メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

東南アジアって「初めての海外!」「安くてオススメ」みたいなお手軽イメージが付きまといますけど実際距離が若干近くて時差があんまり大きく無いだけの異世界転移だからな(自戒)

 

www.tobu-dept.jp

 

池袋東武の催事場でやってるイベントに行ったんですが、そこで頂いたホットチョコレートが凄くて、私、勝手にバンホーテンココアの濃い奴を想像して、なんかこう甘いんじゃろと思ってたら、確かに甘いんですけどそれ以上にこう、カカオ!!!!!の激しい自己主張が舌を蹂躙し喉に突撃してくる。カカオじゃない、カカオ!!!!!。

そういえばコンキスタドールの皆様方に蹂躙される以前のインカ帝国とかなんかその辺の中南米の文明の皆様方って、カカオとかその辺を興奮剤にしてお祭りだったか政だったかなさってたなぁみたいな朧げな知識とも記憶ともつかないそれが、カカオ!!!!!の摂取と共に無理やりこじ開けられる感じで広がる血管に血が流れていく感覚と共に、意識の上に浮上する。

このホットチョコレート、事前の紹介では「新感覚!とろみのあるチョコレートムース~」なんですけど、チョコムースというか、体験に基づく主観としては、肥沃な大地を思わせる感じの泥、天地開闢以前の世界を満たす泥濘、押し込めど押しこめど、全然食道に流れて行かない。飲むタイプのケイオスタイド、いや、実際の接触というか摂取による効果としてはHP3000減少というより、攻撃力バスター向上タイプの強制バフというか、より正確に表現するとエンチャントファイアなんですけど。

これもひとえに私の見聞の狭さ、チョコレートといったらこう、文明的に砂糖マシマシされたチョコレート❤といった貧困イメージしか持たなかった私が悪いんですけど、ちょっとした日常生活の延長にある催事場で、まさか強制炎属性付与を受けるとは思わなかった。

同行者は別店舗のホットチョコレートを頂いていたんですが、彼女にもエンチャントファイアが掛かっていたのでほんと、あの空間っていうか、最近のカカオ志向のチョコレートすごいね? ほんとに合法なの? エンチャントファイアされたついでに我々一向は着込んでいた上着も脱ぎだし、尚沸き立つ血潮を何とかしてもらおうと献血ルームに直行する話も出たんですが、そのよくわからない話の延長で愚かなことに旅程を組んでしまった。

何?そのよくわからないテンション。事前の下調べがゴミだった為に珍妙な体験に陥った前回の反省を書き留め切っていない段階で、何故そのような暴挙に? おかしい、反省して。

 

しかし泣いても喚いてもキャンセル不可なので我々来るときの為に対策する必要があるんですけど、残り一週間足らず。エクスペディアの当該ページも「出発まであと●日」って、太字で急かして来てる。そう急かすな。まず服装からだ。

当方同時期のカンボジアに滞在した経験はあるんですが、記憶によるとあの時期のカンボジアはクソアツ気温、UVで視界が何か青っぽいし、太陽の殺意が高い。2018年の日本、6月とか7月とかその辺みたいな湿度が無いので、あの気候を生き抜いた記憶から鑑みるにいわゆる乾季のインドシナ半島さんはまだ気候としてはマシ、旅行だし、開放的に、カラッ!っていう感じではあるんですけど、湿気はなくとも単純に太陽光がクソ強いので、日陰に入った途端疲弊を思い出して膝から頽れる感じ。それらを思い出しながらベトナム南部の気候をウェブページで確認してみても、何だかアツアツだっていうことはわかるので、ヨシ、方針は定まった。帽子をかぶろう。

www.arukikata.co.jp

 

ところでそういえば、滞在するホーチミン市内の移動手段とか市内の治安情報とか市内の詳細な観光情報とか調べる前に、ベトコンの穴あるの、どっち!? ホーチミンだって!じゃあそっちで!みたいな アホのする旅程の立て方をしたのはまだしも、輝ける闇~~~~~なんつって、払い込みを済ませるな。

しかしそれにしても不幸中の幸いというか不慮中のラッキーというか、ホテルはなんかいい感じのタイムセールを「なんかいい感じじゃん」でとっていたので、なんか良い感じだと思います。いや、場所的に、なんか……? 調べたところによるとホーチミンサイゴン川以南は低所得者層が多く危険地帯なんですよね? みたいなお気持ちになるところではあるんですけど、まぁまぁまぁ、いやしかしグーグルマップ見ても、ぶっちゃけ市内の感覚がほぼつかめない。これまでも掴めたことはあんまりないんですけど、ほんと、これで出国して大丈夫なのか? これまでも無事帰ってきてる辺り、テクノロジーグローバル化ってほんと凄いなって思うことしきりなんですけれども。

 

vietcam-oh.com

 

取り敢えず気候は掴めたし紫外線対策虫対策すりゃなんとかなるっしょと気持ちを掴んできたところで以上のサイトを見つけ膝から崩れ落ちる。予防接種、必要だよな、大事。

同行者と妙なテンションで旅程を話し合っている最中、他にオーストリアとかトルコとか候補に挙がってたんですけど、「やっぱちょっといきなり思い立つには遠いし、そんな長いこと滞在してられる訳でもないし」という事由でアジア圏に落ち着き、「しかしアジアは社会の歯車と化した後も(日数的に)行けるのでは……」「物価の高いヨーロッパこそ、日常的な収入が入ってからの方が楽しめるのでは」とか後ろ向きな論を交わした訳ですが、オメー、予防接種は一週間前に思い立って即受けられるものなのか?え? そういえばカンボジア行った時はその年の夏に行くことを決めて春に渡航したまっとうな記憶があるので、冬にかけて嫌々日本脳炎とか予防接種を受けたような記憶もある。「旅行者はできるだけ多く打っておくのがおすすめです。」ってほんとごもっともなんですけど、えっ、どうなるんだろこれ、肝を痛めて死ぬ未来が見える、見えるぞ……

物理的には言ってしまえばほぼ地球の裏なのでそら当然時間の制約とかありますけど、衛生面とかの気軽さではヨーロッパに10000000軍配があがる。何が「やっぱちょっと思い立つには遠い」だよ、どこだって遠いだろアホ、気軽に思い立ってフンフン鼻歌歌いながら行ってもそんな問題なさそうなのはほんと、台湾香港辺りが限界なんじゃないかと改めて思い知る。いやこれはこれで、偏見だし誤認だと思います。

 

それにしても戸籍謄本、会話帳辺りはなんとかできるにしても、保険はまぁ確定で入るにしても……予防注射……あっ、あとなんか色々なサイトでWi-Fiはもってけって出るんですけど、サイトによってはベトナムは東南アジアで一番Wi-Fiが普及している!カフェに駆け込め!って書いてあって、今回も「借りた方がいいのかな……」と怯えながらもなんだかんだWi-Fi、結局借りない気がする。

毎回非常時の為に現地携帯は借りるんですけど、Wi-Fiは観光案内所とか諸々でフリーのWi-Fi拾って凌いでいる。借りたところで、どうせ外でゆっくりスマホなんて持ち歩いたら500%スられるだろうし。

(しかし香港でホテルが持ち歩きのWi-Fiを貸し出してくれた時は、マジでWi-Fiのある行程をエンジョイしていた。香港の地下鉄でタイムラインを見ていると、なんだか顔ぶれも変わらないし、自分の「日常」を感覚としてむざむざ得てしまい、次の降車駅をアナウンスする広東語の異世界感にちょっと眩暈がした)

 

ちなみに、海外旅行時に現地利用の携帯電話を借りるときは、以下の海外携帯レンタル比較ナビのページからその時の気分で選んでいます。

www.mobistar.jp

 

あと以前見つけて便利だったのが以下のページで紹介されているオフラインで使うグーグルマップ機能。これ超便利だった。
オフライン状態で「現在地」からのルート検索が使用可能になる条件がいまいちよくわからず、前回は「一度Wi-Fiのあるところに入って現在地にアクセス出来たら、Wi-Fiスポットから離れても継続してナビが続けられた」みたいなことが発生して若干ヒヤヒヤもしたんですけど、特段目が飛び出るみたいな支払いも発生していないので多分一度Wi-Fi環境で現在地にアクセスして、そこからカメラアプリ起動したりせずに地図を表示し続ければ問題なく使えるんじゃないかと推測している。

rocketnews24.com


この辺りまで調べるとだいたいの気候(クソアツ)、服装(帽子必須 虫刺され対策の薄手の長袖が必要だけど基本半袖)、装備(虫刺され、日焼け止め)そして成すべきこと、危険地帯(チョロン、7区8区、市内南側、サイゴン川沿い)等を理解してくる。

あと国内通貨としてはこれも事実上米ドルだけど米ドルじゃないみたいな、カンボジアと類似の事態が発生していることも理解した。政府がドンの使用を推進してるらしいです。カンボジアではリエルが推進されているかどうかわからないんですけど、意外と使えなくてどっかで両替した記憶がある。どこで両替したんだ……?アレッ、でもプノンペンのスーパーで使えたよな……?お釣りが全額リエルで戻って来たんだっけか……(記憶)
※危険地帯については以下のページを参照した。

https://www.tour.ne.jp/w_review/SGN/danger/

旅行者必見!ベトナム危機管理 | ベトナム基本情報

 

まぁだいたいこれでなんとか生きてはいけるだろう。全くの無知で舞い降りるよりは全然いけるいける。ホテルがほんとサイゴン川に面してない? リバービュー? みたいなお気持ちにはなってるんですけど、キャンセルできないしな、観念してリバービューしよ。

 

その他調べたところによると、ホーチミンシティ市内の移動手段はだいたいプノンペンとかシェムリアップとかと同じで、地下鉄とかいうサービスはないし、バスの乗車は観光客には厳しいらしい。

しかしホーチミンの場合、観光する分の移動には徒歩でもまぁ無理ではない(観光地が集中している1区内は割と歩ける)らしい。ヨッシャ!じゃあ歩こう! そのノリで前プノンペンのホテルから王宮まで歩いたら、文字通り太陽に焼かれて体力ゴッソリ持ってかれちゃったけど、ま、そこは疲れたらその辺のカフェで灼熱から逃げよう。だって今回の行先は、プノンペン国際空港に行く途中に立ち寄り、実に文明的な街並みや空港の清潔さ、そしてその穏やかな雰囲気に魅せられトランジットの最中、同行者と口々に「ここで降りたい」「ここで観光したい」「土埃の舞うカンボジアに行きたくない」と言わしめたあのホーチミンなんですもの。いけるいける(強気)


ちなみに徒歩以外の移動手段としては、あの話題のシクロとかタクシーとかあるらしいんですけど、いや、出来る限り交渉(戦い)は避けたい。私平和主義というかことなかれ主義なので、ほんと、交渉はしたくない。決められた適正価格でやりとりしたいよな。

まぁどうしても徒歩は無理なケースはあって、それが空港から市内までの移動なんですけど、最初行先をホーチミンに決めた時に、ここは調べていた。どうやらバスがあるらしい。

asia-traveling-alone.com

 

ホテルの場所を改めて確認したところ、おそらく49番路線バスに乗れば、ゴルフでいうグリーンに載った感じになるでしょう。

 

オッケーオッケー

 

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Routes


……49番路線バス、無くない?

死?????? いや、乗ればいいんですけど、タクシーにね?闘いの始まりである。

 

vietcam-oh.com

vietcam-oh.com

vietcam-oh.com

この辺りからどうにも一つの良さげな情報サイトからの参照が増えて来て、検索するにも疲弊してきたなという感が見受けられるのですが、バスは勿論、タクシーの運転手も英語は使えないらしい。何となくその辺の、バスは兎も角として、タクシーのあんちゃん、多くの旅客観光客を相手にするマンたちって、満を持して英語を操って来るイメージあるんですけど、どうなんでしょう。

まぁいずれ戦うやもしれぬ相手ですし、多少理解できるに越したことはないし、ベトナム語の簡単なご挨拶のページもこのサイトで紹介されていたし、ちょうどいい感じにリンクされていたので、見てみるだけ見てみることにした。

 

vietcam-oh.com

 

えっと、ベトナム語さん。これまで私ディエンビエンフーという漫画で、なんとなく見知って、ほ~んほん、こんなんねって、勝手に親近感すら持ってたんですけど、声調が1~6まで存在する声調言語ということは初耳でした。

声調が1~4の中国語で「多少銭(ドーシャオチェン)」が通じなかった伝説の舌を持つ私なんですけど、そういえば広東語さんもそんな感じだったな。声調って、南下すると増えるの? 知らんけど。こわ……無理……尻の毛まで毟られる……

 

 

 

冬真っ盛りにナットシェルを利用してノルウェーのフィヨルドを見に行った①(Bergen→Voss)

紀行(きこう)は、旅行の行程をたどるように、体験した内容を記した文。紀行文・旅行記・道中記ともいう。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』日本語版「紀行」最終確認2019年1月30日)

 

このブログ、自己アイデンティティとしては旅行記録、情報提供といった性質を持たせたつもりだったんですが、改めて見返すと情報提供というにはあまりに雑音(同人暗黒日記色)が強いし、かといって日記というには、何か要らん回顧してよくわからん情報を撒き散らすし、何だ? 文字数多いツイッターか? 

といったところなので、メールの下書きに残っていた紀行文的な体裁の強い文章を手直しして、ブログ全体の体裁を整えたい。いや、余計になんかよくわからないことになるんじゃないかというのは、薄々察してはいるんですけど。

 


渡航

往年羽振りの良かった親族が客船旅行に行った際、立ち寄ったノルウェーフィヨルドの美しさに感動した旨をしきりに語っており、私自身フィヨルドの景観に対する関心はあった。

調べてみたところなんか、フィヨルドっていっぱいあるらしいね? あの身内がどのフィヨルドを見たのかは知らないが、話を聞いた所によると複数諸国周遊のクルーズ旅行の為、恐らく海に面していて、そんなに入り組んだ所にはいかなかったのではないかと思う。オスロフィヨルドとか。でも自分自身、フィヨルドクルーズへの参加を決める前から存在を知っていたのは「ソグネフィヨルド」ぐらいだし、多分そこなんじゃないかな、知らんけど。

 

怖いことに以上のテンションでフィヨルド行きを決める(伏線1)。

 

多分、正気じゃなかった。そういえば発表直後だったなアレ。

なので、この時点でこの親族はヨーロッパクルーズをしている時点で恐らくにそこに行ったのだとか、フィヨルドがどういった所なのかだとか、そういったことはこの時点で一切調べていない。怖。何この無計画。キイロタマホコリカビだってもうちょっと慎重にルート作るって。

 

以下のウェブサイトより知見を得る

dent-sweden.com

 

dent-sweden.com

 

なんでもナットシェルで予約をすれば、ベルゲン→オスロ鉄道移動のついでにフィヨルドを見られるらしい。

なお、冬場は日没が早いので、オスロ→ベルゲンにするとこう、フィヨルドを見るどころではなく暗闇に包まれるらしい。この情報を元に、移動ルートをベルゲン→オスロデンマークに確定する。

 

www.norwaynutshell.com

 

日本語代行サイト等も見つけたが、どこに頼んだところで値段は大して変わらないらしいので、公式サイトより自力で申し込む。

今思えばここが伏線2なんですが、わたし、必要に迫られて英語を読むことへの抵抗が薄れただけであって、基本的に英語が「得意」で「スラスラ読める」ではない。受験時は偏差値四割からのスタート、未だに、他動詞と自動詞の違いとかあんまりわかってない。ニュアンスさえ把握できればいいという、投げやりな気持ち一つで生きている。あと、必要に迫られれば、まぁ何とか出来るだろうという楽観的な期待。

ついでにこれはたぶん性格の問題ですが、面倒になると文章を結構読み飛ばして「ま、重要じゃなさそうだな」と雑な判断をすることも多い。ただでさえ事前にプレゼンが度重なることが前もってわかっていたのに、どうしてせめて趣味シーンでの負担を減らそうとしなかったのか。

まぁ、当時はそういう自省が全く無く最早走り出したダンプカーのような勢いがある。もう勢いだけで走っている感じで、申し込みを終える。

この時点でベルゲンとオスロの位置関係や、フィヨルドの場所、見に行くフィヨルドの名前も調べず、自由意志に委ねられ過ぎた人生の夏休みが明け、自転車操業式に発表を繰り返すゼミや日常の些事、本業に身体を占められている内に「そういえばあれから、ナットシェルから来る筈と言われているチケット確定メールが来ていないな?」と思い出し一週間過ぎたあたりで、申し込み時点でナットシェルから送られてきた「確認メール」に記載された連絡先に宛てて日本時刻で非常識な時間にメールを送ると、丁度向こうの始業時刻と噛み合ったらしく、十分ぐらいで返事が来た。

 

「送った筈だけど届いてない? 迷惑メールフォルダとか見た? まぁ念のためもう一回送っとくわ(意訳)(下線は筆者による強調)」

 

迷惑メールフォルダに入っていた。問い合わせる前に自分で確認しろよお前(わたし)、自分の確認不足で人様の仕事を増やすな。クソか? 

 

それにしても、まぁ、折角送ってもらったので、送ってもらった方のメールを参照する。日付、間違いない。名前、間違いない。発着地、間違いない。強いて言えばメールの前文になんか、「Please note」って書いてある以下の部分がよくわかんないけど、文中に「follow hotel」とか書いてあるし、希望者向けのオプショナルサービスへのご案内やろな。希望せんかったらええやろ(伏線3)。

伏線3っていうか 伏線2の延長っていうか 伏線2を回収した先が3っていうか。

 

まぁあんまり考えないまま、脳味噌モッツァレラチーズの時は進んでいく。

スケジュールも馬鹿が組んでいるので渡航直前に三つ発表が重なる。クソか?

ガイドブックも大して読み込まず、逃げるように渡航

 


【12月某日、ベルゲン滞在二日目】

前日ベルゲン入りして暗闇に呑まれかけメンタルが瀕死の重傷を負ったり、オイルサーディン的な、一尾ずつ入っているのを期待して缶詰買ったら、意外に鯖の味噌煮系の缶詰(???のトマト煮)が入っていて、箸やスプーンの手持ちなど無く、よくかんがえればこの時点で一階の共用キッチンを見に行けばよかったんですけど、部屋を出る気力が残っていなかったので、ちょうど手持ちの左手で缶をほじって食べたりしていたが、折角旅行先なので八時頃に起きて動き始めようと計画するが、何せ高緯度。九時頃まで日が昇らない。

仕方ないので九時頃に外出(それにしたって目的地の博物館とか何とか、全部11時開館なんですけれども)。駅のNSBチケットオフィスにて、プリントアウトしてきたメール文面と引き換えに、ナットシェル周遊券(鉄道・バス・フェリーフルセットのチケット綴り)を入手。この周遊券に印字されている内容も、出発地と目的地のみの確認に留めていた(伏線4)。

 

【ベルゲン滞在三日目→オスロ滞在一日目】

《8:15》

ナットシェル当日である。

最早故郷と言っても過言ではない(過言だ)古巣こと宿を後にする。
この時滞在していたのはシティボックス ベルゲンという宿なんですけど、ここ、最高でした。屋根があるし、お湯が出る。浴室には床暖房があります。リーズナブルに泊れて個室があるのは本当に最高。諸々の経費削減の為ケトルとかテレビとか電子レンジは一階の共用部のみ、冷蔵庫を使いたい人間はそこに記名して冷蔵庫に入れろという仕組みなんですけど、学生寮と比較して全然綺麗なので最高です。冷蔵庫の治安は確認してないんですけど、まぁ学生寮よりはマシなんじゃないかな、知らないけど。私は滞在が12月だったのと、部屋の暖房の効きが普通に悪かったので、冷蔵庫は使いませんでした。場所柄気密性は高いので外と比べると全然マシなんですけど、部屋がいい感じに冷えてた。何より綺麗ですし、住みよいホテルでした。以降の旅程でも、定期的にここに帰りたくなる。

 

それはさておき

ホテルをチェックアウトして、まだ夜明けの来ない中一路駅へ向かう。シティボックスベルゲンからベルゲン駅はだいたい五分足らずの一本道なので、一度覚えてしまえば楽です。強いて言えば、煉瓦造りの駅がなんか周りの建物と馴染んでしまって、入り口の木製のドアなんかが閉じてたりすると、わりと普通に通り過ぎたりする。

この辺りで「えっ、私このトランクゴロゴロ転がしながらフィヨルド見るの?」みたいな、自分の選択の浅はかさを思ったりしてるんですけど、ベルゲン→オスロとか、オスロ→ベルゲンで移動する民は、みんな大なり小なりトランクゴロゴロするもんなんじゃないかな……道行を共にした人々も、みんなトランクゴロゴロしてたし……

 

《8:30》

出発時間は43分なので、まだ時間がある。朝食は食べたが室温でいい感じに冷えたパン(二つで15NKぐらい)と、昨日の内に購入した紅茶系ソフトドリンクのペットボトルに水道水を入れたものだった。これでは熱量が足りない為、駅の売店でホットドックを買う。

ここの店頭に置かれているケチャップのメーカー名が「イドゥン」で、かつて拝読した某ジャンル同人誌のタイトルを思い出す。イドゥンのケチャップは空だった。こちらも死に体のハインツのケチャップと、なんか水っぽいハインツのマスタードを掛けてから、席に戻る。

 

《8:43》

列車が動き始める。事前情報によるとここの景色も結構乙なものらしいが、まだ日が大して出ていない(日本の感覚だと冬の朝五時半ぐらいの明るさ)ので、外の景色も大して見えない。むしろ列車内の方がなんか明るいので、アホ面でホットドックを齧る観光客の顔が見える。この辺りで車内の温度に耐えかね、かぶっていたニット帽と上着、その中に着ていたフリースを脱ぐ。マトリョーシカか?

車内にはアジア人が四人居た。内一人が私、二人が通路を挟んではす向かいに座る二人連れの女性、一人が通路を挟んで隣に座るアジア人女性。私を除くと皆中国人であるようだった。通路を挟んで隣に座るアジア人女性とは何度か目が合ったが、話しかける理由がない為、話しかけなかった。NSB鉄道内無料Wi-Fiにアクセスを試みるも、トンネルの多さ故かすぐにアクセスが弾かれる。諦めてぼんやりと車窓に映る自分の影と、そこから垣間見える片鱗からもなんかこう壮大なことを推し量れる、ノルウェイの森の景色を眺める。

 

《9:56》

トンネルを抜けると雪国であった。Voss着。

ここで利用しているのはノルウェー国鉄(NSB)なんですが、車内アナウンスは基本ノルウェー語のみ。なので、地名を読まれてもスペルから想像できる発音をおよそしていない、正しく降りられるか、しかしスペルがVossなんだから、良くも悪くもフォスかヴォスあたりでまぁ聞き取れるんじゃないか、だいじょうぶかこれほんとに、等と戦々恐々としていたが、ナットシェル利用客が多いからか、Vossに近づく時だけは、「お前らが降りるのはここだぞ」というアナウンスを英語で二度繰り返した。


Vossの駅は、随分と雪が積もっていた。駅舎内に土産物屋やトロールなんかが居たが、次のバスの集合時間が10時10分の為、外から見るだけに留めた。

事前に読んだ旅行ブログの紀行文によると、オスロ→ベルゲンの場合はここが自由行動の場になるらしくて、というか、Voss、なんか旅行サイトにも掲載があるし結構フィヨルドの入り口として栄えているらしくて、何より、戦前の姿を留める石造りのヴォス教会とやらがあるらしいんですけど、わたしは日の丸仕込み集団行動のプロなので、大人しく観光客の集団に従い、トランクを引き摺りながら、駅から工事現場の迂回路を通りつつ、集合場所の駐車場へ移動。夜が明けたはいいものの、ここで粉雪が降り始める。

 

駐車場に移動すると、中には複数台バスがあったが、今にも出発しそうな感じでスタンバイをしているのは二台。フロントガラスに夜行バスの行先表示みたいな感じで「ナットシェル」と書いた紙が貼ってあるので、その内の手前の一台に荷物を預けてバスに乗る。バス内が暖かく、眼鏡が曇る。

これまで何となく同じ列車の車両に乗っていた中国人二人連れの後をついていき、彼女らの後ろの座席に座ったが、暫くして乗り込んできた同じ車両にいた一人参加の中国人が、少しきょろきょろしてから隣に乗り込んできた。

中国人、どこにでもいて旅行情緒がないみたいな話はなんかよく聞くんですけど、ここまで平たい顔がマイノリティだとなんかこう、お互いに何となく目配せをして顔の平たさを確認し合うみたいな非言語交流が生まれる(私が一方的に見ていた説は大いにある)。程なくしてバスが発車した。


(つづく)

人の間


同じ娯楽作品を見て、同じキャラクター同士の関係性或いは組み合わせに惹かれ、人間関係という小宇宙にまつわる二次創作を手に取ったり手掛けたりするわけですけど、何故こうも何もかもが異なるのか? ということを、もっぱら考えていました、今日一日。

いや、最新の弊同人誌をゲームブック的マルチエンディング方式にしたんですが、頒布11月で、年も明けましてそろそろ何かしらあるかなと思って、「気に入ったエンディングどれですか」的な雑なツイッター投票しましたら、「未読」欄も含めて総得票数ゼロ票(ヒューッ!“““ホンモノ”””のムラハチは一味違うぜ……!)だったことを受けての反省文というか怪文書なんですが。

自解釈が界隈のメインカルチャーではないことはもうこの際、いい。

自認識においてはあれ以外の可能性はないだろむしろ何で誰もここにいかないのか? 先行研究の蓄積が厚過ぎるタイプかな、その先行研究出典を示してくれ読むから、読むからってところなんですが、とにかくそれは、いい。

多様な解釈の在り様があるのも、もうこのさい、いい。忸怩たるところはありますが、それはそれでいいとしましょう。

訳が分からないのは、解釈の多様さがない中で、ひたすら自分の「異質」が際立つことなんですよ。せめてもうちょっと、こっち寄りの何かがあってもいいだろ。なんでここまでガラパゴス? 

こよりは主観なので、私が出典を示しいかに自分の思う正当性を主張したところで、偏見を完全に排したとはとてもいいがたいインターネットリソースの浪費なんですけど、その私の主観からするとえっマジで原作読んでる? みたいな、珍妙な一次創作に見えるものを愛好し、それに影響を受けた二次創作を再生産(reproduction)し、ミーム汚染的なそれを広めていく人間の数の方が、余程多いのは何故なのか? 創作者の人柄ゆえ? えっ、ところでその、まことに原作読んでる? マジで? まぁ弊では原作にも喧嘩売ってるんですけどね。マジで一年目のスタンスとか展開とか、覚えてる? えっ、マジで?

 自力でどう考えてみても私の主張に10000分あるんですけど、なんか、主観的に見ても超絶異端。

一通り現状研究の最先端的なpixivの検索結果とか、Twitterの検索結果とか、時々追ってますけど、びっくりするほど異端。アルビジョア十字軍来ちゃう。えっ、どうした? みたいな。

わたしとて出典と展開の方法を説明する準備は出来ているので、何時でも凸してくれて構わないんですけど、目下の状況としては良い方で腫れもの、悪くてステルスなんじゃないかなと思います。単純に界隈にブロミュされ切ったために見えていない。まぁ、大抵のSNSアカウントなんてあってないようなものですけれども。

 ここで界隈についての詳細な説明は意図的に省いているので、ここで私が記憶喪失になったら何を意図しているのかわからない意味不明な怪文書爆誕する訳ですが、以前から私が異端だったわけじゃない。むしろ、数年前のメイン解釈としてはこちらに分があったと認識している。多分、私が何かしらの活動を始めたのはその、メインストリームと、当時も存在していた謎一次創作の量が逆転した、丁度そのあたりだったのかもしれない。

全く周囲との連関性がない二次創作を続けていると、自分の頭がおかしくなったのかという恐怖に捕らわれることがある。昨日まで理解できる文脈の生産をしていた新規アカウントのツイートが、訳の分からない理屈に汚染され、どこかで見たようなパターンの謎一次創作を繰り出して来るようになる。隣近所の人々が次々とゾンビへと変貌していく。昨日まで正しいと信じていた世界が綻んでいく。ああ、窓に!窓に!! 私の頭がおかしいというのか!? 

残念ながら人間は社会的な動物なので、大勢に認められない真理がいかに正しかろうと、その正しさを認められないことは往々にあるんじゃないかなと思います。それでも地球は回っている!

 

一点、唯一私の何が悪いって、一重に人間の認識に働きかけようとする姿勢だったんじゃないでしょうか(虚空に向かって)。

まぁそういう本編から乖離した認識汚染を簡単にしちゃうのが絵描きの絵であり、秀逸なツイートであり、てか、ぶっちゃけ、世の中のフジョシのどれだけがpixivで二次創作の小説を読みますか。通りの良い言い方をすれば斜陽ジャンルに居残っていると言われるようなフジョシのどれだけが、自作でもない小説本の読み返しなんかするんでしょうか。私はしますけど、世の中の識字率、多分思っているより低い。私は何なんでしょうか。私の頭がおかしいっていうのか(二度目)。

ところで今回の弊同人誌で何がこんなに反省文を産むのかって、様々な幸運が重なり絵師の方に表紙をお願いすることが出来たので(イエイピースピース)、これまでになく前評判というか、サンプルの評価数とかが多かったのに起因していると思う。刷った分全部捌けましたし、かといって人間、買った本を必ずしも読む訳ではないし、私の主観では自解釈百理あるんですけど、他人からするとそうではない(むしろ私の解釈、現行把握している限りではちょっとどうかしているぐらいテンションが異なっている上、書き手のものがソーシャルのSの字も無い)ので、結果として「人間に作用したか」「界隈解釈を変える程のものか」「自解釈寄りの再生産はあるか」という点に絞って考えると、最新同人誌を含めあらゆるものが無価値だったのだろう! 

ここで今日の豆知識、「自解釈を布教する為に本で殴れ」とか、定期的にツイートで回ってきますけど、自分の本が救えるのは概ね未来の自分だけです。私は基本的に紙媒体よりインターネット媒体の方が馴染むタイプなので、早くサイトに収録したい。どの道読まないだろ!もういいだろ!何もかも!私が好きに読めるような環境にさせてくれよ!あれは最高の奴なんだからよ!!

ここまできまして、フジョシのノロケツイートに対して「〇〇さんカップルみてるとなんだかほっこりしちゃいます~~~~(〃▽〃)ポッ いつもありがとうございます✨✨✨」とリプライしている人間様からするとうわっなにこれ近寄らんとこという感じなんでしょうが、私も同じ感覚をそちらに抱いているので結構結構、相思相愛だねッ!

しかしまぁ、考えてみればわかる話なんですけど、人間の感じ方なんてほんと人それぞれとしか言いようがありませんし、知識の捉え方等も人それぞれとしか言いようがありませんし、私の主観からはコンキスタドールらによる強烈な支配の象徴であり一種グロテスクなものとして見えるクスコ中心部・アルマス広場も、クスコ在住で雑貨店を営んでらっしゃる在留邦人の方のエッセイでは、「人々がのんびり暮らす美しいのどかな情景」として描かれる訳です。

南米ってちょっと、あんまりのんびりイメージが無く、記憶の中でも確かにこれは人の性質なのかわかりませんが明るく割りに親切で、しかしその人々が置かれてる状況というのは控え目に申し上げてちょっと……ちょっと……という感じではあるがこれも私の主観、主観主観主観、人と人との間にある深い断絶、これを含めて「人間」という字を当てるのか……?全くの妄想ですが。

というところまでこうやって虚空に語り掛けるように文章を打ち込んでいたら、驚くことにマシュマロが来ました。他人への理解を求めたところのある弊同人誌群とは、特に関係のないところなんですけど、土台肯定を求めた訳でも誰かを洗脳する意図があった訳でもなく、ただこの関係性ええな~~この関係性でこういうのみたいな~~と考えたところに、「よかったで」「ええなこういうの」と、淡々と自己の思考を他者に肯定された事実に、思わず目から涙が溢れた。

 

ここまでで旅行についての話を差しはさむ余地がなんだか無かったので、ここからクスコで購入した土産物や土産物屋について触れて終えたいと思います。

 

《クスコで買って良かったお土産》 アルパカのぬいぐるみ

かわいい ふわふわ いや、マジで顔がかわいい。生活の潤い足りうる。オススメ。
インカ系の観光地に行くとどこにでも売っている。露店によって毛色もそれぞれ。スタンダードはたぶん白、他に黒、混ざった色、茶色、黒ぶち、ハーフカラー、などなど。耳飾りを着けているものや首飾りを着けているものなど装いも様々。君だけのアルパカを見つけよう!
私の旅程ではナスカ・マラス・ユカイ(ホテル内に入って来る行商ウーマン)・オリャンタイタンボ・マチュピチュ村にあった。

値段別に並べるとマラス(交渉が上手くいった)<ユカイ(行商ウーマンのお情けを受けた)<<クスコ<マチュピチュ村<<<ナスカ(後述) ※購入しなかったため選外・オリャンタイタンボ(マチュピチュ村で吸いつくされた)

ちなみにウユニ塩湖にもあるが、ボリビアに入るとなんだか顔がゴツくなってあまり可愛くないので、マスな可愛いもの好きはペルーで買ってしまうのがオススメ。空港とかにある公式っぽいお土産ショップにはないので注意して下さい。基本的に個人商店か露店、行商人からの購入になります。

こちらの外国人観光客向けふわふわ毛色アルパカのぬいぐるみ(自立式)、交渉にもよるがだいたい十五センチぐらいのもので20ソル(600円ちょっと)~、三十センチぐらいのもので50ソル(1500円ちょっと)~(もうちょっと高かった気もする)。日本でもマライカとかで2000円~3000円ぐらいで売っている。

なお、現地催行のツアーで連れてってくれる土産物屋で買うと他の露店で買うより数段高い上に小さいし可愛くもないので注意。私はナスカツアーで連れていかれた土産物屋でうっかり購入して後悔した。

 

《クスコで買って無難だったお土産》 チョコレート

ここ数年のバレンタインフェアではペルーがカカオ生産地として注目を集めているらしいんですが、わりとどこにでも売ってる。なんかいい感じのところとしては、チョコムセオ(Choco Museo)というチョコレート専門店がアルマス広場の近くにある。リマのアルマス広場の近くにもある。ここでカカオの殻を購入して茶にするといいと店員に言われるがまま購入したものの、なんだかんだ一年ぐらい寝かせてある。

チョコレート専門店でなくとも、チョコレートも、わりとどこにでも売っている。クスコのスーパーマーケットにはほぼ確実に土産に無難そうなチョコレートが売っているので、土産に困ったらこれでいいと思う。空港でも売ってる。ボリビアの空港にも売ってる。

ウユニ塩湖にも「ウユニ塩湖の塩を使いました!」という触れ込みのチョコレートが販売しているが、ウユニ塩湖の塩チョコレートは、ウユニ空港売店には多分ない。私が見る限りでは、無かった。ウユニの塩チョコレートを確実に購入されたい方は、市街地で調達しておくといいと思う。でもネットでちょっと調べたら「ウユニ空港にある」って書いてあるんですよね、私が行った時間が多分ランチタイムかシエスタ(伝統的なお昼寝)タイムかで、ウユニ空港の外側の売店が閉まってたのもあるかもしれない。ラパスには無いです。たとえあったとしても(あるらしいんですけど)、そこまで赴く気力体力が高山病で蒸発する。

上述ネットで話題のウユニ塩チョコレート(パッケージが綺麗な景色の奴)でなくても良ければ、これはこれでネットで見たところこれボリビアでは有名なブランド、砂糖を使っていないことでその道の者に話題らしい、EL CEIBOのウユニ塩チョコは、ラパスのエル・アルト空港内で購入可能。手の平サイズから大き目サイズまで、各種取り揃えてあった。但し賞味期限が商品によって大きく違う為、気になる場合は買う前にチェックした方がいいかもしれない。ちなみにクスコのスーパーだと「マラス塩田の塩で作りました!」という触れ込みのチョコレートが売ってる。まぁ、これはこれで。

 

《クスコで買わなかったけどちょっと面白そうだったお土産》コカの葉グッズ

アルマス広場周辺の綺麗目なちょっとした雑貨屋に入ると、わりとスピリチュアルオーラ全開なミュージックと共に、コカの葉啓蒙本や、コカの葉を模したキャラクターグッズ等が展示されている。そこで本を流し見した程度の記憶しかないが、こう、コカ文化はインカの時代から脈々と伝わっているものだということを主張していたような気がする。

私はコカ葉関係のものは購入しなかったが、帰国しようと別の所に旅行にいこうと、あそこまで全面的に出て来たマスでポピュラーな顔のコカの葉は中々お目にかかるものでもないので、よく印象に残っている。あと、ラパスの魔女市場には、コカの葉を模して作った「コカの神」みたいなお面が露店で売られていた。高所ならではというか、高所ヤバい、マジヤバい。

 

クソ腐のすなる日記

 


これはもう完全にフジョシというか、クソ腐の日記。ヒトのすなる日記といふものを、クソ腐もしてみむとてするなり。旅行のリョの字も無い完全な日記。移動距離0km、万歩計を見るに、本日の総歩数は199歩なんですが、今この不動の肉体に、五年以上の時をかけ「フジョシ界隈における誕生日絵」に対する憧憬フェーズから抜けつつある涅槃メンタルが訪れているので、記念に書き残しておきたいと思い立ち文章にしました。

 

フジョシと呼称すべきか同人女と呼称すべきか、そうなると腐男子と称される方々やサークル参加で同人活動をされている諸兄らを含まないジェンダーバイアスある表現になるかと思うんですけど、一般に「女性向け」とされるジャンルで活動していて、男性をお見掛けした経験が、イベント時のコスプレイヤー男性ぐらいしか私にはないので、私がここで呼称するフジョシは、一般に同人女と言われる類のそれで、所謂腐女子です。
一部のフジョシには、フォロワーの誕生日を祝い、それにかこつけて推しカプ作品をこう、絵や文にしたりする習性があると言われています。
私は絵を描くことを諦めて二次小説をしているので、ぶっちゃけ閲覧する私としては小説も見るけど、自作出来ない絵の需要が圧倒的に多い。故に他人に絵を描いてほしくて仕方がないので、こと誕生日が差し迫る一月よりはじまる一か月間の誕生日絵乞食を過去五年以上に渡って行ってきているんですけど、「絵需要が満たされたか」という結果としては、目出度く全滅しています。

 

何故か?

 

結果として誕生日絵とか〇〇さんの小説を元に絵を描きました!っていう案件が発生しうるのは、「友達」だからなんじゃないかと私は数年の模索の末にようやく理解をしました。

こう見るとSNSやってると人間狂うんだなっていうので終わってしまう話に見えるんですけど、でもあながち間違っていないというか、厄介な点はこの距離の近さ。

同じジャンルの同じような人間関係所謂カプに手を染めていて、それを理由に程々に言葉を交わし「友達」に成るケース、そんなに珍しくないんですよ。こと同人誌を出してイベント参加とかしていると、「ご飯食べに行きませんか~」とかいう、アフターに発展して、そうなったらわりと友達なんじゃないかなと思います。「前ジャンルでめちゃめちゃ気が合った奴」とかいう呼称で、レポ漫画にも登場するぐらいの。

そうなると誕生日ってなって、じゃあアイツのために絵でも描いてやるかみたいな、そういう関係性になるんじゃないかと、思います。

まぁ言ってしまえば私、そこの距離感が取れなくなっていると言わざるを得ない状態だったので、SNS、感覚が狂うんですけど、「同じジャンルで同じカップリングに手を染めた」が契機になるとはいえ、それが全てではないし、こちとら一方的に生活見てるんで、何となく親しくなった気持ちにもなるんですけど、そういうことはない。

だから#〇〇クラスタさんとつながりたいタグとか、#フォロワーさんともっと絡みたいタグとか、#フォロワーさんともっと絡みたいけどそういうこと言えないから寿司ネタ呟くとか、そういうタグが出回ってるんだよ。じゃあお前(わたし)はここ数年どこに向かって乞食し、何に対して絶望していたのか?

 

上述したようなトントン拍子で友達になるケース、SNSでは割と盛んに見るんですけど、友達という段階に至るまでには実際割と高いハードルがあるように思う。

リプライとか何とかしてみても、行き過ぎたらシンプルにストーカーですし、気持ちが悪い。これはわかる。友達ではない。
じゃあ普段から愛着を持って観察し、良い感じにいいねとかファボとかしたらどうか? それも友達じゃない。フォロワーっていうか、何か、虫かごの外から眺めてる謎の人間。視線は見えないので、そういうのは友達ではない。

そもそも、良い感じの距離感のリプライって、何? ああいう手合いのフジョシって、どういう感じに距離を詰めるものなのか。

フジョシの言う「〇〇界隈の皆さん優しいから」っていう、その界隈概念がよくわからない。同じ〇〇の民とか〇〇村とか〇〇界隈とか言って、何かとタイムラインやツイッター言論におけるフジョシは同質性を自ら強調していますけど、それはどこからどこまでを対象としている言葉なのか、或いは単純に何を考える訳でもなく発されたただのリズムなのか。界隈、それは誰が構成員なのか? 下手に同ジャンルに長居すると後発の人間が余程〇〇クラスタの××さんとしてめちゃめちゃに交流楽しんでたりなさるんですけど、「〇〇界隈の皆さんほんと優しくて」、って何気ないツイート、何を以て優しいと定義する。〇〇界隈の皆さん/〇〇スペースにある「ほんわかムード」とは何か。何? 誰を指しているの? 

 

友達ってどうやって作るんですか?

 

おっ良い感じに煮詰まって来たなっていう所なんですけど、安心して下さい、友達、います、私にも。

所謂同ジャンルとか同界隈は全滅ムラハチアカウントですけど、程々にエアリプをする人間や程々に会話をする人間、TRPGを教えてくれた人間(神)や脳味噌死んだ会話を取り交わす人間、友達はいるんですけど、前述したフジョシ同士のこう、「同ジャンル同カプから」の友達繋がりではないというか、唯一それっぽいようなところも、こう、年単位でツイート見てて、何かこうふぁぼしたりいいねしたり、リツイートしたり稀にリプライしたり、SNS情緒不安定な時にアカウント輪廻転生して新たなアカウントを作る度出したフォローリクエストを全承認頂いたり、多分これ一般に言われる友達ではないんですけど、この距離感こそがフォロワーなのでは? と、薄々思っている。

 

同ジャンル同カプを契機にフォロワーから友達を作れる人間は一定数いるんですけど、そうじゃない人間はこう、私にも何とか出来る筈だと苦しみを重ねるよりも旅行に行った方が良いです。

旅行中、こう、概ね煮詰まってるので、フジョシ同士が交流していようが〇〇さん誕生日なので〇〇さんの小説から絵を描きましたとか、pixiv新着がアップされたとかアップしたものに反応があったとかそういうものインターネット社会ですからね、全部見られる訳ですけど、でも自室で煮詰まるよりはマシ。そうか? 通信料とか色々変わってこない? それに人間の感情は永遠ではないものの代表選手ですし、百人一首でもこれめちゃめちゃに詠まれていますし、かたみに袖をしぼりつつ、行く末までは難ければ、やがて時が全部解決してくれます。

そして、やがて来る涅槃の時を迎える為、心構えとして必要な気付きは、「このタイムラインは苦である」という真理。苦の原因は「同界隈で活動していることをネタに、フォロワー数を表す数字から友達になれるかもしれない!(それであわよくば性癖の絵を描いて貰いたいですね)」という迷妄と、「ここまでやってあらゆる同人女と同じような俎上に上がれば何か、何か変わるかもしれない」というような執着にあるという真理。そして、迷妄を離れ、執着を断ち切ることで心安らかになります。八正道はなんか余っちゃったんですけど、三諦ぐらいでだいぶ楽になる。Loveは知らんがPeaceは訪れる。ここまでくるのに、たぶん五年以上かかりました。

※なおここで絵でも文でもなんでもいいのでカップリング関係で自分の好きなものを自作出来ないと自分が飢えて死ぬので注意

 

DA PUMPのU.S.A.というベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章リミックス

 
定期的収入の無い身分なので転々とアルバイトをしている。数年前の大晦日正月は、人気の無いコンビニエンスストアのレジで立ち尽くしていた。今年の大晦日正月は、郵便局で年賀状を仕分け続けている。年末。仕事おさまんねぇ。クリスマスとか仕事納めとか、季節ネタに悉く置いて行かれている。着々と仕事を収めていく勝利者らのタイムラインを見つめながら、言いようもない焦燥に駆られるばかり、季節感の無い人生。
 
年末だ。
 
人生に季節感がないんですけど、民報が度を越えてさわぎはじめると、なんだか「今年はもういいかな」って気分になりませんか? わたしはなります。もう今年はいいかなって思って、あらゆる手を止めて寝転がって、今年の振り返りは今年の内に、みたいな気持ちで、堂々とpixivなどを見てしまう。いや、実のところ全然よくないんですけど。今の身分は季節労働者なので、31日に仕事が納まり1日に仕事が始まる。年が変わるだけで、平常運行。しかもわたし、本業というか、学籍をもつ身分的には、年末より年度末の方が区切りとして重いので、年末で気分が中弛みしていい理由がないんですけど、なんなんでしょうね、社会が浮かれてるからわたしも浮かれちゃっていいんだ! みたいな、逆同調圧力なんでしょうか。浮かれないで。
でも年末年始の番組の浮かれポンチ空気正直嫌いじゃないです。歌か暴力、時々グルメ。人間の娯楽って変わってないなぁって感じがしませんか? 古代ローマからっていうと、なんかそれはそれで語弊ありますけど。我々が現代の娯楽のかたちから古代ローマを再定義しているのでは?パンとサーカスという形をした記憶の場、まとまる予定のない流動系の思考を垂れ流さないで!しまって!
 
とにかく年末なんですがわたしはDA PUMPのU.S.A.が好きで好きで、年末第九と前後して流れるU.S.Aを聞けるのが私ほんとうに嬉しいんですが、たぶん今日今この時を逃すと二度とこの嬉しさ書き残せないと思うので、文字にして残したいと思います。ついでに2018年2月頃にUSAをトランジットした時習得したビザ(ESTA)について記憶に残っている限りのことを書き残したいと思います。
 
で、タイトルなんですけど。
DA PUMPのU.S.Aはベートーヴェン交響曲第9番の第4楽章だと思っている。
もっと言えば「歓喜の歌」ですね。クラッシックについては専門外なのでなんかもうおかしなこと言ってたら年末だしなと思って流してください。行く恥来る恥。
 
歓喜の歌」、年末に良く聞くアレです。或いは新世紀ヱヴァンゲリヲンクライマックスシーンというか第17使途戦闘シーンとかで流れる奴。歓びの歌ともいわれます。原題はAn die Freude。ドイツ語です。シラーっていう有名な詩人がいるんですが(世界史Bで名前だけ聞いたことある……)、Wikipedia日本語版によるとシラーの作品「自由意志」をドイツ語に書き直した作品「歓喜に寄せて」をベートーヴェンが歌詞として引用し書き直したもの、だそうです。
私は第二外国語で無意味に(本当に無意味に)ドイツ語を履修したんですが、正直クリスマス前にこれを扱ったことしか覚えていません。あとテストに若きウェルテルの悩み(抜粋文)を日本語訳しろとかあってブチギレ、単位が憤死しかかったこと。講義にあたって人権を可視化したものとされる辞書を忘れ、コースの図書館に頼み込んで持ち歩きを想定してい無さそうなでかめの人権(辞書)を貸し出して貰い回避スキル矢除けの加護を展開した結果、本当に矢除けの加護なの?ってぐらい運よく指名されず、ただ無意味にコースの辞書に散歩をさせてしまったあの昼下がり……(結構覚えてますね)
 
第九の歌詞についてはほんとWikipedia日本語版を見て頂ければもう十分!ってぐらい書いてあるのでそこらへんを参照して頂きたいですし、私の頭の中にあるのは訳出にあたり教授に指名された「Deine Zauber binden wieder,」のDeineが神を指し示すこと、そののちのディクテーションで運よく聞き取った「Alle Menschen werden Brüder,」の二文だけなんですけど、歓喜の歌というのは私が運よく聞き取ったところだけ抜き取っても「あ、人間存在の統合をうたっているな」ということがわかるものですし実際東欧革命とかベルリンの壁崩壊とか、東西分裂が統合されていく過程において全ヨーロッパ団結!(というとちょっと話盛ったかなっていう感じですが)というテンションで歌われることの多い曲のようです。どっかのクイズ番組で「歓喜の歌が中継で五大陸同時に歌われた時の映像です、この都市はどこ?」みたいな出題もあったような気がする。
 
それでU.S.Aなんですけど、この曲がいかに第九的というか歓喜の歌的であり、いかなる統合を歌っているのかを解釈していきたいと思います。
U.S.Aがカバー曲であること、懐メロ的なユーロビート(ディスコ調)を用いていること、ダンスがバズったことなど諸々あるんですが、音楽については2019年になってから深く知っていきたいと思うので、ここでは歌詞の字句解釈のみを行いたいと思います。
 
「U.S.A」の歌い上げる世界観、これは明らかに冷戦終盤における統合ム―ドとバブル経済期およびソ連崩壊から9.11までのパクス・アメリカーナにおける世界秩序の中の、まだ文化側面においてバブルの残り香があった頃の日本社会であると考えています。ちょっと時代違いますけど2005年の愛・地球博で標榜された「持続可能な社会」とか1970年代から2000年代前期にテーマとなった「宇宙船地球号」とか、あの辺。世界史の教科書でいうフランシスフクヤマの「歴史の終焉」辺り、大文字の歴史の最末期における、パクス・アメリカーナの元の資本主義的な統合、そしてアメリカの傘の下で経済発展し東京が世界の三大都市のひとつと挙げられるまでに成長した当時、かつての古い秩序を文化を享受する無邪気な視点から歌い上げたのが、U.S.Aではないのか。
冷戦期資本主義陣営における日本とか、当時の日米蜜月期の両国関係とかその辺を歌っているのではないかということもあり、厳密に第九が指すというか第九からイメージされる(ヨーロッパ)統合!イメージとはニュアンスが少し違う感じもあるんですけど、それは行く恥来る恥というか、あくまで類似のニュアンス、「統合」や「古き良き秩序」を歌い上げている点にのみ注目して、ただびととしてエモを感じていきたい。行く恥ですね。
 
パクス・アメリカーナにおける文化的バブル期の日本や、或いはパクス・アメリカーナ時代を殊に歌っていると感じられる歌詞として私が挙げたいのは以下の点
 
夢というグラス交わし
Love and peace 誓うのさ
C'mon, baby アメリ
サクセスの味方 organizer
 

 

ここが本当にエモい。
悪しきを挫く世界の警察時代のアメリカですよ。本当にエモい。
 
かつての日米関係を歌い上げる歌詞として見る場合は
 
C'mon, baby アメリ
ユナイテッドする 朝焼け
 

 

ここにおける「統合」はあくまで日米二国間のもの(でありその直後の「交差するルーツ」や直前の「ウェストコースト」辺りからもおそらくは日米両国に主眼が置かれているのではないか?という説が私の中で有力ではある)なんですが、U.S.Aを「パクス・アメリカーナによる世界秩序」を歌う歌詞として見る場合、ここで「資本主義」の元に統合されていくと読み替えることも出来ます。グローバルシティとしてのアメリカ都市部、インスパイアされていく世界の都市という構図ですね。ところで以前きょうじゅちゃんが言っていた「グローバルシティ構想が後背地の恨みによって潰えたのが現代」というような話の論拠となる本、酒の席で口が滑ったきょうじゅちゃんということもあって聞きそびれてしまって、あれが何の書籍から生まれた思想なのかあるいはきょうじゅちゃんの実感なのかがいまいちよくわからない。お心当たりの方はメールほしい。
 
で、曲の話に戻るんですけど、U.S.Aの曲中で繰り返される「交差するルーツ」や「競合していくジパングで」というあたりから、冷戦体制下で経済発展をする日本、一時期アメリカの全州を買いたたける程の経済力を持ったというのを私は漫画で見ている世代で、私は世代としてはそれらの世界を肌で知っている者ではない失われた二十年に属するアレなのでほんと、その辺の歴史をちょっとしたダイジェストイメージでしかとらえられておらず時系列もぐちゃぐちゃだとは思うんですがエモいのは兎も角、パクス・アメリカーナの元で経済的発展、復活を遂げた「我らが」祖国が経済的発展により盟主でありかつての仇敵でもある「アメリカ」を越えていく、「パクスジャポニカ」という、余りにも無邪気なそれを歌い上げているという読み替えも可能な曲であると思っています。むしろだからこそ、この曲は今現代においてここまでヒットしたのではないか?いや、普通にダンスとか曲調であって歌詞のことについては無頓着な人間が多いんじゃない?っていうとそれまでの、一個人の妄想なんですけど。
 
この無邪気さの善悪は置くとして現象としてはエモいんですこの曲。「歴史」は終わることなく我々は「宇宙船地球号」として統合されることなく争いは引き続くんですが、ユートピア建設に誰もが燃えていたあの巨大な時代における理想ではなく目標として掲げられたあらゆる統合を歌うこの曲、歓喜の歌と同じ感じで私は廃墟をバックに流したい曲トップイン2018という感じでした。最高。
 
以下から私がC'mon, baby アメリカした時のビザを中心とする記録です。
 
私がトランジットしたのはヒューストン空港。ここは地図見て貰えばわかると思うんですけどわりとメキシコ、宇宙兄弟の第二の舞台なんじゃないって、ヒビットがイエ~~~~イするところまでしか見ていない私は漠然とそういうイメージを持っている訳ですが、かなりスペイン語が幅を利かせています。英語の横にスペイン語。なんならスペイン語の方がデカいのでは? 職員の話す英語も超訛っていてわりと困惑しました。
ここでというか、アメリカ入国に必要なビザをESTAというんですが、これはロシアビザと同じくトランジットの際も必要です。というか全部がそうなのかはわからないんですけど、わたしはヒューストン経由でリマはホルヘ・チャベス空港に行くにあたって「ヒューストンで一度入国して出国した」ので、何がおこったのかよくわからないんですけど、とにかくそういうことです。本当はトランジット専用レーンがあるの? とか、並んだ列が悪かったの? とか、ヒューストンで南米に乗り入れるルートが悪かったんでは? とか、色々疑念は尽きないんですが経験は一度きりなので本当のところはよくわからないし、私はその経験に則した物しか私の経験として言うことは出来ない。とにかく、ヒューストン経由でリマに行こうとすると、なんか一回入国でスタンプ押されて、出国でまたスタンプ押されます。場所は違うんですが、2018年12月に出国した時やヘルシンキでトランジットした時は、日本・韓国のパスポート保持者はこっちでパスポートの顔写真とお前の顔を照合するぞみたいな自動機械があったので、今はちょっと違うかもしれませんが、とにかくヒューストン、一度入国します。
 
そこで入国するにあたって必要なESTAなんですが、私は以下のurlから取得しました(2018年1月頃の情報です)。
 
ロシアビザと異なり結構詳細な犯罪歴や既往歴(たしか)を聞かれるので、問題文をよく読んで選択肢のyesかnoどっちを選べば問題が無いか、文意を見るというかどこにNOTがあるのかをチェックするのがちょっとしたセンター試験のような感じで、どっちかというと日本語の方がわかりやすかったような記憶があるんですが、センター試験をしていた記憶があるなら、私、おそらく英語で取得しているな? どうなんでしょう。ロシアビザは日本語だと意味が通らない質問があったので英語の方がいいです。ESTAはちょっとよくわかんないけど日本語選べたんじゃないかな。是非ご自身の目でご確認下さい。
 
問題がなければ、確か一週間前後でメールが帰ってきます、そこで入力したパスワードだったか或いは名前だったかを入力すると取得したESTAのページへ、私はそれを印刷して満を持してヒューストン空港へ降り立ったんですが、なんか、使えたのかなアレ。手にもって走っていた記憶がある。何せスカイスキャナーで一番安い乗り合わせを選んでいるものだから、とにかく時間がない。一応90分から二時間くらい時間を見てはいたんですけど、無理。だって入国の手荷物検査とか質疑応答とか、凄いもん。チェックで特別話が長いとかはないんですけど、とにかくクソクソ並ぶ。並んでいる。アメリカ国籍持ってるマンがその行列を、横からスイ~~~~って通っていく。ファストパス。なお復路はもっと並ぶ。手で持ち込もうとしてる空港で入手したチョコレートとか全部、麻薬系の品ではないかとチェックをされるからだ。あと靴も脱がされる。厳重~~~~~私のケースはそもそも飛行機の着陸が遅れていたというのもあります。一時間出入国チャレンジ! 走って!
 
C'mon, baby アメリカ 
トランジットしていく旅行者
 
ヒューストン国際空港を全力で駆け抜けながら、私は搭乗券を落とした。
 

お前に本当のヒュッゲを教えてやる、等。

 

クリスマスシーズンにヨーロッパ(ノルウェーデンマーク)に行ったんですけど、ほんと何につけても人間が番っている。いや北欧は北欧でヤバいのでクリスマス中止とか言ってる奴はすっこんでろフィヨルドから突き落とすぞって感じですし、ほんと、クリスマス万歳!とにもかくにも、クリスマスイルミネーション万歳!!って感じなんですけど、それにしても人間が番っている。日本のクリスマスはカップル多すぎで不純!本場のヨーロッパはそんなことないもんっ!っていう言説、日本語ツイッター界隈でわりと見なくも無いんですけど、確かに実際の現地クリスマスは家族で消化するイベントなのかもしれない(クリスマス当日はマーケットも午前までで店じまい、店も概ね閉まるらしいです)。ですが、クリスマスマーケットに居る人間は、だいたい番っている。そこかしこから鳥のさえずりのようにリップ音、聞こえてくる。まぁリップ音で済んでる分まだマシなんじゃないっていうのと、わたしが時間と場所を弁えなかったんじゃない(十九時のチボリ公園)っていうのもありますし、それにクリスマスマーケットの面子が必ずしもカップルだけって訳ではないので、恋愛特化っていう点で日本のクリスマスある意味特殊なんでしょうけど(そもそもヨーロッパ諸国によくある都市とは擁する人口が違うのもありそう)、それにしても、ヨーロッパの人間はナチュラルに番っている(個人の偏見)。

 

ところで今回の旅行経験を経て、私の中の北欧エリアのイメージがなんか薄暗くて雪降ってるイメージで固まりつつあるんですが、これは完全にわたしが12月のベルゲンから旅行をスタートしてしまった事によるミス。多分世間一般だと、冬の北欧、極夜とかオーロラとかサンタさんとか、なんかロマンチックでミステリアスで大衆的でキラキラしてるんじゃないかな!? キラキラしてるのは本当。電飾の力です。電気!それは文明! 12月の北欧からクリスマスの電飾を取ると、殊に観光客は暗闇に呑まれて死にます。

ベルゲンの日は十四時にはほぼ死んでる。太陽によって空がなんか明るくなる……?のは、だいたい十時前後、空が夕焼けよろしく黄ばむのは、正午前。そもそも太陽は南中しない。地平から頭を覗かせた状態から出てこない。高緯度地方だからと頭ではわかるんですけど、えっそんなに……?ってぐらい、昇らない。ほんと、頭を見せるだけ。張り見世でももうちょっと顔見えたんじゃない?

北欧諸国ではクリスマスはユール(jul)と呼ばれており、呼称の由来は古代ヨーロッパのゲルマン民族ヴァイキングの間で冬至に行われた祭りだそうなんですけど(Wikipedia日本語版調べ)、なんかこう、元々のユールというのは、Wikipedia日本語版を見る感じでは太陽の復活や再来を願う祭りらしくて、まぁ、そらそんな祭りもするわって感じで、暗い。

オスロの日は十五時にはだいたい沈んでいる。八時半ぐらいには明るくなるのでベルゲンよりはまだマシ……?(単純に気候の問題な気もする、ベルゲンは頻繁に雨が降るイギリスみたいな気候をしているので)ただオスロは市内一面スキー場かなって勢いで雪が積もっているので、ベルゲンよりも気温が低い!青空は見るけど、寒い!!南十条の駐車場で夜行バスを待っていた午前零時の京都盆地を思い出す感じで寒い。いや流石にこちらも装備を揃えているので、京都よりは寒くないんですけれども。どちらかというと、スッ転んで打った尻とか頭の方が痛い。私中肉中背なのでお陰で尻がクッションになって、後頭部のダメージを減らした感じがあるんですけど、それでも結構痛かった。助け起こしてくれる連れがいる訳でもなく、暫くマジで痛い、二つに割れたか!?という勢いのある尻を押さえたまま、オペラハウスの天井をずるずると滑り落ちる観光客ごっこをしました。推定観光客女性が手を貸して下さって事なきを得ました。起きてからなんとなく肘が痛いことに気が付いた。無意識に受け身を取ろうとしていたのだ。無意識に出た肘よりも尻の方が大幅に出てたのは間違いないんですけど、なんだか自分が愛おしくなりましたね。

行程としては以降海を渡ってデンマークに入るんですが、デンマークに入ると流石に明るい。午前八時には日が昇ってるし、十六時ぐらいまで夕焼け。こら人間も明るいわ!って思いますけど、ステイしている知人によると「普通に日の出前(午前七時)とかには活動開始してるから気が滅入る」だそうです。毎日夜明けを見る世界。暗闇に呑まれる暮らしの中で人々は自然と、番っていくのかもしれませんね。


2018年、めくるめく性の6時間です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

これからクリスマスシーズンに北欧(ノルウェーデンマーク)に旅行をした際参考にしたサイトや、自分のしていた服装等を、折角のクリスマスなのでワールドワイドウェブにメモをして、サイレントナイトを過ごしていこうと思います。この文字がワールドワイドウェブに公開される頃には皆様の性の6時間も佳境を迎えつつあるかもしれませんが、もし宜しければお付き合いください。

 

ベルゲン

以前の記事で紹介した通り世界遺産を擁するノルウェー第二の都市、観光のハイシーズンは夏、市内移動手段は徒歩です。

 

【装備】薄いニット帽/綿入りで膝丈の長い上着ヒートテック/ハイネック/ネックウォーマー/ユニクロ巻きスカート/ユニクロレギンスパンツ/シャカシャカズボン/タイツ/ユニクロヒートテック靴下/靴底のあるブーツ
気候としてはノルウェーの中では温暖、ただしよく雨が降ります。降られました。金沢みたいなものなんでしょうか。以降の装備欄では大体ユニクロの回しもの感が演出されていますが一銭も貰っていません、むしろ払っている。

実際わたしが現地に行く前まで服装にわりと悩んだので一応メモとして残してはみたんですけど、いくら高緯度といってもオーロラとかが恒常で出る程高い位置でもないので、不安だったらスキーウェアに類似した服装をしていけばほぼ間違いないと思います。スキー場みたいな首都もありますしね。

 

【クリスマスマーケットの位置】Festplassen
ベルゲン駅を出て目の前に駅前とは思えない細くてなんか暗い道があるんですが、これを左手に進むとショッピングモールがあり(ここを曲がったところにある駐車場の奥にトラムの「ベルゲンバスステーション」停留所があります。空港から来た時はバス停を降りて、NSBのビルがないなんか暗い方に、最寄りのショッピングモールに向かって歩くと駅前に出ます)、さらに道路を越えていくと私の宿泊したシティボックスベルゲンというホテルがあり、そこからさらに向こうに進むとなんかこう、ベルゲン大学方面に続く兎に角暗い道があり、一方で右手を見るとフロイエン山が暗闇の中で威圧的な稜線を露わにしているんですが(駅前を彷徨った時間帯が大概暗闇でロクなことを覚えていないことも明らか)、そういったそれらを全て振り切り、ベルゲン駅前の道を横切って真っ直ぐ歩いていくと(途中で曲がる道は間違いの道です、よくわからないエリアに連れていかれます)「小ルンゲゴース湖」という謎ネーム湖があり、この湖にクリスマスツリーが浮いています。それを横目に湖の周りを歩いていくと「Festplassen」のクリスマスマーケットに突入します。やったね!

湖の周りにはKODEもあります。ベルゲンカードを持て余しそうになった時の強い味方です。

 

Festplassenの中では雨の中周り続ける観覧車とメリーゴーランドをバックにそこそこの広さのプレハブと結構な広さの屋台が立ち並び、クリスマスマーケットをしていました。その他の場所のマーケットと比較するとお土産物というか日常使いの物が多く、ニット帽やアクセサリー、どこで使うかよくわからない器、クリスマスオーナメント、本等が販売されていました。あと保存食も多い。チーズとかサラミとかチョコレートを売ってる出店が複数あり試食が出来ます。おいしい。

ハンドメイドの物だけを販売しているプレハブ(そんなに出店がある訳ではなくわりとすきすき)もありました。恐らく降雨対策のプレハブの中に複数の店が出店している形式なので、プレハブに入ると暖かいのが最高。プレハブのそこかしこに麦の穂?が刺してあり洋顔の雀やハトがつついています。かわいい。

 

Festplassenを突っ切ったところにあるMusikkpaviljongenや大きな道は大体クリスマスの電飾によって照らされているので、歩いているだけでなんだかウキウキです。その一方で通らないといけない道に電飾がなく暗黒面に堕ちていることがあるので注意が必要。逆に以降で紹介するベルゲン以外の場所は、割とクリスマスイルミネーションさえ見失わなければ安定してホテルにも観光地にも行けます。クリスマスイルミネーション最高。

 

 

オスロ

ノルウェーの首都です。市内移動手段はトラムと地下鉄(Tという目印があります)、あと今回使いませんでしたが、オスロ駅から離れたところにあるバイキング船博物館や民俗博物館、ホロコースト博物館等のあるエリアにはバスで行けるそうです。フェリーもあるみたい……? なんかメトロの表示で見た気がする。

 

【装備】薄いニット帽/綿入りで膝丈の長い上着/フリース/ヒートテック/ハイネック/ネックウォーマー/ユニクロ巻きスカート/ユニクロレギンスパンツ/シャカシャカズボン/ヒートテックタイツ/ユニクロヒートテック靴下/靴底のあるブーツ
経験したことのない寒さっていうことはないんですけど、全行程の中で普通に最も寒い都市(ナットシェル行程中を除く)。一面がスキー場。滞在中は昼は概ね晴れ(熱が大空に逃げていき寒い)、夜にレミオロメンがサビを謳います。寒いとはいえ青空が見られるので、精神衛生上はなんだかベルゲンよりも良いんですけど……

あと、行程のこの辺りで、ノンアルコールドリンクの選択肢の中でフレッシュジュースがかなり幅を利かせていることに気付きます。日照時間がアレだからビタミンがないんだきっと。逆に紅茶とかコーヒーはそんなにないです。自分で淹れろということか。あとはエナジードリンクがやたらとあります。サンタクロースカラーユール期間限定!みたいなパッケージの、レッドブルのようなものとか、割と見ました。ノルディックな人々、どこで戦ってるんだろう。

 

【クリスマスマーケットの位置】カールヨハン通り沿い

カールヨハン通りというのがオスロ駅からノルウェー王宮までの道を繋いでいるんですが(メトロも道沿いに通っている、二~三駅くらい。わりと歩ける。)、その道沿いのアイススケートリンクだとかその辺に、クリスマスマーケットがありました。

ベルゲンとは違い屋外形式、首都だからか流石に電飾の数が違い、キラキラしています。後楽園にありそうな電飾で作ったドーム型の入り口とかもある。

ここは特に家族連れが多かった印象があり(アイススケートリンクがあるからか?)、リンゴ飴(だいたい45NKぐらい、およそ700円、日本でデフォルトとされるリンゴ飴の上になんかピンク色のフレークとかM&Mのチョコとかが乗ってたり、そもそものリンゴをチョコでコーティングしていたりするリンゴ飴があった)を記念に買おうと思い、ボロボロ英語で手直な現地人っぽい人に、ここが列の最後尾かどうか聞いたら、聞いちゃった相手がティーンだったみたいで、横に居た母らしき人が彼女の手を引いて去って行った。ごめん……。

グロックホットワイン)売り場が隔離されていたのもそれ故かなと思います。道沿いの公園?の中に、でかいログハウスを模した屋根付きの広場みたいなのがあって、アルコール入りのグロックはこの中のみの販売という形になっていました。グロックの店の前では喋るトナカイ人形が向き合って設置されていて、なんかめちゃめちゃ喋ってた。それ以外の出店の「グロック」は、どうやら何かクリームぶち込んだココア? みたいなものらしい。値段としてはリンゴ飴とそんなに変わらないです。

ベルゲンだとそれ以外に甘めの軽食としてワッフルを販売していたんですが、オスロではチュロスを売っていました。デンマークはだいたいチュロスか豆だった。

 

なおクリスマスマーケットがあったカールヨハン通り沿いの道を歩いていれば、大体の観光施設に行けます。通りの名前を見てカールヨハンじゃなくても、クリスマスの電飾が付いていてきらきら明るい道を歩いていれば、アシュケーフース城やノルウェー国立美術館など王宮周辺の博物館エリア、あとノーベル平和センター等のあるエリアにも行けます。ノーベル平和センターエリアまで歩いてしまえば、そこからヴィーゲラン公園にも、歩きで行けないことはないんじゃないかなと思いました(実際はトラムを使いましたが)。オスロ駅からの距離的にはムンク美術館もヴィーゲラン公園と大体同じような距離をしている感じなので、歩けなくはないのかもしれません。

兎に角、そんなに規模の大きな都市ではなかったので、そこまで歩くことに固執する必要も大して感じませんが、最悪の場合徒歩で回ることも可能かなとは思います。ところで第二次世界大戦中のレジスタンスの活動を展示しているノルウェー抵抗博物館に行く際、駅前からの地図も無ければ看板もなければ常駐している駅員もいない(北欧では大体の場所に改札がない。勝手にチケットを買って勝手に乗る。但し時々抜き打ちでvalid ticketを持っているかどうか確認され、この時に有効な乗車券を持っていなかった場合、重い罰金が課せられるシステム)のでたまたま駅に居た一般男性に道を聞いたんですが、「ここから600mだって、なんでここで降りたの? 遠いじゃん」と言われたので、多分観光客では無さそうな人の感覚としてはそんな感じです。まぁわかる。でも最寄り駅だよ。

なお、オスロで私はシティボックスオスロというオスロ駅近くのホテルに宿泊したのですが、このように駅周辺のホテルに宿泊している場合、カールヨハン通りに沿ってオスロ駅付近までだいたいの道はクリスマスの電飾できらきらしているので、安心して歩けます。いや、時々なんかよくわからない絶叫とか聞こえてくるので夜はメーデーメーデーって感じなんですけど、明るさの点ではバッチリ。オーナメントのきらきらを積雪が反射して、殊更に明るい印象!

 

カールヨハン通り沿い以外のクリスマスマーケットについては以下のサイト等を見ると色々面白いかもしれないです。私は帰国してからこういうサイトを見つけました。いや、知っててもそれはそれで周り切らなかったと思うんですけど、事前の下調べってほんと大事。

allabout.co.jp

 

カールヨハン通り沿いのクリスマスマーケットについての記事もありました。もう見た。

tokuhain.arukikata.co.jp

 

 

オールボー

ここからデンマークに入り日照時間に驚きます。朝(午前八時頃)が、明るい!!あと博物館が10時頃に開いたのが、16時まで開いてる、すごい!六時間もある!!

 

【装備】薄いニット帽/綿入りで膝丈の長い上着ヒートテック/ハイネック/(ネックウォーマー)/ユニクロ巻きスカート/ユニクロレギンスパンツ/シャカシャカズボン/タイツ/ユニクロヒートテック靴下/靴底のあるブーツ
現地女性によると「曇りか雨」「あと風」らしいんですが私が滞在している時は晴れていました。気温はオスロよりはマシ。地面が雪で覆われていない。素晴らしい場所です。まぁ風ビュービュー吹いてる運河なんだか海なんだか沿いの街なんで、寒いんですけど。

 

【クリスマスマーケットの位置】Nytorv沿いのなんかこう、教会の工事現場、みたいな……
だいたいの位置を案内して貰ったものの、結局あれがどこでなんだったのかがよくわからない。観覧車としてはどうなのっていう速度の観覧車があったから、恐らくは公園なのではないかと思うものの、グーグルマップで見返してみても、それらしい公園が見つからない上になんか、思い出す限りでは案内してくれた現地女性がクリスマスマーケット沿いに教会に向かって通り抜けしようとしていて、でも工事中で、それが出来ないから引き返したような記憶がある。工事中の教会というので調べてみたら、それっぽいものとして「Budolfi Church」があったが、それ以外にも駅に近づくにつれ工事している場所が多く、「年末はこんなもんよいつも工事しているわ」的なことを、女性が言っていたような気がする。つまりこの道沿い工事中教会の裏、Adelgade沿いの「Folkekirkens Hus」前広場が、クリスマスマーケットだった場所として一番それらしい気がしなくもないんだが、如何せん記憶がはっきりしない。オールボー中心部のNytorv沿いに歩いていれば、大きな都市ではないので概ね大丈夫だと思います。ここを押さえておけば、オールボー市街地のだいたい網羅できる気がする。まぁ他にも色々道はあるんですが、オールボーもきちんとクリスマスイルミネーションが町を照らしているので、クリスマスイルミネーションのある道を選んで歩けばばっちりです。

ここで旅行の生命線と言っても過言ではない暗闇を照らす一筋のきらめき・クリスマスイルミネーションの話なんですが、デンマークに入ってから突如赤いハートの主張が恐ろしく激しくなる。ノルウェーではなんか鈴とか星とか、全体的に白か青の雰囲気だったんですけど、デンマークに入るとイルミネーションは全部赤いハート。アンダーテールでケツイ決めたプレーヤーが最後手放したソウル、全部ここに集結してるみたい。ここが地下世界か? 

なおコペンハーゲンから小一時間で着くスウェーデンのマルメというところにも若干観光というか最早お前足跡つけてきただけだろって時間滞在したんですが、そこはなんか、ナイアガラ的なアレを期待しているのか、通りに面して特にこれといった形状のないストレイトな電飾がぶら下がってるだけで、もしかしてこのオーナメント、国柄……?を、若干感じなくもなかった。ストックホルムを見ていないので、スウェーデンを比較対象には出来ないし、どういう基準でオーナメントを選定しているのか知らないんですけど、少なくともデンマークコペンハーゲン(首都)もオールボー(地方都市)もどちらもクリスマス電飾の八割が赤いハートで共通なので、ここにはたぶん確固たる意志があると思います。ケツイ

 

 

なおオールボーは空港から市街地がバスで15分他の移動手段は車になります。

空港から市街地までバス移動の際は200番(夜行の場合は22N)のバスでNytorvか、2番、70番、71番のバスでVesterbroで降りると市街地に移動できます。

 

airmundo.com

 

運が悪いとここで
「英語表記がない(詰む)」
「何番のバス停に近づいているかの表示がない(STOPボタンで降車の意思表示をしなければバス停はガンガンスキップしていくし街はDing-Dong遠ざかっていく)」
「バスアナウンスがない(仮に読まれたところで私の知ってるアルファベットの発音とかけ離れ過ぎててわからないが)」
「STOPボタンが一箇所にしかない(これほんとに押していいの?非常停止ボタンじゃない?)」
「そもそも車窓から見える景色がにっちもさっちも闇(このバス市街地に向かってる?)」

以上の詰みのオンパレードが襲い掛かって闇に呑まれて死にます。

ただ観光客丸出しのスタイルで目につく人間で善良そうな顔をしていて耳にデカいヘッドフォンとかつけてない人に手あたり次第に話しかけていくと、わりと逃げずに救ってくれるのでデンマークってすげぇな(北欧で救いを求めると8:2の割合で人に逃げられるイメージがある)、これがヒュッゲのちからか。

※運が悪くなければ次のバス停を表示してくれるパネルがあり、手すりという手すりや座席という座席にSTOP意思表示ボタンのついているバスに乗れます。

 

オールボーのクリスマスマーケット内訳なんですが、えっと、普通に小規模です。広場にちょっとした屋台がバラバラと並ぶ感じで、近所の神社のちょっとした例大祭みたいな風情。玩具を販売している比較的大きなプレハブや、グロックを販売しているバンガローみたいなバーがあります。プラスチックで触るとぷにぷにしているカイロ(保冷剤としても使える)を売りつけてくる屋台もある。それと、ダッチチーズ・ダッチパン・ダッチ菓子の屋台が三つ並んでオランダ三連星を形成してて、なんだかおもしろかったことを覚えている。試食が出来ます。

あとクリスマスマーケット外なんですが、通り沿いのショッピングモールの前にも出店が出ていて、チュロスやなんか甘くておいしい豆を販売している。豆は試食が出来ました。割といろんな味があった覚えがあります。キャラメルとか、シナモンとか。

 

コペンハーゲン

ra927rita1.hatenablog.jp

 

デンマークの首都です。装備はだいたいオールボーと同じかそれよりも(歩き回ったから)若干薄着。市内交通手段で私が使ったのはメトロ。その他にバスがありました。調べれば他にもあるかもしれない。

前掲記事を見て頂いても分かるようにこれまでの場所とあまりに規模が違い途方に暮れるんですが、意外と徒歩でも回れる。コペンハーゲンカード(Copenhagen Card)で元が取れる気がしなかったので市内交通乗り放題カード(City Pass)を購入するも、コペンハーゲン中央駅の観光案内所で「どのバスに乗ればいい」と聞くと、「私を信じて!あなた歩いて行けるわ!(Believe me!  You can walk!)(原文ママ)」と言われる感じです。ビリーブって、英単語習ってからこんな例文みたいな使われ方したの、たぶん初めて。

 

etravel.ciao.jp

 

【クリスマスマーケットの場所】

taptrip.jp

 

私は上記のサイトを完全に参考にした上で、なぞるように歩いた。

途中まではクリスマスマーケット以外を観光していたので、ストロイエを通らずにこう、コペンハーゲン駅から出て右折、チボリ公園を回り込んでまっすぐ進むとあるデンマーク国立博物館とか、そこから直進したらなんかあったクリスチャンスボー城の塔を登ってみたりしたんですけど、クリスチャンスボーを出たところで暫くクリスマスイルミネーションに従って歩いていたら、ちょうどページに掲載されていたホイブロ広場のクリスマスマーケットとかち合ったので、そこから

ノアポート駅まで徒歩(コペンハーゲンを徒歩で彷徨っていると丁度駅前や曲がり角など欲しい所に駅や観光地の大体の方向を教えてくれる看板があります。最高)

クリスチャニアのクリスマスマーケット

→ニューハウンのクリスマスマーケット

→ノアポート駅に戻って徒歩でホイブロ広場まで戻る

→ニュートウのクリスマスマーケット

チボリ公園のクリスマスマーケット

という順番で歩き回った結果、わかったことは一日中石畳の上を歩いていると足が千切れるので辞めた方がいいということです。日が沈んでからイルミ強行軍するんじゃなくて、昼の内から友達と一緒にとかご家族でとかそれこそ恋人なんかと一緒にゆったり歩いてカフェに入ったりするもんだなアレ。楽しくズンズン歩いてた。ほんとわたし、そろそろ覚えてほしい。石畳の上で調子こくと、足がやばくなります。

それで本題のクリスマスマーケットの内訳なんですが、クリスチャニアは置くとして、ニューハウンのクリスマスマーケットでは「セックス前に鳴らす合図用ベル」を土産物屋で発見、チボリ公園あたりではグロックで内臓を温めながらアホみたいに降り注いでくるキラッキラの電飾に胃を痛めここは外から見るだけでよかったんじゃないかと心を痛めているところで、カップルのキス写真撮影を依頼される怒涛の展開withキラキラハートハートイルミネーションでこれだけ書くとお前、ひたすらコペンハーゲンでトラウマ作っただけじゃん。それにコペンハーゲンでお前が得た経験が特殊なのであって、通常のクリスマスマーケットはそんな楽しみ方じゃねぇんじゃねぇのと言われると思うんですが、そうじゃないんです、番う人々みたもん、嘘じゃないもん。

クリスマスマーケットに限らず、道行く人間は自然と寄り添い番っていて、ベルゲンやオールボーといった地方都市のショッピングモール(暖房が効いている)のベンチで進退窮まりボーっと座っていたりすると、男女二人ずつのティーンがカップル同士かな?グループで歩いているのが、なんか一人の女子が男子のフードを掴んでいたり。あとそこかしこで挨拶か知らないけどチュッチュしてる。男女三人グループの内の男女が、互いにお別れの挨拶か知らんけどチュッってした後に、女性がフンってそっぽを向くみたいなことをしてて、それをキッスで別れの挨拶してない同じグループらしい男が茶化しているみたいな高等芸能を、コペンハーゲンの街角で見た。オスロでノーベル平和センターで半ケツ晒した帰り道、最中若者男女混交のグループからタックルを喰らい「ウンシール!」って、タックルかましてきたきらびやかな女性に言われた。ウンシール、ノルウェー語でExcuse Me!くらいの意味だそうです。なおバシッと良いタックルが決まったのはこの一回だけなんですが、基本的に旅行中の彼我の間には高い身長差の壁があるので、割とぶつかりますし、前は見えません。

 

ここまでつれづれなるままに着地点も見定めずフンフンと文章打ち込んでてふと思ったんですけど、クリスマスイルミネーションに照らされた道を行く周囲の人間の様子がここまで記憶に残っているのは、たぶん私が今回単身だったからだと思うんですね。

でもね、110DK(1DK=17円で換算してだいたい1870円ぐらい)支払って入園したチボリ公園は、これ私の眼鏡が曇ってんじゃねぇのっていうぐらいエフェクト掛かったらキラキラを素で放ちながら、本当のヒュッゲを教えてくれるんです。心許せる相手と空間を共有すること、それこそが、人間の本質的な幸せなのではないかと。ほらご覧、周囲の人間の幸せそうなさま。

チボリ公園だけに留まる話ではなく、ナットシェル(フィヨルド観光ツアー)で道行を同じくした中国人グループ、友達同士雪に塗れて凄い明るく笑ってたじゃないですか。ほんと、冗談じゃないのってぐらいキラキラ。

チボリ公園のそこら中にハートハートハートダンネブロ~~~~~オラオラッって感じのイルミネーション&ライトアップに照らされる人々も、これと定めたかどうかは知らないけれども自分の連れ合いと微笑み合って、ほんと、夢の国なんじゃないかなここ、みたいな、キラキラを放ちながら。

 

 


粉雪 - レミオロメン(フル)

Someone in (the) Machu Picchu(てか、ラインやってる?)

 

ヤマトの若い兄ちゃんに戸口で微笑みかけられて、交際について真剣に考えている自分がいる。年齢がそう離れていないと思われる他人の優しさに触れるや否や、惚れる。外見に大した拘りがないという割に清潔感はあった方がいいと思うとか言い出すんですけど、一定以上の容姿だと私が主観的に判断すると、惚れるまでがウサイン・ボルト。宅配の兄ちゃんはこちらにサインをお願いしますってボールペンを貸してくれるんですけど、私はもう婚姻届けにサインする気持ちで、それを受け取りサインをしている。オンユアマーク・セッ!「優勝者インタビューです! 選手、この度はおめでとうございます。惚れの決め手はなんですか?」「優しくされたからです、ありがとうございます。」

ここで声かけ事案をしてしまう私はたぶん今頃刑期を立派に勤めているんですが、一方シャバにいる私は、お疲れ様ですとか何とか、月並みな言葉と共に玄関ドアを閉めました。率直に申し上げてやっぱ人生一回しかないし、折角なので断られる前提でも私用の連絡先、お聞きしたかったですね。てか、ラインやってる?

 

どれぐらい惚れっぽいかをもう一例、嫌だと言われても述べるんですが、それは一年前の三月、マチュピチュ→オリャンタイタンボ間の列車移動(ペルーレイル)の最中のことでした。所謂観光客が使う等級の高いビスタドーム(天井ガラス張り)の車両に乗っていたもので、車内ではドリンクのサービスから車内販売ではベイビーアルパカの毛を使った織物や衣服が売りつけられ(何人かご購入して車内にテンションの高い歓声が満ちる)、そしてその車内販売の一環として、乗務員(男女一名ずつ)によるファッションショーだとか、本当、色々あったんですけど、その中の車内アトラクションの一環で出て来たモルモットの霊みたいな扮装したスタッフが、音楽に合わせてリズミカルに踊りながら通路を練り歩き、ランダムに通路側に座っている乗客を引きずり出してレッツダンシング!LALALAND!みたいな、そういう形をした余興にわたし運悪く選出されてしまって、黒いモルモットみたいな顔したお面に幣が大量についてて、人間の頭を覆い隠しているような、なんか、なまはげとかスネカとかそんな感じの来訪神ルックの乗務員に手を差し伸べられて、人並みに同調圧力に弱い私は通路をおたおたと跳ねまわったんですけど、そのとき、異性と手に手を取って握り合ったのがほんと、小学校低学年ぶりっていうか、なんならこういう自然な感じで(業務と同調圧力といえど)自由意志から手をつなぐこと、初めてじゃない?ってぐらいで、私、その後の行程では殆どそのモルモットの亡霊乗務員のことを考えていましたし、今も時々思い出しては連絡先聞いておけばよかったと噛み締めている。てか、ラインやってる?

 

他人と、親密になりたい!

 

ここでの「親密」というのは、所謂恋愛関係です。私は他人と恋愛関係になったことがないままこの世に生まれて四半世紀を過ごしつつあるんですけど、周囲で見かける恋愛事情とか同人誌とか同人誌とか同人誌とか時に商業誌を元に、恋愛関係とは双務的な最恵国待遇であるという認識を持っています。これが時に実質片務的なものだったって気付いてモメるのが二股。

恋愛関係にあるのならば、他人をわりと堂々と独占できる、すごくないですか。以前の記事でもなんか述べた気がするんですけど、私の旅行に同行してくれた同行者たちは、物理的に誰より一番近くにいる、その時点におけるある種の運命共同体である私より、物理的に海や大陸、時空的に時差という概念で隔絶された彼氏との連絡を密に取ってるんですよ。どうして? それは彼氏が最恵国待遇の相手だから。

旅行先でバリクソ時差がある中で通話に付き合ってくれても後腐れ無いというか罪悪感がない、「だって恋人だから……」という言い訳を使っていいという相手なら、わりともう私は男女問わないところがあるんですが、わたしのなかの異性愛規範が多分強くて、同性だと「どうせ男がいるだろ」みたいな目で見てしまうので、異性が良いです。善良で一定の良識がありその他男と確執がない程度に凡庸で、清潔感のある異性がいいです。でもはじめからそのつもりで付き合うと、私は相手の恋人に対して装う一面しか見る事がなくて裏で何言われてるかわかったもんじゃねぇなと思うので、知人から始めたい。相手の人となりをある程度知った上、納得づくで、双務的最恵国待遇の責を負いたい。いやその願望にそぐうような場に身を置いていないんで、当分無理なんですけど、行動範囲に異性、いねーもん。一人で震えてろ!

 

ついでなので、私が来訪神(乗務員)と手に手を取り合いララランドしたペルーレイルやマチュピチュ旅行についての記憶を以下にメモしていきたいと思います。

当時私一人同行者一人総勢二名の行程だったんですが、以下のツアーを利用して我々はマチュピチュに挑みました。

 

www.hotholiday.jp

 

マチュピチュへの玄関都市であり国際空港のあるクスコからマチュピチュまで、列車で四時間とかそこら程度の時間が掛かります。ほんと、一日がかり。上記の行程を見て頂ければわかるんですが、クスコ発だと、ホテル発が午前四時とかになります。復路ボックス席で相席になったコスタリカ人夫婦は「それがほんとつらい」と言っていたので、早起きが辛い人はオリャンタイタンボにより近い所に宿るか、オリャンタイタンボに事前に入っておいて、そこから列車・バス個人手配するかオリャンタイタンボ発着ツアーで行くかするというのも手だと思います。なお2018年3月時点ではクスコ=オリャンタイタンボ間の移動手段はタクシーかコレクティーボ(乗り合いバス)、後者はわりと事故とかあるみたいで、(勿論絶対無事故の移動手段なんて地球上に存在しないんですけど)地球の歩き方でも推奨はしていなかった気がします。

同行者たっての希望もあり、私たちはクスコ~オリャンタイタンボ間に横たわる「聖なる谷」にある「ユカイ(Yucay)」という町にある、スペイン統治時代の修道院を改装したホテル「ソネスタ ポサダ デル インカ ユカイ(Sonesta Posadas del Inca Yucay)」に宿泊しました。

クスコからの移動は往路直接ホテルと交渉し100ドルぐらいで迎えの車を頼む(疲れからか車内で変なテンションになって車内で歌とか歌ってマジごめん)、復路同行者が良い感じに話を勧めてくれたバーのおっちゃんに個人的に送って貰う(金額が往路の四分の一になった)感じでした。

雰囲気としては結婚式とかやってるホテルでほんと、中庭とかきれいで、あと朝ごはんがあります。ほんと周辺にはマジホテル以外には住宅街と牛のいる畑?と、後はアンデス山脈ゥ~~~~~~っていう立地なので、ホテル内のレストラン以外行く場もなく食費はお察しな感じにはなるんですけど、東京ディズニーリゾートで食事をすると考えると、全然食費も安いです。というか、ディズニーと同じで、そこまで行っちゃうともうそんなことあんまり考えていないというのが食の真実(ほんとう)。

それでソネスタユカイなんですが、ここはもうすでに何度か繰り返してる気がするんですがとにかく修道院を改装したホテルなので、フロントのあるメインの建物(ここにカフェとバーとイタリアンレストランがある、クスコで出て来た高山病・リマから引き続きの食あたり・恐らくそれに惹起された発熱といったデバフかかりまくりの私が「取り敢えず体力をつけるため何か胃に入れなければ」というどうかしてる義務感から夕食にとイタリアンレストランで注文したカルツォーネを吐き出した、ペルーでお目にかかった中では空港トイレよりもよく清掃された居心地のよいトイレもある)でチェックインを済ませて、そこから中庭の石畳を通って、山際にある教会を横目にせせらぐ小川の橋を渡ったところにある良い感じの数棟の良い感じの建物が宿泊棟です。語彙力は無いんですが、控え目に申し上げて雰囲気がある。

部屋の設備としては正直申し上げて、雰囲気込みでめっちゃいいです。ここの宿泊は同行者に任せていたのでどの等級の部屋に泊ったのかとか、サッパリわからないんですけど、鍵がまぁちょっと不安な感じのぼっちい鍵でもとにかく掛かるし、トイレが綺麗。それに、シャワーからお湯が出る。しかも朝食ビュッフェ付き(重複)で、同行者の持っていた強力下剤(と言われて渡された。後に彼女に薬剤の名前を尋ねたが「今となってはわからない」と言われてしまった。真相は藪の中。)を処方され発熱デバフが解除された私は、そこでキヌアの粥を啜りながら徐々に回復していきました。ママの味。(同行者は「これはでんぷん糊、病人食の味」と言って食べませんでした。他にもパンとか何とか色々あります。ソーセージとか卵とか何とか一般的なホテルビュッフェにあるものはあります。ペルーということもあってか、カカオの粉?とか乾燥コカの葉とかが、ミロの粉とかティーバックとかと並んでドリンクバーでスタメン張ってたのが印象深かったです)。さらにスタッフがめちゃめちゃ親切、というかフレンドリーというんですかねアレは。イタリアンレストランの給仕の人とか、「これサービスしてあげるから、うちの口コミで良い感じのこと書いてね!」と言って、なんかいい感じのおしゃれなパンを揚げましたみたいな感じのもの差し入れてくれました。あれから一年経とうとしてるんですけど、これであの揚げパンのようなおいしかった何かは帳消しになりますか。おいしかったですおばちゃん。ありがとう。

聖なる谷で宿るメリットとして、「標高が低めなので身体がやや楽」というのの他に、「聖なる谷内にあるその他の遺跡を巡りやすい」というのもあると思います。私はホテルからチャーターしたタクシーでマラスの塩田やモライ遺跡に行きました。旅慣れた人からすると余裕でボられた金額だったと思うんですが、「ビコウズウィーアーエルストゥデンティン……」「ムイガーロムイガーロ」とか言って、スペイン語を混ぜたボロボロ英語ながら程々に金額交渉が出来る程度英語の通じる相手が来たので助かりました。タクシーのおっちゃんが言うには「マラスは元々インカの都市なのでこの辺はケチュア語を喋る(し、オレも母語ケチュア語だ)」というような感じの案内もしてくれます。根差した語りによるガイドにエモを感じる(多大なる偏見)。

またユカイ自体も、敢えて観光で行くような遺跡があるところではなく、グーグルマップで各自見て頂いたらわかると思う感じでマジでなんもない場所なんですけど、砂埃が巻き上がる感じの踏み固められた道をホテルの門から出て歩いていると、道々の石造りの家は木戸で、教会があって、アルマス広場があって、ほんと、スペインの田舎風なんですね、私スペインに行ったことはないんですけど、イメージが本当に、ヨーロッパのその辺の雰囲気がある。いや、ヨーロッパのその辺言うて、私その辺のことは写真とかでしか知らないんですけど。兎に角、往年のスペインによる苛烈な支配というか、インカの都市を潰しその上、或いはそこではないところに新たに計画都市を作ったという状況を垣間見たような気持ちになります。興味深い体験でした。

 

上述のクスコ発着のマチュピチュツアーを申し込み、往復の出迎えを聖なる谷内のホテルに変えてもらうことも出来ます。そうするとクスコホテルからだとロビーに午前四時集合だったのが、ホテルロビーに午前六時に集合とかそれぐらいになるので、クスコ発着よりかは体力を使わないで済みます。私の場合は規定の時間から十分ぐらい遅れてバスが到着、え、これ列車に間に合うの?みたいな不安を残したまま町というか畑というか山脈はDing Dong遠ざかってオリャンタイタンボ着、結果としては全体的な遅延が列車の方に発生していたので間に合いました。私たちが実際にマチュピチュに行った数日前には小規模土砂崩れとかがあって全線往来中止みたいなこともあったようなので、そういうこともあると頭に入れておくと、いざというときに心安らかに事態を受け入れられるかなと思います。

ちなみにオリャンタイタンボはバックパッカーに人気?なんですかね、なんかそういう雰囲気の所で、クスコと若干雰囲気の類似した街並みがあり安宿や小さめの店構えの飲食店が立ち並び、石畳の上にバックパッカーや旅行客や地元面子が行き交って程々に繁盛していて、旅情が強く心惹かれるものがありました。今回は私ほぼ素通りだったんですが。


オリャンタイタンボからマチュピチュのある山のふもとの村、アグアスカリエンテスマチュピチュ村)まで概ね一時間ぐらい、暖かいドリンクのサービスがあり、晴れればビスタドームからなんかすごい川とか森とか森とか森とかが見えます。マチュピチュがあるのはケチュアと呼ばれる森エリア、天空の城的イメージからすると意外だったんですがそんなに標高は高くなく(2430m)、マチュピチュ遺跡内ではパッションフルーツの木が見られます。私も四半世紀で初めて見ました。木になるパッションフルーツ。ガイドの人によると「エッジオブアマゾン」だそうです。そのエッジオブアマゾンかどうかはわかんないんですけど取り敢えず、車窓から雄大アンデス山脈や自然を一望できます。車内案内もある、んですが、私の携帯アラームが不意打ちで予定時刻から一時間早く鳴ってしまい叩き起こされたこともあり起床リズムが乱れていた同行者がここで完全にダウン、私も車窓を見ながら段々と意識が遠のき、気付けば一行はマチュピチュ村にいました。

 

マチュピチュ村の駅からガイドと合流し、マチュピチュまでバスでいろは坂のような坂道を通り斜面を登ります。この行程が三十分ぐらい。そこで我々はマチュピチュ村の駅でガイドと合流し損ね現地携帯は電池切れでその辺にいるガイドに「携帯貸してくれ(緊急連絡先に連絡したい)」と言って「No」と断られあーーーーーこれ、死んだわ……アグアスカリエンテスに死す!って感じの展開を迎えたんですが、同行者の「なんか困った感じの顔で俯きながら歩いてたら「どうしたの」って話しかけてくれたガイドの人が……」という前置きと共に現れた、ペルーびとGuysの中では割と体格の良い兄ちゃんが緊急連絡先に電話を掛けてくれて言うことには、「あと三十分かそこらでマチュピチュ行のバスが出る、バス停まで行ってそこで合流しろって言ってるぞ」とのこと。

不可知の神と同行者に感謝しつつ私が漠然と心に蟠りを感じていたのは、あっ、やっぱ世の中ってひとえに愛嬌だわ。逆説的に愛嬌が無いといとも簡単に死ぬわと思ったところなんですけど、それは兎も角命が繋がったのは本当。ありがとな同行者に引っかかってくれた兄ちゃん。

そこからマチュピチュ行のバスってマジどこだよほんとどうすんだよ観光客二人ぼっちで行かすなよ死んでやる~~~~~みたいな気持ちで「そっち抜けて左に曲がったらある」と指さされた「そっち」、駅から出たところの売店売店に挟まれた細い道を私たち黙々と歩いたんですけど、そこから歩いて言われた通り右に曲がって、売店に挟まれた細い道を真っ直ぐ、数分も歩かない内に道の上にかかった金属製のなんか、素人とは言わないけどTOKIOが作りました? DASH村にかかるお手製の橋か? みたいなところの欄干の間に張ってあるフェンスから、下の道にたむろしている明らかにそれっぽいVOLVOのバス群が見えたので、そこまで迷いませんでした。割と観光客だけでも、なんとかなります。

参加した上述ツアーの開始時点、ホテルから出た時点で、バスの運転手のあんちゃんから「ペルーレイル」「マチュピチュ村からマチュピチュまでのバス」のバウチャーを予め貰うので実際現地でガイドがいないからといってマチュピチュ前まで移動できないとか戻れないとかいった障壁に出くわすことはなく、結果として我々はガイドと合流できず、その場(マチュピチュ村入り口)で、後述する正規っぽい白いベスト着てるガイドを雇っていざマチュピチュ!したんですが、上述のツアーではガイドと合流できなかった場合その旨申し出ればその分返金があるので、それはそれでかえって得したかなという感じでした。

 

それ以外にもペルー・ボリビア旅行中は結構ホットホリデーを利用したのですが、多分社員さんが現地(南米)に居るのかな……という感じで私が日本時間深夜とかにサイトマイページの問い合わせフォームから問い合わせをすると数分で返って来ることもあり、その節は大変お世話になりました。

2018年3月時点はその旨諸々本当に助かりましたし、ガイドと合流出来ないとか時間通りにはいかないとか当然色々あるんですが致命的なミスや遅れはなく、私が利用した感じではペケをつけるところのない、概ねいい会社だったかなと思うので、ご検討の方におかれましては、一つの感想として参考にして頂ければと思います。別に、お金貰ってるわけじゃないです。むしろ、払ってる。というか、こういう感想をホットホリデーで利用したツアーの口コミとして書けば、いくらかキャッシュバックあったのでは? おや……?

 

マチュピチュ村からバス移動すると、マチュピチュ前で降ろされます。2017年頃から法改正の影響か何かで、ガイドを連れない単独でのマチュピチュ散策は許可されなくなったので、どこかでガイドを捕まえるか何とかしないといけないんですが、マチュピチュ村入り口までいくとなんかいい感じに白いベスト着た人々が「ガイド?」「ユーニードガイド?」と寄ってきてくれるので、マチュピチュの所まで来ちゃってガイドがいないから入れない!ということは、あんまりないと思います。ガイド料金は確か10ドルかそこら。(2018年3月時点)。

 

マチュピチュ後の復路は往路の逆でバスに乗り(バスまでの待ち時間があるというのはよく言われるんですが、運が良ければ五分と待たず乗れます。私が見た感じだと割とVOLVOバスが京都市営バスみたいな感じでダンゴになって待機していました。ラッキーパーソンだったのかもしれない。)、マチュピチュ村で数時間潰してからペルーレイルでララランドをしてオリャンタイタンボ着、オリャンタイタンボの駅から両脇に連なる屋台だとか土産物屋だとかを恐る恐る進み、「バス運転手、いなくね……?」と震えていると、屋台で麺をもぐもぐしていた朝と同じ顔の運転手が我々を見かけて慌て気味に飛び出して来てくれました。食事の邪魔して悪かった。

復路は流石に一度通った道ということもあってトラブルは無かったのですが、一つだけ言えたことというのは、土産物はマチュピチュ村ではなくクスコ(或いはオリャンタイタンボ)で購入するべきだったということでした。当然といえば当然ですし当代随一の観光地ですので、マチュピチュ村の物価はクスコよりなんかこう、凄い。水一本でも相当違う。まぁ言われずともわかれよ当然そうなるだろって感じなんですけど、ほんと、マジで、同じようなとかではなく寸分たがわず同じ土産物シリーズ、クスコにだいたいぜんぶあるので、特にこれ!というものがなければ、金欠旅行者としては諸々の土産、クスコで購入するのがオススメです。ほんとはこういう、「こうだったんだよ」みたいな打ち明け話を親密な相手としたい。一年越しにとかじゃなくて、ライントークとか、ライン通話とかで。

 

ユカイなホテルに戻った後明日にはクスコに立つぞ!あとマチュピチュ村でテンション上がって食べちゃったアルパカ生肉のカルパッチョを消毒しよう!ということでウェルカムドリンクチケットを頂いていたのでそれを用いピスコサワーをホテルのバーで頂くんですけど、その時同行者の彼女のiPhoneとホテルのWi-Fiの相性が悪かったみたいで、彼女は若干ふてくされつつでも私と一緒にきょうのマチュピチュはほんと、写真みたいで凄い綺麗だった、日頃の徳のお陰だと言い合いながらピスコサワーをちびちびやって、結局全部飲み切って吐きでもしたら事だって三分の一残して、サービスで頂いたトウモロコシのカリカリした硬いスナックをもっぱら齧っていた。ポップコーンの種みたいな奴。

次のクスコのホテルはiPhoneWi-Fi拾いましたし、最終的に帰国に成功したので、彼女は彼女の最恵国待遇と今も親密にやってるんですけど、一方の私は、やっぱ世の中愛嬌だなと思いながら、ユカイのホテルに沈んだ時と同様、勝手に一人で震えながらペルーレイルで手に手を取り合ったモルモットの亡霊だとか、宅配の兄ちゃんだとか、リマのスーパーの入り口で搬入してて、私を見てニコッとしてくれたスタッフとか、多少袖擦り合ったあらゆる異性を思い出しては、「あそこで連絡先きいときゃ良かったな。」を繰り返している。ていうか、ラインやってる?ほんと。いや、旅行中にWi-Fi拾わなかった同行者のiPhoneの代理で、とか、話が盛り上がった同行者のついで、とかでラインを交換した幾人かの異性はいるんですけど、全くトークしてないしな。謎の連絡先と化している。ほんと、状況を打開するような愛嬌なく、話しかけてみるような気概もなく、ただ願望一つを持って、一人で震えてる。

 

他人と、親密になりたい! 

時間を取らせたという罪悪感無く、親密に無意味な話をしたい。

 


"Someone In The Crowd" La La Land (2016 Official Movie Clip)