃声の源に、さらに近づかなければ、いけない? いや耳栓するでしょうけど、耳栓ってどこで渡してくれるの嫌だなんか余りにも本能が「こらアカンで」って言ってくる感じの音がしている。幸いにも私、銃声が響くような場所で生活をした経験はないが、銃声、スゲー不愉快。液晶越しで聞いている音とはワケが違う超迫力の立体音響、何ならそこで撃ち方始めてる。

「日本円で3000円ぐらいで撃てます。ベトナムドンだと80万ドン(あんまり聞き取れてない)ぐらい やりますか?」

ここで「人生オプションで銃を撃たなくて済むのはかえって特権階級なのでは????」という謎論理が脳を駆け巡り始めた。実際やってみたら楽しいこともあると思うし、それを実際やってみたら楽しい人もいるだろうけど、やってみても自分には向いてないってわかるだけのことも結構あるし、ほら、サークル参加みたいに……私はガイドの誘いに首を横に振って辞退した。


その後のツアーでは蒸したタロイモ(ゲリラの主食だったらしい)を食べられますが、割とマジで普通にふかしイモで、タロイモに対してかつて鼎泰豐で食べたタロイモ餡小籠包(ほんのり甘くてなめらか)のイメージしかなかった私は普通に「ただのイモじゃん……」というテンションの下がり方をした。一緒に出て来た中国茶が中々美味しかった(喉が渇いていた)。しかしなんか、二人参加で一皿しかタロイモ出てこないし、ガイドがもりもり食ってるなと腹減ってんのかなこいつ思っていたら途中でガイドが中座して、もう一皿イモを持ってきた。ありがとう。小皿にもりもりのイモをもたもた食べていると、イモを食べることに飽いたらしいガイドがスマホから顔を上げ「袋あったら詰めて持って帰れますよ!」と提案。いいです、食べきります。

その後特に解説もなくのしのしと雑木林をウォーキングし、ホーチミンが祀られている立派な廟なんだか祠なんだかの前を通過し土産物を買って(射撃エリアの土産物はろくすっぽ見なかったが、クチトンネルの出入り口にある土産物屋で買える、米軍のライターとか銃弾ストラップとか、タイヤで作った曰く10年は壊れないらしいサンダルとか、その他クチトンネル!という主張が強い土産はほんの一角で、後は統一会堂の最上階とかドンコイ通りとかで買える感じの土産と同一のラインナップだった)、行程終了、車に戻る。

 

不満点というにはアレなんだが

日本語可ガイド!専用でゆったり回れる!という割には説明あっさりだし、ガイドもあっさりだったなぁという感想でした。
ただ当該サイトのクチコミを見る感じだと、ハズレの人とアタリの人居る感じなので、これはガイドの差なのか……?という感じがする。それなら当該サイトの口コミに書いた方がタメになるのでは?

ただ、そのクチコミを参考に「はずれだった」というクチコミの無かった少しお高めの専用ツアーにして、満を持してハズレ、引いたな……? いや、こちらのコミュ力が無かったというのも多少ありそうですけど……だってガイドと喋ること、無くない……?

 

どうすればよかったのか

いや、こちらのコミュ力が無かったというのも多少ありそうですけど……だってガイドと喋ること、無くない……?


ハイ上述のココなんですが

今回車のチャーター&ガイドで、結局ガイドに言われて運転手にチップをはずんでいるんです(まぁ頼んでない漆絵の寄り道とこちらは頼んだ感じのあるスーパーの寄り道をさせているのでそれはいいんですが)。

ただガイドと喋ること、無くない?とか、ガイドの指示の圧に負けてしまいがち、かつ、ガイドの説明以上に現地の塹壕とかに入っちゃって、その目線を確かめたりしたくなっちゃう一行の行動を考えるにつけ、これ、ほんと、ガイドに金払わなくてええやん、マジ、車のチャーターだけでよかったな?というのを、しみじみ思った。

しかしタクシーのチャーターとかクソ難易度高くなるので、なんかこう、クチトンネルツアー!じゃなくて、ドライバーと車だけチャーターできるホーチミン現地ツアープランみたいなのを探して申し込んで、行き先としてクチトンネルを指定したりしても良かったなと思った。

それか、そもそも専用ツアーのガイドとそんなに話さなかったことで消極的印象を持たれたというか、わざわざツアーに来てんだぞ金払ってしっかり腹から声だして説明しろやと思わなくもないがそれは兎も角、無口な我々を見たガイドの心証的に「あんま興味ないかな」「急いでんのかな」みたいに、思われたのかもしれない。それを踏まえると、各客のオーラに逐一合わせていく専用プライベートプランでなく、複数の客に一斉に情報を提供する混載プランにした方が、かえって良かったかもしれない。断片的にしか聞いてないんだけど、同じ空間に時々居た混載英語のツアーのガイドの情報量、凄かったもんな(ただ、混載だとベトコンの穴体験でゆっくり写真撮影とかは間違いなく出来なかったとも思う)。

 

或いは、旅行雑誌やネットではツアー利用を推奨されていたんですが、実際調べる心の猶予や時間があればある程度調べを着けて、自力でバスで行った方が(ガイドと喋ることないじゃんと言い放ってしまう人間には)適していたんだと思う。これは以前の北欧とか南米旅行とかでも感じたことなんですけど、ぶっちゃけツアーで申し込んで一式手筈を整えて貰った方が結果安価だったりすることが多いけれども、己の行動パターン的にどうしてもガイドの存在に圧を感じたりガイドの意図する通りに動けなかったり、或いは過剰にガイドの意図する所に沿ってしまって動いてしまう傾向があるなと思い、今危ない地帯とかに行くとかでないのであれば、どうせなら渡航費+αで自由を買うべきだったかもしれない。そもそも旅行で自由を買うというのも珍妙な話ですけどね。一か月ぐらい休暇をぶち抜かせろ。ここではないどこかへ行くんだ。


というようなことを考えながら改めてネットサーフィンしてたら、バス旅行したぜっていう記録、WWW(ワールドワイドウェブ)に結構ありました。

tabi-taka.com

myplan.hatenablog.com

 

巨大な寺とかイイナァ~~~~~見たい~~~~~~と思ったので事前の調べと心の余裕があればこっちでも良かったかなと思った次第。

 

 

輝ける闇 (新潮文庫)

輝ける闇 (新潮文庫)

 

 

東南アジアって「初めての海外!」「安くてオススメ」みたいなお手軽イメージが付きまといますけど実際距離が若干近くて時差があんまり大きく無いだけの異世界転移だからな(自戒)

 

www.tobu-dept.jp

 

池袋東武の催事場でやってるイベントに行ったんですが、そこで頂いたホットチョコレートが凄くて、私、勝手にバンホーテンココアの濃い奴を想像して、なんかこう甘いんじゃろと思ってたら、確かに甘いんですけどそれ以上にこう、カカオ!!!!!の激しい自己主張が舌を蹂躙し喉に突撃してくる。カカオじゃない、カカオ!!!!!。

そういえばコンキスタドールの皆様方に蹂躙される以前のインカ帝国とかなんかその辺の中南米の文明の皆様方って、カカオとかその辺を興奮剤にしてお祭りだったか政だったかなさってたなぁみたいな朧げな知識とも記憶ともつかないそれが、カカオ!!!!!の摂取と共に無理やりこじ開けられる感じで広がる血管に血が流れていく感覚と共に、意識の上に浮上する。

このホットチョコレート、事前の紹介では「新感覚!とろみのあるチョコレートムース~」なんですけど、チョコムースというか、体験に基づく主観としては、肥沃な大地を思わせる感じの泥、天地開闢以前の世界を満たす泥濘、押し込めど押しこめど、全然食道に流れて行かない。飲むタイプのケイオスタイド、いや、実際の接触というか摂取による効果としてはHP3000減少というより、攻撃力バスター向上タイプの強制バフというか、より正確に表現するとエンチャントファイアなんですけど。

これもひとえに私の見聞の狭さ、チョコレートといったらこう、文明的に砂糖マシマシされたチョコレート❤といった貧困イメージしか持たなかった私が悪いんですけど、ちょっとした日常生活の延長にある催事場で、まさか強制炎属性付与を受けるとは思わなかった。

同行者は別店舗のホットチョコレートを頂いていたんですが、彼女にもエンチャントファイアが掛かっていたのでほんと、あの空間っていうか、最近のカカオ志向のチョコレートすごいね? ほんとに合法なの? エンチャントファイアされたついでに我々一向は着込んでいた上着も脱ぎだし、尚沸き立つ血潮を何とかしてもらおうと献血ルームに直行する話も出たんですが、そのよくわからない話の延長で愚かなことに旅程を組んでしまった。

何?そのよくわからないテンション。事前の下調べがゴミだった為に珍妙な体験に陥った前回の反省を書き留め切っていない段階で、何故そのような暴挙に? おかしい、反省して。

 

しかし泣いても喚いてもキャンセル不可なので我々来るときの為に対策する必要があるんですけど、残り一週間足らず。エクスペディアの当該ページも「出発まであと●日」って、太字で急かして来てる。そう急かすな。まず服装からだ。

当方同時期のカンボジアに滞在した経験はあるんですが、記憶によるとあの時期のカンボジアはクソアツ気温、UVで視界が何か青っぽいし、太陽の殺意が高い。2018年の日本、6月とか7月とかその辺みたいな湿度が無いので、あの気候を生き抜いた記憶から鑑みるにいわゆる乾季のインドシナ半島さんはまだ気候としてはマシ、旅行だし、開放的に、カラッ!っていう感じではあるんですけど、湿気はなくとも単純に太陽光がクソ強いので、日陰に入った途端疲弊を思い出して膝から頽れる感じ。それらを思い出しながらベトナム南部の気候をウェブページで確認してみても、何だかアツアツだっていうことはわかるので、ヨシ、方針は定まった。帽子をかぶろう。

www.arukikata.co.jp

 

ところでそういえば、滞在するホーチミン市内の移動手段とか市内の治安情報とか市内の詳細な観光情報とか調べる前に、ベトコンの穴あるの、どっち!? ホーチミンだって!じゃあそっちで!みたいな アホのする旅程の立て方をしたのはまだしも、輝ける闇~~~~~なんつって、払い込みを済ませるな。

しかしそれにしても不幸中の幸いというか不慮中のラッキーというか、ホテルはなんかいい感じのタイムセールを「なんかいい感じじゃん」でとっていたので、なんか良い感じだと思います。いや、場所的に、なんか……? 調べたところによるとホーチミンサイゴン川以南は低所得者層が多く危険地帯なんですよね? みたいなお気持ちになるところではあるんですけど、まぁまぁまぁ、いやしかしグーグルマップ見ても、ぶっちゃけ市内の感覚がほぼつかめない。これまでも掴めたことはあんまりないんですけど、ほんと、これで出国して大丈夫なのか? これまでも無事帰ってきてる辺り、テクノロジーグローバル化ってほんと凄いなって思うことしきりなんですけれども。

 

vietcam-oh.com

 

取り敢えず気候は掴めたし紫外線対策虫対策すりゃなんとかなるっしょと気持ちを掴んできたところで以上のサイトを見つけ膝から崩れ落ちる。予防接種、必要だよな、大事。

同行者と妙なテンションで旅程を話し合っている最中、他にオーストリアとかトルコとか候補に挙がってたんですけど、「やっぱちょっといきなり思い立つには遠いし、そんな長いこと滞在してられる訳でもないし」という事由でアジア圏に落ち着き、「しかしアジアは社会の歯車と化した後も(日数的に)行けるのでは……」「物価の高いヨーロッパこそ、日常的な収入が入ってからの方が楽しめるのでは」とか後ろ向きな論を交わした訳ですが、オメー、予防接種は一週間前に思い立って即受けられるものなのか?え? そういえばカンボジア行った時はその年の夏に行くことを決めて春に渡航したまっとうな記憶があるので、冬にかけて嫌々日本脳炎とか予防接種を受けたような記憶もある。「旅行者はできるだけ多く打っておくのがおすすめです。」ってほんとごもっともなんですけど、えっ、どうなるんだろこれ、肝を痛めて死ぬ未来が見える、見えるぞ……

物理的には言ってしまえばほぼ地球の裏なのでそら当然時間の制約とかありますけど、衛生面とかの気軽さではヨーロッパに10000000軍配があがる。何が「やっぱちょっと思い立つには遠い」だよ、どこだって遠いだろアホ、気軽に思い立ってフンフン鼻歌歌いながら行ってもそんな問題なさそうなのはほんと、台湾香港辺りが限界なんじゃないかと改めて思い知る。いやこれはこれで、偏見だし誤認だと思います。

 

それにしても戸籍謄本、会話帳辺りはなんとかできるにしても、保険はまぁ確定で入るにしても……予防注射……あっ、あとなんか色々なサイトでWi-Fiはもってけって出るんですけど、サイトによってはベトナムは東南アジアで一番Wi-Fiが普及している!カフェに駆け込め!って書いてあって、今回も「借りた方がいいのかな……」と怯えながらもなんだかんだWi-Fi、結局借りない気がする。

毎回非常時の為に現地携帯は借りるんですけど、Wi-Fiは観光案内所とか諸々でフリーのWi-Fi拾って凌いでいる。借りたところで、どうせ外でゆっくりスマホなんて持ち歩いたら500%スられるだろうし。

(しかし香港でホテルが持ち歩きのWi-Fiを貸し出してくれた時は、マジでWi-Fiのある行程をエンジョイしていた。香港の地下鉄でタイムラインを見ていると、なんだか顔ぶれも変わらないし、自分の「日常」を感覚としてむざむざ得てしまい、次の降車駅をアナウンスする広東語の異世界感にちょっと眩暈がした)

 

ちなみに、海外旅行時に現地利用の携帯電話を借りるときは、以下の海外携帯レンタル比較ナビのページからその時の気分で選んでいます。

www.mobistar.jp

 

あと以前見つけて便利だったのが以下のページで紹介されているオフラインで使うグーグルマップ機能。これ超便利だった。
オフライン状態で「現在地」からのルート検索が使用可能になる条件がいまいちよくわからず、前回は「一度Wi-Fiのあるところに入って現在地にアクセス出来たら、Wi-Fiスポットから離れても継続してナビが続けられた」みたいなことが発生して若干ヒヤヒヤもしたんですけど、特段目が飛び出るみたいな支払いも発生していないので多分一度Wi-Fi環境で現在地にアクセスして、そこからカメラアプリ起動したりせずに地図を表示し続ければ問題なく使えるんじゃないかと推測している。

rocketnews24.com


この辺りまで調べるとだいたいの気候(クソアツ)、服装(帽子必須 虫刺され対策の薄手の長袖が必要だけど基本半袖)、装備(虫刺され、日焼け止め)そして成すべきこと、危険地帯(チョロン、7区8区、市内南側、サイゴン川沿い)等を理解してくる。

あと国内通貨としてはこれも事実上米ドルだけど米ドルじゃないみたいな、カンボジアと類似の事態が発生していることも理解した。政府がドンの使用を推進してるらしいです。カンボジアではリエルが推進されているかどうかわからないんですけど、意外と使えなくてどっかで両替した記憶がある。どこで両替したんだ……?アレッ、でもプノンペンのスーパーで使えたよな……?お釣りが全額リエルで戻って来たんだっけか……(記憶)
※危険地帯については以下のページを参照した。

https://www.tour.ne.jp/w_review/SGN/danger/

旅行者必見!ベトナム危機管理 | ベトナム基本情報

 

まぁだいたいこれでなんとか生きてはいけるだろう。全くの無知で舞い降りるよりは全然いけるいける。ホテルがほんとサイゴン川に面してない? リバービュー? みたいなお気持ちにはなってるんですけど、キャンセルできないしな、観念してリバービューしよ。

 

その他調べたところによると、ホーチミンシティ市内の移動手段はだいたいプノンペンとかシェムリアップとかと同じで、地下鉄とかいうサービスはないし、バスの乗車は観光客には厳しいらしい。

しかしホーチミンの場合、観光する分の移動には徒歩でもまぁ無理ではない(観光地が集中している1区内は割と歩ける)らしい。ヨッシャ!じゃあ歩こう! そのノリで前プノンペンのホテルから王宮まで歩いたら、文字通り太陽に焼かれて体力ゴッソリ持ってかれちゃったけど、ま、そこは疲れたらその辺のカフェで灼熱から逃げよう。だって今回の行先は、プノンペン国際空港に行く途中に立ち寄り、実に文明的な街並みや空港の清潔さ、そしてその穏やかな雰囲気に魅せられトランジットの最中、同行者と口々に「ここで降りたい」「ここで観光したい」「土埃の舞うカンボジアに行きたくない」と言わしめたあのホーチミンなんですもの。いけるいける(強気)


ちなみに徒歩以外の移動手段としては、あの話題のシクロとかタクシーとかあるらしいんですけど、いや、出来る限り交渉(戦い)は避けたい。私平和主義というかことなかれ主義なので、ほんと、交渉はしたくない。決められた適正価格でやりとりしたいよな。

まぁどうしても徒歩は無理なケースはあって、それが空港から市内までの移動なんですけど、最初行先をホーチミンに決めた時に、ここは調べていた。どうやらバスがあるらしい。

asia-traveling-alone.com

 

ホテルの場所を改めて確認したところ、おそらく49番路線バスに乗れば、ゴルフでいうグリーンに載った感じになるでしょう。

 

オッケーオッケー

 

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Routes


……49番路線バス、無くない?

死?????? いや、乗ればいいんですけど、タクシーにね?闘いの始まりである。

 

vietcam-oh.com

vietcam-oh.com

vietcam-oh.com

この辺りからどうにも一つの良さげな情報サイトからの参照が増えて来て、検索するにも疲弊してきたなという感が見受けられるのですが、バスは勿論、タクシーの運転手も英語は使えないらしい。何となくその辺の、バスは兎も角として、タクシーのあんちゃん、多くの旅客観光客を相手にするマンたちって、満を持して英語を操って来るイメージあるんですけど、どうなんでしょう。

まぁいずれ戦うやもしれぬ相手ですし、多少理解できるに越したことはないし、ベトナム語の簡単なご挨拶のページもこのサイトで紹介されていたし、ちょうどいい感じにリンクされていたので、見てみるだけ見てみることにした。

 

vietcam-oh.com

 

えっと、ベトナム語さん。これまで私ディエンビエンフーという漫画で、なんとなく見知って、ほ~んほん、こんなんねって、勝手に親近感すら持ってたんですけど、声調が1~6まで存在する声調言語ということは初耳でした。

声調が1~4の中国語で「多少銭(ドーシャオチェン)」が通じなかった伝説の舌を持つ私なんですけど、そういえば広東語さんもそんな感じだったな。声調って、南下すると増えるの? 知らんけど。こわ……無理……尻の毛まで毟られる……

 

 

 

冬真っ盛りにナットシェルを利用してノルウェーのフィヨルドを見に行った①(Bergen→Voss)

紀行(きこう)は、旅行の行程をたどるように、体験した内容を記した文。紀行文・旅行記・道中記ともいう。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』日本語版「紀行」最終確認2019年1月30日)

 

このブログ、自己アイデンティティとしては旅行記録、情報提供といった性質を持たせたつもりだったんですが、改めて見返すと情報提供というにはあまりに雑音(同人暗黒日記色)が強いし、かといって日記というには、何か要らん回顧してよくわからん情報を撒き散らすし、何だ? 文字数多いツイッターか? 

といったところなので、メールの下書きに残っていた紀行文的な体裁の強い文章を手直しして、ブログ全体の体裁を整えたい。いや、余計になんかよくわからないことになるんじゃないかというのは、薄々察してはいるんですけど。

 


渡航

往年羽振りの良かった親族が客船旅行に行った際、立ち寄ったノルウェーフィヨルドの美しさに感動した旨をしきりに語っており、私自身フィヨルドの景観に対する関心はあった。

調べてみたところなんか、フィヨルドっていっぱいあるらしいね? あの身内がどのフィヨルドを見たのかは知らないが、話を聞いた所によると複数諸国周遊のクルーズ旅行の為、恐らく海に面していて、そんなに入り組んだ所にはいかなかったのではないかと思う。オスロフィヨルドとか。でも自分自身、フィヨルドクルーズへの参加を決める前から存在を知っていたのは「ソグネフィヨルド」ぐらいだし、多分そこなんじゃないかな、知らんけど。

 

怖いことに以上のテンションでフィヨルド行きを決める(伏線1)。

 

多分、正気じゃなかった。そういえば発表直後だったなアレ。

なので、この時点でこの親族はヨーロッパクルーズをしている時点で恐らくにそこに行ったのだとか、フィヨルドがどういった所なのかだとか、そういったことはこの時点で一切調べていない。怖。何この無計画。キイロタマホコリカビだってもうちょっと慎重にルート作るって。

 

以下のウェブサイトより知見を得る

dent-sweden.com

 

dent-sweden.com

 

なんでもナットシェルで予約をすれば、ベルゲン→オスロ鉄道移動のついでにフィヨルドを見られるらしい。

なお、冬場は日没が早いので、オスロ→ベルゲンにするとこう、フィヨルドを見るどころではなく暗闇に包まれるらしい。この情報を元に、移動ルートをベルゲン→オスロデンマークに確定する。

 

www.norwaynutshell.com

 

日本語代行サイト等も見つけたが、どこに頼んだところで値段は大して変わらないらしいので、公式サイトより自力で申し込む。

今思えばここが伏線2なんですが、わたし、必要に迫られて英語を読むことへの抵抗が薄れただけであって、基本的に英語が「得意」で「スラスラ読める」ではない。受験時は偏差値四割からのスタート、未だに、他動詞と自動詞の違いとかあんまりわかってない。ニュアンスさえ把握できればいいという、投げやりな気持ち一つで生きている。あと、必要に迫られれば、まぁ何とか出来るだろうという楽観的な期待。

ついでにこれはたぶん性格の問題ですが、面倒になると文章を結構読み飛ばして「ま、重要じゃなさそうだな」と雑な判断をすることも多い。ただでさえ事前にプレゼンが度重なることが前もってわかっていたのに、どうしてせめて趣味シーンでの負担を減らそうとしなかったのか。

まぁ、当時はそういう自省が全く無く最早走り出したダンプカーのような勢いがある。もう勢いだけで走っている感じで、申し込みを終える。

この時点でベルゲンとオスロの位置関係や、フィヨルドの場所、見に行くフィヨルドの名前も調べず、自由意志に委ねられ過ぎた人生の夏休みが明け、自転車操業式に発表を繰り返すゼミや日常の些事、本業に身体を占められている内に「そういえばあれから、ナットシェルから来る筈と言われているチケット確定メールが来ていないな?」と思い出し一週間過ぎたあたりで、申し込み時点でナットシェルから送られてきた「確認メール」に記載された連絡先に宛てて日本時刻で非常識な時間にメールを送ると、丁度向こうの始業時刻と噛み合ったらしく、十分ぐらいで返事が来た。

 

「送った筈だけど届いてない? 迷惑メールフォルダとか見た? まぁ念のためもう一回送っとくわ(意訳)(下線は筆者による強調)」

 

迷惑メールフォルダに入っていた。問い合わせる前に自分で確認しろよお前(わたし)、自分の確認不足で人様の仕事を増やすな。クソか? 

 

それにしても、まぁ、折角送ってもらったので、送ってもらった方のメールを参照する。日付、間違いない。名前、間違いない。発着地、間違いない。強いて言えばメールの前文になんか、「Please note」って書いてある以下の部分がよくわかんないけど、文中に「follow hotel」とか書いてあるし、希望者向けのオプショナルサービスへのご案内やろな。希望せんかったらええやろ(伏線3)。

伏線3っていうか 伏線2の延長っていうか 伏線2を回収した先が3っていうか。

 

まぁあんまり考えないまま、脳味噌モッツァレラチーズの時は進んでいく。

スケジュールも馬鹿が組んでいるので渡航直前に三つ発表が重なる。クソか?

ガイドブックも大して読み込まず、逃げるように渡航

 


【12月某日、ベルゲン滞在二日目】

前日ベルゲン入りして暗闇に呑まれかけメンタルが瀕死の重傷を負ったり、オイルサーディン的な、一尾ずつ入っているのを期待して缶詰買ったら、意外に鯖の味噌煮系の缶詰(???のトマト煮)が入っていて、箸やスプーンの手持ちなど無く、よくかんがえればこの時点で一階の共用キッチンを見に行けばよかったんですけど、部屋を出る気力が残っていなかったので、ちょうど手持ちの左手で缶をほじって食べたりしていたが、折角旅行先なので八時頃に起きて動き始めようと計画するが、何せ高緯度。九時頃まで日が昇らない。

仕方ないので九時頃に外出(それにしたって目的地の博物館とか何とか、全部11時開館なんですけれども)。駅のNSBチケットオフィスにて、プリントアウトしてきたメール文面と引き換えに、ナットシェル周遊券(鉄道・バス・フェリーフルセットのチケット綴り)を入手。この周遊券に印字されている内容も、出発地と目的地のみの確認に留めていた(伏線4)。

 

【ベルゲン滞在三日目→オスロ滞在一日目】

《8:15》

ナットシェル当日である。

最早故郷と言っても過言ではない(過言だ)古巣こと宿を後にする。
この時滞在していたのはシティボックス ベルゲンという宿なんですけど、ここ、最高でした。屋根があるし、お湯が出る。浴室には床暖房があります。リーズナブルに泊れて個室があるのは本当に最高。諸々の経費削減の為ケトルとかテレビとか電子レンジは一階の共用部のみ、冷蔵庫を使いたい人間はそこに記名して冷蔵庫に入れろという仕組みなんですけど、学生寮と比較して全然綺麗なので最高です。冷蔵庫の治安は確認してないんですけど、まぁ学生寮よりはマシなんじゃないかな、知らないけど。私は滞在が12月だったのと、部屋の暖房の効きが普通に悪かったので、冷蔵庫は使いませんでした。場所柄気密性は高いので外と比べると全然マシなんですけど、部屋がいい感じに冷えてた。何より綺麗ですし、住みよいホテルでした。以降の旅程でも、定期的にここに帰りたくなる。

 

それはさておき

ホテルをチェックアウトして、まだ夜明けの来ない中一路駅へ向かう。シティボックスベルゲンからベルゲン駅はだいたい五分足らずの一本道なので、一度覚えてしまえば楽です。強いて言えば、煉瓦造りの駅がなんか周りの建物と馴染んでしまって、入り口の木製のドアなんかが閉じてたりすると、わりと普通に通り過ぎたりする。

この辺りで「えっ、私このトランクゴロゴロ転がしながらフィヨルド見るの?」みたいな、自分の選択の浅はかさを思ったりしてるんですけど、ベルゲン→オスロとか、オスロ→ベルゲンで移動する民は、みんな大なり小なりトランクゴロゴロするもんなんじゃないかな……道行を共にした人々も、みんなトランクゴロゴロしてたし……

 

《8:30》

出発時間は43分なので、まだ時間がある。朝食は食べたが室温でいい感じに冷えたパン(二つで15NKぐらい)と、昨日の内に購入した紅茶系ソフトドリンクのペットボトルに水道水を入れたものだった。これでは熱量が足りない為、駅の売店でホットドックを買う。

ここの店頭に置かれているケチャップのメーカー名が「イドゥン」で、かつて拝読した某ジャンル同人誌のタイトルを思い出す。イドゥンのケチャップは空だった。こちらも死に体のハインツのケチャップと、なんか水っぽいハインツのマスタードを掛けてから、席に戻る。

 

《8:43》

列車が動き始める。事前情報によるとここの景色も結構乙なものらしいが、まだ日が大して出ていない(日本の感覚だと冬の朝五時半ぐらいの明るさ)ので、外の景色も大して見えない。むしろ列車内の方がなんか明るいので、アホ面でホットドックを齧る観光客の顔が見える。この辺りで車内の温度に耐えかね、かぶっていたニット帽と上着、その中に着ていたフリースを脱ぐ。マトリョーシカか?

車内にはアジア人が四人居た。内一人が私、二人が通路を挟んではす向かいに座る二人連れの女性、一人が通路を挟んで隣に座るアジア人女性。私を除くと皆中国人であるようだった。通路を挟んで隣に座るアジア人女性とは何度か目が合ったが、話しかける理由がない為、話しかけなかった。NSB鉄道内無料Wi-Fiにアクセスを試みるも、トンネルの多さ故かすぐにアクセスが弾かれる。諦めてぼんやりと車窓に映る自分の影と、そこから垣間見える片鱗からもなんかこう壮大なことを推し量れる、ノルウェイの森の景色を眺める。

 

《9:56》

トンネルを抜けると雪国であった。Voss着。

ここで利用しているのはノルウェー国鉄(NSB)なんですが、車内アナウンスは基本ノルウェー語のみ。なので、地名を読まれてもスペルから想像できる発音をおよそしていない、正しく降りられるか、しかしスペルがVossなんだから、良くも悪くもフォスかヴォスあたりでまぁ聞き取れるんじゃないか、だいじょうぶかこれほんとに、等と戦々恐々としていたが、ナットシェル利用客が多いからか、Vossに近づく時だけは、「お前らが降りるのはここだぞ」というアナウンスを英語で二度繰り返した。


Vossの駅は、随分と雪が積もっていた。駅舎内に土産物屋やトロールなんかが居たが、次のバスの集合時間が10時10分の為、外から見るだけに留めた。

事前に読んだ旅行ブログの紀行文によると、オスロ→ベルゲンの場合はここが自由行動の場になるらしくて、というか、Voss、なんか旅行サイトにも掲載があるし結構フィヨルドの入り口として栄えているらしくて、何より、戦前の姿を留める石造りのヴォス教会とやらがあるらしいんですけど、わたしは日の丸仕込み集団行動のプロなので、大人しく観光客の集団に従い、トランクを引き摺りながら、駅から工事現場の迂回路を通りつつ、集合場所の駐車場へ移動。夜が明けたはいいものの、ここで粉雪が降り始める。

 

駐車場に移動すると、中には複数台バスがあったが、今にも出発しそうな感じでスタンバイをしているのは二台。フロントガラスに夜行バスの行先表示みたいな感じで「ナットシェル」と書いた紙が貼ってあるので、その内の手前の一台に荷物を預けてバスに乗る。バス内が暖かく、眼鏡が曇る。

これまで何となく同じ列車の車両に乗っていた中国人二人連れの後をついていき、彼女らの後ろの座席に座ったが、暫くして乗り込んできた同じ車両にいた一人参加の中国人が、少しきょろきょろしてから隣に乗り込んできた。

中国人、どこにでもいて旅行情緒がないみたいな話はなんかよく聞くんですけど、ここまで平たい顔がマイノリティだとなんかこう、お互いに何となく目配せをして顔の平たさを確認し合うみたいな非言語交流が生まれる(私が一方的に見ていた説は大いにある)。程なくしてバスが発車した。


(つづく)

人の間


同じ娯楽作品を見て、同じキャラクター同士の関係性或いは組み合わせに惹かれ、人間関係という小宇宙にまつわる二次創作を手に取ったり手掛けたりするわけですけど、何故こうも何もかもが異なるのか? ということを、もっぱら考えていました、今日一日。

いや、最新の弊同人誌をゲームブック的マルチエンディング方式にしたんですが、頒布11月で、年も明けましてそろそろ何かしらあるかなと思って、「気に入ったエンディングどれですか」的な雑なツイッター投票しましたら、「未読」欄も含めて総得票数ゼロ票(ヒューッ!“““ホンモノ”””のムラハチは一味違うぜ……!)だったことを受けての反省文というか怪文書なんですが。

自解釈が界隈のメインカルチャーではないことはもうこの際、いい。

自認識においてはあれ以外の可能性はないだろむしろ何で誰もここにいかないのか? 先行研究の蓄積が厚過ぎるタイプかな、その先行研究出典を示してくれ読むから、読むからってところなんですが、とにかくそれは、いい。

多様な解釈の在り様があるのも、もうこのさい、いい。忸怩たるところはありますが、それはそれでいいとしましょう。

訳が分からないのは、解釈の多様さがない中で、ひたすら自分の「異質」が際立つことなんですよ。せめてもうちょっと、こっち寄りの何かがあってもいいだろ。なんでここまでガラパゴス? 

こよりは主観なので、私が出典を示しいかに自分の思う正当性を主張したところで、偏見を完全に排したとはとてもいいがたいインターネットリソースの浪費なんですけど、その私の主観からするとえっマジで原作読んでる? みたいな、珍妙な一次創作に見えるものを愛好し、それに影響を受けた二次創作を再生産(reproduction)し、ミーム汚染的なそれを広めていく人間の数の方が、余程多いのは何故なのか? 創作者の人柄ゆえ? えっ、ところでその、まことに原作読んでる? マジで? まぁ弊では原作にも喧嘩売ってるんですけどね。マジで一年目のスタンスとか展開とか、覚えてる? えっ、マジで?

 自力でどう考えてみても私の主張に10000分あるんですけど、なんか、主観的に見ても超絶異端。

一通り現状研究の最先端的なpixivの検索結果とか、Twitterの検索結果とか、時々追ってますけど、びっくりするほど異端。アルビジョア十字軍来ちゃう。えっ、どうした? みたいな。

わたしとて出典と展開の方法を説明する準備は出来ているので、何時でも凸してくれて構わないんですけど、目下の状況としては良い方で腫れもの、悪くてステルスなんじゃないかなと思います。単純に界隈にブロミュされ切ったために見えていない。まぁ、大抵のSNSアカウントなんてあってないようなものですけれども。

 ここで界隈についての詳細な説明は意図的に省いているので、ここで私が記憶喪失になったら何を意図しているのかわからない意味不明な怪文書爆誕する訳ですが、以前から私が異端だったわけじゃない。むしろ、数年前のメイン解釈としてはこちらに分があったと認識している。多分、私が何かしらの活動を始めたのはその、メインストリームと、当時も存在していた謎一次創作の量が逆転した、丁度そのあたりだったのかもしれない。

全く周囲との連関性がない二次創作を続けていると、自分の頭がおかしくなったのかという恐怖に捕らわれることがある。昨日まで理解できる文脈の生産をしていた新規アカウントのツイートが、訳の分からない理屈に汚染され、どこかで見たようなパターンの謎一次創作を繰り出して来るようになる。隣近所の人々が次々とゾンビへと変貌していく。昨日まで正しいと信じていた世界が綻んでいく。ああ、窓に!窓に!! 私の頭がおかしいというのか!? 

残念ながら人間は社会的な動物なので、大勢に認められない真理がいかに正しかろうと、その正しさを認められないことは往々にあるんじゃないかなと思います。それでも地球は回っている!

 

一点、唯一私の何が悪いって、一重に人間の認識に働きかけようとする姿勢だったんじゃないでしょうか(虚空に向かって)。

まぁそういう本編から乖離した認識汚染を簡単にしちゃうのが絵描きの絵であり、秀逸なツイートであり、てか、ぶっちゃけ、世の中のフジョシのどれだけがpixivで二次創作の小説を読みますか。通りの良い言い方をすれば斜陽ジャンルに居残っていると言われるようなフジョシのどれだけが、自作でもない小説本の読み返しなんかするんでしょうか。私はしますけど、世の中の識字率、多分思っているより低い。私は何なんでしょうか。私の頭がおかしいっていうのか(二度目)。

ところで今回の弊同人誌で何がこんなに反省文を産むのかって、様々な幸運が重なり絵師の方に表紙をお願いすることが出来たので(イエイピースピース)、これまでになく前評判というか、サンプルの評価数とかが多かったのに起因していると思う。刷った分全部捌けましたし、かといって人間、買った本を必ずしも読む訳ではないし、私の主観では自解釈百理あるんですけど、他人からするとそうではない(むしろ私の解釈、現行把握している限りではちょっとどうかしているぐらいテンションが異なっている上、書き手のものがソーシャルのSの字も無い)ので、結果として「人間に作用したか」「界隈解釈を変える程のものか」「自解釈寄りの再生産はあるか」という点に絞って考えると、最新同人誌を含めあらゆるものが無価値だったのだろう! 

ここで今日の豆知識、「自解釈を布教する為に本で殴れ」とか、定期的にツイートで回ってきますけど、自分の本が救えるのは概ね未来の自分だけです。私は基本的に紙媒体よりインターネット媒体の方が馴染むタイプなので、早くサイトに収録したい。どの道読まないだろ!もういいだろ!何もかも!私が好きに読めるような環境にさせてくれよ!あれは最高の奴なんだからよ!!

ここまできまして、フジョシのノロケツイートに対して「〇〇さんカップルみてるとなんだかほっこりしちゃいます~~~~(〃▽〃)ポッ いつもありがとうございます✨✨✨」とリプライしている人間様からするとうわっなにこれ近寄らんとこという感じなんでしょうが、私も同じ感覚をそちらに抱いているので結構結構、相思相愛だねッ!

しかしまぁ、考えてみればわかる話なんですけど、人間の感じ方なんてほんと人それぞれとしか言いようがありませんし、知識の捉え方等も人それぞれとしか言いようがありませんし、私の主観からはコンキスタドールらによる強烈な支配の象徴であり一種グロテスクなものとして見えるクスコ中心部・アルマス広場も、クスコ在住で雑貨店を営んでらっしゃる在留邦人の方のエッセイでは、「人々がのんびり暮らす美しいのどかな情景」として描かれる訳です。

南米ってちょっと、あんまりのんびりイメージが無く、記憶の中でも確かにこれは人の性質なのかわかりませんが明るく割りに親切で、しかしその人々が置かれてる状況というのは控え目に申し上げてちょっと……ちょっと……という感じではあるがこれも私の主観、主観主観主観、人と人との間にある深い断絶、これを含めて「人間」という字を当てるのか……?全くの妄想ですが。

というところまでこうやって虚空に語り掛けるように文章を打ち込んでいたら、驚くことにマシュマロが来ました。他人への理解を求めたところのある弊同人誌群とは、特に関係のないところなんですけど、土台肯定を求めた訳でも誰かを洗脳する意図があった訳でもなく、ただこの関係性ええな~~この関係性でこういうのみたいな~~と考えたところに、「よかったで」「ええなこういうの」と、淡々と自己の思考を他者に肯定された事実に、思わず目から涙が溢れた。

 

ここまでで旅行についての話を差しはさむ余地がなんだか無かったので、ここからクスコで購入した土産物や土産物屋について触れて終えたいと思います。

 

《クスコで買って良かったお土産》 アルパカのぬいぐるみ

かわいい ふわふわ いや、マジで顔がかわいい。生活の潤い足りうる。オススメ。
インカ系の観光地に行くとどこにでも売っている。露店によって毛色もそれぞれ。スタンダードはたぶん白、他に黒、混ざった色、茶色、黒ぶち、ハーフカラー、などなど。耳飾りを着けているものや首飾りを着けているものなど装いも様々。君だけのアルパカを見つけよう!
私の旅程ではナスカ・マラス・ユカイ(ホテル内に入って来る行商ウーマン)・オリャンタイタンボ・マチュピチュ村にあった。

値段別に並べるとマラス(交渉が上手くいった)<ユカイ(行商ウーマンのお情けを受けた)<<クスコ<マチュピチュ村<<<ナスカ(後述) ※購入しなかったため選外・オリャンタイタンボ(マチュピチュ村で吸いつくされた)

ちなみにウユニ塩湖にもあるが、ボリビアに入るとなんだか顔がゴツくなってあまり可愛くないので、マスな可愛いもの好きはペルーで買ってしまうのがオススメ。空港とかにある公式っぽいお土産ショップにはないので注意して下さい。基本的に個人商店か露店、行商人からの購入になります。

こちらの外国人観光客向けふわふわ毛色アルパカのぬいぐるみ(自立式)、交渉にもよるがだいたい十五センチぐらいのもので20ソル(600円ちょっと)~、三十センチぐらいのもので50ソル(1500円ちょっと)~(もうちょっと高かった気もする)。日本でもマライカとかで2000円~3000円ぐらいで売っている。

なお、現地催行のツアーで連れてってくれる土産物屋で買うと他の露店で買うより数段高い上に小さいし可愛くもないので注意。私はナスカツアーで連れていかれた土産物屋でうっかり購入して後悔した。

 

《クスコで買って無難だったお土産》 チョコレート

ここ数年のバレンタインフェアではペルーがカカオ生産地として注目を集めているらしいんですが、わりとどこにでも売ってる。なんかいい感じのところとしては、チョコムセオ(Choco Museo)というチョコレート専門店がアルマス広場の近くにある。リマのアルマス広場の近くにもある。ここでカカオの殻を購入して茶にするといいと店員に言われるがまま購入したものの、なんだかんだ一年ぐらい寝かせてある。

チョコレート専門店でなくとも、チョコレートも、わりとどこにでも売っている。クスコのスーパーマーケットにはほぼ確実に土産に無難そうなチョコレートが売っているので、土産に困ったらこれでいいと思う。空港でも売ってる。ボリビアの空港にも売ってる。

ウユニ塩湖にも「ウユニ塩湖の塩を使いました!」という触れ込みのチョコレートが販売しているが、ウユニ塩湖の塩チョコレートは、ウユニ空港売店には多分ない。私が見る限りでは、無かった。ウユニの塩チョコレートを確実に購入されたい方は、市街地で調達しておくといいと思う。でもネットでちょっと調べたら「ウユニ空港にある」って書いてあるんですよね、私が行った時間が多分ランチタイムかシエスタ(伝統的なお昼寝)タイムかで、ウユニ空港の外側の売店が閉まってたのもあるかもしれない。ラパスには無いです。たとえあったとしても(あるらしいんですけど)、そこまで赴く気力体力が高山病で蒸発する。

上述ネットで話題のウユニ塩チョコレート(パッケージが綺麗な景色の奴)でなくても良ければ、これはこれでネットで見たところこれボリビアでは有名なブランド、砂糖を使っていないことでその道の者に話題らしい、EL CEIBOのウユニ塩チョコは、ラパスのエル・アルト空港内で購入可能。手の平サイズから大き目サイズまで、各種取り揃えてあった。但し賞味期限が商品によって大きく違う為、気になる場合は買う前にチェックした方がいいかもしれない。ちなみにクスコのスーパーだと「マラス塩田の塩で作りました!」という触れ込みのチョコレートが売ってる。まぁ、これはこれで。

 

《クスコで買わなかったけどちょっと面白そうだったお土産》コカの葉グッズ

アルマス広場周辺の綺麗目なちょっとした雑貨屋に入ると、わりとスピリチュアルオーラ全開なミュージックと共に、コカの葉啓蒙本や、コカの葉を模したキャラクターグッズ等が展示されている。そこで本を流し見した程度の記憶しかないが、こう、コカ文化はインカの時代から脈々と伝わっているものだということを主張していたような気がする。

私はコカ葉関係のものは購入しなかったが、帰国しようと別の所に旅行にいこうと、あそこまで全面的に出て来たマスでポピュラーな顔のコカの葉は中々お目にかかるものでもないので、よく印象に残っている。あと、ラパスの魔女市場には、コカの葉を模して作った「コカの神」みたいなお面が露店で売られていた。高所ならではというか、高所ヤバい、マジヤバい。

 

クソ腐のすなる日記

 


これはもう完全にフジョシというか、クソ腐の日記。ヒトのすなる日記といふものを、クソ腐もしてみむとてするなり。旅行のリョの字も無い完全な日記。移動距離0km、万歩計を見るに、本日の総歩数は199歩なんですが、今この不動の肉体に、五年以上の時をかけ「フジョシ界隈における誕生日絵」に対する憧憬フェーズから抜けつつある涅槃メンタルが訪れているので、記念に書き残しておきたいと思い立ち文章にしました。

 

フジョシと呼称すべきか同人女と呼称すべきか、そうなると腐男子と称される方々やサークル参加で同人活動をされている諸兄らを含まないジェンダーバイアスある表現になるかと思うんですけど、一般に「女性向け」とされるジャンルで活動していて、男性をお見掛けした経験が、イベント時のコスプレイヤー男性ぐらいしか私にはないので、私がここで呼称するフジョシは、一般に同人女と言われる類のそれで、所謂腐女子です。
一部のフジョシには、フォロワーの誕生日を祝い、それにかこつけて推しカプ作品をこう、絵や文にしたりする習性があると言われています。
私は絵を描くことを諦めて二次小説をしているので、ぶっちゃけ閲覧する私としては小説も見るけど、自作出来ない絵の需要が圧倒的に多い。故に他人に絵を描いてほしくて仕方がないので、こと誕生日が差し迫る一月よりはじまる一か月間の誕生日絵乞食を過去五年以上に渡って行ってきているんですけど、「絵需要が満たされたか」という結果としては、目出度く全滅しています。

 

何故か?

 

結果として誕生日絵とか〇〇さんの小説を元に絵を描きました!っていう案件が発生しうるのは、「友達」だからなんじゃないかと私は数年の模索の末にようやく理解をしました。

こう見るとSNSやってると人間狂うんだなっていうので終わってしまう話に見えるんですけど、でもあながち間違っていないというか、厄介な点はこの距離の近さ。

同じジャンルの同じような人間関係所謂カプに手を染めていて、それを理由に程々に言葉を交わし「友達」に成るケース、そんなに珍しくないんですよ。こと同人誌を出してイベント参加とかしていると、「ご飯食べに行きませんか~」とかいう、アフターに発展して、そうなったらわりと友達なんじゃないかなと思います。「前ジャンルでめちゃめちゃ気が合った奴」とかいう呼称で、レポ漫画にも登場するぐらいの。

そうなると誕生日ってなって、じゃあアイツのために絵でも描いてやるかみたいな、そういう関係性になるんじゃないかと、思います。

まぁ言ってしまえば私、そこの距離感が取れなくなっていると言わざるを得ない状態だったので、SNS、感覚が狂うんですけど、「同じジャンルで同じカップリングに手を染めた」が契機になるとはいえ、それが全てではないし、こちとら一方的に生活見てるんで、何となく親しくなった気持ちにもなるんですけど、そういうことはない。

だから#〇〇クラスタさんとつながりたいタグとか、#フォロワーさんともっと絡みたいタグとか、#フォロワーさんともっと絡みたいけどそういうこと言えないから寿司ネタ呟くとか、そういうタグが出回ってるんだよ。じゃあお前(わたし)はここ数年どこに向かって乞食し、何に対して絶望していたのか?

 

上述したようなトントン拍子で友達になるケース、SNSでは割と盛んに見るんですけど、友達という段階に至るまでには実際割と高いハードルがあるように思う。

リプライとか何とかしてみても、行き過ぎたらシンプルにストーカーですし、気持ちが悪い。これはわかる。友達ではない。
じゃあ普段から愛着を持って観察し、良い感じにいいねとかファボとかしたらどうか? それも友達じゃない。フォロワーっていうか、何か、虫かごの外から眺めてる謎の人間。視線は見えないので、そういうのは友達ではない。

そもそも、良い感じの距離感のリプライって、何? ああいう手合いのフジョシって、どういう感じに距離を詰めるものなのか。

フジョシの言う「〇〇界隈の皆さん優しいから」っていう、その界隈概念がよくわからない。同じ〇〇の民とか〇〇村とか〇〇界隈とか言って、何かとタイムラインやツイッター言論におけるフジョシは同質性を自ら強調していますけど、それはどこからどこまでを対象としている言葉なのか、或いは単純に何を考える訳でもなく発されたただのリズムなのか。界隈、それは誰が構成員なのか? 下手に同ジャンルに長居すると後発の人間が余程〇〇クラスタの××さんとしてめちゃめちゃに交流楽しんでたりなさるんですけど、「〇〇界隈の皆さんほんと優しくて」、って何気ないツイート、何を以て優しいと定義する。〇〇界隈の皆さん/〇〇スペースにある「ほんわかムード」とは何か。何? 誰を指しているの? 

 

友達ってどうやって作るんですか?

 

おっ良い感じに煮詰まって来たなっていう所なんですけど、安心して下さい、友達、います、私にも。

所謂同ジャンルとか同界隈は全滅ムラハチアカウントですけど、程々にエアリプをする人間や程々に会話をする人間、TRPGを教えてくれた人間(神)や脳味噌死んだ会話を取り交わす人間、友達はいるんですけど、前述したフジョシ同士のこう、「同ジャンル同カプから」の友達繋がりではないというか、唯一それっぽいようなところも、こう、年単位でツイート見てて、何かこうふぁぼしたりいいねしたり、リツイートしたり稀にリプライしたり、SNS情緒不安定な時にアカウント輪廻転生して新たなアカウントを作る度出したフォローリクエストを全承認頂いたり、多分これ一般に言われる友達ではないんですけど、この距離感こそがフォロワーなのでは? と、薄々思っている。

 

同ジャンル同カプを契機にフォロワーから友達を作れる人間は一定数いるんですけど、そうじゃない人間はこう、私にも何とか出来る筈だと苦しみを重ねるよりも旅行に行った方が良いです。

旅行中、こう、概ね煮詰まってるので、フジョシ同士が交流していようが〇〇さん誕生日なので〇〇さんの小説から絵を描きましたとか、pixiv新着がアップされたとかアップしたものに反応があったとかそういうものインターネット社会ですからね、全部見られる訳ですけど、でも自室で煮詰まるよりはマシ。そうか? 通信料とか色々変わってこない? それに人間の感情は永遠ではないものの代表選手ですし、百人一首でもこれめちゃめちゃに詠まれていますし、かたみに袖をしぼりつつ、行く末までは難ければ、やがて時が全部解決してくれます。

そして、やがて来る涅槃の時を迎える為、心構えとして必要な気付きは、「このタイムラインは苦である」という真理。苦の原因は「同界隈で活動していることをネタに、フォロワー数を表す数字から友達になれるかもしれない!(それであわよくば性癖の絵を描いて貰いたいですね)」という迷妄と、「ここまでやってあらゆる同人女と同じような俎上に上がれば何か、何か変わるかもしれない」というような執着にあるという真理。そして、迷妄を離れ、執着を断ち切ることで心安らかになります。八正道はなんか余っちゃったんですけど、三諦ぐらいでだいぶ楽になる。Loveは知らんがPeaceは訪れる。ここまでくるのに、たぶん五年以上かかりました。

※なおここで絵でも文でもなんでもいいのでカップリング関係で自分の好きなものを自作出来ないと自分が飢えて死ぬので注意

 

DA PUMPのU.S.A.というベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章リミックス

 
定期的収入の無い身分なので転々とアルバイトをしている。数年前の大晦日正月は、人気の無いコンビニエンスストアのレジで立ち尽くしていた。今年の大晦日正月は、郵便局で年賀状を仕分け続けている。年末。仕事おさまんねぇ。クリスマスとか仕事納めとか、季節ネタに悉く置いて行かれている。着々と仕事を収めていく勝利者らのタイムラインを見つめながら、言いようもない焦燥に駆られるばかり、季節感の無い人生。
 
年末だ。
 
人生に季節感がないんですけど、民報が度を越えてさわぎはじめると、なんだか「今年はもういいかな」って気分になりませんか? わたしはなります。もう今年はいいかなって思って、あらゆる手を止めて寝転がって、今年の振り返りは今年の内に、みたいな気持ちで、堂々とpixivなどを見てしまう。いや、実のところ全然よくないんですけど。今の身分は季節労働者なので、31日に仕事が納まり1日に仕事が始まる。年が変わるだけで、平常運行。しかもわたし、本業というか、学籍をもつ身分的には、年末より年度末の方が区切りとして重いので、年末で気分が中弛みしていい理由がないんですけど、なんなんでしょうね、社会が浮かれてるからわたしも浮かれちゃっていいんだ! みたいな、逆同調圧力なんでしょうか。浮かれないで。
でも年末年始の番組の浮かれポンチ空気正直嫌いじゃないです。歌か暴力、時々グルメ。人間の娯楽って変わってないなぁって感じがしませんか? 古代ローマからっていうと、なんかそれはそれで語弊ありますけど。我々が現代の娯楽のかたちから古代ローマを再定義しているのでは?パンとサーカスという形をした記憶の場、まとまる予定のない流動系の思考を垂れ流さないで!しまって!
 
とにかく年末なんですがわたしはDA PUMPのU.S.A.が好きで好きで、年末第九と前後して流れるU.S.Aを聞けるのが私ほんとうに嬉しいんですが、たぶん今日今この時を逃すと二度とこの嬉しさ書き残せないと思うので、文字にして残したいと思います。ついでに2018年2月頃にUSAをトランジットした時習得したビザ(ESTA)について記憶に残っている限りのことを書き残したいと思います。
 
で、タイトルなんですけど。
DA PUMPのU.S.Aはベートーヴェン交響曲第9番の第4楽章だと思っている。
もっと言えば「歓喜の歌」ですね。クラッシックについては専門外なのでなんかもうおかしなこと言ってたら年末だしなと思って流してください。行く恥来る恥。
 
歓喜の歌」、年末に良く聞くアレです。或いは新世紀ヱヴァンゲリヲンクライマックスシーンというか第17使途戦闘シーンとかで流れる奴。歓びの歌ともいわれます。原題はAn die Freude。ドイツ語です。シラーっていう有名な詩人がいるんですが(世界史Bで名前だけ聞いたことある……)、Wikipedia日本語版によるとシラーの作品「自由意志」をドイツ語に書き直した作品「歓喜に寄せて」をベートーヴェンが歌詞として引用し書き直したもの、だそうです。
私は第二外国語で無意味に(本当に無意味に)ドイツ語を履修したんですが、正直クリスマス前にこれを扱ったことしか覚えていません。あとテストに若きウェルテルの悩み(抜粋文)を日本語訳しろとかあってブチギレ、単位が憤死しかかったこと。講義にあたって人権を可視化したものとされる辞書を忘れ、コースの図書館に頼み込んで持ち歩きを想定してい無さそうなでかめの人権(辞書)を貸し出して貰い回避スキル矢除けの加護を展開した結果、本当に矢除けの加護なの?ってぐらい運よく指名されず、ただ無意味にコースの辞書に散歩をさせてしまったあの昼下がり……(結構覚えてますね)
 
第九の歌詞についてはほんとWikipedia日本語版を見て頂ければもう十分!ってぐらい書いてあるのでそこらへんを参照して頂きたいですし、私の頭の中にあるのは訳出にあたり教授に指名された「Deine Zauber binden wieder,」のDeineが神を指し示すこと、そののちのディクテーションで運よく聞き取った「Alle Menschen werden Brüder,」の二文だけなんですけど、歓喜の歌というのは私が運よく聞き取ったところだけ抜き取っても「あ、人間存在の統合をうたっているな」ということがわかるものですし実際東欧革命とかベルリンの壁崩壊とか、東西分裂が統合されていく過程において全ヨーロッパ団結!(というとちょっと話盛ったかなっていう感じですが)というテンションで歌われることの多い曲のようです。どっかのクイズ番組で「歓喜の歌が中継で五大陸同時に歌われた時の映像です、この都市はどこ?」みたいな出題もあったような気がする。
 
それでU.S.Aなんですけど、この曲がいかに第九的というか歓喜の歌的であり、いかなる統合を歌っているのかを解釈していきたいと思います。
U.S.Aがカバー曲であること、懐メロ的なユーロビート(ディスコ調)を用いていること、ダンスがバズったことなど諸々あるんですが、音楽については2019年になってから深く知っていきたいと思うので、ここでは歌詞の字句解釈のみを行いたいと思います。
 
「U.S.A」の歌い上げる世界観、これは明らかに冷戦終盤における統合ム―ドとバブル経済期およびソ連崩壊から9.11までのパクス・アメリカーナにおける世界秩序の中の、まだ文化側面においてバブルの残り香があった頃の日本社会であると考えています。ちょっと時代違いますけど2005年の愛・地球博で標榜された「持続可能な社会」とか1970年代から2000年代前期にテーマとなった「宇宙船地球号」とか、あの辺。世界史の教科書でいうフランシスフクヤマの「歴史の終焉」辺り、大文字の歴史の最末期における、パクス・アメリカーナの元の資本主義的な統合、そしてアメリカの傘の下で経済発展し東京が世界の三大都市のひとつと挙げられるまでに成長した当時、かつての古い秩序を文化を享受する無邪気な視点から歌い上げたのが、U.S.Aではないのか。
冷戦期資本主義陣営における日本とか、当時の日米蜜月期の両国関係とかその辺を歌っているのではないかということもあり、厳密に第九が指すというか第九からイメージされる(ヨーロッパ)統合!イメージとはニュアンスが少し違う感じもあるんですけど、それは行く恥来る恥というか、あくまで類似のニュアンス、「統合」や「古き良き秩序」を歌い上げている点にのみ注目して、ただびととしてエモを感じていきたい。行く恥ですね。
 
パクス・アメリカーナにおける文化的バブル期の日本や、或いはパクス・アメリカーナ時代を殊に歌っていると感じられる歌詞として私が挙げたいのは以下の点
 
夢というグラス交わし
Love and peace 誓うのさ
C'mon, baby アメリ
サクセスの味方 organizer
 

 

ここが本当にエモい。
悪しきを挫く世界の警察時代のアメリカですよ。本当にエモい。
 
かつての日米関係を歌い上げる歌詞として見る場合は
 
C'mon, baby アメリ
ユナイテッドする 朝焼け
 

 

ここにおける「統合」はあくまで日米二国間のもの(でありその直後の「交差するルーツ」や直前の「ウェストコースト」辺りからもおそらくは日米両国に主眼が置かれているのではないか?という説が私の中で有力ではある)なんですが、U.S.Aを「パクス・アメリカーナによる世界秩序」を歌う歌詞として見る場合、ここで「資本主義」の元に統合されていくと読み替えることも出来ます。グローバルシティとしてのアメリカ都市部、インスパイアされていく世界の都市という構図ですね。ところで以前きょうじゅちゃんが言っていた「グローバルシティ構想が後背地の恨みによって潰えたのが現代」というような話の論拠となる本、酒の席で口が滑ったきょうじゅちゃんということもあって聞きそびれてしまって、あれが何の書籍から生まれた思想なのかあるいはきょうじゅちゃんの実感なのかがいまいちよくわからない。お心当たりの方はメールほしい。
 
で、曲の話に戻るんですけど、U.S.Aの曲中で繰り返される「交差するルーツ」や「競合していくジパングで」というあたりから、冷戦体制下で経済発展をする日本、一時期アメリカの全州を買いたたける程の経済力を持ったというのを私は漫画で見ている世代で、私は世代としてはそれらの世界を肌で知っている者ではない失われた二十年に属するアレなのでほんと、その辺の歴史をちょっとしたダイジェストイメージでしかとらえられておらず時系列もぐちゃぐちゃだとは思うんですがエモいのは兎も角、パクス・アメリカーナの元で経済的発展、復活を遂げた「我らが」祖国が経済的発展により盟主でありかつての仇敵でもある「アメリカ」を越えていく、「パクスジャポニカ」という、余りにも無邪気なそれを歌い上げているという読み替えも可能な曲であると思っています。むしろだからこそ、この曲は今現代においてここまでヒットしたのではないか?いや、普通にダンスとか曲調であって歌詞のことについては無頓着な人間が多いんじゃない?っていうとそれまでの、一個人の妄想なんですけど。
 
この無邪気さの善悪は置くとして現象としてはエモいんですこの曲。「歴史」は終わることなく我々は「宇宙船地球号」として統合されることなく争いは引き続くんですが、ユートピア建設に誰もが燃えていたあの巨大な時代における理想ではなく目標として掲げられたあらゆる統合を歌うこの曲、歓喜の歌と同じ感じで私は廃墟をバックに流したい曲トップイン2018という感じでした。最高。
 
以下から私がC'mon, baby アメリカした時のビザを中心とする記録です。
 
私がトランジットしたのはヒューストン空港。ここは地図見て貰えばわかると思うんですけどわりとメキシコ、宇宙兄弟の第二の舞台なんじゃないって、ヒビットがイエ~~~~イするところまでしか見ていない私は漠然とそういうイメージを持っている訳ですが、かなりスペイン語が幅を利かせています。英語の横にスペイン語。なんならスペイン語の方がデカいのでは? 職員の話す英語も超訛っていてわりと困惑しました。
ここでというか、アメリカ入国に必要なビザをESTAというんですが、これはロシアビザと同じくトランジットの際も必要です。というか全部がそうなのかはわからないんですけど、わたしはヒューストン経由でリマはホルヘ・チャベス空港に行くにあたって「ヒューストンで一度入国して出国した」ので、何がおこったのかよくわからないんですけど、とにかくそういうことです。本当はトランジット専用レーンがあるの? とか、並んだ列が悪かったの? とか、ヒューストンで南米に乗り入れるルートが悪かったんでは? とか、色々疑念は尽きないんですが経験は一度きりなので本当のところはよくわからないし、私はその経験に則した物しか私の経験として言うことは出来ない。とにかく、ヒューストン経由でリマに行こうとすると、なんか一回入国でスタンプ押されて、出国でまたスタンプ押されます。場所は違うんですが、2018年12月に出国した時やヘルシンキでトランジットした時は、日本・韓国のパスポート保持者はこっちでパスポートの顔写真とお前の顔を照合するぞみたいな自動機械があったので、今はちょっと違うかもしれませんが、とにかくヒューストン、一度入国します。
 
そこで入国するにあたって必要なESTAなんですが、私は以下のurlから取得しました(2018年1月頃の情報です)。
 
ロシアビザと異なり結構詳細な犯罪歴や既往歴(たしか)を聞かれるので、問題文をよく読んで選択肢のyesかnoどっちを選べば問題が無いか、文意を見るというかどこにNOTがあるのかをチェックするのがちょっとしたセンター試験のような感じで、どっちかというと日本語の方がわかりやすかったような記憶があるんですが、センター試験をしていた記憶があるなら、私、おそらく英語で取得しているな? どうなんでしょう。ロシアビザは日本語だと意味が通らない質問があったので英語の方がいいです。ESTAはちょっとよくわかんないけど日本語選べたんじゃないかな。是非ご自身の目でご確認下さい。
 
問題がなければ、確か一週間前後でメールが帰ってきます、そこで入力したパスワードだったか或いは名前だったかを入力すると取得したESTAのページへ、私はそれを印刷して満を持してヒューストン空港へ降り立ったんですが、なんか、使えたのかなアレ。手にもって走っていた記憶がある。何せスカイスキャナーで一番安い乗り合わせを選んでいるものだから、とにかく時間がない。一応90分から二時間くらい時間を見てはいたんですけど、無理。だって入国の手荷物検査とか質疑応答とか、凄いもん。チェックで特別話が長いとかはないんですけど、とにかくクソクソ並ぶ。並んでいる。アメリカ国籍持ってるマンがその行列を、横からスイ~~~~って通っていく。ファストパス。なお復路はもっと並ぶ。手で持ち込もうとしてる空港で入手したチョコレートとか全部、麻薬系の品ではないかとチェックをされるからだ。あと靴も脱がされる。厳重~~~~~私のケースはそもそも飛行機の着陸が遅れていたというのもあります。一時間出入国チャレンジ! 走って!
 
C'mon, baby アメリカ 
トランジットしていく旅行者
 
ヒューストン国際空港を全力で駆け抜けながら、私は搭乗券を落とした。
 

お前に本当のヒュッゲを教えてやる、等。

 

クリスマスシーズンにヨーロッパ(ノルウェーデンマーク)に行ったんですけど、ほんと何につけても人間が番っている。いや北欧は北欧でヤバいのでクリスマス中止とか言ってる奴はすっこんでろフィヨルドから突き落とすぞって感じですし、ほんと、クリスマス万歳!とにもかくにも、クリスマスイルミネーション万歳!!って感じなんですけど、それにしても人間が番っている。日本のクリスマスはカップル多すぎで不純!本場のヨーロッパはそんなことないもんっ!っていう言説、日本語ツイッター界隈でわりと見なくも無いんですけど、確かに実際の現地クリスマスは家族で消化するイベントなのかもしれない(クリスマス当日はマーケットも午前までで店じまい、店も概ね閉まるらしいです)。ですが、クリスマスマーケットに居る人間は、だいたい番っている。そこかしこから鳥のさえずりのようにリップ音、聞こえてくる。まぁリップ音で済んでる分まだマシなんじゃないっていうのと、わたしが時間と場所を弁えなかったんじゃない(十九時のチボリ公園)っていうのもありますし、それにクリスマスマーケットの面子が必ずしもカップルだけって訳ではないので、恋愛特化っていう点で日本のクリスマスある意味特殊なんでしょうけど(そもそもヨーロッパ諸国によくある都市とは擁する人口が違うのもありそう)、それにしても、ヨーロッパの人間はナチュラルに番っている(個人の偏見)。

 

ところで今回の旅行経験を経て、私の中の北欧エリアのイメージがなんか薄暗くて雪降ってるイメージで固まりつつあるんですが、これは完全にわたしが12月のベルゲンから旅行をスタートしてしまった事によるミス。多分世間一般だと、冬の北欧、極夜とかオーロラとかサンタさんとか、なんかロマンチックでミステリアスで大衆的でキラキラしてるんじゃないかな!? キラキラしてるのは本当。電飾の力です。電気!それは文明! 12月の北欧からクリスマスの電飾を取ると、殊に観光客は暗闇に呑まれて死にます。

ベルゲンの日は十四時にはほぼ死んでる。太陽によって空がなんか明るくなる……?のは、だいたい十時前後、空が夕焼けよろしく黄ばむのは、正午前。そもそも太陽は南中しない。地平から頭を覗かせた状態から出てこない。高緯度地方だからと頭ではわかるんですけど、えっそんなに……?ってぐらい、昇らない。ほんと、頭を見せるだけ。張り見世でももうちょっと顔見えたんじゃない?

北欧諸国ではクリスマスはユール(jul)と呼ばれており、呼称の由来は古代ヨーロッパのゲルマン民族ヴァイキングの間で冬至に行われた祭りだそうなんですけど(Wikipedia日本語版調べ)、なんかこう、元々のユールというのは、Wikipedia日本語版を見る感じでは太陽の復活や再来を願う祭りらしくて、まぁ、そらそんな祭りもするわって感じで、暗い。

オスロの日は十五時にはだいたい沈んでいる。八時半ぐらいには明るくなるのでベルゲンよりはまだマシ……?(単純に気候の問題な気もする、ベルゲンは頻繁に雨が降るイギリスみたいな気候をしているので)ただオスロは市内一面スキー場かなって勢いで雪が積もっているので、ベルゲンよりも気温が低い!青空は見るけど、寒い!!南十条の駐車場で夜行バスを待っていた午前零時の京都盆地を思い出す感じで寒い。いや流石にこちらも装備を揃えているので、京都よりは寒くないんですけれども。どちらかというと、スッ転んで打った尻とか頭の方が痛い。私中肉中背なのでお陰で尻がクッションになって、後頭部のダメージを減らした感じがあるんですけど、それでも結構痛かった。助け起こしてくれる連れがいる訳でもなく、暫くマジで痛い、二つに割れたか!?という勢いのある尻を押さえたまま、オペラハウスの天井をずるずると滑り落ちる観光客ごっこをしました。推定観光客女性が手を貸して下さって事なきを得ました。起きてからなんとなく肘が痛いことに気が付いた。無意識に受け身を取ろうとしていたのだ。無意識に出た肘よりも尻の方が大幅に出てたのは間違いないんですけど、なんだか自分が愛おしくなりましたね。

行程としては以降海を渡ってデンマークに入るんですが、デンマークに入ると流石に明るい。午前八時には日が昇ってるし、十六時ぐらいまで夕焼け。こら人間も明るいわ!って思いますけど、ステイしている知人によると「普通に日の出前(午前七時)とかには活動開始してるから気が滅入る」だそうです。毎日夜明けを見る世界。暗闇に呑まれる暮らしの中で人々は自然と、番っていくのかもしれませんね。


2018年、めくるめく性の6時間です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

これからクリスマスシーズンに北欧(ノルウェーデンマーク)に旅行をした際参考にしたサイトや、自分のしていた服装等を、折角のクリスマスなのでワールドワイドウェブにメモをして、サイレントナイトを過ごしていこうと思います。この文字がワールドワイドウェブに公開される頃には皆様の性の6時間も佳境を迎えつつあるかもしれませんが、もし宜しければお付き合いください。

 

ベルゲン

以前の記事で紹介した通り世界遺産を擁するノルウェー第二の都市、観光のハイシーズンは夏、市内移動手段は徒歩です。

 

【装備】薄いニット帽/綿入りで膝丈の長い上着ヒートテック/ハイネック/ネックウォーマー/ユニクロ巻きスカート/ユニクロレギンスパンツ/シャカシャカズボン/タイツ/ユニクロヒートテック靴下/靴底のあるブーツ
気候としてはノルウェーの中では温暖、ただしよく雨が降ります。降られました。金沢みたいなものなんでしょうか。以降の装備欄では大体ユニクロの回しもの感が演出されていますが一銭も貰っていません、むしろ払っている。

実際わたしが現地に行く前まで服装にわりと悩んだので一応メモとして残してはみたんですけど、いくら高緯度といってもオーロラとかが恒常で出る程高い位置でもないので、不安だったらスキーウェアに類似した服装をしていけばほぼ間違いないと思います。スキー場みたいな首都もありますしね。

 

【クリスマスマーケットの位置】Festplassen
ベルゲン駅を出て目の前に駅前とは思えない細くてなんか暗い道があるんですが、これを左手に進むとショッピングモールがあり(ここを曲がったところにある駐車場の奥にトラムの「ベルゲンバスステーション」停留所があります。空港から来た時はバス停を降りて、NSBのビルがないなんか暗い方に、最寄りのショッピングモールに向かって歩くと駅前に出ます)、さらに道路を越えていくと私の宿泊したシティボックスベルゲンというホテルがあり、そこからさらに向こうに進むとなんかこう、ベルゲン大学方面に続く兎に角暗い道があり、一方で右手を見るとフロイエン山が暗闇の中で威圧的な稜線を露わにしているんですが(駅前を彷徨った時間帯が大概暗闇でロクなことを覚えていないことも明らか)、そういったそれらを全て振り切り、ベルゲン駅前の道を横切って真っ直ぐ歩いていくと(途中で曲がる道は間違いの道です、よくわからないエリアに連れていかれます)「小ルンゲゴース湖」という謎ネーム湖があり、この湖にクリスマスツリーが浮いています。それを横目に湖の周りを歩いていくと「Festplassen」のクリスマスマーケットに突入します。やったね!

湖の周りにはKODEもあります。ベルゲンカードを持て余しそうになった時の強い味方です。

 

Festplassenの中では雨の中周り続ける観覧車とメリーゴーランドをバックにそこそこの広さのプレハブと結構な広さの屋台が立ち並び、クリスマスマーケットをしていました。その他の場所のマーケットと比較するとお土産物というか日常使いの物が多く、ニット帽やアクセサリー、どこで使うかよくわからない器、クリスマスオーナメント、本等が販売されていました。あと保存食も多い。チーズとかサラミとかチョコレートを売ってる出店が複数あり試食が出来ます。おいしい。

ハンドメイドの物だけを販売しているプレハブ(そんなに出店がある訳ではなくわりとすきすき)もありました。恐らく降雨対策のプレハブの中に複数の店が出店している形式なので、プレハブに入ると暖かいのが最高。プレハブのそこかしこに麦の穂?が刺してあり洋顔の雀やハトがつついています。かわいい。

 

Festplassenを突っ切ったところにあるMusikkpaviljongenや大きな道は大体クリスマスの電飾によって照らされているので、歩いているだけでなんだかウキウキです。その一方で通らないといけない道に電飾がなく暗黒面に堕ちていることがあるので注意が必要。逆に以降で紹介するベルゲン以外の場所は、割とクリスマスイルミネーションさえ見失わなければ安定してホテルにも観光地にも行けます。クリスマスイルミネーション最高。

 

 

オスロ

ノルウェーの首都です。市内移動手段はトラムと地下鉄(Tという目印があります)、あと今回使いませんでしたが、オスロ駅から離れたところにあるバイキング船博物館や民俗博物館、ホロコースト博物館等のあるエリアにはバスで行けるそうです。フェリーもあるみたい……? なんかメトロの表示で見た気がする。

 

【装備】薄いニット帽/綿入りで膝丈の長い上着/フリース/ヒートテック/ハイネック/ネックウォーマー/ユニクロ巻きスカート/ユニクロレギンスパンツ/シャカシャカズボン/ヒートテックタイツ/ユニクロヒートテック靴下/靴底のあるブーツ
経験したことのない寒さっていうことはないんですけど、全行程の中で普通に最も寒い都市(ナットシェル行程中を除く)。一面がスキー場。滞在中は昼は概ね晴れ(熱が大空に逃げていき寒い)、夜にレミオロメンがサビを謳います。寒いとはいえ青空が見られるので、精神衛生上はなんだかベルゲンよりも良いんですけど……

あと、行程のこの辺りで、ノンアルコールドリンクの選択肢の中でフレッシュジュースがかなり幅を利かせていることに気付きます。日照時間がアレだからビタミンがないんだきっと。逆に紅茶とかコーヒーはそんなにないです。自分で淹れろということか。あとはエナジードリンクがやたらとあります。サンタクロースカラーユール期間限定!みたいなパッケージの、レッドブルのようなものとか、割と見ました。ノルディックな人々、どこで戦ってるんだろう。

 

【クリスマスマーケットの位置】カールヨハン通り沿い

カールヨハン通りというのがオスロ駅からノルウェー王宮までの道を繋いでいるんですが(メトロも道沿いに通っている、二~三駅くらい。わりと歩ける。)、その道沿いのアイススケートリンクだとかその辺に、クリスマスマーケットがありました。

ベルゲンとは違い屋外形式、首都だからか流石に電飾の数が違い、キラキラしています。後楽園にありそうな電飾で作ったドーム型の入り口とかもある。

ここは特に家族連れが多かった印象があり(アイススケートリンクがあるからか?)、リンゴ飴(だいたい45NKぐらい、およそ700円、日本でデフォルトとされるリンゴ飴の上になんかピンク色のフレークとかM&Mのチョコとかが乗ってたり、そもそものリンゴをチョコでコーティングしていたりするリンゴ飴があった)を記念に買おうと思い、ボロボロ英語で手直な現地人っぽい人に、ここが列の最後尾かどうか聞いたら、聞いちゃった相手がティーンだったみたいで、横に居た母らしき人が彼女の手を引いて去って行った。ごめん……。

グロックホットワイン)売り場が隔離されていたのもそれ故かなと思います。道沿いの公園?の中に、でかいログハウスを模した屋根付きの広場みたいなのがあって、アルコール入りのグロックはこの中のみの販売という形になっていました。グロックの店の前では喋るトナカイ人形が向き合って設置されていて、なんかめちゃめちゃ喋ってた。それ以外の出店の「グロック」は、どうやら何かクリームぶち込んだココア? みたいなものらしい。値段としてはリンゴ飴とそんなに変わらないです。

ベルゲンだとそれ以外に甘めの軽食としてワッフルを販売していたんですが、オスロではチュロスを売っていました。デンマークはだいたいチュロスか豆だった。

 

なおクリスマスマーケットがあったカールヨハン通り沿いの道を歩いていれば、大体の観光施設に行けます。通りの名前を見てカールヨハンじゃなくても、クリスマスの電飾が付いていてきらきら明るい道を歩いていれば、アシュケーフース城やノルウェー国立美術館など王宮周辺の博物館エリア、あとノーベル平和センター等のあるエリアにも行けます。ノーベル平和センターエリアまで歩いてしまえば、そこからヴィーゲラン公園にも、歩きで行けないことはないんじゃないかなと思いました(実際はトラムを使いましたが)。オスロ駅からの距離的にはムンク美術館もヴィーゲラン公園と大体同じような距離をしている感じなので、歩けなくはないのかもしれません。

兎に角、そんなに規模の大きな都市ではなかったので、そこまで歩くことに固執する必要も大して感じませんが、最悪の場合徒歩で回ることも可能かなとは思います。ところで第二次世界大戦中のレジスタンスの活動を展示しているノルウェー抵抗博物館に行く際、駅前からの地図も無ければ看板もなければ常駐している駅員もいない(北欧では大体の場所に改札がない。勝手にチケットを買って勝手に乗る。但し時々抜き打ちでvalid ticketを持っているかどうか確認され、この時に有効な乗車券を持っていなかった場合、重い罰金が課せられるシステム)のでたまたま駅に居た一般男性に道を聞いたんですが、「ここから600mだって、なんでここで降りたの? 遠いじゃん」と言われたので、多分観光客では無さそうな人の感覚としてはそんな感じです。まぁわかる。でも最寄り駅だよ。

なお、オスロで私はシティボックスオスロというオスロ駅近くのホテルに宿泊したのですが、このように駅周辺のホテルに宿泊している場合、カールヨハン通りに沿ってオスロ駅付近までだいたいの道はクリスマスの電飾できらきらしているので、安心して歩けます。いや、時々なんかよくわからない絶叫とか聞こえてくるので夜はメーデーメーデーって感じなんですけど、明るさの点ではバッチリ。オーナメントのきらきらを積雪が反射して、殊更に明るい印象!

 

カールヨハン通り沿い以外のクリスマスマーケットについては以下のサイト等を見ると色々面白いかもしれないです。私は帰国してからこういうサイトを見つけました。いや、知っててもそれはそれで周り切らなかったと思うんですけど、事前の下調べってほんと大事。

allabout.co.jp

 

カールヨハン通り沿いのクリスマスマーケットについての記事もありました。もう見た。

tokuhain.arukikata.co.jp

 

 

オールボー

ここからデンマークに入り日照時間に驚きます。朝(午前八時頃)が、明るい!!あと博物館が10時頃に開いたのが、16時まで開いてる、すごい!六時間もある!!

 

【装備】薄いニット帽/綿入りで膝丈の長い上着ヒートテック/ハイネック/(ネックウォーマー)/ユニクロ巻きスカート/ユニクロレギンスパンツ/シャカシャカズボン/タイツ/ユニクロヒートテック靴下/靴底のあるブーツ
現地女性によると「曇りか雨」「あと風」らしいんですが私が滞在している時は晴れていました。気温はオスロよりはマシ。地面が雪で覆われていない。素晴らしい場所です。まぁ風ビュービュー吹いてる運河なんだか海なんだか沿いの街なんで、寒いんですけど。

 

【クリスマスマーケットの位置】Nytorv沿いのなんかこう、教会の工事現場、みたいな……
だいたいの位置を案内して貰ったものの、結局あれがどこでなんだったのかがよくわからない。観覧車としてはどうなのっていう速度の観覧車があったから、恐らくは公園なのではないかと思うものの、グーグルマップで見返してみても、それらしい公園が見つからない上になんか、思い出す限りでは案内してくれた現地女性がクリスマスマーケット沿いに教会に向かって通り抜けしようとしていて、でも工事中で、それが出来ないから引き返したような記憶がある。工事中の教会というので調べてみたら、それっぽいものとして「Budolfi Church」があったが、それ以外にも駅に近づくにつれ工事している場所が多く、「年末はこんなもんよいつも工事しているわ」的なことを、女性が言っていたような気がする。つまりこの道沿い工事中教会の裏、Adelgade沿いの「Folkekirkens Hus」前広場が、クリスマスマーケットだった場所として一番それらしい気がしなくもないんだが、如何せん記憶がはっきりしない。オールボー中心部のNytorv沿いに歩いていれば、大きな都市ではないので概ね大丈夫だと思います。ここを押さえておけば、オールボー市街地のだいたい網羅できる気がする。まぁ他にも色々道はあるんですが、オールボーもきちんとクリスマスイルミネーションが町を照らしているので、クリスマスイルミネーションのある道を選んで歩けばばっちりです。

ここで旅行の生命線と言っても過言ではない暗闇を照らす一筋のきらめき・クリスマスイルミネーションの話なんですが、デンマークに入ってから突如赤いハートの主張が恐ろしく激しくなる。ノルウェーではなんか鈴とか星とか、全体的に白か青の雰囲気だったんですけど、デンマークに入るとイルミネーションは全部赤いハート。アンダーテールでケツイ決めたプレーヤーが最後手放したソウル、全部ここに集結してるみたい。ここが地下世界か? 

なおコペンハーゲンから小一時間で着くスウェーデンのマルメというところにも若干観光というか最早お前足跡つけてきただけだろって時間滞在したんですが、そこはなんか、ナイアガラ的なアレを期待しているのか、通りに面して特にこれといった形状のないストレイトな電飾がぶら下がってるだけで、もしかしてこのオーナメント、国柄……?を、若干感じなくもなかった。ストックホルムを見ていないので、スウェーデンを比較対象には出来ないし、どういう基準でオーナメントを選定しているのか知らないんですけど、少なくともデンマークコペンハーゲン(首都)もオールボー(地方都市)もどちらもクリスマス電飾の八割が赤いハートで共通なので、ここにはたぶん確固たる意志があると思います。ケツイ

 

 

なおオールボーは空港から市街地がバスで15分他の移動手段は車になります。

空港から市街地までバス移動の際は200番(夜行の場合は22N)のバスでNytorvか、2番、70番、71番のバスでVesterbroで降りると市街地に移動できます。

 

airmundo.com

 

運が悪いとここで
「英語表記がない(詰む)」
「何番のバス停に近づいているかの表示がない(STOPボタンで降車の意思表示をしなければバス停はガンガンスキップしていくし街はDing-Dong遠ざかっていく)」
「バスアナウンスがない(仮に読まれたところで私の知ってるアルファベットの発音とかけ離れ過ぎててわからないが)」
「STOPボタンが一箇所にしかない(これほんとに押していいの?非常停止ボタンじゃない?)」
「そもそも車窓から見える景色がにっちもさっちも闇(このバス市街地に向かってる?)」

以上の詰みのオンパレードが襲い掛かって闇に呑まれて死にます。

ただ観光客丸出しのスタイルで目につく人間で善良そうな顔をしていて耳にデカいヘッドフォンとかつけてない人に手あたり次第に話しかけていくと、わりと逃げずに救ってくれるのでデンマークってすげぇな(北欧で救いを求めると8:2の割合で人に逃げられるイメージがある)、これがヒュッゲのちからか。

※運が悪くなければ次のバス停を表示してくれるパネルがあり、手すりという手すりや座席という座席にSTOP意思表示ボタンのついているバスに乗れます。

 

オールボーのクリスマスマーケット内訳なんですが、えっと、普通に小規模です。広場にちょっとした屋台がバラバラと並ぶ感じで、近所の神社のちょっとした例大祭みたいな風情。玩具を販売している比較的大きなプレハブや、グロックを販売しているバンガローみたいなバーがあります。プラスチックで触るとぷにぷにしているカイロ(保冷剤としても使える)を売りつけてくる屋台もある。それと、ダッチチーズ・ダッチパン・ダッチ菓子の屋台が三つ並んでオランダ三連星を形成してて、なんだかおもしろかったことを覚えている。試食が出来ます。

あとクリスマスマーケット外なんですが、通り沿いのショッピングモールの前にも出店が出ていて、チュロスやなんか甘くておいしい豆を販売している。豆は試食が出来ました。割といろんな味があった覚えがあります。キャラメルとか、シナモンとか。

 

コペンハーゲン

ra927rita1.hatenablog.jp

 

デンマークの首都です。装備はだいたいオールボーと同じかそれよりも(歩き回ったから)若干薄着。市内交通手段で私が使ったのはメトロ。その他にバスがありました。調べれば他にもあるかもしれない。

前掲記事を見て頂いても分かるようにこれまでの場所とあまりに規模が違い途方に暮れるんですが、意外と徒歩でも回れる。コペンハーゲンカード(Copenhagen Card)で元が取れる気がしなかったので市内交通乗り放題カード(City Pass)を購入するも、コペンハーゲン中央駅の観光案内所で「どのバスに乗ればいい」と聞くと、「私を信じて!あなた歩いて行けるわ!(Believe me!  You can walk!)(原文ママ)」と言われる感じです。ビリーブって、英単語習ってからこんな例文みたいな使われ方したの、たぶん初めて。

 

etravel.ciao.jp

 

【クリスマスマーケットの場所】

taptrip.jp

 

私は上記のサイトを完全に参考にした上で、なぞるように歩いた。

途中まではクリスマスマーケット以外を観光していたので、ストロイエを通らずにこう、コペンハーゲン駅から出て右折、チボリ公園を回り込んでまっすぐ進むとあるデンマーク国立博物館とか、そこから直進したらなんかあったクリスチャンスボー城の塔を登ってみたりしたんですけど、クリスチャンスボーを出たところで暫くクリスマスイルミネーションに従って歩いていたら、ちょうどページに掲載されていたホイブロ広場のクリスマスマーケットとかち合ったので、そこから

ノアポート駅まで徒歩(コペンハーゲンを徒歩で彷徨っていると丁度駅前や曲がり角など欲しい所に駅や観光地の大体の方向を教えてくれる看板があります。最高)

クリスチャニアのクリスマスマーケット

→ニューハウンのクリスマスマーケット

→ノアポート駅に戻って徒歩でホイブロ広場まで戻る

→ニュートウのクリスマスマーケット

チボリ公園のクリスマスマーケット

という順番で歩き回った結果、わかったことは一日中石畳の上を歩いていると足が千切れるので辞めた方がいいということです。日が沈んでからイルミ強行軍するんじゃなくて、昼の内から友達と一緒にとかご家族でとかそれこそ恋人なんかと一緒にゆったり歩いてカフェに入ったりするもんだなアレ。楽しくズンズン歩いてた。ほんとわたし、そろそろ覚えてほしい。石畳の上で調子こくと、足がやばくなります。

それで本題のクリスマスマーケットの内訳なんですが、クリスチャニアは置くとして、ニューハウンのクリスマスマーケットでは「セックス前に鳴らす合図用ベル」を土産物屋で発見、チボリ公園あたりではグロックで内臓を温めながらアホみたいに降り注いでくるキラッキラの電飾に胃を痛めここは外から見るだけでよかったんじゃないかと心を痛めているところで、カップルのキス写真撮影を依頼される怒涛の展開withキラキラハートハートイルミネーションでこれだけ書くとお前、ひたすらコペンハーゲンでトラウマ作っただけじゃん。それにコペンハーゲンでお前が得た経験が特殊なのであって、通常のクリスマスマーケットはそんな楽しみ方じゃねぇんじゃねぇのと言われると思うんですが、そうじゃないんです、番う人々みたもん、嘘じゃないもん。

クリスマスマーケットに限らず、道行く人間は自然と寄り添い番っていて、ベルゲンやオールボーといった地方都市のショッピングモール(暖房が効いている)のベンチで進退窮まりボーっと座っていたりすると、男女二人ずつのティーンがカップル同士かな?グループで歩いているのが、なんか一人の女子が男子のフードを掴んでいたり。あとそこかしこで挨拶か知らないけどチュッチュしてる。男女三人グループの内の男女が、互いにお別れの挨拶か知らんけどチュッってした後に、女性がフンってそっぽを向くみたいなことをしてて、それをキッスで別れの挨拶してない同じグループらしい男が茶化しているみたいな高等芸能を、コペンハーゲンの街角で見た。オスロでノーベル平和センターで半ケツ晒した帰り道、最中若者男女混交のグループからタックルを喰らい「ウンシール!」って、タックルかましてきたきらびやかな女性に言われた。ウンシール、ノルウェー語でExcuse Me!くらいの意味だそうです。なおバシッと良いタックルが決まったのはこの一回だけなんですが、基本的に旅行中の彼我の間には高い身長差の壁があるので、割とぶつかりますし、前は見えません。

 

ここまでつれづれなるままに着地点も見定めずフンフンと文章打ち込んでてふと思ったんですけど、クリスマスイルミネーションに照らされた道を行く周囲の人間の様子がここまで記憶に残っているのは、たぶん私が今回単身だったからだと思うんですね。

でもね、110DK(1DK=17円で換算してだいたい1870円ぐらい)支払って入園したチボリ公園は、これ私の眼鏡が曇ってんじゃねぇのっていうぐらいエフェクト掛かったらキラキラを素で放ちながら、本当のヒュッゲを教えてくれるんです。心許せる相手と空間を共有すること、それこそが、人間の本質的な幸せなのではないかと。ほらご覧、周囲の人間の幸せそうなさま。

チボリ公園だけに留まる話ではなく、ナットシェル(フィヨルド観光ツアー)で道行を同じくした中国人グループ、友達同士雪に塗れて凄い明るく笑ってたじゃないですか。ほんと、冗談じゃないのってぐらいキラキラ。

チボリ公園のそこら中にハートハートハートダンネブロ~~~~~オラオラッって感じのイルミネーション&ライトアップに照らされる人々も、これと定めたかどうかは知らないけれども自分の連れ合いと微笑み合って、ほんと、夢の国なんじゃないかなここ、みたいな、キラキラを放ちながら。

 

 


粉雪 - レミオロメン(フル)