メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

明け方の二次創作小説同人オタク(10年選手)

 

 

定期的に二次創作小説を書き溜めるだけのブログサイトを開設してから10年経ったらしいので、ここでドブに捨てた10年を振り返って見たいと思います。

 

ra927rita1.hatenablog.jp

 

自己紹介を始めます。カスの同人オタク。アーサー・カークランドはこんなに簡単に元弟を「赦し」たりはしないという執念から二次創作小説を始めてしまう。「自分がこういうものが見たい」というその場しのぎの動機で二次創作小説をしていたものの、二次創作小説を続けている内に「他人にこういうものを描いて/書いてほしい(自分でやりたくない)」という本来の動機に気付いたその時、「二次創作小説」という媒体を選んでしまったことを心から後悔した。十年間絵を描く練習をしていたら、また何か変わっていたんじゃないですか? (自己紹介 おわり)

 

ブログサイト開設1年目~5年目:BD(Bifore Doujinsi)

「二次創作同人小説」という、「3万円を豪華な紙束に変える行為」に手を染める前の時期。

ブログサイトを振り返っていると以下のペースで二次小説をアップしている*1


2012年6月3件 7月4件 8月5件 9月10件 10月4件 11月3件 12月3件

ちなみに10年モノのブログサイトを開設したのは6月ですが、それ以前にはFC2サイトを運営していた。そのHTMLサイトに掲載していた二次小説の更新数は、1月10件、2月11件、3月5件、4月19件、5月0件。

年合計77件、平均すると月6件の同人小説を書いている。

 

字数は?

字数には何の意味もありませんが、ここでは空費した時間を示す値として適当に示す。

 

2021年に30日間二次小説を書き続けるお題チャレンジに手を染め、旅行先でもスマホで二次小説を書いていた時の平均字数は4000字だった。

これは私の肌感覚ですが、10年前の当時から自作二次小説の字数が大きく増減した印象はない。なのでこれを基準に、二次同人小説1件=おおむね4000字×6件で一月24000字、年合計で308000文字です。

一文字一秒で打ち込んだとして4000秒=一時間弱、一発で全て自分が納得いく文章をそのままズバリ書けることもないので、一回書いて書き直し、そのあと誤字脱字修正フェーズが入るとして1同人小説に三~四時間程度使っているとして、これは一体どういうことだ? 

この時間を二次創作小説以外に費やせば、今頃一角の何かになっているのではないか。

二次創作小説 不毛です。

この時間で一次創作してたら、少なくとも懸賞小説に応募するストック程度にはなっていたのではないか? 

仮に二次創作小説を書くにしたって、何か書き方の文章作法のようなものを、きちんと学習するべきではなかったのか? 

 

何を目的にこんなことをしているのか?

私は「こういう二次創作が見たい!」という動機で二次創作に手を染めてしまいましたが、その結果「自分で書くことがあまり好きではない」ことに気が付きました。

「こういう二次創作を見たい」というサンプルを出すので、皆さんこういうのを描いて/書いて下さいというスタンスで行きたい。自分で書きたくない。こういうの読みたいけど、ないから自分で書いている。

他人が書いてくれるまで待機はできないので自分で書くが、あわよくばそれを他人に読んでもらってそれっぽい何かを二次創作してほしいし、日曜の明るい時間から暗い時間まで漫然と削ったり足したりした文章が、他人からどう読まれたのかということも知りたかったので、わりと積極的に「自作二次」を宣伝するオタクだった覚えがある。

 

一番読まれたもので、pixivで100users入りのタグが付くことがあった。覇権大手ジャンルでよく見るカップリングの二次創作をしていた頃だった。それでいて、「読みました!」という温度感のものを含めて、感想はこの時期に10程度頂いた記憶がある。嬉しい。しかし自作二次っぽい二次をしてくれるオタクは現れなかった。

そもそも、「二次創作小説」って読まれることが稀。目的を達成できずくさくさしながらも、二次創作小説を書いては後悔している。

二年目合計17件(約68000文字)月平均1件、三年目合計53件(約212000文字)月平均5件、四年目合計16件(約64000文字)月平均1件、五年目合計16件(約64000文字)月平均1件。

なお、当時タイトルを付けられたものを「SS」、そうではないものを「Log」として十把一絡げにまとめていたため、Logとして掲載された文章は件数の内に含んでいない。

 

何故オタクは洗脳されてくれないのか?

1~5年目のテーマがおおむねこれ。(答えはコミュ力 オタクとの身づくろいの方法を知らず、またその努力を怠り、コミュニケーションを取っていなかったから。)

「何故読まれないのか」というのは、「娯楽で小説を読む人間は少ない」ということが言えますし、第一二次創作の閲覧数は、ひとえに原作を履修したオタクの数に依存する。

なので、読まれる読まれないよりは、「「読みました!」「素敵!」と稀に単語を送ってくれるオタクが、何故洗脳されてくれないのか」というところに疑問が集中した。

 

同時並行して、〇〇さんの同人誌を買いました!という記念撮影をツイッターにアップするオタクの存在を観測していた。

同人二次小説をインターネットに公開していたほうが絶対的に露出数は多いと思うが、「本」という媒体に言及するオタクの数が、不思議ととみに多かった。ここに「当時の私が同人誌を出したことがなかった」という、劣等感にしてはお粗末な意識がこの記憶に影響している可能性はあるが、とにかく多かった。

また、「イベントでスケブ書きました!AB*2~!(画像付きツイート)」「アフターで〇〇さんのABがどうこう~!(画像付きツイート)」と盛り上がるオタクの存在を観測しており、これをもとにイベントに参加することを、ゼミや研究会へ出席するようなものかと誤解をした。

たしかに、ヤフージオスティーズで趣味ページを公開するより、同じような趣味の人間がいるところへ出ていったほうが、何かとそういったフィードバックを得ることもあるのではないか?

 

色々突っ込みどころがありますが後述するので、なるべく耐えてくださいね。

 


www.youtube.com

 

 

ブログサイト開設6年目~10年目:AD(After Doujinsi)

万札をして紙束にする行為をするようになった時期です。

これによって得られたものは、「小学校の教室で仲良しのあの子が休んじゃった子供の記憶の追体験」などを除くと、「表紙を他人に外注する口実ができる」ことだけです。(ネタバレ)

 

累計14冊同人誌を出した。

部数は一種類ごとにだいたい5冊~10冊、一回だけ仕様の都合で30冊刷り、あまりに余ったので、たぶん15冊ぐらい新聞紙に包んで、外から何がなんだかわからないようにしたうえで捨てている。戦前の捨て子みたい。

 

イベントに参加した回数は、確か3回弱だと思われる。

イベントに参加しないで勝手に同人誌を刷ったり、エアブーのみ参加という回もあったりして、もう何が何だか分からなくなっている。

結果として、同人誌を刷ったところで、目標は達成していないです。ここが重要。

 

ra927rita1.hatenablog.jp

 

二次創作活動を通して、同人オタクはどのように交流をするのか?

二次創作をしているが、これがさっぱりわからない。

サークル参加したら、ゼミの出席者同士みたいな他人行儀な交流程度は生まれるのかと思っていましたが、それは普通に間違っています。いました。これは私が悪かった。

二次創作者、結局原作を同じくするので、皆だいたい似たようなことを考えているのではないかと、私がオタクに期待をしすぎていた。

同人誌を出すことで理解したのは、「二次創作の動機は様々なものがある」ということです。

二次創作活動を通して、原作の補完を行う層・原作の「瑕疵」を改変する層・原作の設定を元に異なる設定下でキャラクターがどう動くかの実験をする層・原作のキャラクターに極端な「愛情」を持ち、原作世界観を改変する層・自分の好きな外見のキャラクターを使って人形遊びする層・架空のアバターを用い、原作の世界に介入する層*3、様々。

 

研究会やゼミであれば、この「スタンス」から大きく違ってくることはまずありませんが、二次創作となると大きく変わってくるし、その許容度は人によって異なってくる。

 

そもそもの問題ですが、オタクって相手のABを褒める/受け入れることから交流が始まるらしい。

なので、褒められたら褒め返さないといけないことになっているらしい。

任意のオタクに話しかけたとき、〇〇さんの文章好きです! と取ってつけたように返ってくることがあり、そういう時大抵他オタクへのリプライには「〇〇さんのABの△△の××が~~」と結構具体的なことを喋っているので、「読んでないのに何でそんなことを言うんだ?」と真剣に疑問に思っていた。

この現象について最近やっと「Twitterのbioを見て、二次小説を書いているオタクなんだなと把握してからリプライをしてくれた律儀な人なんだろうな」と理解した。

「読みました!」だけで具体的な説明フェーズに入らないのは、「実際読んでいない」「読んだが特に何も感じなかった」以外に、「(そもそも対面していないが)まだ初対面の段階で、お互いに「どういうスタンスの人」かがわからず、探りの状態に入っている」からというのも考えられる。

 

私見ですが、私は二次創作のことを原典で喰らったトラウマをどうにかするための逃避行為だと思っていて、現象界に存在するあらゆるものがイデア界に存在する真なるものの影であるように、二次創作は原典を投影した影のような存在だと思っている。

なので、「〇〇さんのAB」という認知がない。他人の二次創作について、強いて言えば「原作のここっぽくて好き」以外の感情がないんですが、なんか違うらしい。

「〇〇さんのAB」という概念がよくわからない状態で、「(なんかよくわからないけど)好きです!」と返すのは不誠実だと思っていたので、そうやって稀に話しかけた相手から仕草を返されると、「いやわざわざ読んだことないもの読みましたって言わなくていいよ不誠実だな」と感じていたのだが、あれはたぶん、交流にあたって必要と考えられている義理だ。

なにもよろしくなくても「よろしくおねがいします」、クソが馬鹿にしやがってと思いながらも「ご指導ありがとうございました」と言うのと同じなんだと思う。

 

まともな人間は二次創作をしない。

そもそも、まともな人間は二次創作をしない。

逆に言うと、二次創作に手を染める人間はいっとき正気を失っている*4か、そうでなければ、自分の限られた時間でどのように欲望を満たすかに苦心している。

「他人の二次創作に影響されて書き出す」のは、余程のことがないと起こらないし、「もうある」ものを重ねて書こうとするオタクはまずいない。

 

なので、四年に一度ぐらい取り憑かれたように長文の感想を送ってくれるFF外アカウントが発生すると、大体の場合それが最初で最後になる。

人間は処女が好きなのか、オタクはパイオニア精神が強いのか知りませんが、「これが読みたかった」と言うオタクは、大抵「これ」に類する二次創作に手を染めていないことが多いし、何がしかの二次創作に手を染めている人間が感想をくれると、次の瞬間には「ABは書いてる人いるから私はいらないよね」という旨のツイートを見ることになる。

 

一人だけ、私の二次を見て対抗二次を出してくれた人間がおり、本当にありがたかった。10年で1人出会えるのって凄いな 天体現象みたい。

 

この彗星を除くと、二次創作の経験があるジャンル外フォロワーに四六時中自分の妄想ツイートを読ませることで洗脳に微妙に成功するパターンがある。

たぶん二次創作するオタクって、繋がりたいタグで不特定多数のアカウントとつながり、ツイートの形で洗脳することで、自分好みの傾向の二次創作を他人に書かせているのではないか、ということを最近ようやく理解した。

そうやって四六時中妄想を刷り込み、あと時々無意味な声かけをすることを通して「信頼関係」を築くことで、「自分の解釈に近い二次」であったり、「自作の感想」とかを収穫してるんじゃないかなと。

 

感想文って具体的になればなるほど、自分の頭の中を見せる行為に他ならない。

「あなたの二次を見て私はこういうことを/こういう二次を考えました」というのは、発信側も受容側も互いに信頼関係がないと難しいのだ。時折不幸な事故が起こることもある。

 

togetter.com

 

二次の露出を通し知り合った人間と、自慰行為ないし思考を見せても大丈夫! と相手に思わせるほどの信頼関係を構築することが、たぶん私の目的(自分の妄想を他人にどうにかしてほしい)を達成する最短距離だった。

 

もっと言えば、それっぽいツイートだけ公開アカウントで残し、猛然とツイート検索を始めた人間の脳に傷を残して、あとは二次創作が生えてくるのを待つのが一番では? というようなことを思いつつ、コンスタントな二次創作は続いている。6年目合計34件(約136000字)月平均3件、7年目合計42件(168000字)月平均4件。

8年目以降はTwitterに掲載した文章をある一定の間隔でサイトに掲載するようになっており、サイトの更新履歴記事も、以前までのように「20XX年X月X日に〇〇をアップしました!」という方式ではなく「〇〇をいくつかアップしました」という書き方になるため、更新数を逐一追えなくなる。

代わりにローカルフォルダに書き溜めているtextファイルフォルダの更新日付を見ると、8年目82件、9年目59件、10年目(~6月29日)で現状41件のテキストファイルが、「掲載済」のフォルダの中に入っている。

 

他人に頼って「こういう二次創作を見たい!」とする戦法は、四六時中そのことばっか考える異常者にとっては不確実なので、いるかどうかもわからん他人をあてにせずにこうやって好き勝手無軌道に自分の妄想をしていると、他人との信頼関係は醸造されない。

なので、当初はコミュニケーションをする気概があって話しかけたり話しかけなかったりしたオタクは、そちらはそちらで、コミュニケーションを取れるオタクとよろしくやりますし、この状態になると、良くて時々アップしてるのを見てもらって、フーンと読み流して頂く程度のところに落ち着いているのではないか? と思う。悪ければミュート頂いている。


この状態で反響が欲しくなって、匿名メッセージサービスが実はあります! などとを連投したところで、そもそもの信頼関係がありませんので、「読みました!」「よかったです!」が関の山になる。

それが悪いというわけでもない。

 

他人に期待しないことは「誠実」か

急に私の話をしますが、他人に無暗に期待を寄せるべきではないと考えている。不誠実だからだ。他人が何をしてどう考えるかは、他人の自由意志に委ねられるべきである。

しかし、自由意志とは何か? 

全オタクがSNSをやめて、拍手やコメントを閉鎖した個人サイトに細々と絵をアップロードするなら話は別でしょうが、「同好の人間との交流手段」として絵や文章を使う人間からしたら、当然反響が大きいものに寄っていくのは自由意志であり交流戦略です。

自分が得たいものを得るために、お前はまずオタクと向き合うべきではなかったのか。

お前は10年何をしていたのか。自慰行為。

 

オタクから何かを得たいのであればオタクと向き合うべきですし、本当に自分が読むだけでいいのであれば、「無かったら書く」オタクのパイオニア精神を摘まないためにそもそも自作二次を公開をするべきではない。

10年かけてそれっぽっちのことを理解し、それでもなお、中途半端に、「あわよくば洗脳される人間がいないかな」と思って、公開しているんじゃないですか? 多分。公開する理由はそう。他人への期待を捨てきれていないから。

 

そして二次をしだすのは、それ考えるのが楽しいからだと思います。

旅行に行きたがるのと同じ。新しい世界を広げる・他人とつながる・新しい居場所を見つけるために趣味をする人間がいるように、趣味と称して目の前の諸問題から逃げる方便とする人間もいます。

眠れないままの明け方って、明日が台無しになることがわかってるのにやたら楽しくて、結局、あれをずっとやろうとしているんじゃないだろうか。

 


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*1:自サイトの「更新履歴」記事を参考にした。

*2:特定のカップリングへの言及を避けるため使用する代名詞 A×B

*3:夢小説・オリキャラやなりきり、乗っ取り二次やクロスオーバー二次の層を想定

*4:このタイプは熱が収まったりライフステージの変化に伴い二次創作行為から足抜けができると思っている。これは私の偏見だ。