メーデー!

旅行関係の備忘録ほか。情報の正確さは保証致しかねます。

eSIMを借りよう!(備忘)

現在有効な水際対策情報は厚生労働省サイトをチェックしてください。

 
去年の7月にタイに行った。この業務スケジュールなら行けると思ったから。
7月のタイはドリアンがシーズンらしいが要は完全な「思い付き」で飛行機を予約してしまって、「雨季 タイ 観光」なんかのワードで検索すると、「観光シーズンというものには理由がある」「行くべきではない」と出てくる。
 
 
ちなみに東南アジアの観光ハイシーズンは11月~5月(乾季)らしい。
「雨季」と名乗るからには「雨降ってるんだろうし、それなら乾季より涼しいだろ!」という雑な認識で飛行機を予約してしまいましたが、東南アジアって、南半球に位置してるわけじゃなくて、むしろ赤道近くに位置している。
 
つまり、「夏の赤道」。
 
乾季より「暑くて」、湿気ています。ここ数年の日本の夏とはまた趣が違う暑さ。蒸したサウナの中に、有象無象を焼き尽くす殺意を持った太陽を入れたイメージ。
余談ですが、日本の夏に対する主観は、「サウナの焼き石の上にお湯ぶちまけて呼吸困難になるイメージ」です。
 
ちなみにタイにはもう一つ季節があって(三学期制)、
11月~2月の乾季」
「3月~5月の暑季」
「6月~10月の雨季の三季」
らしいです。この中では暑気が一番暑い。ソンクラーン(水かけ祭り)はタイの旧正月時期に実施されますが、大体4月頃らしいです。Hottest
 

 

 

 

2022年7月時点のタイの入国規制は「ワクチン接種証明書」さえあればフリーパス状態だった。

ワクチン接種証明書(英文)は、お住まいの区役所市役所で発行してもらえるものと思う。
自分の居住エリアでは国内用(これはワクチン接種証明書のアプリで代用できる)と国外用(ワクチンパスポートと呼ばれているらしい。)があり、国外用(英文)の交付を求める場合はパスポートが必要だと役所で判明したので、一度取りに帰ったりしました。
ちなみに、スマホICカードを読んでくれる場合はわざわざ役所に行く必要、ないらしいです。大陸出身1円スマホユーザーなので普通にマイナポータルのアプリも入らないし、そこのところは知りませんけれども。
 
こんな感じで手間をかけてワクチン接種証明書を取得したんですけど、成田からバンコク行きの飛行機に搭乗する時だけこの証明書を提出し、他の局面では正直、求められた覚えがない(タイ入国のシーンでも求められなかった)。
 
ちなみに2022年6月時点の情報では、タイ入国にあたって「タイランドパス」を申請する必要があった。
つまり、アプリ上で必要項目を入力し、「タイランドパス」の申請が通っていて、入国時にはこの申請済を証明するQRコードが発行されている必要がある、ということです。
これは6月末日を以て廃止になったのだが、これが明らかになったのが6月29日頃だったので、7月頭からの旅程を前に面食らった覚えがある。
 
また、同じく2022年6月時点でタイの入国には100USD以上の海外旅行保険に加入している必要があり、私は6月29日タイランドパスの廃止と同時に海外旅行保険加入義務も無くなったことを知った際、既に海外旅行保険に加入していた。
何なら、英文の加入証明書も発行してもらっていた。とはいえいつ罹患するとも限らない状況ではあるので、金に余裕があれば備えを掛けて置いた方が結果的に後で安くつくだろうと自分を納得させる(が、結局陰性状態で帰国したため、ここは完全に掛け損だった)。
 

タイ旅行中はSIMを借りることにした。

これまでSIMのことをよく知らなかったし何より金がなかったので、モバイルWi-Fiを借りて同行者と割り勘にしたり、フリーWi-Fiと宿のWi-Fiだけで全てを賄ったりしていた。
今は幸いなことに定職にありついているため、時間はないが金には多少の余剰がある。
なお、同行者はeSIMというのを借りていた。何でも差し込みが不要で、出国前に設定をしておけば目的地入国と同時に現地で使えるスマホとして機能するらしい。
 
深夜にスワンナプーム国際空港着。
数分かからず入国カウンターをほぼ素通りして荷物を回収、ゲートをくぐると出迎えの人間が群れを成しているが、タクシー!!!!!と絶叫する少女時代はいない。流石に深夜で人気もまばらということか、或いは、空港から市内の交通の便がある程度良いということだろう。
 
日付が変わるシンデレラタイムだったもんで、市内までの公共交通機関は終わってる時間だったんですけれども、ゲートを出たところのブースでSIMを借りる。頼んだら、SIMをその場で差し込んでくれた。
カウンターの人の名札にはスマホからSIMの取り出し口を引っ張り出すための薄い金属板がくっついており、私はそれを見て携帯ショップを思い出した。(フラグ)
日本国内で利用していたSIMは、元はタイ用のSIMがくっついていた台紙のセロテープで張りつけられた。
 

この時、SIMのことを「携帯ショップでなんか入れてもらえる小さい板」程度の認識しかしていなかった私へ 

海外でSIMを利用する際の注意事項は以下の通りです。
 
とはいえ、今回私が利用した感覚からすると、特別な注意事項としては、特にないです。いたって普通。快適に使える。
 
ただしExpediaとかで空港行きタクシーを予約する時には、Expediaに登録されている番号が、SIMに割り当てられた番号かどうか」をチェックする必要がある。
というのも、日本国内の番号宛てに来た連絡先は、セロテープで台紙に張りつけられたソレを経由しないことにはどうひっくり返ったって見れないからだ。
SIMに割り当てられた番号は、たぶんSIMカードを貰う時の台紙に書いてあるので、それを見ておくこと。
 
あと、大事なことが一つ。
SIMカードは返却しなくてもよい 
プリペイド方式のSIMカードは、返却する必要はありません。
 
 
後述の通り、SIMカードを自力で取り出せないことに気付き、「あんな台紙に張りつけられてるプリペイドカードを返却されたって困るだろう」と自分に言い聞かせながら無理やり飛行機に乗った私には朗報ですね。
 
もっと言うと、以下です。
できれば、eSIMを借りた方が良い。

 

後述の通り、SIMカードを取り出すには携帯ショップで見るような薄い板が必要とされるためです。
普段から格安SIMを使っているのであれば兎も角、SIMカードのことを「なんか板」として認識している脳でここに気付ける程、気が回る性質ではなかった。
 

SIMのことを忘れて楽しんでいるときのタイ旅行の思い出

チャオプラヤ川バンコク
船内にマスクしないでめっちゃ咳き込んでるコーカソイド男性がおり、当時は「ここで感染したな」と思っていた

 

遺跡(アユタヤ)
太陽サンサンで逃げ場がない。こんなところでマスクしてると倒れるので、適宜外して歩く。ハトがいっぱいいるが、コウモリも負けず劣らずいる。

プラーパオ
飲食店の店先にドシドシ置かれているあのでけえ魚の塩焼きが食べたいと大騒ぎしてホテル近くの食堂(エアコンなし)に入り、同行者を30分待たせた末に出てきた一品 手づかみで魚を解し米麺と草を巻いて頂く。絶対感染したと思った。

帰国の前に

2022年7月時点の日本の水際対策は以下だった。
 
①ワクチン接種証明書
 
②出国72時間以内のPCR検査陰性証明
 
①②をまとめて登録して、入国時に申請がすんでいる旨を表示するMySOSというアプリの利用(ファストトラック)が推奨されているため、これに対応したが、まあ使いづらい(2022年7月時点)
 
なんか、よくわからないところで操作が出来なくなり入力内容が消えたりする(入力し直した)
 
書類の写真を撮って提出するが、何を提出すればその書類に当て嵌まるのかよくわからない。
 
バンコク市内ではメッドコンサルトというクリニックでPCR検査を受ける
 
 
この際も事前予約をしていないと、現地で生年月日やパスポート番号をブラウザ上で入力してQRコードを出す手順を踏むことになるので、事前予約をした方が話が早いと思う。
 
流石に先方も慣れており、こちらで特段書類を指定することもなく厚生労働省指定の様式が出てくる(が、結果としてこれも使っていない。)
 
午前までに検査をすると午後まで、午後に検査をすると夕方から夜までに結果が出るというシステムだった。
 
 
こちらで検査した後巨大スーパーマーケットで歯磨き粉を業者のごとく買いあさっていたら陰性証明が登録したメールアドレス宛に来た。
 
ホテルに戻ってMySOSに登録する。
この際手元にあったのは
 
①クリニックで貰った厚生労働省様式の接種証明
 
②メールで届いた陰性証明.pdf
 
ホテルのボールペンを使って、①に接種日と署名を書き、陰性にチェックをした書類を撮影して提出する。
この時接種日を書き間違えて二重線で消した上で再記入をしたのが悪かったのか何なのか、二度にわたって「書類に不備がある」と突っ返され怒り心頭。
ここで同行者の「②のpdfを出した」というアドバイスに従ってみると一発で通った。
じゃあこの、①って何? 要らないじゃん 2022年7月当時のポカなので何ともというところですが……
 

帰国(2022年7月時点の日本の水際対策)

MySOSに必要書類を登録すると、書類に問題がなければ青色、問題があれば黄色の画面が表示される(必要書類が登録されていない場合は赤)。
空港ではアプリを起動し、QRコードを見せる必要がある。
 
空港ではアプリを起動し、QRコードを見せる必要がある。
 
これに気付いたのはスワンナプーム国際空港の出国カウンターを過ぎた後だった。
 
その時は「あ~SIMカード出せないや まあいっか(あんなん返却されたって困るだけだろう)」というレベルだったのですが、
いざ飛行機に搭乗してみると成田でインターネットに接続できないと困るのでは?」ということに気付く。
だって、空港ではアプリを起動しQRコードを見せる必要がありますし、空港Wi-Fiは得てして弱いのでろくにアプリを読み込まないのではという懸念がある。
 
公共施設のフリーWi-Fiを信用していない。
これは一種の信仰であって、「本当に早いのかどうか」はここまで来るともう関係はない。
 
当時の私に少しでも「実際のところ成田空港のWi-Fiは使えるのか」という疑念があればすぐに検索し、以下のサイトを見つけて安心したところだろう
 
 
計測されたところによると、成田空港のWi-Fiはかなり強いらしいです。
 
が、私の頭の中にある「公共施設のフリーWi-Fiは使えない」というそれはやはり、理屈ではなく信仰に近い。
 
人間は自分が立てた予想を疑うことはあっても、頭の中に「在る」啓示を疑うことはない。
なので、「SIMカードを取り外して日本国内で4Gに接続できるようにしなければ」というところに思考が一足飛びした。
最悪の場合、書類再提出後の「申請中」の状態で一応スクリーンショットを撮って置いたQRコードを提示するとして(公共フリーWi-Fiは使えないという前提で動く為、実体の検索よりも先にこの手のリカバリーが脳に染みついている。)、どうにかしてこのSIMカードを取り外す必要がある。
 
さてどうしたもんかと、貴重品を入れて斜め掛けにしているウェストポーチを漁ってみると中からボールペンが出てきた。いつだったか大学で貰ったような気がする。
大学ではあれだけボールペンが溢れていたのに、社会に出た瞬間粗品でボールペンを貰う機会が消滅した。粗品を貰うこともない。外部の人間との接触がない。
そう思うにつけ、大学生活の象徴めいて見えてくる何の変哲もないボールペンを解体し、バネを伸ばして針金にして、SIMカードが嵌っている蓋を押し込んで外せないか試してみる。
外れる訳がない。形がなんか違うもん。消灯されている機内でしばらくもぞもぞ一生懸命やってみるが、なんか、上手くいかなかった。私は諦めることにした。
 
結局成田空港のフリーWi-Fiでどうにかして、帰宅前に最寄りの携帯ショップでこじ開けてもらった。
SIMカードを取り返すにはピッキング専門道具みたいなアレが必要。
携帯ショップにお勤めの方の名札の裏とかについてる、あの金属片です。
ピッキング繋がりで針金でもいけるだろというのは、本当に愚かな考え。
その浅慮によって、大学生活の思い出めいたボールペンが一つ、ゴミと化しました。
 
一方で、eSIMを導入していた同行者はタイ入国即使えるようになったのと同じだけスムーズに日本国内でも携帯電話回線を取り戻し、颯爽と職場へ戻って行ったという話です。eSIMを借りよう!(備忘)
 
 
 

健康のために5000兆円ほしい

 

これまで四半世紀かなり健康に生きてきたので、未だに自分の身体のことをよくわかっていない。一番よくかかる医者は皮膚科、そして歯医者。それ以外の病院に掛かる理由は予防接種。

発熱した時はとにかく飯を食えば治ると信じており、1回目の新型コロナワクチンを受けた時には、通常の発熱と同時に平常通りの食事をとって「健康」を気取っていたため、後に盛大に腹を下し、消化管がただの管に成り下がるひどい目を見た。

 

これまでの身体Tips

 

ra927rita1.hatenablog.jp

 

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今日は降って湧いたような休日だったので「何か」をしようと思ったんですけど、昼前に起きて昼過ぎに普通に寝た。

普段何らかの食事を抜くと意識が遠ざかりがちですがそういう訳でもなく、何と今日は雨天にも関わらず豪勢に外食をしていた。冬の贅沢ミラノサンド、おいしかったです。風格がクリスマスディナーの味でした。

 

www.doutor.co.jp

 

これを食べて惰性でPvPゲームをし、これで休日を終わらしてはもったいないからと思い立って、やがて懸賞小説でも書く為の一次小説を書き出し、程無くして飽きて、借りている本を読んでいると異様に眠くなったのが15時頃だった。


その時なんだか異様に寒かったのだが、室温計を見ると18度かそこそこ。室温としては大したことはない。

それにしても寒かったものだからここで今年度初の暖房稼働を考えてはみるものの、この頃は電気代が高いのもあり、できるだけエアコンの稼働は避けたかった。

夏場は使い渋ると死ぬので何も考えずにつけていたが、冬場の東京は雨露と外気が凌げる屋根があるのであれば、ある程度厚着でどうにかなるだろう、程度の気候だ。

 

当座の暖房器具として布団に包まっていると、温まりはするがすぐに眠くなる。冬場の気候、エアコンを付けなくても死にはしないものの、暖房の稼働を避けようとすると眠ってしまうので問題かもしれない。

 

とはいえ折角の休日を寝過ごしたくはなかったので、小賢しくアラームを掛けて小刻みに眠ってやり過ごそうと最初は思っていた。しかし20分後にセットしたタイマーのスヌーズを止めたところで、どうせ休日 何をしたところで良いだろうという投げやりな気持ちが発生して全てを放棄したら、

①他人のサブスクのファミリープランに寄生しているとして、サブスク社員に電話口で詰られる夢

②他人が部屋の窓を割ろうとしているのを目の当たりにし、兎に角警察に通報している夢

③隣家の駐車場に消防車が止まっている夢

④実家から幼少期に使っていた学習机や本棚が届く夢

を立て続けに見た。

夢の舞台が全て現住の賃貸だったため、①②③には妙なリアリティがあったのだが、最後の④になると流石に眠りが深くなってきたのか、全くのフィクションとわかる要素がそこかしこにあり、夢に驚いて目が覚めるフェーズも踏まなくなる。引っ越しを繰り返した時期に幼少期に使っていた家具や物品のほとんどは処分済みだ。

 

夢の中に現れた机は妙に見たことのあるような作りをしていて、引き出しの中で腐らせた植物や、キノコを入れて標本を作ろうとし固まらずに腐ったクリスタルレジンからコバエが大量に噴出されていた。しかしコバエ大量排出ガチャを現実で数回やったことがあるので、夢の中でも大して驚かなかった。

引き出しからは他にも、過去に集めていたような気がする無数のシールや文房具が出て来て、これをいかにメルカリで売りさばくかを考えていた。

 

目が覚めると三時間ほどたっており、身体はだいぶ温まっていた。布団から出ても室温18度程度の寒さしか感じない。昼間の「冷え」は、ここ一週間ずっと午前二時まで寝ない暮らしを続けていたことの「ツケ」を支払う時間を教える予兆だったのでは? 

まあそうやって原因が分かったところで、明日労働があると思うと、布団に入ると同時に「労働を辞めると生計が立ちいかないから要は生きるためには死ぬまで働かないといけない……」ということを考え始める脳をInstagramの画像によって機能停止させないととても眠るテンションにならないので、どうしようもない。寝不足の根本的解決には宝くじの高額当選が必要。

 

今日のTIPS 健康のためには宝くじの高額当選が必要。

 

 

 

今週のお題「防寒」

人がみなわれよりえらく見ゆる日

 

tanka-textbook.com

 

花は買わないし、私には妻も夫もいない。

花の代わりに鶏むね肉を買おうとしたら、三か月前には鶏もも肉についていたような値段が鶏むね肉についていて、びっくりした。

びっくりして98円の大根を買い、大根ステーキを作り、大根の皮をきんぴらにした。

 

www.mizkan.co.jp

 

park.ajinomoto.co.jp

 

今日も今日とてお仕事クソ日記です。

 

さながらおんばひがさのような環境で労働をさせて頂いているにも関わらず労働が嫌で夜も眠れない人間に、Twitterは刺激が強い。

あらゆる人間が労働によって生計を立てている資本主義社会の中で、「労働によって生計を立てる」サイクルに属せないことによって起こる生活上の悲惨がTwitterにあり、一方で労働を苦にして死ぬぐらいなら環境を変えろという情報がある。それに関連して「会社がどうにかなった時のため、お前自身の市場価値を高めて転職するべきだ」という情報もある。

怒鳴らない上司と比較的整った制度というおんばひがさ環境でぬくぬく労働をさせていただいているにも関わらず、労働が嫌で夜も眠れない*1

 

上司にあたる人間が何を言っているのかよくわからない。

「わからなかったら相談をしてね」という助け舟を出されはするし、これを出されるだけマシというのは理解している。しかしそもそも、上司が何を言っているのかよくわからない。

私の理解力側に問題があるにしても、上司は上司で言っていることがコロッと変わる(上司が言うには「情勢を鑑み」といったところなのであろうが)ので、わざわざ上司ちゃんに面談を申し込んで、その時点で上司ちゃんが言っている内容をガチガチに話を詰めるのは、正直時間の無駄であるようにも思う。

これで「報連相をしろ」と時間外に打ち合わせを強いるようであればこちらも打つ手段があるが、今のところ上司側も手が回らないこともあってか、私は割と放し飼いをされているので、そこまで時間外業務が増えているわけでもない。

一日おおむね10時間労働、清く正しく働いている。しかし、主観的にあまりに長すぎる。空き時間は食事と生活、睡眠時間とSNSに当てている。労働に関連するだいたいのものを見ると嫌気が差すので、あらゆることに手を付けていない。

 

 

先週の平日、眠る前にリンク先のnoteを見て、ここで定義されている「第一段階」で足踏みをしている我が身を思った。

人間の心が、段々と壊れる様を見ている。

今は労働をし、対価として賃金を得ている限りにおいて生活の自由を得ているので、この労働をしなくなると賃金は得られず、この自由はあっという間に失われる。他の労働者に寄生するという在り方も頭を過るが、宛てがないので私が労働をするしかない。

NISAの枠で投資信託を買い赤字を出しているが、信仰のままにこれを持ち続けている。iDecoなんて引き出し可能年齢(60歳)になる前にどうにかなってるだろ明日のこともわからないんだからと思っているが、今でさえ死を恐れているにも関わらず、これから時間経過によって自力で引き際を決められるようになるとも思えない。

 

honeshabri.hatenablog.com

 

どうすれば労働をせず生活をしていけるかと思い、高校の国語教師が言っていた「あらゆる生活に限界を感じたら小説を書け*2」という言葉を思い出して小説を書き出してみるが、すぐ二次創作をしてしまう。そっちの方が楽しいからだ。

二次創作をやめろ! そんなことをしている場合ではない。しかし卒業論文と並行して二次創作小説同人誌を作成していた人間に、それはちょっと今更な言葉ではないのか? 何にせよそんなことをしている場合ではないのだ。じゃあ、他に何を? 

空き時間で資格を取って転職に生かしたところで、最初から「労働」をしたくないところでそんなことをしても無駄な気がする。そんなことをするならまだ「楽しい」と思える二次創作をしていた方が有意義だ。そんな日にも眠る前から明日の労働のことを考え、こうも苦しんでいる。

 

それにしたって現状、かなり恵まれた環境において労働の方、させて頂いていますけれども、この場に留まり続けて職務上の責任ばかりが増え、どうでもいいおままごとの帳尻合わせに駆り出されて、自分が始めたわけでもない事柄でいっそう詰められる将来を考えると、あまりに早く抜け出したい。

しかし先立つものがない。アルバイトで食いつないでいくには未来はあまりに不確定なので、とりあえず企業に強い身分で所属だけしておいた方がいいだろうとオフィスチェアを温め、早二年ぐらい経っている。

植物のように家に根を生やし、ゲームしたり本を読んだりインターネットをしたいだけだ。ちょっとしたダンシングフラワーと思ってくれればいい。

しかしこれらは労働をする限りにおいて与えられる条件付きな身の振り方の自由であって、労働をするにせよ環境を変えるにせよ諸々の献身が必要になる。実のところ献身がないにせよ、献身をしているフリを求められる。そうしなければ生計が回っていかないからだ。

生計を回すために所属を続けるとやがて責任が増え、激詰めが発生する事態が既に見えている。とはいえ他所にいったところでこれが変わるとも思えない。生きている限り逃れられないのか?

 


この考えに嵌ると猛烈に落ち込むので、最近は睡眠予定時刻まで残り一時間を切ったところでTwitterを開くのをやめ、Instagramを見るようにしている。

Instagramではもっぱら、他人のハムスターを見ている。華僑コメディアンの切り抜きネタや職業別あるある動画ネタを見ていると、この人達も労働の対価として賃金を得て生活をしているんだと思い至ってしまい、すぐ我に返ってしまって不安が発生する*3

 

本当に仕事が好きな人間というのは、自分が好きなことを仕事にした人間を除けば本当に一握りだと思うし、好きなことを仕事にした人間以外、あんなものを望んでやる人間は存在しないと思っている。

しかしその割に、目に入る他人は皆、折り合いをつけてどうにかやっているように見える。そのようにして体面を保つ必要があるからだ。皆偉く立派に見える。生計を立てるためのままごとに真剣に向き合っているか、少なくとも向き合っているという体面を保っている。

心底仕事をしたくないが、生計を立てなければ生活の自由を保つことはできない。生計を立てられる見込みがつかないのであれば、諦めて真剣にままごとに奉仕をするフリをするか、或いは今すぐ仕事を辞め、残高が尽きるまで気ままに暮らしつつ、身辺整理を進めるかだ。

出勤日前日の夜になると、この苦しみを受け入れるか限界を受け入れるかの二者択一問題が脳内にポップアップしてきて、延々と唸ることになる。

 

どうやって諦めればいい? 

 

給料日を迎えると祈るように投資サイトを開き、祈るように宝くじを買う。楽になりたい。どうせ働くにしても、遊び半分でお小遣い稼ぎをしたい。責任が発生している人間を後目に書類整理だけして、15時ぐらいに帰ってお茶をしたい。日が暮れてから退勤して、少ない睡眠時間を削りながら、これから先の生活に対する不安と労働への嫌気でぼんやりとしたくない。

5000兆円ほしい。5000兆円入った口座を見て、無策のまま会社に所属し続けることによってやがて発生する責任増大怒られイベントのことを恐れたりせず、なんの懸念もなく眠りたい。

そうやって夜は不安で眠れない一方、日中は絶えず眠気と倦怠感があり、便所休憩のついでに毎回5分ずつ目を閉じて、個室の壁に凭れ掛かり、時々揺れている。職場の便所で揺れるダンシングフラワーです。よろしくお願いします。

 

 

 

 

*1:なお、寝入るまでに一時間以上かかると言うだけで、「全く眠れていない」わけではない。

*2:小説を書くことは人生のどの段階でも始めることはできる。なので最初から小説家を最初に目指す前に、一旦他の職業に就いてみろ という趣旨だった。

*3:なのでYoutubeに寝かしつけてもらうことはもうできなくなっている。Youtuberがアップロードした動画を見ると、労働のことしか考えられなくなるのだ

昨日何食べた?

 
 
マジで思い出せない。
 
※以下は完全に日記で、作品の話は一切していないです。
 
(前提)自炊をしている
 
キッチン設備のある家屋に住んでおり、何かと自炊をしやすい環境に身を置いているので自炊をしており、値引きシールの貼ってある材料を買って日々を凌いでいる。
時々調理工程や洗い物に嫌気が差して、インドカレー屋に行く。インドカレー屋は話しかけて来ないからだ。その点中華は若干敷居が高く、それ以外の店は基本行かない。軒先を見るだけで発生する会話や身振り、店員の方を呼ぶに当たっての模範例を思い浮かべることに疲れるから*1
店ごとの作法が存在しなさそうなチェーン店に行けば解決する話ですが、チェーン店はどれもこれも「言うて近いが微妙に遠い」ところにあり、しかも大抵入口に列ができている。なので、「最初からそこで飯を食うつもり」で家を出ないとまず行かない。
 
 
よって「自炊に必要な気力がない」となると選択肢はインドカレーのみになるのだが、幸いにもインドカレーの店でバリエーションが複数店舗ある。
時々ケバブサンドも選択肢に入ってくる。しかし最寄りのケバブサンドはインドカレー屋のテイクアウトで入手できる品数と比較すると若干割高になるので、あまり行かない。
ケバブサンドで割高とか言ってるので、駅前にあるたこ焼き屋はまず行かない。たこ焼きはおやつであって、費用対効果を気にする主食ではない。あれはもんじゃ焼きと同じ分類の食べ物だと思っている。
 
 
 
今日は比較的気力を残しており、さてそろそろ自炊をしようとしてはたと、「昨日何食べた」か思い出せないことに気づいた。
普段であれば、この頃は気温が下がりどうせ虫も出ないだろうと舐め腐って放置しているシンクの洗い物を見れば「昨日は何食べたのか」ぐらいはわかるのだが、今日は珍しく洗い物を済ませていた。
さて昨日は何を作ったかなと思いながら、先日なすの揚げ浸しを作ろうとして片手鍋に入り切らず、冷蔵庫に放置したなすを眺め「なす レシピ」で検索をすると、「チーズ」というワードがサジェストされるので火を通してからチーズを乗せる。
 
 
肉は基本賞味期限スレスレの物を買って冷凍しているので、解凍した形跡がなければ少なくとも肉は食べていない。
話は変わるが、最近出勤時に財布を忘れたことに改札前で気づき、駅から自宅まで取りに戻るとかなりギリギリの貧血めいて状態異常が発生、肩で息をし喘ぐことになる。
体力がない。一応日々のラジオ体操はぼちぼちやっているのだがと荒い息で検索をすると、これは「鉄不足」が原因じゃないかと検索結果が返事をする。
鉄分は意識して取っていないので、おそらく不足しているだろう、と思う。
レバーは好きなので、自分の台所というものを持ってからこれまでに2回ほど、値下げされたものを買って帰って、ハンニバルを思い浮かべながら調理した。
 
 
 
けど内臓って処理が面倒くさいことこの上ないし、レバーを濯いだ後の水を流すと、シンクの受け皿に掛けているカバーの目が一瞬で詰まって臭くなるので、この頃はもうあまりやらない。
納豆と卵を食っていればタンパク質は問題ないだろうと思っているし、キャベツを時々食べているので、きっとビタミンも足りているだろう
 
鉄分はタンパク質でもビタミンでもないので、多分取れていない。家庭科をもっと真面目に受けておくべきだった。
 
そういえば栄養がありそうな食品と言えば牛乳だが、牛乳は数か月前まで168円(税抜)だったものが最近178円(税抜)に値上がりしていたので、この頃はもう買っていない。
ネットで調べて見ると、牛乳には鉄分が含まれていないものの、鉄分の吸収を助けるものらしい。
 
 
鉄分も、鉄分の吸収を助けるものも欠いている食事をしている。
とはいえ大正製薬が言うには、納豆や厚揚げの類に鉄分って多少入ってるらし*2のでまあ食ってはいるかなという感触ですが、一日10mgは多分食べてない。
 
それ以前に、昨日何を食べたかも思い出せない。
頭を抱えながらしなびたニラを冷蔵庫から引っ張り出し、取り敢えず卵と混ぜることにする。
卵さえ食べていれば栄養失調で倒れることはないだろうと、根拠なく信頼している。
 
 
それで、昨日は何を食べたんだったか。
鉄分が明確に足りていないとか他にも諸々足りていない栄養素はたぶんあるんですけど、何が足りないかを考えるに当たっても過去履歴がないと何も始まらない。
 
自炊を日常的にするようになってから半年程度は、あすけんに逐一食事を登録し、「何が足りないか」の確認をしていましたが、いつからか逐一食べたものを登録することが酷く億劫になってしまって辞めていた。今はアプリを開く気にもならない。
 
特にこれといった決定打なくあすけんと別れてから、何となく特売日に購入し、腹が減ったら何となく食べている。
 
時々カレーやシチューを食べたいと思い立って作ったり、KFCが食べたいと思い立って買いに行ったりしている。
 
昨日はそういった記憶がないので、たぶん何となく食べているとすれば、卵か納豆を食べているのだろうと思ったところで、ようやく昨日は納豆オムレツを作って食べたことを思い出しました。
 
 
材料
納豆 1~2パック
卵 2~3個
サラダ油 適当
マヨネーズ 調味料はあればあるほど良い
 
作業工程
①フライパンにサラダ油を入れて火をつける
②卵を梳いてフライパンに入れる
③納豆を混ぜてある程度固くなった卵に載せる
④納豆を卵で包む
⑤皿に載せてマヨネーズをかける
 
終わり
 

 

実家で何となく食べたことがあるものを、何となく再現して食べている。

 

現代に残っている「家庭の味」は大概、どこかのお料理教室や家電発売時に流布したレシピに起源があるのだろうと思っており、今回のこれもそうだろうと思ってレシピを検索したところ、ヒットした居酒屋レシピがメチャメチャ美味そうだった。今度やってみたいと思います。以上です。

 

www.hotpepper.jp

 

*1:実際に話しかけられるか否かではなく、会話を求められる可能性を勝手に想像し、イメージを億劫がっている。

*2:大豆加工品には非ヘム鉄が含まれているらしい。(参考)「鉄分の多い食べ物を知って、効率的に摂ろう大正製薬(最終確認日2022年11月4日)

今週のクソ塗れ日記

 

ra927rita1.hatenablog.jp

 

暮らしているだけありがたいんですが、毎日本当に楽しいことがない。空き時間でゲームをすると、総受けオタク丸出しのユーザーネームとマッチする。調理をすれば食料が仕上がり、食の喜びらしいものは感じない。かといって外食に金を使うと、なんだか気づまりになる。自分しか養っていないのに、9月分のガス電気代が凄まじいことになっている。気晴らしにどこか出るにしたって、外出したらどこかしらで金を使うことになるのが目に見えている。そもそも業務時間で何もかも圧迫されている。

 

在宅勤務を許容される職場において、大体家にいるのに疲弊している。ただでさえ業務をしているだけでクソ塗れだというのに、たまにオフィスに勤務すると、お前は難易度の高い業務を取りに行くべきだという説教が始まる。

上長、「今やってもらってるのって中卒レベルの事務作業じゃないですか」と言われますが、大学は職業訓練校ではないということはどうお考えなのか*1。というか、職務の難易度が上がったら、給料お前が出してくれるんですか? という諸々を、上長に言うべきか黙って流しておくべきかずっと考えており、そろそろこの悩む時間も腹立たしいので、ボイスレコーダーでも付けて、机の上に置いておくかという心持もある。録音データをコンプライアンス課に持ち込み、私か上長のどちらかを別部署に飛ばして頂く為です。

 

上長の有難いお話を拝聴しつつ、今すぐ辞めてここの業務量パンクさせてやろうか、というような魂胆は常にあるものの、お賃金を頂けないことには暮らしが成り立って行かないので黙しているし、何となればヘラヘラしている。

生きているだけで、定期的に口座へ、賃金に等しい金額が振り込まれてほしい。宝くじを買って、日々事あるごとに祈っている。平日は寝る前に、数年後の自分の有様、つまり、さらに業務量が増え……しかし賃金は端から期待できるものではないので……という悲惨なものを想像し、「寿命まで生きる前提で現状に甘んじる」か「今カスの業務を終わりにし、現状の預金だけで満足に生きられるところまでやる」かを考え始めて、眠れなくなる。

 

そんな中で、最近は72時間無料公開されていた『片喰と黄金』という作品を読み、面白かったなという感想を持った。歴史をテーマにしたエンターテイメント作品という点で、過去の(まだ『片喰と黄金』の存在を知る前の)私に向かって説明するとすれば、「1848年以降北米を舞台とした日本の漫画作品*2。ノリはゴールデンカムイに似ている」という趣旨の説明となります。

最近の楽しいこと、本当にそれぐらい。あと、出張の片手間に文庫本を黙々と読んだ覚えもある。研究を元にした文庫本によくあることと私は思っていますが、前提条件の整理を終えた中盤を越えてようやく面白くなってきたように感じるし、私の側で受容の準備が整った(ので面白く感じる)ということもありましょう。

今もまだ相変わらず二次創作小説をしており、自作を好んでくれたらしいオタクがRT後に「感想良すぎるしか出て来ない」とツイートしてくれたのを見たのは嬉しかったんですが、後日推定同オタクが同じようなジャンル・カップリングのオタクに「FF外から失礼します! こちらのAB作品とてもよくって~~~~(省略)」といったリプライを飛ばしているのを見かけて草燃えた。「そういう場面」を目の当たりにすることが多いのか、或いは「そう言う場面」を見つけ出す才能があるのかもしれない。

 

二次創作をしていることによって他人が承認される場面を、不思議とあまりによく見かける。これは一種の生存バイアスというものであり、「承認されない他人」というのは、コミュニケーションを前提としたプラットフォームでは透明になるので、見掛けるのは必然的に「承認されている他者」となる。

もしも、多種多様な顔文字を使い分けつつオタクと交流するアカウントの運営者に、私の妄執(二次創作小説)を発表してしてもらったら、たぶんだいぶ違うんじゃないか、という夢も見ている。

とはいえ、夢は夢ですし、これについては現実の私が悪い。他人と交流を持ち、どうにか馴染むための努力をしていない。コストを払わない人間に対して何かを支払う人間というのは稀。そもそも、自分が自分の脳の形に特化した二次創作をする(というか、二次創作というのは得てしてそういう、自分のために成されるものと考えている)ので、他人が見てそこまで言葉を尽くす要素はない、というのも考えられる。

が、自省よりも先に、兎に角、他人がされるような承認を受けることは、おそらく今後無いでしょうし、おそらくこれから先、別段楽しいこともなく、業務は重いものを回されていくんだろうけど、生計を守るためにはそれを唯々諾々と飲まなければいけないのか。

それでもまあ、ある程度まとまった金がもらえるというだけマシなんだろう。いずれ死ぬために、辛いことをこうもやり過ごし、趣味らしい趣味もなく、承認される他者を横目に見て……ということを、延々と思っている。

 

これを就寝前に考え始めると眠れなくなるので、今週の日月火は就寝前にダ・ヴィンチ・恐山のゲーム配信を聞き、張り上げられることのない他人の声に、そこに存在する他者の気配のようなものを感じて、和らいだ心地で眠った。

火曜の午後辺りには、ダ・ヴィンチ・恐山に対して異様な好感を持つようになっており、ああいう「無害さ」のある人間を連れ合いにしたいと思いつつ業務をやり過ごしていた。

しかし、それはあくまで相手が「画面の向こうにいる」存在であるからして「無害」なのであり、これが存在として肉薄していればションベンもウンコもするしオナラもする。生理現象なら兎も角、その他共同生活にあたり齟齬が生じることは当然起こるであろう。

無害な人間というものは存在しない。他人への第一印象に「無害」という言葉を使う時点で、往々にして「自分にとって都合がいい」存在として相手を見做しているわけで、Youtubeの配信を見ている分にはその程度の認識でも構いやしないだろう(と私は思う)が、この認識の粒度で「この人間を連れ合いにしたい」というのは如何なものか。

 

結婚をしたいというか、周囲がマッチングアプリや何やらを駆使して「は~い二人組作って~」に対応しているのを見ると、そうした方がいいような気もしてくる。

今日が一番若い今の自分ですら、誰とも喋らないことがざらにあるのだから、これから先もっと体調が悪くなったりして、一人で動けなくなって、誰とも話さずに床のシミになる将来が訪れることを考えるのはあまりに容易で、その時点でQOLが下がる。

そういえば上長も、「まあ〇〇(私)さんは、これから先もしかすると結婚して、そのまま辞めてやろうというキャリアルートを考えているのかもしれないけれど……」という説教をしていた気がしますが、とはいえ、結婚して経済力を相手に握られた母親のあまり愉快ではなさそうな暮らしを見ていた経験を元に考えると、私は架空のパートナーに経済力を期待し職を辞するのは精神衛生上よくないであろうし、そもそも、人脈もクソもない現状、それはおよそ現実的ではない。

 

夜に起こるそういった無益な考え事を、ダ・ヴィンチ・恐山の配信を聞いて気を紛らわしていましたが、ダ・ヴィンチ・恐山は著作やライター業、そして(おそらくは)チャンネルへの出演等によって立派に生計を稼いでいるのだ。自分の能力を生計につなげるというのは、それなりの地獄でもあると理解しますが、やはり素晴らしいことだと思う。

私も、自分が存在しているだけで、或いはそうストレスを感じない業務をこなしつつ、フルタイムで労働をせずに金を稼ぐ道はないものか、と考え始めるが、フルタイムの労働の金払いに及ぶ何かを見いだせない。

生計のための労働、金はあればあるだけ将来への不安は消えると言いますが、じゃあ、いつまで金が掛かり続けるのか。私はいつまで生きるのか。人はいずれ死ぬ! 死ぬ……死によって主観が失われることが何より恐ろしい。思考が脆弱なので死後の世界を信じることも出来なければ、無を受容することもし切れていない。

ここでYoutubeが、これまで再生していたダ・ヴィンチ・恐山のトラック配信から任意の動画へ飛び、「宇宙は永遠ではない」と言い始める。眠る前にYoutubeを見てはいけない。Youtubeには不安が多すぎる。

 


www.youtube.com

 

そこで水曜の夜辺りから、Instagram著作権とか肖像権が存在しないエリアから配信されたようなオモシロ動画を検索し、ウィ~~~↑というふざけた声を伴うとぼけた音楽と共に、ネコがズッキーニにびっくらこいて吹き飛んだり、赤ん坊が急に満面の笑みで母親の顔に向かって吐き戻したりする動画を見ている。

オモシロ動画投稿アカウントにはいくつかあるが、動物や赤ん坊の他愛もないものをネタにしたものよりは、やはり赤の他人が事故で器物を損壊したり、ちょっとした事故が起こっており、これともすれば後遺症が残ったんじゃないか、と思わせる程の、派手な吹っ飛び方をしている人体を見る方が面白い。

おかしなものを笑うという行為は嘲りに近しく、笑いという行為は本質的に攻撃であるとどこかで聞いたような気がするが、どこで聞いたのか思い出せない。

 

無料公開の漫画、ちょっと読んだ本、ダ・ヴィンチ・恐山のゲーム配信、赤の他人が金玉ぶつけてもんどりうっているオモシロ動画。自分の二次妄想を何らかの形にできてから、それが他人同士の賞賛の中で、誰も手を付けない流しそうめんのようにツーっと流れるのを眺めるまでの間の時間。あと最近はアニメや大河ドラマのリアタイをしている。

何らかの「楽しいこと」は時々起こっていて、それが時折痛み止めのような働きをしているんですが、そもそも「生計を立てなければ暮らしていけず、暮らしていくためには労働をしなければいけない」という構図が根幹にある頭痛に、一時的な痛み止めを当てているだけなので、「日々楽しいことを数えて暮らそう」というのは応急処置に過ぎず、これで凌ぎ切れることもあれば凌ぎ切れないこともある。

この構造が悪い。

とはいえこの構造をぶち壊す程の権力を持っていないし、この構造に取り込まれないだけの宛てもない。人間は社会的動物なので、基本的に社会に属して生きるという形態をとるのがおそらく楽だろう、と思う。

それならば、どこまでこの構造を宛てにして生活し、どこでそれを辞めるのか? 取り敢えず金があった方がいいので現状維持の選択を繰り返して、三年ぐらい経過している、と思う。気分転換をするにも本を読む気力がないのでゲームを立ち上げ、わけわからんカップリングをユーザーネームにしたオタクとマッチングしてしまう。

 

 

tree-novel.com

 

*1:一方で、「大卒」である程度の誤魔化しが効くという現状を逆手に取ったキャリア形成をしている以上、あまりその点について突っ込んだことを言うとこちらの利益を損なう

*2:作中の人物が「馴染みのある」ような堀の浅い容姿で描かれている点に、親しみやすさというか、「日本の漫画」の要素が強い作品だな と感じた記憶がある。単純にそう言う絵柄という可能性もあります。

仕事が嫌すぎて残業しながら泣いてる

 
泣くな! パソコンの画面が見えなくなるだろ
 
運良く社会の歯車をやらせてもらっていて、大変ありがたいことに自宅の椅子を温めながらパソコンで作業していれば、月に一度お金を頂ける有り難い身分で生活をしている。
社会人、学生バイト要員として働いていたときより、よほど大事にされている。というか、バイトで働いていた大学やコンビニエンスストアなんかより、今のところ会社の方が治安がいい。
上役はコンプライアンスという言葉をちゃんと知っているらしい(大学教員はこのへん知らないことがある)ですし、まだ若く見える人間らしいということもあってか、諸々差っ引いて面倒を見てもらっています。会社ヌクモリティ。
 
ぬくぬくおんばひがさの下、特に何も嫌なことをされたわけでもない。強いて言えば、仕事を振っていただいて火が着いたように泣いてる。
仕事を振ってくれる上司が憎い。
社内稟議でなんかよくわからん机上の空論をゴチャゴチャこね始める上役(卓上の奇人と呼んでいる)のことなんか、二度三度この手で楽にしてやろうかと考えている。
その度に、作業机の上に放置している、妹がくれたお土産をじっと見つめる。ベ平連反戦意見広告をもとにしたものだ。
 
 
業務の中にも、「まだ耐えられる業務」と「耐え難い業務」があって、自分の領域にこもっているうちはストレスが少ない。
時間経過湧き一人完結業務はそこまでのストレスなくこなせる。
あとは、特段締切の決まっていない庶務業務、締切が決まってはいるものの出すもの出したら文句はない庶務業務、庶務業務なら、そこまでストレスなくこなせるかもしれない。
 
最近は社内稟議を通す系の、いわゆる「根回しをする」必要のあるタイプの仕事が湧いてきて、その度に咆哮しているし、資料を出すたびわけわからん指示が出るストレスで脳がやられたので、今日の15時ころまで3+7=9だと本気で思い込んでいた。違った。10だった。
何故こんな辱めを受けなければならないのか。丁度ウェブ会議の向こうで卓上の奇人たちが談笑しながら「〇〇も確認した方がいい」「頭の体操としてですが」「教えてもらいたいんですけど」と和気あいあいと仕事を増やしやがる。ミュート。咆哮。
壁の薄い部屋で生活をしているので、公道を通過するみなさんも、咆哮する在宅ワーカーの存在に、薄々お気づきなんじゃないかと思います。
 
とはいえ、趣味じゃなくて仕事なので、根ぐらい回して金を貰えよ。金は出るじゃん。税金で弱体化されすぎて、何をするにもちょっと微妙な額ですけど、それでも金が出る。
今のところこれで、弊社ちゃんが私の存在に出してくれるこのお金で私、生計を立てて安定した暮らしをしています。お金を使って個人の手による二次小説とかいう、絵師の方に表紙イラストを依頼する口実、厚みのあるイラストのネットプリントをしても、クレジットカードの引き落としで怯えなくても良い暮らし。
 
この生計がなかったら、どうやって暮らしていくんだ? と思うと同時に、これから先私は、ずっとこうやって咆哮しながら暮らしていくのか? という不安がよぎる。
人生100年時代、70代の就労率が高いとニュースで出るたび、IKIGAIIKIGAIって馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返しますが、単に金が必要だからじゃないのか。金がなければ生きていけない。預金残高が寿命の目安のように見える。
 
いっそこの在宅ワーカーを辞めて、オフィスに戻ったほうがいいのかもしれない。
ウェブ会議中にミュート咆哮できているから、まだ大丈夫だろうと見込まれ仕事を振られるのであって、卓上の奇人が暴れだすと同時にブチギレかましたら、たぶん結構早いタイミングで仕事振られなくなると思う。
でも、仕事をしないと生活ができない。これから一日8時間近く社会人ちゃんの着ぐるみを着て咆哮し、目を腫らしながら退勤するんですか?
 
 
こういう根本的なことを考え始めないために、娯楽で自分の機嫌を取る必要があるんですけど、今日は娯楽でガチャ引いて、ご祝儀一回分ぐらい擦ってから、将来へのぼんやりとした不安を覚え、金遣いの手を止めた。
 
出費の用事を数える。直近のご祝儀、それに伴う被服代、美容院代、日々の電気代、水道代、光熱費、通信費、携帯料金、家賃、交通費、サブスクリプション、食費、今日は食事をしないことにした。無意味に使った金のことを考えると、懐に入る前に消えた天引き税金のことを考えてしまって、飯が喉を通らないため。
 
どのキャラが来ても嬉しいガチャならニコニコなんですけど、目当てが一つしかないとガチャ、実質お札をシュレッダーに掛けているようでゾッとしますし、運要素を金額でどうにかするという趣旨なので、中途半端で正気に戻るとこうやって、結局手元に虚無と憎しみしか残らない。本当に良くない。
 
人によっては、あれで快楽を得られるかもしれないんですけど、たぶん「金が戻ってくるかも!」という期待を胸に抱けるだけ、私にとってはパチンコのほうが有益かもしれない。まだやったことがないので実際どうだかの真偽は不明です。
 
 
なぜ、こんなことをしているのか。一日8時間、今日は卓上の奇人たちの活躍によって十時間。
それでも自分が可哀想だと思えないので、悲しくて泣いても涙が出ない。全くかわいそうじゃない。安定感が凄い。「私なんて……」と思ったことがない。堂々たる自我。
これがコミカルな外見から離れてツイッターに立ち現れるとき、自動翻訳越しにもそれを「傲慢」と感じさせるのかもしれません*1
 
会社が嫌すぎて出る咆哮は、どっちかというと、絶望に近い。そして、こんな会社とか社会いう巨大おままごとを必死に成立させようとしている、全てへの憎しみ。
 
なんで私が、こんな目に遭わねばならないのか。人並みに生きるためだ。衣食住に困らず、そこそこの社会的生活を送るためだ。そのための8時間労働。今日は10時間労働。
 
理論上は、辞めたければいつだって辞められるが、これ以上の待遇を望むことは難しいと知っている。
 
能がない。それで金を稼ぐ! と一本気に思えるほどの、価値のある趣味も、芽が出る見込みのある特技もない。他人に価値を認めさせようという努力をしていない。
 
価値も能も愛嬌もコネもありませんが、労働者なので自由に暮らせている。労働者である限り自由。
 
この条件付きの快適な暮らしを打開する目処が立たず、定期的に咆哮を上げる。
 
社会人ちゃんの着ぐるみの中に、虎がいる。
虎は今日、ご祝儀分勢いよく課金して何の成果も得られずに、空腹と腫れた瞼を持て余している。
 

 

山月記

山月記

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*1:私はこの「傲慢」という私への感想は適切ではないと思っていて(傲慢ポイント)、どちらかというと「可愛げのない」が適切ではないかと思っている。誰かが見てくれているかもしれないから宙に向かって感謝するオタク仕草のようなものの一切を廃しているので、確かに愛嬌はない。もっというとツイッターのことを交流会場として見ているか、部屋の壁として見ているかの認識の差によるものじゃないかと思う。