メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

メーデー! とも令和とも特に関わりがない映画『テルマ』について

 

別に節目でも何でもないが、タイトル回収回である。

しかしアレですね、三月四月のブログ更新率を見るにつけ、お前!ブログしてねぇで自己PR文書けよ!!書けよ!!!何してるんだよ!!!!!アッハッハッハッハッ!!!!!!!(履歴書の最後の一字でミスをした私feat.おひさまの国のお城で孤独に佇む黒化ブライト様)

 

このブログのタイトルは、五月一日に世界各地で行われる祭典に因んだものではない*1

メーデーさんに因んだものである。

本名はスキャグデッド。『バイオハザード リベレーションズ』に登場するクリーチャーだ。

メーデーさんというこの呼称は、作中初出のスキャグデッドの台詞(台詞?)メーデーメーデー…こちらクイーン・ゼノビア、救難信号…メエェェェデエェェェ」から来てるので、正確に言うとメーデー(遭難信号)から派生したメーデーさんに由来する、つまるところ孫引きのようなものなんですけど、ええんかそれは。

なので、五月一日はわりとただの日付である。なお今年は改元イベントのあった日付でもあり、寝て起きたら平成が令和になっていたが、日常で和暦に余り接さないので、大した感慨もない。

というか、新年カウントダウンの如く盛り上がっている人間を見て、逆に冷めたクチだった。お前、ほんと、そういうところだと思うぞ。踊るアホを見るアホがどうのこうのって、言うじゃん。節目を意識することで、日常の生活にメリハリが生まれるんじゃん。

しかしなんか、回顧をすることによって「平成は良い時代だった」「ありがとう平成」「次来る時代も穏やかな良い時代でありますように」「ようこそ令和」というテンションに引っかかりがあるというか、良い時代でしたか、平成。総括の場で「何ら良いこともない、悪くなるばっかりのクソみたいな時代だった」と言ってもしょうもないので、何かいい感じに締めとこうという所は、わかる。「悲観的」に見ても仕方がないというのも、わかる。しかし、兎に角終わり!閉店セールだ!と言わんばかりのお祭り騒ぎを見るにつけ、パンとサーカスジョージ・オーウェル!と、つまるところ、勝手に興奮する性癖なんですね、善悪の判断は置くとして、現象として面白いですよね。

 

メーデーであり、令和の初日であり、しかし労働してないし、和暦にそんなに関わってないので、どちらとも大して関係なし、それどころか、どっちかというと、そんなことしてる場合じゃない身分なんですけど、折角なので、末期の平成において何をしていたか、ここに書き残しておきたいと思います。

 

といっても、特に何もしていなかった。平成最後の昭和の日に大正駅で云々とかいうのが夕方のニュースで流れたりもしましたが、あんな感じで、最後の日に何して過ごす? みたいな発想が、まるでなかった。

履歴書を書き、誤字をし、ゴミと化した履歴書を丸め、捨てる。やる気を失い、漠然とネットサーフィンに繰り出す。ふと思い出してダウンロードしていた論文に目を通す。語句を調べようとしてタイムライン警備を始める。きっとこんな風に、最期の日を迎えるんだと思う。予定の無い日を緩慢に過ごしてしまいがち、流しそうめんみたいに若き日の人生を流している訳ですが、平成最後の日には運よく、見たかった映画のタイトルを思い出していたので、映画を見た。

 


映画『テルマ』予告編

 

テルマ』である。

2018年の末頃、ツイッターで繰り返し複数のアカウントからリコメンドされているのを見たのだ。年末に見ようと思って結局見なかった映画なので、じゃあこの末に見るかなと思い立ちました。前情報としてはホラーサスペンス百合超能力ぐらいだったんですけど、実際見た感想としては陰鬱陰鬱百合超能力(?)といったところでした。

舞台はノルウェー、寒村にて厳格なキリスト教徒の両親に育てられた少女・テルマは、大学進学を機に都会・オスロで一人暮らしを始める。そこで出会った少女との「禁じられた」初恋を契機に、彼女の内なる力が目覚めてしまい……といった感じのあらすじなんですが、一通り見てからあらすじを見ると、何となくミスリードを感じるので、陰鬱な北欧が好きな人は、以下の文章を見る前にご自分でご視聴された方が、多分楽しいです。

 

doga.hikakujoho.com

 

UNEXTでは見放題の範疇に入っていなかった(580円でレンタル可能)んですが、一ヵ月無料体験時に付与される1000ポイントで無料レンタル出来ました。

 

 

で、私の感想なんですが、はっきり言ってよくわかってないです。

「いるのですよ、この世には。本物の力を持った霊能力者がね……」*2といった、幕引きを感じた。

陰鬱な画面とか色々あったんですけど、中でも特に観客に情報が開示されていくにつれ、登場人物への見方が結構大きく変わったのは、凄い面白いところだなと思いました。他人の感想を見てる時に蛇蝎の如く悪し様に言われがちだった父、私も冒頭何だこのハゲぐらいのお気持ちあったんですけど、父、父……私の中で最も大きな印象変化があったのは父でした。作中においても旧弊な価値観の権化として描かれているのは間違いないと思うんですけど、「あなたは本当に優しい人よ」という夫婦のシーンに象徴されるように、どうしようもなく一市民でしかない彼は、娘の力を前にして圧倒的に無力だった。

恐らく彼の父(祖父)も同じことを彼の母(祖母)にしており、抑圧の末に自分の身に危険が迫ることを分かっていたと思います。自分の父の末路を知りながら、(そのように育てたのだから当然なんですが)自分たちに救いを求めてきた娘テルマに対し「必ず助ける」と言う、その横顔の影に見える悲壮。父~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!

昨今の流行と倫理の更新、そして祖父というフラグの通りほんと、従来の家父長制や権威主義による秩序の行く先は悲惨しかない!といった感じの末期を辿る訳ですが。

 

それにしても、この映画でひとつの価値観が提示されていることはわかるんですが、その内容が一晩寝て考えてみても掴めない。霧島澄子が頭の中で歩き回っている。「流しましょう。私たちの全て……」*3

テルマ』が例えば2000年代初期に制作された映画であったとしたら、父を炎上させた後に、湖の底に向かって泳いでいくテルマ/大学のプールで、在りし日のようにアンニャと再会するテルマ このシーンの後にエンドクレジットが来るか(限りなく死に近い生死不明)、湖畔に打ちあがったテルマの溺死体を映しエンディングにしていたと思う。

しかしこれは2010年代の人権先進エリアで育まれた映画なので、矢張り殺しはしなかった。衝撃的な終焉を迎え、マイナスの状況下の中で、「それでも生きていく/生きていかねばならない」というテイストの映画、最近割と多いように思うんですが(割と多いとかいって、私そもそも、そんなに映画を見る習慣がないのでこのパターンに該当する映画として、『シン・ゴジラ』とかしか浮かばない。)、歴史は終焉に向かわず統合の夢は潰えた現代史という話が好きな私はめちゃめちゃに性癖。時代が追い付いて来たなっていう感じがします。(何?)

話をそれでも生きていくテルマに戻します。

湖畔で幸福な夢のまま死ねなかったテルマが吐き出した小鳥の死体。キリスト教的な象徴だと思うんですが、そこは不勉強なので現時点ではスルーします。

その後のテルマの行動と、その状況をどのように解釈するかによって、この映画における主題が、大きく変化するように思う。

 

個人的な見解として、「力」をあってはならないものとして抑圧するのではなく、それも「私」であると受容することによって、テルマは力をコントロールすることが出来るようになった(母の脚の治癒)、というのは、以下に述べる二つの解釈のどちらにも共通するように思う。この映画の中で示される主題の一つは、自らを抑圧するのではなく、受容せよ(さもなくば未来はない)といったものでしょう。

以上のテーマが共通のものであるとしたうえで、以下が問題のラストシーンなんですが、

 

治癒した母親の制止を振り切り、実家を後にするテルマ。場面は切り替わってラストシーン、大学構内に戻ったテルマは、首筋にアンニャの口づけを受けることを夢想する。するとその後に続いて、後ろからやって来たアンニャにより、首筋に口づけを受ける。微笑み合う二人。台詞はうろ覚えなんですけど、「その服似合ってるわ」(アンニャはこれまでパンク系のファッションを着ていることが多かったが、ここでは白いシャツにスカートといった素朴な装い)「あなたも、私の上着がよく似合ってる」(テルマは物語中盤までのアンニャが着ていた確か黒い革ジャンを着ている。パンツスタイルだ) 大学構内を歩く二人。ここで暗転、エンドクレジット。

 

ここで個人的な争点になるのは、アンニャの自由意志である。

物語の中盤、テルマを救おうと彼女の力を抑圧する父との問答の中で「彼女を愛していた」「彼女は愛していなかった」「お前には誰かが必要だったんだ」「お前がそのようにあれと願った、だから彼女には選択肢がなかった」というのがあるんですが、アンニャからテルマへの恋愛的アプロ―チが、テルマの願いによるものであるか。ここが争点。

物語序盤から、割とアンニャは積極的にアプローチしてくる。テルマが願いを自覚する以前からアンニャがアプローチをしていたのならば(またはテルマの力はテレポーテーションやテレキネシスに限り、人間の精神に感応するヒプノシスな力はないとすると)、アンニャのテルマへの恋慕は自由意志ということになり、エンディングにおける去っていく二人は、抑圧を越え自身を許容/受容したことによる、妥当なハッピーエンドとして見ることが出来ると考える。


しかしアンニャの恋慕が、テルマの願いによるものであった場合を考えると、どうなるか。

前述の通り、テルマの超能力はテレポーテーションとか物質の移動とか少なくともそういう物理に働きかけるものがメインであるという描き方をされていると思いますが、ここでは、彼女の能力が人間の精神の操作を可能にするものだった場合、あのエンディングシーンを、どのようなものと解釈できるのか。

父の言う通り、「テルマは孤独で、誰かが欲しかった」というのを前提に、たまたま横に座っていたアンニャに白羽の矢が立った。或いは、アンニャは元々テルマに関心を持っていたが、それを恋慕に変質させたのは「アンニャと親しくなりたい」というテルマの願いであったと考えた場合(テルマのアンニャへの執着は、作中前半において描かれている)、

二人で手に手を取って去っていくあのエンディングはつまるところ、作中マリファナと言われ煙草を吸わされてトリップしたテルマによる自慰行為のシーンがあるんですけど、あれと同様、あのエンディングは、テルマの自慰に過ぎないのではないか。

テルマが首筋への接吻を夢想するイメージが明確に描かれていることから、私は個人的に後者の説を意識してあのエンディングが撮られた可能性が高いんじゃなかろうかと思っている。

「全身全霊を掛けて願えばお前の力が叶えてしまう」と父に言わしめたような超能力を持つテルマは、父殺しにより抑圧を逃れ自由を得ることで、自らの力をコントロールすることが出来るようになった。彼女の力によって崩壊した家庭で「行かないで」と縋る母を背に、彼女は都市へ出ていく。自らの力によってコントロールされているアンニャの手を取り、力を持ったテルマは、しかし、孤独だ。以前の価値観の象徴である家に戻ることも出来ないし、側にいるアンニャは彼女の自由意志ではなく、力により操作されている。

その孤独の中で、それでも生きていかなければいけないというのは、こう、極めて今っぽいテーマだなと思うと共に、ツァラトゥストラはかく語りき!って感じで、私はそういう話好きなので、テンションが上がる。神は死んだ。絶対者のいなくなった世界で、超人にならねばならない!

 

ところで物語中盤、オスロ・オペラハウスが出てくるシーンがあるんですけど、実際行ったことがある/記憶がある場所が映像として出てきて、なんだかよりテンションが上がった。あっ!このオペラハウス行ったことある! 勧められるがまま、ここの屋根に上って、雪で滑って、斜面で尻打って、成人にして、新たに蒙古斑を作りました。2018年ベスト痛い打ち身イヤー。昔取った杵柄! って感じで、ささやかに受け身を取った形跡もあったんですけど、何よりも先に派手に尻もちをついて、暫く起き上がれず雪の上に蹲っていたら、困惑顔の女性数名が手を差し伸べてくれました。優しい世界。

 

www.visitnorway.asia

 

オスロ・オペラハウスは、オスロ中央駅の南側から出ると徒歩五分というか、目と鼻の先に見える。

私は12月オスロで雪を漕ぎながらだったので、五分かそこらぐらいの印象を得ましたが、夏だったらもっとサクっと行ける距離にあると思います。

 

テルマ』の作中では、都会の象徴として描かれるオスロなんですが、私の感覚からいくと、流石に首都という風格はあるんですけど、かなり小規模な都市だった。

どれぐらいかというと、ナットシェルでたまたま一緒になった中国人グループと、そこらの道端で再会するぐらい小規模。駅前から王宮までを繋ぐカールヨハン通り、片側一車線もなさそう。いやそこの道で車移動が想定されていないとか、馬車道とか、色々あるんですけど、印象としては、小規模な街です。

夏に行けばまた、ダイナミックにフェリーに乗って島の方にあるヴァイキング船博物館とか行って、印象変わるんじゃないかと思うんですけど、どうにもこぢんまりとした感じ。

これまで北欧の都市は、片手で数えることが出来る程の回数行きはしたんですけど、その度にこう、オスロに見た印象と類似の、「管理できる小規模」という雰囲気を見ている。

日本語圏のツイッターで、選挙シーズンとかに、選挙カーを否定する文脈で「北欧の都市では演説の為に市民にドーナツとコーヒーを支給して、集まって来た奴に話を聞いてもらうんだぞ」というツイートをどっかで見たんですけど、首都であの小規模なら、そら、北欧では出来るのかもしれないが……といった印象になる。

無論、人権意識とか諸々で北欧は先進地域だろう。しかし北欧で実施できているあらゆる事柄というのは、「先進的な思想の枠組み」は勿論、同時に、「小規模感」によって実施できているという側面も、少なからず大きいのではないかと思う。

文明の発達した今でこそ、おしゃれスタイル北欧とか何とか出てきますけど、元々自然環境が恐ろしく厳しい土地だ。というか、おしゃれとか銀行とか、付加価値を売りにしているところは、基本的に土地が貧しい。すなわち粗方掘り返し尽くした「現代」に利用可能な価値観の先進と言い換えることが出来るので、北欧がフィーチャリングされる流れは全く正鵠を射ているというのもあるし、前提条件が全く異なるところからも、勿論学ぶべきところはあると思うんですけど、ここには無いほっこり幸福なイメージを、北欧に求めるのは、何かズレているんじゃないだろうか。しかし、そもそもイメージビジネスなんだから、実態がどうであれイメージが売れれば、それはそれで正しいんじゃないのか。そもそもほっこりヒュッゲ♥にやたらと引っかかりを覚えるお前が、単に陰鬱な景色が好きなだけじゃない? ハマスホイとか。というか、ノルウェーにおけるヒュッゲ概念が存在するのかどうかはわからないんですけど、そもそもヒュッゲって大切な人と一緒に過ごす時間♥の概念じゃないですか(主観)。後者のアンニャに自由意志は存在しない、テルマの「力」にはヒプノシスマイクが含まれているという解釈で行くと、テルマはそういうの、手にしてないんですよ。

能力を抑圧する鎖/家庭という場を破壊することによって、自由を得たテルマは、自分の願いによって変質したアンニャの手を取ることが最早自慰行為でしかないにせよ、それでも、生きていく。

父と類似の悲壮がここにあり、赤い煉瓦の並ぶ陰鬱寄りの街並みがそれに影をそえるというか、いやしかし、人間は見たいものしか見ないので、私はそういうものを見たいから、そのように見ているんでしょう。ここが主観の限界、おしまいの地です。

 

 

幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年

幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年

 

 

*1:出典: 「メーデー」、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』(最終確認日2019年5月1日)

*2:霧島澄子 『TRICK』(2000年) 第三話「母の死」

*3:霧島澄子 『TRICK』(2000年) 第三話「母の死」

マッチング相手と出来なかった台湾高速鉄道で行く台湾南部の話

最恵国待遇、もとい「彼氏」「彼女」といった肩書によって他者を独占する権利を得たい! という一心でマッチングアプリに登録した時期もありましたが、予期せぬスマホの謀反により目論見はデータごと崩れ去りました。残るは荒城の月、兵どもが夢の後。

しかし、謀反起こらずとも目論見を達成する目算は正直、無かった。アプリを起動するのも面倒になっていた。マッチングした相手への関心が、返信への手間を上回っている内は良かったんですけど、次第に「話題を探し続ける」ことが、面倒になってしまった。

この経験を通し私は、日常生活、例えば共通の趣味とか、共通のジムとか、共通の職場とか、学び舎とか、そう言った所で、相手への造詣を深めていきたい方だなという自己分析を深めた。目下、職場未定だし、学び舎には異性がいません。学部一年前期に受講した教養科目で、哲学教授が言い放った言葉が忘れられない。「異性との交歓の喜びを捨て、学び舎としてここを選んだあなた方は、既に熱心な哲学徒である」

 

ところで、かつてのアプリにてマッチングした男たちの中で一人、鉄オタが居た。日々の労働の中もぎ取った休みで中国大陸に乗り込むと、ひたすら鉄道に乗ると言っていた。

ここでマッチングした鉄オタが、話し相手として良かったかと言われると、正直何とも言えない。トークは常に交流というか、質疑応答の感があった。しかし彼については私は、少なからず共感を持っていた。自分も似たようなものだからである。相手に対して関心は無いが、誰か「自分ではない他人」とつながりを持ちたい。気兼ねなく話せる相手が欲しい。相手の相槌を独占しても罪悪感のない関係! 心当たりがあったら、是非メール下さい。ハンドルネームはまだ覚えているので、よかったらまた、文章のやりとりをしましょう。私の手持ちの話題は、もう全部アプリで使い切ってしまったので、敢えてする話も無いかもしれませんが……。

 

この鉄オタと最後にしたのは、台湾高速鉄道の話だった。彼が何故中国大陸の鉄道に強い関心を持っていたのかについては、結局要領を得ないままだった。その理由を聞いたような気もするし、聞かなかったような気もする。答えて貰ったような気もするし、はぐらかされたような気もする。相手を理解する為のトークを幾晩かこなしながら、結局私は何一つ、理解できたものはなかったのかもしれない。なかったのだろう。

その中でも、鉄オタが台湾高速鉄道に乗り、高雄まで行ったことは知った。高雄、駅名としては「左營」で、全然わかんなかったなという話が、我々の最後のトークの切り口となった。

 

私が台湾に行ったのは推定五年前、初めての海外旅行だった。

このブログの最初のエントリーで話題にした場所は京都だが、次なる記事として、私は台湾に関する記事を上げようとしていた。

まっとうな旅行記事を書こうという意気込みがあった当時、意気込みに潰され、結局記事としてはお釈迦になった。

いや、当時はこんなクソ腐臭強めな、ラクーンシティの教会みたいなブログになる予定無かったんですけど、ほんと、どうしたの? 何か辛いことあった?

 

台湾、出国前に日本でWi-Fi予約したのに、完全にこちらの手落ちにより(日本で一度ログインしとかないといけなかった)(一度もログインせずに出国しちゃった)完全な無用の長物と化したとか、桃園国際空港で降りたら、なんか予想以上に台北市内が遠かったとか、桃園国際空港から取り敢えずバス乗って市内移動しよって思ったら、窓口のオバちゃんに英語通じなくて、メモ帳と漢字が大活躍とか、結局「乗り換えしろ」って言われたことがわからなくてバスに乗りっぱなし、そのまま松山空港まで乗って行ってしまうとか、なんかホテルの空調が一晩でポストカードふやかすレベルの湿気を放ったり、鍵がイカれたトランクを百円ショップ(みたいな)にて購入したハサミでぶっ壊して開錠したとか、あと、台湾のゴキブリは日本で見るのよりなんかフットワーク軽め色も浅めで、最初はでっかいコオロギだと思い込んでいたとか、九份に昼間に行ってしまったばっかりに、人波見てゴキブリ見て帰ったとか、タピオカや豆花の存在を知らない(当時そんなに流行ってなかった)なりに回った台北でも色々あったんですけど、ここではマッチング相手に出来なかった、ガオティエの話をしたいなと思います。

 

台湾高速鉄道! 要は新幹線です。台北から高雄まで、一時間から二時間で結んでいます。外国人(中華民国以外の旅券所持者)は、数日間限定の乗り放題チケット有! 当時はオトクかどうかわかんないけど、取り敢えず購入した記憶がある。同行者が持っていた昨年度版るるぶと、私の所持していた台北フォーカスのガイドブックでお前、よく台北から出ようと思ったなというところなんですけど、例のように前準備がゴミ。

乗り放題チケットを入手するにあたり、五年前は、同行者手持ちのるるぶ(その時点で昨年度の情報)を参照し、現地の日系旅行代理店にて、なんか引換券を購入して(だいたい一万円)、そこで受け取ったバウチャー?と、パスポートを台北駅窓口で見せて、チケットを取得した覚えがあります。

 

www.jtb.co.jp

 

www.taipeinavi.com



ちょっと調べてみたら、私が旅行した翌年から、ウェッブで予約できるようになったみたいです。ハッピー!

 

周遊権を獲得しガオティエを駆使してどこに行ったかというと、高雄と台南の二都市。三日間チケットだったので、帰りに桃園まで乗って、いい感じに使い切ったかなという感があります。

それにしても、桃園から桃園国際空港までのシャトルを探せ!クエストとかが発生して、トランク転がしながら駅構内ダッシュ決めた記憶があるんですよね。ほんと綱渡りだなお前の旅程。

以下、どんな感じに下調べ無く現地に赴き、状況が穏やかながら混迷を極めたかについてを、記憶に残っている限りで、記していきたいと思う。

 

一往復目:台北⇔高雄(高鉄の駅名としては「左營駅」)。

何で高雄を行先に選んだのか記憶がない。多分駅名を知っていたからというのと、後はなんか、南端だったからじゃないかな。

高速鉄道の乗り込んだホームの雰囲気が極めて日本的で、少し驚いた記憶がある。開放的な天井から垂れ下がっている歓迎の幕に、何でか知らんが相撲レスラーが描かれていたからだ。九月で旅行ハイシーズンだったと思うんですが、矢張り平日ということもあってか人影はまばらだった。

まだ日が高い午前のうちにバスに乗って龍虎塔へ向かい、龍虎塔に入りがてら、この後台北の湿ったホテルで水分を目いっぱい吸い込み、書いた側から文字の滲んでいくことになるポストカードを貰った。龍虎塔の内部は、イッツアスモールワールドを仏教ナイズドして、予算の額面を落とした感じ。

龍虎塔のある公園内は、サイクリングコースみたいな感じで当時から既に整備されており、公園の地図を見た感じ「徒歩で左營駅戻れるんじゃね?」という誤判断をやらかしたか、或いは普通にバス乗って左營駅に戻ろうとしてわけわからないところに迷い込んだかなんですけど、この辺りで一度大きく道に迷う。当時のカメラロールを探していても、撮影地のはっきりしない謎写真が多くて、正直怖い。

 

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やたらと輝く湖面

 

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多分玉乗りをしている何らかの動物


事前の準備不足としか言いようのない現象により何かと彷徨った高雄で一番印象に残っているのは、美麗島駅だ。高雄メトロの萌えキャラによるツインテールウルトラマン)に興奮する外国人画像構図をトレスした公式ポスターとかいう、何がなんだか訳がわからないものとかもあったんですけど、やっぱ色々差し引いても、こう、美麗島駅。

 

www.travel.co.jp

 

調べたところによると、アメリカの会社によって「世界で最も美しい駅」ランキング第二位に選ばれたりしてる駅、一面がステンドグラスです。綺麗。フリーのピアノも置いてあった気がする。ちょっとした教会というには、にぎやか。

 

高鉄の終電までにも時間があり、台北に戻っても敢えてすることの無かった我々は、ここから高雄港に向かって歩いた。特に意味のある行動ではなかった。

地下鉄の適当な出口から出ると、高雄港までは、ほぼ一直線に進めば良いようであった。天井一面がステンドグラスの現代的な改札周辺と比較し、地下鉄から出て来たところの出入り口は奇妙に鄙びていて、あの生臭い港の臭いが薄く漂っていた。空には淡い橙を基調に、様々な色合いの暖色が棚引く時分だった。

 

地下鉄から上がって暫く歩いていると、右手に広場が見えて来た。そこの光景をよく覚えている。

老若男女が凧あげをしていた。通り過ぎた道沿いにスパイダーマンとか、ドラえもんとか、キティちゃんとかの凧が売っていたんですけど、どれもタコの尾の方に虹色のリボンがついていて、空を滑空すると、その虹色の帯が夕日に棚引いて、きらきらと綺麗だった。以来、高雄と聞くと、この景色を一方的に思い出す。手前勝手な楽園イメージを重ねているのだ。

 

我々は凧あげをしなかった。楽園を横目にそのまま一路、海に向かい歩いていくと、なんか、その内に、謎のオブジェが林立し始めた。色とりどりのミシュランみたいな奴。

 

www.travel.co.jp

 

今思うと、多分これだ。

しかし当時は高雄港について何の前情報もないまま無為に歩いていたので、現代美術的なアレだなということしかわからなかった。辺り一帯は日没し、比較的広い道路の先、並ぶ赤提灯(恐らく夜市だ)を遠目に、カラフルミシュランが左右に控える謎の道を歩いていくと、倉庫のような場所に出た。やっぱり間違いなくあれ、駁二芸術特区だと思います。

赤煉瓦造りの倉庫と地面に敷かれた廃線路。倉庫の壁面にへばりつく頭無し巨大イモリ。ライトアップされたきゅうきょくキマイラ。プラスチック製のフラウィーちゃん。脈絡のない交通標識。日没後の黒い海面。

ライトアップされた現代美術的オブジェに取り囲まれ、異様な雰囲気の一角の中、唯一まともそうな白い灯りのついている倉庫があった。その中に案内もあるみたいだし、取り敢えずちょっと入ってみようとしたところで、男性に止められた。営業時間外だったそうです。

日本語ドイツ語中国語のトリリンガルらしい男性は、「また明日来てね」と言っていた。ゲームだったら多分、翌日行ったらパーティーに加入してたと思う。結局翌日は台中に行ってしまったので男性をパーティーに加入させることは出来なかったんですが、惜しいことをした。

 

その後オレンジの光を名残惜しく思いながら美麗島駅へ戻るのですが(※前述の通りWi-Fiが無いので自分たちの勘で歩いているのだ)、道中完全に日没していて、また来る途中にまっとうな道を外れて芝生を通ったこともあってか、クソクソ迷った。

廃線になった線路を辿りながら、しじまの向こうに見える程の街の喧騒を目指して、最早暗い芝生というか、草むらの上ひた歩いていくと、廃駅に辿り着いた。ホームによじ登り表示を見る。高雄港とあった。出口はない。

思い返すにつれ、あそこで不審者とエンカウントしてたら確実なゲームオーバーだったなと思ってるんですけど、何だかんだフェンスの切れ目を見つけて脱出しました。街路灯に照らされた車道沿いの道に、心底生きているという感じがした。文明!

しかし、特に美麗島駅以降のでオレンジの街路灯やライトアップに照らされた記憶、どれもこれもちょっとヤバいというか、トリップ? みたいな感じが強い。いやまぁトリップには違いないんですが。

 

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旧高雄港駅 記憶を元にインターネットで検索してる今はトリップ状態の記憶を色々補完出来て楽しいんですけど、当時現地にいた私の心境は手ブレがよく表している


 

二往復目:台北⇔台南

台南である。

こちらは元々目的地が決まっており、ゼーランディア城目当ての旅行であった。

なんでも、17世紀頃に台湾南部は一時オランダ東インド会社の支配域に入っていて、その当時に建造された台湾最古の城塞なんですけど、その後明末清初のごたごたで大陸から追い出されてきた鄭成功がそこを襲撃、東インド会社を追い出して根城にしたぜ!って感じの城です。レンガ造り。現在の史跡として向こうで通じる名前は安平古堡(あんぴんこほう)。

名前調べて来たし、まぁ最寄りもわかる、行けるっしょ!と意気揚々と我々(というか、私だ。同行者は史跡に関心がないが、「お前が好きなようにすればいい」と私を野放しにしてくれていた)台南駅のバスターミナルから案内を片手にバスを探していると、おっさんが後からついて来た。

いや、白シャツパンツのおっさんがこっちめっちゃ見てるし、歩いてくる。森のくまさんよろしくスタコラサッサすると、おっさんもスタコラサッサしてついてくるんですね、後から。

最終的に捕まってヒエッお助け~~~~~~ってなってたら、「お前らどこに行きたいんだ」みたいな会話イベントが発生しました。台湾、割と謎の善人イベントが多い記憶がある。運が良かった。

 

しかしこの台南駅、鉄道駅としての名前は「沙崙駅」なんですけど、台南中心部から結構離れている。バスが高架に乗り込んだ時、私は正直ぎょっとした。えっ、そんなに離れてんのは、正直想定外だった。

高雄駅(左營駅)はメトロが直結だったので余り考えたことがなかったんですけど、台南編では私が目的地を定めていたこともあり、周囲のことを余り確認していなかったので、何か新幹線の駅と建物の壁に書いてある駅の名前違うわ~~~って感じで、沙崙駅の名前だけ控えた状態での異国on高速。心は地獄。台湾の高速道路、私の走った路線は高架式の所が多かったんですが、橋げたというか、あの脚の部分が、日本のものより随分スマートでいらして、通る度に勝手にヒヤヒヤしていた。気分はジェットコースターのチキチキチキチキって言いながら、上に昇ってる時のアレ。神経が見る見る内に、音を立てて細くなる。キュッ

まぁ(体感で)随分走ってから高架を降り台南市街に近づいて来たあたりで私は諸々を諦め、というか、神経が細くなる余り、なんかあらゆることに現実味を無くしてしまった。

ねじ式的な眼医者看板をいくつか見たが、当時の私はねじ式を知らず、アッなんかインターネットでよく見る奴だと思っていた。また、車窓からは駐車場のある回転寿司屋の求人垂れ幕が見えた。都内の時給を知っている者からすると、恐ろしく低い値段だ。極めて傲慢に、当地の人々の暮らしについて思いをはせた記憶がある。

 

「安平古堡」のバス停で降りてからゼーランディア城までも、結構距離があった記憶があるが、どのように行ったかは正直、もう、記憶にない。事前に台北のホテルでグーグルアースで確認しスクショをした通りの道を歩いたか、或いは何となく人が流れていく方に歩いたか、それかなんか、看板があったのかもしれない。

ゼーランディア城に到達するまでの間、二つの恐らく観光客向けの青空市場を通り、一つ城下町のような参道のような所を通り抜けた。

九月。建物は皆低く、日光を遮るものは店先の僅かな影の他、殆ど無かった。暑くて暑くて仕方がなかった。緑のペットボトルに詰まった青草茶という、茶というには甘いが、ジュースというには砂糖みのない液体を購入した。ドゥオーシャオチエンと値段を聞いたら、片言にしては流暢だが、間違いなく母語ではなさそうな雰囲気の日本語で返って来たのが、ここだった。

台湾を歩いていると時々、日本語が通じる老年の人がいるんですが、彼等と接触するにつけ、個人的には、身の置き所のないような気持ちになっていた。何もかもは覆りようのない歴史であり、それは私個人に関わるものではないんですけど、人間は社会的な生き物なので、国家によってそれぞれの人間の生活保障をする枠組みの中に居る以上、どうしたって、ルーツからは逃れられないのだ。強制の記憶があり、加害の記憶がそこにあることを、むざむざと目の当たりにする。店を切り盛りしていると思わしき老夫婦は笑顔だった。日本人観光客にも慣れているのだろう。

ゼーランディア城が見えて来た当たりでなんたらビン(餅)と銘打たれたピンク色の饅頭モドキを購入した。中央に安平と印が打たれていてなんだかご機嫌だと思ったからだ。多分白もあったと思う。柔らかいものを期待して購入したが、固かった。まぁ食べれる味だった。中は空洞だった。

 

ゼーランディア城である。

煉瓦造りの城であり、内部は発掘調査の結果出て来た焼き物の欠片や、現地の歴史の流れについて解説してくれる、結構お金が掛かってそうな展示があった。

当時の大砲や鄭成功銅像オランダ東インド会社の残したなんか、色々な遺物等見ていて、かなりエンジョイしましたし、物見やぐらというか灯台みたいなものもあって、その展望台から台南の市街地が一望できたりして(建物が全体的に低いのでそんな迫力ある景色ではない。解説を一通り見た後だとテンションは上がる)私は楽しかったんですが、生物系の同行者は人知れず熱中症になりかかっており、最後の方は「お前が楽しければいいから好きに見て回ってこい」と、常ならぬ寛容な事まで言い出していた。彼女と私は中学から面識があるが、それほど優しい言葉を掛けられたのは、あれが最初で最後であった。中学時代、彼女からのファーストコンタクトは「うわ、キモ」である。

 

ゼーランディア城からの帰還が、一番骨が折れる放浪だった。

取り敢えず城から出て、足取りがヤバい同行者を休ませるためカフェを探したが見つからない。天皇御用邸というか日本の天皇も訪れました!みたいな施設を通りかかって、フリーエントリーだったので屋内でキメッキメのポーズで写真を御取りになってらっしゃる中国人カップルを脇目に、木陰に休んだりはしたんですけど、中々大通りにも出ない。

赤緑の郵便を横目にバス通りにようやっと出た頃には恐らく三時、気温が最も厳しく、同行者も結構ヤバそうだった記憶がある。その状況下で飛び込んだ、Wi-Fiフリーと書かれたカフェが極楽浄土だった。もう店の名前も思い出せないが、客が居らず空いていたその現代的な店には英語のメニューがあり、クーラーが効いており、冷たい飲み物を口にしていると、店主と思わしき男性がカウンターから出てきて、ベルやジンジャーブレッドの形をした一口大のカステラを机に置いて、「サービスだから食って行ってくれ」と言ったのだ。地獄に仏か? 

駅までの行き方や、周辺のバス停の地図まで見せてくれた記憶がある。この店主は以降の旅行中に出会った人物の中でも、トップクラスの聖性を放っている。神。マジ感謝。お陰で台南駅まで戻ることが出来たんですけど、ここで問題。バス移動によって降り立った豪華な建物、推定漆喰の壁にハイビスカスをあしらってるこの台南駅は、「台南市の市中心部に位置する。台南の玄関口として市を代表する中心駅であり、縦貫線の全列車が停車する。台湾最西端の駅。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』最終確認日2019年4月29日)」であり、台南駅 (台湾高速鉄道)ではないのだ。

エッ違う駅じゃん!!!!!! まぁ一応、何か違う駅だなってことは察してはいたんですけど、思いのほか全然見た目が違う。

そこで駅員さんを捕まえ「シャーリン」「シャーリン」と喚いていると、制服の駅員さんが面倒臭そうに出て来て、代わりに券売機で切符を買ってくれた。 日本で言うところの一昔前の券売機で、イングリッシュも無し。わりとマジで操作の仕方がわからなかったので、本当に助かった。

切符を片手にプラットホームへ行き、なんかレトロな雰囲気の車両に乗って暫く暮れなずむ車窓を眺めていると、台南駅 (台湾高速鉄道)、もとい沙崙駅に到達した。

そこからやれやれと台北に戻る途中に、行きがけに鍵ぶっ壊れてやむなく壊したトランクが、ジッパーの口をキーでロックする方式で、どうせ代替の鍵を買うんだったらばちょっとした南京錠を買うべきところ、普通に忘れてダイヤルロック機能の付いたトランクの胴体に巻くベルトを買うとかいう、わりとわけわからない散財の仕方をこの駅でするんですけど、それ以外の散財として、空腹を持て余し駅構内で買った豚の角煮弁当を食べた。

ほんと、トランクはマジでただの無駄遣いだったんですけど、この台南で食べた豚の角煮、ほんとうに美味しかった。

高雄でも空腹を持て余して、駅構内で安い煮卵を食べるなどしたんですけど、ハッカクですかね? なんかスパイスが効いた味のする台湾の食べ物、めっちゃ美味しい。アレを思い出す度、幾度となく台湾に行きたくなる。結局あれから行ってないんですけれども。

でもなんか、このブログ書くためにちょっと調べたところによると、桃園国際空港と台北市内の間に、メトロが開通したらしいですね? 超行きやすいじゃん。西門西門!ってバス窓口のオバチャンに喚いていたアレ、何だったんだ。ほんと、公共交通機関最高。行きやすいじゃん。是非また行きたい。

そういえば鉄オタに最後に振った話は、この台南の駅弁の話でした。

君も、そういう話聞くと台湾にまた行きたくなると、そういうようなことを言っていましたね。

スマホぶっ壊れが発生して、アプリがもうどうしようもないことになったこの世界線では、これまでの縁なのでしょうが、世が世なら、そういう未来もあったかもしれませんね。

 

ところで、この旅行を同行して下さり熱中症の危機に瀕した寛容な同行者なんですが、当時交際三か月だった先輩と、今度結婚するらしいです。

時よ!

 


星野源 - 時よ【MV & Album Trailer】/ Gen Hoshino - Tokiyo

闇夜にうごめくBLUE SAPPHIRE


劇場版『名探偵コナン 紺青の拳(フィスト)』特報2【2019年4月12日(金)公開】

 

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これはチップをうず高く盛って自ら狭くした入り口に体をねじ込むうちのブルーサファイア

 

※以下、現在劇場公開中の映画作品『名探偵コナン 紺青の拳』ストーリー部分のネタバレがあります。

 

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ふしぎ星の☆出所不明な恋慕(諸企業からの御祈りと真っ白なレジュメを添えて)

 

恋は、何人をも容赦しない暴君である 

 --ピエール・コルネイユ

 

 

これはほんと、ただの日記なんですけど、

 

推定十数年ぶりに、ふしぎ星の☆ふたご姫(無印)、全51話を視聴しました。

マジで何してんの? 

わたし、しょぼっと就活生! きぎょうちゃんお祈りパワー・メークアーップ! 


ほんと、なんで急にそんな思い立ってふたご姫を視聴したかというと、何か、急に思い出してしまった、プリンスブライトのわけわからない執着をおさらいしたいな~~~~と思って、成人済みのお粗末な読解力では受け入れられないシーン等々を飛ばしながらという、雑な視聴の仕方をしていた訳ですが、

結論から言うと、十数年という時を経て、脳内で都合よく改変していた。

プリンスブライトのオルタ化は知ってたんですけど、もうちょっとシリアスな感じになるかと思っていた。

いや、視聴していた頃の記憶として、漠然と終局的雰囲気を覚えていたので、対象年齢的には、効果的だったと思います。冒頭15秒の軽いテンションで語られるふしぎ星の設定から惑星の滅びの危機とか、ちょっとトボけたセカイ系の雰囲気があってよかった。

ただ、対象年齢から十数年、修士(人文系)になった視聴者は、ブラッククリスタルに乗っ取られたおひさまの国より、余程危機的状況にあるのは、正直盲点でしたね。

玉座に座って爆笑するブライト様ごっこ、毎日してる。アッハッハッハッハッ!!!!! 真っ白なレジュメに相対する私、もしくはサークル参加時の私です。ブライト様もうやめて! そんなの、ブライトっぽくないよ! というか! そんなのブライト様じゃない!!!!!!私だよ!!!!!!!!ブーモ!!!!!裏切ったな!!!!!!!!!(一番許せなかった48話「最後の宝☆恋するブウモ!?」パールちゃん×ブーモ成立シーン)(そそのかした奴が勝手に恋の力で浄化されやがって!!!!!!!)(浄化カップリング成立をもって孤立するブライト様と界隈における自分がいよいよ完全に重なってしまう)(「僕が間違っている筈がない」(35話~40話前後のブライト様))(「私の頭がおかしいっていうのか!?!?!????」(このブログで頻出する限界フジョシワード))

それにしてもブラッククリスタル、選出した人員が善良なブライト様だったからこそ、星は救われましたが、仮にもしも私がブラッククリスタルに寄生されブラックプロミネンスの使い手になっていたら、ふしぎ星は三秒も持たなかったと思う。同人暗黒日記とか、ほんと、暗黒の力に満ちているので……

 

お察しの通り、ブライト様が好き。

前半の舞台装置としてのブライト様を、俄然推している。

なんで? プリンセスファインへの恋慕の理由が無いからだ。

 

ふたご姫作中には、成人した大人のクソ想像力では受け入れがたいダイナミックな論理展開が結構あるんですけど、ダイナミックな論理に反して、交錯する人間関係と淡い恋愛の描写、情動の動きについては、思いのほか丁寧で繊細な描写がある(個人の感想)。

ここでブライト様のわけわかんない恋慕をご説明する為、ふたご姫前半のクライマックスシーンの一つとして私が勝手に捉えている13話「こわ〜い森☆ちょっぴりドキドキの体験」における関係性を振り返ってみましょう。

この時点ではファイン→シェイド→レイン→ブライト→ファインの回し車が発生している訳ですが、これを分析していきたいと思います。

 

まずファインからシェイド(13話時点では「エクリプス」)への思慕ですが、これは所謂恋愛感情だと思う。急に現れたミステリアスで顔の良い異性へ寄せる淡い感情。この人なんとなく悪い人じゃない気がする、助けてくれたし、でも、なんか気になる。みたいな。初恋の淡さを感じて、超エモい、推せる。

次にシェイドからレイン。13話時点でエクリプス=シェイド(月の国の王子)は明かされていない設定だと思うんですけど、月の国の王子設定が明らかになった頃から振り返ってみると、ここに込められている眼差しの淡い感情を推測することは可能。個人的には、「母上に雰囲気が似てるから」だと思っています。舞台装置でありながら人間であり、必要とされない/装置として満足に動けないことに軋んだ人間性に付け込まれたブライト様とは対照的に、シェイドは今は健康状態の芳しくない美しい母親に強く心を傾け(私はこれを「信仰」と形容します)、「母を支えるために」自分の「すべきこと」を具体的に理解し、淡々と行動しているという描写があります。

彼にとって母親は一種の信仰の対象であり、無条件の好意が向かう先。双子姫に対する敵対的な言動のある「エクリプス」の時期でさえ、母と類似の雰囲気を持つレインに向かう感情は彼の行動に影響を及ぼしている。それほど母に思うところがあるのではないかと、ここは個人的にそのように解釈しました。おいしい。

というか、いよいよ最終局面を迎え最終話を見終わった後も、最終的にシェイドがファインの手を取った理由が、いまいちよく呑み込めていない。レインがブライト様を支えると心を決めているのが分かったから、じゃあ双子の片方の自分に懐いてる方の手を取るか、みたいな、そんな爛れた訳ではないといや、思います。思いますが、私のクソ読解力が全然読み取ってくれなくて、もうじき午前三時になる。私は何をしているのだろうか……

続いて、レインからブライト。これもわかる。ふたご姫前半エンディング曲「おしゃれファンタジー」中に、「おしゃまなおしゃれファンタジー」という歌詞の一節があるんですけど、レインはこの歌詞のとおり、まさしく「おしゃまな」女の子といたキャラクター像がある。彼女は初期より一貫して「異性愛」に憧れ、「女性的なおしゃれ」に強い関心を持っている。舞台装置としての初期ブライト様は、おしゃまな女の子にとって、極めて理想的な物腰柔らかで見目美しい、プリンセスを引き立ててくれる舞台装置なので、憧れとして彼を求める感情の動きは大変よくわかる。恋愛! 

 

そして最後に、ブライトからファインに向かう感情の動きですが、

これが全然わかんない。

なんで??????? 

 

ファインは「元気」というキャラクター設定。彼女は作中でマザーツリーの怒りを買い、子ザルに変身させられるシーンがあるんですけど、全然、猿に馴染んでる。そういうタイプ。よく食べよく眠り、作中でも恋心を知らない/認識できていないことを示唆されています*1

一方のブライト様なんですけど、第一話「とびきりスマイル☆ふたごのプリンセス」時点から、もうファイン様のことしか見えていない。一話を見て頂ければわかるんですけど、会場に駆け込み床でスライディングしている双子に歩み寄ると、ブライト様はファインを呼んで手を差し伸べるのですが、そこのボイスが明らかに本命ボイス。「あっこいつはガチだ」と歴ばかり長いフジョシは秒で察知、その後も窓の外を眺めながら「プリンセスファイン、貴方は今何をしているのだろうか……」とガチ惚れを見せてくれるわけですが、作中では一切そこに至る経緯の説明はナシ。

ブライト様が胸中で双子姫に言及する時、というか、彼が胸中で思い返すのは基本的にファイン。「プリンセスファイン……!」としか回想しないし、黒化した後も「プリンセスファインならきっとわかってくれる」という回想が入る。物語終盤、彼は妹によって「彼の完璧でありたいという願い、他者に期待をせず、なんでも一人で抱え込む傾向が、ブラッククリスタルの苗床になってしまった」というような推測をされるんですが、そのブライト様が唯一期待をかける対象が、恋慕を向ける対象と同じく、ファインのみ。彼はファインのことしか思わない。

また、ブライト様もその他キャラクターと同じく、双子のことを「プリンセスファイン、プリンセスレイン」と呼称しますが、その他のキャラクターによる呼称が、シェイドの「ふたご姫」と同様の、双子を呼ぶだけの呼称に過ぎない一方、ブライト様は明らかに、「ファイン」を「レイン」と区別する為、双子を区別し「ファイン」を意識するがために、そのように呼んでいるのではないかと思えてくる。いや、考えすぎじゃない? っていうと、まぁ状況証拠しかないですし、反論のしようもないです。

要するに、ブライト様のファインに向かう感情は、先に述べた三者と比較すると明らかに濃度の濃い、明確な恋慕であることは間違いないと思われる。しかし、作中において相対的に「強い」その感情に対する明確な理由付けは、一切作中で成されない。

何ならブラッククリスタルによる洗脳後、「大多数に必要とされたい」という舞台装置の軋みの方が増幅されて、ファインに対する出所不明な恋慕の描写は少なくなりますし、色々あって浄化された後の最終話では、ブライト様は「僕は素直なんだよ 君と違ってね」に代表されるように、舞台装置の役割を降りたような雰囲気を醸し出して、レインの手を取ってくれるわけですが、

は?

何だそれは。

いや、最終的に自分を説得し続けたレインに報いるのは納得するしわかるとして、前半なんでファインしか見て無かったの?????っていうのを、私は知りたい。その動機、何故? 全51話、そこの関係性について、一切のディスコースなし。

 であればファイン側からの働きかけは、ブライト様がうっかり落ちたり期待したりする態度を見せているのかどうなのかというと、彼女、多分ブライト様について特に思う所がないというか、何なら苦手そう。ブライト様の舞台装置的な振る舞いに、ちょっと引いてるところがある。

彼女は「勘が良い」というキャラ付けがあるので、ここを私の見たいように見ると、ブライト様の舞台装置と人間の間にある軋轢、舞台装置の役を自ら進んで自分に負わせてしまうような自己抑圧的傾向を無意識に感じ取って、あっ、こいつはなんか面倒な奴なのではないかと、そのように意識まではせずとも、ちょっと引いたところで見ているという感じがあるんですけど、そこにブライト様が敢えて惚れこむ要素、その一切が謎のまま幕引き。

何故???? 

シェイドのレイン推しに至る動機「母」といったような、ファインに向かうような間接的動機付けもナシ。

ただ、第一話から、舞台装置として自ら引き受けた役を降りかける程(声のトーンがマジでガチなので、フジョシ歴が長いような人間は聞けばたぶんすぐにわかる)、ファインに強い思い入れがあることだけが明らかになっている。

その状況下で迎えた13話、あのマントを貸し出すシーン、レインが先にくしゃみをしても、ブライト様はマントを同じように貸してくれたと思うんですけど、その行為に乗る、公平無私な舞台装置キャラクターの見せる「私」の載る瞬間、向ける眼差しの優しさをこそ、乙女は欲するところだと思うんですけど、それを向けられている相手の方が全然気づいていない、何ならそれを欲しがっていないという描写(千とカオナシの間にある関係との類似性がちょっとありますねこの二人)が、私は、めちゃめちゃに、ツボで、ブライト様~~~~~~そのわけわからない恋慕をファイン様にもっとお向けになって~~~~~~~~~~~~!!!!!というわけのわからない掛け声を画面に掛ける女になってしまった。

しかも私、公式カップリング成立後のGyu!は途中離脱したクチなので、恐らく十数年前から、そういう嵌り方をしていた。正体不明の巨感情が大好きなんだ。いや、ブライト様からファイン様に向けるそれは、正体不明な巨感情というか、単に出所不明のシンプルな恋慕なんですけれども、いや、しかし、恋慕に至る理由が全くわからない。彼女に何を見て、彼は何を期待したのか? より単純に「物語を都合よく回すための舞台装置としての恋慕」という回答も、それはそれで面白いような気がしてきた。舞台装置の初恋!

 

はい、お気づきの通り私、個人的にはプリンスブライトのプリンセスファインに向ける「舞台装置」の初恋ないし「舞台装置としての初恋」をめちゃめちゃに推してしまいますが、その他にもふたご姫、作中の人間模様が濃いので、人間に疲れてしまった成人たちにおすすめです。新生活オススメグッズは、ふしぎ星の☆ふたご姫(無印)。特に作中におけるプリンス・プリンセス恋模様事情。

確かに人間事情以外の物語展開等は、想像力の欠落してしまったアルコール漬けの成人脳では正直、鑑賞に耐えられないところがあると思いますが、しかしそれにしても人間関係は良かった。フジョシ歴を重ね様々な人間関係を考察した後も、素直にテンションが上がりました。純粋な恋慕の、力強い理不尽さ! あなたを見つめる、あなたを選ぶ、あなたを助ける、あなたのことが好きだから。純粋な選択が幾度となく無邪気に行われるさまが心を刺します。

自己を削る努力をするが故、研鑽をしない双子姫を当初受け入れられないアルテッサの見せる、刃物の煌めきのような美しさも推せる。というか私、ふしぎ星の中では特に宝石の国推しなんだな。ふしぎ星全体の中でも「技術発展」という人間の業を一身に背負った王国の末席に座る、舞台装置としての王子と刃物のような美しさを持つ姫。ひえ~~~~~~っ エモ!!!!!!! そして抜き身の刀のような美しさのアルテッサが、まさしく鞘のような性質を持つ隣国の王子の手を取った時の感動!!!!!!! かざぐるまの国×アルテッサ推しです!!!!!!!!!! 

 

と言う訳で、新生活に倦んだ皆さんにおすすめのグッズ、ふしぎ星の☆ふたご姫!是非見て下さい!!私はあらゆる事柄の手を止めプロミネンスパワーに二日を溶かしました。

前半はプリンスブライトという名の舞台装置の初恋、後半は刃のごときアルテッサが手を伸べ続けていた鞘の男の手をいかにして取るか。私のワクワクセット人間関係はこちらの二本立てです。君だけのおいしい人間関係を見つけよう!

 

 


今週のお題「新生活おすすめグッズ」

*1:44話「めざせ優勝☆シャル・ウィ・ダンス?」レインの手を取って踊るシェイドの姿に胸を痛めるが、その理由を理解せず「私の心臓どうしたんだろう」に類する発言。一方レインは13話時点でブライトがファインに思慕を寄せていることを理解し、彼女につめたく当たる。14話「プーモの修行☆ケンカしちゃったふたご」終盤で「私ブライト様のことで嫉妬しちゃっていたの」と回想している。

腐人 強靭日記

 

スマホがぶっ壊れあそばした。

 

日頃よりすこぶる快調だったわけでもないんですけど、ここまでのぶっ壊れが予期できるような前兆はなかった。肝臓か?

と言う訳で、突如フリーズの後再起動を繰り返しホーム画面に行きつかなくなったぶっ壊れスマホを持って携帯ショップに行ったら、修理の名のもとに代用スマホをお貸出し頂くことになった。

そこで、こればかりは、後に不具合があったら都合が悪いので、スマホ人権、もといライフラインである、グーグルのアカウント設定およびラインアプリのダウンロード諸々を、店舗内でしてけと言われたもんで、店員さんの目の前で諸々のセットアップを行ったんですけど、この時点から、代用機のコイツも何だか顔色が悪い。私の指さばきに、文字入力がついて来ていない。残像だ! 

何はともあれ、とにかくセットアップして入ったGmailアカウントがユー・ガット・メールしておりまして、スマホショップの店員さんが目の前で「あっ出来ましたか~?」とか言っているのを他所に、私ははてなブログからのメールを軽快な指さばきで開けました。

 

はてなブログ「1年前のブログ「界隈での交流/ zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌…」などを振り返りませんか?」

 

鬼か? ブログはじめて二年目だよっ☆★とかいう内容のメールは送ってこなかった癖に! おかげ様で、ショップの店員さんに限界長文タイトルが御開帳されました。ワールドワイドウェブで全世界に御開帳しといて、今更何だって話ではあるんですけど、インターネット公開が、公衆便所で用を足した程度の行為だとすると、スマホショップで限界長文御開帳は、公道で絶叫脱糞程度の精神的ダメージがある(個人の見解です)。

ここでショップの店員さんの気持ちになってみましょう。冴えない客が、陰気にスマホ画面をフリップしている。どうやら問題なく、グーグルアカウントにはログインできたらしい。チェックをしてやっているのを無視して、客が勝手にメールを開けた。

 

はてなブログ「1年前のブログ「界隈での交流/ zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌…」などを振り返りませんか?」

 

実際問題、そんなに気にしてないと思います。店員ロールしてるときって心死んでるし、余程な客じゃないと意識には止まらない。はてなブログがメールに恥を載せてふりかえりを促そうと、大した問題では無いです。

 

かくいう界隈での交流/zero零細文字書きが一時の気の迷いと「同人誌さえ頒布すれば自分だって」というような思い込みでサークル参加した張本人こと私も、遂にフォロワーと面会しました。

「10年来インターネットを介して交流を続けている謎のフォロワー(実生活アカウントも相互フォロー)」や、「カップリング被ったこと多分一回しかないんだけどライン交換してる謎のフォロワー」という強気面子友人枠(実生活に関する話題で盛り上がる相手は友人認定をしがちだ)フォロワーたちとのたのしい道行を繰り広げたことはあるんですけど、界隈に関する事柄が話題に存在する、所謂「二次創作アカウントにおけるフォロワー」との面会は、初めてのことでした。

あれから約一年、「居酒屋でオフ会」と言えば聞こえはいいんですけど、夜行上がりの身体にビール入れてみたら、急ピッチで眩暈が発生した私は、一人水の飲み会を開催していました。肝臓、仕事してる?

 

これまで何度か記事中で繰り返している話なんですが、私は自分を満足させるために創作活動(二次小説執筆)に手を染め、他者を説得/洗脳する為に同人活動(同人誌頒布)に足を突っ込んだ。

私が同人活動を続けて居ようといまいと、界隈は、大手の提示するAに洗脳された、A´的な創作物に溢れていた。むしろ、私が同人活動を続けていくうち、自然な時の流れにより、上った日が沈むように、私と類似の、私の思うような原作に典拠が求められると私が個人的に考えている、そういった「正しさ」を追求する創作者というのは、諸々あって、遂にはいなくなったように思う。後には夜、暗闇、もとい無知が残るのみである。

 

基本的に、零細サークルによる小説同人誌に反響はない。それは別に、今に始まったことではないんですけど、他人の同人誌に対する反響が飛び交う只中でその状況で在り続けると、普通に、精神に悪い。他人(漫画)の同人誌に寄稿(小説)したイベント後、他人に対してのみ「〇〇さんの同人誌読みました~~~~❤❤❤」っていうリプライ飛んでるの見ると、超精神に悪い。

まぁそこは、「文字が読めない人がいることだなぁ」と思って、そういう割り切りをするのが大事なんですけど、「割り切れている」と自分で思っていても、どうやら人間、どうしても社会的動物らしく、平常な精神を持っているとされる人間には、どうしても、自己を映す鏡としての他者が必要らしいです。

私は、自分が正常だと、ひたすらに信じ込んでいた。出典も出せる、論理もある。分は明確に、私にある。しかし私は鏡を持っていなかった。例えばバッチリ顔面盛れてても、鏡で確認できなかったら、自分がどんな顔してるかわからないのと同じで、私も自分の同人誌について、最初から最後まで徹頭徹尾自分で書いているので、ストーリーに謎も伏線もへったくれもない。他人から見たときに、私が意図した効果を発揮しているのだろうか、この同人小説? 

そもそも私は、他人に、自分を見た幻想を、文章を介し、伝達することが出来ているのだろうか。出来ている筈だ、こんなにも私には伝わって来る。界隈が文盲なだけだ。しかし界隈が読まなければ、この煮詰まった人間関係の文章、誰が読むのか? 読まれない文章の存在意義とは何だろうか。私が読む。ただひたすらに私が読む。そこに存在意義は、確かにあるのだ。

しかしどうだ、文盲らが、訳の分からない戯言を喚き、あそこに拍手喝采が起こっている。あれはなんだ。「あれが」正しい二次創作なのか? 私が、狂っているというのか!? 

 

かような不安に蝕まれるがごとく、私は同人活動から足を洗いつつあったんですが、状況を把握している人間から、面と向かって正気を肯定されることで、一つの呪いが解けたような気がした。

私は、自分の正当性を強く意識する余り、界隈の文盲が正当性無く無秩序にしかも酷く愉快そうに徒党を組んで! 在り続けることが理解できず、却ってそれを強く意識して、げんなりしていたんだと思うんですが、私の意図が及ぶところのない、明らかな「他人」から、正気を肯定されたことで私、自分で自分を定義し続ける必要が無くなったというか、何だか酷く、肩の荷が下りた気がして、キャラクター同士の人間関係がいいなぁと随分久しぶりに、純粋に、そのように思えた気がする。

 

ですので、この文章を見た人間は「同人誌を出してみたが反響がない」「あの日頒布した同人誌が本当に存在しているかどうかわからない」「せめて苦情が欲しい」と荒れているアカウントを見かけたら、「お前の正気は正しい」と肯定してあげて下さい。ついでに感想とかひねり出せるなら、まぁ嬉しいと思いますけど、ただ肯定されるだけでも、心持ちがだいぶ違う。それだけで、救われる命があるかもしれません。

しかしこれはあくまで個人の例なんですが、フォロワーとの面会を通して私、「読解力が一定以下とジャッジしたアカウントからの情報を、精神安定のためにシャットアウトしてる」という疑惑が出て来たので、別に肯定した所で、何ら救われない可能性は十分にあります。

道行く人影の全部が生存者ではないかと一々期待してたら、生き残れない。それが斜陽ジャンルというラクーンシティ。道行く人間は識字力がない、人間関係に対する解像度が低く、速やかに紋切型の「恋愛関係」を粗製乱造していくゾンビ*1と思って間違いありません。今わかった、真の人間は見出し難い。キャラクター関係に「恋愛」などと既成のレッテルを貼るような盲でいることなく、関係に対して高い感度をもち言葉を模索しようとする、ゾンビと成らず、人間に留まっている新規は、あるいはあるかもしれない。救えよ救え。新規……

 

*1:あくまでこれは個人の目から見た他者の在り様の形容であり、その在り様はいずれにせよ趣味の一形態に過ぎず、そこに善し悪しはないです。キャラクター同士の人間関係に恋愛を見出すなり見出さないなり何なり、各自好きにすればいいと思います。

平成時代のいちフジョシ ―その生態―

 

ヤフージオスティーズがサービス終了して、次は平成がサービス終了するみたいですね?

 

平成。思えば恥ずかしい半生を送ってまいりました。振り返るには記憶があんまりにも遠すぎて、その当時感じた筈の生々しい感情、その存在だけは覚えていながら、その子細を覚えていない。今も残るのはただ、「陰気なアンチなんかほっといて楽しく創作すべき」といった、大手絵描き等見るからに光属性の創作者によるポジティブ主張に対する嫌悪感だけ。

最近も私、類似の主張をされていた大手絵描きの漫画を敬遠するようになってしまいました。いや全然、むしろ私としては、作者と創作を切り離して見たいタイプなんですけど、文芸部のみんなで初めてのサークル参加をして……とかいう、陽のものの輝く背景が、ストーリーを編んだところの価値観に一本通っているんだろうなと思うと、なんか……

 

私の男性キャラクター同士の関係に恋愛性を見出し偏愛する者、いわゆるフジョシとしての自我の芽生えは流石兄弟から。

やがて「やおい」という言葉を知り、やおい的な観点からAAキャラクターの関係性を見ていた創作者のファンアート経由で、某国擬人化を知りました。

ここから「自分の想像に適する創作を見つけられない」「この関係性が背景にあるのならば、ここで強引にハッピーエンドに持っていくべきではない」という思想から、二次創作に手を付けるようになります。絵を描けないし、自分の理想に近付けるよう努力する根気が無かったので、じゃあ文章。安直に二次小説を書くようになります。

私は周囲に私しかオタク的な趣味を持つ人間が居なかったというか、居たっちゃ居たんですけど、方向性の違いにより解散。妄想を語り合ったり、自作の同人小説を見せるような友人が、手の届く範囲内に居たことはありませんでしたし、実質人生折り返し地点ともいわれる現在、これまで出来なかったということは、これからも出来ることは無いと思います。

それでも続く平成の渦中で私、誕生日絵が欲しいと呻いてみたり、感想が欲しいと呻いてみたり、大手の謎創作に界隈が汚染(個人の主観)され、大手と同解釈の謎次創作が界隈に溢れる中で、ああいう形での汚染が出来るのならば、自分が同様の形で発信すれば大手程の汚染力を持たずとも、少しでも形勢を変えられるんじゃないか。イベントにサークル参加まですれば、この栄誉ある孤立に、何がしかの変化があるんじゃなかろうか。アフターとかしたい。界隈に泥むことを通して、小説イメージ絵とか描いて貰いたい。とかいう、諸々の欲望あって同人誌作って、サークル参加とかした訳ですけど、ここに至るまでの私にはもっと色々な感情、第三者への絶望とか、他人の解像度ってもしかしてそんなに高くない? 等、色々な生々しい感情があった筈なんですけど、記録に残らない感情は風化して、みるみる内に私の内側から消滅してゆく。ただそこに存在していたことだけを、私だけがぼんやりと覚えている。

 

そこから紆余曲折あって、なんかいつの間にか知り合っていたフォロワーの力を借りる等しながら、サークル参加して、何が残ったって、輝かしいムラハチ(自称)の称号と、最高の自作の冊子形態です。

私は冊子形態にそこまで価値を置かないタイプですが、それでも冊子形態って良いですね。パソコンがおじゃんになっても、手元にデータが残っている。手元に冊子の形で残っているからこそ、無断で個人領域に侵入してくるタイプの兄弟姉妹がいると、そこからネット上での身元と性癖が割れる訳ですが。何でそういうことするの?

なお私、個人的に、同人誌の旬は個人的に三回あると思って、一つに頒布直後、二つにイベント後暫く経ってから、三つにWEB再録のタイミング。これらのタイミングで任意の第三者が「実はこれ読んでたんですけど~」といった言及を同人誌に対して行うケースが多いように思うんですが、同時に私まぁムラハチサークルなので、WEB再録するだけ無意味だろうというのはわかっていたんですけど、このまま在庫を棚に置いておいて、捌けた在庫が誰の手に渡ったかも大してわからず、今後誰にも読まれる可能性がないと考えるよりは、年度も変わったし、些細な契機を以てどんどんウェブ再録してこって思ったんですけど、案の定今の所反応ゼロです。ブクマも無ければいいねも無い。不特定多数の他者による当該カップリング創作について言及するアカウントとか、常ならぬ沈黙を守っている。

 

結局、私は何をしたかったんだろうかと思うと、私、私は、他人に、同じ景色を見て貰いたかった。それが不可能と知らなかった。何故わからなかったって、だってお前たち、タイムラインであれほど承認しあっているじゃないか!! 〇〇さんの(カップリング名)が最高!! ▲▲さんとオフ会なう。(カップリング名)の色紙描いてもらいました!! こちらアンソロジー寄稿者の皆様です!! 今回はお呼びいただきありがとうございます!! ××さんの小説のワンシーンを漫画にしました!! 

黄昏を一人で見る人間でいるうちはいいんですけど、「青色で綺麗だね」という人間の群れの中で私一人、私の知る黄昏の色を見続けた。

「お前たち、あれが青に見えるのか!?」

声を荒げる私は黄昏色について黄昏色が黄昏色である証拠を様々提示することが出来るんですけど、大事なのは証拠ではなく、主張する人間の人間性らしいです。

兎にも角にも私の問題点は、端から界隈という不特定多数に向けて承認を叫んでいる点です。何かを求める時は、個人を狙い撃ちにするのが鉄則だ。AED研修でもやる。誰も消防車を呼んでいないのである!! 複数の人間を括る輪郭のぼんやりとした非人間である界隈に承認を叫ぶのではなく、反応してくれる人間をだけを大切に思って、あとは空気とでも思えばいいじゃないか。うるさい!!!!!!!!!!!それが出来ればどんなに!!!!!!!!!どんなに!!!!!!!!!!!!

 

こういう陰のモノがユーチューブで連続再生をしながら作業している途中に耳に入って来たフレーズがこちら

 

朝よそんなに輝くな
私が惨めに映るじゃない

倉橋ヨエコ「不安のお山」 

 

えっっっっこの曲サークル参加が地獄の俺達じゃん!!!!!!!!!!!と思ってしまって目覚めたメロスは走り出したんですが、「俺達」って言ったってサークル参加してるメロスは一人ですし、サークルスペースで待っててくれるセリヌンティウスは居ないし、ここでいうメロスこと私も、そう回数サークル参加を重ねている訳ではない。サークル参加の回数自体は、片手で事足りる。その回数で満身創痍っていうのも、アレなんですけど。スリーアウト交代!

 

交代の前に、小説同人誌を作りたいが、周りに同人誌を作るどころか創作活動をしている人間が居らず(ワンアウト)、人権(フォトショップ)を持たず(ツーアウト)、パソコンに詳しくて相談できるような相手もいない(スリーアウト)の方々の為、パソコン(Windows7)に予め入っているソフトとフリーソフトのみを駆使して小説同人誌を作成する術を残しておこうと思います。これは平成末年時点の情報ですので、令和の時代にはより高品質な原稿を、より安易に作れることとなっていると思います。これを叩き台に、各々研究を進めて行ってください。

 

小説同人誌の作り方

 
はじめに

最初に捨てるものは感情。どの行程においても楽しみはあまりないです。だいたい辛くて泣けてくる。励ましの言葉は存在しません。っていうか、励まされても腹が立ってくる。何? 「頑張れ」って、それはどこからの言葉??????? 私はお前の為じゃない、ましてどこにいるかも知らん読者の為でもない。私の解釈に読者が着いていたとしたら、何でピクシブの検索結果といいタイムラインといい大手の謎次創作に満ち溢れてるんですか??????? は?????? となるので、取り敢えず眼前の「書く」以外のことは考えない。イベント参加当日のことを考え、周囲の交流ムードの中仲良しさんが欠席しちゃったかな? っていう、女子小学生のような腫れもの状態が発生することを考え胃痛を起こさないためにも、諸々考えるのを止めた方が良いです。それでも思考が回ってしまうんだから、余計に、余計な事に出来るだけ気を回さない方がいい。作成している同人誌は、界隈に対するアンチテーゼの提示とかありますけど、諸々ひっくるめてだいたい自分の為だけに書いているものですし、その点、卒論とちょっと似てるところありますね。ウフフ。なお私には修論が控えています。

 

行程
  1. 本文をワードで作る(自分の書くものがあまりに辛く厳しすぎて書きながら泣いたことがある。)
  2. ワードで作った本文をPDF化する(この作業も辛い。うまくいかなくて機械にキレ散らかし挙句ストレスが臨界突破して泣く。)
  3. 表紙(これが一番辛い。運が良ければ人権持ちのフォロワーや神絵師に代行を頼むことが出来るが、これを作るハメになって泣かなかったことがない。)

 

  1. 本文をワードで作る

本文をワードで作ります。

意識が高いというか、フォントや何かしらの美的センスをお持ちで「ワードはあり得ない 汚すぎ pixivのpdf化サービス使った方がまだマシ」とか声高に仰るフジョシのもの時々いますけど、それもあくまで個人の意見なので違いの判らない人間や手軽さを重視する人間、この記事を見ているような皆さんには関係の無い話として進めます。

ちなみにワードさんでルビとか振ると行間大いに空くし、アに濁点とかは力業で振るので、なんか奇妙な感じにはなります。でもまぁ読めないことはないだろ。いける。

 

shimaya.net

 

小説同人誌についての暴論ですが、上記のページにあるしまや出版さんの本文用テンプレートから任意のテンプレートをダウンロードして、そこに文章を流し込めば取り敢えずできます。若葉マークのものを使いましょう。出来る限り文章を作ること以外のことは考えたくない。そうだろう?

 

 

 2.ワードで作った本文をPDF化する。

印刷会社にもよりますが、ワードで作っただけの原稿は受け付けて貰えないことが多いと思います。PDFなら受け付けてくれるところがある。時々フォトショップの何か、psd?とかいう拡張子にしないと受け付けてくれないところとかあるんですけど、そういうところは人権(フォトショップ)が無い存在をカスタマーとして想定していないので無視していいです。

 

www.cube-soft.jp

 

これをダウンロードして、使う。


完成したワードファイルを開きファイル>印刷>「Cube PDF」をプリンターに指定。

ここで「プリンターのプロパティ」をクリックし以下を確認

☑「カラー」か「白黒」か

続いて「プリンターのプロパティ」の窓の「詳細設定」をクリックし以下を確認

☑用紙サイズ(テンプレートで設定してくれている通りの用紙サイズ/カスタムに設定する 特別指定しない場合A4のままになってる)

☑印刷品質(白黒の場合600dpi、カラーの場合300dpi以上)

☑True Typeフォント「ソフトフォントとしてダウンロード」

☑PostScrptオプション>True Typeフォント ダウンロードオプション「アウトライン」

 

印刷ページに戻り用紙サイズ等確認(時々A4になってる、カスタムのサイズにする)

 

以上を確認し終えたら「印刷」をクリック

するとCube PDFのページが開きます。

 

一般タブで以下を設定
☑「解像度」(白黒の場合600dpi、カラーの場合300dpi以上)

 

変換を押してPDFを確認

先述の用紙サイズが変になっているとここでレイアウトが大きく崩れています。

紙の向きがおかしい場合はCube PDFの「詳細設定」タブを確認。

その他色々問題が発生すると思います。各自泣きながら検索をしましょう。感情が邪魔。

 

3.表紙。

これが最悪。表紙を作るの楽し~~~~~っていってるやべぇ奴が時々いますが見るな。あと他人の同人誌も参考にするな。悲しくなるし、虚しくなるから。

人権(フォトショップ)が無い人間が表紙を作る為に最初にするのは「理想を捨てること」次に「妥協点を探すこと」です。タイトルと年齢指定さえわかりゃいいんだ。あとカップリングがある場合はカップリング名とかあると親切だってフォロワーが言ってました。

 

www.pixiv.net

 

これを使う。※リンクウェアなのでその辺はきちんと奥付に掲載してね

 

このプリセットを使わない場合も、ここで入手した画像をワードに張り付ける→この画像サイズに合うように著作権フリーサイトから持ってきた画像/自前の画像を加工するという荒業を使うことが出来るので便利。

というか、私この手を一度使ったことがあるんですけど、自分でも冷静に考えると訳が分からない手なので、あまり使わない方がいいです。多分ペイントで用紙サイズを確認→ワードの用紙サイズをカスタムで変更してからワードに当該画像を貼り付け→表紙用の画像を上から貼り付けて調整したんだと思う。???(なんだこの手の込んだ虚無の作り方は)

 

しかし何故そこまでしてワードで表紙作成に固執するかというと、ワードを使うと前述の方法でPDF化することが出来るからです。現代ネットで検索するとオンラインでjpg等からpdfに変換することできるんですけど、一応印刷のことも考えて知ってる方法でやった方がいいかなと思って……

ちなみにこの方法だとお察しの通り、A5以外は作れません。いいじゃんA5は作れるんだぞ。ハハッ!(高笑い)

 

表紙作成の局面においてペイントちゃんはわりとゴミです(個人の主観)。一度置いた文字を動かせるワードの方がだいぶマシ。著作権フリーサイトから持ってきた画像にいい感じのフリーフォントをぶち込んで理想を捨て妥協を覚え一晩寝ずに過ごすと「まぁ無いよりマシ」にはなる。頑張れ!諦めろ!

その他「画像を文字の形に切り抜きたい」といった高度な欲望をお持ちになりながら人権を持たない方には、画像編集系フリーソフトを使うのも手。ファイアアルパカとかGIMP辺りで、そういう技術を使えます。この二つはサークルカット作る時に使うことになる気がしなくもない。ちなみに、私のパソコンでは後者は使い物にならない。そういうこともあるので、各々のパソコンのスペックと相談しつつ決めて下さい。

 

これで表紙と裏表紙はなんとかなる。

 

問題の背表紙、これが一番キツい。ワードで作成できるサイズじゃないから(なんかエラーめっちゃ出て鼻水啜った記憶がある)。

背表紙については可能な限り人権(フォトショップ)を持つ他人に委ねたいがそんなこと出来たら最初から表紙なんか作ってないので、そういう最悪の場合は、上記のページからダウンロードした背表紙を参考にしつつ、ペイントで同じようなサイズ感の背を作成していい感じの色にする。それをオンラインでpdfに変換する。これで「なんとかなる」レベルのものは出来ます。

 

ここまで頑張ると不思議!あとは印刷所が何とかしてくれるので入稿して神に祈りましょう。

 

なんかここまでの段階を追って書き出してて思い出したんですが、入稿予約段階でそういえば、紙質とかも選ばないといけなくて、クッソクソ疲弊した記憶があるんですけど、その辺はネットで調べればなんか色々出てくるので、まぁなんとかなります。

以下も引き続き個人の偏見ですが、とりあえず紙は上質紙選んどけば、変な色が着くことはないです。紙の重さ(〇〇KのKはキログラムの略)はイコール厚さなので、中ぐらいを選んでおけば、まぁ本の体裁は保たれているんじゃないかと思います。中庸が一番。朱熹もそう言ってる。

 

こういった経緯を経て一応は世に出た本のどれ程が人に読まれるのか。
形になっただけマシじゃない? っていうのは、正直ある。儚い時は桜よりも儚く散るので、データ。

そういう訳で私の生活空間で存続を続ける確たる在庫と共に、タイムラインには今日も、他人の同人誌の感想のマシュマロや、他人の同人誌WEB再録の宣伝をリツイートした上での推薦ツイート、他人の小説同人誌のファンアートや、他人の小説同人誌についての語りに対する称賛のリプライが、ほらここにも!あそこにも!!

 

 


不安のお山 /倉橋ヨエコ

絶景のフィヨルドとやらを見ようとフィヨルド周遊ツアーに一人参加したんですが

 

ネズミ(ここではハムスターの俗称とする)って蛙飛びするんですよ。

 

これは先日共同生活/飼育管理がスタートした修士号(ハムスターの個体名)もといショゴス(同個体名)の話なんですけれども、当該ハムスターは生後一か月前後、育ち盛りなのか餌を与えすぎているせいかは不明なんですが、少し目を離すと、育っている。二日前まではあるんだかないんだかはっきりしなかったシマが、知らんうちにくっきり背中に出て来たりしていて、大変です。かわいい。

折角なのでこの「育ち」を記録にでも残そうかと思って私、体重測定を思い立ちました。家に来てから全然日が浅いんですけど、産まれた瞬間から人の手の入っているハムスターと言われていることもあり、まぁなんとかなるだろうと思って(伏線)、取り敢えずケージからハムスターを出して、アッそうだ、体重測定の為の箱出しておくの忘れたわとか、段取り悪く視線をウロウロさせている内に、手に持っていたつもりのハムスターが、びょっと飛び出て、床に向かって十五センチぐらい、滑空してた。吃驚した。モモンガ?

滑空したハムスターはその後重力によって無事床に激突して、一ミリかそこらの鼻の穴からいっちょ前にほんのり血を滲ませながらヂヂヂヂ(クソデカボイス)ってブチギレてたんですけど、えっ今の何 滑空じゃん こいつモモンガじゃないよね? え? 人間の側が理解が追い付いていない。今の何だったの? え? 俊敏Sかよ。動きをカバーできないのは勿論、目視すら追い付かないんだけど、ウッソ、ネズミこわ……

何とかケージに戻すや否や鼻血が見る影無く消えた(あれ本当に鼻血だったのかな……)ブチギレハムスターは、今もケージの隅に身を隠しながら息をひそめています。また一匹、世に新たな観賞用ハムスターを生み出してしまったかな……お前はいつもそうだ。今回は殊に「人慣れしてる」ものを貰ってきたので、なんだかショックがでかいんですが、別に小動物に嫌われること自体は、初めてのことではない。慣れがある。

ハムスターとの信頼関係を構築できる余人と、何かハムスタ―飼育したことはあるんだけど、概ね漏れなく嫌われていく私との、飼育環境の間にある差を、未だに理解できていない。段取り悪い癖に見切り発車で行動していくところでは? と思わなくもないんですけど、その他のポイントを検討させて頂くと、餌、水、これに特別なものを仕込んでいるようにも思われないし、名前がなんだかんだ未だ確定せずなんですが、一応ネズミとか、ハムスターとか、ヒメキヌゲネズミとか、呼びかけはしている。

やっぱ、種族名で呼びかけるのが悪いんですかね? 好かれる基本は、個別名呼びなのでは? でもネズミからすると、そんなの極めてどうでもいいことと思うんですよね? だって体系だった言語システムとか、なさそうだし、そもそも使用言語とか、無さそうだし。しかしやっぱ種族名で呼びながら、いきなりケージから取り出して来る大型生物、どう考えてみても、好かれる要素がゼロ。

お前はいつもそうだ。ハムスターの反応は、お前の人生そのものだ。お前はいつも失敗ばかりだ。同日人間とのやりとりでもミスをして人の地雷を踏み抜いたようなので、いよいよもって誰もお前を愛さないという感じなんですが、今回は完結する前に、完全に停滞した紀行文をやり遂げることを通して、「お前はいろんなことに手を付けるが、ひとつだってやり遂げられない。」ここだけ挽回していこうと思います。

 

(一部の文章は旅行中にリアルタイムで書いていたものなので、ところどころそういう書きぶり)

 

いま、時刻としては15:44で、わたしはネーロイフィヨルドだったかなんだったか、とにかく世界自然遺産の、奥底みたいなところにいる。ナットシェル(後述)の真っ最中だ。旅行の最中から回顧すんなよ。テスト期間中は常に予習あるのみじゃんかっていうと、本当にその通りで、これにはもう、いくばくの有意義もなく、わたしはただ、スマホの電池を異国にていたずらに使い込んでいるわけなんですけど、とにもかくにも、フィヨルドの奥底、フロムのビジターセンターのベンチに、マジでたった一人でぽつねんと座り込みながら、ここで書き残したいことは、フィヨルド観光のハイシーズンは夏だぞ~~~~!!!!ということです。なぜわたしがいまここでひとり座り込んでいるかという理由も、ひとえにそれ。嘘です。事前にちゃんとメールを確認しなかったことと、己の英語力の貧弱さゆえです。ゴミです。

 

で、とっちらかった文章ととっちらかった状況をまとめてわたし、そう、わたしがいま何をしているかを、こう、つまびらかにしていきたいと思います。

 

渡航前】

羽振りの良かった親戚は往年、客船旅行でヨーロッパに行ったらしい。彼彼女は立ち寄ったノルウェーフィヨルドの美しさに感激した旨を、私と顔を合わせる度、しきりに語っていた。

後年故あってそっち方面に旅行する都合が出来たので、その話を思い出した私が調べてみたところなんか、フィヨルドっていっぱいあるらしいね? まぁいっか。見ればわかるやろ(鼻ホジ)

↑怖いことにこのテンションでフィヨルド行きを決める(伏線1)。

 

多分、正気じゃなかった。そういえば旅程を組んだの、学外発表*1直後だったなアレ。今この場から逃げたいという気持ちと、責務を成し遂げたことによる解放感が負の相乗効果をしていたんじゃないかと思う。

 

この時点で親戚はヨーロッパクルーズをしている時点で恐らく夏にそこに行ったのだとか、フィヨルドがどういった所なのかだとか、そういったことは一切調べていない。怖。何この無計画。キイロタマホコリカビだってもうちょっと慎重にルート作るって。

そんなキイロタマホコリカビ以下のルート策定ですが、現代のネット社会というのは恐ろしいもので、以下のウェブサイトより更なる知見を得ました。

dent-sweden.com

dent-sweden.com


なんでも、ナットシェルで鉄道チケット&バスチケット&クルーズチケットをまとめて予約すれば、ベルゲン→オスロ鉄道移動のついでにフィヨルドを見られるらしい。

なお、冬場は日没が早いので、オスロ→ベルゲンにするとこう、フィヨルドを見るどころではなく暗闇に包まれるらしい。

この時点で「冬場は日没がアホかってぐらい早い」という知識を得ている筈なんですけど、以降のプランニング段階において日没について顧みるとか意識するとかは特にしていないです。「愚」じゃん。

 

www.norwaynutshell.com

 

調べものをしている途中でナットシェルについて「日本語予約代行サイト」なるものも見つけましたが、まぁどこに頼んだところで値段は大して変わらないらしいことを確認して、私は公式サイトから自力で申し込むことにしました。

 

今思えば、ここが伏線2。

片足突っ込んじゃった棺桶みたいな分野があまりに英語で迫って来るせいで自分でも時々忘れますが、わたしは、基本的に英語が苦手。四年間を越える学生生活を通し、必要に迫られ英語を読むことへの抵抗が薄れただけで、そこまで必要に迫られていなかった受験時は、偏差値四割からのスタート。未だに、他動詞と自動詞の違いとか、あまりよくわかっていない。でもまぁ、ニュアンスさえ把握できればなんとかなるなる。あとはまぁ、必要に迫られればこう、未来の私がなんとかしてくれる☆彡

↑こいつほんと許せねぇな。

ただでさえ事前に発表が三度重なることが既に前もってわかっていたのに、どうしてせめて趣味シーンでの負担を減らそうとしなかったのか。

しかしまぁ、意図せずしてかなんかもうそこまで頭が回らないということもあって、やたらと伏線張りまくってる当時はそういう自省が全く無く、走り出したダンプカーのような勢いだけがあった。音速で申し込みを終える。

 

この時点でもまだ、ベルゲンとオスロの位置関係や、観光しに行くフィヨルドの場所、そもそもフィヨルドって何なの?ってことも、調べてないです。ウッソだろお前。

 

やがて自由意志に委ねられ過ぎた人生の夏休みが明け、自転車操業式に発表を繰り返すゼミや日常の些事、本業に身体を占められている内に「そういえばあれから、ナットシェルから来る筈と言われているチケット確定メールが来ていないな?」と思い出してから一週間を過ぎたあたりで、申し込み時点でナットシェルから送られてきた「確認メール」に記載された連絡先に宛てて、日本時刻で非常識な時間にメールを送ると、丁度向こうの始業時刻と噛み合ったらしく、十分ぐらいで返事が来た。

 

「送った筈だけど届いてない? 迷惑メールフォルダとか見た? まぁ念のためもう一回送っとくわ(意訳)(下線は筆者による強調)」

 

迷惑メールフォルダに入っていた。

 

問い合わせる前に自分で確認しろよお前(わたし)、自分の確認不足で人様の仕事を増やすな。クソか? 

 

それにしても、まぁ、折角送ってもらったので、送ってもらった方のメールを参照する。日付、間違いない。名前、間違いない。発着地、間違いない。強いて言えばメールの前文になんか、「Please note」って書いてある以下の部分がよくわかんないけど、文中に「follow hotel」とか書いてあるし、希望者向けのオプショナルサービスへのご案内やろな。希望せんかったらええやろ(伏線3)。

 

この辺りから私生活がアホか?っていう予定の詰め込まれ方を見せ始め、私は旅程について考えるのを放棄した。

旅行計画と同じく私生活のスケジュールも同一の馬鹿が組んでいるので、渡航直前に三日間連続で発表が重なる。クソか?

結果ガイドブックも大して読み込まず、ぼんやりとした不安を抱え、歯車から逃げるように渡航。気持ちとしては、高飛び。

 


【12月某日、ベルゲン滞在二日目】

前日夜にベルゲン入りして、暗闇に浮かぶフロイエン山の際、地元の若人が乗り回すスケボーが、バス停すぐ側にある立体駐車場のコンクリを擦る音の響く中、ホテルを探して右往左往した結果、SAN値がゴリゴリに削れたり、オイルサーディン的な、一尾ずつ入っているのを期待して缶詰を買ったら、意外に鯖の味噌煮系の缶詰(魚のトマト煮)が入っていて、当然箸やスプーンの手持ちなど無く、よく考えるとこの時点で一階の共用キッチンを見に行けばよかったんですけど、残SAN値がヤバくて部屋を出る気力が最早残っていなかったので、ちょうど手持ちの左手で缶をほじって食べたりしてからシャワーを浴びて、一日ぶりに横になって眠り夜を越え、ベルゲン滞在二日目は、八時起床。しかしここは高緯度ゲッテルデメルングなので九時まで朝日が昇らないし、実際に日の光らしきものをしっかり拝めるのは十時以降。

は? 

体感でいくと、冬のベルゲンの朝九時が冬の東京の朝六時、朝十時が朝六時半。さらにこれは豆知識ですが、高緯度なので太陽は基本的に南中しません。

博識な皆さんからすると、え? お前何言ってんの当たり前だろ馬鹿なのと思われるに違いないのですが、しかし実際に南中せず、何となく山際をずーっとへばりついてる太陽、見てみ? その日は一日晴れているのに、一日中朝が続いたような有様だった。そして不意に朝日が力を失ったと思ったら、途端に夕日に変わった。正午前に夕焼け手前、冬の東京でいう十五時半ぐらいの黄色の日の光が、早速山際へ沈もうとしている光景、本当にショックだった。マジ? みたいな。自分が知っている、これまで生きていた感覚が悉く裏切られる異世界体験。日が昇らないし、空は晴れないし、夜が余りに長すぎるし、クリスマスイルミネーションがある中心部は兎も角、そこから外れた駅向こうのホステルがある方面はマジで暗闇だし、グーグルマップでホテルの位置を確認した時は、さも自分大通りですよ顔をしていたホテル前の道が、実際見てみると、片側一車線街灯ナシの暗夜行路。恐ろしい土地に来てしまった。

 

ところで本筋はベルゲン滞在二日目に行ったナットシェル関係のステップの話なんですが、

ナットシェルの予約には「ネット予約」か「現地予約」の二種類があります(現時点)。

ネットで予約できるナットシェルは基本的に早朝(午前八時代発)発の便のみなんですが、現地窓口で予約するとなんだか色々時間の融通をして貰えるらしい。2018年11月時点ではWWWに体験記が掲載されていた気がしますので、各自頑張って調べて下さい。

 

今回私は「ネット予約」をしました。

ネットで予約すると、実際の行程で必要になるチケットを「現地受け取り」にするか、「郵送してもらう」か選べます。集合知によると、ヨーロッパじゃないところに郵送してもらうことにするとハチャメチャに時間かかったりするらしいので、やめた方がいいみたいです(私調べ)。

現地でチケットの受け取りをする場合は、出発時間の三十分前までに、起点駅(スタート地点)のインフォメーションセンターで申し出るともらえます。私はベルゲン駅のインフォメーションセンターで受け取りました。

ノルウェー国鉄駅は改札が無い(電車内で切符をチェックされる。無いと高額罰金が発生する)ので、ベルゲン駅の中にズンズン入って行ってプラットホームに出ると、右手にインフォメーションセンターがあります。そこで受け取りました。

ノルウェーの施設って出入り口が普通に分かりづらいのがクソ多いんですけど、インフォメーションセンターばっかりは出入口にこれ見よがしな感じで「i」って書いてあるので、すぐわかります。その中に入って、「ナットシェル」「チケット」というようなことを窓口の人の前で呻くと、相手も慣れたもので「ご予約者のお名前は何だ」とスムーズに話が進みます。

ベルゲン駅のインフォメーションセンターは、平日8:30から19:30まで空いています。休日はもっと短い。こういうような情報は、ナットシェルの手配完了メール*2に諸々の記載があるので、そこを参考にして下さい。

 

【ベルゲン滞在三日目→オスロ滞在一日目/ナットシェル当日】
《8:15》

ナットシェル当日である。

最早故郷と言っても過言ではない(過言だ)古巣こと宿を後にする。

 

citybox.no

 

今回滞在したのはシティボックスベルゲンというところなんですけど、ここ、最高でした。屋根があるし、お湯が出る。浴室には床暖房があります。リーズナブルに泊れて、鍵のかかる個室がある。本当に最高。

諸々の経費削減の為ケトルとかテレビとか電子レンジは一階の共用部のみ、冷蔵庫を使いたい人間はそこに記名して冷蔵庫に入れろという学生寮チックな仕組みなんですけど、学生寮(イギリス)と比較してマジ綺麗で清潔なので最高です。

冷蔵庫の治安は確認してないんですけど、まぁ学生寮よりはマシなんじゃないかな、多分。私は滞在した時期が12月だったのと、部屋の暖房の効きが普通に悪かったので、冷蔵庫は必要なかったです。それでも場所柄建物自体の気密性は高いので、外と比べると全然暖かく暮らせるんですが、一点問題を上げるとすると、部屋がいい感じに冷えてた。

それにしても、原因は不明なんですが何故か部屋のグレードアップが行われていたりしてマジで住みよかったですし、何より綺麗で、良い空間でした。以降の旅程でも、定期的にここに帰りたくなります。

 

それはさておき、

 

ホテルをチェックアウトして、まだ夜明けの来ない中、一路駅へ向かう。

シティボックスベルゲンからベルゲン駅までは、だいたい五分足らずの一本道なので、一度道を覚えてしまえば、スーパーマリオの1-1より楽勝です。強いて言えば、煉瓦造りの駅舎が、周囲の建築物と馴染んでしまって、入り口の木製のドアなんかが閉じてたりすると、わりと普通に駅の入り口と気付かずに、通り過ぎたりすることぐらい。

この辺りで「えっ、私このトランクゴロゴロ転がしながらフィヨルド見るの?」みたいな、自分の選択の浅はかさを思ったりしてるんですけど、道行を共にした人々も、みんなトランクゴロゴロしてましたし、ベルゲン→オスロとか、オスロ→ベルゲンで移動する民は、みんな大なり小なりトランクゴロゴロするもんなのかなと思います。トランクゴロゴロしながらでも普通に見て回りは出来ました。まぁ、多少邪魔ですが。

 

《8:30》

列車の発車時刻は43分で、まだ時間がある。この時点で一応朝食は済ませていたものの、室温でいい感じに冷えたパン(二つで15NKぐらい)と、昨日の内に購入した紅茶系ソフトドリンクのペットボトルに水道水を入れたものだけでは熱量が足りないので、駅の売店でホットドックを買う。

 

駅のキオスクみたいな所に入る。

レジ横にセルフサービスとして置かれているケチャップのメーカー名が「イドゥン」で、かつて拝読した某同人誌(ジャンルは察してくれ)のタイトルを思い出す。イドゥンのケチャップは空だった。仕方がないので、こちらも死に体のハインツのケチャップと、なんか水っぽいハインツのマスタードを掛けてから、席に戻る。

 

《8:43》

列車が動き始める。昨日集合知仕入れた事前情報によると、ここの車窓からの景色も結構乙なものらしいが、この時刻ではロクな日の出をしないので、外の景色も大して見えない。むしろ列車内の方が明るいので、アホ面でホットドックを齧る観光客の顔が見える。この辺りで車内の温度に耐えかね、かぶっていたニット帽と上着、その中に着ていたフリースを脱ぐ。マトリョーシカか?

人影が多いという程でもない車内には、アジア人が四人居た。内一人が私、私から見て、通路を挟んではす向かいに座る二人連れの女性、私から見て通路を挟んで隣に座る一人のアジア人女性。私を除くと、皆中国人であるようだった。通路を挟んで隣に座るアジア人女性とは何度か目が合ったが、話しかける理由がなかったので、話しかけなかった。そして一人沈黙を守りながら、ノルウェー国鉄(NSB)鉄道内無料Wi-Fiにアクセスを試みるも、トンネルの多さ故か、すぐにアクセスが弾かれる。諦めてぼんやりと車窓に映る自分の影と見つめ合う。

時々車窓の向こうに、微かに見えるノルウェイの森、その木々のどれもが、積もる雪の重みにしなっていた。魔界?

 

《9:56》

トンネルを抜けると雪国であった。

ベルゲンは海流の影響によりエライ高緯度な場所にありながら、雪は大して積もらずむしろ雨が降ってるんですけど、油断して(?)少し内陸にいくと、普通に雪、積もってる。北欧だ~~~~~~っ(興奮)

 

ちなみにここまでで利用しているノルウェー国鉄、車内アナウンスは基本ノルウェー語のみ。一方のノルウェー語さん、時々、アルファベット表記のスペルから、想像だにしない発音を繰り出してくる。特に相手は地名。日本語でも時々訳わかんない読みが発生するフィールドで、正しく聞き分け降りられるか、しかしスペルがVossなんだから、良くも悪くもフォスかヴォスあたりで、まぁ聞き取れるんじゃないか、だいじょうぶかこれほんとに、等と、当地に降りるまで戦々恐々としていたんですが、ヴォス(Voss)の駅はナットシェルの利用客が多いからか、ヴォスに近づく時だけは、「お前らが降りるのはここだぞ」というアナウンスを、英語で二度繰り返していた。

 

《10:05》

ヴォスの駅にも、随分と雪が積もっていた。北欧だ~~~~~っ(二回目)
駅舎内に土産物屋やトロールなんかが居たが、次のバスの集合時間が10時10分の為、外から見るだけに留めた。

www.travel.co.jp

 

事前に読んだ旅行ブログの紀行文などによると、オスロ→ベルゲンの場合はここが自由行動の場になるらしくて、というか、ヴォス、なんか旅行サイトにも掲載があるし、結構フィヨルドの入り口として栄えているらしくて、何より、戦前の姿を留める石造りのヴォス教会とやらがあるらしいんですけど、わたしは日の丸仕込み集団行動のプロなので、大人しく観光客の集団に従い、トランクを引き摺りながら、駅から工事現場の上にあまった工材で一時的に設置された感じのスケスケの橋を渡り、集合場所の駐車場へ移動。ようやく夜が明けたはいいものの、ここで粉雪が舞い始める。あ˝あ˝あ˝あ˝眼鏡!!!!眼鏡が!!!!!曇る!!!!!!!


眼鏡を庇いながら駐車場に移動すると、駐車場内には複数台バスがあったが、今にも出発しそうな感じでスタンバイをしているのは二台。フロントガラスに、トイレ停車中の夜行バスの行先表示みたいな感じで「nutshell」と書いた紙が貼ってあるので、その内の手前の一台に荷物を預けてバスに乗る。バス内が暖かく、眼鏡が曇る。

これまで同じ列車の車両に乗っていた中国人二人連れの後をなんとなくついていき、そのまま流れで彼女らの後ろの座席に座った。暫くして乗り込んできた、これまた同じ車両にいた一人参加の中国人が、少しきょろきょろしてから私を見つけると、無言で隣に乗り込んでくる。

色素薄い人間が多数派だとアジア人の顔が目立つのか、日頃見ない顔が多数派のところで、見慣れた顔の上でついつい目が留まるのかどっちなんでしょう。私も何となく彼女らと固まって歩こうとしたし、同じような意識の引力が相手側にも働いていたような気がした。程なくしてバスが発車。

 

《11:00頃 この辺から時間の記憶がアバウトになる》

ヴォスからグドヴァンゲン(Gudvangen)までバス移動。バス内がアホかってぐらいガンガンに暖房きいてて、普通に眠い。窓の外では粉雪が散っており、視界が白くけぶっていた。駅前から五分も走ると、アパート的な集合住宅や店という店が車窓から消滅。森の中にぽつぽつと家や、開けたところ(恐らく牧草畑 雪にコーティングされた牧草ロールが見えた)といった景色が続くが、どれもこれもが白い。わ~~~~っ北欧の雪~~~~~~~って、興奮はするんですけど、同時に酷く遠いところに来てしまった感がある。隣には観光客であること以外特に関わり合いもないし、第一特に知り合った訳でもない中国人がいる。

 

《11:50頃》

グドヴァンゲン着。なんかデカイ水辺の側の、パーキングエリアのようなところの、駐車場に降ろされる。粉雪はみぞれに変わっていた。眼鏡に水滴。

チケットを確認すると、ここで一時間休憩の後、13時発のフェリーに乗り込むらしい。

 

パーキングエリアの建物内は大きく二つの部分に分かれ、駐車場側の手前エリアは土産物、奥は軽食エリアになっていた。それにしてもノルウェー、この後の行程でも土産物っていうと、きみもなりきりヴァイキングみたいなヘルメットを始めとするヴァイキングモチーフのもの、イボのある鷲鼻が特徴的な顔に引き攣ったみたいな笑顔を張り付けたトロール、時々樽床教会モチーフのマグネット等々、あとは毛皮なんですけど、ベルゲンもオスロも土産物のテンションが大体同じで、面白いなと思いました。何その統一感。

いやほんと、私の目の付け所がゴミってところは存分にあるんですけど、地方色が息してない。ご当地トロールとか、探せばあるんだろうか。或いは私がその差異を見分けられてないって可能性はほんと存分にある。違いの分かるヒトになりたい。

グドヴァンゲンパーキングエリア(暫定)の土産物屋は、特にヴァイキングモチーフに気合いが入ってて、ルーン文字が刻んであるネックレスとか売ってました。どうせ高いだろうと、値段は見なかった。日本語ガイドブックもあった記憶がある。

 

奥の軽食エリアに話を移します。ところで私、結局ナットシェルの全行程で三本のホットドックを食べる(暖かくて安価、最高)んですが、グドヴァンゲンパーキングエリア(?)内軽食エリアのホットドックは、この後乗るフロム(後述)行きフェリーの店よりだいぶ高かったので、ナットシェル道中にてホットドックを食べる際は、グドヴァンゲン以外をお勧めします(個人の感想です)。

 

パーキングエリアの中で一番長い時間滞在したのは、軽食エリアとお土産エリアの狭間にある、螺旋階段のふもとの暖炉の側、ソファーの置かれた休憩スペースだった。概ね八畳ぐらいの広さのスペースには、観光客が詰め寄せていたし、私もその一人だった。
ソファの奥に置かれたテレビでは、クリスマスリースの作り方レシピを紹介していた。けれども、それをあまり長く見ていた記憶もない。パーキングエリア内にはフリーWi-Fiがあったので、もっぱらツイッターを見たりピクシブを見たりして時間を潰していた。旅情も息してない。

 

《13:00頃》

グドヴァンゲン発フロム (Flåm)行きのフェリーが出発する。後述するフロム鉄道と併せて、ナットシェルのハイライトです。

出航して暫くもしない内に船着き場は見えなくなり、あとは大自然の威容を、ひたすらに目の当たりにすることになります。

首を上に上に、仰ぎ見ても見果てぬ程の規模の岩々が、鋭い岩肌を晒しながらそそり立っている。空模様はみぞれ交じりで、フェリーの進む水面は陰鬱な灰色、時々岩肌の合間にぽつんと立っている枯れ木。強烈な威圧感を放つ、陰気な色彩の風景が、延々と続いていきます。

視界、見渡す限り、圧倒的な大きさの岩と水ばかりで、進むフェリーのエンジンの音と、同行する旅のものたちの話し声と、それ以外は、耳が痛いぐらいの静寂。無生命空間。宇宙ってこんな感じ? いや、探せば生命、雪の下とか水の下とかに息づいていると思うんですけど、一瞥して、陰鬱な光景。わたしはそういうの好きなので、凄い楽しかったです。北欧の方の絵画っていうか、例えばハマスホイの画面の陰鬱な感じが好きな人は、割と好きな光景だと思います。でも多分、景観としては、夏がハイシーズンだと思う。冬のフィヨルド、それはそれでいいんですけど、「クルーズ!」って光景じゃないもん。強いて言えばなんか、「巡礼」に近いものを感じる。巡礼もしたことないので、適当言ってるなぁコイツと流して下さい。

 

そうこうしてフェリーで運ばれている内に徐々に天気が回復してみぞれが止んだんですが、いずれにせよスキー場の気温なので、大して長い間外に出て居られる訳でもなく、迂闊に写真ばっか取ってると、手がヤバくなります。冷える。恐ろしく冷えたスマートフォンをポケットにしまいつつ、手を擦りながら船内に撤退。


人間寒いと生命維持に体力使うもので、なんかもうすさまじく疲弊する。夏の憔悴ぶりと比較するとまだ健康的な感じがしますが(個人の意見)、空腹になるまでの速度が凄いし、意外と喉が渇く。船室で三本目のホットドック購入。いくらか忘れましたけど、グドヴァンゲンよりは安価、ソーセージやパンの種類を選べてビックリした覚えがある。あとケーキとか売ってた。高いので買わなかった。

 

しかしここまで来てあまり船室に長居するのも癪なので、程なくして外に出る。甲板二階のベンチに座りながらフェリーのフリーWi-Fiで、「フィヨルド 地理」と検索。ここでようやく、フィヨルドについての知識を入れようとし始める。目の前に見えてる厳めしい絶壁が、他ならぬフィヨルドさんなんですけど。

というか、ここで私、何故か「地理的知識」に限定して仕入れようとしていて、肝心のフィヨルドの位置とか、今目の前にあるフィヨルドの名前とか、ここまでで全然わかってないです。暴挙か? 

この暴挙検索過程で、フィヨルドの地理的形成について、ようやっと復習等もしたんですけど、

 

フィヨルドは氷河によって削り取られた地形です。そのため土壌が削られ、土地がやせています。ノルウェーでは耕地面積は国土の3%以下であり、農業には向いていません。
フィヨルド:偏西風が当たる海岸に分布」<http://chiri-tabi.com/chikei/fjord.html>、「旅の情報~地理の世界から~ 」、2018年。(最終確認日 2019年3月25日)

 

ここで、産業革命以前のノルウェー、この世の地獄の一つでは……? というようなことを考える。そんなことない! ハンザ同盟とかあったし! 栄えてるところは栄えてる! しかし、ペストで人口ばっさり半減とかしてなかった……? というような思考を続けながら、眼前の絶壁とかすげぇ岩を見てると、なんだか見る方の気持ちも変わりますね。大自然の威容、土地がやせています……。

 

ちなみにフェリーの上では、これまで移動の度ゴロゴロゴロゴロ転がしていたトランクを船室内に放置して行動していました。流石にフェリーに乗り込んでまでの部外者は居らんやろという賭けに出ていた。

道中、船室に放置した私のトランクの側の座席で、中国人女性たちがasian lady teamなるものを作って盛り上がっているのを見た。いかにも渦中のお姉さんの所持品って感じで、そこにあるのは、私のトランク。ただトランクだけが、新たに生まれた人々の関係性のともしびに、暖かく照らされていた。俺も仲間にいれてくれ~~~~~~(栄誉ある孤立)

 

《15:00頃》

クルーズ終了、フロム着。ここから二時間ぐらい待ってから列車に乗って戻るんだ~~~~~というようなことを思いながら私は着々とフラグ回収への歩みを進めているが、私はまだ伏線を知らない。

フロムの船着き場は清潔で現代的な感じ、インフォメーションセンターも、既に十分整備されていたベルゲン以上に整備されてる感じなんですけど、船着き場から駅まで、300メートルもなさそう。お土産物屋二軒と、駅に隣接したインフォメーションセンター、駅の裏手にある小規模な博物館、以上。フラム終了。街? ここで二時間潰すの? でも夏場だとなんか、ここでボート漕いだり、ここを基点に登山? とか、できるみたいです。インフォメーションセンターには、日本語/中国語のフロムとレキングガイドみたいなマップが置かれていた。

ちなみにここ、フロムの近郊には、「アナと雪の女王」の氷の城のモデルになったと言われる、ボルグンスターヴ教会があると噂なんですけど、インフォメーションセンターの地図で見た感じ、だいぶ遠い。徒歩じゃ無理だろこれ。今記事にするためにGoogleで調べてみたら、車で一時間ぐらいのところにあった。

日本からはるばる飛行機で随分飛ばして来てるので、今更車で一時間なんて誤差だろ誤差と思われると思うんですけど、トランク持って、異国、私は一人、なんか曇天の外では、また粉雪が舞い始めて、段々と薄暗くなっていって、というかこの山道に、タクシー呼びつけたら来るの? おいくら万円する? え、ここ、タクシーあるのかな 今思えばインフォメーションセンターの人が車出してくれたりしないかなとかいう厚顔なことも考えられるんですけど、先進国なのであんまりそういうバグは期待していない。実際、どうだったんでしょうね。兎角私は愚かだったので保身に走り、取り敢えずフロムのこの直径300メートル以内の空間で二時間、潰して見せようじゃないかと開き直った。

そして、いずれにせよトランクゴロゴロしながら歩き回るのウザいなと思って、インフォメーションセンターの女の人にトランク預かってくんない?と頼んだら、快諾してくれました。フロムのインフォメーションセンターで、トランク、預けられます。

 

《15:30頃》

寒さに起因する空腹を抱え、土産物屋に併設されたカフェに入る。まだ乗って来たフェリーが船着き場に残っているので、フェリーに紐づけされたフリーWi-Fiを用いながら、ツイッターをチェックしつつ入店。

ここはフィヨルドの終点、ボーイズラブ漫画でいうS字結腸のエリアにいるからか、物価がバグっている。お湯が300円(20NK)の世界線。どうせ高いし、とりあえずなんでもいいからこの土地のものっぽいものを購入しようと思い、アホサイズ(手の平いっぱいぐらいの大きさ)のメレンゲ等に目移りしながら、skollebollerを購入。暫く懐で温めて、実際にこれを食べるのは三時間後とかなんですけど、なんか薬草の味がするジャムパンでした。ノルウェー領内で食べたもので一番、素直に美味しかった。

 

《15:44》

冒頭。

 

いま、時刻としては15:44で、わたしはネーロイフィヨルドだったかなんだったか、とにかく世界自然遺産の、奥底みたいなところにいる。ナットシェル真っ最中だ。旅行の最中から回顧すんなよ。テスト期間中は常に予習あるのみじゃんかっていうと、本当にその通りで、これにはもう、いくばくの有意義もなく、わたしはただいたずらに、スマホの電池を異国にて使い込んでいるわけなんですけど、とにもかくにも、フィヨルドの奥底、フロムのビジターセンターのベンチに、マジで一人で座り込みながら、ここで書き残したいことは、フィヨルド観光のハイシーズンは夏だぞ~~~~!!!!ということです。なぜわたしがいまここでひとり座り込んでいるかという理由もひとえにそれ。嘘です。事前にちゃんとメールを確認しなかったことと、己の英語力の貧弱さゆえです。

というのは、2018年11月某日、ナットシェル公式から送られてきてわたしがしばらくプロポーションのメールボックス?で寝かせていた予約完了メールには冒頭に以下の文章が記載されていました。

 

Please note: If you prefer to take the Flam Railway in the best daylight we recommend you to take an earlier departure from Flam to the station Vatnahalsen at 14.40 arriving at 15.21. There is a path you can follow to the hotel. You can then spend the time at the Vatnahalsen Hotel, buy a cup of coffee etc. before you take the next train to Myrdal Station at 17.32 arriving Myrdal station at 17.40. You follow the original departure time from Myrdal to Oslo. You use the same tickets as you have booked. Please also see: http://vatnahalsen.no/en/

 

で、これなんですけど、

序盤のpreferの辺りまで読んで「希望者に向けてやな」と飛ばした過去のわたしさんのお陰で、いまの私は、多数の観光客を詰め合わせて発進していった列車を見詰めながら、フロムのビジターセンターのベンチに一人佇んでいるし、やがてナットシェルの旅程における大きな目玉の一つであるフロム鉄道にて、「右手をご覧ください、あの教会は~~」っていう車内放送(ノルウェー語/英語)を聞きながら、右手の車窓から見える完璧な暗闇にうつる、自分の顔を見ている。窓の外、パーフェクトな闇。ようこそダークサイド。

 

というわけで、冬場フィヨルドされる方はほんと、早めのフロム鉄道に乗って、日のあるうちにフィヨルドの絶景を、見てください。

わたしはなんか、所々車内のあかりを照らす白い雪がぽっかりと途切れた瞬間、口を開くフィヨルドの闇を前に、不安を胸をかきむしられているんですが、こういうことにならないように………(たぶんこれ夏場はパーフェクトな夕焼けフィヨルドタイムなんだと思います。)

 

そして愚かにも14:50の電車を見送ったわたしのフラム(船着き場から港まで300mもなさそうだし、それ以外のエリアに迂闊がいくとたぶん間違いなく遭難する)でのスポットを以下に紹介します。

 

フロムツーリストインフォメーションセンター
毎日17:00まで営業(2018年12月時点)、トランク等荷物を無料で預かってくれる。あとクリスマスの飾りかなんか知らんけどお菓子で出来た町並みやオブジェを展示しています。かわいい。いいにおいがした。

 

インフォメーションセンターに隣接した土産物屋1(ノルウェー土産)
16:00まで営業してるらしいんですが、15:30に鍵しまってた。は?

 

インフォメーションセンターに隣接した土産物屋2(フラム土産)

水道水持ち歩きようの再生プラスチックを利用したボトルとか、他になんか石鹸とか、意識高そうなハンドメイド品を売ってる。あとクリスマスが近い為か、なんかかわいい図面のチョコレートも売ってました。

 

インフォメーションセンターに隣接していない土産物屋

特に特筆するところがないんですが、インフォメーションセンターに隣接の土産物屋1より、布系の品揃えがよかった。普通に土産物屋。

 

上述の土産物屋に隣接したカフェ

ここがお湯が300円(20ノルウェークローネ、1NK=15円で換算)のバグカフェ。店内にはいい感じに暖房が効いていて、おしゃれな感じのカフェっぽい丸テーブルの上にはひとつひとつ蝋燭が点火されていて雰囲気ばっちりなんですけど、ここは軽減税率が導入されている世界線なので、少しでも安く上げるために雪が降る中外のベンチでお湯を飲む。ここに限らず旅程は基本的にそんな感じなんですけど、喫煙所の横のベンチに座ったのもあって場末のスキー場に来たような気分になった。スキー場十年来行ってないので、もう完全にイメージの中のスキー場でしかないんですが。

ここで買ったジャムパン???みたいな、なんかよくわかんない名前の顔サイズのパン(skolleboller)、パーフェクトにおいしかったです。 これの話を他の人間にすると「あーデニッシュのことね」って言われるんですけど、デニッシュじゃないです。デニッシュ生地じゃない。是非試してみて下さい。ハーブの香りがします。

 

フロム鉄道博物館

16:00まで、入場無料でフロム鉄道の歴史についての展示を見ることができます。展示はノルウェー語/英語のみ。ジオラマや当時の駅施設の再現、映像展示など、見て楽しめる要素も多くて寒さ凌ぎに絶好のスポットでした。土産物屋も併設されています。

 

屋内施設は以上

 

夏場は水場のアクティビティとかトレッキングとか、色々あるみたいです。ちょっと足を延ばしてスターヴ教会とか、マジでオススメなんだろうな……などと……

 

《16:23》

諸々中略しますがこの辺りから冬場のフロムを歩き回って時間を潰すことに限界が生まれ始め、乗り遅れたマンが各々インフォメーションセンターにバラバラと集い始めるんですが、顔ぶれがみんなやはり、アジア系というか、おそらく中国人。なんかおしゃれなヘアスタイルの、一見して大学生の集団だったので、上海とか香港とかその辺の、南部の人じゃないかなと勝手に当たりをつけていた。

やはり「高緯度の日照」がどういうことかよくわかってない奴が、Please note: If you prefer to take the Flam Railway in the best daylight…の意味をとれなかったか、それか普通に乗り遅れるかしたんだろうなと勝手に確信する(偏見だ)。

 

《17時頃》

フロム鉄道に乗車。


この鉄道、恐らく車窓から見える雄大な景色がウリの一つっぽいし、車両自体もめちゃめちゃ気合入ってて、明治大正期の一等車両、ニスの効いた木目が美しく車内の灯りもレトロ仕様、千と千尋の神隠し豪華バージョンといった所の車両なんですが、乗り込んだのは私と西洋人のおっさんしかいないし、インフォメーションセンターあたりで一緒に固まってた乗り遅れアジア人グループ、どこいった? あとなんかオッサン一人で笑ってるし、私もまぁぶつぶつ一人でしゃべりながら、座席でジャムパン齧ってますけど、おまえどうした? というメモが、Gmailの下書きに残されていましたが、そののち無事アジア人男グループたちと合流しました。特に会話はないし、座席も離れたところに座っていますが、心としては最早合流。

 

やがて動き出したフロム鉄道は、多分スターヴ教会についてとか、この近辺の雄大な景色とかを英語/ノルウェー語で解説してくれるんですけど、車窓の向こうはパーフェクトな闇ですし、車内の灯りに照らされアホ面で外を見る見慣れた顔が良く見える。あなただ。わたしだ。

 

唯一フロム鉄道に日没後に乗ったメリットというか、単純に「日没後に乗って映えたもの」なんですが、七色にライトアップされた、トロールの氷漬けを見ることが出来ます。七色に光る氷の彫像トロールと、その奥で完全に凍った滝が、同じく七色にライトアップされていた。電車はそこで五分ばかり停車して、アジア人グループ(別に知り合いでもない)と私は、はしゃぎながら粉雪の舞う中、ちょっとした広場に出て、凍結した滝とか、屋敷しもべ妖精っぽい、トロールの彫像の写真を撮ったりしました。

後で調べてわかったことなんですが、ここが恐らくKjosfossen(ショースフォッセン)駅だったんじゃないかな……フロム鉄道的には、割と目玉の一つのようです。先入観を持たずに行きすぎ。

 

《18:00頃》

Please note:の意するところを正しく解読し、Vatnahalsenのホテルで正しく冬のナットシェルの醍醐味を満喫した勢との合流。当初私は、いや、闇の中で七色に光るトロールの氷漬け見たのは多分我々だけだし、みたいな、謎の対抗意識を持っていたんですけど、ベルゲン駅から一緒に乗り合わせていた中国人二人連れと、一人とか、その辺の、アジアンレディスグループの人たちが、雪塗れの荷物と一緒に、興奮した様子で、口々に笑い合いながら列車に入って来るのを見て、わたしなんだか、心が折れてしまった。

「正しさ」は間違いなくあちらにある。それだけが、はっきりとわかった。敗北者は座席に縮こまりながら、船を漕ぐふりをした。

 

《18:30頃》

ミュルダール(Myrdal)着、ここからオスロに向かう鉄道(ベルゲン鉄道)に乗り換える。


ここはなんかもう、ちょっとした田舎の無人駅で、駅舎はあるんですけど、日没過ぎて、売店全部締まってて、明かりだけがついてる。ここに金田一が居たら、絶対殺人事件起こってるわ……毛利小五郎でもダメだわ……っていう感じ。絶望の駅舎。

時折暗闇の向こうから、切り裂くみたいな灯りが見えて、列車かな???って思って、粉雪の吹きすさぶホームに出ていくと、貨物列車が通り過ぎていく。私の周りはいつの間にか完全に中国人(推定)観光客ばかりで、そんなアジア人ばっかだったか? この行程。と、無人駅に佇むアジア人の私は首をひねったんですけど、言われてみれば確かに、ベルゲン→フィヨルドオスロ(ベルゲン→オスロ間は普通に六時間ぐらいかかる)とかいう、よく考えると強行軍に他ならないスケジュールで行脚するのは、地球の裏側方面からここまで来てるお前らになるよなっていう、納得の顔ぶれではあった。東京→大阪間で富士山登山してるみたいな感じでしょうか。新幹線だったら四時間とか、そんな時間かかりませんけど……無理してんだ、俺達……

次なる列車を待っている途中、貨物列車が数度通り過ぎたんですけど、我々は皆誰が言い出すでもなく、皆でホームに出て行って、通り過ぎるコンテナを見送り、自分たちの載る列車ではないことを確認していた。

ミュルダールのその駅に、置き去りにされるかもしれないという可能性への恐怖が何よりも強く、トランクを引き摺りながら私の足を動かす、その力となっていた。なんてったってここ、ほぼS字結腸だし。外は森だ。森しかない。粉雪の吹きすさぶノルウェイの森。さっきまで思う存分、暗闇にぼんやりと稜線の浮かぶフィヨルドの威容をしっかり見た後ですし、もうこれ以上人の居なさそうな場所に居ることが恐ろしかった。大自然という恐怖。

日本人、すぐに「古くから我々は自然と共存してきた」とか言いますけどね、何を以て「共存」というかとか、その成否がどこにあるかとか、お前もののけ姫見たのかよとかは、兎も角として、お前の言う共存が出来るような「自然」が優しかったんだ。ここの自然は、恐ろしい。ここの自然と渡り合うにはそれこそ、強くなければ生き残れない……ここはロストベルトNo.1……目と鼻の先、すぐそこに広がる獣国……

 

この後18時後半にミュルダール(無人駅)のホームに無事停車した列車に、闇市帰りか?という必死さで一同乗り込み、ようやっと一息ついた。電気の元でこそ、人間は心から息が出来るなと思いました。

それにしてもノルウェイの列車(ベルゲン急行)、一等(コンフォートクラスと言うらしいです)と二等が日本のグリーン車みたいに露骨に書いていなくて、私は前日時点でロクにチケットをチェックしていなかったので、誤って一等に乗り込み、チケットを見回りに来た車掌に「お前なァ……」みたいな呆れ顔で見られたんですけど、私がオドオドとして見るからに英語通じ無さそうな顔だったからか、「別にいいぞ、座ってろ」と言われ、罰金を免れました。レアケースだったと思う。

当時は、食堂車(最前列車、メニューを見るに寝台車利用客向けのライトミールの提供とかもしてた)終わってるし、水も買えなかったし、フロムの駅の便所の手洗い場で、自動センサーを誤魔化しながら汲んだ便所手洗い水をゴクゴクしながら、以前後輩がお土産に持って来てくれた、モンゴル土産のチョコレートを齧りつつ、暖かいものが食べたいと、なんだかいじけたような気持ちで、チェッ、なんだあの車掌、厭味な目付きで睨みやがってと、一人で荒んでたんですけど、お前、たぶん、相当温情掛けられてたぞ、と思う。

世界一物価の高い国の罰金があそこで発生してたらほんと、ヤバヤバだったので、感謝して下さい。あの節は本当にありがとうございました。あの時救って頂いた旅客で御座います。反物織れるように、ユーキャンで資格とっとこう。

 

ここまででもう三度目になると思うんですが、ベルゲンが海流の影響で雪が降らず温暖な気候であるというのは本当で、ミュルダールから更にオスロに向かって内陸に進むにつれ、車窓から積雪が見る見る内に厚くなっていくのが分かった。

時折雪深い謎の駅で降りていく人影を見るにつけエッ……ここで降りるの……?YOUは何しにGOLへ???というかGOL、ベルゲン急行内のフリーWi-Fiで調べるに「ゴル」なんですけど、どう聞いてもヨルとかオルとかそんな感じの発音で、えっ私本当に今乗ってるのベルゲン急行なの?????キサラギ駅とか、出て来たりしない??????みたいな、出所不明の妄想や不安に苛まれる等したんですけど、この謎は後の行程のデンマークにて、現地滞在中の知人によって解かれました。なんか、向こうの言葉、Gを、発音しないらしいね? 知らんけど。

 

暗夜行路ベルゲン鉄道ではNSBのフリーWi-Fiがビュンビュン飛び回っていたので、座席に根を生やした私はひたすらツイッターで呟きながらピクシブを閲覧し時折浅く眠り、走行している内にやがて来たるオスロ着が、22時も終わる頃だったんですが、幹線道路沿いのオレンジ色の光の周囲に、徐々に人の居る白い灯りが見えるようになって、最後ようやく、自然の威容が目に入らない、見るからに人工の建築物に囲まれた都市に列車が止まったとき、私は心底安堵した。ぶ、文明の光……! 

まぁすぐこの後首都オスロ24時って感じで、どこからともなく響く推定酔っ払い男性の「ア˝ーーーーッ!!」っていう絶叫から逃れつつ、粉雪(増量中)の中オスロ駅裏を、雪塗れで彷徨うことになるんですが。

 

ナットシェルを終えて

ほんと、俺の屍を越えていけ~~~~~~~~!!というか、普通の観光客はこんな脳味噌粘菌以下状態でナットシェル始めないと思うので、拝啓 過去の私へ といったところになるんですが


①メールを読め ほんと、メールをよく読んでほしい。真剣に

②調べろ フロム鉄道とか色々見どころあっから、調べろ。そのついでに高緯度だからそうじゃん日が沈むじゃんとか 思い至って せめてこの辺のウェブページは見てから行ってほしかった お前ベルゲン急行の名前も良く知らない状態で乗りやがったもんな。トーマスクック先輩がヨーロッパ景勝ルートって紹介してんだぞ。まぁ私が乗ってる時間はパーフェクト暗闇とどこまでも雪景色だったんですけど。

 

www.tumlare.co.jp

www.tumlare.co.jp

 

③(どの道日程的に不可能だったんですけど)夏場に行け(少なくとも夏場がハイシーズンと理解して心しろ) 冬の北欧!クリスマスシーズン♥ とか、それはそれで確かにまぁ楽しかったんですけど 少なくともベルゲンは夏場がハイシーズンだし、ナットシェルやフィヨルドもソレだと思うぞ。ウィンタースポーツやらねぇ人間がよ、わざわざ冬に軽井沢行って完全に満喫できるか? そういうことなんだよ。

 

おわりに

翻って、ここは自宅、私はパソコンに向かってほんと、そんなことしてる場合じゃないんですけど、これで精神安定を試みてるんじゃないかっていうような勢いで怪文書を作成していて、現在時刻は、午前一時を過ぎたぐらいなんですけど、先程蛙飛びをして鼻血を出したうちのネズミが、五時間を経てようやく立ち直ってくれたみたいで、鳴らしているのかどうかわからないサイレントホイール!という前評判の回し車を回す音がします。ガタガタガタガタ、或いは、ゴトゴトゴトゴト、牛車か? とにかく、立ち直ってくれたようで良かったです。

 

 

*1:類語:公開処刑 レジュメの準備により院生は体力的に死ぬ さらに当日の発表及びその後の詰問タイム、そして将来(修士論文)へのぼんやりとした不安により院生は精神的に死ぬ

*2:ネット予約に伴いナットシェル公式から送られてくるメールには、インターネット予約直後に送られて来る「予約確認メール」と、二日三日して諸々の手配が完了してから送られてくる「手配完了メール」があります。ナットシェル、要は自然を相手取った観光プランなので、なんか色々あって、「手配できなかったよ!別日にしろ」と言われる事例もわりと無いことではないらしく、ナットシェル公式サイトにもあるんですけど、「飛行機とか宿とか、ナットシェルに伴う諸々の予約は数日後に送られてくる「手配完了メール」を確認」してからの方が安心、というか、諸々の補償はしないので、ナットシェル次第で変動する予約はしないことが強く推奨されています。私はその辺普通に無視してました。鬼か? しかしまぁ運が良かったので、今回はこの点では火傷しなかったんですが。